〜1〜 期待の始まり いよいよ明日が二学期の学期末試験開始の日…… もちろん一生懸命追い込みのテスト勉強をしているのだけれど、いつもの私だったらもっともっと焦って、必死になってやっと万年平均点のはず。けれど、今回の私は今までの私ではないのだ! 「お〜い、祐巳さん」 声を掛けてきたのは蔦子さん……ま、まさか、声に出てた? 「いや、顔に出てた」 なんだ、そうだったのかとほっと一安心……それでも顔が赤くなるということは一緒だけれど、恥ずかしさの桁が違う。 声に出ていなくて本当に良かった。もし出てしまっていたら、まともにテストが受けられなくなってしまっていたことだろう。 「なんだか、随分自信ありそうね」 その理由を聞きたげな顔をしているけれど、蔦子さんなら話しても良いだろう。 「うん。お姉さまが、家庭教師をしてくれたの」 「なるほど、白薔薇さまがね」 お姉さま……話は二月ほど遡るけれど、学園祭前に起きた事件で、私は白薔薇さまである佐藤聖さまの妹になってしまったのだ。 色々と難はあるのだけれど、中間テストの時から家庭教師をしてくれている。お姉さまは三年生で、しかも学年トップクラス。そんなお姉さまのおかげで中間テストでは脱平均点ができた教科もあったとは言え、やはり私の地力は地力。けれど、この期末までには随分時間もあったし、今度こそ脱平均点を果たせそうなのだ。 「蔦子さんの自信のほどは?」 「そうね。いつも通り、悪くはないと思うわよ」 「そっかぁ」 「ところで、ちなみに祐巳さんって、無事に試験をクリアできたら、何か予定とかある?」 「予定?」 「初めての長期休みでしょう?」 蔦子さんが言うとおり、私がお姉さまと姉妹になったのは十月……終業式を挟んでの一週間の試験休みと二週間の冬休み。それが、姉妹になってから初めての長期休みなのだ。 「まだ、考えてなかったけれど、どうかなぁ」 「これから考えるのね。なら休み中は注意しておいた方が良いわよ」 「へ? 注意?」 「昨日、部室で勉強していたら、横から聞こえてきたのよね。休みの間の動向調査をするって」 写真部の隣の部屋と言えば、悪名高き、築山三奈子さま率いる新聞部の部室に他ならない。 「動向調査?」 「まあ、事件があればそれを追うのでしょうけれど、この場合はたぶんデートしているところとかを狙っているのでしょうね。そうすると、クリスマスなんかは勝負掛けてくるでしょうし、山百合会のメンバーなんかは特にターゲットにされるでしょうから、もし見つかってしまったら……」 「う……」 以前、妹になってすぐの頃デートの様子をスクープ記事にされてしまったのを思い出す。そんなの冗談じゃない。もう二度とごめんである。 それにしても、新聞部は試験直前に何をやっているのだ? カメラが恋人みたいな蔦子さんでさえ、部室にいたのは活動をするためじゃなくてテスト勉強をするためだっていうのに…… 試験休みはともかく、冬休み第一日目にあたる十二月二十五日のクリスマスはとても大事な日だ。 お姉さまと姉妹になって初めてのクリスマスということもあるけれど、それ以上に、その日はお姉さまの誕生日なのだ。 とは言っても、こういう時どういうプレゼントを渡したり、どういうことをしたらいいのだろうか? クラスメイトでもあるし、志摩子さんと一緒に薔薇の館に向かいながら少し聞いてみると…… 「クリスマス?」 「うん、どう過ごすとか考えている?」 志摩子さんも私よりもちょっと前に祥子さまと姉妹になった、できたての姉妹なのだ。 「クリスマスは、いつも通りミサに出るわ」 「ミサ?」 「ええ」 それはイヴにお聖堂で行われるミサという意味じゃなくて、もっとちゃんとした町の教会とかで行われるミサという意味なのだろう。 そう、志摩子さんは敬虔なクリスチャン。カトリック系の学園に通っているというだけの、お姉さま曰く、ちゃんぽんな私たちとはクリスマスに対する想いがまるで違うのは当たり前、どうやら聞く相手を間違っていたようだ。 「クリスマスか……」 と、いうことで次に聞いてみたのは由乃さん。薔薇の館に来てみるとちょうど一人だったので聞いてみたのだ。紅茶の入ったカップを両手で持ちながら、私が聞いた言葉を繰り返した。 「うん」 「私の場合は、いつもならお昼は令ちゃんとどっか出かけて、夜はクリスマスパーティーって感じかな?」 なるほど、島津・支倉両家合同でのパーティー。両家ではおきまりのパターンなのだろう。 それは、きっと二人の誕生日も同じだろう……そんな風に思っていたら、カップを置き、にやにやって感じの笑みをこぼしてきた。一体どうしたというのだろうか? 「でも、今年は令ちゃんと二人で泊まりがけで旅行なのよ」 曰く、遊園地に二人で泊まりがけで遊びに行くのだそうだ。 両家でというのが多いというのもあるけれど、元々由乃さんは体が体だったから、二人だけで泊まりがけでどこかに遊びに行くなんてのは初めて、それだけに嬉しいのだろう。その後延々とのろけ話を聞かされることになってしまった。本当に延々と……正直おなか一杯です、はい。 志摩子さんの方を見てみると、彼女もノリノリでのろけ話をしている由乃さんを止めるのは気が引けるけれど、かといってこのまま聞いているというのも少し弱ってしまったといった感じだった。こんなことに巻き込んでしまって申し訳なかった。 由乃さんのことなのだから目の前に迫るテストからの現実逃避ということはないだろうけれど、それにしても一体いつまで続くのだろうか…… 「何? どうかしたの?」 「あ……うん、由乃さんはやっぱりテスト自信あるのかなって」 「……あっ」 のろけ話を話していて少し酔ったような感じがあったのが、いきなり現実に引き戻されてしまったようで、面白いように顔をゆがめてしまった。正直にそのまま言うわけにはいかず、そちらの方を聞いてみたのだけれど……その表情は何? 理由を聞くと、秋に休んでいた分、勉強が大幅に遅れてしまっているということだった。それもそうか、至極当然のことである。それで、今日は令さまに教えてもらうことになっていたのだそうだけれど、すっかり忘れてしまっていたとのことである。 思い出させてくれてありがとうと言って、一目散に帰って行った。 「……いいなぁ」 二人で泊まりでお出かけするのというのと、お姉さまが文字通り側にいるということ両方。何となく呟いただけだったのだけれど「そうね」と志摩子さんが相槌を打ってくれた。やはり同じ妹として、その辺りのことはうらやましいのだろう。 「志摩子さんまで由乃さんの話に付き合わせちゃってごめんね」 「別に構わないわ」 志摩子さんはそう言って微笑んでくれた。 「ちなみに志摩子さんってテストの方はどう?」 「いつも通りだと思うわよ」 テストについていつも通りという人は多い。いや、むしろこのリリアンでは私や由乃さんのようにそれまでと大きな違いがあるという人の方が少ないのかもしれない。 〜2〜 『いばらの森』 ついにやってきた試験第一日目。 よし大丈夫。最終チェックをしているけれど間違いなくいつもと違う。ちゃんと私の頭の中にキーワードが入っている。これなら、思っていたよりも良い点数が取れるかもしれない。 ひょっとしたら、脱平均点どころか……と、いけないいけない。昨日蔦子さんに突っ込まれたし、また赤っ恥をかくわけにはと、パンパンと軽くほおを叩いて顔の筋肉を引き締める。 そんな、きっと周りから見たら訳の分からない行動をしていた時、私の耳に「白薔薇さまが……」という単語が飛び込んできた。 (お姉さまが?) 