……失敗だった。 今更後悔しても遅いけれど、どうしてこんなところを受けてしまったのだろうか? 昨日聖と祐巳ちゃんの間で起きた衝突……これからどうなっていくのかが一番楽しみなときなのに……今日は受験日で試験を受けに都外までやってきている。 バスのことも考えると……ここからリリアンまで上手く乗り継げても一時間半はかかってしまう。けれど、試験終了後の混雑を考えるとそれは難しいだろう。それでは、せっかくの美味しいところを逃してしまうことになりかねない。 と、なれば答えは一つ。最終科目はさっさと回答を済ませて途中退室で切り上げてそのまま帰るしかない。 「よし、決めた」 鞄から時刻表を取り出して、リリアンに放課後にちょうどつけるくらいのバスと電車にそれぞれ印を付けていく。 思ったよりもずいぶん厳しい。途中退室が何分から可能か次第と言ったところか……それを確認しようと受験要項を取り出そうとしたとき、ちょうど試験官が講義室に入ってきた。『面白い展開』
〜1〜 上履きを外履きに履き替えなければいけないというのは思いついたのだけれど、鞄も忘れてしまっていた。けれど昇降口と違って薔薇の館に戻るというわけにはいかず、そのまま帰ることにした。 どうせ、朝に取りに行けばいいし……あと甘い考えかもしれないけれど、同じクラスの志摩子さんが持ってきてくれるかもしれないというのもあった。 で、今は朝なのだけれど昨日の夜はお姉さまのことが腹立たしくて、なかなか眠れなかったから寝不足。 目をこすりながらどうしてこんなことにならなくてはいけないのかと、一つ増えた新しい理由にむかむかしていたのだけれど、これは逆恨みに近いだろうか? そうしていつもよりも遅めの登校になってしまったのだけれど……マリアさまの前に志摩子さんの姿を発見した。手に私の鞄も持って待っていてくれている。 わざわざこんなところで待ってくれていた志摩子さんを見て申し訳なくなってきてしまった。いつから待っていたかは分からないけれど、志摩子さんに荷物を持たせてしまった上に、普段よりも遅い私を待たせてしまったのだ。 「ごきげんよう、祐巳さん」 けれど志摩子さんは別に気にした様子もなくいつも通りに微笑みながら声をかけてくれた。 「ごきげんよう。ごめんなさい」 「いえ、お互いさまよ。私がそうなった時はお願いね」 「うん」 と答えて差し出してくれた鞄を受け取ったけれど、祥子さまと志摩子さんの間であんなことが起こるなんてあまり考えられない。 私もマリア様にお祈りをしてから二人で一緒に銀杏並木を歩いて教室に向かった。 「あ、そうだ、新聞部のイベントの話ってどうなったの?」 これは確認しておかないと……既に多数決では決まっていた。逃げ出したものに発言権なしなんてことにならないともかぎらない。 「祐巳さんの回答待ちの保留ということになったわ」 「そっか……」 保留といっても、私の了解を取り付けるまでの保留という意味なのだろう。けれど、新聞部が一日の保留の間にあんな手を使ってきたように私たちも何かできないものだろうか? 「ねぇ、志摩子さん。何か断る方法ないかなぁ」 「そうね……」 あごのあたりに右の人差し指を当てて考えてくれていたのだけれど、しばらくして「ごめんなさい」と申し訳なさそうに口にした。 昨日三薔薇さまたちが来る前にみんなで考えていたけれど、いい手は何も思いつかなかったのだし、そうそうすぐに思いつくわけもなかったか。 単に私がしなくても良い風にというだけなのなら、それこそお姉さまに変わってもらえばいいけれど……それじゃあ本末転倒に近い。どうしてお姉さまはそんな私の気持ちを分かってくれないのだろうか…… 〜2〜 祐巳を追いかけたけれど、出遅れたのと追いかけるのも全速力でという風にはならなかったせいで、結局捕まえられなかった。それはその時はなんであんなになってしまったのか分からなかったからだった。 理由について考えてみたけれど、ようはクリスマスの時と似たような感じなのではないだろうか? 確かに「デートくらいけちけちしないでちゃっちゃっとやってきなさい」なんて言ったのは無神経だったもしれない。 