平成24年3月

2012年03月23日
今日はむちゃくちゃなイライラ状態です。
原因は個人的な人間関係。
自分が悪いのも十分承知しています。
ただ、相手方が自分の非を認めないことがイライラの種だったりしています。

大体人間関係のすれ違いなんてものはお互いに悪いところがあって、それを認めようとしないところから 始まっているものではないのかと思ったりしていますが……

このイライラが解消するのはいつになるのか……期待薄ですね。

今日の雨模様の天気と一緒でじっとしているだけで嫌になってきてしまいます。

ということでこの辺で。
2012年03月22日
ちょっと間が開いてしまいました。

さて、昨日から選抜高等学校野球大会が甲子園で開催されています。
今日は21世紀枠の北海道立女満別高等学校と宮城県石巻工業高等学校が試合に出てきました。
女満別高校は部員僅か19人……それでも北海道大会ベスト4だったそうです。
今日の試合は惜しくも敗れはしましたが、それでもいい試合だったと思います。
石巻工業の試合は現在進行形です。
現在5回表、4回の裏に4点リードされていたところを5点のビッグイニング。
みんな一所懸命なのが画面を通じて伝わってくるような試合です。

高校野球もそうですけれど……勝ち負けではない何か、それがスポーツの最大の魅力で、ついつい引 き込まれてしまうのもそのせいなのではないかなと思います。

勝つことも勿論大事なことだけれど、それだけではない何かを、プレイする選手達と一緒に、観戦してい る私達も得たいと思いますし、共感していきたいと思っています。

好転に恵まれて、選手諸君が全力を出し切ることが出来ますように。
2012年03月17日
今日は雨です。

昨日の話なのですが、日本橋の高島屋で『大いわて展』という物産販売の催事をしておりまして、そこに 三陸鉄道(三鉄)さんが出店されるというので仕事の帰りがけに行ってきました。
三鉄さんは岩手県の三陸沿岸を久慈から宮古までの北リアス線、釜石から盛までの南リアス線の二路 線で運行している第三セクターの鉄道です。
そんな三鉄さんは、昨年の大震災の津波で大被害を蒙りました。
線路、橋梁、駅舎等の設備の流失、車両基地の冠水など……
それでも震災の五日後から一部区間ですが運行を再開したという路線です。
そんな三鉄さんの震災後からの写真集「走れ、さんてつ!」を買い求めてまいりました。

自宅に戻って読み出して……涙が止まりませんでした。
『こんなときだからこそ自分達にできることからはじめよう』という心意気。
トミーテックさん(鉄道むすめシリーズの発売元です)の三陸鉄道支援企画ご担当さんの……『それでも やらずにはいられないんです』というコメント。

そして、この4月1日からは北リアス線の田野畑ー小本間を除いた区間が復旧します。
あきらめない……できることからしていこうという強さ……
それがこの復旧を支えていたのだと思います。

その間、永田町は一体何をしていたのでしょうか?
もはや何も云うつもりはありません。
云っても無駄でしょうから。

ただ一つだけ……
そう思われるようになってしまったのは自業自得だということだけです。

ただそれだけの話です。
2012年03月16日
日誌を一日お休みをいただきました。

首都圏に住んでいると電車の運行情報は生活に直結するだけに大事な情報だったりします。
実際、よく使う路線の運行情報をブックマークしたりしている方も多いと思いますが……
それについて不思議に思うことが一つ。
運行各社で運行情報の発表基準が違い過ぎるような気がするのです。
ある社は10分以上、ある社は15分以上、ある社は20分以上、ある社は30分以上……
相互乗り入れをしている社でも違いがあるので、A社で遅れ情報が出ていてもB社では出ていないという ことがしょっちゅうです。
これって利用者の便宜を考えているのでしょうか?
まぁ、情報の利用の判断は各個人に任されているとはいえ、これだけ相互乗り入れが一般化して自社 の運行が他社に影響を及ぼすことがわかっている状況でこの違いは不便以外のなにものでもないので はと思う次第です。

もうちょっと利用者目線で情報を出してもらえないかなぁ……

ということで今日はこの辺で。
2012年03月14日
今日は世間では「バレンタインデー」の片割れの日にされているようですが……
そんなことは関係なく日誌書きに精を出そうかと(笑

私自身としては、今日でまた一つ、無駄に歳を重ねてしまいました。
去年はあんなことがありましたから歳を重ねたという実感がなかったので、今年は一気に二つ歳を重ね たかのような感覚だったりします。
まぁ、今年になった時点で数えで大台に入っていますから。あっ、大台って幾つかは訊かないお約束で お願いします(ぇ

いずれにしましても実年齢はともかく、気分だけは若く居続けたいなと思ったりしてますが、果たしてどう なることか。

とにもかくにも来年の今日も無事に迎えられますように。
2012年03月12日
あの日から2年目に入りました。

それに合わせてという訳ではないのですが、新作も完成しましたので掲載いたしました。
本当に久しぶりの新作で、主人自身は文章力の低下をひしひしと感じております。
やっぱりもっと読んで書かなくちゃ駄目ですね。