普段からその呼び名を耳にする機会はもちろん多いけれど、その響きがいつものピンクのハートマーク付きのものじゃなくて、もっと秘密めいた雰囲気をたたえていたせいで、気になってそちらを向くと……桂さんたち数人の生徒が固まってひそひそ話をしていた。けれど、私と目があうとすぐに気まずそうにしながら散り散りになっていってしまった。 私に聞かれるとまずい話だったのだろうか? お姉さまがらみで……それに、桂さんまでいったい何なのだろうか? とは言え、桂さんは先ほどまでの話の対象だったのかもしれない文庫本から参考書に持ち替えているし、何の話か聞くのもためらわれ私も目の前にテストに集中することにした。 テストを無事に終わらせて帰る。同じようにテストを終わらせた生徒が大勢歩いている。 良くできた人、いつも通りの人、あまりできなかった人……破滅的なできな人。雰囲気を見ていると何となく分かるところがある。私はその中で、かなり良くできた方に入るだろう。本当にできたという自信がある。もちろんそれは私基準での話だけれど…… 「あ、ゆみ〜」 私の名前を呼んだのはお姉さまだった。お姉様も同じようにテストを終わらせて帰るところ。 「あ、お姉さま、ごきげんよう」 「ごきげんよう。どう? できは?」 「はい、お姉さまおかげで良いと思います。ありがとうございました」 本当にお姉さまに教えてもらった成果が現れていた。それに、張ってもらった山が当たった教科は私基準でなくても良い点数が取れているかもしれない。 「そっか、それは良かった」 「お姉さまの方は?」 「ん、いつも通りかな?」 私の家庭教師をしてくれていたけれど、いつも通り学年トップクラスということか、やっぱりすごい人だ。 「あ、そうだ。お姉さま、二十五日って予定はいかがですか?」 「二十五日ねぇ……それって私の誕生日を祝ってくれるってことかなぁ〜? いや〜嬉しいねぇ〜」 なんて言いながら右手を私の首に回してきた。ってちょっと今日はこもっている力が強い。 「く、くるしいです」 「ああ、ごめんごめん。誕生日プレゼント期待して良い?」 解放してくれながらそう聞いてきた。それはOKということ……だからさっきのことは置いておいて「はい」と弾んだ声で返した。さっきの回してきた手も力がこもっていたし、お姉さまも喜んでくれているのだろう。 初めてのクリスマス、お姉さまの誕生日は一緒に過ごせることになったのだ。 いけないいけない。二十五日のことを考えていたら、顔が緩みきってしまっていた。 ここは私の部屋だけれど、時々祐麒とかが入ってくるし、もし、テスト勉強をしながらにへらにへらしている姿を見られてしまったらなんと思われるか…… それに、いくらお姉さまのおかげで、普段よりはずっとできているとは言っても、最後まできっちりと詰めないといけない。もし、お姉さまとデートの約束をしてしまったせいで最後の追い込みができなかったとなったら、一体どう申し開きすればいいやら…… ここは踏ん張って、と意気込んでテスト勉強を再開させる。 けれど、それは三十分も持たず、また…… 試験第二日目も、良い感じでできた。 昨日あんな感じだったからちょっと冷や冷やしたところもあったのだけれど、上手くいって良かった。 そして、明日も良い感じにと、ちゃんと勉強するべきなのだけれど……今、帰りに買ってきた文庫本を読んでしまっている。 『いばらの森』……試験期間にもかかわらず、リリアンの一年生中で話題になっている本で、お姉さまの自伝的小説だという噂なのだ。 読んでいって本当に驚いた。お姉さまから聞いていた栞さんとの話と酷く似ている。伝聞でしか知らない人たちがこれを読めば『須加星=佐藤聖』を思い浮かべるのも無理はない。けれど、それには決定的な問題がある。 まず、結末が違う。栞さんは現れなかった……お姉さまは、二人で逃げ出せなかったのだ。そして何より、お姉さまはこの問題をおおっぴらにできるはずがない。 なら、もう一人の主役の栞さんが書いた。その可能性はゼロとは言い切れないけれど、きっとないだろう。お姉さまと同じく栞さんも深く疵付いたはずだから…… では、この『いばらの森』は誰が書いたというのだろうか? 「ゆ〜み。いい?」 ノックと同時に祐麒が入ってきた。相変わらず返事を待つということを知らないようだ。 「そんな難しい顔して試験やばいの?」 すごく心配そうな顔、弟よ姉を心配してくれるとはなんと良いやつなのだ。ただ、そうではないので多少気が引けてしまう。 「ん……、違う。お姉さまのおかげで結構良いと思う」 「じゃあ、何?」 「……この本誰が書いたのかなって」 「……余裕だな」 一転して呆れ顔になるわが弟。余裕というわけではないけれど、文庫がこの部屋にあるのに読まずにいられるほど意志が強くないんだよ、お姉さんは。 「で、そっちは、何の用?」 「ああ、古語辞典かして」 「いいけど」 明日は私も古文の試験があるということで交換に祐麒の古語辞典の方を私が借りることになった。 そして、祐麒が出て行ったあと、いい加減にとは思いつつも、相変わらず意識は『いばらの森』の方に飛んでいた。 クリスマスイヴの夜の話は…… 「あっ!」 今気付いた。須加星がお姉さまじゃないのは確か……でも、お姉さまが去年栞さんとすごく悲しい結末を迎えたのも事実なのだ。 そして、その日は同じ十二月二十四日の夜……それはお姉さまの誕生日の前日、クリスマス・お姉さまの誕生日とデートが決まって浮かれていたけれど、お姉さまは去年のことをどう思っているのだろうか? 由乃さんから電話がかかってきた。 わざわざかけてきたのはもちろん、『いばらの森』のこと。 『ごめんなさい、夜分遅く。でも、祐巳さんの意見が聞きたくて……』 「どうしたの?」 『令ちゃんがね。この件から手を引くなんて言い出すから……』 それは、令さまはお姉さまが須加星だととったのだろう。令さまは伝聞でしか知らないけれど、その割には知っている方だ。だからこそ、自分の出した答えが怖くなったのだろう。 由乃さんも、令さまがそんなだからいっそう不安になってしまっている。 『妹の祐巳さんなら、わかるんじゃない? 須加星が白薔薇さまかどうか』 「うん。確かに話は似てるけれど、お姉さまじゃないよ」 アレはお姉さまと栞さんの話じゃない。だからそうはっきりと答えた。 『そっか……じゃあ、作者はカホリなのかな?』 「う〜ん、違うと思う」 由乃さんは書いた人がお姉さまかどうかということで否定したと取ったようだけれど、そういうことじゃないと思う。 とは言っても、では誰が書いたのかという疑問は残ってしまう。そのことを中心に話をしていたのだけれど……結局のところ、私たちが持っている情報とおつむでは何かちゃんとした結論が出るわけじゃなかった。 「私たち、何をしているんだろう」 私たちだけでは答えが出せないと分かり切っている話……そんなの少なくとも、テスト期間中に長々と長電話をするようなことではない。 『そうだね……ラスト一日、試験がんばろう』 「……うん」 二人とも冷めて、落ち込んでしまった声で言葉を交わして受話器を戻す。 今、考え込んでいても仕方がない。私の目前にあるのは最終日のテスト……すべてはそれが終わってから考えよう。 〜3〜 イヴ……運命の日 二学期の成績はいつも通り……去年の二学期の成績とは雲泥の差だ。あの時きちんといつも通りの成績を取っていればと、何度後悔したことだったか……学園長の終業式のお話を聞き流しながらそんなことを考えている。 こういった式で話されるようなおきまりの話を真剣に聞く気はないけれど……あの人はあの時私が栞に抱いていた気持ちに唯一気づいた人だった。 