そのことは謝っておくべきだとは思うけれど、それだけであそこまでなるものなのだろうか? あたりが外れているのか、それとも他に何かあるのか昨日から考えているけれど、よく分からない……自分の席に座りながら溜息を一つ零した。 (分からず屋か……) 確かに、よく分からないのだから分からず屋なのかもしれないな…… 窓の向こうの景色はいつもと変わらないのだけれど、何となく沈んで見えてしまっている……面と向かって言われたこと自体もそれなりにショックなのかもしれない。 放課後になって薔薇の館に顔を出そうと向かったのだけれど、ちょうど祐巳のほうも志摩子と一緒にやってきたところで、薔薇の館の前で鉢合わせすることになった。 「ごきげんよう」 祐巳の様子を見たかったから、まずは挨拶から始めた。 「「ごきげんよう」」 向こうもこっちの様子を窺っているのか、挨拶はしたけれどなかなか話を切り出してこなかったので、さてどうするかと思っていたら、不機嫌そうにし始め「お先に失礼します」なんて言って一人で先に薔薇の館に入っていってしまった。 何あの態度は? 確かに私が悪かったかもしれないけれど、祐巳のためにもって考えていたし、そこまでされるほどのことはしてないはずだ。 「白薔薇さま?」 「志摩子、さっきの祐巳の態度はないと思わない?」 「え?」 同じように取り残されることになった志摩子に同意を求めてみたのだけれど困った顔をされてしまった。 何に困っているのかいまいち分かりかねるのだけれどいつまでもこうして入り口の前に突っ立っているわけにはいかない。「行こうか」と志摩子に言って私たちも薔薇の館に入ることにした。 祐巳以外に二階にいたのは、祥子と蓉子で黄薔薇ファミリーの姿はまだなかった。 「来たわね。まずはあの後のことについて話しておくわ」 そういえば、あの後三奈子たちが来たはずだけれど、どうしたのだろうか? いつも通りの椅子……つまり祐巳の横の椅子に座ってから聞くことにした。 「あの後新聞部の二人が来たけれど、全員の回答がそろうまで保留ということにしておいたわ。それと、誰がどうというのは言っていないわ」 「そっか、手をかけさせたね」 「それは構わないわ」 「誰がと言っていないなら、祥子あたりが頑固になっていると思ってるかな?」 「さぁ、けれど、その可能性は低くはないと思うわ」 そんな風に言われた祥子は不満を顔に出しているけれど、蓉子からあんな風に言われてしまっては黙るしかないだろう。 反対に三人のなかで一番簡単に折れそうだと思っていたのが祐巳だったのだけれど……実際にはその祐巳だけが首を縦に振らなかった。そしていまも横で私の方から顔を反らせている。 別に江利子みたいに面白いからとかそんな理由だけで勧めたわけじゃないのに、それだけで勧めたとでも思っているのだろうか? さっきの態度も態度だし、ちょっと腹立ってきた。謝ろうとも思っていたけれどそんな気は失せてしまった。 とはいえ、さすがに同じことをするわけにはいかないし、ここはちゃんと説明して説得するしかないかな。 「祐巳」 「何ですか?」 こっちを向かずに言葉だけを返してきた。 「別に私は江利子みたいに面白いからってだけで言ったわけじゃないんだよ。祐巳がこれから薔薇さまとしてやっていくなら、そうじゃない普通の生徒とどういう風に接していくのか、そういったことの練習にもな」 「そんなことは分かってますよ」 ぶっきらぼうに私の言葉を遮ってきたけれど、全然分かっているようには見えない。 相変わらずこっちを向こうとしないし、そっちがそう来るならこっちだって…… 「分かってるなら受けなさい」 「嫌です」 「頑固ね」 「……知りません」 「じゃあ、仕方ない。せっかくの機会、祥子や令が祐巳のせいで参加できなくなるのって惜しいし、祐巳が引き受けないなら代わりに私がやるわ」 やっとこっちを向いた。 「聖……」 「祐巳がやるか私がやることになるかは分からないけれど、三奈子にはそんな風に返事しておいてよ」 「………」 祐巳は何も言えずにただ私のことを睨んでいる。 