〜1〜 使徒戦は終わった。 使徒戦の最中はいつ終わるかなんて考えたことなかった。そもそも使徒の数が決まっているだなんてこと思いもしなかった。けれど終わった。 サードインパクトの恐怖は去り、世界は平和になったけれど、それが表面だけの平和だってわからないほどアタシはバカじゃなかった。シンジのバカやジャージはの〜てんきに喜んでいたけどそんなわけない。ひょっとしたらわからない方が幸せだったかもしれない。 ため息が漏れる。 今日もテストがあった。 使徒はもう現れないのにエヴァの研究は続いている。何に使うつもりなのかを考えるとどうにもやるせなさがわいてきてしまう。 チンと小気味いい音がしてエレベーターが到着した。 ドアが開くとすでに先客のレイが乗っていた。 「レイも今帰り? お疲れさま」 そう言ってエレベーターに乗り込む。レイは軽くうなずいてアスカもとだけ返してきた。 だいぶ遅いかもしれないけれど、最近レイのことがだんだんわかるようになってきた。 (そう言えば……) 今、一つ気になっていることがある。 前は嫉妬したこともあったけれど、レイはアタシたちどころかミサトよりも機密に近い。リツコの方がさらにだけれど、この話はレイの方がいいと思う。 「ねぇ、聞きたいことあるんだけど良い?」 「何?」 「アタシ、どうなると思う?」 「……ドイツというよりもEUから弐号機とともに第二支部への移送が要請されているわ」 「通る?」 「ここにはアスカ・弐号機以外に三人のチルドレンと二機のエヴァがある」 「そっか、今頃司令はアタシたちをどう高く売りつけるかの相談中?」 「たぶん……碇君と過ごせる時間を大切にした方がいいわ」 「……ありがと」 それからは上につくまでずっと無言だった。 家に帰ると、玄関の前からすでにカレーのおいしそうなにおいが漂っていた。 まさかミサトじゃないでしょうね? おそるおそる玄関を通って台所の様子をうかがうと……シンジがカレー鍋をかき回していた。 心底ほっとする。 「ただいま」 「あ、お帰り。ご飯は今作ってるからちょっと待っててね」 「ここで待ってるわ」 イスに座ってシンジが料理を作っている姿を眺める。 シンジがこうしてる姿を見れるのもあとちょっとか…… 「ねぇ、アスカ、何かあったの?」 「え?」 「ううん、なんかいつもと雰囲気が違うような気がして」 ばれちゃったか。 「うん。アタシ……ドイツに帰ることになりそうなのよ」 「え……帰るって」 「使徒はもういなくなったでしょ? 本部に三機もエヴァ集める必要もなくなったってことね」 「アスカ帰っちゃうの?」 「そうなりそうね」 「そんな! アスカはそれで良いの!?」 「良いわけないでしょ! でもどうしようもないじゃない! ……ごめん。シンジにあたっても意味ないことだった」 「僕の方こそごめん」 き、気まずい……。でも、アタシに残されている時間は長くないんだから少しでも早く切り出さなくちゃいけない。 「……ねぇ、シンジ。それまでアンタの時間アタシにちょうだい」 「え? 僕の時間?」 「思い出作りよ。インターナショナルな遠距離恋愛になる前にね」 「う、うん」 あれからわずか半月。それだけで、アタシのドイツ帰国の日がやってきてしまった。 「まあ、今生の別れって訳じゃないんだし、そんな顔しないでよ」 シンジの寂しそうな顔を見ていたらそんな言葉が出てきた。 アタシだってすごく寂しいのに、こんなこと言わせないでよ。と心の中で悪態をつく。 「うん……そのうち遊びに行くね」 「ええ、楽しみにしてるわね。アタシもそのうち遊びに来るわよ」 「歓迎するよ」 「じゃ、いってくるわね」 荷物もちでもある同行する保安部員といっしょにゲートをくぐる。 乗る機体は定期便じゃなくて、ネルフのウィングキャリヤーだからはっきりと決まった時間がある訳じゃないけれど、今日付いてきている保安部員はなかなか気が利くのか最後まで話をさせてくれた。 ターミナルビルから出て車に乗ってウィングキャリヤーに近づく。 