第1話


Written by タケ


「敵ハスデニ頭上ニ迫ッテオリ(中略)今ヤ比島全域ガ天王山デアル」
―小磯国昭・大日本帝国首相―

「戦闘ニ最終ノ決ヲ与フルモノハ"銃剣突撃"トス」
―歩兵操典より―










"悲島"の記憶・第1話





 何だ?連中のあのザマは?

 マニラに上陸し、市街地に入った神咲少尉は己が目を疑った。

昭和19年12月初め。

 神咲の所属する「旭(アサヒ)兵団」こと、第23師団所属の歩兵第71連隊は、捷号作戦発動に伴う動員令を受けて、
それまで駐留していた満州から、輸送船に分乗してフィリピンに移動してきていた。
 最初のうちこそ意気揚々だった将兵達。だが、黄海や東シナ海で米潜水艦の襲撃に遭い、「吉備丸」「摩耶山丸」「秋
津丸」が相次いで撃沈されると、そんな空気は吹っ飛んでしまった。
 潜水艦の影におびえ、ルソンに近づくにつれて敵機の空襲も警戒せねばならず、さらに船酔いも手伝い、クタクタな有
様でようやくマニラに上陸したというのに、いざ陸に揚がってみるとマニラの将兵達は、ただただ占領軍としての権威と
軍票(お金の代わりに使用された軍用の手形)を振りかざしているだけ。
 軍服を着崩した兵隊達が、町中のあちこちで気だるげに屯していて、昨日はどこで飲んだだの、あの娘の"具合"は
どうのと、品の無い話に興じているのだ。
「俺達ぁ、こげん"ずっさらし"(鹿児島弁・たるんでる、だらしない)な者達ばケツ、叩きぃ来たっじゃあなかと」
 神咲の後ろにいた兵隊の一人が声を上げた。すると、それを聞きとがめたのか、数人がこちらに大股で歩いてくる。
「今、何か言ったかぁ、兵隊!」
 先頭を切ってきた者ががなりたてる。
 神咲は、がなりたてている兵隊を一瞥した。階級は・・・・・・曹長か。少しばかり酒臭いな、どこかからでもくすねてきた
のか・・・・・・。
 いずれにしても、助け舟を出してやらねば。
「そういう貴様達こそ、ここで油を売っていていいのか?」
「何ぃ!?」
 曹長が神咲をにらみつける。が、神咲の襟章を見た瞬間、
「げっ、しょ、少尉殿!?」
 曹長の取り巻き達も、慌てて敬礼する。
「どうやら、少しはまともになったか。我々は満州から、決戦の為にこの地に来たのだ。ここで友軍同士いがみあっても
損だ。いいかげん、頭を冷やして持ち場に戻るならそれで良し。ああ、ところで、貴官の姓名・階級・所属部隊は?」
「・・・・・・・・・」
「姓名・階級・所属部隊は、いかに?」
 神咲の声が低くなった。とはいえ、別に凄んでいるわけではなかったが、向こうはどうやら危険だと感じたらしかった。
さっきまで赤ら顔だった曹長の顔が、見る間に青くなっていく。
「マ、マニラ守備隊、佐藤曹長であります!」
「うん、では佐藤曹長、持ち場に戻るか?」
「も、戻ります!」
「よろしい、速やかに持ち場に戻れ」
「はっ!!」
 佐藤曹長をはじめとする一団は、旗色悪げに引き下がっていった。
「申し訳なくあります」
 からまれていた兵隊が、神咲に頭を下げた。
 着任以来、小隊の部下である白瀬一等兵だった。
「気にせんでいい、奴等は確かにたるんでいる」
 曹長をねめつけた時とは違い、若い女性の半数は振り返るであろう精悍かつ優しげな表情に、少しだけ苦笑が浮か
んでいる。