「……断わっておくわ。確かにそんなに時間があるわけではないけれど、何もそんな風な形で意地を張る必要はないわよ」 「そっか」 三人分の足音が聞こえてきた。黄薔薇ファミリーは揃ってのご登場か……ドアが開いて三人が姿を現した。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう……今日は確か受験日じゃなかったかしら?」 「ええ、ちょうどさっき戻ってきたところよ」 今日は江利子の受験日の一つだったのか……昨日の続きが気になったから来たのだろう。 江利子が自分の席に座りながらここまで来るのが大変だったとか何とか言っている。大変だったら来なくても良いし、そもそもそんなところを受けたのが悪いのではないだろうか? まあ江利子のことだから相変わらずですまされてしまう話なのかもしれないな。 「それで、どうなったわけ?」 一通りここに来るまでのことを言い終わると蓉子に尋ねた。令と由乃ちゃんも昨日のこととそして普段とは違う今の部屋の空気がずいぶん気になるようだ。 「どうもこうも、聖が祐巳ちゃんがしないなら自分が代わりにやるなんて言い出すくらいよ」 「聖も相変わらずね」 「江利子には負けるよ」 「今は保留のままにしておいて、するべきことをしておきましょう」 「了解」 「……では、今日はお姉さま方が揃って来て頂いていますし、今までの復習をすることにします」 何か楽しく話をするという風な雰囲気でもないので、事務的な作業に取りかかることになった。 そうして一つ一つ今まで引き継ぎでやってきたことをやり直して私たちがそれを見るということになった。 それで、祐巳の作業を見ているのだけれど、最初に比べればずいぶん手際よくなってきている。これも努力の現われなのだろう。 「紅薔薇さまこれで良いでしょうか?」 私がそんなことを思っていると、出納帳をつけ終わった祐巳が横にいる私じゃなくて少し離れたところにいる蓉子にそれを見せた。 こいつ、人が折角感心しているのに、そういう態度を取るか……だったら、こっちだって取ってやる。 席を立って、黄薔薇ファミリーの方に行ってみる。 「こっちは何してるの?」 「あ……はい、発注書を作ってるんですけれど」 「ふむふむ、良くできてるじゃない」 「ねぇ、由乃ちゃんもそう思うよね?」 「あ…、は、はい……」 「あ、これ令がつけた出納帳? やっぱり祐巳よりも立派にできてるよね。流石って感じ」 側にあった出納帳を開けてそんなことを言う。当然と言えば当然なのだけれど……ここは敢えて言わせてもらう。 祐巳はじっと睨んできていたけれど、しばらくして「……紅薔薇さま、きちんと教えて頂けないでしょうか?」と蓉子にお願いをした。 〜3〜 参った。本当に参った。 あの態度はあんまりだと思った。けれど、自分たちで何とかできればと、しばらくそっとしておいて様子を見ることにしたのだけれど……どうして日に日に悪化していくのだろうか? 聖だけでなく祐巳ちゃんの方も聖の行動に反発して完全に意地になってしまったから、もうどうしようもない。 聖は令や由乃ちゃんに、祐巳ちゃんは私たち紅薔薇ファミリーにばかり話をふってくる。そして今日に至っては、祐巳ちゃんが私の隣に完全に陣取っていたし…… その上聖が黄薔薇に、祐巳ちゃんが紅薔薇にくっついて白薔薇が分断されてしまったのに引っ張られて紅薔薇と黄薔薇の間にも一枚壁ができてきている感じ。 二人のこともそうだけれど、このままだと山百合会自体が機能不全に陥りかねない……あのときそっとしておくべきだと言った江利子に今の状況を見てもう一度意見を聞いてみる。 「放っておくべきじゃなかったかしら?」 「さぁ……すぐに動いていたらこうはならなかったでしょうけれど、それが良いことかどうかは別の話ね。まあ、個人的には面白い方向に進んでくれたけれど……これ以上こじれたりしたら面倒そうね」 「そうね」 「で、どうするつもり?」 こうなってしまっては、私が動くことに反対はしないようだ。 