もうひとつの姉妹の形〜ロサ・カニーナ〜

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第一話

白薔薇のつぼみと噂の黒薔薇さま?

〜1〜
 今日は冬休み最後の日……明日から学校が始まる。
 冬休みの間会えなかった人たちに会えるのは楽しみなのだけれど、私は本当にみんなに会うことができるのだろうか?
「おっと、」
 また無謀な追い越しをかける私のお姉さま……ほんの二週間前である去年の十二月の二十五日に十八歳になったばかりの超初心者ドライバーで、平気でエンストをしてしまうと言うのに!
「よしよし、だんだん慣れてきた」
 お願いですから、こういう事はちゃんと慣れてからするようにしてください!!
 そんな僅かな時間が長く思えるような時間が終了し、漸く駅前の駐車場に到着……これで、大きな事故の心配はなくなった。でも、別の意味で心配は大きい気がする。
「えっと、後ろを確認してギアをバックに入れて……」
 どうしてそんなところを選ぶのか、お姉さまが入れようとしている両側にはピカピカの高そうな車が停まっている。
 ぶつからないようにぶつからないようにとマリア様に必死でお祈りを捧げた効果があったのか、無事にぶつからずに停車できた。
 でも、「う〜ん、そっちから降りるね」なんて、思いっきりぎりぎりで、一方の私の方はずいぶんスペースが空いてました。
 精神的にどっと疲れてしまった。もしこれが遠出とか言うことになったら、きっと精神的拷問だろう。
「祐巳って大げさだね」
 言葉に出てたか……
「じゃあ、他の人乗せてみてくださいよ、みんなそう言うに決まってますから」
「ん〜、じゃあ今度誰か捕まえて乗せてみるわ」
 哀れな子羊はいったい誰になるのかは分からないけれど、私には帰り道が残されているのだ。さしずめ、私は子羊ならぬ子狸と言ったところなのだろうか……まあどちらでも良いけれど、帰りを考えると気が重くなってしまう。
 けれども私は現金なもので三十分後にはお姉さまと一緒にゲームセンターで遊んで楽しんでいた。
 で、今はレーシングゲームに熱中している最中。
「どうこれ!レコードタイム!!」
 得意そうなお姉さま、本物の車ではこんな事はできないからって凄く楽しそう。純粋に凄いと思う……でも、本物の車ではこんな運転はしないでください。
「大丈夫大丈夫、私の車はこんなにスピードでないから」
 やりそうで怖い……
 

 ゲームセンターで遊んだ後、ウィンドウショッピングをしたり、美味しいお昼を食べたりしたりして楽しんだ。そして、帰る前にお姉さまが買いたい本があると言うことで最後に本屋に寄った。
「何を買うんですか?」
「ん〜、こっち」
 お姉さまが歩いていく方向は、参考書・問題集が並んでいる棚の方……そうだった。お姉さまは三年生なのだ。
 数学の問題集を物色しているお姉さまに少し聞いてみることにした。
「お姉さまって、受験組だったんですか?」
「そう。だからこそ、こうして勉強の準備してるわけだけれど」
 お姉さまの成績ならもちろんリリアン大学へは実質無試験でいけるのだけれど、そうではないと言うことはもっとレベルの高い大学に行くと言うことなのだろう。
「どこの大学を受けるんですか?」
「ん〜〜〜……秘密」
 にんまりって言った顔をしながら、教えてくれなかったお姉さま。
 分かってはいたことだけれど、あと二ヶ月もすればお姉さまは卒業してリリアンからいなくなってしまう。姉妹になってから二月ちょっとなのにもう折り返し点なのだ。改めて考えてみると、寂しくなってしまう……今まで、そして今が凄く楽しいだけにいっそう……
「祐巳〜」
「あ、は、はい!」
「外で、百面相はしないようにね」
「うあ」
 ま、またやってしまいました。


 その後の復路はもう何も言うまい。
 ゲームセンターでレコードタイムをたたき出したから、調子にのって運転されてしまい更にもの凄かった。
 とりあえず……到着したので、この凶器から降りることにする。
「佐藤さんこんにちは」
 見ると、ちょうど帰ってきたところらしき祐麒がこっちに歩いてきながら声をかけてきていた。
「こんにちは」
「祐巳、お帰り」
「た、ただいま」
 私の疲れ切ったと言ったような声に何があったのかと首をかしげてると、「あ、そうだ。弟君、これから時間ある?」とお姉さまが祐麒に尋ねる。
「はい?ええ、ありますよ」
 そして、そう答えてしまった祐麒。なんと、選ばれたのは哀れな子羊ではなく、哀れな子狸だった。
 弟よ……立派に死んでこい。
 さっきまで私が座っていた助手席に祐麒を乗せて走り去っていく車を見送り、私は家に入ることにした。
 ちなみに、オスの方の子狸は夕食の席には現れなかった。


