目を開けると白い、病院の天井があった。 「……助かったの?」 第3新東京市に突然現れた使徒と戦おうとしたら、影に飲み込まれてしまってよくわからない空間に飛ばされてしまった…… アスカやリツコさんが助けてくれることを祈りながら生命維持モードに切り替えて待っていたけれど、先に限界のほうが早く来てしまった……それからはよく覚えていないけど、今病院にいるってことはたぶんぎりぎりで助けてもらえたのだろう。 どういうことがあったのかちゃんと知るためにも、たぶん言わなければいけないお礼を言うためにもと思って体を起こすと、ベッドのすぐ脇のいすに綾波が座りながら寝ていたことに気づいた。 「綾波」 「……碇君?」 綾波がゆっくりと目を開けて僕の名前をつぶやいた。 「気がついたのね」 「……うん。ひょっとしてずっとついていてくれたの?」 「ええ、でもごめんなさい」 「ううん。僕なんて綾波の前で堂々とベッドに横になって寝ていたんだからそんなこと気にすることなんかないよ。ついていてくれてありがとう」 綾波がついていてくれたとわかってうれしかった。 そして僕が助かったことを喜んでくれているのだろう笑みを浮かべてくれたこともうれしかった。 せっかく綾波がすぐそばにいてくれたのだし、何があったのか聞こうと思ったのだけれど……なぜか綾波はうつむいてしまっていた。 「綾波?」 「……碇君がいなくなってしまって、とても苦しかった……」 綾波の声は少し震えていた。 「……碇君がもう戻ってこないのではないかと思ったら、どうしようもなくつらかった」 「そんな思いをさせてしまってごめん」 僕だって一人だけ訳のわからない空間に飛ばされてしまってとても怖かった。でも、綾波にとってはとても限られた友達がいなくなってしまうという話だったのだ。 想像するしかないけれど、それもとてもつらいことだったというのは少し顔を上げた綾波の涙を浮かべているように見えるその表情からよくわかる。 もう一度心配させてしまってごめんって謝ると、綾波は何か言いかけたけれどその言葉を引っ込めて、またうつむいてしまった。 何を言おうとしたのかはわからないけれど、綾波が何か……その話かそれとも別の話かを言うのを待つことにした。 そして、しばらくして顔を上げた綾波はなぜかきりっとした表情をしていた。 「アスカは碇君がいなくなってしまった時つらかったのは、それだけ私にとって碇君が大切な存在だったからと言っていた。碇君が戻ってきてくれて目を覚ましてくれたときとてもうれしかったし、その通りだと思う」 それは何か決意をして話すようなことではないから前振りなのだろう、言葉を挟まずに続きを促した。 「もう碇君にいなくなったりしてほしくない。ずっといてほしい……でも、私の秘密を知られてしまったらと恐れながらなのはいや……だから、碇君に私の秘密を知ってほしい」 綾波の秘密が何なのかはわからない。でも、僕にできることはアスカが言っていたようにそれが何であったとしても受け止められるようにつとめるしかない。 綾波の告白にもう驚きを通り越して頭の中が真っ白になってしまったみたいで、どう反応したらいいのかすらわからずに綾波に何も言葉をかけられなかった。 たくさんの綾波たちがいるこの部屋に低い何かの機械が動く音だけが響いている時間がどれだけ過ぎてしまってからか、告白を終えた綾波が震えていたのに気づいた。 綾波に声をかけようとして、今僕は答えを求められているんだって思い出してやめた。今答えを出さなかったら、それは綾波を拒否したのと同じになってしまう。 これだけの秘密だったのだ。それこそ僕に話すこと自体恐怖と戦いながらだったに違いない……それを僕は受け止められるのか? ただ、受け止められなかったら僕の前から綾波はいなくなってしまうに違いない。きっと前のように避けているなんてものじゃなくもっと徹底的に……そんなのはいやだ。 じゃあどう言えばいいんだろう? どう受け止めたらいいのかなんてさっぱりわからないけど、ちゃんとしたことを言わなければいけない。