受験のこともあるけれど、聖が仲良くしてみせるのは令と由乃ちゃんだから、江利子は微妙に立ち位置がずれている。その江利子からしてもという状況になったようだ。 「そうね。祥子から聞いたチョコレートのことを伝えようと思うわ、後は聖が自分で考えるでしょう」 「チョコレート?」 「ええ、祐巳ちゃんは聖にチョコレートを贈るために、がんばっていたようなのよ」 「良いんじゃない? それにしても、ちゃんと情報はあつめていたのね」 「もちろんよ。けれど、聖だけじゃなくて祐巳ちゃんの方も何とかしないと、聖のことだから変な衝突をしかねないわね」 「祐巳ちゃんか……」 祐巳ちゃんも完全に意地になってしまっているから、聖だけじゃなくて祐巳ちゃんの方も向きを変えなければいけないけれど、どうするのがいいか……方法だけならいくつもあるけれど、良いといえるようなものは特には思いつかない。そんな方法をとるくらいなら、聖の方だけしっかりとしてそっとしておいた方が良いかもしれない。 二人で何かないか考えていたのだけれど、しばらくして突然江利子の表情が明るくなった。 何か思いついたのだろうか? そう思ったのだけれど、すぐには口にせずに案を練っているのだろうかなにやら考えているよう……ずいぶん楽しそうなのにそこはかとなく不安を覚えてしまう。 「ねぇ、私良い方法を思いついたんだけれど。任せてもらえないかしら?」 ずいぶん自信ありげな表情で立候補してきた。 「自信、ありそうね?」 「ええ、少しね」 少しって感じじゃなく、にやりって感じで口元をゆがめる。 ……以前もこんなことあったっけ、離れた位置に立っている江利子だからこそ先が見えていたというが、何か私が思っているよりも上手い方法を思いついているのかもしれない。 「……そうね。祐巳ちゃんの方お願いできる」 「ええ、任せておいて」 何がそんなに楽しそうなのかは、例のごとく聞いても教えてはくれないのだろう……不安は残るけれど、今は聖の方に集中することにしますか。 これからどうするかを決めると帰路につくことにした。二人でこうして帰るのは久しぶりかもしれない。 「それにしても、本当は聖のお姉さまの仕事よねぇ」 「三年生と一年生の姉妹なのだからそれは仕方ないわ」 本当だったら他藩のお家騒動には口は出さないものだけれど、黄薔薇革命の時江利子が使い物にならなくなっていたのと同じようにお姉さまがいない状態が常なのだから悪化する方向に向かっていれば口を出さないわけにはいかない。 「と、言ってもあなたがお姉さま役までする必要はないのよ」 「……そうね」 〜4〜 今日も憂鬱げな気分で登校した。 もう今の時期、来る必要もないのだからいっそ休んでしまっても良いかもしれない。しかし、その理由が祐巳と喧嘩してしまっているからだなんてまるでギャグだ。冗談じゃない。 それにしても……反発されたらよりひねくれた行動を返してしまうのは相変わらずだとは思うけれど、祐巳もそうだったとは初めて知った。 祐巳の新しい面を見ることができたわけではあるけれど、これからどうしたものか…… そんなことを考えながら登校してきた私を待ちかまえていた人物がいた。もちろんそれは蓉子で教室で待っていた。理由は話があるからで、その内容は私たちのことに決まっている。 「白薔薇さまごきげんよう」 「ごきげんよう。昼休みで良い?」 分かっているなら……と思っただろう蓉子は少し溜息混じりに「ええ、良いわよ」と答えた。 「他にも何かある?」 「いえ、昼休みで良いわ」 「そっか、それじゃまた」 「ええ、また」 そうして蓉子は教室を出て行った。 鞄をおいて自分の席に座る。 蓉子がやってきた……このまま行けばどこかでくるとは思っていたけれど、その通りになってしまった。 昼休み、蓉子と一緒に空き教室にやってきた。 部屋中どこでも空いているのだから、別に場所はどこでもいいのだけれど教卓の辺りで話をすることにする。 「ここのところごめん、迷惑かけてる」 まず最初に謝ると、蓉子は苦笑しながら軽く溜息をついた。 「確かに迷惑しているけれど……私には謝れるけれど、祐巳ちゃんには謝れないのかしら?」 