〜2〜
 久しぶりにマリア様にお祈りをする。ちょっと遅いかもしれないけれど、今年はこれが最初だから、今年がいい年であるようにって、
 去年は本当に色々とあったけれど、お姉さまと姉妹になれたし、山百合会のみんなや蔦子さん達と知り合えたし、とてもいい年だったと思う。とは言っても、できれば今年は単に良い年であってほしい……
「ごきげんよう、福沢祐巳さん」
 お祈りを終えて、また並木道を歩き始めようとしたところで声をかけられた。
 直線に切り揃えられた短い髪をした綺麗な人……見覚えはないけれど、雰囲気からしてたぶん上級生だろう。
「ごきげんよう」と返す。
「どんなお祈りをしていたのかしら?」
「えっと……今年も良い年でありますようにって」
「そうね、去年は祐巳さんにとっては特別な年だったでしょうし、今年もそうであると良いわね」
「ありがとうございます」
「白薔薇のつぼみである以上、色々とあるけれど頑張ってね……それでは、またお会いしましょう」
 その人は最後に微笑みながらそう言って校舎の方に去っていった。
 お祈りをしてから、カップラーメンができあがるよりも短い時間でいきなり断定されてしまって何とも言えない気分にされてしまった。
 だからと言うわけではないけれど、あの人自体については、何となく涼しそうな人……そんなイメージをもった。でも、どうして私に声をかけたのだろう?
 確かに、白薔薇のつぼみになってから、知らない生徒から声をかけられると言うことはちょくちょくあったけれど、そう言う感じではなさそうだったし……特に思い当たるようなことがない。
(……う〜ん、分からないなぁ)
「お〜い、祐巳さ〜ん」
「あえ?」
 見ると蔦子さんが少し苦笑しながらトントンと私の肩を叩いていた。
「考え事をするのは良いけれど、こんなところで考え込むのはどうかな?」
「あ……」
 ここはマリア様の前で、今は登校時間中と言うことで私のことを見ている生徒多数……
「あ、ありがとう」
「別に良いよ、それより、明けましておめでとう」
「明けましておめでとう」
 それからは蔦子さんと一緒に教室に行くまで、そして行ってからも冬休みの話で盛り上がった。
 ちなみに、二日三日と祥子さまのお屋敷で行われた合宿についてのコメントは、「どうして呼んでくれなかったのよ〜」だそうだ。



〜3〜
 今日は、結構休んでいる人が多かった。
 学年主任も、無理に出てくることはないと言っていたし、私も来なくても良かったかも……なんて考えながら廊下を歩いていると、「白薔薇さま、ごきげんよう」と声をかけられた。
「ごきげんよう」
 声をかけてきたのは、たぶん二年生だと思うけれど、綺麗な子。見覚えはないけれどこんな子もいたんだ。
「今日白薔薇さまにお会いできて良かったですわ。お休みかも知れないと心配していたのですけど、いらっしゃっていたのですね」
 何だろ?言外に何かあるような感じ……「ん、まあね」と、とりあえず無難そうな返事を返すことにした。
「もう妹にはお会いになられましたの?」
「いや、今日は祐巳とは会ってないな」
「そうでしたか、失礼しました」
「いや、良いよ」
 それから、二三特になんて事もない言葉を交わした後、「これで失礼させて頂きますわね」と話を切り上げてきた。
「ん、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 結局名乗りもしないまま私の前から消えていった。いったい何をしに来たのやら……いや、これから何かする気なのだろうか、なのかな?
「どうしたの?何か考え事?」
 そう声をかけてきたのは蓉子だった。そうだ、蓉子の名簿の中になら該当者を見いだせるだろう。
「ああ、蓉子、ちょうど良かった」
 教室に戻りながら、蓉子にさっきの子の特徴を伝えたのだけれど……
「……ちょっと分からないわね」
 私の伝え方が悪いのか、あれだけの子なのに蓉子も分からなかった。これなら蓉子に聞くんじゃなくて、あの場にいた別の子に聞くべきだったかなぁ
「調べた方が良い?」
「いや、良いよ。ありがと」
 何かするつもりなら直にどんな子なのかは分かるだろうし、そうでないなら別にかまわないだろう。
「そう、ところで今日はこれから帰り?」
「ん、そのつもり」
 始業式の日から何かするつもりなんてない。何となく自分で作る気もなかったし、何か買って帰ろうかとも思っていたけれど、ひょっとしたら期待出来るかも知れない。
「じゃ、お昼どこかに食べに行かない?」
「OK」
 即答。期待した通り良いお昼ご飯にありつけそうだ。


