カシャッ カシャッ カメラのシャッターを切る音が響く。 ここは、写真館や式場のような場所ではない。薔薇の館の二階である。 しかも、その被写体はこの場にいる紅薔薇さまや黄薔薇さまではなく、私と白薔薇さまの二人なのだ。 「祐巳さん、もっと笑って、笑って。そうそう、もっとにこやかに」 蔦子さん、あなたその歳にしていったいどこのカメラマンですか 「う〜ん、今一ぎこちないなぁ……そうだ。白薔薇さま、ちょっと」 「なになに?」 蔦子さんに呼ばれて白薔薇さまが蔦子さんの方に歩いていく。で、蔦子さんは耳元で何かを小言で伝えている。なんだか嫌な気がしてきた。 にんまりって感じの笑みを浮かべて戻って来る白薔薇さま。蔦子さん、貴女いったい何を吹き込んだんですか? 「ゆ〜みちゃん、にっこり笑えないような悪い子は、こうしちゃうぞ〜」 「ぎゃっ」 白薔薇さまが抱き付いてくる……と同時にフラッシュの嵐が!蔦子さん後生だから撮らないで!! けれど、私の心の叫びは決して届くことはなかった。 因みに何でこんな事になっているかというと……私、福沢祐巳は晴れて白薔薇さまの妹となり、新聞部のインタビューを兼ねて写真撮影と言うことだったのだ。 昼休みに薔薇の館でと言うのは、薔薇さま方の配慮で、メンバーも新聞部は部長の築山三奈子さま一人だけで、三薔薇さまに蔦子さんと桂さんを加えていて、答えにくい質問はさせないようにしてくれていた。 インタビューの時には味方だったのに、写真撮影に入ったら、蔦子さんは蔦子さんだった。 「もし、約束違反をしたときは生徒会権限を存分に使わせてもらうからね」 「分かっております。こんな特別の場を設けて頂いたわけですしね」 口とは裏腹に、悔しげな表情を浮かべながら三奈子さまはごきげんようって言ってビスケット扉の向こうに消えていった。 「三奈子が約束を守れば、概略はかわら版の通りだって認めて、後は答えにくい質問には御想像にお任せしますって返せば大丈夫よ」 この前困ってしまった追求への対処の仕方。これで、クラスメイトやその他の生徒には大丈夫……だろうか? でも、朝このロザリオを見てしまった志摩子さんは固まってしまった。 白薔薇さまからロザリオを受け取ったとき、志摩子さんのことは頭に全くなかった。あったのは白薔薇のつぼみ、祥子さま、白薔薇さまのことだけ。志摩子さんが一番受け取りたかった、白薔薇さまが一番志摩子さんに渡したかった、このロザリオを私が受け取ってしまったのだと言うことにその時気付いた。 今は特に何も起こっていないけれど、これからいったいどうなってしまうのか、全然見えない。 「何考えてるの?」 「あ……いえ、」 「ま、いいや。遅くなっちゃったけどお昼みんなで食べる?」 「良いわね」 それから、いつものお昼のメンバーに紅薔薇さまと黄薔薇さまを加えたメンバーでお昼を食べることになった。 蔦子さんと桂さんがうれしそうだったのはよく分かるけれど、特に紅薔薇さまが嬉しそうだったのだけれど、どうしてだったのだろうか? 放課後、祐巳ちゃんと一緒に薔薇の館に向かう。迎えに行ったわけだけれど、志摩子はもう先に向かったみたいだった。 やっぱり、祐巳ちゃんの雰囲気は暗い。 勿論原因は、志摩子の事だ。 同じクラスだから志摩子がどんな様子なのかは分かっているのだろう。 私が志摩子を諦めるように、志摩子も私を諦めてくれれば良いのだけれど直ぐにそうは行かない。でも、志摩子がと言うだけじゃない。私だって諦められれば良いと言うだけで、本当に諦められるのかどうかまだ分からない。 祐巳ちゃんは嫌になってしまうかも知れない。でも、それは私の罪だから私は受け入れるしかない。 ……何を弱気になっているのか、自分に逃げ道を作ってどうする? とっくにもう戻れないところまで来てしまっているのだ。 志摩子を諦める事。志摩子に諦めさせる事。そしてその過程で祐巳ちゃんにかかるものを軽くする事。それらに全力を尽くすしかない。 一つ大きく深呼吸をしてから薔薇の館に足を踏み入れた。 「それじゃ、白薔薇さま、紹介してくれるわよね?」 最後に由乃さんと令さまの二人がやってきて、全員揃うと私の紹介が始まった。 「では、改めて。昨日祐巳ちゃんにロザリオを渡したから、正式に白薔薇のつぼみになったわ。みんなこれから宜しくしてあげてね」 白薔薇さまの妹……白薔薇のつぼみ、それが私の新しい立場。少し前まで私なんかにはほど遠い雲上の存在だった筈の山百合会の一員になってしまったのだ。 「み、皆様。これからよろしくお願いします」 ペコリって頭を下げると、みんな拍手と笑顔、そしてお祝いの言葉で歓迎してくれた。 けれど、志摩子さんは……と目を向けて吃驚した。 なんと志摩子さんも微笑みを浮かべていたのだ。 皆様方と比べると確かに陰があるけれど、間違いなく微笑んでいた。 (その笑みってどういう事?) 志摩子さんが一番欲しかった立場なのに、良いと言うのだろうか? 朝、あんなだったのにどうして? 「それじゃ、白薔薇のつぼみとしての初仕事をしてもらいましょうか、このカップ、片づけてくれる?」 「あ、は、はい!」 紅薔薇さまに言われて慌ててカップを流しに運んで洗う。 同じ一年の由乃さんと志摩子さんも一緒に……志摩子さんは、私の横で淡々とスポンジを使ってカップをゴシゴシしていた。 わからない。 志摩子さん、貴女が何を考えているのか全然わからないよ。 蓉子と話をしようとも思ったけれど、今日は祐巳ちゃんと一緒に帰るべきだと思って一緒に帰ることにした。 志摩子は私と同じ……私が祐巳ちゃんの姉になってしまったから、もう志摩子の姉になることはできない。現実を受け入れようってしている。 それなら私のすべき事は、私も現実を受け入れること。志摩子は祥子の妹、私の妹は祐巳ちゃんだって事。 ただそれだけだ。 で、その祐巳ちゃんは考え込みながら帰り道を歩いている。 「志摩子のことどう思った?」 「わかりません……」 「あれは、私が祐巳ちゃんの姉になってしまったから、もう志摩子の姉になることはできない。自分は祥子の妹だって、現実を受け入れようってねそういう態度」 そう、私もね。 「だから、祐巳ちゃんは私の妹らしくしてればいいの」 いまいち納得しきれないって感じだけれど、そう直ぐには無理な話かも知れないな。 ……ちょっと湿っぽくなってしまったし、ここは一つ気分を変えるか、 「帰りどっかの店に寄っていこうか?」 「へ?」 「祐巳ちゃん甘党でしょ、ケーキとか好きじゃない?」 何で分かったんですかって吃驚してる。 「じゃ、そう言うことで決定。よし、食べるぞ〜!」 「あ、ちょ、ちょっと待って下さい〜」 朝、マリア様の前で新聞部の人からかわら版を渡された。 昨日言っていた約束の一つらしいけれど……いったいどんな記事になっているのか正直怖い。 教室に行く前にあの温室に寄り道して読むことにした。 この時間、温室には誰もいなかった。こんな時間なら当然かも知れないけれど、多分ここには元々殆ど人が来ないのだろう。 ここで、私はロザリオを受け取った。白薔薇さまがここを告白する場所に選んだのにはそう言った理由があったのだと思う。 で、人気のない場所で早速かわら版を読んでみると、内容は要点はしっかりと押えられてて変なところは無い、ちゃんとしたインタビュー記事になっていた。 思わずほっと安堵の息が漏れる。 どうやら、ずいぶん三奈子さまと新聞部のこと疑ってたようだ。