どう言うべきか考えろ、考えるんだ! ……思いつかない。下手に気遣うような言葉をかけたら終わりだって、それはわかる。 早く言わなければいけない、そうしないと拒否したことになってしまう。それなのに全然ふさわしい言葉が思い浮かんでこなくて、自分でもすごく焦っているのがわかる。 このままじゃ綾波がいなくなってしまう! そんなのはいやだ! (! ……そうか) ふとアスカが言っていた助言を思い出した。アスカはこのことを知っていたようだし、きっと僕がこうなってしまうとわかってのアドバイスだったのだろう。 だったらたぶんその通りにすればいい……今の僕の気持ちを綾波に伝えればいいんだ! 「綾波、正直どう受け止めたらいいかわからない。でも! 綾波がいなくなってしまうなんていやなんだ! 下手なことを言ってしまったら綾波は僕の前からいなくなってしまう、そんなのはいやだから、どう言えばいいのか考えた。でもそんなのは思いつかなくて、ただ焦ってしまうばっかりだった。でも、ただ一つだけはっきり言えることがあったんだ。僕は綾波がいなくなってほしくない。それだけはまちがいない。だからこそ焦ったりしてしまったんだ」 今の気持ちを綾波にぶちまけるように言った。けれど、綾波は震えこそ止まったものの、戸惑っている様子だった どう受け止めたらいいのかわからないけどとにかく綾波にはいなくなってほしくない。そんなのじゃ不十分だったのか? それとも時間がかかりすぎてしまった? すぐに答えられなかった自分のことが歯がゆい。時間を巻き戻せるものなら巻き戻してもう一度チャンスがほしい……でもそんなことは不可能。 脱力してしまったところに綾波が「ほんとう?」と聞いてきた。 「う、うん! 綾波にはいなくなってほしくない。この気持ちだけはほんとうだよ」 「私がこんな存在でも?」 水槽に浮かぶ大勢の綾波たちのほうに目を向けながら聞いてくる。 「話を聞いた上でそう思ったんだから……うん。まちがいないよ」 実際にこうして言葉にしていると、僕にとっては綾波が何者かということよりも綾波がそばにいてくれるかどうかが大事なんだっていっそう思えるようになってきた。たぶん、綾波がどんな存在だったとしても、これまでの綾波との関係……友達という絆がどうこうなるわけではない、その絆はうそだったとかそんなことはない……そういうことなのだろう。 「……ありがとう」 綾波の目からぽろぽろと涙がこぼれる。 うれし泣き……綾波が喜んでくれたことがうれしい。 まだ、綾波の秘密をどう受け止めればいいのかはわからないけれど、そんな風に思えるのだからきっと大丈夫だろう。 綾波とのことの報告と、綾波の秘密についてアスカの意見がほしくてアスカの部屋にやってきた。 インターホンを押して少ししてアスカがドアを開けてくれた。 「いらっしゃい。話があるならあがってちょうだい」 「お邪魔します」 考えてみたらアスカが隣に引っ越してきてからずいぶん経つけれど、アスカの部屋には初めてあがらせてもらう。 部屋の内装は特に何かっていうほどのものはなかったけれど、部屋の間取りが反対で、いろいろと違和感を覚えてしまう。 「ま、ソファーに座って。コーヒーでも入れるわ」 「ありがとう」 ソファーに座らせてもらって待っていると、アスカがコーヒーが入ったカップを二つもって戻ってきた。 「はい」 「ありがとう」 アスカは向かい側のソファーに座って早速「レイのこと?」とずばり聞いてきた。 「うん、綾波の秘密を聞いたんだ」 あの時のことを話した。そして、綾波の秘密がとてつもないことだったからどう受け止めればいいのか戸惑っているって打ちあけた。 「ま、まずはお疲れさま、とでもいうべきかしらね? うまくいったようでよかったわ……アタシにとっては当然の話でも、人間関係は思わぬところで変わってしまうっていう教訓は身をもって知らされてしまってたし、背中を押すためにもシンジにはああ言ったけど、内心ちょっと不安だったのよ」 少し苦笑いを浮かべながらアスカはあの時の心の中を告白した。 「そうだったんだ」 「まあね。