お説教が来ると思ってたからというのもあったわけだけれど……なかなか厳しい言葉が返ってきた。 「最初に謝れたのなら、祐巳ちゃんもあんなに頑なになってしまうことはなかったでしょうけれど、今更言っても仕方のないことね……ちなみに、どうして祐巳ちゃんがあんなに怒ってしまったのか分かる?」 「……デートくらいけちけちしないでちゃっちゃっとやってきなさい、なんて無神経なこと言ってしまったからでしょ?」 「そうね。けれど、あそこまで激しい反応をするとは思わなかったんじゃない?」 「まあ、それは今もだけど……蓉子は分かるの?」 「ええ。それは、それがバレンタインデーのことだったからでしょうね」 「バレンタインデーのこと?」 バレンタインデーのことと言われても分からなくてそのまま聞き返すと説明を続けてくれた。 「祐巳ちゃんにとって、聖の妹になって初めてのバレンタインデーでしょ?」 確かにそのとおりだけれど、やっぱり分からない。それがどうかしたのだろうか? 「それで、聖に贈るチョコレートを作るために令からレシピの本を借りていたそうよ。最近の引き継ぎのこともそうだけれど、あの子はずいぶんがんばりやだから、ずいぶんがんばっていたのでしょうね。それに、ひょっとしたら他にも聖のためにって何かしていたのかもしれないわね」 初めてのバレンタインデーか……私もお姉さまにチョコレートを贈ったけれど、そんなに深い想いが籠もっていたわけじゃなかった。あの時はまだお姉さまが私のことをあんなに想ってくれていたとは思いもしなかったから……けれど祐巳の場合は違ったわけか。 「それなのに、私が無神経な言葉を返してしまったわけか」 「そういうことね」 私が言った言葉は、私のためにって想いが強ければ強いほど腹が立ってしまうようなものだ。つまりあれだけの態度を取るだけ私のことを想ってくれていたってこと…… 「教えてくれてありがと」 「どういたしまして」 本当に蓉子がいてくれて助かった。嬉しいしありがたい……けれど、いつまでも蓉子に頼っているわけにはいかない。もういい加減に卒業しなくちゃな。 「そういえば、他にも話ってあるんだっけ?」 話を終えて教室を出ようとしたときに思い出して聞いてみた。 「一応あったけれど、やっぱり今は良いわ。それにちゃんと分かったなら必要のない話だし」 「そっか、ちゃんと考えてみるね」 「ええ」 午後の授業は自主休講にして誰もいない薔薇の館でよく考えてみることにした。 祐巳は私にチョコレートを贈ろうとしていたうえに、それ以外にも何かしていた可能性もある。それが熱心であればあるほど腹立たしかっただろう。 でも……単に謝って済む問題なのだろうか? 昨日の祐巳の態度を考えたら、それだけじゃないような気もするし、蓉子の言い方だと、私はちゃんと分かっていないと言うことになる。 的はずれな謝り方をしてしまったりしたら、いっそうこじれてしまうかもしれないから、話は単純じゃなさそうだ。 答えを誰かに聞けばすぐに分かるかもしれない。けれど蓉子が言わなかったのは自分で答えにたどり着けってことだし、確かにたどり着かなければいけない…… 「……まいったな」 全然思いつかない。私は本当に分からず屋のお姉さまなのだろうか。 〜5〜 掃除の時間、担当の音楽室の掃除をしながらこの前のことを考えていた。 ここは静さまのホームグランド……ここで静さまに想いをぶつけた。そして見事に勝利することができた。けれども、その結果に静さまの取り巻きは未だに納得できていないよう。 今のところは図書室に行きにくいくらいで、それ以上のことはないけれど、これから何か大きい支障が起きたりしないと良いのだけれど…… ここを掃除していて早めに来る合唱部員を見かけるってことは静さまを除いてあまりないのだけれど全く来ないわけじゃないし、鉢合わせになる前にとっとと帰ろうと思っていたのだけれど…… 「ごきげんよう、祐巳さん」 ご本人の静さまがドアを開けたらまさにちょうどそこに立っていた。 「ご、ごきげんよう……」 静さまは私に笑みを向けてきてくれている……勝負はあんな結果になったけれど、私たち姉妹についてどう思っているのだろうか? 