〜4〜
 志摩子さん、そして令さまによってもたらされたロサ・カニーナという人の噂。
「ええっと。確か立候補って言っていた、かな」
「「「「立候補?」」」」
 四人が同時に聞き返したあと、「面白いじゃない、受けて立ちましょう」「気が重いなぁ」というのは、それぞれ祥子さまと令さまの言葉、「どうしようか、志摩子さん」「少し楽しみね」とは由乃さんと志摩子さんの言葉。
 そして全員の視線が私に集まってきたのだけれど、私だけは「立候補って何のこと?」の状態だから、どうにもこうにも反応のしようがなかった。けれど、何のことですか?と質問することはできないし……と困っていると、「一月の末に次期生徒会役員の選挙があるのよ」と祥子さまが教えてくださった。
「あ、そういうことですか」
「そういうことですか、じゃないでしょ祐巳さん!喧嘩を売られてるのよ!」
 由乃さんが大きな声で言ってきた事は確かにその通りかもしれないと思うけれど、座右の銘が「先手必勝」とは言え少し反応が激しすぎる気がする。
「白薔薇のつぼみがそんなのでどうするのよ〜」
 今度はちょっと気が抜けてしまったような声で……あっ!!
 生徒会選挙に立候補するのは伝統的に薔薇さまの妹で、大抵はそのまま薔薇さまになるからこそ、「つぼみ」と呼ばれているのだ。
 つまり、白薔薇のつぼみである私も選挙に出ると言うことで、そこにロサ・カニーナと呼ばれる人が勝負を挑んできたと……漸く私にも話が見えてきた。
「ロサ・カニーナと呼ばれる生徒は二年生なのでしょうか?」
「話をしていたのはどちらも二年生みたいだし、その可能性が高いかもね」
 ……二年生。紆余曲折を経たけれど、お姉さまが選んだのは私だったから白薔薇ファミリーには二年生がいない。
 しかも、三人が立候補すると言っても、祥子さま、令さまと私では、二年生と一年生という以上に雲泥の差がある。だから、ロサ・カニーナという人が喧嘩を売ったというのは、つぼみ三人に対してと言うよりも……
「え〜〜〜!!!」
 最後まで話が繋がった瞬間に叫んでいた。由乃さんはやっと分かったのね……って感じで少しあきれたような顔をしている。
 その後もロサ・カニーナという人についての話が続いたけれど、結局のところ、薔薇の館で膝をつき合わせても埒があかないと言うことでそれぞれが情報収集をして、明日の放課後に対策を立てると言うことで解散になった。


 バスに揺られながら外の景色に目をやりながら、考え事をしている……ロサ・カニーナじゃなくて私の立候補の事。
 お姉さまの妹になって僅か三ヶ月だけれど、そんなことは関係なく来るべき時はやって来た。そんなことは、わかってはいたけれど……ただ、少し話が変わってきたのかもしれない。
 ロサ・カニーナはこんな私なんかよりも、山百合会を担うのにふさわしいような人かもしれないし、二年生だとしたらなおさらかもしれない。
 なら、いっそ、ロサ・カニーナに任せてしまった方が良いのではないかという気もしてしまうけれど、果たして本当にそれで良いのだろうか?
 私には分からない……お姉さまはどう思っているのだろう?


