第3話


Written by タケ


「自今、第一線部隊長ノ許可スル特別ノ患者以外ハ後送ヲ禁ズ。患者トイエドモ手足ノ存シ、息ノ続ク限リ、銃ヲ執リ、
手榴弾ヲ投ジ、最後マデ敢闘スベキモノトス」
―岩仲 義治(いわなか・よしはる)中将・戦車第2師団(「撃(ゲキ)」兵団)長

「家畜さながらに死んでいく兵士達に、どんな弔いの鐘がふさわしいのか?」
―ベンジャミン・ブリテン「戦争レクイエム」―










"悲島"の記憶・第3話





 パシッ!パシッ!

「少尉殿!少尉殿!」


 ・・・・・・痛みと共に、神咲は意識を取り戻した。
 頭の天辺と両の頬がひどく痛む。
「気が付かれましたか、少尉」
 部下達が、心配げに神咲の周りを囲む。
「谷山、あの兵隊は!?」
「はっ、無事であります。おいっ、小島ぁ!!」
「はっ、はい!」
「呆けとらんで礼の一つも言わんかあ!貴様を助ける為に、少尉殿は死にかけたんだぞ!」
 小島上等兵が礼を言い、神咲が何、構わん、無事で何よりだ、と応えた後で、谷山軍曹が鉄帽を差し出した。
「・・・・・・?これは?」
「少尉殿が被っておられた"鉄かぶと"であります」
 言われて神咲は頭に手をやった。
 確かに何も被っていない。頭にはこぶができていた。
 鉄帽を受け取って見ると、鉄帽の一部分がコブシ大にへこんでいる。
「実は、少尉殿が被っておられたそれに、迫撃砲弾が直撃いたしまして」
「!?」
「幸い不発で、そのまま跳ねていったのであります」
「・・・・・・命拾い、だな」
「はぁ、それにしても少尉殿は、まるで誰かの加護でも受けておられるような、そんな気がするのでありますが」
「それについては、どうだろうな」
 神咲はペラペラの軍帽を取り出して被り、へこんだ鉄帽をもう一度見た。
 俺は迫撃砲弾に嫌われたか、そう考えると何とも言えない気分だった。
 不発でなかったらそのままバラバラに吹っ飛んでいただろうし、もしさっき被っていたのが今の軍帽だったなら、たとえ
不発であったとしても頭を潰されておしまい。
 よほどの幸運か、それとも「悪魔」とやらにでも魅入られたか?
 そこまで考えて、自分がクリスチャンでも何でもない事に気付いた。
 そして、和音の、愛すべき妻の表情が脳裏に映る。
(ふふっ、これは和音の加護、かな?)
 埒も無い、とは思いながらも、そう考えるのは楽しかった。

 日本軍はバギオを懸命に死守したが、刻一刻と限界が近づいていた。米軍は4月に入るとバギオ西方の「ナギリアン
街道」から日本軍を圧迫、空からの支援も受けて攻勢を強めていった。
 山下大将は、非戦闘員や在留邦人を脱出させると、司令部の撤収を決定した。
 司令部が、バギオの東、カガヤン河谷南部のバンバンという場所に新たな司令部を定めた4月17日、米軍は日本軍
の前線を突破、バギオの日本軍は壊滅の危機に瀕した。
 23日、「旭(アサヒ)兵団」こと、第23師団の師団長・西山 福太郎(にしやま・ふくたろう)中将はバギオ放棄を決定、
山下大将の命令を正式に受領すると、師団は24日にはバギオから完全に撤収した。
 米軍がバギオを確保したのは翌25日である。
 そして同じ頃。東のシエラマドレ山脈と西のコルディレラ・セントラル山脈の接点で、カガヤン川流域への出入り口に
あたるバレテ・サラクサクの両峠でも、激しい戦闘が繰り広げられていた。
 密林に覆われた、この二つの峠を守る日本軍は、バレテが「鉄(テツ)兵団」こと第10師団、サラクサクは「撃(ゲキ)
兵団」こと戦車第2師団である。
 凄まじいまでの火力で迫る米軍に対し、日本軍は肉弾戦法で立ち向かわざるを得なかった。
 全ての戦車を失った戦車第2師団の将兵は、爆雷を抱いて敵戦車に体当たりしたり、投げ込まれた手榴弾を投げ返
したりするなどして応戦した。第10師団もまた同じ様に戦い、両部隊共に、一日で100名単位の死者を出す事も珍しく
なくなっていた。

