〜1〜 選挙管理委員会からの突然の呼び出しにみんなと一緒に出向いたのだけれど、選挙管理委員室の前で静さま達と出くわすことになった。静さま達もちょうど来たところだったようだ。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう、私たちだけ呼び出しって何があったのかしらね?」 「さぁ……」 当然その話になるのだけれど、本当に心当たりがない。いったい何なのだろうか? 「そう、けれど良いわ。直ぐに分かるでしょうから、」 そう言って静さま達が部屋に入っていった。 確かにその通りと、私たちも続いて入る……こうして、委員会室に大勢が集まることになった。 「さて……コレをみてもらえますか?」 大勢の姿を見て、ちょうどよかったとでも言ったような面持ちの委員長が差し出して来たのはポスターの束。私の選挙ポスターだけれど、枚数がすごく多い。 20枚だけのはずなのに……受け取ってパラパラッと見てみたら知らないものも混じってる。紙も違うし、明らかにコピーしただけのようなものもまである。 「お二人のポスターが100枚以上校内に張られているのを確認しました。それらは回収したものです」 「ひゃ、百枚!?」 驚いてしまったけれど、確かに、そのくらいの量がある……どうして? 「さらに御本人はいませんでしたが校内での応援演説も行っていましたし、二年藤組と一年桃組の生徒が口論になっている現場も複数目撃しました」 「……」 何となく犯人が分かり、ついてきてくれた子達の方を見ると、みんな揃って気まずそうにしている。 こ、こやつら…… 静さまの方はどうなのかと気になってそちらを見ると似たような感じになっていた。 「それで、呼び出されたのは、選挙規則の違反に対する注意と、今後も続くようなら対応をとるというような警告でしょうか?」 妙な雰囲気になってしまっていたところ、横の椅子に座っている志摩子さんが委員長に尋ね、話を進めてくれた。 「ええ、そんな感じです。どうやら双方とも本人のあずかり知らないところで起こっていたことのようですが、だからと言って、見過ごすわけにはいきません。今後、選挙規則から外れるような行為や、リリアンの生徒としてふさわしくないような行為をとらないようにお願いします」 私と静さまの二人がそろって「はい」と返した。 話が終わりぞろぞろと委員会室を出た。 まさか、あんな事をしてくれるとは思わなかった。当人達は済まなそうにしているから、もうしないとは思うけれど…… 「すみませんけれど、皆さんはお先に戻っていてくださるかしら?」 ドアが閉められて直ぐに静さまがSPにそう言った。 もちろん私と話をするためだろう。SPが警戒の視線で私たちを見てくる。 一対多数にはさせない。そんな感じなのだろうか、だったらと「すみません。皆さんもお願いできますか?」私もついてきてくれた人にお願いすることにした。 「わかったわ」 志摩子さんがそう返してきてくれたことで、両陣営全員の返答を代弁することになった。ここのところ、志摩子さんには本当にいろいろと助けてもらっている気がする。 やがて私と静さま二人だけになった。 「少しお時間よろしいかしら?」 「ええ、どこがよろしいでしょうか?」 「そうね。裏庭にしましょうか」 そうして静さまの提案に従って、外に出て裏庭にやってきた。 「祐巳さんもずいぶんみんなから好かれているのね」 「は、はあ」 静さまがまず切り出してきた話はそんなことだった。確かにそう見えるかもしれないけれど、お祭り騒ぎとして楽しんでいる部分がかなり強いと思う。それに、ここまでのことをしてくれると、うれしさよりも迷惑の方が大きい。 「みんな祐巳さんのことが好きだからこそ、あれだけ熱心になれるのよ。そうでなかったら、こんなに急には盛り上がらないと思うわ」 「静さまも?」 もともと静さまのクラスの方がずっと早く盛り上がっていた。私のクラスが纏まってから加速したようだけれど…… 「そうね。最近まで気付かなかったのだけれどね。みんな私が思っていた以上に私のことを好きになってくれていたみたい」 「そうなんですか」 「ええ、私ってずっと歌う事が中心の生活をしてきたから、クラスのみんなと一緒に何かのことに夢中になったと言うことはなかったのよ」 微笑む静さま。そんなだから、多少の食い違いがあったとしてもみんなと同じものに向かってあたる事ができただけでも嬉しいのかも知れない。 「……最初はリリアンの生徒会長としての白薔薇さまにはさして興味なんてなかったのだけれどね。みんなとこう選挙活動をやっているうちに、それも良いかなって思うようになってきたわ」 (それって、つまり……) 「聖さまのことだけでなく、白薔薇さまも本気で狙いに行くわ」 微笑みとともに私に突きつけてきた二度目の宣戦布告。 それは予感通りにものだったから驚きはなかった……けれど、私はどうなのだろう? 薔薇の館の雰囲気も仲間も私には大切なもの。 確かに、あそこまでされると迷惑ではあるけれど、たくさんの人が私を応援してくれた……凄く嬉しかった。 やっぱり動機は個人的なことだけれど、私は佐藤聖の妹としてでなくても、負けたくない。白薔薇さまになりたい。 「……私は、負けません」 自信とは違う。