それだけにうまくいってうれしいわ」 アスカはコーヒーを一口飲んでから、僕の打ち明けたことについての話を始めた。 「レイの秘密について戸惑う気持ちはわかるわ。普通に生活している人間からすれば驚天動地、たとえエヴァやネルフと関わっていたとしてもやっぱりとんでもないことには違いないでしょうしね」 「うん……」 「まずレイの予備がたくさんいることとレイ自身が二人目だってことだけど、双子三つ子のもっと極端なものって考えればいいわよ。天然か人工かの違いなんて、アタシには区別する意味を見いだせないわね。もちろん、倫理的にクローンを許容していいのかどうかとか、綾波レイとして生きている一人以外のレイ達の問題はあるけど、それでレイ自身がなにか変わるわけじゃない」 綾波はそのこともずいぶん重く考えていたけれど、アスカに言われると確かにそんな気がしてきた。 「レイは自分のことをそれで卑下しているけど、ネルフの大人がどうこう思うことはあってもレイ自身がそんなことを考える必要はないのよね。まあ、まさにそんな生き方をしてきたレイだからこそ、簡単にはそう考えられないでしょうけどね」 「うん……」 「で、レイの遺伝子に碇ユイ博士。シンジのママの遺伝子が使われたことについては、それをどう受け止めるのかはシンジ次第だけど、むしろそれだけにシンジにとっては大事な存在でしょ?」 アスカの言葉にうなずいた。ただ、アスカが僕の告白を断ったからには、アスカは僕と綾波を恋人関係にと考えていた。この前は綾波を支えてあげてほしいとかそういう話になっていたけれど、この話を聞いてしまって、恋人関係とかはどうなのだろうかと思ってしまう。 「まあ、人生は長いんだから、この話は今すぐに答えを出す必要もないわよ。で、もう一つリリスの遺伝子についてだけど、リリンの話は聞いた?」 「リリン?」 「ああ、やっぱり聞いてないのね」 リリンって何だろう? リリスと関係がありそうだけど…… それからアスカが話してくれた話はまたびっくりたまげるような話だった。人間も使徒の一つ第拾八使徒リリンだったというのだ。ネルフが使徒と戦っているのも、使徒という宇宙人のような侵略者と戦っているのではなく、使徒の中で生き残りをかけて戦っているのだという。 「まあ、このあたりの話は公にはしにくいし、ネルフや国連の上の方はいろいろと裏で企んでることがあるから秘密にしておいた方が都合がいいんでしょうね」 「そう、なんだ」 「にわかには信じられないっていうなら、ネルフの機密情報を見せてあげるわよ?」 アスカはほんとうに信用できるし、うそを言ったりはしないと思う。だからとっぴもないことであってもそれがほんとうなのだろう。そう思ったから「いや、いいよ。たぶん、アスカのいっていることはほんとうのことだろうから」と断った。 「そう。レイの話に戻るけど、そんなわけだから人と使徒のハーフみたいなものだってことを特別重く考える必要はないわよ。結局人だって使徒なんだから、広く見れば使徒と使徒の子供みたいなものになっちゃうんだから。ネルフが戦っている使徒みたいに生存をかけて戦わなくて済むんだったら、拒絶する理由なんて何もないわよ」 綾波はそんな話はしなかった……ひょっとして綾波はそういった話は知らないのだろうか? そう思ってアスカに聞いてみた。 「レイが知らないってことはないと思うわよ。でもレイってまじめだから、自分に直接関係ない機密情報を話さなかっただけじゃない?」 「そういえばアスカは話してくれたけど、いいの?」 「話すべきと思ったから話してるだけよ。でも、この話は絶対に秘密よ? 下手に誰かに話したらそれこそ逮捕されちゃうからね」 「う、うん。気をつける」 前に命令違反をしたときとかに拘束されたのを思い出した。機密情報を漏らしたってことになったら、そのまま出してもらえなくなってしまうかもしれない。 「まあ、こんなところでどう? みんな驚くようなことだけど、だからレイを拒否したり避けたりするって理由にはならないでしょ?」 「あ、うん。