試験最終日に職員室に行ったら、そのまま生活指導室に連行されて「いばらの森」のことを聞かれてしまった時も、私が違うと答えたらすぐに信じてもくれた……さすがと言うべきなのだろうか? それにしても、一週間前の試験の終わりには一年生は「いばらの森」の話題で持ちきりだったらしいけれど、試験休みを挟んだのと、これからは冬休みってことでそれほどでもないようだ。 いっそ、あの時放送で呼び出されてたりでもしていたのなら大事になっていたかもしれないけれど……それにしても新聞部が動いていないように思えるのが、ありがたいけれども多少気になるな。 私でもドキリとしたような内容……三奈子が飛びつかないはずがないと思うのだけれど……蓉子あたりが先手を打っておいてくれたのだろうか? 『また来年、始業式で皆さんの元気な姿を見られるのを楽しみにしていますね。それでは、良いお年を』 学園長の話はどうやらこれで終わるようだ。 終業式が終わった後、私は蓉子と江利子と一緒にお聖堂に向かった。クリスマスイヴ恒例のミサ。去年は栞に会うために出た。今日は特に目的があっての参加ではないけれど、この後、薔薇の館でクリスマスパーティーをするし、それまでの間という感じで参加してみることにした。 そして折角だしということで、お聖堂に向かう途中、蓉子に明日の祐巳とのデートについておすすめの店がないか聞いてみることにした。 「蓉子、何か良い店教えてくれない?」 「良い店ね……祐巳ちゃんと?」 「そ、明日ね」 「そう……どんな店が良いかしらね」 去年のことを思い出したのだろう。一瞬蓉子の表情に複雑なものが浮かんだけれど、すぐに私が聞いたことについて考え始めてくれた。 「この前、面白そうな店を見つけたけれど、そこはどう?」 デートコースを考えてくれている蓉子と、聞いていないけれど答えてくれそうな江利子。正直な話、江利子が『面白そう』と言うような店は祐巳と一緒に行くには向かない気がするけれど、せっかく言ってくれようとしているのだし聞くだけは聞いてみようか。 「一応、聞いておくけれど、どんな店?」 「なんだか、とげがある言い方ね。まあいいわ。この前上の兄貴に連れて行かれたんだけど、面白いショーをやっていて、美味しいお酒が」 「ヲイ」 「江利子」 酒という単語が出たところで、二人で同時に突っ込む。祐巳に酒を飲ませるつもりなのか、こやつは? しかし、江利子は「何よ、突っ込むなら突っ込むでもっとちゃんとしなさいよ、こんな風に」と言ってつっこみの素振りをやってみせるなんて反応をしてきた。いつから漫才師志望になったのだ? あいかわらず、いつの間にかよく分からない技能を身につけているものだという視線が二人から注がれる。 「まあ、置いておいて、祐巳ちゃんとなら……そうね」 蓉子がその中から適当にピックアップすればどうかと、K駅周辺のいくつかの店を教えてくれた。その中には、私も行ったことがある店もあったけれど、そうでない店もある。そうだな……行ったことがない店を中心に回るみたいな感じでちょっと考えてみるか。 お聖堂に到着すると前の方の席を人数分・八席取って座る。 しばらくすると祥子と令がやってきたから手を振ってこちらだということを教えてあげた。さらに少しして由乃ちゃん、そして最後に祐巳と志摩子たちがやってきた。 「ゆみ〜」 「あ、お姉さま」 「席あるから座って座って」 と隣の席をポンポンと叩くと、「はい」と答えてその席に座った。 そして、ミサが始まるまで明日の話をしようとしたのだけれど、すぐに始まってしまってできなかった。 カメラちゃんを捜しに祐巳と二人で薔薇の館を出た。 今日なんかは姉妹の儀式が盛んだからきっと今頃どこかで写真を撮りまくっていることだろう……けれどそれ以上に普通は撮ることができない山百合会のクリスマスパーティーなんて彼女にすれば垂涎ものなんじゃなかろうか? 「そういえば、成績どうだった?」 カメラちゃんの下駄箱をのぞき込んでもらっている祐巳にそう聞いてみると、嬉しそうな笑みが最初に返ってきた。それだけでよかったということが分かる。まあ、テストが良かったみたいだから当然の結果だけれども。 「お姉さまのおかげですごく良かったです。ありがとうございました」 弾んだ声でお礼を言う。「祐巳ががんばったからだよ」と言って、久しぶりに祐巳の頭をなでなでとしてあげる。 「これからもがんばるんだよ」 「はい」 「それで? カメラちゃんは?」 「外履きはまだありました」 「やっぱりまだ校内にいるか、それじゃ捜そう」 たぶんマリア様の前やお聖堂などロザリオの受け渡しが行われる定番の場所のどこかにいるだろう。昇降口を出てそれらの場所に向かいながら、今度は明日の話をしておく。 「祐巳、明日なんだけど」 「あ、はい」 「十時にM駅前ね」 「M駅前ですか?」 「うん、遅れたら、くすぐり回しの刑ね」 「う……」 面白いように顔をゆがめる祐巳。そういう面白い反応をするからついつい意地悪をしてしまいたくなってしまうんだよ。 そんな話をしながら歩いていたら、スキップしながらこちらにやってくるものがいた。都合が良いことにちょうど私たちが探していた本人だった。 「カメラちゃ〜ん!」 「あ、白薔薇さま、ごきげんよう」 弾んだ声、さっきのスキップもあるし、どこから聞きつけたかは知らないけれどビンゴのようだ。 「探してたんだけど、これから来てくれるんでしょ?」 「はい、もちろん」 こうしてカメラちゃんと一緒に薔薇の館に戻ることになった。 〜4〜 クリスマス・デート いよいよやってきた。クリスマス…… お姉さまへのプレゼントも用意したし、新しい余所行きを着たし私の方の準備は全然問題ない。 でも、一年前のイヴの夜、お姉さまはこの駅で栞さんを待ち続けた……よりにもよって待ち合わせ場所にこんな所を指定してきたお姉さま。いったいどういうつもりなのだろうか? 昨日のクリスマス会は単に楽しんでいるという形に見えたけれど、私なんかとは違うからそのまま素直に受け取るわけにもいかない。 お姉様は一体どんな様子でここに現れるのだろうか…… それにしても、もう結構待ったような気がするけれど、今は何時だろうかと、時計台の方を振り向こうとしたとき、突然何かが飛びかかってきた。 「ぎゃうっ!」 「だから、『きゃ』位にしておいてって言っているでしょ」 もう慣れてしまっているから誰なのか分かるし、そもそもこんなことをするのは一人しかいない。 「おはよ」 「おはようございます」 とりあえず朝の挨拶を終えると首に回していた腕をはずして解放してくれた。 「あれ? それ、おニュー?」 それ、とは私が着ている服だろう。 「あ、はい」 「ふ〜ん、良いじゃない。似合っているよ」 「ありがとうございます」 服装のことに話が飛んだし、とお姉さまの服装を見てみると着ているコートには見覚えがあるけれど、首に巻いている白いマフラーには見覚えがなかった。 「お姉さまそのマフラーは?」 「ああ、これ? 蓉子からの誕生日プレゼント、手作り良いだろ〜」 いや、いいだろ〜と言われても困るのだけれど、昨日のクリスマスパーティーの後にでも渡していたのだろう。 思わぬ攻撃に忘れかけてしまっていたけれど、今日はお姉さまの誕生日。私も誕生日プレゼントを作ってきたのだ。 「お姉さま、誕生日おめでとうございます」 私からのプレゼントを手提げ鞄から取り出して渡す。 「開けて良い?」 「はい」 プレゼントは手編みの手袋……紅薔薇さまと被らなくて良かった。 