ある夫婦の肖像 〜神咲一灯流の戦後〜 改訂版


Written by タケ


―はじめに―

この物語は、「"悲島"の記憶」の後日譚として執筆されたものです。
作中の鹿児島弁は、非常に"いい加減"なものではありますが、何卒大目に見ていただけると幸いです。

では、つたない物語にしばしお付き合い下さいませ。





 和音は、見た事も、行った事もない森の中に、ぽつねんと立っていた。
 鳥の鳴き声すらしない、死んだ様な森。

 ふと、和音の耳に誰かが争う声が、連続した"何かの音"が聞こえてきた。
 その場所に向かって歩く。

 ・・・・・・数人の日本兵が、敵兵らしき別の兵士数人と格闘していた。
 銃剣が胸を刺し貫く。
 振り回された小銃の台尻が、不運な兵士の顎を砕き、吹っ飛ばす。
 倒れた兵士はそのまま起き上がれず、銃剣を突き立てられ息絶える。
 まるで、原始時代に戻ってしまったかのような殺し合い。
 和音は、呆然とその殺戮を見ていた。何故か、眼を逸らすことが出来ない。
 そこに、軍刀を持った士官が駆け付けて来た。
 無言で、向かって来る敵兵をいとも簡単に斬り伏せる。
 和音は我が目を疑った。その士官は、愛する夫ではないか!?

 そんな、復員したはずじゃなかか?

 夫は、まるで「殺戮の為の機械」にでもなったが如く、二人目を斬り倒す。
 違う、違う!夫は"こんな事"ばする人じゃなかっ!!
 その光景を見るに堪えず、和音は思わず叫んでいた。
「あなたあっ!」
 夫は驚いた表情で動きを止めると、和音の方を向いた。
 和音、と夫の口が動く。表情にも少し優しさが戻った。
 そう、あの優しい表情こそが・・・・・・。
 が、夫はすぐに別の方向を向くと、何かを叫びながらこちらに走ってくる。
 何があったのか?と思う間もあらばこそ、和音は夫に突き飛ばされていた。

「えっ!?」

 突き飛ばされて倒れながら、和音は見た。
 見てしまった。
 敵の銃弾を浴び、吹っ飛ばされた夫の姿を・・・・・・。





「い、嫌ああああああああっ!!!!」

 跳ね起きた。
 動悸がひどい。荒い息。身体は汗に濡れ、瞳からは涙が流れ落ち、止まらない。
 まだ夜は明けておらず、寝室の中は暗い。

 はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。

 と、肩に優しく置かれた手の感触で、和音はようやく我に返った。
「和音、何か悪か夢、見たとか?」
「あ、あなたあっ!!」
「か、和音!?」
 和音は夫の胸にすがりつくと、そのまま夫の寝間着の前をはだく。
「うっ、えっ、えぐっ、ど、どこも"撃たれて"なかか?」
 胸板をなぞり、泣きながら声を上げる和音を見て、夫は応えた。
「ああ、撃たれちょらん・・・・・・。そうか、そげん夢ば、見ちょったか」
 夫は和音を優しく抱き締め、頭を撫でてやる。
 和音の心は、それだけで嘘みたいに落ち着きを取り戻していった。
 しかし、同じ悪夢はもう二度と見たくない。
 和音は自分でも気付かぬ程自然に、夫に甘えていた。

「あなた、うちを、こんまま、抱いて寝て」
「・・・・・・ああ、良かぞ」
「うん♪」

 ・・・・・・朝。
 いつもは早起きなはずが、いつまで経っても起きてこない二人を起こそうと、二人の寝室の戸を開けた楓が見たもの
は、夫を「抱き枕」にしてすやすやと熟睡している和音と、目覚めてはいるものの、和音を起こすに忍びないのか、その
ままの状態で苦笑しながら目礼を返す夫の、何とも言いようのない"桃色の光景"であった・・・・・・。
 楓は呆れていいやら、野暮な事をしたと反省していいやら、困り果てた表情で一言。

「ま、そんまま寝ちょれ」

 夫はしばらくすると、楓について「一灯流」の修行を再開した。
 「十六夜」を構える夫の姿は、和音のひいき目を抜きにしても、「一灯流の退魔師」にふさわしいものだった。剣を振る
う動きは以前よりも「切れ」が増し、とても"隙"など見出せない。
 この調子ならば、戦時中のブランクなどすぐに取り戻せるであろう。「十六夜」との同調もそれこそ"完璧"と言って良
く、楓も満足げに夫を見ている。
 ただ、夫の表情が、「十六夜」を持った時からどこか冴えなかったのが、少々気にかかってはいたが・・・・・・。