「相変わらず巨大ね」 「自分もそう思います」 車から降りてターミナルビルを振り返る……シンジたちの姿は見えない。 「行きましょう」 「ええ」 ウィングキャリヤーに乗り込んで席に座る。 「離陸します。シートベルトを」 「わかってるわよ」 日本で過ごした一年間を思い返しながら日本を飛び立った。 〜2〜 「今日もお疲れ様」 弐号機にねぎらいの言葉をかけてから帰る。 ドイツ帰国から二年……今の私の肩書きはネルフ第二支部の技術部所属のエヴァ搭乗者兼研究チームのチーフ。 ママの心が入っている弐号機を他人に変にいじくられたくなかったから、今年の春にようやく半分無理矢理もぎ取ったポスト。 ポストを取ってしまったら、なおさらEUを離れるわけにはいかなくなってしまったんだけれど、もともと政治的な理由でEUから出る許可は何かないと下りなかったとは思う。 支部を出るとひどい寒さが身につきささってくる。 十二月ともなればコートを着ていても寒いものは寒い。 あと何時間かでまた誕生日がやってくる。 二年前の誕生日はシンジが日本時間の午前0時に電話をかけてきてくれたっけ。 こっちは時差があるからまだ十二月三日だったって言うのに、でも嬉しかった。長々と長電話をしている内にふときになって、午前0時に電話なんてかけてきて寝てたらどうしてたわけって聞いたら時差があるから大丈夫だと思ってたって堂々と言ってのけたから、さんざんバカにしてやったっけ。 去年はプレゼントの配達とタイミングをあわせた電話だった……どこでそんな技を覚えたのやら、加持さんあたりだろうか? まあともかく今年はどういう祝い方をしてくれるんだろう? シンジはいっしょにいないけれど、それを考えるだけで楽しくなってくる。 「お帰り」 「は?」 シンジのことを考えながら、家に帰ったら目の前にいた。 ごしごしと目をこすってから、もう一度見てもやっぱりそこにシンジがいる。 「ど、どうしてここにいるわけ?」 「うん、休暇をもらって来たんだ。学校の方も休んじゃったけどね」 なんていってにっこり笑う。 「全く、バッカじゃないの? でもありがと」 シンジに飛びかかるように抱きつく、二年前だったらそのまま後ろに押し倒すみたいになってただろうに、生意気なことに二年の内にシンジは背もずいぶん伸びていてよろめくだけで受け止められてしまった。完全に頭一つ高い。 「もう、いきなり、びっくりしたじゃない」 「こんな美少女に抱きつかれてるんだから、文句言うんじゃないわよ」 「う〜、でも、自分で言わない方がいいよ」 「うっさい」 「でも、僕も会いたかったよ」 抱きしめてくる。シンジの胸に抱かれる形……生意気だけど、嬉しかった。 「へくしょん!」 「バッカじゃないの?」 今私は独り暮らしをしているわけで、当然外出するときは鍵をかけていくわけだからこいつはドアの前で一人ぽつんと待っていたのだ。しかも、今のドイツにしては明らかな薄着で。 「だって、こんなに寒いとは思ってなかったんだから」 年中夏の日本で生まれ育ったシンジには、寒さというだけでもきついだろうに、それがドイツの冬ともなればいっそうだろう。もっと厚着をしていった方がいいとか言うやつはいなかったのだろうか? 「全くそれは仕方ないとして、もし今日泊まり込みだったり、ネルフのみんなとパーティーに出かけていたりとかだったらどうするつもりだったわけ?」 「あ、そっか」 ドアの前でずっと待っていてくれたのは嬉しかったけれど、すぐそこの通りの角にあるコーヒーカフェなりに入って待っていればよかっただろうにと思わずにはいられない。 「本当にバカね。はい、コーンスープ、暖まるわよ」 「ありがと」 レンジでチンしたスープのカップをスプーンで軽くかき回してからシンジに渡してやる。 「熱いからやけどしないように気をつけてね」 「うん……暖かいや」 「おいしい?」 「うん」 「そりゃよかったわ」 「アスカが作ったの?」 「そうよ」 「アスカも上手になったんだね」 あ、心外な台詞。仕方ないとはいえ、複数の意味で傷つく。でも全部任せていた私が悪いんだし、「どういたしてまして」と答えることにした。 