お姉さまは白薔薇さまだから、ロサ・ギガンティアをかたどった柄を入れたくもあったけれど、私の技術では到底不可能。で、白一色で作ることになった。 「手編みの手袋か、ありがと。早速使わせてもらうね」 していた手袋を脱いで、私の作った手袋を早速嵌める。 「ふんふん、ちゃんとできてるじゃない。サイズもちょうど良いし」 良かった。特にサイズについてはちょっと不安だったのだけれど、ちょうど良くて良かった。 電車に乗ってK駅へ……M駅もだったけれど駅前はまさにクリスマス色に染まっている。 「K駅ですか」 「そ、行くわよ」 たくさんの人が行き交うそんな駅前通りを歩き、一つのアクセサリー店に到着した。行く店についてはあらかじめ決めてくれていたようで、一直線にこの店を目指していた。 店の中に足を踏み入れると店の中に並んでいる色とりどりのアクセサリーが目に飛び込んできた、どれもこれも綺麗で目移りしてしまう。 とりあえず、手短な棚に並んでいるものから見ていくことにする。 並んでいるビーズのアクセサリーは値段も安いし、買おうかなぁ……とは言え、あれもこれもとはいかないから、大変だ。 「よかったら一つ買ってあげるよ」 「え? ホントですか」 「うん、ホント」 「ありがとうございます」 「じゃあ、どれにする?」 「う〜ん……」 買ってもらえるというのはすごくうれしいのだけれど、買ってもらえるのはたった一つだけ……これは自分で買う以上に大変だ。 この辺りだけで考えたって、一つに絞るのは大変……例えば、なかなか良いかなって思ったこの蝶々の形のブローチにしたって、色の組み合わせが一体いくつあるやら…… アクセサリーを前に唸っていたら、ふとガラスにお姉さまの楽しそうな顔が映っているのに気付いた。 やられた。あの顔は私の様子を観察して楽しんでいる顔。お姉さまは私が一つに決められないことを見抜いて、あえて一つ買ってくれるなんて言ったのだ。 「お姉さま」 とは言え、買ってくれるというのは嬉しいわけで、微妙な感じで非難が混じった声を掛ける。 「ああっもう気付かれちゃったか、でも、祐巳は一番ほしいアクセサリーを買ってもらえる。私は、祐巳の楽しい顔を見ることができる。どっちもお得なんだから良いでしょ?」 確かにそうなのかもしれない。けれど、そんな風に言われてしまっても不満が残ってしまうものだ。よし、ここは一つ…… 「この色とこの色どっちの方が良いと思います?」 一人でうんうん悩んでいるのはやめにして、お姉さまにもふってみることにした。 「え? この二つか、う〜ん……」 二つを手に取って、じっくり見比べたり私につけさせたりしているけれどなかなか決められない。 最後にはどっちも同じくらい良いんじゃない? とちょっと投げやりに返されてしまったけれど、してやったりと言ったところだ。 「他はどう?」 「そうですねぇ……」 しばらくの間二人で楽しくアクセサリーを見ていたのだけれど、お姉さまがなにやら難しそうな顔をしはじめた。 「……」 「お姉さま?」 「しっ」 そっと人差し指を唇にあてて、静かにするように伝えてきたので、「どうかしました?」と小声で聞くことにした。 「……あそこの二人、どう見る?」 お姉さまがそう言う二人とは、店の反対側でアクセサリーを見ている二人……一人は知らないけれど、もう一人の髪を七三に分けている彼女には見覚えがあった。たしか山口真美さんと言ったか、新聞部部長の築山三奈子さまの妹で、もちろん新聞部部員。 そうだった。試験前に蔦子さんが教えてくれていたのだった。 この店で網を張っていたのだろう。いきなり網が張られている店に入ってしまうなんて、ついていない。それとも、来そうな店としてのあたりが正確だったのか……いずれにせよ、お姉さまが気付かなかったら、間違いなく私たちのことがまたスクープされてしまっていたところだ。 「三奈子さまの妹です……」 「……そか」 楽しい雰囲気は一気に重くなってしまった。 「出ましょうか?」 「そうするか」 買ってもらえないのは残念ではあるけれど、三奈子さまの妹がいる店なんてさっさとおさらばすることにする。 「前に蔦子さんが、新聞部がクリスマスは網張るって言ってました」 「そっか、なるほど、危なかったな」 私たちが店を出たのに気付いて、二人も私たちに続いて店を出てきたのだろう。しばらくして後ろを振り返ったら少し距離を開けてつけてきていた。 「……つけてきてますね」 「う〜ん、どうやって巻こうか」 真美さんがどんな人なのかはほとんど知らないけれど、あの三奈子さまの妹。一筋縄ではいくまい。 「よし、ここはあそこに入ろう」 お姉様が言ったあそことは駅前の百貨店……こんな所に入ってどうするつもりなのだろうか? 売り場の海を駆け抜けて攪乱でもするのかと思っていたら、行き先はエレベーターホールだった。 なるほど、さすがはお姉さま。これに私たちだけが乗り込めれば、二人から逃げることができるという寸法だ。 上の階行きのエレベーターに乗り込む。意図に気付いた二人が慌てて走り込んでこようとしたけれど、お姉さまがエレベーターガールのお姉さんに「ちょっと失礼します」と言って『閉』のボタンを押す。 「残念だったね」 お姉さまが手を振り、二人が乗り込む寸前でドアはピシャリと閉まった。最後の瞬間の二人の悔しそうな顔が印象的だった。 途中の階で降りる。これで私たちがどの階にいるのか分からなくなってしまったわけだ。 そして階段を使って一階に下りたけれど、そこに二人の姿はなかった。今頃この百貨店の中を必死に探しているのかもしれない。 「上手く行きましたね」と声をかけるとお姉さまはピースで答えた。 アクセサリーは買ってもらえなかったけれど、あの二人を巻くのは楽しかったからまあいいとしようか。 〜5〜 逃亡者 何なのだろうか、またしてもさっきから妙な視線を感じる。 それらしき人間はと辺りを見回してみると……いた。 ここはお昼を食べるために寄った大きな道から少し離れたところにある洋食屋。これで三件連続か……いくらめぼしいところに網を張っていたとしても、ちょっとどうだろうか? 「お姉さま、どうしました?」 そんなことを考えながらオムライスをこねていたら、祐巳に聞かれてしまった。 「柱の近くの子見覚えない?」 「えっと……ちょっと見覚えないですけれど」 「ふむ」 私の名簿に載っているのは三奈子くらい、祐巳はそれに少し足したくらいだろうけれど、新聞部をちゃんとカバーするには不足している。その辺りのメンバーか? ネタにされたくないとは言え、頼んだものをほとんど食べずに席をたつわけにもいくまい。ここは我慢するか…… 「ちゃっちゃと食べて、出よう」 「……はい」 スパゲティーが美味しい店とのことだったけれど、横のテーブルの人が食べていたオムライスが無性に美味しそうに見えたから私はオムライスを頼んだ。実際に美味しかったけれど、あんなのがいてはそのおいしさを楽しむなんてできない。 気分を害されたのは祐巳も同じ、最初は「美味しい」と言っていたけれど、不快感が顔に出てきている。 それからはほとんど無言で食べることになった。 そして私たちが席を立ってすぐにさっきの子も店から出てきた……確定か。 「さて、どうするか」 「お姉さま……」 「そこの路地行こうか」 「はい」 路地に入ってすぐにダッシュ、ビルとビルの合間を駆け抜ける。 そして、曲がり角を回って…… 「げっ!」 思わず叫んでしまったのは袋小路にはまりこんでしまっていたから…… 壁の向こうは民家、塀の高さは乗り越えられないほどではないけれど、祐巳はどうだろうか? いや、私が引っ張り上げてあげればいけるか? なら行くしかない。 