八神家物語

第一話 二人の食卓



Written by 春日野 馨


 世の中には自分とどうしてもそりが合わない奴が最低一人はいるに違いない。
 いや、そりが合わないと云うよりも生理的に合わないのかもしれない。
 あたしの場合はあいつ、高町なのはがそうなんだろう。

 あいつとの関係は敵同士から始まった。そして、いつの間にか共闘するようになって所謂「闇の書」事件を解決し、主
はやてと一緒に管理局入りしたあたしは航空魔導師として現場を駆け回る事になった。そこでも、相性が良いという口
実の人事部の策謀(だとあたしは思っている)で一緒の現場を担当させられ続けていた。……そこでは二度と見たくな
いもんも見ちまったけれど。
 で、あいつが教導隊入りして、あたしは航空武装隊の所属になって、これでやっと縁が切れたかと思ったのもほんの
束の間、主はやての立ち上げた部隊でまた一緒になっちまった。それもあいつの直属の部下として。
 困った事にあいつと主はやてとは大の親友ときているから余計に始末が悪い。
 そして、JS事件を解決して機動六課が解散した後、できることなら別の部署に居たかった……というあたしの淡い願
いは本局の人事部には届かなかったようで、あたしとあいつとは同じ教導隊の同じ小隊で上司と部下の関係だったり
する。
 もはやこれは腐れ縁以外の何物でもないのかもしれないと、最近では諦めの境地に達してしまっているあたしがここ
にはいる。
 これで何年目だろう。確か初めて出会ったのがあいつが九歳のころだから……足掛け十二年か。

 あたしはヴィータ・八神ことヴィータ。階級は一応二等空尉。本当はあたしにはラストネームはない。ただ、書類上ない
と困るし、はやてとは家族だから、一応、はやてのラストネームを名乗っているだけの話。
 所属は時空管理局航空武装隊航空戦技教導隊第五小隊第二班。やたら所属が長いのは巨大な組織だという証の
ようなもの。あたしはそこで副班長なんてものをやっている。
 因みに班長は、あいつ。高町なのは一等空尉。今や若手にとどまらず、航空戦技教導隊のナンバーワンとの呼び声
も高いし、あたしから見ても確かにデキる奴だと思う。それは素直に認めてやってもいい。
 あいつほどの腕と実力と教導能力があれば一尉なんぞで止まっているはずもなく、本来だったら二佐くらいにはなっ
ていて、教導隊の一つも指揮をしていてもおかしくはない。
 ところが何を血迷ったのか、あいつはあのJS事件後の論功人事を蹴っ飛ばし、挙句の果てに、直談判に止まらず人
事部に手まで回してあたしを教導隊に引きずり込みやがった。
 まあ、はやてもテスタロッサも論功人事を蹴っ飛ばしたくちだから、あの事件は隊長クラスには何か感じるものがあっ
たのかもしれない。それにあの三人は良くも悪くも九歳の頃からの一蓮托生の幼馴染だし一種の運命共同体みたいな
ものなんだろう。でも、そんなことは下々のあたし達には関係ないことで、機動六課の前線副隊長だったシグナムとあ
たしはそれぞれ一階級ずつありがたく昇進させてもらった。
 ただ、その昇進の代償として、直属の上司があいつというのは割に合わないことこの上ないとあたしは思っている。


「ただいま〜」
「ヴィータ、おかえりな。今日もおつかれさん」
「うん、疲れた。なんだかすっごくいい匂いがする。はやて、今日はカレー?」
「ご名答。今日は特製カレーやで。先にお風呂入って来いや」
「うん、そうする」
「お楽しみにしときや。別に急がんでもカレーは逃げへんからな」
「あはは」

 はやての声に送られて、あたしは荷物を自分の部屋に置くとお風呂に入る。
 湯船に首まで浸かりながらぼぉっとするといつも考えてしまうことがある。
 あいつは、なのははあたしのことをどう考えて付き合っているんだろう。
 単なる上司と部下としてなのか、それとも親友の家族としてなのか、はたまた腐れ縁の相手としてなのか……
 あたしには良くわからない。
 ただ、荒事の現場では、あいつはあたしに遠慮することはない。初めてペアを組まされたときから、あいつはどんなに
遂行困難な任務の時もあたしに背中を預けて動じることはないし、あいつもあたしの背中はきっちりと護っていてくれ
る。
 ……ただ唯一、二度と見たくないあのときを除いて……
 だから、あたしもあいつのことは信用していないわけではない。むしろ、信用するに足る奴だと思っている。
 それだけに、あいつがあたしをどう思っているかが気にならないといったら嘘になる。
 勿論、それであたしの態度が変わるわけじゃない。変わらないけれども気になる。