「それにしても、シンジが来てくれるなんて思ってなかったわ」 「喜んでもらえてよかったよ」 「喜ぶのは当たり前でしょ」 シンジと会えなかった2年間寂しかったんだからとはさすがに恥ずかしいので言わない。 「それは僕もだよ……みんないるけれど、アスカがいなかったからね」 嬉しいことを言ってくれるわね。 「アスカの方はどう? 新しい友達とかできた?」 「職場の同僚とかはね」 「そうなんだ。うまくやってる?」 「まあまあね。本当は同年代の人間がいれば良いんだけど、まあこれは仕方ないわね」 「そっか」 「シンジの方は? みんなはどうしてる?」 「うん、みんな元気でやってるよ。誰のことから話そうかな」 電話と違ってこうしていっしょにいるんだから、ゆっくりといろんなことを話せる。 シンジの話によるとみんな元気でやっているようだ。レイのことは気になったのだけれど、心配するようなことにはなっていないようで少しほっとした。 話をしている内にシンジがなんだか眠たそうになってきて、ついに大きなあくびがでた。この私と話をしているのにあくびってどういう了見なのかと思ったけれど、そう言えば日本時間はとっくの前に深夜になっている。 「全くバカね。一言言えばいいのに……つもる話は明日にして今日はもう寝ましょう。零時ちょうどになんてこと気にしなくても良いから」 「う、うん。ありがとう」 〜3〜 朝、目を覚ますと、シンジの姿はなかった。 「……夢?」 時計を見る。十二月四日。 今日が誕生日だからシンジが来るなんて夢を見てしまったのだろうか? 「はぁ」 ため息をつく。 別に一人で目を覚ますなんてもう慣れっこだけど、あんな夢を見たあとではこの独り暮らしには無駄に広い家が寂しく感じられてしまう。 日本での生活が、シンジといっしょに暮らしていたあのころが懐かしい。 目を閉じてあのころを一通り思い返してやめる。いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない。それに今日はシンジも電話してきてくれるだろうし。 「今日も一日頑張りますか」 自分に言い聞かせてからベッドを抜け出して服を着替える。 そして、パジャマを脱いで下着姿になったときに、開くはずのないドアが開かれた。 「え?」 「アスカ〜、ご飯できたけど。あ……」 「……」 「……」 完璧に固まった。 いつかもこんなことあった気がする。 「し、しんじ?」 「あ、えっと、その、ご、ごめん!!」 これでもかって言うくらい慌ててドアを閉めて脱兎のように逃げ出したシンジ……そう言えばあのときは、手当たり次第に物を投げつけたんだっけ。 でも、今はそんな気はこれっぽっちもなかった。 「あのときのこと謝らないとね」 夢じゃなかった。シンジは来てくれていたのだ。 「ありがとうね」 扉の向こうに逃げていったシンジにお礼の言葉を向ける。 まさか前のことを謝られるとは夢にも思っていなかっただろう。きょとんって言葉が本当にぴったりはまるようにぽかんとしていた。 夢じゃなくて本当にシンジが来てくれたのだ。 なんだか矛盾していて無茶な話だけれど、シンジが目の前にいなければ、小躍りしてしまうかもしれない。 早速、ネルフに電話して休む旨を伝える。さらに休暇を取ろうとして、シンジはいつまでいるのか聞いていなかったことを思い出して、あとでいつまで取るか伝えるといって電話を切った。 電話口の向こうで部下が抗議の声を上げていたけれど無視した。 「誕生日、おめでとう」 二年ぶりのシンジの料理……私の誕生日を祝ってくれているのだろう。豪華なまさにごちそうだった。 「ありがと、シンジが来てくれたことが一番のプレゼントね」 「それと、もう一つ。これももらってくれるかな?」 そう言って紅い包装紙に白いリボンを付けた小箱を私に差し出す。 まさか指輪?と心を躍らせながら箱を開けると、中に入っていたのはターコイズのペンダントだった。 碧く綺麗な大粒の珠が菱形の……シルバーと思ったけどプラチナじゃないこの台座とチェーン! 