そうだと思う」 「それにシンジはもうレイの秘密を受け止めていたようなものよ。秘密を知ってもレイがいなくなってしまうのがいやだってそう思ったんだから、シンジにとってそういった話はほんとうのところは大したことではなかったのよ」 確かに、僕に大事なことは綾波がいなくなってしまうかどうかだった。そしてアスカに一つ一つ説明してもらったおかげでなおさらってことになった。 「わかったようね。これからはレイのそばにいて支えてあげてね。レイの秘密はレイにとっては重い話になっていることが事実だからこそ、シンジが支えてあげる必要があるのよ」 「うん。そうするようにがんばってみるよ」 綾波がいなくならないためにも、僕のほうから積極的に綾波のそばにいるようにしなければいけないんだ。 「じゃ、早速レイのところに行きなさい。別に何をしなきゃいけないってことはないけど、今はシンジはそばにいてくれるだけでレイにとってはうれしいだろうからね」 アスカの言うとおりだと思う。相談に乗ってくれたことにお礼を言ってから早速綾波のところに行くことにした。 送り出してくれたアスカはそのときに「そうそうさっきの話だけど、レイは確かに遺伝子的にはシンジの半妹みたいなものだけど、残り半分が半分だから普通の兄妹よりもずっと遠い関係にもなるから、そういう結論を出しても全然問題ないとアタシは思っているからね」と言ってきた。 どうやらアスカはまだそういう関係にと思っているみたいだけれど、アスカも言っていたとおり今すぐに答えを出さなければいけない話でもない。その話は先送りにして今はできる限り綾波のそばにいるようにしよう。 第拾七使徒はアスカが一人で殲滅したらしい。ただ、そのときにアスカがけがをしてしまって病院に運ばれたと聞いて、綾波と二人で病院に駆けつけた。 アスカの病室のドアをノックすると、アスカの声が返ってきた 詳しくはわからないけれど、それなりに元気そうに思える声が返ってきたってことはけがは大したことなさそうでほっとした。 「僕と綾波だけど今入っていい?」 「OKよ」 アスカの答えを聞いてからドアを開けて病室に入った。ベッドに寝ているアスカは右手が包帯で巻かれていたけれど、顔色とかはよかった。 「お見舞いに来てくれたのね。ありがと」 お見舞いと聞いて、慌てて駆けつけただけで、お見舞いの品とかは何ももってきていなかったことに気づいた。 「あ、いや、心配で慌ててやってきただけで、お見舞いの品とかそういうのはもってきてなくて、ごめん」 「あら、そうなの? まあ、それはそれでうれしいし、いいわよ。それに二人が顔を見せてくれたっていうだけでもお見舞いとしては十分よ」 そう言われてもどう言うべきかよくわからなくて「どういたしまして」とだけ答えた。 「使徒をアスカだけで倒したって聞いたけど……」 「まあね。そのかわりそれなりに被害出しちゃったけど、まあそっちのほうの対応はネルフのほうに任せたわ」 「そうなんだ」 弐号機が出撃したって感じもなかったし、ネルフの人たちも戸惑っていたし、アスカは生身で使徒を倒したのだろうか? 「まあ、そんなことよりも。いろいろとかたがついたから……退院したら前は話せなかったことを話すわ」 前に話せなかったこと……アスカの秘密だ。 元気そうではあったけれど入院している人間の部屋にあまり長居をするべきでもないと思って、それから少し話をしてアスカの病室を出た。 「アスカ、元気そうでよかったわね」 「うん。ほんとうだね……それにしてももう使徒は来ないんだよね」 「ええ、倒すべき使徒はすべて倒したわ」 「じゃあ、僕たちのエヴァパイロットとしての役目も終わりかな?」 「さぁ……ただいろいろと混乱しているみたいだったから、何かが決まるまでは少し時間がかかると思う」 「そっか……じゃあ、これからどうしようか?」 きょうは実験が入っていたけれど取りやめになってしまったし、予定が空いてしまった。 「碇君は何かしたいことある?」 「う〜ん、特に何かあるってわけじゃないけど、何かおいしいものでも食べに行かない?」 