『負けられません』に近い『負けません』だけれど、私は静さまの宣戦布告を受けて立った。 「来週が楽しみね」 静さまは微笑みを浮かべてそう答えた。 それで、今ここでの話は終わるはずだったのだけれど……「にゃ〜」と突然紛れ込んで聞こえてきた音があった。そちらの方を見ると、やはりゴロンタがいた。 そう言えば今はお昼時、一年生がランチと呼んでいるのは、お昼ご飯の時に良く現れるからだった。 「あら、メリーさんね」 メリーさん。それは、この猫が二年生に呼ばれている名前。ゴロンタ、メリーさん、ランチと、まあみんな好き勝手に呼んでいるものだと改めて思う。 「あ、ちょっと待ってて下さいね」 少しだけれど、キャットフードを持ち歩いくようにしている。 それをポケットから取り出してゴロンタに上げる……流石に、私の手から直接は食べなかったのだけれど、地面においてやると、嬉しそうに食べ始めた。 「メリーさんが白薔薇さまに懐いているのは見たことがあるけれど、祐巳さんにも懐いているの?」 「懐いているって言う訳じゃないんですけれど、他のみんなほどは警戒して無いみたいですね」 「そう……」 「お姉さまに懐いているのは、元々この子を助けたのがお姉さまだったから、特別ですね」 カラスに食べられそうになっているところを助けた。それからゴロンタはここリリアンに住み着く様になった。 「そうだったの」 「その話を聞いたから、私もゴロンタって呼ぶ様になったんですよ」 「ゴロンタ……なるほど、確か、一年生はランチだったかしら?」 うなずきで肯定した。 「そうね。私たちもランチにしましょうか?」 「そうですね」 量は少しだったから、直にゴロンタは私が上げたペットフードを食べ終わった。今度は私たちの番、早くお弁当を食べないと午後の授業が始まってしまう。 「おつとめ御苦労様」 放課後、薔薇の館に行くとお姉さまと紅薔薇さまの二人がいて、そんな風に声をかけてきた。 「……どうも、」 「紅茶で良ければ、入れてあげるわよ」 「あ……ありがとうございます」 紅薔薇さまが私に紅茶を淹れてくれた……その紅茶に口を付ける。 「呼び出しは熱心な応援のことでしょ?」 「はい、」 薔薇さま達の耳にも入っていたのだろう。いや、入っていない方がおかしい……そうなると、約一名いないとおかしい人がいる。 「受験でお休み」 私の目が黄薔薇さまの姿を追っていたのに気付いたお姉さまが答えを教えてくれた。 そうか、受験日なんだ。 「明日話を聞いたら、あんなに受けなきゃ良かったって言うんじゃないかな?」 「でしょうね」 「え?あんなに?」 「ええ、」 なんと、二人が言うには、黄薔薇さまはいろんな大学の様々な学部を受けているそうだ。それこそ文系理系を問わず……受験でそんなことしますか、普通? とは思ったけれど、あの方に普通を求めること自体間違っていたのだった。 「黄薔薇さまかぁ……」 この前のこともあるし、本当に今日ここにいたら、絶対に絡んできただろう。そう言う意味では、いなくて良かったと言うか助かった。 「どうかしたの?」 「あ、実は……」 この前の黄薔薇さまのことを話すと、「全く……」、「相変わらずだ」と言うのが返ってきた二人の反応で、当然「後輩思いの良い先輩」ではなかった。 〜2〜 今までおとなしくしていたのに、ついにやってくれた。立ち会い演説会を明後日に控えた月曜日の朝……、とんでもないものが出回っている。 「……やってくれたわね、」 忌々しいって言った感じで言葉を吐き、そのとんでもないものを机に置く蓉子。 リリアン通信第一号……内容は今回の選挙に関して色々と書いてある。 特に祐巳とロサ・カニーナの二人に焦点が当てられ、祐巳は白薔薇さまにふさわしいのかどうかと言うことで随分悩んだという風に書かれている。一方、ロサ・カニーナの方は祐巳には任せておけないと思ったから立候補したと、で、その根拠らしきエピソードも書かれている。 誰もがリリアンかわら版だと思うけれど、新聞部……いや三奈子は無関係だと言い張るつもりなんだろう。 他にも、〜と言う噂があるとか、〜ではないのだろうか、〜の可能性が………そんな文末が並んでいるけれど、文章自体はなかなか良くできていて、信憑性もありそうに思えてしまう。尤も黄薔薇革命の時にあんな小説を書いてくれた三奈子のことだから嘘八百を並べているだけかもしれないけれども、 「証人喚問?」 「しても、処分をするのは難しいでしょうね。紙が違うし、印刷も輪転機じゃなくて家庭用プリンターのようだし」 証拠がなければ、シラを切り通すだけか…… 立ち会い演説会まで時間がない。多くの者がこんな先入観を持ったまま演説会を聞く様なことになれば、選挙結果に影響が出てしまうかもしれない。いや、当落にまでは影響がなかったとしても、選挙の意味合いへの影響は避けられない。 「……どうする?」 「ぱっと思い付くのは、四人のコメントなりなんなりをかわら版に載せさせて、印象を上書きするくらいかしら。それも早急に」 それが狙いか……あの時、釘を刺した報復? ……学校新聞でここまでやるか普通。 「術中に填ってしまった気がするな……」 「ここは、こちらから填ってあげましょう」 「どうするつもり?」 「お仕置き」 にっこりと微笑んで蓉子の唇がその言葉を結んだ。 