「ただいま〜」
 リビングに入った瞬間、テーブルの上に鎮座しただるまが目に飛び込んできた。
 なぜ?どうして、このだるまがこんな所に?
「……何?」
 ソファーに寝っ転がってテレビを見ていた祐麒に聞いてみる。
「ああ、母さんがノリノリになって準備してるよ」
「準備ってなんの?」
「祐巳の選挙」
「うが」
 思わず変な声を上げてしまった。
 本人がどうしようかと思っているところなのに、そんなに勝手に盛り上がられても……いや、そもそもよく考えれば、このだるまはお姉さまが初めて家に来た日。つまり私にとっては初めてのデートの日、お母さんにとっては私が白薔薇のつぼみになったのを知った日だ。
 すでにあの時からノリノリだった訳か……
「で、そのお母さんは?」
 ちょっと気が重くなってしまったけれど、鞄をおいて祐麒の横に腰掛けながら、姿が見えない張本人について聞いてみた。
「事務所の方」
「そっか、」
「何か用?」
「ん、用ってわけでもないんだけれどね……正直、私どうしようかって感じなんだよね」
「……言っておいた方が良くない?」
 と祐麒が言って来て私が何か言葉を返すよりも早く、「祐巳ちゃん帰ってきてるの〜?」と玄関の方からお母さんの声が聞こえてきたので、「うん、ただいま〜」と返すと直ぐにリビングに入ってきた。
「祐巳ちゃんお帰りなさい」
 そう言って次に出てきた言葉は、「投票日っていつ?」だった。突然だけれど、この場合その投票日という言葉が指しているのは一つしかないだろう……
「え、えっと……一月最後の土曜日だけれど」
 そう答えると「なるほど」とか言って、赤ペンを取ってカレンダーのその日に花丸をつけた。
「あの、お母さん?」
「この日が楽しみね」
 その後に続けて「ねぇ、祐巳ちゃん」と弾んだ声で私に同意を求めてくる。なんだか、ここまでノリノリの状態のお母さんに、「私立候補しないかも」なんて言って冷や水をぶっかぶせるのは気がひけてしまった。
 それに、まだ立候補しないと決めた訳じゃないし……結局立候補したならしたで、別に特に言う必要もないし、更に言えば、このまま不戦敗になってしまっても、単に落選したと言えば、お母さんは落ち込むだろうけれど、結局私みたいな、しかも一年生が薔薇さまになるのは無理だったと言えばそれで済む話かもしれない。
「ああ、ごめんなさい。すぐに、お昼用意するわね」
 そう言って、私の分のお昼ご飯を用意するためにキッチンの方に歩いていった。
「良かったわけ?」
「……祐麒だったら言えた?」
「……まあ、確かに、」


〜5〜
『四百七十二件です』
「う〜む」
 閲覧室の検索用コンピューターを前に思わずうなってしまった私。
 まあそれでも、アイウエオ順に並んでいるリストのもっと後ろの方を探そうとしていたら「あの失礼だけれど……」と肩を触られ声をかけられた。
 驚いて振り返ってみてみると、昨日マリア様の前で声をかけてきた人だった。
「あ……すみません、直ぐにどきますから」
 最初一人で長い時間コンピューターを使っているから注意されたのかと思ったのだけれど、そうではなくて、もうすぐ朝拝の時間で、親切にもそれを知らせてくれたのだった。
「ありがとうございます。助かりました」
「どういたしてまして、図書委員だからそれも仕事よ。最も合唱部にも所属しているし……ひょっとしたらもう一つ増えるかもしれないのだけれどね」
「へぇ〜すごいんですね」
 私の周りで二つ以上掛け持ちをしている人は志摩子さんと令さまの二人で、どちらも色々と大変そう。この人も二つ掛け持ちをしていて、さらに一つ増えるかも……と言うのだからそれだけで凄いと思って、そう素直に言葉にしたのだけれど、その人は軽く苦笑を浮かべて答えてきた。
 苦笑って事は、あまり好き好んでって訳じゃないのだろうか?
「……さ、急ぎましょう」
 ともあれ図書室を出て一緒に歩きながら捜し物の話をして、ロサ・ギガンティアのことを教えてもらったりもした。この人は薔薇について色々と知っているみたいだったので「あの、ロサ・カニーナという花をご存じありませんか?」と聞いてみることにした。
「ロサ・カニーナ?……知っているわよ」
 案外あっけなく答えが得られるようだ。
「やっぱり薔薇なんですか?」
「ええ」
「どんな花なんでしょう?」
「祐巳さんはどう思って?」
「どうっ、て……強いてイメージを導き出すとするなら……黒っぽい薔薇」
 すっと目を細くしながら「あたり」と答えてくれた。
「ロサ・カニーナは黒薔薇なのよ」
 その人がそう言ったときちょうど本鈴のチャイムの音が鳴り始めた。
「あ、いけない。ありがとうございました。ごきげんよう」
「またお会いしましょう。白薔薇のつぼみ」
 その人は別れ際だけ、私のことを「祐巳さん」ではなく「白薔薇のつぼみ」と呼んだ。そのことが何か引っかかって、考え込みそうになって危うく遅刻してしまうところだった。


「蟹名静かぁ……どっかで聞いたことがあるような」
 蔦子さんからロサ・カニーナ正体を聞いた後の私の反応はそれだった。
「まあ、有名な人だからね。ところでそれだけ?」
「へ、だめ?」
 それだけって他にどんな反応を求めていると言うのだろうか、
「あのさ、祐巳さん。蟹名だからロサ・カニーナって、恥ずかしいほどストレートな呼び名について、何かご感想は?」
「あ、そうか、全然気が付かなかった」
「しっかりしてよ……そんなのでこの危機を乗り切れるわけ?」
「う、う〜ん……」
 正直なところ、どうするのか決められていないと言うこともあるのだけれど、黒薔薇さまがいったいどんな人なのか分からないのだから、自信が持てるはずもない。
『選挙管理委員会からお知らせします』
「ん?」
 選挙管理委員会がかけた放送は、今日の放課後、選挙の立候補者への説明会を行うので、候補者は選挙管理委員会の部屋に集合することとの内容だった。
 私の意見がどうあれ、状況は時間と共に進んでいく。そして時間は止まってはくれないのだ。