 お風呂から上がって部屋着に着替えるとあたしは食堂に向かう。
 中に入ると、いつもと違ってがらんとしている。
「あれ?はやて。シグナムやシャマル、リィン達は?」
「あぁ、シグナムは急な仕事が入ってもうたそうでアギトと一緒に出動中。今日は帰れるかわからへんらしいわ。シャマ
ルとリィンは仕事が残ってて、片付けてから帰るそうやからちょう遅くなるって連絡あったし、ザフィーラはストライクアー
ツの連盟の打ち合わせに行っとる。せやから今はわたしとヴィータの二人っきりや」
「そっか。それで今日はカレーか」
 はやてと二人だけだった事にちょっと安心するあたし。
「そやで〜。そんじゃ席についてな。今日は二人っきりやから向かいでも隣でも好きなところでええよ」
「うん、じゃ、向かいにする」
 はやて特製のカレーとスープに自家製ドレッシングつきのサラダを盛り付けて、差し向かいでテーブルに座る。
「ほな、いただきますや」
「いただきます」
 一匙口に運ぶとスパイスの辛さが突き抜ける感じがする。八神家のカレーはこれが定番。
「やっぱりはやてのカレーは激うまだな。やっぱりカレーは辛くないと駄目だ」
「そやろ〜。お代わりぎょうさんあるからな」
「うん」
 そうは勧められてみたものの、なんだかあまり食が進まない。
「なんや、なんかあったか?今日のヴィータ、ちょう元気あらへんなぁ。食欲も細いみたいやし」
「……うん、ごめん……」
 はやてに謝るあたし。これじゃ、せっかく作ってくれたはやてに申し訳ない。
 ところが、はやてはそれを気にする様子もない。
「うん、そないな時はやっぱりこれやな」
 そう云うと冷蔵庫の中から緑色の四合瓶を取り出す。ラベルには『菊姫純米吟醸』の文字。
「は……はやて……カレーに日本酒?」
「これがなぁ、意外といけるんよ。まぁ、だまされた思うて呑んでみいや」
「……それにしても『菊姫純米吟醸』はないと思う」
「そないなことあらへんで。濃厚な味のする酒やからカレーにも負けへん。せっかく二人だけなんやし、食べ呑みしなが
ら話そうや」
「……うん」

 そして、ガラス製のお猪口で差しつ差されつ……はやてほどじゃないけれど、あたしも一応お酒は嫌いじゃない。瓶は
ワインクーラーに入れて温まらないように。
「はやて、これ不思議……あの辛いカレーの味に負けないどころか勝ってる」
「せやろ〜。これ、わたしのお気に入りなんよ。すずかちゃんに頼んで、定期的に送ってもろうとるんよ」
「あたしは日本酒は日本食にしか合わないと思ってた」
「そんなことないんよ。ほんまにええお酒は、どんな食事にもちゃんと合って、食事を引き立ててくれるもんなんやから」
「そだね。またはやてに教わっちゃった」
「あはは、料理とお酒のことならわたしに任せときぃな。いくら食事番をリィンとアギトに譲り渡した云うてもまだまだ腕は
にぶっとらへんからな。せやけど、ほんまにこれは冷やが一番ええなぁ」
 あたしのせいでちょっと暗くなりかけてた食卓が明るくなった。お酒の力って不思議だ。
 でも、こういう概ね平和な世界でこそお酒は楽しみたい……そう思う。
 あたし達がはやてに出会う前に通り過ぎてきたあんな殺伐とした世界にはこんなに美味しいお酒は似合わない。

「なぁ、ヴィータ、ちょう、今、何かで悩んどらへんか?」
 はやてはこういうときは外見から想像出来ないほど鋭い。
「……うん……」
「誰もおらへんし、聞いてるのはわたしだけや。話してみいや」
「……うん……」
 はやてが水を向けてくれたのをきっかけに、あたしは考えていたことを話し出した。