「これ、良いわけ?」 「き、気に入らなかった?」 おどおどと心配げに聞いてくる。 「そう言う意味じゃないわよ。これプラチナじゃない、良いわけ?」 「あ、そう言う意味だったんだ」 ほっとして笑顔をこぼす。 「すごく良いわよ、でも、よすぎるじゃないこれ」 「給料使い道あんまりないし、アスカが喜んでくれたらいいなって思って」 「ありがと、大事にするわね」 「うん」 シンジの料理を食べ終わりまさに至福の心地って言ったところだろうか。 食後のお茶ってことで紅茶を入れてあげる。 最近趣味の一つにしていて、だいぶおいしく入れられるようになったと思う。 「あ、おいしいね」 こうして味をほめられると嬉しい。それがシンジからならいっそうだ。 「そう言えば、休暇っていつまで?」 紅茶を楽しみながらこれからのことを考えるためにも聞いてみた。 「うん、十二月六日……でも、時差と飛行機のことを考えるとこっちの五日までかな?」 「ふ〜ん……。って明日じゃないの!」 「う、うん。そうだけど……」 「やっぱりバカね。せっかくドイツまで来るのに滞在三日……実質二日? せめて一週間くらいなさいよ」 「う〜ん、そうだったね。今度来るときはそうするよ」 このバカは本当に一瞬いるだけだなんて! せっかくの機会、シンジは惜しくないのだろうか? 私はもっといっしょにいたいって言うのに! 「どうしたの?」 「顔を見に来ただけ?」 「え? だけって?」 「ほら、囚われのお姫様を助け出そうとかそう言うこと思わないわけ?」 さすがにわからなかったかな? 言い直そうかと思ったときに「囚われのお姫様って、まさかアスカのこと?」って聞いてきた。 通じてないけれど、仕方ないそのまま続けるか。 「そうよ」 「どこが囚われ?」 とかいって部屋を見回すバカシンジ……そっちに発想が行ったか。 休暇の日数のこともそうだけど大きくなっても頭の中のOSはいっしょってことか。 「そう言う意味じゃないわよ。私はEU中心部から出られないのよ。その理由が政治的なものなんだから、これが囚われのお姫様以外のなにものだって言うのよ」 「あ、そう言う意味なんだ。なるほど」 「で、シンジはそのお姫様をたすけにきたナイトになってくれる?」 「え、僕が?」 「どう?」 「う〜ん、僕でできるなら」 「よし、じゃあ決まりね。シンジ私を助け出してよ」 「うん。アスカを日本に連れて行けば良いんだよね?」 「そうよ、期待してるわよナイトさま」 恥ずかしそうに顔を赤らめるシンジ。 「でも具体的にどうするつもりなの?」 「……そんなのナイトがお姫様に聞いてどうすんのよ」 「ご、ごめん」 「まあ良いわ。シンジにそこまで求めるのは酷だろうし」 「ありがとう」 お姫様とナイトごっこ。ごっこにすぎないことはわかっているけれど、している間はシンジといっしょにいられる。 それに見込みは薄いけれどうまく日本にまで行ければ、政治的なやりとりを仕掛けられるかもしれない。普通のネルフ職員がそんなことしても、首になって終わるだけだけど私たちはそうじゃない。 「そうね……まずIDカードを用意する必要があるわね」 「え? 用意ってどうやって?」 この前に加持さんがドイツに来たともらった偽造ID用の生カードをシンジに見せる。 「なにこれ?」 「偽造IDカードを作るためのものよ、これで二人分のIDカードを作るわ」 「そんなことできるの!?」 「ま、技術部で一つのチームを任されてるこの私にかかればちょちょいのちょい朝飯前よ」 しまってあった偽造キットを取り出して早速作業を始める。 それにしても……加持さんこうなること読んでたのかしら? 「ねぇ、シンジなんて名前にする?」 「え? 名前」 「本名使うわけにもいかないでしょ、業界によっては世界的な有名人なんだから」 「確かに、じゃあ〜……」 でてこない。そりゃぱっと偽名って言われてもなかなか出てこないか。まあ、私もどうするか…… 暫く考えても結局良い偽名が出てこなかった。 「いっそ、お互いの名前と名字反対にしちゃおっか」 「え? 