「行くわよ」 「え? 行くって?」 ジャンプして塀に手をかけ、後は腕の力で自分の体を引っ張り上げる。 上に立って、右手を祐巳に向かって伸ばす。 「祐巳、早く!」 「え? え?」 「祐巳! 私の手をつかんで」 「は、はい!」 手をつかんで思いっきり引っ張り上げる。 「お姉さま何を?」 塀の上に立つのは怖いのか、しゃがんで手をついている祐巳はこの段階でもまだ意味がよく分かっていないようだ。 「こうするのよ。おじゃましま〜す」 盆栽が並んでいる段々棚を足場に降りさせてもらう。 私が降りきってもまだ祐巳は塀の上にしゃがんだままだったから、「さっ、祐巳も早く」とせかすと、「お、おじゃましていいのかな……」とずいぶんびくびくとしながらだったけれど、祐巳も下りてきた。 塀のブロックに空いている穴から、ちょうど角を曲がってきたさっきの子の姿が見えた。どうやら間一髪だったようだ。 「さ、行こうか」 その家は留守だったようで、特に何もなく通りに出れるかと思ったのだけれど、正面に犬がいた。 茶色の中型犬。どこにでもいそうな犬ではあるけれど……ここにはいてほしくはなかった。 うなりながら私たち侵入者を睨み付けてくるこの……犬小屋に書かれた名札によるとポチというあまりにもお約束な名前の犬が私たちの前に立ちふさがっている。 「お、お姉さま……ど、ど、どうしましょうか?」 どうすれば良い? ふと、この前テレビでやっていた泥棒の手口として犬対策に餌をやって黙らせるというのがあったのを思い出した。 何か餌になるようなものはなかったっけ? とポケットを探ると……チョコレートとあめ玉しか出てこなかった。 (ああ、だめだなこりゃ) そして予感通り思い切り吼えられてしまった。こうなったらもう一つしか手はない。 「逃げるよ!」 祐巳の手を引っ張ってポチの前から逃げ出す。 「ひ〜ん」 大して怖い犬じゃないけれど、人が集まってきたりしたら大事だ。 しばらく走るとポチの鳴き声も聞こえなくなった。きっと今あの忠犬は賊を追っ払ったとさぞ得意げなことだろう。 とにもかくにも、なんとか大通りまで辿り着き二人揃って安堵の息をつく。 「た、助かったぁ……」 ちょっとさすがに危なかったなぁ……しかし、改めて考えてみれば、なぜこんな風に逃げなければいけないのだろうか? 私たちはやましいことなんか何もしていない。むしろ、さっきの行動の方がまずいくらいだ。 同じ逃げるでも、犯罪者が警察から逃げるというのとは違うのだからもっと堂々としていても良かったかもしれない。 まあ、気を取り直して次の店に…… 「ん?」 「お姉さまどうかしました?」 なぜか、すぐそこの露天が気になった。 特に変哲もない、どこにでもありそうなアクセリーを並べただけだけれど、なんだろ? 一つ一つの商品に視線をとばしていくと……少しびっくりしてしまった。 見覚えのある白いリボンがその中に並んでいたのだ。 そう、あれは今年の始め。冬休みが終わりかけていた頃だったっけ…… 〜6〜 白きリボン 栞との別れからもう二週間……とてつもなく長い期間だったような気もするし、まさに一瞬だったような気もする。 その後者の理由は…… 「聖、あの店に入ってみましょうよ」 お姉さまが私を連れ回してくれているから、お姉さまだけじゃない。蓉子も……蓉子は家に泊まったり泊めてもらったりってことも何度もあったくらい。二人が私を一人にしないでくれて、一人にさせてはくれないから…… 店の中にあった鏡に映る私の髪……前者の理由はもちろん栞のことを考えているから、そしてこの栞と同じように長い、栞の髪と絡み合った髪は栞のことを思い出すには十分すぎるほどのきっかけだ。 一人になったときは、栞からの手紙を読み返し、この髪を見ては栞と別れたという心の傷に胸をえぐられている。そして私を捨てた栞を恨みさえもする。 それが分かっているからこそ、二人は私を一人にはしてくれないのだろう……あれからどれだけ一人の時間があったのか、どれだけ一人でない時間があったのだろうか? こんな栞に捨てられてしまった私なんかのために二人はどうしてここまでしてくれるのか? 「聖にはこの帽子が似合うかしらね?」 私のための帽子を選んでくれているお姉さま……私の顔を見ていたいからという嘘の理由で私を妹にしてくれた……どうしてあんなことをしてまでも? それを聞いてみたら「私は聖みたいな子を放っておけないのよ。それが可愛い子だっていうのならなおさらでしょう」という答えが返ってきた。 「きっと、蓉子ちゃんもね。私たちは聖を放っておくことができないのよ」 それは、私の内側を見ようとしてくれていた。見てくれていたからこその言葉だった……最初からそうだったのだ。 「聖、ちょっと見ていきましょうよ」 お姉さまがそう言ったのは露天で、色とりどりのアクセサリーが並んでいる。 「このリボンどう?」 そう言ってお姉さまは白いリボンを手にとって私に見せてくれた。 綺麗な品で、なかなか良い感じ。 「綺麗ですね」 「そう、じゃあこれ買ってあげましょうか?」 確かにそう答えはしたけれどなぜお姉さまは私にこんなリボンを? ……たぶん、この髪を見る度に栞のことを思い出していることに気づいたお姉さまが、髪型を変えれば少しはと考えてくれたのだろう。 けれど、髪型を変えるならいっそばっさりと切ったほうがいいかもしれない。 この長い髪自身が絡み合った栞の髪を覚えているから……… 「いいえ、ありがとうございます。お姉さま」 「あら、そう……」 「リボンは必要ないですから……」 髪を切る。それは、逃避でしかないかもしれない。けれど今はそれで良い。栞を失った私の心はあまりにも寒いから、この髪が私の心を冷やし続けているのだから…… 「お姉さま?」 「うわっ!」 気づいたら心配顔の祐巳のドアップが目の前にあったから、びっくりして思わずのけぞってしまった。 「お、お姉さま大丈夫ですか?」 「あ、あ、うん大丈夫。ありがと、ちょっと昔のこと思い出しててね……」 改めて白いリボンに目を向ける……間違いない、同じリボンだ。 私の心の傷は癒えたのか? ……癒えはしない。けれど、心の寒さには慣れたし、痕を抱えたまま生きていく勇気をこの祐巳がくれた。祐巳が…… 「祐巳、このリボンどう?」 お姉さまが私に選んでくれたのと同じリボンを二つ手に取る。 「え? あ、綺麗なリボンですね」 「そう、じゃ買ってあげようか?」 「良いんですか?」 「もちろん。これ二つください」 「はい、六千円になります」 「え!? 六千円?」 ……確かに良いものだけど、高すぎる。そんなの買う人いるのか? まさかこれお姉さまが買ってくれようとしたリボンそのものじゃなかろうな……それとも足下見られたか? そんなことも考えたけれど、その答えがどうであろうと関係ない。もう私の答えは決まってしまっているのだ。 「OK。買った」 祐巳が何か言う前に速攻で新渡戸稲造と夏目漱石を一人ずつセットで渡した。 「はい、まいどあり〜」 「お、お、お姉さまぁ!」 「良いから良いから。それよりも、それ特別だから大事にしてね」 「特別?」 「ん……」 祐巳の問いには歩きながら答えることにした。 「一年前くらい、私が沈みきってるときにお姉さまと蓉子が私を一人にしないようにしてくれてたんだ。お姉さまはもう受験も間近なのにね。そんなある日お姉さまが、それと同じリボンを買ってくれようとしたんだ」 「え? じゃあ、ひょっとしてお姉様とおそろいですか?」 おそろいということが嬉しいのだろう、笑みを浮かべる祐巳。