これは相当怒っているな……蓉子を怒らせてしまった三奈子がどうなるか、少し楽しみかも知れない。 目的はおいておいてこんなイベント江利子が動かないはずがないし……私も動いた方が良いのだろうか? ロサ・カニーナとは一度話もしてみたいし、そう言う意味ではちょうど良いチャンスかも知れない。 けれど、白薔薇さまを巡る争いの中で起こった事件に私が介入してしまうのは良くないし、祐巳にとってもここでお姉さまに助けられてと言うのは後々良くないのではないだろうか、そう思う。 「あのさぁ、蓉子」 「何かしら?」 「お願いして良いかな?」 「良いわよ。でも、聖はそれで良いの?」 私の言葉に蓉子は驚かなかったけれど、確認の言葉を返してきた。 「今はね。我慢できなくなるようなことにならないよう願ってる」 「分かったわ。任せておいて」 「お願い」 そう決めたはずなのだけれど……近くまで来てしまったら、何となくそのまま祐巳の教室の前まで足が向いてしまっていた。 何をやっているのやらと思いながらも、ドアが開いていたので少し様子を覗いてみる。 祐巳の机の周りにみんな集まってあれやこれやと言い合っている。確かクラスは違ったと思うけれど、由乃ちゃんもいて、リリアン通信をぶんぶん振り回して怒りを露わにしている。 周りが盛り上がっている一方、祐巳自身はいったいどうしたら良いのやらって感じで困ってしまっているようだ。 みんなリリアン通信のことばかり頭にあって、教室を覗いている人間の存在に気付かなかったのだけれど、一人祐巳の隣にいた志摩子だけがこっちに気付いた。 唇に人差し指を当てて存在を他のメンバーに知らせない様にして、他の者に気付かれる前にさっさと立ち去ることにする。 カメラちゃんと祐巳の友達も側に一緒にいたし、由乃ちゃんや志摩子も祐巳の応援をしてくれている。三奈子の方は蓉子がなんとかしてくれるし、これならきっと大丈夫だろう。 〜3〜 昼休み、紅薔薇さまの指示で候補者四人と新聞部のメンバーが薔薇の館に集められた。 原因は当然リリアン通信。あの内容、私の方はまあその通りだったけれど、静さまの方はきっと静さまの取り巻きの意見だと思う……静さまの方からは、直接は聞けなかったのかも知れない。いや、三奈子さまのことだ。静さまから聞いていたとしても、それはうわべだけのものに決まっている。なら、あんな風に書くかも知れない。 その辺りを少し聞きたかったのだけれど、私よりも先に三奈子さまも来ていたから、静さまもいたけれどその場で聞くことはできなかった。 集まっているメンバーを見てみると、黄薔薇さまは当然来ているし、由乃さんと志摩子さんも来たから、薔薇の館のメンバーではお姉さまだけ来ていない。けれど、主役が全員揃ってしまったから、インタビューが始まった。 「今度のことには私も驚いているのですが、紅薔薇さまの方からこんな場を設ける提案を受けた事もまた正直驚きましたわ」 なんてしゃあしゃあと言ってのける三奈子さま。誰もが犯人はこの人だと思っているけれど、証拠はない。 「選挙までそんなに日はないし、少しでも早くこれの印象を打ち消したいの、直ぐに作成と印刷に取りかかってほしいわ」 「分かっております。新聞部の威信を賭けて役目を果たさせて頂きますわ」 新聞部の威信っていったい何なんだろう?……前にアナウンス効果を避けるためとか、ジャーナリストは口を出せないとか、そう言った話はどこかへ行ってしまったようだし、内容は静さま側に有利に私の側に不利なものになるものだった気がするもののようだったから中正公立でもないと思う。 「それでは、早速皆さんに立候補にいたった経緯と、このリリアン通信に付いてのコメントをいただけるかしら?」 「どこのどなたがこの小説を書かれたのかは分かりませんが、選挙前にこのような行為をされるのは迷惑以外の何物でもありませんわ」 誰かを指名されるよりも先に、真っ先に祥子さまが不快を露わにしながら答えた。それで祥子さまへのインタビューから始まることになった。正直少し覚悟はしていたけれど最初に指名されなくてほっとしている部分もある。 「そうねぇ、これでは、みんなの関心が静さんと祐巳さんの二人に集まってしまって、お二人の存在が薄くなってしまうわね。けれど、二人の対決となっているこの内容なら、選挙に関して言えばお二人にとっては分が良い方向に繋がるのではないかしら?」 「三奈子さん何を言っておられるのかしら?」 祥子さま睨んでる……正直怖い。それなのに、睨まれても平然としているこの方の面の皮は厚そうだ。本当にそう思う。 「この選挙は、今後の山百合会・リリアンを背負っていく者を選ぶもの、それをこのようなものでかき乱すなど、たとえそれがどういう結果に繋がるとしても許されることではないわ」 「そうね。失礼したわ」 さっきの言葉はわかって言ったのか、それとも違うのかはわからないけれど、これ以上怒りの炎に油を注ぐのは得策ではないと判断したのか、あっさりと引き下がり謝罪の言葉を口にした。 「で……、立候補した理由だったかしら?私は尊敬する水野蓉子さまの様に」 紅薔薇さまはそこにいるのに、お姉さまとも紅薔薇さまとも言わずあえて名前で呼んで、立候補に至った理由……前に聞いた話を少し丁寧にして話していった。 それから、令さまを挟んで静さまの番になった。 