反対って惣流シンジに碇アスカ?」 碇アスカ……良いかな? 良いかも。 「どしたの?」 「いや、良いわ。それで行きましょう!」 「え? でもさすがにばれない?」 「大丈夫よ……下手な偽名を使うよりは。たぶん。ほら、呼び合うのについ本名がでちゃったりするかもしれないし」 「そうかな?」 「そうなの! そうするわよ」 ということで、まだ何か言いたそうなシンジを無視して碇アスカと惣流シンジのIDを作る。 できあがった偽造IDは……うん完璧。ネルフ関係者、それも一部のメンバーと会いさえしなければなんとかなるだろう。 「じゃ、早速準備していくわよ」 「う、うん。でも、どうやって?」 そ、そうだった。これじゃ私の方が間抜けじゃない……違う! それは本来ナイトのシンジの役割なはずだけれど、地理にも疎いシンジに求めるのは無理だ。 全く仕様のないナイトさまだこと。ナイトをぐいぐい引っ張って自分で脱出ルートを切り開くお姫様……なんか、すごく間違っている気がするけれど、私がそんな役をするしかないか。 壁に貼ってある地図を取って机の上に置く。 「一気に日本に向かうか、スイスを経由するか、あるいは東欧に行ってみるかってところ?」 「まあね。空港からそのまま発てるんなら一番だけどさすがにチェックはいるだろうし……スイスはスイスで国連の力が強いし、東欧ルートが一番ましかしらね」 「じゃあ電車を乗りついで行くんだね」 「まあね。国境を越える数は減らしたいし、ポーランドと通ってウクライナに脱出をはかるか」 他のルートはとぶつぶつつぶやきながら考えていると、パスポート大丈夫かな?なんて聞いてきた。 「え?」 「いや、だって国境こえるんだろ?」 「む……」 EU内だけならどうせスタンプ押すだけだから何とでもなるけど、まずいわね。すっかり忘れてた。 「公務ってことにして、ネルフの超法規的権限で押し切る?」 「そんなことしたらすぐばれちゃうような……」 「う〜ん、偽造パスポートか、準備がないからさすがに無理ね」 大体私のパスポートはアメリカだし。アメリカは支部吹っ飛んでエヴァから手を引いているからここにいるって言う政治的なやりとりがここでもあった。 「ネルフ権限で行けるところまで行きましょう」 「う、うん」 〜4〜 休暇はとりあえず明日から3日間とると半分一方的に連絡して、服やら何やら必要そうなものを大きなトランクに詰め込んで……ああ、あと現金。カードを使うわけにはいかないんだから、現金が必要ね。 「シンジ、お金おろしてくるわね」 「あ、うん。その間に準備しておくね」 「よろしく」 家を出て近くのATMで堂々と預金を下ろす。あんまりおろしすぎると早く発覚しすぎるからほどほどに。 往復の間に護衛を確認する……確認できたのは三人か。裏口側と、あとこちらからは見えないところにもう一人くらいはいるだろう。 「ただいま」 「早かったね」 「ま、近くにあるからね。準備の方は?」 「必要なものはできたと思うけれど、お弁当とかどうする?」 「シンジの手料理も食べたいけれど、今は時間が惜しいし、どっかで買いましょう」 「うん」 「まずは、護衛をまかないとね」 それも単にまくだけではだめ、ネルフへの連絡は最低でもドイツを出るまではさせないようにしないといけないのだけれど……それはむりか。 「どうやって?」 「付いてるのは、ホントに護衛だから大したことないわよ、裏口から出て適当にかき回してやれば、振り切れるわ」 「振り切ったことあるの?」 「何度もね。苦言言われるけど、まあそれだけだし」 「じゃ、行こうか」 「ええ」 荷物を持って裏口から出る。 通りに出る前に物陰に隠れながら護衛の姿を探すと、一人携帯電話で話をしているのがいた。まだこっちには気づいていないみたいだけれど、何かあったらすぐに連絡できる体勢って感じだろう。 「あの人?」 「そうよ、シンジもわかるようになってきたじゃないの」 「で、どうするの?」 「この小石であの店の窓を割るわ、注意がそれた瞬間にダッシュ。良いわね?」 