 一族や「一灯流」門下の集まりが持たれたのは、それからしばらくしたある日の事だった。
 和音は、いくつかの空いた席を見て心が痛んだ。
 夫を含め、「一灯流」で戦地に出征したのは六人。内二人は「明(アキラ)兵団」こと、第6師団所属の歩兵第45連隊
に配属され、南太平洋のブーゲンビル島で戦死していた。
 もう二人は「静(セイ)兵団」こと、第46師団所属の歩兵第145連隊に配属されたが、連隊が師団を離れて硫黄島に
移動、そのまま米軍と交戦して二人とも戦死したという。
 もう一人は生き残り、無事な姿を見せていた。「冬(フユ)兵団」こと、第37師団所属の歩兵第227連隊に配属され、
中国からインドシナ半島を経て、タイ国内で終戦を知ったという。
 そして夫は、今和音の隣にいる・・・・・・。
 そこはかとなく寂寥感の漂う中、一族の会議は始まった。
 いくつかの議題が終わり、楓が「一灯流継承」について話を振り始めた時だった。
 夫は皆の前で、こう言ったのだ。

「自分は、"十六夜"ば、継ぎもはん」

 和音にとっても一族、門下の者達にも、それは意外な発言だった。
「あ、あなた!?」
「ど、どげん事ね?」
「皆、おんしならと納得しちょっとに・・・・・・」
 皆が皆、困惑を隠せない。
 夫は、楓をして「継承者としてこれほどのモンはなか」と認めさせる程の力量を、若くして備えていた。
 「霊力」は和音とほぼ同等、「退魔師としての技量」は、さすがにもう少し鍛錬が必要であったとはいえ、それも戦争さ
えなかったなら、という程度のものでしかなかった。
 しかし、それ以上に夫の「識見」と「人格」は、皆が「彼ならば」と太鼓判を押す程であり、和音もまた、夫が「一灯流」を
継承するものと、信じて疑わなかった。
 それなのに・・・・・・。
 楓が夫を見据える。
 夫は何も言わず、ただ静かにその視線を受け止める。夫の瞳はあまりにも静かで、何の揺らぎもない。それが尚の
事、和音には分からなかった。
 何故「十六夜」を継がないのか?自分の知らないところで一体、何があったというのか?
 ややおいて、楓の方が眼を閉じた。
 そして、夫は口を開いた。

「"十六夜"はもはや、"生身の人間ば斬ったモン"に、持つ資格なぞ、無か」

 いつもと変わらぬ、穏やかな夫の口調。しかし、和音はこの時、初めて夫の言葉の中に底知れぬ「闇」を感じて身震
いした。
 静まり返った場を見て、楓が口を開いた。
「なら、誰が"十六夜"ば継ぐ?」
 それに答える夫の言葉は、和音をもっと驚かせた。

「和音ばおいて、他におりもはん」

「あ、あなた!?う、うちは・・・・・・」
 驚きのあまり声まで詰まらせた和音を、夫は優しく、しかし心底申し訳無い、という眼差しで見詰めると、言った。
「気持ちば分かる。じゃっどん、考えて決めた事じゃ。俺はもはや"十六夜"ば継げん。今、一灯流ば正しく継承出来っと
は、和音、おはんの他になか」
「・・・・・・・・・」

 結局この日、「一灯流継承」の話は決着がつかず、
「・・・・・・こん事ば、また後日としもんそ」
と言う楓の一言で、その日はここまでという事になった。

 庭で夫は木々を何気なく眺めつつ、
「十六夜」
「はい、何でしょう?」
「和音と、少し話したか事ばある。しばらく、外してくれんか?」
「・・・・・・はい、話が済みましたら、呼んで下さい」
「なに、そげん時ばかけん」
 十六夜がふわふわと奥に入ると、夫は和音に背を向けたまま、戦地での事を淡々と語り始めた。
 それは、かつて幼い頃に一族の長老が語った「退魔武勇伝」のようなものではなかった。
 米軍や現地ゲリラとの死闘、飢餓や病で次々と倒れていく、あるいは理性を失っていく将兵達、それを間近に見なが
ら何一つしてやれない自分への苛立ち、そして非道を行ったある士官を叩き斬った事・・・・・・。

「和音、良かな?"一灯流"は剣ば振るい、魔を斬る。時には魂も斬る。じゃっどん、そいはあくまで"救われぬ魂ば救う
為"のもんじゃ」

 少し間を挟んで、夫は続ける。

「俺は戦地で、何人も人ば"斬って"きた。そいを"戦じゃったからしょんなか"言うんは簡単じゃがな、"一灯流"はそいで
はいかん。俺が"十六夜"ば継ぐいう事は、"一灯流が人殺しと同時"いう事じゃ」