〜6〜
 選挙の説明会に祥子さま、令さまと一緒に行く。
 あの後も何度かお知らせの放送があったけれど、つぼみは当然出席するもので選挙に向けての第一歩。でも、私はまだどうするのか決められていないから、説明会に出席すべきだとは分かっていてもあまり気が進まない。
 けれど、ここに必ず来る黒薔薇さま……蟹名静さまがどんな人なのか、そちらのことは気になっていて、確かめたくはあった。
「あの、ロサ・カニーナについて何ですけれど……」
「何か分かったの?」
 私の場合は、蔦子さんと言う特別な情報源があったけれど、祥子さまと令さまにはなかったのだろう。どこか期待されているような視線も返ってきた。
「蟹名静さまと言うお名前だそうです」
「そう。彼女だったね」
「蟹名静嬢か、」
「お二人は、ご存じなんですか?」
「うん、合唱部の歌姫。学園祭でアリアを独唱してたよ」
「へぇ」
 合唱部の歌姫か……そう言えば、あの図書委員の人は合唱部にも所属しているって言っていたっけ、
 そんな話をしている内に選挙管理委員会の部屋に到着した。
 講師室の隣にあるこの部屋はその時々の実行委員会室になったり文化部の展示室に使われたりと便利な部屋である。
 どうやらまだ黒薔薇さまは来ていないようで、部屋の中には選挙管理委員会の人たちがいるだけだった。
 まだ来ていないと言うことは分かっているけれど……黒薔薇さまの姿を求めて何となくきょろきょろとしていたら、祥子さまの苦笑が目に入ってきてしまった。……恥ずかしい。
「失礼します」
 しばらくしてドアを開けて何人かの人が入ってきた。
 その中に、あの図書委員の人を見つけた。
(あれ?どうしてあの人がここに?)
 あ、そっか、合唱部にも所属していると言っていたし、静さまとは友達でそれでついてきたのか、
 じゃあ、誰が黒薔薇さまなのだろう……入ってきた人たちの中に、これぞ黒薔薇さま!と言うような人は見つけ出せない。
「つぼみの皆様、ごきげんよう」
 図書委員の人が私たちに微笑みとともに言葉を投げかけてきた。
「……え?」
 祥子さと令さまが「ごきげんよう」と返す。……まさか、
 答えが頭に浮かんだ瞬間「ええ〜〜〜!!!」って大声で叫んでしまっていた。
「まぁ、そんなに驚かれるなんて、いったいどうしたと言うのかしら?」
「さぁ、私にはとんと分かりませんけれど、どんな理由があったにせよ、ロサ・カニーナにすごく失礼ではありませんこと?」
「ええ、リリアンの代表たる白薔薇さまに立候補しようと言う、白薔薇のつぼみともあろうものが……」
「ここは、いっそうロサ・カニーナに当選していただかないと、このような方に任せられないと、私今改めて確信いたしましたわ」
「私もですわ、今のを見ていれば、ロサ・カニーナの方が相応しいとみんな分かるはずですわ」
 一緒に来た人たちが口々に言う言葉が、ぐさぐさ私の心に突き刺さってくる……なんと、あの図書委員こそが黒薔薇さま本人だったのだ。
「祐巳さん、」
「は、はい!」
 黒薔薇さまが私の名を呼んだことでピタリと言葉の攻撃はやんだけれど、私の返事はうわずってしまっていた。
「みんなが失礼な事を言ってしまって、申し訳ありませんでしたわ」
「え?……あ、い、いえ、そんな私の方こそ、まさに」
「いいえ、私は気にしていないわ」
 そうは言うけれど、少し陰の残るほほえみだった。
 流石に全く気にしていないと言うことはないのだろう。激しく反省……
「皆さんよろしいでしょうか?」
 一段落したところで委員長が確認の言葉をかけてきた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
 黒薔薇さまはそう返し、連れの人たちと一緒に椅子に座った。
 まさか、この人が黒薔薇さまだなんて……私が抱いていたロサ・カニーナのイメージとは全然違う。
 あっ、私はロサ・カニーナにロサ・カニーナを知っているかなんて聞いていたんだ。聞かれた黒薔薇さまは、なんて思った事だろう。
「それでは説明会を始めさせていただきます」
 委員の人が注意事項が書かれたプリントを配り、委員長が選挙に関する注意事項の説明を始めた。
 説明会自体はすんなりと終わったのだけれど、「ロサ・カニーナ」、「ロサ・カニーナ」と静さまの取り巻きの生徒が何かある度に呼ぶ様はあまり気持ちの良いものではなかった。
 「ロサ・なんとか」と、お姉さま達が良く呼ばれているけれど、薔薇さま以外がそう呼ばれるのが嫌なのじゃなくて、周りの人たちがわざわざ意識して呼ぶのが嫌なんだと思う。
 二人とも私と同じ気持ちだったのだろう。説明会が終わった後、薔薇の館に戻るまで三人ともまるで口をきかなかった。
 そして、志摩子さんと由乃さんが入れてくれた渋いお茶に口を付けてから、ようやく色々と話し始めた。
「私、あまり存じ上げませんけれど、学園祭でアリアを歌った方ですよね?」
「そう。でも、ずいぶんイメージは変わってたよ、高二の冬休みに髪の毛をばっさり、ってまるで白薔薇さまみたいじゃない。験でも担いでいるのかね」
「「まさか!」」
 祥子さまと私が同時にそう口にしていた。
 でも、二人のニュアンスは少し違ったかもしれない。お姉さまにあやかりたいなんて信奉者が山百合会幹部メンバーに面と向かって宣戦布告をするだなんて事考えられない。
 けれど、もし、それが私たち……私への何かのメッセージだったら、そんな風にも思えてしまった。自意識過剰なのか、私が一番の狙い目だと自覚しているからかはわからないけれど。
「そう言えば、白薔薇さまで思い出したけれど、蟹名静さんって以前白薔薇さまの妹候補に名前が挙がったこと無かったかしら?」
「あったね、そんな噂」
「ええ!!?」
 結局のところ詳しく聞くとかわら版で勝手に盛り上がっていただけだけれど、今日はいったい何なのだろう。静さまがらみで驚かされてばっかり……
 蟹名静さま、貴女はいったい何を考えているのですか?