 このあたりで他方面に目を転じたい。
 ビルマ(現ミャンマー)では、2月から中部の都市メイクテーラを巡って、日本軍と英印軍が攻防戦を繰り広げていた。
 当初日本軍は、機甲戦力に優る英印軍相手に互角の戦いを演じたが、ただでさえ戦力を消耗した日本軍が、戦車を
有する近代化された英印軍に勝てるわけも無い。
 3月末には日本軍はメイクテーラから撤退した。
 4月初めの戦闘では、ある連隊において1個大隊が文字通り「全滅」している。戦闘前、大隊長は連隊長へ戦況を報
告し、命令変更を具申したにも関わらず拒絶された事がこの様な結末となったわけだが、この戦死した大隊長が連隊
内でも人望が厚かった事から、激怒した若手将校達が、現地第33軍司令官・本多 政材(ほんだ・まさき)中将に連隊
長交代を直訴する、という異例の事態に発展した。
 結果としてこの直訴は実を結んだが、各地の日本軍が末期的状態にあった事を実証する、これはひとつの出来事で
あった。
 本土では4月1日、米軍が沖縄に上陸、7日には戦艦「大和」が撃沈され、連合艦隊はもはや立ち直れなかった。同
日、終戦工作の失敗で総辞職した小磯内閣に代わって、鈴木 貫太郎(すずき・かんたろう)海軍大将を首班とする内
閣が発足、終戦への道を模索する事となる。
 この時期、「特攻」は"唯一公然の戦法"と化し、多くの若者が「御国の為に」散っていった。それが「統帥の外道」であ
るにも関わらず・・・・・・。

 ルソンに戻る。

 5月。
 そこはバレテ峠。
 夜陰の森の中を、20名程の兵隊が低い姿勢で進む。
 その後ろから、50名程の集団が続く。
 先頭集団の動きは、まさしく「精鋭」と言っていい敏捷さである。その最先頭を進む者が、右手を軽く上げて停まる。同
時に集団は左右に展開した。無駄の無い動き。
 木の枝葉や雑草で偽装した兵隊達。なるべく音を立てない様に、装備のほとんどは発起点に置いてきていた。
 先頭集団を率いていたのは神咲少尉だった。
 バギオ陥落後、歩兵第71連隊はアンブクラオ(バギオとプログ山のほぼ中間に位置する場所)まで後退していたが、
 バレテ峠に対する増援として1個大隊を供出しており、神咲小隊も、敵に奪われた陣地を奪回する為に、この応援部
隊のひとつとして移動して来ていた。今、小隊はその陣地の寸前の位置まで近付いている。
 右手の軍刀は切っ先を下にした状態にある。左手には拳銃が握られていたが、残りの弾数は3発くらいしかなかっ
た。
 神咲は夜目に慣れた目で左右を見る。自分達だけでなく、他の隊も夜襲の準備を整え、合図を待っているはずだ。
後ろを見る。
 夜目にも鮮やかに、それは光った。
 鈍い光。
 軍刀の刃。
 前を向く。兵隊達は着剣した小銃を構え、神咲の隣では軽機関銃を構えた白瀬一等兵が、息を潜めて射撃命令を待
つ。
「てぇ〜っ!!」
 叫ぶと同時に斉射。擲弾筒も、残り少ない榴弾を撃つ。
 爆発に遅れて喚声が上がる。右翼の小隊が突撃を開始した。
 閃光の中に映る兵隊の影。敵がそちらに気を取られ、反撃を開始しようとする正にその時。
「突入!!」
「オオ〜ッ!!」
 神咲小隊が突撃を開始した。
 神咲が左前方の敵兵目掛けて拳銃を放つ。走りながら撃った為にまるで当たらなかったが、怯んだ敵は兵隊二人に
突きかけられた。
 怒号と悲鳴、手榴弾の炸裂、機関銃の唸り。
 拳銃を立て続けに3発撃ち尽くした神咲は、そのまま拳銃をホルスターに突っ込むと、それを見て襲いかかって来た
敵兵を軽くいなして斬り払った。
「ギャア〜ッ!!」
 暗闇に血しぶきを散らして敵兵が倒れた。