選挙の意味合いが取り巻きの人たちと違うからこそ結果を認めたけれど、お姉さまへの想いの方はどうなのだろうか? 「……祐巳さん、私たちはお先に失礼させて頂きますわね」 目線で示し合わせて他のメンバーは私たちを残して去っていった。 そうまでされてしまったし……くるっと回れ右をして音楽室の中に戻ることにした。静さまも続いて音楽室に入ってくる。 「ねぇ、祐巳さん。白薔薇さまと喧嘩したと聞いたけれど本当かしら?」 静さまがふってきた話はそんな話だった。けれどどうしてそのことを知っているのだろうか? 新聞部がどこからか一件を聞きつけて押し寄せてこないかどうか不安だったけれど、結局来なくてほっとしていたのに…… 「誰から聞いたんですか?」 「黄薔薇さまよ」 「………またかい」 「え?」 「あ、いえ何でもないです」 小さくだったけれど思わず呟いてしまっていた。またしてもあの方か……なんだか私っておもちゃにされていないだろうか? 「祐巳さんも大変ね」 考えていたことが分かってしまったようだ。まあ、黄薔薇さまは静さまに対してもあんなことをしたから分かったのだろうけれど…… 「理由は聞かせてもらえなかったのだけれど、どんなことだったのか良かったら聞かせてもらえないかしら?」 と、聞かれたけれども、他の人とのデートをするのだなんて嫌だっていうのに全然分かってくれなくて、しつこく言ってきたから腹が立ったとか、そんなことをお姉さまに想いを抱いている静さまに話すのはどうだろうか…… そんな風に私が話すべきか否か悩んでいると静さまがとんでもないことを言い出した。 「そう、残念だわ。けれど、祐巳さんが白薔薇さまと喧嘩しているのだったら、白薔薇さまにチョコレートを贈るのに祐巳さんの了解はいらないかしら」 「え!?」 静さまがお姉さまにチョコレートを贈ろうとするのは別に驚く話ではないけれど、何でそういう風になるのかついて行けなくて声を上げてしまった。 「本当はきちんと了解をもらおうと思っていたのだけれど……喧嘩している最中の人からもらうのもおかしな話だし。それに、今ならひょっとして……」 「えええ!!?」 話がとんとん拍子に進んでいく。おまけに『ひょっとして……』っていうのは一体何だっていうんだ! 「ちょ、ちょっと待ってください!」 叫んだに近い感じで言ったらにやって感じの表情で「何かしら?」って返してきた。 「そ、その……」 止めさせられたのは良かったけれど、だからって何を言えばいいのだろうか? 「その?」 「お、お姉さまは渡せません!」 前にここで言ったことの繰り返し……今喧嘩中だったりするから、確かにそういうのも微妙かもしれないけれど、別にお姉さまのことが嫌いになったのじゃない。無神経なところに腹を立てているけれど、元々他の人とデートするのが嫌だってところから始まったのだ。 「あら? 喧嘩中なのじゃなかったかしら?」 「そ、それでもです!」 「喧嘩しているのに?」 「喧嘩しているからって嫌いになったとかそんなんじゃないし! お姉さまのことが……そ、その好きだから喧嘩しちゃったんだし!」 「そう、じゃあ早く仲直りしないとね」 「……へ?」 にっこりと微笑んでいる静さま。 ま、ま、まさか、最初からこれが狙いだったの? ……またしても静さまにしてやられてしまったとわかってへこんでいると少し声を出して笑われてしまった。 「伝えられたいことが伝えられたし、祐巳さんの方から何かなければ、これで話は終わり。そろそろ他の人も来てしまうから、早くした方が良いかもしれないわよ」 「そ、そうですね……ありがとうございました」 方法はともかくも仲直りさせようとしてくれたのだから、お礼を言う。 そして音楽室を出ようとしたのだけれど、最後の最後に一つ付け加えてきた。 「そうそう一つ言い忘れていたわ。私は鬼の居ぬ間になんてのが嫌なだけで、別にあきらめたわけじゃないからね」 「え……?」 何か言い返そう、聞き返そうとしたのだけれど、合唱部の他の人たちがこっちに向かってきていたからそのまま去るしかなかった。 