〜7〜
 基本的に新年が明けたら、山百合会も三年生は自由参加なのだけれど、何となく気が向いたから薔薇の館に足を運んでみた。
「ごきげんよう、皆の衆」
 ドアを開けてその場にいたメンバー……私たち以外の全員にそう声をかけると、一斉に「ごきげんよう」と返してきたけれど、ほのぼのというような感じじゃない。何か嫌なことがあったみたいと言ったところかな?
「はい、お姉さま」
「ありがと。ところで祐巳、何かあった?」
 湯飲みを受け取りながら尋ねてみた。
「あ、えっと……その……」
「噂のロサ・カニーナのことですわ」
 祐巳が言いにくそうにしていると祥子の方が代わりに答えてくれたけれど……ロサ・カニーナと言う単語には聞き覚えがない。何のことだろう?三色の薔薇が四色に増えるという話は聞いた事はないし、何か特別な薔薇の話だろうか?
 どっちにしてもそれだけでは何も分からないから、「それ何?」と聞いてみる。
「……三年生には噂は広まっていなかったのかも知れませんね。ロサ・カニーナと呼ばれる生徒が立候補すると言うことで噂になっていたんです」
「ふ〜ん、で、そのロサ・カニーナがどうかしたわけ?」
「本人がどうと言うよりは……取り巻きがロサ・カニーナ、ロサ・カニーナと見ていてあまり気持ちが良いものではありませんでした」
 小さく「タチも悪そうでしたし」と更に付け加える。
「そっか、」
 例年つぼみの信任投票になっているところに挑戦してきたロサ・カニーナか、なかなか面白い事をしてくれる生徒がいたものだ。
 ふと祐巳が何か言いたいことがあるというような表情をしているのに気付いた。
 私に言いたいこと……聞きたいことかな?とすれば、選挙のこと、たぶん立候補するかどうかの相談ってところだろう。