―こんな所で死にたくはなかったろうに―

 神咲は、ふとそう考える。
 そこへ、至近に数発着弾した。神咲は思考を中断して戦に戻る。
 戦場(ここ)では、一時の感情の発露すら許されない。一度始まってしまうと、そこでは殺す者こそが「正義」であり、殺
される者はただ「屍」となるだけ。
 "単純明快にして理不尽かつ不条理"な世界が展開されるのだ。
 「黒い棒」が振り下ろされてくる。神咲はそれを難なく避けた。
 振り下ろされたものは、小銃の台尻。人間は、ある一定の距離以内だと、原始人に戻ってしまうのだろうか?
 そんな事すら考えながら、神咲は目にも留まらぬ速さで軍刀を振るう。敵兵はすれ違い様に頸部を斬られ、糸の切れ
た操り人形の如く崩折れた。
 敵が撤退を始める。一度退いて態勢の立て直しを図るつもりのようだった。

「・・・・・・・・・」
 屍は皆、後退した敵の方角を向いて倒れていた。
 奪回した陣地の「たこつぼ」の中で、息絶えた友軍の兵隊達。
 小銃を握り締めて冷たくなった屍達・・・・・・。
 神咲の精神を苛むには、その光景は充分に過ぎた。「たこつぼ」の中で、兵隊達は迫り来る死を前に何を思ったの
か。
 これ程理不尽な死に様など、あるのだろうか?
 次は・・・・・・次は、俺達なのだろうか?
 不意に、近くで騒ぎが起こった。
 神咲が、谷山軍曹に部下の掌握を任せてそこに駆け付けてみると、軽傷を負ったらしい敵兵が三人、友軍の集団に
囲まれていた。背格好から、どうやら現地人ゲリラの様だった。囲む友軍は、大尉を筆頭に十数名。
 その大尉の態度に落ち着きが無い事を、神咲は見咎めた。
 大尉は、ある独立部隊で中隊長をしていて、今回の攻撃に際し、神咲小隊は臨時にこの大尉の指揮下に入ったのだ
った。だが、神咲はこの大尉に、初対面から「虫の好かないもの」を感じていた。
 大尉の傍に一人が近付き、何事か小声で話しかける。
 聞き取り辛かったが、「処理」という言葉が耳に入った。まさか、「殺る」つもりか!?
 前線では「新兵に度胸をつけさせる為、と称してしばしば捕虜が"処理"されていた」とは、神咲も満州時代に「噂」とし
てちらと聞いてはいたが、どうやらそれは「本当の話」らしかった。
「大尉殿」
 神咲は、反射的に声を出していた。
「何だ?」
「折角の捕虜であります。ここは敵情を知る為にも、尋問し司令部へ・・・・・・」
「貴様、"死者を連れて行け"と言うのか?無茶を言うな!」
 大尉は、どうしてもゲリラを"殺したい"らしい。
「お待ち下さい、三人は負傷しこそすれ、生きております」
 神咲は、元々無益な殺生を人一倍嫌う性格である。その性格が彼を突き動かしていた。今、戦闘は終わっているの
でありますから、これ以上の殺生はするべきではありません。
「・・・・・・貴様、俺に逆らうか?」
「いえ、その様な事は考えておりません」
「嘘をつけ!いいか、ここでは俺が上官だ!抗命罪で逮捕されたくなければ"大人しく"していろ!!」
 大尉はそう叫ぶと、意識的に軍刀をガチャリと鳴らした。
「中隊長殿」
 別の声が割り込む。落ち着いた声だ。
「・・・・・・竹下か、何だ」
 大尉が苦々しげな声を上げる。
 大尉の直属の部下、竹下少尉であった。神咲より二、三歳年上の予備士官で、柔らかい物腰ながらも筋の通った話
し方をし、部下達をきちんと掌握しているところに神咲は好感を持っていた。
「ここで友軍同士が争っても損であります。それに・・・・・・」
と、大尉に近付いて一言、二言話す。
「ぬ・・・・・・」
 大尉が黙り込んだ。ややおいて、
「分かった、そうしろ」
「ありがたくあります」
 竹下少尉は、ゲリラに声をかけると移動を促す。
 ゲリラ達は、足に怪我をしたらしい一人を支えながら、ゆっくりと歩き出した。竹下小隊の兵隊が数人、周りを囲む。
 神咲は、そのゲリラ達を見て驚いた。一人が女性だったからだ。その女性は、神咲の顔を敵意のこもった目で睨みつ
けると、そのまま連行されていく。
 ああ、日本軍は・・・・・・皇軍は・・・・・・嫌われ者、ならず者の集まりか・・・・・・。
と、神咲は、殺気にも似た視線を後ろから感じた。
 こちらを苦々しげにねめつける大尉の視線。それが神咲にはとても危険なものに思えた。
 自分一人のみならず、あれでは竹下少尉も・・・・・・。
 先を行く竹下少尉に追いつく。
「少尉、立場を悪くしてしまい・・・・・・」
「ああ、気にせんでいいよ」
「ですが・・・・・・」
 大尉の"あの視線"が、どうしても気にかかる。
「少なくとも貴官は正しい、それだけの事だよ。それに」
 少し言葉尻を切って、竹下は続ける。
「あの場では、俺でもそうしたよ。ついでに言うと、俺はもう大尉には目を付けられてるからね」
「だとしたら、なおさら勇気のいる事です」
「ははっ、それは買いかぶりってもんだ。ただ・・・・・・次あたり、部下達にいらぬ迷惑をかけるかもしれんな、気の毒な話
だが」
 竹下は、自分の部下達の事のみ気にかけている。いずれ、何かの形でお返しをしなければ、神咲はそう思った。