「さぁ、次は蟹名静さん。お願いできるかしら?」 わかってはいるけれど、これからが本番と言うことだろう。二人のインタービューももちろん大事な記事ネタであるけれど、手帳とペンの構えに先ほどよりも力が入っている気がするのは気のせいではないだろう。 「……そうですね。私はこれを見たとき、こんな風に周りからは見えていたと分かって驚きました」 「具体的には?」 「根本的に間違っていて、別に私は祐巳さんや二人のつぼみの方に不信任だから自分が立候補したというわけではありませんよ」 「そうなの、それはごめんなさい。私もてっきりそうだと思いこんでしまっていたわ」 普段だったら、そりゃアンタが書いたんだからそうなんだろうとつっこみたくなるところだけれど、今はそんな程度でつっこみたくなっていたらきりがなくなってしまう。 「もともと、ロサ・カニーナと前から私のことをニックネームで呼ぶ人がいたのだけれど、それもきっかけの一端だったのかも知れないわね」 「一端と言うことは他には?」 「さぁ、最初はそんなに明確なものではなかったわ。言ってみれば、一つの運試しと言う要素もあったし……けれど、今は立候補して良かったと思うし、みんなと選挙活動をしていく内に、本当に白薔薇さまになりたいと思う様になったわ」 「ふむふむ」 一つ一つ表の話を話していく……三奈子さまの手帳には凄い勢いで書き込みがされていく。何を書いているのかはこちらからは分からないけれど、きっと、静さまの話す内容に付け加えて、いろんな情報を書き込んでいるのだろう。 そして二人に聞いた事は一通り質問し終わったのだけれど、更に質問を続けた。 「大方の予想では、実質的に祐巳さんとの一騎打ちの様な形になるわけだけれど、自信のほどは?」 追加質問があることはわかっていたのか、静さまは特に驚いた様子もなく「それに答えることは、必要なのかしら?」と聞き返した。 「できれば答えて頂きたいのだけれど?」 紅薔薇さまがトントンと机を指で叩く。この場を設けた紅薔薇さまからのサイン……ここは引いた方が良いと判断したのか、不満が残る表情ではあるけれど謝罪の言葉を口にしようとしたけれど、その途中で「まあまあ、良いじゃないの、私も聞いてみたいわ」なんて口を挟んできた方がいた。 全員……三奈子さまも含めて固まってしまった。せっかく止めようとしたというのに、何をしでかしてくれるんですかこの方は!!? 「……黄薔薇さま、そんなもの載せられるわけないじゃないの」 こめかみにのばした右の人差し指をクリクリと動かし、静かに返す紅薔薇さま。 当然といえば当然のこと、アナウンス効果がありすぎる。少なくとも表の発行物であるリリアンかわら版にはそんな記事は書けない。 「まあね。けれど振り返ったとき、私だけじゃなくてみんな知りたいところじゃないかしら?」 どうやら選挙後に出される特集号の事を言っているようだ。この二人クリスマス以来協力関係にでもなったのだろうか? 「そうかもしれないわね。けれど、それなら名誉のためにもいっそう載せさせるわけにはいかないわ」 そうか、もし自信があると言って大敗でもしようものなら恥さらし以外のものでもない。そのあたり、鬱憤もたまっているようだし、制限が解放された特集号で配慮してくれるような人には思えない。 「う〜ん、仕方ないわね。じゃあ、オフレコって事で話してもらえないかしら?」 は?何を言っているのですかこの方は? 「あら、祐巳ちゃんわからない?最初に言ったじゃない。私も聞いてみたいって」 「………」 あ゛っ、紅薔薇さまがヒクヒクってふるえてる。そして黄薔薇さまはにやにやって……ヲイ! たとえそうであったとしても、この三奈子さまや私がいる前で聞く必要なんてないのに、この方火に油を注いで楽しんでる…… 「あの……お答えしてよろしいでしょうか?」 目の前で発生しかけている二人の薔薇さまのぶつかり合いに、どこかおそるおそるという感じだったけれど、静さまがそう申し出た。 突然の仲間の横槍で場の支配権を失ってしまったけれど、先ほどまで握っていた責任か、紅薔薇さまはどこか投げやりな感じで「どうぞ」って許可を出した。 「私にはまだ勝敗なんて見えません。そもそも、立ち会い演説会すら行われる前に結果が見えているなら選挙などする必要などないでしょう?」 「なるほど、確かに」 「けれど、私にとっては充実したものにできると思っています」 「それは、どういう意味かしら?」 「結果もそうですが、過程もまたとても大切なことだと思っていますから」 先日の昼休みに見せたのと同じ微笑みを浮かべながら口にした言葉。それが静さまの答えだった。 「それでは、祐巳さん宜しいかしら?」 「……はい」 ついに私の番がやってきてしまった。正直、三奈子さまに真面目に答える気もしないのだけれど、明日の朝と言わず、今日の放課後にはもうリリアンかわら板として全校に配られてしまうのだから、正直に答えるしかない。もちろん、それは嘘をつかないと言うだけで、語るのは表の理由だけだけれども。 そして、最後に自信のほどを聞かれた。 勝てるかどうかはわからないけれど、負けられない。そうなのだけれど、それをそのまま口にするのは気が進まなかった。だから、結果はわからないけれどみんなと力を合わせてがんばるだけと答えることにした。 