私の姿を見た合唱部員は顔をしかめる……やっぱり彼女たちも静さまの取り巻きのメンバーだ。 またしても手の上で転がされてしまった私……本当に私が当選してしまって良かったのか、多少不安になってきてしまった。 でも、お姉さまは渡せない。絶対に。 あんな宣言をしてきた以上、静さまはお姉さまにチョコレートを贈るに違いないし、きっと何か仕掛けてくるはず。何とかお姉さまと仲直りしないと……… そう意気込んで薔薇の館にやってきたのは良かったのだけれど……入り口の前ではたと立ち止まることになった。 仲直りしないといけないけれど、どう仲直りをしたらいいのだろうか? 私が謝ればそれで仲直りできるかもしれないけれど、私が謝ってしまったら意味がないじゃないか……じゃあ、どうすれば良いのだろうか? 答えは出せなかったけれど、このまま立ち続けているわけにはいかないから、とりあえず中に入ることにした。 静さまと話していて遅くなってしまったから、全員がもう揃っていた。 お姉さまは……私の姿を見てなんだか、困っている様子。 「遅くなって申し訳ありません」 「構わないわよ」 自分の席……お姉さまの横に座った。 「それじゃあ祥子、進めて」 「はい。今日は来年度の各クラブの予算の草案について………」 祥子さまの司会進行で会議が進んでいく。 会議の中、けれどもやっぱりその会議の議題よりもお姉さまのことが気になってしまう……どう考えているのだろうか? お姉さまの様子を窺うと、ばっちり視線が合ってしまった。直ぐにお互い視線を逸らして前を向く。 お姉さまもということはお姉さまも私の様子が気になっているということか…… ……… ……… 結局、今日お姉さまと一言も話なせなかった。 一口に仲直りと言えば簡単そうだけれど、まさに『言うは易すし』……いったいどうやって仲直りをしたらいいものやら。 ……それにいったん仲直りしただけで、結局なんてことになってしまってはそれもどうかと思うし…… 「どうしたものかなぁ」 夜、自分の部屋で机に肘をつきながら考えているのだけれど、これぞってのはなかなか思い浮かばない。 「本当にどうしたものかなぁ」 ドアがノックされ、私の返事も待たずに祐麒が部屋に入ってきた。 「何か用?」 「用っていうか早くお風呂入れよ、何時だと思ってるんだよ」 時計を見ると……確かにもうずいぶん遅い時間になっていた。 「あ、いつの間に」 「……で、お姉さまはそんな机に向かわれながら、いったい何をお考えになっていらしたのですか?」 相談に乗ってくれようとしているのか茶化そうとしているのかどっちだ、こら。 「ねぇ、祐麒、仲の良い先輩と喧嘩して仲直りしようって思ったら祐麒だったらどうする?」 「……佐藤さんと喧嘩したのか?」 仲の良い先輩としか言っていないのにどうして分かる? 「他に候補いるのか?」 「……ごもっとも」 祥子さまや令さまも仲が良い先輩だという反論も考えたけれど、二人だったらこんなにも悩んだりすることはないだろうと自分で答えを出してしまったので言い返せなかった。 「そうだなぁ……でも、男子校の話を参考にしてもなぁ……というか参考にしない方が良いと思う。うん」 自分でそうだその通りなんてうなずいている。 多少お間抜けに見えてしまったけれど、確かにリリアンと花寺では先輩後輩って関係の形もずいぶん違うのだろうし、ちょっと相談相手にはふさわしくなかったか。 「まあ何でも良いから早くお風呂入れよ、ひとっ風呂浴びてから又考えれば?」 「あ、そうだね。そうする」 そうしてお風呂に入って戻ってきた。 とりあえず、できることは先にしておいてから……と明日の教科書を揃えていたのだけれど、明日のリーダー、全く予習をしていないことに気づいた。それに数学で明日までの宿題も出ていたんだった。 「ま、まずい」 冷や汗たらたらものである。 このままだと色々とまずい、もう日付は変わってしまっているっていうのに英和辞典をめくるはめになってしまった。どうやらgo to bedできるのはまだまだ先になりそうだ。 後編へ