「この世なるものは、なべて虚像の如し」

「?」
 突然、おどけた口調で竹下が口にした言葉の意味が、神咲にはよく分からなかった。
「ファウスト、だよ」
「ファウ、スト??」
 ますます分からない。竹下は屈託の無い微笑を神咲に向ける。
「それでも俺達は生きなきゃならんし、この世は全て現実なんだよなぁ」
「・・・・・・・・・」

 5月中旬になっても、バレテ・サラクサクの両峠をめぐる戦闘は続いていた。米軍は、地勢を利用し、夜間白兵戦を挑
む日本軍に手こずっていたのだ。
 この間、マッカーサー元帥はフィリピン中・南部の各諸島に、指揮下の米軍を続々と上陸させていた。
 未だマニラ攻防戦が続いていた2月28日、米軍はパラワン島に上陸、日本軍に虐殺された、およそ150名余りの友
軍捕虜の遺体を発見した。この事件は、後に山下大将の運命に関わる事となる。
 3月10日には、米軍はミンダナオ島西部のザンボアンガに上陸した。
 18日、パナイ島に上陸した米軍は、生きながら友軍の手で火葬にふされた、日本軍の重症患者の遺体を目にする
事になった。
 26日にはセブ島、29日にはネグロス島に米軍が上陸、日本軍との戦闘に入った。
 4月11日には、ボホール島に米軍が上陸、占領した。
 対する日本軍は、指揮権が一本化出来ず、混乱したまま各個に迎撃を余儀なくされ、各地で壊滅する事になる。
 フィリピン中・南部の守備を担当する、第35軍司令官・鈴木 宗作(すずき・そうさく)中将が4月19日にミンダナオ海
上で戦死した事で、日本軍の混乱には更に拍車がかかった。
 米軍はこうしてフィリピンの各諸島を次々に占領していったが、この一連の作戦は、実際のところ「まったく必要の無
い作戦」でしかなかった。
 それでも、マッカーサー元帥はこの作戦を強行したのである。おそらく、彼は「フィリピン解放の英雄」という自らの夢
に酔い、兵士達を無駄に働かせていたのではなかろうか・・・・・・。

 5月下旬、バレテ峠の日本軍は、学徒動員の士官候補生教育隊を基幹とする「戦車撃滅隊」を編成し、反撃に転じ
た。
 爆雷を抱いての体当たり攻撃が繰り返し行われたが、ほとんどは戦車に近付く事も出来ず、撃たれ、薙ぎ倒された。
 撃滅隊の陣地を突破した米軍は、怒涛の勢いで日本軍を蹂躙、第10師団を中心とする守備隊は壊滅状態となり、6
月1日、バレテ峠は遂に突破された。

 他方、沖縄でも死闘が続いていた。
 「菊水作戦」と命名された特攻作戦、民間人をも巻き込んだ地上戦、そして追い詰められた日本軍将兵による、民間
人に対する集団自決強制・・・・・・。
 5月末、牛島 満(うしじま・みつる)中将率いる第32軍は、首里城より南の線で米軍と戦っていた。

 ルソン島の山下大将は、5月20日にはバンバンより更に奥地のキャンガン(現キアンガン)に司令部を移して防戦の
指揮を執っていたが、バレテ峠の失陥により、カガヤン川流域が危険に晒される事を悟らざるを得なかった。

 6月。
 ルソン島の戦いは、未だ終局を見る事無く、ますます激しさを増していく。
 終戦まで後2ヵ月半。
 その事を知る由も無く、神咲達はなお、戦い続けていた。





"悲島"の記憶・第3話 了



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