「一通り四人に聞き終わったわけだけれど、他に聞いておきたいことはあるかしら?」 司会役を奪った黄薔薇さまが尋ねる。 「そうですね……大きなものではありませんがいくつか」 「まだ時間もあるし聞いておきたいことは今のうちに聞いておきなさいな」 「ありがとうございます、それでは……」 黄薔薇さまと言う支援者を得た三奈子さまを止めることは誰もできなかった……いや、止める気が起きなかったという方が正しいかもしれない。 「四人ともありがとう。早速これを仕上げてくるわ。ごきげんよう」 インタビューがすべて終了すると、三奈子さまはそう言って弾んだ足取りで消えていった。 三奈子さまが消えると同時にみんなから一斉に溜息が漏れる。精神的にどっと疲れてしまった。気怠い空気が薔薇の館に流れている。いや、一名だけそうでもない人もいたけれど……その方は早々に姿を消した。 「静さん、折角来たのだし、お茶ぐらい飲んで行かれてはいかがかしら?」 「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせて頂きますね」 そんな空気を破って紅薔薇さまが誘いの言葉をかけ、静さまもそれに応えたので、早速、由乃さんと志摩子さんの二人が人数分の紅茶を淹れてくれた。 それを飲みながら、三奈子さまのことについて口々に愚痴を言う。静さまも加わって、あれやこれやと……どうやら誰が薔薇さまになったとしても、三奈子さまは山百合会を敵に回す事は間違いなさそうだ。 「静さん、一つ確認しておきたいことがあるのだけれど宜しいかしら?」 「ええ、何です?」 そんな話をしていたのだけれど、祥子さまが静さまに問いかけた。 「さっき言っていた、立候補した理由。本当は、もっとはっきりしたものがあるのよね?」 「ええ。けれど、白薔薇さまになるかどうかと言うことに付いてだけ言えば、そんなに変わらなかったかも知れませんね」 静さまが立候補した理由はお姉さまと私への想いだから、けれど、今はそれだけではない。 そう言えば……今まで静さまからの宣戦布告はあったし、私は受けて立った。けれど、私の方からその理由や想いは何も話していなかった。 「そう、明後日の演説楽しみにしているわね」 「私の方こそ」 なんだか、このまま終わってしまいそう。確かに昼休みの終わりの時間は近づいているし、部外者はいないけれど、かと言ってみんながいるここで言うのも憚れる。 「祐巳さん?」 私の様子に気付いた静さまが声をかけてきた。これは良い機会ができたと言うことなのかも知れない。 「……あの、静さま、」 「何かしら?」 「お話ししたいことがあるのですけれど、時間取って頂けませんか?」 そう言うと、静さまは少し考えるような仕草をした後、「今日の放課後で良いかしら?」と返してきた。 「はい、ありがとうございます」 〜4〜 そして放課後、指定された音楽室にやってきた。 音楽室は合唱部が練習場所に使っている場所。つまり、静さまの領域なのだ。 前に同じように図書室にも行ったけれど、あの時はそんなに意識していなかったし、そもそもこんな目的じゃなかった。だから、形は同じでも全然気持ちは違った。 やはり入りづらい……ドアの前に立った後、なかなか次の行動を起こせなかった。 けれど、私には伝えなければいけないことがある。それに、静さまは薔薇の館に単身乗り込んできたりもしたではないか……思い切って音楽室のドアを開ける。 身構えたのに、広い部屋には静さま一人いるだけだった。大事な話の場所として指定してきたのなら、こうしてくれるのはありがたいことだけれど、拍子抜けなんかしていないと言えば嘘になると思う。 「いらっしゃい」 「……皆さんは?」 「今日は合唱部の活動はお休みなの。休みの日にも、こうしてやってくるのは私くらいだから、話をする場所としては良いでしょう?鍵を閉めておけば、なお安心だけれど」 そう言って私の後ろにあるドアの錠に視線を送ってきた。 「……そうですね」 提案されたとおりに鍵をかけることにした。カチャリという音が部屋に響く。これで、この音楽室には誰も入って来れなくなったわけだ。 「それで、話って何なのかしら?」 「……今まで、静さまのお姉さまへの想いとか、白薔薇さまに対する気持ちを聞かせて貰ったけれど、私の方からは何も言っていなかったことに気付いたから、それを話したかったんです」 そう言うと、静さまは静かな笑みを浮かべて「私も聞かせてほしいわ」と返してきた。 と、ここまで来たは良いけれど、話すと言うことしか決めて無くて、何からどういう風に話そうかとか全く考えてなかったことにやっと気付いた。……とりあえず、話しやすいこと、白薔薇のつぼみとしての理由から話す事にする。 「私、立候補するかどうか、ずっと悩んできました。私なんかが白薔薇さまになっても良いのかどうかって……」 静さまはでしょうねと言った感じだったけれど「静さまにしてやられ続けていたと言うのもあったけれど」と付け加えると、くすくすっと笑われてしまった。 「ごめんなさい。黒薔薇の事、思っていた以上に仕返しになっていたのね」 「それは私も悪いんですけれど、お姉さまも別に跡を継いでほしいとは思っていないと言っていたし……はっきりとした理由を見つけられなかったんです」 「祐巳さんって、真面目なのね」 真面目……そうだったのかもしれない。