「……いいのかな?」 「あとでちゃんと弁償するから問題ないわよ」 「そう言う問題なのかな?」 「そう言う問題なのよ」 小石をパン屋のショーウィンドウめがけて投げる。 派手な音を立てて木っ端みじんに割れるショーウィンドウ。護衛の目がショーウィンドウに向いた隙に飛び出した。 通りを全力疾走して角をおれてさらに走る。 いくつか通りを走り抜けて脇道に入った。 シンジはとそばを見るけどいない……顔だけ出して通りを見ると、どたどたと必死で追いかけてきている最中だった。 ナイトがなんてざまだろう。なんだかめまいがしそうだ。 漸く追いついてきたシンジの方は息が上がってしまったようで、だいぶ荒い息をついてる。 「何? あれだけで息あがっちゃったわけ?」 「そんな、こと、言ったって……」 「まあ良いわ、暫く休んでなさいと言いたいところだけど、そうも言ってらんないわ、荷物は持ってあげるから行くわよ」 「あ、ありがと……」 シンジの持っている荷物から重いのを選んで持ってあげる。 全く体力がない。 護衛の気配に気を配りながら駅までやってきた。 カードは使えないから窓口に並んでチケットを買う。 「IDカードをお願いします」 シンジから渡した偽造IDを受け取って私のと併せて渡す。 こら、シンジ! そんなにきょどってたら怪しまれるじゃない。 「はい、いい旅を」 シンジの様子にはあまり注意を払わなかったのか、初心者かなにかで不審者ではないと思われたのか、早く列を勝たず毛たかっただけなのか、すんなりIDカードを返してくれた。 「ふぅ……よかったぁ」 「だから心配しすぎなのよ。むしろシンジの態度で怪しまれないかを心配しちゃったわよ」 「ごめん」 「まあいいわ、行くわよ」 「うん」 ホームに向かう……護衛の姿は見えないけれど、まだ気づいていないだろうか? すでに待っていた特急電車に乗り込む。 席に座って発車時刻を待つ。 なかなか発車しなくていらいらしながら時計の針を見ると発車時刻を過ぎていた。 「む……」 まずいかもしれない。 どうしようかと思っていると、漸く列車が走り始めた。 「全く脅かすんじゃないわよ」 悪態を一つついてゆっくりと過ぎ去っていく町並みを眺めた。 〜5〜 夜行電車が暗い夜の闇を切り裂いて走る…… 二人部屋の個室にシンジと二人っきり。 明日の朝には、EUからの脱出をするわけだけれど、IDチェックで簡単に通り抜けられてしまったドイツの国境とは違ってかなり厳しい。まあ、ドイツの国境自体本当は厳しいのだけど、ネルフのIDさまさまってところである。それが今度は逆にネックになるかもしれず、これがいっしょに過ごせる最後になるかもしれない。 「アスカ、何考えてるの?」 「これが、いっしょにいれる最後になるかもってね」 「次はEUを出るんだよね」 「まあね……難民の問題もあるし、出入りのチェックが厳しいのよね」 やっぱり無理だろうか? これだけ時間がかかってしまっても、まだネルフに連絡が行っていないなんてことはないだろうし、税関を通るのにネルフの権限を使おうとするわけだし、無理が大きすぎるきがしてきた。 「ねぇ、シンジ」 「何?」 「ううん、やっぱり良いわ」 そんなこと言ったってどうなるわけでもないし、シンジを不安がらせるだけでしかないなら黙っていた方がいい。 「心配?」 わかってしまったか。 うなずきで答えることにした。 「途中下車する?」 「……いいわ、そんなことしてもせいぜい何日かってだけでしかないんだから」 「そっか」 その何日かと引き替えに立場が非常に悪くなってしまう。 「私はシンジとずっといっしょにいたいんだから……」 「それは僕もだよ」 それっきり二人とも黙ってしまったから静かになってしまった。 「そろそろ、寝ようか?」 「……そうね」 それぞれベッドに潜り込む……でも、なかなか眠れなかった。 なんだか自分のことを笑いたくなってしまう。これまでずっと一人でそれなりに立派にやってきたって言うのに、いったんシンジと会ってしまったらとたんに弱くなってしまった。 