ということで、お目汚しにしかならないとは思いますが、ご高覧いただけますと幸いです。

また、今後ともよろしくお願いいたします。
2012年03月11日
今日であの日からちょうど一年。
まだ一年なのか、もう一年なのか……
一つだけ云える事は一年という時間が経ったことだけです。

何も進んでいない……ただそれだけしか今は感じられません。

……今日はこれ以上書けそうにありません。

最後になりましたが……
あの震災でお亡くなりになられた方のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
そして、一日も早い復興を。
2012年03月10日
 今朝も東京は雨です。
 寒いです。
 霙交じりになっているところもあるようです。

 あの大震災の日から、今日で365日目(今年は閏年ですから)
 未だに信じられません
 仕事や趣味で訪れた場所、遊びに行った場所、幼い頃に暮らした場所……
 東北人である私にはその全てが奪われてしまったような気がしています。

 この一年、復興として何か具体的に形になったものはあったのでしょうか?
 こういう比較は不謹慎かもしれませんが、阪神淡路大震災のときは復興にもっと本腰が入っていたよ うな気がします。
 確かに被害の範囲があまりにも広いということもあると思います。
 人口密度も低い場所で、産業基盤も弱く、県や市町村も財政的に厳しいということもあるのかもしれま せん。
 でも、それだけではない理由が何かあるような気がしてしまいます。

 東北は昔
「白河以北、一山百文」(白河の関から北は山一つが百文の価値しかないようなところだ)
と云われ、蔑まれてきました。
 今でもそういう意識が何処かにあるのではないか。そう思われてなりません。

 たとえ、他所から見るとそのように価値のないように見える土地かもしれません。
 でも、そこで生活している人たち、そこで生まれ育った人たちにとっては、何よりも大切な土地なんで す。

 正直言って、国や政治の対応には腹立たしさすら感じています。
 すべてのことがあまりにも遅すぎる……
 復興庁が出来たのだって震災から11ヶ月目……
 どうしてこんなに動きが緩慢なのか。
 「挙党一致」などと口では言いながら、その実、やっていることは身内での勢力争いと足の引っ張り合 い。
 敢えて誰とは言いませんが、自分の勢力拡大を目的に、反対のための反対をしている方もいるようで す。
 この未曾有の国難に直面している今、なぜそのようなことが出来るのでしょう……

 何かをしたいのに出来なくて悔しい思いをしている人は沢山いるはずです。
 実は私もその一人です。
 でも、できるはずなのにやろうとしないのは言語道断です。

 一日も早く、東北に笑顔が戻りますように……
 一日も早く、あたたかい東北に戻りますように……
 今はその思いでいっぱいです。
2012年03月09日
 東京は雨です。
 そのせいか今朝から頭痛が酷い状況で……
 現在、午後2時40分過ぎ。薬が効いてきたのかやっと頭痛も止まりました。

 通勤ラッシュを見ていて常々思うことなのですが、『綱渡り』なんて生易しいものじゃないなと。
 云うならば『糸渡り』のようなものかも。

 東京メトロの東西線なんて酷いものです。
 まともに座れるのは日中のほんの一瞬だけ。朝5時台の電車から立っていかなくてはいけません。
 6時過ぎになると混雑で遅れが出始めて、わずか20分ちょっとの所要時間で2分3分の遅れは当たり 前。
 これで事故やトラブルで止まったら……それだけで駅に人があふれます。
 単純計算ですけれど、東西線とかで使われている20m級の電車10両で定員(着座者とつり革や手す りに掴まれる人数)が約1500人。乗車率180%としても約2700人。
 これが緊急事態で駅のホームに一度に流れたら……
 それよりも地震などで駅の途中で止まって、前後の非常口から脱出するなどという事になったら何時 間かかるのやら……本当にぞっとします。
 あまりにも人が集まりすぎだとしか思えません。
 
 本気でこれで直下地震があったとしたら……
 ぞっとするなんて話じゃすみません。
 災害対策を考えるなら、本気で東京解体を考えたほうがいいのかも。
 そんなことを思ってしまいました。
 大きいほうがいいばかりではないという見本ですね。

 それではまた後日。
2012年03月07日
本日、やっと更新を実施しました。
一体何年放置だったのか……
まぁ、大スランプだったということでご容赦いただけ……ないですよね、やっぱり(汗

あれからもうまもなく1年なんですね……
信じたくないという気持ちがどうしても先行してしまいます。
避けようのない事実なんですが……
だからこそ、今私にできることはその事実を受け止めることだと思っています。

残念な事に、あの日のことはだんだんと忘れ去られ始めているというのが正直なところでしょう。
東京にいると余計にそういう気持ちが強くなってしまいます。
未だに『津波については安全です』と言い切っている自治体とか……
東京湾に津波は来ないと盲信しているとしか思えません。
私はそんなことはないと思っています。
実際、あの日、震源が湾口の陰だったのに晴海で1.5メートルもの津波を観測しているのですから。
これがもし、湾口に向けて直接津波が押し寄せるような状況だとしたら……
そう考えると空恐ろしい気がします。

自分の命は自分で守る。
その心構えが重要なのだなと認識を新たにしています。

願わくば、その心構えを実践に移すことが起こりませんように……


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