「賛成」 そういうわけで二人で町に出ておいしいものを食べに行くことにした。 アスカが退院して二日後、アスカの部屋に二人そろって呼び出された。 ついにアスカの秘密を話してもらえる。ずっと気になっていたことだから、ものすごく興味がある反面、いったいどんなことなのか少し怖くもある。 綾波の秘密だって今でこそだけれど、話されたときは頭の中が真っ白になってしまったのだ。はたしてアスカの秘密とは? 「はい、どうぞ」 「ありがとう」 アスカが僕と綾波の前にコーヒーが入ったカップを置いてくれた。 そしてアスカも反対側のソファーに座ってアスカの秘密を話し始めた。 アスカの秘密は……正直、綾波の秘密とはまったく違うものだったけれど、それでもあまりにもとっぴな話だった。 なんと十八年後……2034年からやってきたのだという。単純なタイムトラベルではなくて記憶と精神が過去の自分に宿るという形で……そして、それを可能にしたのがフォースインパクト…… 「サードじゃなくてフォース?」 「ええ、そう。アタシたちの歴史じゃちょうど今ごろサードインパクトが起こされたからね」 「そう、なんだ……」 「ネルフやそのスポンサーのゼーレが引き起こした人類によるサードインパクト。狙いが違う人間の手が入り込んでいたから、完全な形での発動じゃなかったけど、アタシに言わせれば今こうして生きている人類にとっては滅亡みたいなものだったわ」 アスカはそのときのことを思い出していたのかゆっくりと息を吐いた。 「でもレイがサードインパクトをキャンセルしてくれたおかげで滅亡は免れた」 「私が?」 「ええ、レイはサードインパクトの中核の一つを担っていたし、リリスの力を使えたからね」 「そう」 「ただ……レイが世界を再構成してくれたけれど、レイ自身は世界の狭間に取り残された。そして、そんなレイを救うためにシンジが再びインパクト・フォースインパクトを起こしてレイをシンジたちが生きている世界に復活させようとしたのよ」 僕がそんなことを? 正直インパクトがどんなものなのかわからないけれど、さっきアスカはサードインパクトは人類の滅亡みたいなものだったって言っていた。それにそんなものをこんな僕がどうやって? 「シンジはサードインパクトの依代にされたからすべてを知ったし、リリンの使徒としての力を使えるようになったのよ。その知識と力を使ってネルフやゼーレのトップを皆殺しにして、いろいろと協力者を得た上でネルフのトップになったのよ」 皆殺し? ネルフのトップって父さんや冬月副司令とか? そんなのとても信じられない話なのに、アスカの口ぶりも雰囲気もとてもうそを言っているようには思えなかった。 「アタシのいた歴史では、シンジにとってレイはそれだけ重い存在になっていたってことよ。この歴史ではいろいろとずいぶん変わってしまったけどね」 確かに綾波はとても大切な存在だけど……アスカの経験した歴史では僕がそんなことをしてしまうだけのことがあったのかもしれない。それがどんなものだったのかはわからないけど、アスカが歴史を変えてくれたおかげで、そういったことが起きなかった。アスカが防いでくれたのだろう。 「正直……うまく想像できないけど、僕がアスカが言ったようなことをしたり、そんな目にあったりしなかったのはアスカのおかげなんだよね。ありがとう」 「どういたしまして。まあ、自分のためにやっただけでもあるんだけどね……時間をさかのぼってから、アタシにとっての悲劇を回避するために動いてきた。シンジの想いとかずいぶん先入観をもってたせいで読み間違えてしまったこととかあったけど、ほかにも記録が間違ってることとか色々とあって結構たいへんだったけど、幸いなことにうまくいったみたいだからよかったわね」 もっとも、使徒についてはともかくゼーレもネルフも計画を延期させることができたってだけで中止させることができたわけじゃないから、これからもやり合っていく必要があるって付け加えた。 アスカの戦い……まさに戦いはこれからも続いていくんだ。 「あ、あの……僕にも何か手伝えることってあるかな? 