「こちらは"自由の声"放送、私はマッカーサー大将である。フィリピン市民諸君、私は帰って来た。全能の神の加護に
より、我が軍は、両国民の血で聖(きよ)められたフィリピンの土の上に、再び立っている・・・・・・」
 昭和19年10月20日、マッカーサー大将率いる米軍17万4千名の内、6万名がフィリピン西部のレイテ島に上陸、
彼の公約「I Shall Return」はここに果たされた。
 さかのぼる事1週間前の「台湾沖航空戦」における"虚報"を鵜呑みにした大本営と陸軍は、このレイテ上陸を「悪あ
がき」と誤断、当初ルソン島で敵を迎撃する予定を、安直に「レイテで決戦を挑む」と変更してしまった。
 フィリピン守備を担当する、山下 奉文(やました・ともゆき)大将の第14方面軍はこの方針に反対したが、結局レイ
テへの増援は決定されてしまう。
 連合艦隊もこれに呼応してレイテ島を目指したが(レイテ沖海戦)、戦艦3、空母4隻をはじめとする多数の艦艇を失
って敗退、その後のレイテ増援(多号作戦)も、最初の数回を除いてことごとく失敗し、初めて本格的に編成された特攻
隊も、米軍将兵の恐怖を煽ったものの戦局を変える事は出来なかった。
 レイテ島の日本軍将兵は、米軍やゲリラとの戦闘、それ以上に飢えや病気によって次々と倒れていった。
 そうした中の11月17日、第14方面軍の上部組織である「南方総軍司令部」が、マニラからサイゴン(現ベトナム・ホ
ーチミン)に移動してしまう。以前から計画としてあったとはいえ、これはもはや一種の「敵前逃亡」と言われても文句は
言えまい。
 神咲達が上陸した頃、レイテ島の戦闘は終末段階にさしかかっていた。11月以降、日本軍は貴重な空挺部隊まで投
入して反撃に転じていたが(和号作戦)、この作戦も無惨に失敗し、12月7日には、米軍の一部がレイテ島西部、オル
モック湾のイピルに上陸、レイテ戦は急速に終焉へと向かっていったのである。

 神咲の所属する第23師団は、山下大将直率の「尚武集団」に配属され、マニラの北、リンガエン湾の守備についた。
 リンガエン湾は、昭和16年末から17年初めにかけて日本軍が上陸、フィリピン攻略の第一歩とした場所である。
「はぁ〜、こっから上陸したのでありますかぁ」
「ここに友軍が上陸した頃は、皆は満州、俺は入営すらしていなかった」
「それが今や、自分達が決戦の準備、でありますか」
「そういう事だ。さあ、敵をいつでも迎え撃てるように、しっかりとした陣地を作るんだ。いざという時、己が身を守ってく
れるのはここだからな!」
 そこは、リンガエン湾を望む、とある丘陵地の一角。
 神咲は、割り当てられた陣地構築の指揮を執っていた。レイテの戦況が芳しくない、と言う噂(真実はそれを通り越し
ていた)もあり、作業は急ピッチで進められている。
 そんな中、神咲の内心は晴れなかった。
 ふうっ、こんな程度の事、その気であれば当の昔に終わっていただろうに・・・・・・。
 だが、やらなければ身を守れない。気を取り直して指揮を執る。
 敵機の空爆などに悩まされながらも、どうにか陣地は構築されていった。

 12月15日、米軍はミンドロ島に上陸し、瞬く間に飛行場を建設していった。
 もはや米軍の狙いがルソン島であり、マニラである事は、誰の目にも明らかであった。
 25日、連合艦隊はミンドロ島への艦砲射撃を敢行(礼号作戦)、これを最後にフィリピンから完全に手を引いた。同
日、山下大将はレイテ島で戦う第35軍宛てに、以下の命令を下した。

 「自活自戦、永久抗戦」―以後、一切の援護も望まず、自らの力で生きて、戦え―

 元帥に昇進したばかりのマッカーサー将軍が、レイテ島攻略作戦の終結を宣言したのもこの日であった。
 26日、山下大将は方面軍司令部を、マニラの北20qのイポという場所に移した。
 それまでたるみきっていた将兵達の目を覚ますのに、それは充分な効果があった。さらに、27日の大本営発表。

 「レイテ決戦ヲ全比島決戦ニ拡大ス」

 やっと事態の重さに気付いた将兵達は、にわかに動き始める。もっともそれは、あまりにも遅きに失していた
が・・・・・・。
 在留邦人疎開と軍将兵のマニラ撤収で、ルソン島の年末は混乱の内に暮れていったが、撤収を不服とした陸海軍の
一部部隊、約2万名が命令系統の曖昧さも手伝って残留、後に悲惨を極める「マニラ市街戦」の当事者となる。

 昭和20年元旦。
 新年の訓示も終わり、この時ばかりは忙中閑あり、とでも言うべきであろうか。
 兵隊達はそれぞれに集って、質素ながらも新年を寿(ことほ)いでいる。
 そんな中で神咲少尉は一人、兵隊達の輪から離れてはるか北の方角を見据えていた。
「少尉殿」
「・・・・・・ん、何だ、谷山か?どうした?」
 古参の谷山軍曹が、気遣わしげに神咲を見ていた。歩兵第71連隊に配属以来、神咲は谷山と息が合い、互いに敬
意を払い合う、信頼のおける間柄であった。
「いえ、北の方を気にしている様でありましたので。何か、気になる事でも?」
「いや、別に気にしてるわけではないがな。ただ、バギオという町はどんな所かと思ってな。良い所だとは聞き及んだ
が」
 谷山は、ああ、そうでありましたか、と笑顔で応えると、それ以上は何も聞かず兵隊達の輪に混ざっていった。
「・・・・・・・・・気付かれている、かな?」
 神咲はひとりごちる。が、気付かれても別に構わなかった。
 彼は鹿児島に、正確には鹿児島で留守を守っている妻、和音に想いを馳せていた。