薔薇さまにふさわしいかどうかを選ぶための選挙だけれど、立候補するかどうかですごく悩んでいたのだから。令さまや祥子さまがいなくても、静さまからあんな風に挑戦状を突きつけられたら私にそれを受けないなんて選択肢はない事には変わりなかっただろうけれど、そんな個人的な理由だけで立候補してしまったと言う罪悪感を感じてしまっていたと思う。 「でも、なりたいかどうかって言うのだったら、やっぱりなりたかったんです。色々とあったけれど、私はお姉さまのおかげで、薔薇の館のメンバーにして貰って仲間と居場所ができた。それは私にとって大切なものだから、手放したくはなかった。護りたかった……」 「それが理由だったのね」 うなずいて、もう一つ立候補してから増えた理由。静さまと同じようにみんなと一緒に選挙に向けて動いていく中で、みんなに応援されているなら、それも理由の一つで言いかなって思える様になったと言うことも話す。 「……みんなが私のことを好きになってくれていたというのは静さまに教えられたんですけれどね」 静さまはどこか楽しげに「そう」とだけ口にしてて答えた。生徒会長としての白薔薇さまについては、そんなところ。白薔薇さまになりたい。勝ちたいと言ったところだろう。 今度は、佐藤聖の妹としてのもの……立候補についてじゃなくて、私の妹としての想いと理由。そしてそうなるまでの過程……あの時、聞かれたけれど答えなかった私とお姉さまが本当の意味で姉妹になった理由を話す。 「私って、山百合会のメンバーにあこがれてはいたけれど、元々は別にお姉さまに特別な想いを持っていた訳じゃなかったんです」 静さまも言う様に本当に突然妹体験なんて事になって、そのまま妹に収まってしまったのだ。 「本当は祥子さまのファンだった……ううん、ファンなんです」 「祥子さんの?」 これには静さまも驚いた様子。静かにじっと聞こうとしていたようだけれど、すぐにそうもいかなくなってしまった。 けれどそれも当然だろう。お姉さまのことを見てきた静さまにとって、私が祥子さまのファンだなんてとても思い付くはずがない。今だって祥子さまはあこがれの存在……お姉さまがより特別になっただけの話。 「けれど、私なんかが祥子さまとお近づきになれるわけなんかなかった。……でも、お姉さまにロザリオを渡されて妹体験って言う話になって初めて祥子さまとお近づきになれたんです」 大本のきっかけはその前、マリア様の前でタイを直してもらったことだけれども、本当にたまたま。妹体験なんて事になれなければ、そのまま些細な出来事で終わってしまっていただろう。 「……まさか、ロザリオを受け取ったのは?」 「はい……最初、お姉さまは志摩子さんを妹にできないならって感じだったし、私もお姉さまと一緒にいると楽しかったって言うのもあったけれど、やっぱり、妹になれば祥子さまとも一緒にいられるって言うのもあったから受け取ったんです」 手首に巻いているロザリオ……最初はそんないい加減な形だった。もちろん今は違って、このロザリオはまるで私の一部分の様になっているけれども。 静さまは眉間に少ししわを寄せて、黙って続きを促してきた。お姉さまに深い想いを持っている静さまが、そんな関係から始まった私たちのことをどう思っているのか?正確にはわからないけれど、やはり心中穏やかではいられないようだ。 「そんな気持ちで姉妹になるなんてだめですよね……でも、それだけじゃなくて志摩子さんにとってもお姉さまが一番で、祥子さまからロザリオを貰ったのはお姉さまからは貰えそうになかったから……それなのに私に奪われてしまった」 静さまもお姉さまをずっと見てきた。そう言う意味では、志摩子さんに近い立場なのかも知れない。どうして祥子さまからロザリオを受け取ったのか、そんな静さまはどのあたりまで分かっているのだろうか? 「私はお姉さまから受け取ったとき、志摩子さんの事をまるで考えていなかったことに気付いて凄く後悔したけれど、志摩子さんは祥子さまから受け取ってしまった自分が悪いって考えて、現実を受け入れようとしていた」 志摩子さんには悪いけれど、私のお姉さまへの想いと理由を静さまにきちんと伝えるには、触れないわけにはいかない。心の中で謝りながら話を続ける。 「それが分かってほっとしてしまった……でも、『受け入れようとする』と、『受け入れられる』は違いますよね」 「……そうね」 何か考えている様子。きっと志摩子さんに自分を重ね合わせて改めて考えているのだろう。 志摩子さんのお姉さまへの思いは決して弱い訳じゃなかったい……むしろ、とても強い。けれど、薔薇の館と仲間もとても大きかったのだ。 「あ、続けて」 「はい。そんないびつな関係だったのに、私はその状況にまるで気付いていなかったから、破局は直ぐにやってきました」 「破局、ね」 やっぱりと言う感じの口調でつぶやく。 静さまが言う通りそんな関係が長続きするはずもなかった。実際に破局はやってきたのだ。 「私が祥子さまのファンだったことは、みんな直ぐに分かってしまったんですけれど、志摩子さんは、ちょうどお姉さまがしていた当てつけの裏返しで、私の目の前で祥子さまと仲良くして見せつけていたんです」 それなのに私はまるで気付かなかった。