早とちりではあるけれど喜ばれるなら、そういうのも良いかもしれないな。 「こらこら、私がどこにリボンをつけてるって言うんだい? 買ってくれようとした。つまり実際には買ってもらわなかったんだよ」 「どうしてですか?」 「どうして……か、理由は簡単。私は髪を切ることにしたから、リボンは必要なくなったの」 一年前はあったけれど今はもうそこにはない髪を手でなでる仕草をすると少し暗い陰を含んだ納得顔になった。ひょっとしたら、お姉さまが私にリボンを買ってくれようとした理由まで気づいたのだろうか? 「そういう意味で特別。理由はさておき、私が貰うはずだったリボンは二本に増えて祐巳に受け継がれましたと」 「そうですね」 買ってあげた白いリボンを大切そうに見つめる祐巳。 「じゃ、祐巳は妹ができたら三本のリボンを買ってあげること」 そう言ったとたん「え………」ってこぼして固まってしまった。たまたま祐巳が二本のリボンを使っているからなんだけど、それはそれでおもしろそうかな。来年は三本、その次は四本、その次は……やめた方が良いな。 「冗談。次行ってみよう。次はなんと蓉子一押しの洋菓子屋だよ」 甘党の祐巳はそういう意味でも嬉しいのだろう弾んだ声で「はい」と返ってきた。 デートを再開し、次に蓉子一押しの洋菓子屋に向かった。 もしいたらということを考えるとまとわりつかれるのもウザイし、そのまま入らずに中の様子をそっと覗いてみたのだけれど……なんだあれは? ボンボンが付いた三角形の帽子に黒伊達眼鏡……、思いっきり目立つそれが誰なのかはすぐには分からなかった。まさか、あの三奈子があんな格好で網を張っているだなんて、目立ちすぎる格好だけに繋がるのに時間がかかってしまった。それを狙った偽装……ということはないだろう。ということはアレが素なのか? 三奈子の意外すぎる生態? には驚かされてしまったけれど、それにしてもこれで四連続。行く先々の店全てに網を張られてしまっていた。しかも、蓉子一押しの店にぴったりとアレがいる。 (!) 閃くものがあった。こんな偶然があるはずがない。可能性が低いことが不自然に続くことは作為と言うのだ。……江利子に違いない。アレが情報を流したのだ。 おのれ、一体どうしてくれようか? 一番悔しがるのは、黄薔薇革命の時のように、興味をそそられるような大きなイベントに自分だけ関わることができないこと。あの時は、親知らずが原因だったし、その前は中耳炎だったけれど、そんなのが都合良くイベントに重なって起こってくれるとは限らないし、そもそもそれでは仕返しにはならない。 ということは、こちらも作為的に…… 仕掛けられるイベントとすれば……近いのは正月か、しかし…… 「あ、あの……お、お姉さま?」 考えながらぶつぶつとつぶやいてしまっていたようだ。 「あ、ああ……そうだ。祐巳、これは裏を取らないとね」 この店をパスするのは悔しいけれど仕方ない。しかし、ただで引き下がってなるものか! 〜7〜 後輩 服屋さんの裏口からそっと入り、店の人に断ってから店内の様子を窺っている。 お姉さまは、必ず証拠をつかんでやるんだって意気込んでいて、黄薔薇さまが情報を流したと決め込んでいるのだけれど本当なのだろうか? いくらあんな性格だとはいっても薔薇さまともあろう方がそんなことをするなんて…… 「祐巳、見覚えがあるのは?」 「さ、さぁ……ちょっと」 店内に見覚えのある生徒はいない。いや、仮にいても見覚えがあるというだけでは、新聞部なのかどうかは判断できない。 「祐巳、一人で表から入り直して」 「あ……はい」 私の姿を見た反応で判断しようということなのだろう。じっと睨むような視線を店の中に送っているお姉さまを残して裏口から店を出る。 表に回り、店の中に入ると、一人だけ「あれ?」とでもいった感じで少し目を見張っている人がいた。あの反応なら私でも分かる。彼女だ……と思った瞬間、猛烈な勢いで奥からお姉さまが飛び出てきてその子に襲いかかっていた。 「行くよ!」 「え? ええ? はい!?」 お姉さまはその子の手を引っ張って、店の外へと消えていった。 あまりの手早さに私も一瞬呆然としてしまったけれど、お姉さまを追いかけて急いで店を出た……お姉さまの姿を追って店の近くの路地までやってきた。 壁際に立たされているその子は突然の出来事に一体何が起こっているのかまだ理解できていない様子で、戸惑い困ってしまっている。 「ごきげんよう」 「え? あ、はい、ごきげんよう……白薔薇さま」 お姉さまがにっこりと微笑みを浮かべて挨拶すると、状況はまだ分からないけれど、何はともあれといった感じなのだろうかそういう風に返してきた。 「さて……説明して頂いてよろしいかしら?」 「……う」 漸く状況が飲み込めたのだろう、まずいなぁ〜って顔で目を逸らした。 「誰から情報を手に入れたのか答えてほしいな」 「す、すみません……こういうことは、情報源を明かすことはできないんです」 「そう、残念だな……私がこんなにお願いしているのに……だめなの?」 くいっとその子のあごを指で上に向かせて、吐息がかかるような近くから……ってあなた何やってるんですか! 「あ、え、えっと……」 「ねぇ」 色気で攻める気ですか……、お姉さまは何というか、軽いというか節操がないというか、そんなところがある。今はちょっとそれとは違うけれど、私とのデートの最中じゃないか、それなのに目の前でそんなことするなんてやっぱり腹立たしい。すごく腹立たしい。 しかし、効果は十分だった。数秒と持たずに彼女は頬を赤く染め、目を少し潤ませながら答えた。 「そ、その……さる山百合会の幹部の方が……」 そこまでで十分すぎる……犯人は本当に黄薔薇さまだったのだ。 「そう、ありがとうね」 ほっとしたような、それでいて残念そうなため息をつく新聞部員を解放し、二人で少し歩く。 「これだと、蓉子から聞いた店は全滅かぁ……」 黄薔薇さまが流した情報のせいで、お姉さまとのデートを台無しにされてしまった。あの方は、一体何を考えているのか、いくら薔薇さまだからって……いや、薔薇さまだからこそ、許されることではないだろう。 けれど、お姉さまもお姉さまだ。わざわざあんな手を使わなくても他にも手はあったのじゃないだろうか? お姉さまにとってはそれが一番手っ取り早くて確実だったのかもしれないけれど、私のことも考えてほしい。彼女の瞳を潤ませた顔を思い出すだけでムカムカしてくる。 「ゆみ〜? 何つんつんしてるの?」 つんつんしてるって、どうしてなのか思い至らないのだろうか? 「別に、何でもありませんよぉ」 唇をとがらせながら、不機嫌なんですって主張してみる。 「まあ、結果オーライで良いじゃない? ね」 同意を求められても答えられない。お姉さまにとっては結果オーライかもしれないけれど、私にとってはオーライじゃないのだから。 「う〜ん……」 お姉さまはぽりぽりと頭を掻いて……参ったなぁって感じをしていると思ったら、突然近づいてきて、まさに息がかかるくらい近くまで顔を近づけてきた。 お姉さまの顔が文字通り目と鼻の先に……お姉さまの吐息が、匂いが…… 「ね……いいじゃない」 「………、て、そうじゃなくて!!」 一瞬見とれてしまってそのまま丸め込まれそうになってしまったけれど、そうじゃない。お姉さまを振り払って距離を取る。私にはしてくれないのに……という風に苛立っているのじゃなくて、よりにもよって私とのデートの最中に他の人にあんなことをしたことについて苛立っているのだ。 「じゃあ、どうすればいいのよ?」 今度はお姉さまの方がつんつんし始めてしまった。