もっと強いと思っていたのに…… 素直に認めるしかないだろう。私は本当は弱い。ただ強くあろうとしていただけだって……シンジの前では厚いはずのメッキもはがれてしまう。 この私をこんなに弱くしてしまうなんてシンジはなんて罪深い人間なのだろうか。 「ねぇ、シンジ。まだ起きてる?」 「うん」 自分の心に素直にすることにした。 「そっち行ってもいい?」 「え?」 「……だめ?」 「いいよ」 「ありがと」 自分のベッドから抜け出してシンジのベッドに潜り込む。 「アスカの不安が紛れるなら、こうしているね」 シンジは私を抱きしめてくれた。 本当にどうしてこうも生意気になってしまったのか、問いつめてやりたいところだけれど……今はシンジの好意をそのまま受け止めて、シンジの暖かさを感じながら眠りについた。 国境の駅におかれている税関。 ここから向こうはウクライナ領、EUの外になる。 打ち合わせ通り、ネルフの公務ってことでごり押しをした。 確認するので少し待っていてくださいといって税関職員が奥へ入っていった。 やはりネルフに直接連絡しているのだろうか? 元々日本から来た友人を案内するって言うにしても出入国の記録が変だしと思ってこうなったのだけれど、ドイツで合流してみたいな感じの話にしたらよかったかもと思いつつもう遅いので、素直に税関職員の帰りを待つ。 暫くして戻ってきて、IDとパスポートを返してくれた。 「任務ご苦労様です」 うまくいった! シンジといっしょにゲートをこえてウクライナ側に入った。 「うまくいったね?」 「ええ、でも安心するのはまだ早いわ」 「そうだね」 電車に乗るためにホームに向かう足取りは自然と速くなっていた。 この駅を出てしまえばしばらくは大丈夫。 私の心にも漸く晴れ間が見えてきた。 ウクライナの草原地帯……雪が積もっているから大雪原地帯を快走する列車。 EUを出られた以上、ウクライナを出国するのは……たぶん大したことはない。 すでに連絡が行っている可能性はあるけれど、地方空港から適当な国を経由していけばなんとかなるだろう。 次の大きな問題は日本入国。 日本に入国すればネルフに連絡が行くのは確実、連絡が行っていればすでに始まっているだろう政治的なやりとりの中に飛び込んでいかなければいけない。 でも、ここまで来れたなら案外なんとかなるんじゃないだろうか? もっといろいろと障害があるものだと思っていたけれど、結構すんなり来ているし。 シンジも同じことを思っているだろう。話も弾むし、外の景色を楽しむ余裕も出てきた。 「あ、もうこんな時間か、食堂車行く?」 「そうね。フルコースとは言わないまでも、良い料理出てくると良いわねぇ」 食堂車に行こうとしたとき、反対側の席に座っていた人の良さそうなおじさんが読んでいた新聞紙を閉じてこっちにやってきた。 「そろそろよろしいでしょうか?」 「あ……」 ため息をつく。まあ、わかっていたことだけれど、ここまで来れてしまったのだしやっぱりがっかりしてしまう。 「ちなみにどっち?」 「本部のものです」 「流石ね。全然気づかなかったわ」 「どうも。あちらのチームは大あわてでしたけれど、引き継ぎましたのでそのことについてはご安心を」 「そっか、迷惑かけてごめんなさい」 「いえ、休暇は楽しんでいただけましたか?」 「まあね。移動ばっかだけど、シンジといっしょに旅できたし、良い気分転換ができたわ」 「それはよかった。次の駅で下車して空港に向かいます。空港に着いたあと1時間ほど余裕がありますので」 「ありがと」 それからまもなく列車が駅に到着した。 車で近くの地方空港に移動たあと、空港のレストランでフルコースには遠いけれどそれなりにおいしい料理を食べることができた。 「全部……わかってたんだね」 「まあ、うまくいったらもうけものくらいだったし、仕方ないわね」 「うん……」 当然シンジ側にも護衛は付いていたわけで、しかも対立している政敵の本拠地に行くんだから、その護衛も一流のメンバーをつけるに決まっている。 たぶん無意識のうちに考えからはずしていたのだろう。