 だいたいお開きになる頃、祐巳が相談があるんですと言ってきたので、二人で残ることにした。
「で、何?」
 あたりはついているけれど祐巳がいれてくれたコーヒーを飲みながら訊いてみる。
「実は……」
 やっぱり、立候補するべきかどうかの相談だった。その相談には私はこう答えるしかない。
「好きにすればいいよ。別に私は祐巳に跡を継いで貰いたいって訳じゃないし、」
「え」
「そもそもこの選挙は、つぼみが薔薇さまになるためのもの。基本的に三年生は口出ししちゃいけないの。だからこそ、三年生が忙しいこの時期を選んでやるんだし」
 理屈は分かるけれど、だからって……って感じの不満顔をする。
「それに私みたいな場合も中にはあるけれど、リリアンで『薔薇』と呼ばれた生徒はみんな、お姉さま達の力を借りずに乗り越えてきたんだから」
 いくら祐巳が一年であっても、私が口を出してはいけないと思う。
 自分のことを棚に上げているような気もしたけれど、みんなを引っ張っていかなければいけない生徒会長としての資質が試される選挙で、お姉さまの力を借りているようでは端から失格だとか言う話をして話を切り上げることにした。
「なりたければ自力でどうにかすればいいし、嫌なら出なければ良い……私に言えることはそれだけ。話がこのことだけなら、帰りましょうか?帰りにどっか寄っていっても良いわよ」
「え、で、でも……」
 祐巳の顔のさらなる変化を見てみたかったと言うのもちょっとあって、話の切り上げ方をきつくしたら私が思っていた以上に本当に悲しそうな顔になってしまった。
「ほらほら、そんな悲しそうな顔しない」
 さっきとは逆に優しく抱きしめてあげて、「私は、祐巳が妹であって良かったと思っているし、これからもそう思う」と伝えると「お姉さま……」と甘えた声を私の胸で零した。
「でも、白薔薇さまの妹がつぼみでなければいけないとは思ってないの。だから、祐巳が立候補するのかどうかは祐巳の自由にしていいよ」
「……」
「私がいなくなった後祐巳がどういう道を歩むのかを選ぶのに、私の意見が入りこんじゃいけないでしょ?」
「でも……」
「でも、私じゃなければいいかもね」
「え?」
「私がいなくなった後の話だけれど、そうじゃ無い人もいるでしょ?」
「あっ」
 ヒントに気が付くと一気にパッと明るい顔に変わる。相変わらず、本当に目まぐるしく変わるなぁ
「それじゃ、帰りましょうか」
「はい」
 駅まで一緒に帰り、最後に「まだ時間はあるんだし、じっくり考えてみると良いよ」と告げ、祐巳が乗ったバスを見送った。
 そうは言ったけれど、祐巳が薔薇さまに向いているのかどうかは少し気になった。
 確か、前に蓉子が重要なのは「白薔薇のつぼみではなくて佐藤聖の妹」と言ってくれたけれど、その時に、一般生徒にとっては親しみやすくなって良いかもしれないとか言っていたっけ、
 その通りだと私も思う。けれど、それは祐巳ではなく周りの視点に立った見方……祐巳から見た場合はどうなのだろう?


 朝、登校途中で蓉子と一緒になった。
「ロサ・カニーナの話聞いた?」
「ん、昨日ね」
「そう。江利子じゃないけれど、面白いことになってきたわね」
「まあ、確かに、そうかも……」
 とは言っても、祐巳が出ないことには新聞部あたりはともかく私たちはおもしろい話というわけにもいかない。
「……前に、祐巳がふさわしいと思うかどうか聞いたことあったよね」
「ええ、あったわね」
「あれから祐巳のことを見てきて変わってない?」
「そうね……変わってないわね。むしろ、そうあってほしいと思うくらい。でも、祐巳ちゃん自身はそうではないのね?」
「まあね」
「残念ではあるけれど、最後は祐巳ちゃん自身が決める事ね……」
 この選挙は学園祭の配役みたいに、はめて無理強いというわけにはいかない。
「……できる事と言えば祥子達に相談を受けたら親身になって答えてあげてと言うくらいかな?」
「もしそんな必要があれば、それこそ大変ね」
「それもそうだ」
 祐巳が立候補して当選すれば三人が三薔薇さまになる。その第一歩に関することで二人が親身になれないようだったらお先が暗くなってしまう。
「でも、新聞部の方は私たちで手を打っておきましょう」
「ああ、まさにその通り」
 早速二人で新聞部を訪問して釘を刺すことにした。