「ねぇ、はやて」
「なんや?」
「はやてから見てなのはってどんな性格なのかなって」
「なのはちゃんかぁ……そやなぁ、一言で云うなら全部上に『二文字』付くかな」
「『二文字』って……」
「そうや。『莫迦』や。『莫迦』正直で『莫迦』真面目で、『莫迦』律儀で……ほんまに、わたしから見たら阿呆ちゃうかと思
うくらいや。せやけどなぁ、それがなのはちゃんなんよ。まぁ、当代一の『大阿呆』やな。わたしらが今こうしていられるの
も、その『大阿呆』ななのはちゃんやみんなのおかげなんやから」
「……うん、それは良くわかる」
 お猪口を一杯あおってはやてが続ける。
「なんや、ヴィータはそんななのはちゃんの『阿呆』さ加減にはようついていけへんちゅうわけか。っと、ありがとうな」
 あたしは空になったはやてのお猪口にお酌をする
「……うん……そんなところ……なのかな」
「ようついていけへん……は、ちょう違うかな。『なんでそないに無理ばっかりするんやろ。もうヴィヴィオもおるんやし、
自分が率先して首突っ込んで出張って行かへんでもええやないか。いい加減隠居せいや』と、まあそないなところやろ」
「うん、それが正直なところ。あたしから見れば」
 はやてがお猪口を再びあおる。お酌をしようとしたあたしを制して手酌をするはやて。
「そやなぁ、わたしにはうまいこと云えへんけれど、ヴィータもえらい真面目や。なのはちゃんと同じくらい、ううん、間違
いなくそれ以上に真面目やとわたしは思うとる。特になのはちゃんがあんな目に遭うたところを目の前で見てしもうたん
やし、『ああなったのは、なのはちゃんの疲れとかそんな変わったところによう気ぃ付かへんかった自分の責任や』なん
てあれからずぅっと思うとるんちゃうか?」
「うっ……」
 一番痛いところを突かれた。
「あんなぁ、前にも云うたかもしれへんけどな、ヴィータはそないに悩むことあらへんのやで。幸いにもなのはちゃんは復
帰できた。なのはちゃんがあないな怪我したのはな、ちょう自信過剰になってもうて、おまけに無理したのが一番大きな
原因やとわたしは思うとる。でも、あの怪我のおかげでな、なのはちゃんの無理もちょう治まったところはあるんよ」
「……うん……でも……」
 ……あれで治まったんだろうか。『ゆりかご』の船内でブラスターモードを全開にしてスターライト・ブレイカーを撃つな
んて無茶以外の何物でもないとあたしは思う。
 あたしも、あのときはガジェットに怪我させられたうえにグラーフアイゼンがぶっ壊れるくらいに全力で駆動炉をぶっ叩
いて、挙句の果てにはやてとリィンに助けられた状態だったからあいつのことを云える立場ではないけれど。

「あのなぁ、ヴィータ、『無病息災』いう言葉、知っとるやろ」
 一息ついてはやてが続ける。
「うん、病気をしないで健康だってことだね」
「あんなぁ、わたしはそれ間違いや思うとるんよ。病気も怪我もなんもせえへんと自分の弱いところに気が付かへん。せ
やからどうしても無理をしてまう。むしろ、どこか一つくらい悪いところがおうて、そこを意識しながらやっていく、『一病息
災』あたりがちょうどええんちゃうかな思うとるんよ。なのはちゃんにはそれに気づくちょうどええ機会やったんやないか
なってな」
「……」
「確かにあれはえらい怪我やった。せやけど、あれでちゃんと現役復帰できたのもきっと天の配剤やと思うし、あれがも
しなかったらなのはちゃんの教導も今とは相当違うとったはずや。それこそ無理、無茶をしまくって突っ走るような感じ
になっとったと思うわ」
「……う……ん……」
 確かにそうなっていただろう。一介の武装隊員としてはそれでも良いかもしれない。
 でも、それでは教導はできないとあたしは思う。