そのことを考えたらどうやっても成功する見込みなんてなかったんだから 「それにシンジとずっといっしょにいられたしね」 「そうだね。僕もアスカといっしょにいられてよかったよ」 「頼りないナイトさまだったけどね」 シンジは苦笑を浮かべるだけだったけれど、自覚があれば反論できないだろう。 「今度はちゃんと迎えに来てくれる?」 「うん、約束するよ。そのときはお姫様を救い出すって」 「約束よ」 「約束するよ」 そうして私の頼りないナイトは一足先に飛び立っていった。 「アスカ、行くわよ」 頼りないナイトが頼りがいのあるナイトになって戻ってきてくれるそのときまで、再び強い自分として生きていこう。 シンジは約束を破るような人間じゃないからきっといつか来てくれる。そのことを信じて。 「ドイツまでお送りします」 「迷惑かけるわね」 「これも仕事ですから」 「そう。でもありがとね」 「どういたしまして」 こうして大脱出劇は終わりを迎えた。 〜6〜 「チーフ、チーフ」 「ん?」 目を開けたら部下の顔が目の前にあった。 「お疲れでしょうが、今日は副司令の着任式ですので」 「ああ、ありがとう」 起こしてくれた部下にお礼を言う。 本音を言えば、人がせっかく良い夢を見ていたのに起こしやがってこの野郎!ってところもあるけれど、立場上式の最中に寝こけるわけにもいかない。 あとで軽い仕返しをするだけにとどめておこう。 ……シンジの夢を見ていた。シンジといっしょに逃げ出したときの夢。 半分以上わかっていたお遊びの脱出劇。でも、楽しかった。 あのあとシンジが訪ねてきてくれたこともあったけれど、私の状況はシンジや私の力ではどうにもならなかった。あれから、暗黙の禁止だったのが明確な禁止になってしまって、EUの外には一度も出られていない。 これはナイトを待つお姫様じゃなくて、いっそのことシンジにお姫様をしてもらって私が連れてくるしかないのだろうか? ……できたら苦労しない。 部屋に緊張した空気が流れる。いよいよか。 壇上に司令たち司令部のメンバーが現れた。 「え?」 みんな高級士官用の礼服を着ているけれど、その中に一人見知った顔があった。 「シ、シンジ!?」 「うん、ひさしぶり」 思わず立ち上がって叫んでしまった私に対して、司令たちの中でのんきに……してやったりって感じに楽しそうに笑っている。 「どういうことなの!?」 もう式なんてどうでも良い。どうせ、相手はこのバカシンジなのだ。 問いつめるために壇上に上がって詰め寄る。 「うん、アスカが日本に行くのはやっぱり無理だったから、僕が来ることにしたんだ」 「来ることにしたんだって……」 「僕だってできればアスカといっしょにいたかったさ、その方法はこんなことくらいしかなかったから」 「全く……本当にバカじゃない? いくらコネあったって大変だったでしょ」 「うん、かなりね。でも、アスカのところに来るためだから頑張ったよ」 バカシンジのくせに生意気な。嬉しくて涙が出てきちゃったじゃない。 「良いよね?」 「もちろんよ、いったん来たからにはもう離さないわよ」 パチパチパチと拍手をする音が聞こえてきてそっちを見ると司令が苦笑しながら手をたたいていた。 「話は聞いてはいたが、君たちはすごいものだね。いろいろと言いたいことはあるが、まあ今は不粋なことはやめておこう。おめでとう」 司令がそう言ったら会場中で拍手がぱらぱらとおこり、やがて拍手の大合唱になってしまった。 考えてみたら、なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうか……シンジのバカも真っ赤になっている。 そんな風になるならこんなことしなければいいのに本当にバカだ。 でも、その立場を手に入れたのも私のためにやったんだし、このいたずらは許してあげよう。 「ねぇ、シンジ」 「え? あ、なに?」 お礼と、そして私をこんな恥ずかしい目に会わせてくれたお返しに、みんなが見ている前でシンジのほっぺたにキスをしてやった。