 中学(現在の高校)時代に出会い、いくつかの出来事を経て互いに愛を育み、紆余曲折があったものの晴れて夫婦
になったのが、対米開戦直前の頃だった。
 和音は生真面目な上に朴訥であったが、本来の繊細で優しい性格と、時折見せる心からの優しい笑顔を、神咲はこ
よなく愛していた。
 "退魔"の道でも認められ、「神咲一灯流」の後継者として期待されたのもつかの間、兵役召集の「赤紙」が届いた。
 「霊剣・十六夜」の継承も認められた矢先の事であったが、まさか"彼女"を戦地に連れて行くわけにはいかない。
 やはり、「十六夜」は和音が振るうべきだろう。いくら自分に「霊力」があるといっても、その使い道は和音の方がよく分
かっている。それに・・・・・・それに、俺はいつ前線に赴き"屍"となるかも分からないしな・・・・・・。
 神咲は入営の前、妻に「十六夜」を託し、万感の想いを込めて、行って来る、とだけ言った。
 和音は、ご武運を、と言って夫を送り出した。笑顔すら浮かべて気丈に見送ってくれる和音の姿が、神咲にはかえっ
て辛かった。
 入営後しばらくして、「甲種幹部候補生」として熊本の予備士官学校に入学、9ヶ月で卒業し満州へ。
 そして、今・・・・・・。

 和音から送られて来た千人針の腹巻を、神咲は身に着けていた。
 和音の為にも、生きて帰らねば・・・・・・。
 無意識の内に神咲は、腹巻の巻かれた腹部を掌でさすっていた。
「少尉殿ぉ〜、こちらに来て、餅でも食べませんかぁ?」
「・・・・・・ああ、今行く」
 無意識の行動を、腹が減ったと勘違いでもされたのだろうか?
 神咲は一瞬複雑な気分になったが、気を取り直して兵隊達の輪の中に混ざっていった。

 1月9日。
 すでに、6日から8日にかけて艦砲射撃を繰り返していた米軍は、いよいよリンガエン湾に上陸を開始した。湾岸のサ
ンファビアン、リンガエンに上陸した米軍は、すぐさま橋頭堡を築き上げると圧倒的な支援戦力を後ろ盾に、内陸部へ
の進攻を開始した。この第一波に続いて、マッカーサー元帥もルソンの地を踏んでいる。
空からは、艦載機やレイテ、ミンドロ島からの陸軍機の空爆、海からは各種艦艇による艦砲射撃、上陸した地上部隊
はM4中戦車等による支援射撃と、米軍は日本軍に対し容赦無く攻撃を加えた。
 一方、日本軍も重砲部隊や戦車部隊等による反撃を行ったが、ナパーム弾等による空爆で森や偽装を焼かれ、丸
裸になったところを次々に破壊されていった。
 海では、夜間に水上特攻が行われた。陸軍の「海上挺身第12戦隊」が、米上陸船団に体当たりを敢行したのであ
る。それは爆薬装備のモーターボート特攻だったが、戦果は無いも同然であった。
 また空からは連日に渡り、陸海軍共に特攻隊を出撃させていたが、いくばくかの敵艦損傷の戦果と引き換えに、多く
の機材と人員を失うのみであった。
 陸では、山下大将の迎撃命令を受け「旭(アサヒ)兵団」こと第23師団、「虎(トラ)兵団」こと第19師団、「盟(メイ)兵
団」こと独立混成第58旅団の各部隊が、米軍との戦闘に突入した。
 だが、火力において劣り、制空権すら無い彼等は、昼はとても身動きが取れない。夜間において、歩兵操典に忠実
に、斬り込みを敢行するより他に手段が無かった。
 米軍はこれに対し、あくまで火力で対抗した。大は戦車砲や重砲、小は機関銃に手榴弾、果ては空爆や艦砲射撃ま
で、ありとあらゆる兵器を撃ちまくって日本軍を撃退したのである。
 深夜に敵陣地へ突入し、手榴弾を投げ込んだり、小銃や機関銃をぶっ放してくるのが関の山では、到底米軍とまとも
に戦えるわけも無かったが、それでも日本軍は連日の斬り込みを続けた。
 そんな苦闘が続く中、信じられない出来事が起きた。
比島の陸軍航空隊を統括する第4航空軍司令官・富永 恭次(とみなが・きょうじ)中将が、1月17日に突如、戦力再
建を名目に比島北部・ツゲガラオ飛行場から台湾に脱出してしまったのである。死闘を続ける部下達を置き去りにし
て・・・・・・。
 富永中将の脱出を知った山下大将は激怒したが、もはや"後の祭り"だった。
 後に富永中将は、この責を問われ予備役に格下げとなり、やがて満州において新編師団の師団長となるが、終戦後
シベリアに抑留される事となる。
 余談はさて置きこの"事件"は、始まったばかりのルソン攻防戦における日本軍が、もはや「末期症状」に侵されてい
た証左、象徴といえるであろう。