今すぐには無理でもアスカの戦いが長いものだったら、その間に役に立てるようにがんばるし……」 これまでの恩返しに少しでもできるようなことがあればと申し出ると、アスカにとっては意外だったようで少し驚いた後、考えて「レイと仲良くしてて」ってそう言われてしまった。 「ああ、違う違う。役に立たないって言っているんじゃなくてね。シンジがレイと仲良くする、つまりレイがシンジのそば、さらに言えばアタシの側にいるってこと自体が、カードになるのよ」 「そうなの?」 「レイの存在は言うほど特別じゃないってシンジにもレイ自身にも言ったけど、ネルフにとっては特別で重要な存在なのよ。今度のがうまくいっているのも、シンジがレイのことをちゃんと受け止めて支えられているって言うのが一つの必要条件になってるんだから」 綾波はリリスの遺伝子を受けついでいる。さっきのアスカの話の中に綾波がサードインパクトをキャンセルしたという話もあった。僕にとっては大したことではないけど、綾波がそういう力を持っている以上そのことを重視している人たちもいるってことか。 「まあ、あらためて言うのもなんだけど、レイもよろしくね」 「……私は碇君とともにありたい。だから今の道を選択したし、その道を切り開いてくれたアスカには感謝している。もし私に協力できることがあったら言って」 「どういたしてまして、何かできたらそのときは二人ともお願いね」 二人そろって力強くうなずいて、それから握手を交わしてアスカの秘密の話とこれから協力の約束は終わった……はずだったのだけれど、綾波が一つ質問をしたことでさらに続くことになった 「アスカ……今までの説明ではアスカが碇君の告白を断ったとき、告白はうれしかったといった理由がよくわからない。アスカの歴史では碇君とはどういう関係だったの?」 質問されたアスカは気まずそうに目をそらした。綾波が口にしたことで思い出した。あの時なぜなのかって思ったそのことの片方は全然触れてもいなかった。 その話も結構前の話になってしまっているし、アスカの秘密の告白ですっかり考えの外に行ってしまっていた。 「あんまり触れたくなかったんだけど、しかたないか……コーヒー入れ直すわね」 アスカはカップをもって席を立ってキッチンの方に歩いていった。 そして温かいコーヒーを入れて戻ってきてからその話をしてくれた。 「まあ、最初は正直ほとんど眼中になっかったんだけどね。アタシも今のシンジと同じようにミサトのところでやっかいになることになって、まあ家族になったわけよ。それからは色々とあったけど、レイを失ってしまったシンジを支えてる間に、いつの間にかシンジのことを好きになっていた。きっかけがなんだったのかはよくわからないんだけどね……」 苦笑しながら僕のことをみるアスカ……ひょっとしたらアスカが好きになったアスカの歴史での僕のことを思い出して比べたりしているのかもしれない。 「公私ともにパートナーって感じでシンジがネルフの司令で、アタシがネルフの副司令兼シンジの愛人ってところになったわ。愛人であって恋人にも妻にもしてもらえないってのはわかってたけど、アタシはそれでいいって思ってたし、納得もしてたわ」 その立場は綾波のものだったからか……アスカはああ言っているけれど、そのときアスカはどんな思いを抱いていたんだろうか? アスカではアスカの歴史での僕は綾波のためにフォースインパクトを起こそうとしてたんだから、ほんとうに納得なんてできるような話だったんだろうか? 僕はアスカの気持ちをわかっていたんだろうか? 「シンジがそんなこと気にする必要なんかこれっぽっちもないわよ。未来、それももう異なる歴史での話だしね。フォースインパクトを起こしてレイと再会できたシンジを見てアタシも喜んだし、結局アタシって好きな人間の役に立てることを喜ぶような人間だったってことね。昔はそんな人間はバカだって思ってたけど、自分がそうなっていたのよね……」 最後の言葉は自嘲しているような感じのつぶやきだった。 「ま、そんな感じな関係だったわけよ。