「今のなのはちゃんの教導の方針、ヴィータが一番近くにおるんやからようわかるやろ。どないや?」
「……うん、怪我をさせない、たとえ怪我をしても絶対に帰ってくる、そういう教導だね」
「そやろ。それってヴィータがなのはちゃんに願ってることと同じとちゃうか?」
 そうだ、なのはの教導は無茶をして相手を撃墜することを目的にしていない。相手の抵抗を排除して無事に帰ってくる
こと、そのために何をするべきなのかがなのはの教導の主眼なんだ。六課でフォワードたちを鍛えていたときもそうだっ
た。一人では敵わなくてもチームで当たって、チーム全員が帰ってくること。
 あたしがあいつに願っているのもまったく同じ。あいつが無事で帰ってくること。当然あたしも絶対無事で帰る。
「……うん」
「なんでそないな教導やってるか、ヴィータはわかるやろか?」
「……あとから来る奴らを自分と同じ目に遭わせたくない」
「そうや、ご名答。せやからなのはちゃんは現役にこだわっとるんよ。自分が持っとるもんを一人でも多くに伝えたい思
うとる。それも模擬戦で徹底的に叩いて伸ばして、な」
「でも、それって何も現役でなくても出来るんじゃない?」
 また、はやてはお猪口をあおる。そうしていつの間にか空になっていたあたしのお猪口に酌をすると自分のお猪口に
も手酌をする。
 いつの間にか四合瓶の中身も残りが半分くらいになってきている。
「……なのはちゃんの実家って剣術の家系なんよ。小さいときから、お兄さんにお姉さんが稽古してるのを見て育ってき
た。せやから、言葉にできへん何かを伝えるには直接ぶつかっていくんが一番やと思うとるんやろうなぁ。そういえばア
リサちゃんやすずかちゃん、フェイトちゃんと仲ようなったのもそんな感じからやったらしいからなぁ」
「……」
「直接にぶつからな教えられんことがぎょうさんある。ぶつかることで、その一部でも伝わってくれるようにと思うとるんや
ろうなぁ、なのはちゃんは」
「……」
「実は六課解散の前にな、ヴィータには航空武装隊の小隊長の引き合いも来とったんよ。せやけど、わたしとリンディ提
督、人事部のレティ提督が話しおうて、ヴィータにはなのはちゃんの側についていてもらう事にしたんよ。まぁ、なのはち
ゃん自身が是非ヴィータと一緒にやりたい云うたのが一番大きかったんやけどな。なのはちゃん、こう云うとったん。『わ
たしの背中を安心して任せられるのははやてちゃんとフェイトちゃん、それとヴィータちゃん以外にはいない』ってな」
「……うん……」
「まぁ、そういうことやから、ヴィータとしては複雑かも知れへんけど、わたしとしてはなのはちゃんをあんじょう助けてや
って欲しいんよ。これはわたしからのヴィータへのお願いやと思うてもろうてかまへんよ」
「うん……わかった……」

 やっぱりあいつは不器用の極みだ。でも、その不器用さを支えられるのは今はあたししかいない。そう考えてあいつ
はあたしに背中を預けてきたんだ。
 だったら、あたしにできることは信頼に応えてあいつの背中を護り抜いて、どんな状況でもあいつと一緒に帰ってくる
こと。
 そして、あいつと一緒にひよっこ共を徹底的にぶっ叩いて鍛え上げて、たとえ這ってでもひよっこ共が絶対に帰ってく
るように仕込んでやること。
 それが、今のあたしがやるべきこと。
 ったく、あいつはこんな大事なことを伝えるのにも面と向かって言葉にしやがらねえ。
 こんなときまで親友の手を借りるなんてずるいにも程がある。

「さて、最後に二杯くらいづつ呑めそうやな」
「うん……はやて、ありがと」
「気にせんときや。ヴィータの悩みは主のわたしの悩みや。一緒に何とかしたろってな」
「うん♪」

 やっぱりあいつはずるい。でも今はそのずるさが何となく心地いい。
 あたしも、あいつみたいに自分の背中を安心して任せられる奴を見つけよう。
 そしてあいつにとってのあたしみたいに育てていこう。
 ……そうやって思いは受け継がれていくものだから。
 あたしはあたしなりの思いを後に伝える。それが今のあたしの務め。
 改めてあたしはそう思った。
 目の前にあるほろ酔い加減でとても嬉しそうなはやての顔をあたしは忘れることはないだろう。



平成二十四年六月七日





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