 富永中将が脱出する前夜。
 神咲少尉は30名程の部下を率いて、夜襲開始に備えていた。
 夜襲部隊は、戦車部隊の一部と機動歩兵(現在で言うところの自動車化歩兵)、第23師団等から選抜された歩兵約
2個大隊で、指揮官は「撃(ゲキ)兵団」こと、戦車第2師団所属の戦車第3旅団長、重見 伊三雄(しげみ・いさお)少将
である。
 神咲は谷山軍曹の補佐もあって、一個小隊程の部下をまず問題なく統率していたが、連日の戦闘で死傷者が急激に
増え、現地の補充もままならない状況になりつつあった。
 それ以上に神咲の精神を苛んだのは、己の「霊力」がもたらす"映像"だった。
 戦闘中に戦死した部下、周りに倒れ、息絶えた友軍の兵隊達、そして自分が殺した、あるいは殺したかもしれない、
誰かに倒されたかもしれない米兵・・・・・・。
 「彼等の魂魄」は皆、"死んだ自分を見て納得出来ずに"消えていくのだ。
 ここ数日、まともに食も取っていなかったが、食欲すらわかない。
 中隊長から「せめてもの心づくし」と贈られてきた乾パンも、ひとつ齧っただけで部下に分けていた。

 1月16日2200時。

 攻勢発起。

 友軍戦車が前進を開始、その後ろを歩兵達がついて行く。
 兵隊達は小銃の先に「ゴボウ剣」と呼ばれる銃剣を着けている。
 神咲は右手に軍刀、左手に拳銃という出で立ちで、部下達の先頭を進む。
 ふと、前方からいくつもの「何か」が空に打ち上げられた。
 その「何か」が、上空で眩いばかりの光を放つ。夜明けではない。照明弾!?
 一気に辺りが明るくなってしまう。
 更に、前方に光るいくつもの閃光。発砲音!!
 神咲は反射的に叫んだ。
「伏せろぉ!!」
 怒鳴るなり地面に伏せる。と、神咲の右前方に位置していた友軍戦車が直撃を食らった。
 バコン、という音がしたかと思う間も無く爆発する。
「ぐあっ!?」
 伏せるのが遅れた兵隊が、爆風と破片を浴びて吹っ飛ぶ。
 一度頭を上げた神咲の視界を、いきなり「黒いもの」が塞ぐ。
 慌てて顔を伏せる。
 目の前に、何かが鈍い音を立てて叩きつけられた。
 再び頭を上げた神咲の目の前、僅か4、50pのところに、友軍戦車の砲塔がひっくり返った状態で、地面にめり込ん
でいた。
「・・・・・・・・・・・・」

 そして、火力の応酬が始まった。

 パン!パン!