〜8〜
「で、助言はもらえたの?」
「うん、でもね……」
「でしょうね」
「どうしてわかるの?」
「祐巳さん、訊く相手を間違っているわよ?」
 偶然登校中に会った黄薔薇さま、朝拝前の桂さんと今まで相談してきた相手を評して、蔦子さんがそんなことを言ってきた。休み時間の蔦子さんは三人目……お姉さまを入れれば四人目というわけである。
「え?どうして?」
 言われてみれば、黄薔薇さまもいなくなってしまうのだから、確かに間違っていたかも知れない。けれど、桂さんは同級生……どうして間違っているのだろうか?
「役員選挙に三年生は基本的には関わるべきではないと思うけれど、黄薔薇さまのことだから楽しそうだから是非出てみなさいよと言った感じ。桂さんはだめでもともと出てみても損はない……そんな感じじゃない?」
 見事に返ってきた答えの要約を言い当てた。さすがはみんなのことをよく見ているだけのことはある。
「それぞれの性格と立場を考えれば、簡単に分かるけれど、どちらも祐巳さんとは違いずぎるから参考にならないでしょ?」
「う……」
 言われてみれば、全く持ってその通り。
「祐巳さんと似たような性格の人はそうそういないけれど、同じ立場はつぼみのお二人でしょう」
「そっか……ん?さらっと凄いこと言わなかった?」
「私は事実を言っただけよ」
「そ、そう……ちなみに蔦子さんはどう思うの?」
「私としてはどちらでも良いと言えば良いけれど、祐巳さんが白薔薇さまになった方がシャッターチャンスが多そう」
「……」
「ちなみに、私が祐巳さんだったら、どうするかと言う質問には答えられない。確かな答えを返せるほど自信家じゃないから」
 三人目の相談相手の意見自体はまるで役に立たなかったけれど、答えを得るための道のヒントを示してくれた。
 だから「ありがとう」と感謝の言葉を述べた。



 そう言った経緯を経て令さまに相談してみることにした。祥子さまにも相談してみようと思ったのだけれど、家の用事で帰られてしまっていたのでできなかった。
 相談したいことがあると言うと、すんなりと由乃さんを先に帰して、二人だけにしてくれた。
「そっか……」
 立候補するかどうかと言うことを悩んでいると打ち明けると、令さまはカップを預けながらどこか遠い目をしてそう零した。
「祐巳ちゃんもやっぱり悩むんだね……私も前に悩んだよ。ちょうど去年の今頃、お姉さまが立候補した頃」
「お姉さまはおもしろそうだからと言う理由で立候補するようなものだし、今年と違って完全な信任投票だったけれど……私はどうなのか?私なんかが薔薇さまになっていいのか、私なんかが無事にやっていけるのか、ってね」
 令さまは十分に凄いと思う。でも、それでもそんな風に悩んでしまったんだ。
「あと、私の場合は、もう一つ悩む点があったわね」
「もう一つ?」
「由乃のこと、」
 そうか、令さまが黄薔薇さまになると言うことは、由乃さんが黄薔薇のつぼみ、すなわち次期黄薔薇さまになると言うこと。由乃さんも言っていたけれど、ずっと前から約束されていた姉妹だから……
「今はともかく、去年はまだ由乃は心臓に爆弾を抱えたままで、手術を受けるのをいやがっていたし……そんなまま黄薔薇さまにさせるだなんて事できるわけがない」
 それは私も同意する。黄薔薇さまが倒れたり、よく病欠になってしまったりと言うのではって言うのと、そんな由乃さんに重責を任せるって言う両方で、
「暫く悩んでいたら、由乃に問いつめられちゃった。何を悩んでるのかってね……それで正直に話したらパチンって叩かれた。私を言い訳にして逃げないでって……」
 光景が何となく目に浮かぶ。由乃さんは令さまとの関係を何とかしたいと思っていたから、そのことも黄薔薇革命と関わっているのかも知れない。
「別に言い訳にしてる訳じゃなかったし、そのことは由乃も分かっていたと思う。今考えれば別の意味もあったのだろうけれど、あの時は由乃からのメッセージだと思って、由乃のことを置いてよく考えてみたの」
「立候補することにした理由はいくつかあるけれど、その中に歴代の山百合会のメンバーが作り保ってきた薔薇の館の雰囲気を保ちたい、自分も加わっていたいと言うのが一番強かったかな」
 薔薇の館の雰囲気……お姉さま達三薔薇さまとそのファミリー、私もその中の一員。私がお姉さまの妹になることで得たかけがえのない仲間。
 なるほど、私にとっても大切なものだ。それを保ち、守りたい。それが令さまの理由なのか、
「新聞部あたりはともかく、祐巳ちゃんがどう言う答えを出しても私たちはそれについて何も言わないし、言えない」
「私たちは祐巳ちゃんよりも一年分の時間があったし、実際に答えを出したのはもっと後。そのことは、凄く大きいと思う……でも、よく考えて答えを出してね」
 立候補の届け出の締め切りまではまだ時間があるとは言っても、まだまだ先の話というわけじゃない。その時は私の事情に関係なくやってくるのだ。
「さて、遅くなっちゃったけれど、そろそろ帰ろうか?」
「はい、ありがとうございました」
「ううん、良いよ」
 バス停までだったけれど、それまでの並木道を二人で並んで帰った。


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