祥子さまと仲良さそうにしているのを見て、単に姉妹の仲が良くなっているとしか思わなかった。 「でも、私はそんなことになっているなんて全く思いもしなくて、祥子さまとも仲良くなっていってしまったんです」 「志摩子さんは二人の大切な人を祐巳さんに奪われた?」 頷きで答える。祥子さまとの間に特別な何かがあった訳じゃない。けれど志摩子さんからしてみればそうだった。見ていただけではわからないものだったかもしれない。けれど、考えるべきことだった。 「決定的だったのは、たわいのない冗談話の中だったけれど、祥子さまが私が妹だったら楽しいだろうって言ったんです」 「聞いていたのか……きついわね」 本人がいる前でそんな冗談話はできない。けれど、ドアの向こうで聞いていたのだ。 つらそうな表情を浮かべる静さま、それは志摩子さんに自分を重ねて見ているからこそだろう。 「お姉さまが物音に気付いてドアを開けたけれど、志摩子さんは涙を零しながら逃げ出してしまった。祥子さまは直ぐに追いかけたけれど、お姉様は追いかけられなかった。その時、やっと志摩子さんの事に気付いたんです」 志摩子さんについてのことを長く話していたけれど、次からはやっと私とお姉さまのことを話せる。 「志摩子さんを凄く傷つけてしまったことと、私にその引き金を引かせてしまった事で、後悔して自分を責めていた。でも、私はまだ何も分かっていなかった。だから、どういう事なのか教えてくれたんです。それは、贖罪のつもりだったのだけれど……志摩子さんから二人の大切な人を奪っていたってそれで初めて気付かされたんです」 当たり前ではあるけれど、私たち姉妹の成り立ちには、本当に深く志摩子さんが関わっていたとこうして話していて改めて思う。私もお姉さまもすべき事をしなかった。してはいけないことをしてしまった。だからこそしっかりと結ばれることになったのだ。 「犯してしまった罪が怖かった……しかも、志摩子さんはもう戻ってこない、償いようのない罪が凄く恐ろしかった」 あの時、一緒にいたのがお姉さまでなかったら、他の誰かから事情を聞かされていたとしたら、きっと私は罪の意識に潰れてしまっていただろう。 「でも、お姉さまが助けてくれた。ついさっきまで自分を責めていたって言うのに、その原因は何も解決していないのに、必死に……」 私のことを最優先にしてくれた。近づきすぎて、他には何も見えなくなってしまう様な人間だって久保栞さんの時に反省してから、意識して距離を置いていた。だからこそ、志摩子さんとすれ違うことになってしまった。そんなお姉さまが、私のために近づきすぎていた……近づいてくれた。 「けれど、お姉さまの問題は何も解決していない。そんなのじゃ、きっと不幸になってしまう」 静さまは何を思っているのか、軽く目を閉じて私の話を静かに聞いている。ここからがいよいよ、想いの部分……やっぱりそんなことを他人に話すのは恥ずかしい。何となく二の足を踏みそうになってしまったけれど、それじゃだめだ。ちゃんと伝えないとって自分に言い聞かせる。 「色々とあったけれど、妹になれて楽しかった。本当に良くして貰った。それに、自分のこともそっちのけにして私を救ってくれた。そこまで私のことを想ってくれているというのに、不幸になってしまう、不幸にしてしまうだなんて、絶対に嫌だった」 あの時はそこまで頭が回っていなかったけれど、もしお姉さまが私のために不幸になってしまっていたら……それは志摩子さんの事以上。嫌とかそんなことで済むことではなく決して許されないような事だったのかもしれない。 「立派に姉としての役目を果たしてくれたのに、私は妹として何もしていない。何もしようとしてこなかった。だから、私は妹として支えたかった。あの時、私の中で『白薔薇さま』から『お姉さま』に変わった」 いよいよ、本当の意味で、静さまの挑戦を受けたと言う意味の言葉を口にする。これが私の決意。でも、きっと私の顔はトマトみたいに真っ赤になっていると思う。 「私は、佐藤聖の妹です……だから、静さまからの挑戦には負けられません」 静さまは目を開けて私の瞳をじっと見つめてきた……恥ずかしくて目を逸らしてしまいそうになるけれど、なんとか堪える。 「そう……やっと、あの方が本当の意味で祐巳さんを妹に選んだ理由が分かったわ。教えてくれてありがとう」 本当に納得したという顔、きっと私のお姉さまへの想いを伝えられたと言うことなのだろう……どっと気が抜けてしまった。 「……実はね。もし私の方が当選したら、白薔薇さまが卒業された後に祐巳さんにこれをあげても良いかな?って思っていたの」 そう言ってポケットから取り出したのはロザリオ……真新しい。ずっとお姉さまのことを見ていた静さま。静さまのお姉さまから貰ったと言うようなことはないだろうし、私のために買ってくれたのか…… 「形式だけだったとしても、祐巳さんと側にいられれば楽しいかなって。祐巳さんにとってもそのまま白薔薇のつぼみとしての地位のまま、由乃さんや志摩子さんと肩を並べ続けることができる。そして、来年の白薔薇さまがたぶん約束される。なら損な話じゃないと思っていたのだけれど……選挙の結果にかかわらず、ずっと私が持っていることになりそうね」 静さまからロザリオを差し出されたら……?