だからシンジから好きだって言われて驚いたけど、やっぱりうれしかったわ。断ったのは、レイのことやネルフやゼーレとの戦いのことがある。でも、それがなかったとしても受けにくいわね」 「え? どうして?」 「アタシがそこまで好きになったのは今のシンジじゃなくて、アタシの歴史のシンジだったからよ。どうしても重ねたり比較したりしちゃうからね……」 それはアスカが僕の告白を受けられない絶対の理由だった。 「でも、今のシンジも好きだし、もちろんレイもね。だからこれからも親友としてやっていきましょ」 「うん……」 アスカの差し出した手を握る。 今ようやく僕のアスカへの想いは納得してあきらめることができたように思う。 テレビに宇宙ステーションを出発する超大型ロケットの映像が映っている。 ゼーレはついに槍の回収に動き出した。 アタシがアメリカに移って六年……使徒戦から八年。あれだけ経済が疲弊していたというのに、もうここまでこぎ着けたとは、やはりゼーレの執念は深いものだ。 今の宇宙計画が順調に行くとすると、槍の回収まであと三年かそこらといったところだろうか? もしこれでアメリカを脱落させていなかったらと思うとなかなかに恐ろしい。今後もアメリカをこっちに引き留め続けるのも骨だし、いっそのこと今度の選挙で立候補でもしてみようか? 「さすがに若すぎるか」 苦笑いしてさっきの思いつきを打ち消す。主観的な年齢なら問題ないけど、いくら何でも合衆国大統領には若すぎるだろう。それに、大統領になれればアメリカを自由に動かせるといっても、アメリカを運営するという大きな仕事を抱え込んでしまうことになる。 テレビの映像がキャスターの顔に戻ったところでモードを切り替える。 「あ、二人からのメールが来てるわね」 シンジとレイの二人からのメールが届いていた。 メールを開いて、二人の近況なんかの話を読んでいく。 いつも通り二人はよろしくやっているようだ。 だから司令たちはまだ動かない。 やはり分の悪いかけにかけるにしてはチップが高すぎるのだろう。もちろん釣り合いが取れればためらわずにかけるだけの決断力を持っているし、そうできるように準備を進めているのはまちがいないから考え物なわけだが…… 「それにしても、いい加減関係を進めなさいってば」 親友超過恋人以下の関係も何年目だろうか? 今度結婚しますとか、結婚を約束しましたとか、そういう報告はないわけだろうか? いったんはアタシがゆがめてしまった以上しかたないかと思ったけど、やっぱり二人を見ていていっしょになるのが一番だと確信した。アタシから言うわけにはいかないし、誰かガツンと言ってやってくれないものだろうか? そう思っていたけれど、どうやらそういう人間は現れていないようだし、結局アタシが尻をたたきに行かないといけないのだろうか? いや、行ってやろう。 いつもの休みの時期に遊びに行く感じではなく、奇襲的に行くことを決めて、そんなことはつゆほども感じられない返信を書いて送信した。 早速スケジュールを見ていつシンジの尻をたたきに行くか考えて、ふとアタシの行動ってお節介おばさんみたいだなぁと思ってしまった。 まあ、主観年齢だともういいおばさんだしそんなものなのかもしれないけれど、肉体年齢はピッチピッチの20代前半。それなのに行き遅れのおばさんになっているは悲しすぎる。 あのシンジとはもう歴史が交差しなくなってしまったのだし、リセットされたのだ。新しい恋を探してみる分にはいい気がする。 できれば戦いでのパートナーになってくれるような相手だと理想だけれど、そこまでは欲は言えないだろうな。 そのあたりまではわかるけれど、そんな相手をいったいどうやって探したらいいのだろう? 今身近にいない以上探しに出なければいけないけど、どうしたらいいのだろうか? そんな経験は全然ないからよくわからなかった。 「……そうね、たまには自分のことで相談に乗ってもらうのもいいわよね」 日本に行ったときに、こういうことでは先輩に当たるミサトあたりに相談に乗ってもらうことに決めた。