まったくこの人は……溜息が漏れてしまう。 ふと、目の前に気の強そうな眉の女の子が立っているのに気づいた。 「……」 明らかに私たちを見ているのだけれど……目がうるうるって、今にも泣き出しそうな顔をしている。左右に一つずつの縦ロールさせた髪型のその子はいったいどうしたというのだろうか? 「あの……」 「白薔薇さまがそんな方だったなんて、幻滅いたしましたわ!」 私が声をかけようとしたら、ぽろぽろ涙をこぼしながらそんなことを叫んできた。 「へ?」 私とお姉様の声がハモル。いったい何なのかさっぱり分からない。 でも、とりあえずこの子はリリアン生だってことだけは分かった。 「幻滅っていったい何が?」 「あの白薔薇さまが、単なる浮気魔だなんて! 瞳子、瞳子……」 とりあえずもう一つ。この涙をぽろぽろ流しながら怒っているこの子の名前は瞳子というらしい。 確かに、お姉さまの色仕掛けというか、そういうことに私も腹を立てていたけれど、浮気魔はさすがに言い過ぎじゃなかろうか? 「リリアンを代表する白薔薇さまともあろう方が!!……………!!!…………!!!」 マシンガンのようにとはまさにこんなことをいうのだろうか、いったいいつ息継ぎをしているのかって感じで、ものすごい勢いで言葉が飛び出してくる。この子自分が何を言っているのか分かって言っているんだろうか? いや、分かっていない気がする。けれど、だからといって、あんまりにもあんまりだ。だんだん腹が立ってきたぞ。 「ちょっとあなた、さっきから聞いてたら何なのよ!」 少なくとも上級生ではないと判断して強気で言ってみる。 「何なんですかあなた?」 な、何なんですかと来るか……ちょっとびっくりしてしまった。 その浮気の相手が何か言うことでもあるのか? そんな感じでにらみつけてきたけれど、ということは中等部か何かということだろうか? お姉さまのことは知っていても、私のことは知らないだなんて、幸か不幸か高等部ではちょっとなさそうだ。 「さっきからお姉さまへの暴言、妹の私が黙っていられるわけないでしょ!」 「……へ?」 ものすごく意外だったのか、はっとして、じぃ〜〜〜っと私の顔を見つめてくきた。そんなに見つめられると目をそらしたくなってしまうけれど、ここはそらすわけにはいかない。 しばらくそのまま睨み合っていたら「……白薔薇のつぼみの福沢祐巳さま?」と言って返してきた。 「そうよ」 「………」 「………」 妙な沈黙が流れている。まさか私が妹、つまり白薔薇のつぼみだと全然気付かなかったからの言葉だったのだからそれも当然。さぁ、これからどう出るつもり? 「ならそれはそれで問題じゃないですか! 妹の目の前で浮気をするだなんて白薔薇さま酷すぎます!」 む、こやつ私が思っていたことを……でも、癪だ。このまま受け入れるわけにはいかない。絶対に。 「何ですか? 何かご不満なんですか? そんなつぼみだから白薔薇さまがあんなことをしちゃうんじゃないですか?」 今度は私まで標的にされてしまった。 「あのね、あなた何分かったような口を」 「見てただけで分かります! 事実は動かしようがありません!」 「そ、そうじゃなくてね。あなたが見てたのは!」 「何ですか?」 言いたいことがあるなら言ってみろと目でも言ってはいるけれど……何を言っても聞く耳を持ってくれなさそうな予感がする。いや、言ったとしても勢いで押し切られてしまいそうな気もする。まずい、まずいぞ、これは…… 「まあまあ、抑えて抑えて。瞳子ちゃんだっけ?」 「あ、はい……」 あの子に微笑みを向けながら、私たち二人の間にお姉さまが割って入ってきて争いを止めさせた。微笑みって、あれだけ散々に言われたっていうのにそれほど気にしていないのか、それともそう装っているのだろうか? 「さっきのはね。私たちを嵌めようとした三奈子と不愉快な仲間たちに情報を提供したのが江利子かどうか確かめてたのよ。ま、一番手っ取り早くて確実な方法だったんだけど、瞳子ちゃんにも厳しく言われちゃったし、反省しないとね。祐巳も私の味方になってくれてありがと」 ともあれ、お姉さまの言葉でお互い矛を収めることになった。結局お姉さまにまとめられてしまった……助けられたといえば助けられたのだけれど、そもそもお姉さまのせいなのだから、ありがたいという気持ちはちっともわかなかった。 「瞳子ちゃんも気づかせてくれてありがと。お礼にそこの店で鯛焼き買ってあげようか?」 と言ってお姉さまが指さした方向には鯛焼き屋があった。今になって気づいたけれど、焼きたての鯛焼きの放つ甘くて良い香りが辺りに漂っていた。 「あ、ありがとうございます」 そうして、鯛焼きを買って近くの公園のベンチに座って食べながらあの子と話をしている……というか彼女がお姉さまに話しかけている。 勝手に聞こえてくるずいぶん嬉しそうな声によると、中等部の三年生で、他のリリアン生と同じようにリリアンかわら版などを通してお姉さまやその他のことを知り、そしてあこがれたようだ。 ただ、他の生徒と違うことは、そのあこがれが人一倍強い、その幻想がぶちこわされそうになったらあんな風になってしまうほどに…… けれども私だって祥子さまにはすごくあこがれを持っていたし、今だってあこがれの存在。そういった感じに近いのかもしれない。 もし、祥子さまがお姉さまのような行動を取ったところを見たとしたら…………幻滅まではしないかな。その辺りが私と彼女の違いだろう。 他にも、演劇部部員だということとか、色々と話していた。 あの子と別れて、二人だけのデートに戻るると直ぐに「最初に謝っておくね。ごめん、もうしない」とお姉さまがさっきのことを謝ってくれた。 たぶん私以外の人にあんなことはもうしないとまではいかないだろうけれど、反省もしてくれたようだし、それ以前に瞳子ちゃんの出現のせいである意味もう良くなっていたのかもしれない。 ただ……あの瞳子って子はいったい何なのだろうか、最後はお姉さまになれなれしく話してたり、そもそも、妹の前で浮気をするということに幻想をぶち壊されてあんなになっていたのではないのか? その相手が自分ならば大歓迎だというのだろうか? 「まだ怒ってる?」 「そういうわけじゃないですけど、あの瞳子って子……」 「なかなかおもしろい子だね。来年がんばって」 そう、お姉さまとは在学期間が被らない。被るのはこの私の方なのだ。しかも、二年間も…… なるべく彼女とは関わり合いたくないとは思うのだけれど、演劇部ということは、学園祭恒例の山百合会主催の演劇で関係することになってしまうのだろうか……気が重い。 「ま、髪型もおもしろいしね」 ……それ関係ないです。 一つ溜息をついて、彼女のことはさておき、これからのことに話を移す。 「それじゃ、次どこ行きましょうか?」 「そうだね。どっか行きたい店とかある?」 お姉さまの方も頭を切り替えて聞いてきたけれど、特にそういったものはなかった。 「仕方ない。適当にぶらぶら歩いて行くことにしようか」 「はい」 何かよさげなお店はないものかと探しながら、クリスマス色の町をぶらぶらと歩く。 紅薔薇さまが選んでくれた店だけでなく他のめぼしいところにも新聞部が網を張っているかもしれないと考えると結構条件は厳しいのかもしれない。 「ああ、この魚屋に入ってみようか」 しばらく歩いていたらお姉さまが突然そんなことを言い出した。 「魚屋?」 なぜそんな店にはいるのかと思いつつも、そちらを見ると、お姉さまが入ろうとしているその店は確かに魚を売っている店ではあるけれど、売っているのは熱帯魚など……普通魚屋というと違うのではないだろうか? 