 和音ははっ、として夫の背中を見詰めた。
 夫が何を考え、何を悩み、何を思っていたのか、今になって唐突に理解したのだ。
 和音は、庭に出て夫の背中に寄り添い、夫の身体に手を回し抱き締めた。

「あなた・・・・・・うち、分かったと」
「・・・・・・そうか」

 涙が、和音の涙が夫の背中を濡らす。
 今はただ、こうしていたかった・・・・・・。

 その後、和音は正式に「神咲一灯流当代」となり、「霊剣・十六夜」を継承した。

 しばらくして、京都の「神咲楓月流」、青森の「神咲真鳴流」から出征した者達の消息が伝わると、和音は夫の幸運を
思い知らされずにはいられなかった。
 京都の「楓月流」からは四人が出征、二人は「垣(カキ)兵団」こと、第16師団所属の歩兵第9連隊に配属され、フィリ
ピンはレイテ島で二人とも戦死、もう二人は「祭(マツリ)兵団」こと、第15師団所属の歩兵第60連隊の下でビルマを転
戦、インパール作戦やイラワジ会戦を生き残り、こちらは二人とも無事復員した。
 「真鳴流」からは五人が出征し、二人が「雪(ユキ)兵団」こと、第36師団所属の歩兵第223連隊に配属、一人はマラ
リアで戦病死、もう一人が西部ニューギニア(現インドネシア・イリアンジャヤ州)のサルミで終戦を迎え、復員した。
 もう三人は「杉(スギ)兵団」こと、第8師団所属の歩兵第5連隊に配属、ルソン島からレイテ島に移動して米軍と戦っ
た。砲兵隊や工兵部隊などを加えて総員約3500名となり、連隊長の高階 於蒐雄(たかしな・おとお)大佐の名字を
取って「高階支隊」と呼ばれた歩兵第5連隊の生存者は、僅かに七名。三人は遂に、還る事は無かった・・・・・・。

 和音の腕の中では、新しい生命がすやすやと寝息を立てている。
 名は「雪乃」。後に薫、和真の母親となる彼女は、今はまだ、生まれて間もない赤ん坊である。
 和音が当代となって後、夫は和音を補佐する一方で、表の「神咲一刀流」師範代となり後進の指導に携わる事となっ
た。
 夫のいる、そして子供を授かった幸福を噛み締めながら、和音は思う。

―うちは、果報者に違いなか・・・・・・。





―それは、薫や和真、那美や北斗が生を受ける前の、ささやかな物語である―





ある夫婦の肖像 〜神咲一灯流の戦後〜 了










後記


・・・・・・いかがでしたでしょうか?
この物語、自分の中では"悲島"本編の「後日譚」という設定で書いたつもりですが、見方によっては「こっちが本編で、
アレは"長過ぎる前置き"だ」なんて言う事もできるかもしれませんね(笑)。
今回、メインを和音さんとしたつもりが、途中でどうしても、というかやはりというべきか、薫の祖父が突出した格好にな
ってしまっています。この辺りは御勘弁の程を。
さてこの"悲島"という作品には、大前提として「何故和音さんが"十六夜"を継ぐ事になったのか?」というのがありまし
て。
薫の祖父が単に「戦死したから」というのも、あまりに安直に過ぎるではないか?また雪乃さんや薫達の生年にも矛盾
が出てしまうのでは?などと考えると、自分としてはこうした話の方が、やはり「より自然に"神咲一灯流"という謎だらけ
の流派を、少しは掘り下げる事」が出来るのではないかなぁ〜、なんて思うのですが、どうでしょうかね?
また、作中で「楓月流」と「真鳴流」にも若干触れていますが、「一灯流」だけからしか出征したのではないはずで、例外
無く二つの流派からも、若手が何人か戦地に行ったであろう、と考えた結果がああいう文章になっています。
まぁ何にせよ、自分は"悲島"という作品に、あらゆる意味での「面白さ」というものは全く求めていません。
例え、いくつか"くだけた文章"を書いたとしても。
そして、自分なりに「神咲一灯流」の"存在意義"について考えたつもりです。
我ながら「逃げ道の無い作品(もの)」を書いてしまったな、とは思っていますが(苦笑)。

さて、長話もこのくらいにして、そろそろ筆を擱こうと思います。
やたらと長く、つたない物語に最後までお付き合いいただき、まことに有難うございました。

ではでは。


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