受け取れるはずがない。私のお姉さまは一人しかいないのだ。 「雑音も入ってしまったけれど、明後日の演説会と土曜日の結果を楽しみにしているわ」 先週と同じように微笑みを浮かべてそう言ってきたのだけれど、何かが決定的にあの時とは違う気がした。それは、私も想いを伝えることができて、やっと同じ土俵に上がったと言うことだったからなのかも知れない。 朝……リリアンかわら版が二枚綴じで配られていた。 内容は、先のリリアン通信は三奈子さまがかわら版で選挙に関するものを扱いたかったから、あのようなものをわざと流したもので、内容に関しては盛り上げるために憶測や、ある一面を誇張したりしたものが多数入っておりまるで参考にならない内容であると言うことと、その三奈子さまには山百合会と選挙管理委員会から厳重注意が下された事が書かれていた。 また、リリアン生徒としてふさわしくない行為は慎む様にしましょうとの薔薇さま方からの呼びかけも添えられている。 これは、昨日三薔薇さまが動いて証拠を押さえるなりしてくれていたのだろう。ひょっとしたら、昨日昼休みにお姉さまがいなかったのはこれが理由なのかも知れない。 二枚目は、昨日私たちが答えた内容だった。これで選挙へのリリアン通信による影響は随分抑えられるだろう。 白薔薇のつぼみとして、佐藤聖の妹として、福沢祐巳の戦いはいよいよ明日だ。 〜5〜 「ここは待ち伏せをするにはなかなか良い場所ね。で、その待ち人は来たのかしら?」 銀杏並木の分かれ道にあるマリア像の前で人を待っていたロサ・カニーナ。 待っていたのはこの私だったようで、そう尋ねると「今いらしましたわ」と返してきた。 「そう……ちょうど良かった。私も一度ロサ・カニーナと話をしてみたかったから」 そう言うと嬉しそうな笑みを浮かべて返してくる。お互いが話したいことがあるならちょうど良いという意味だろうか? 「それは光栄ですわ。でも、話をするのはまた今度と言うことにしませんか?」 ちょっと予想外の提案だった。わざわざこんなところで、待っていたというのに……なかなか読めない人間だ。 「それで、その今度って言うのは?」 「選挙の当日。土曜日の放課後、選挙の結果が出た後、ここでいかがでしょうか?」 「結果が出たら?当選したらとかじゃなくて?」 「ええ、当落に関係なく」 「OK、その時を楽しみにしているよ」 そう約束した以上今話す事はないから去ろうとすると、ロサ・カニーナが呼び止めてきた。 「そうそう、白薔薇さま。私の名前ご存じですか?」 ロサ・カニーナの名前か、祐巳は静って呼んでいた。リリアンかわら版にはフルネームで書いてあったはずだけれど、生憎覚えていない。 「いや、静という下の名前しか覚えていないな」 「そうですか……私は蟹名静と申します」 「蟹名だからカニーナか」 「ええ、クラスの友人が付けてくれたあだ名だったんですけれどね」 「そっか……」 そう言えば、須加星だから佐藤聖って言うのもあったけ、まだあっちの方がひねりが利いていて面白いかな。 「ちなみにロサ・カニーナってどんな薔薇?」 「………黒薔薇。だといいですね」 何となく気になった事を聞くと、少し長い間の後に何とも妙な答えが返ってきた。本当は違うと言うことなんだろうけれど……やっぱり、じっくりと話を聞いてみたいな。 「それでは、ごきげんよう」 「ごきげんよう」 私はこのまま直行、ロサ・カニーナよりも早く会場に入ることにした。 講堂の舞台袖に並べられているパイプ椅子に祐巳を発見した。 手のひらに人という字を書いて……固まった。 どうするんだっけ?どうすればいいの?って感じかな?そんなのじゃその人の文字をどうしたって緊張ほぐれることはないな。 「こらこら、候補者がそんなにおろおろしててどうする」 「お、お姉さま!」 「自分でやるって決めたんじゃないの?なら、もっと自信を持たなきゃ」 自分に言い聞かせる意味が大きかったのだろうけれど、ピシッと背を正して「はい」と力強く返してきた。 「それじゃ、当選したら、貴女の力で最後までその責任を全うするのよ」 「はい」 これなら大丈夫だろう。行方は私には見えないけれど、立派にこの演説会をこなしてくれるだろう。 舞台から降り、どこに座るかと空いている席を探していたら、蓉子が手招きをしているのが目に入った。横には江利子もいる。 結構後ろの方の席、聴衆の主役は選挙権を持っている一二年生、だから我々三年生は後ろの方でと言うわけだ。 蓉子の隣の席に座る。 「祐巳ちゃんはどうだった?」 「大丈夫。あれならちゃんとやってくれるよ」 「そう、楽しみね」 舞台の方に目をやると、ロサ・カニーナの姿が見えた。私の後からやってきたけれどちゃんと間に合った様だ。 『お集まりの皆様、お静かに願います。これより、来年度生徒会役員選挙の立ち会い演説会を開始いたします』 いよいよ始まる。演説は立候補の届け出順……つまり、祥子、令、ロサ・カニーナ、そして最後に祐巳の順。 『それでは、小笠原祥子さん。演説をお願いします』 選挙管理委員会の司会進行で演説会が進行していき、名を呼ばれた祥子がすっと立ち上がって演説台の前に立つ。 そして、一つ息をしてから、演説を始めた。 あとがきへ