 右手から信号弾が撃ち上げられた。
 戦車がエンジンを吹かして前進を開始する。
 周りから「突撃!」という声が途切れ途切れに聞こえる。
「戦車に追従する!小隊前進!!」
 神咲小隊も、駆け足で戦車に続く。
 火力も防御力も劣る友軍戦車は、零距離射撃に活路を見出し、兵隊達は斬り込みに全てを賭ける。
 戦車のみならず、歩兵の接近に気付いた米軍は、大は戦車砲、小は自動小銃に至るありったけの火力で対抗する。
 戦車のエンジン音、キャタピラのきしむ音、戦車砲や対戦車砲の発砲音、破壊音。
 絶え間無く撃ち続けられる機関銃、どこから撃ってくるのか、迫撃砲弾の飛来する"シャ〜ッ"という音、そして炸裂。
 敵味方問わぬ兵士達の怒号と悲鳴。
 衝撃波に揺さぶられ、爆風を受け、「騒音」という言葉が可愛く思える程の世界の中を、ただひたすら敵陣目掛けて走
る。時に至近弾がかすめていくが、構わずに進む。
 一輌の友軍戦車が、偶然にも敵戦車の真横につけた。すぐに砲身を向け、発砲する。
 と、その直後、どこかから攻撃を受けたのか、その友軍戦車が火を吹いた。さらに遅れて敵戦車のハッチが吹っ飛
び、炎が上がる。
「あの周りに手榴弾!爆発後直ちに突入!」
 神咲が叫び、部下達は命令通りに手榴弾をめいめい投げ込む。
 爆発直後、一斉に突き掛けた。
 塹壕線に踏み込む神咲の至近に、米兵が飛び出してきた。反射的に右手を突き出す。不幸な米兵の咽喉元を、軍
刀の切っ先が貫いた。
「こん、アメ公がぁ!!」
「Nuts!!」
「死ねぇ、チェストォ!!」
「Mother fucker!!」
「こんにゃろう!!」
「 Fucking Jap!!」
 日本語と英語の怒声が乱れ飛ぶ。神咲小隊は、米兵との白兵戦の真っ只中にあった。
 神咲は部下を指揮し、また自らも軍刀を振るいつつ、"人を殺している自分が何の罪悪感も感じていない"事を不思
議に思っていた。まるで自分が、何か機械の一部になってしまったかの様な、そんな気がする。
「うわっ!?」
すぐ右にいた部下が、何かにつまずいて倒れた。
「大丈夫か!?」
「はっ、つまずいただけであります」
 足元を見ると、長い筒状のものが転がっていた。
 神咲達は知らなかったが、それはバズーカ砲だった。敵戦車に零距離射撃した友軍戦車は、これで仕留められたの
である。
 と、神咲は不意に殺気を感じた。部下を庇う様に踏み出すと、軍刀を持った右手を迷わず押し出す。小銃を振りかぶ
り、台尻を叩き付けようとした米兵の服が裂け、脇腹に刀身が食い込み、肉を斬り抜く。
 全ては一瞬の内。
 米兵は前のめりに倒れ、ピクリとも動かなくなった。
 神咲はそのまま左手を横に突き出すと、その方向すら見ずに拳銃を連射する。
 闇を利して忍び寄ろうとしていた米兵が、全ての銃弾を食らって吹っ飛ばされ、息絶える。
 二人の米兵の「魂魄」が"文字通り「抜けていく」様"を、神咲ははっきりと見ていた。
 だが、今はそれ以上の"何も感じなかった"。
 唖然としていた部下が、我に返って神咲に礼を言う。
「あ、ありがたくあります」
 その声と、照明弾の放つ光で見えた顔で、部下の平(たいら)上等兵と分かった。
「気にするな、平。いけるか?」
「はっ!大丈夫であります」

 ・・・・・・この夜襲は、ついに成功しなかった。
 米軍の死傷者は100名に満たず、逆に日本軍は戦車9輌と、約250名の将兵を失って退却を余儀なくされたのであ
った。

 歩兵第71連隊はその後、19日にも夜間斬り込みを敢行、参加550名中、帰還僅か36名という大損害を蒙り、やが
て第一線が崩壊するに従い後退せざるを得なくなった。
 重見少将率いる戦車第3旅団も戦力を消耗、27日夜、
「全車輌、全速力デ突撃セヨ」
の命令を最後に敵陣に突入、全滅した。

 この時期レイテ島の日本軍は、隣のセブ島へ残存将兵を脱出させていたが(地号作戦)、1月下旬には米軍の海上
封鎖も始まり、セブ島に脱出できたのはほんの僅かでしかなかった。
 レイテに取り残された日本軍は、島の西北端部に位置するカンギポット山(日本側名称・歓喜峰)周辺に追い込まれ、
進退窮まってしまったのである。
 さらに目を外へ転じると、ビルマ(現ミャンマー)では、日本軍と米・英・中連合軍がイラワジ川中流域で交戦したが(イ
ラワジ会戦)、インパール作戦で大敗した日本軍はここでも敗れ、ずるずると後退を続けていた。

 各地で友軍が敗走する中、ルソンもまた例外ではなかった。
 1月下旬、山下大将は前線諸部隊にバギオ防衛線への後退を下令、戦線は次第に内陸へと移っていく。

 ルソンの日本軍将兵、そして神咲少尉にとっての「地獄」は、まだ始まったばかりであった。





"悲島"の記憶・第1話 了



戻る
戻る