「ゆ〜み〜」 「あ、は、はい」 お姉さまに続いて店に入る。 店の中には大小様々な水槽が並んでいて、その中を定番中の定番であるエンゼルフィッシュやグッピーから聞いたこともないようなものまで色々な熱帯魚が泳いでいる。 観賞用であるならある意味当然かもしれないけれど、ほとんどに共通しているのは色とりどりで綺麗だということである。 やっぱりこういう綺麗なものには惹かれるものがある。 アクセサリーやリボンなんかと違って、こんな熱帯魚を飼うには水槽や餌に始まっていろんなものが必要になるから、同じようにはいかない。今は見るだけになってしまうけれどその分たっぷり鑑賞させてもらおう。 〜8〜 天使と妹 M駅のホームに戻ってきた。冬の太陽が沈むのは早い……もう西に大分傾いてしまっている。 アレからとんでもない誕生日プレゼントをもらってしまったけれど、K駅前でのデートはまあ楽しめたといって良いだろう。 今日だけでない。祐巳が妹になってから私の生活は大きく変わったと思う……一年前にはまったく想像することができなかった。 それは、妹ができたからではなく、祐巳が妹になったからだというのは間違いない。 果たして、あの時、間に合って私が志摩子にロザリオを差し出していたらどうなっていたのだろうか? その答えは分からない、想像できない。ただ、今とはまるで違う姉妹の形になっていたということだけははっきりといえる。 さらにいえば、去年、栞と姉妹になっていたとしたら……それは、志摩子以上に想像できない。いや、そもそも姉妹という形に私たちの関係はあてはめたくなかったけれど、今もきっとそうなのだろう。 「お姉さま?」 私の雰囲気の変化を感じ取ったのだろう。顔を曇らせながら、少し心配そうに声を掛けてきた。 「あの……」 「何?」 「お姉さまは栞さんのことは……」 その後に続く言葉は出なかった。祐巳の中でもはっきりとした言葉にはできなかったのかもしれない。 けれど、何となく分かる。 「ちょっと歩こうか」 そう言って、祐巳を連れて、三、四番ホームにあるあのベンチの前までやってきた。 このベンチにはあの時以来座っていない。もっとも、元々M駅でベンチに座るようなことは滅多にないのだけれど、そういうことは関係なくここには座れなかったのだと思う。 昨日も近くに立っているだけで、座ることはできなかった。 けれど、祐巳が一緒の今ならば…… 「どっこいしょ」 わざとらしく声を出してベンチに座る。あの時と同じ場所に……目線が一年前と重なる。小さな差はあるだろうけれど、あの時と同じ光景が目の前に広がっている。 祐巳も隣に腰を下ろした。 「ここで、栞を待っていたんだ」 「……」 「あれから一年。あっという間のことだったのかもしれない」 人が変わるには長いと言えば長く、短いと言えば短い期間かもしれないけれど、その間に私は変わったと思う。 「前にも言ったとおり、今私がこうあれるのは、お姉さま、蓉子、江利子、志摩子、そして祐巳のおかげ」 この五人の誰が欠けても、どこかで私はだめになっていたことだろう。逆に、もし栞と出会っていなかったら……分からない。けれど、今の私とは違うに違いない。六人のおかげで今の私になれたのだ。 「……お姉さま、今でも栞さんのことを?」 「そうだね。でも、私の中では栞は人じゃなくて天使……一緒にはいられないんだよ」 祐巳の目が潤む。でも、それは、さっきのように私が栞のことを想っているからじゃなくて、それなのに会うこともできない、去年の結末を迎えてしまったという悲しいことを思い出したから……本当にこの子は私のことを想ってくれる。 「こらこら、そんな顔しない。私は栞と別れることになった。でも、そのおかげでこんな良い妹を持つことができたんだから」 と言って、自慢の妹の頭のなでてあげる。 志摩子とのこともそう。失うことになったからこそ、手に入れることができた。そして、残念ながら私はみんな……いや二つ以上を手に入れることができるような器用さは持ち合わせていないのだ。 「他の道を歩んでいたら、また違ったものがあったと思う。でも、現実として、私は今この道を歩いている。そして、今それが良いと思えている。だからこれで良い……そう思わせてくれたのは君のおかげなんだよ?」 全然自覚していなかった祐巳は目をぱちくりとさせる。 「さっきだって、私の気持ちを考えて目を潤ませてくれたでしょ?」 図星。恥ずかしいのだろう顔を赤らめてややうつむく。祐巳に自覚が無いのは、自分にとって自然な行動だからなのだろう。 「あの時もそう、私のことをそれだけ想ってもらえるなんて、嬉しいじゃない」 「……それは、お姉さまもです。お姉さまも、ご自分のことを顧みず私を助けてくれた」 「あれは、私が悪いって言ったでしょ?」 「それでもです。私のことを自分のことよりも大事にしてくれたのは間違いないですから」 私はあの時他に何も見えなくなっていた。ただ、それだけのことだったけれど……それも、祐巳だからこそだったのだろう。他の誰かだったらそうは思えなかった。志摩子にとって私じゃなくて祥子が一番でも良いかなって思えるようにはなっていなかったに違いない。 私は酷く自分勝手だ。居場所を確かなものにしないのに、常に志摩子を側に置きたがっていた。その上、祥子に奪われてしまったら逆恨みをし続けていた。そんな私がそう思えるようになれるほど祐巳の存在は大きいのだ。 「それは、祐巳がそれだけ魅力的だからだよ」 「私が?」 「そう。栞も、志摩子も祐巳も、みんな私にとって特別な存在。でも、私の妹は祐巳だけ……妹になってくれてありがとう」 祐巳は言葉ではなく、笑みで答えてくれた。 だれが一番なんてこと考えても意味はない。けれど、いつかもし栞が目の前に現れたら……その時は私の自慢の妹だって、祐巳のことを紹介できるようにしたい。私は立派にやっている。やっていけているというメッセージも込めて………… 〜9〜 もう寒くない 私は、妹としてお姉さまを支えることができた。 お姉さまに護ってもらってばかりで、ほとんど何もできなかった私。けれど、あの時確かに支えることができていたのだ。 駅を出る。 もう日はすっかり沈んで町は夜になっている。 昼見るのとは違う夜の町……駅の前の大きな木が電飾の光に飾られていた。樅の木ではないけれど立派なクリスマスツリーだ。 「あ」 天からゆっくりと舞い降りる白いもの……雪という名の冬の妖精。 ちらちらと舞い降りてくる。 「おや、これはまた風流な」 クリスマスに雪……風流という言葉があてはまるかどうかは置いておいて、ホワイトクリスマスという言葉があるようにクリスマスと雪はすごくぴったりだ。 電飾の光で飾られた街路樹によって生まれた道が雪の中をまっすぐに延びている。 「……綺麗ですね」 「そうだね」 「……歩いて送っていこうか?」 まだ降り始めたばかりだから、バスもだいたい時刻表通りに動いているだろうけれど、私もここですぐにお別れとはしたくなかった。だからお姉さまの言葉が嬉しくて元気よくうなずき、二人で雪の中を歩いて帰ることにした。 最初はこんな道をお姉さまと一緒に歩けるということを喜んでいたのだけれど、駅前商店街を抜けたあたりから段々寒くなってきてしまった。それでブルブルって体を震わせていると、お姉さまが肩に手を回してぎゅって抱き寄せてくれた。 「こうしていれば少しは暖かいよ」 身を寄せ合っていても、そんなに暖かいというわけではなかったけれど……お姉さまはとても暖かかった。 雪足は少しずつ強くなってきていたけれど、もう寒くはなかった。