最も疑って悪かったと言う気持ちはこれっぽっちも湧いてこなかったが、 そして、TOPを飾っている白薔薇さまと私の写真。もちろん昨日蔦子さんが撮ったものだけれど、あのシーンではなくて、その前の二人ちゃんと並んで椅子に座っている写真だった。あの写真が使われなくて本当に良かった。もし、あんな写真がかわら版で全校生徒にさらされてしまったら、暫く登校拒否になってしまっていたかもしれない。 クラスのみんなへの対応は紅薔薇さまに言われたとおりにしたらあっさりと済んだ。ただ、本当に御想像にお任せして大丈夫だったのかと言う一抹の不安は残ってしまったが…… 今日もお昼は白薔薇さまと一緒に屋上でとることになった。 「そう言えば、カメラちゃん。結局あの写真は使わなかったんだね」 白薔薇さまが蔦子さんから一つ分けて貰った鯵の煮付けをつまみながら思い出したように言った。 「ええ、そこまで新聞部にサービスをする義理はないですしね」 蔦子さん、貴女にとってはそういう問題なんですか? 「でも、ばっちり現像してありますのでよかったら」 なんて言って鞄から写真の束を取り出して白薔薇さまに渡す。 「ありがと、うん。なかなかよく撮れてるじゃない」 なかなか良く撮れてるって……うわ、そんなところまで撮ってたの!!? もしそんな写真がかわら版の一面を飾っていたらと思うと背筋に冷たいものが走ってしまう。 「やっぱりできたばっかりの姉妹とは思えないくらい仲が良いですね。どうです?今度の休み二人でどこかへ出かけられては?」 「う〜ん、それも悪くないけれど、カメラちゃんが撮りたいだけでしょ」 図星だったらしく蔦子さんは笑って誤魔化した……写真部のエース恐るべし。 「すみませ〜ん」 会議も済んで私たちが淹れたお茶を飲みながらお話をしていたら、下の方から訪問者の声が聞こえて来た。 「あ、私が、」 とりあえず一番の新入りだと自認している私が、部屋を出で入り口に向かった。 扉を開けると二人の生徒が立っていて、「ごきげんよう」と頭を下げた。 「ご、ごきげんよう」 「演劇部です。紅薔薇さまにお取り次ぎ下さい」 二人は凄く緊張しているみたいで、さっきの言葉も棒読みで、見るからにカチンコチンになってる。 「はい、少しおまちくださいね」 演劇部がそれで良いのだろうかと思いつつも、そう言い置いて背を向けると、聞こえないと思ったのか「ほら、福沢祐巳さんよ」とか言っているのが耳に入ってきた。 (私なんかが取り次ぎをするのは、あまり気持ちの良いものではなかったかも) ちょっと落ち込みながら二階に戻り、紅薔薇さまに伝えると「入って貰って」と言うことであった。それから、二人は多分劇の台本を持ってきてくれたのだろうとも言っていた。 確かに二人は何か冊子の束を持っていた気がする。 「どうぞ」 「御邪魔します」 二人は一礼して、礼儀正しく中に入った。 それから玄関のフロアで二人から話を聞いて、さっきの考えは逆だったって事を知らされた。私が白薔薇のつぼみになったと言うことを好意的に捕らえてくれている人たちもいたのだった。 こんなだからこそ親しみやすい。確かになりはしたけれど、白薔薇のつぼみと言う立場には不釣り合いな人間であると思っていただけに嬉しかった。 だから自然に階段を昇る音も軽やかなものになっていた。 「これが、台本ですか?」 手渡された自分の分の台本をパラパラ捲る。 「ええ、本当は私たちで作るつもりだったのだけれど、演劇部が手伝ってくれると申し出てくれたのよ」 しかも、そう言ったのは演劇部だけでないらしい。ちゃんと依頼したダンス部以外でも話を聞いたクラブが次々に手伝いを申し出てくれたのだそうだ。 「それじゃ、早速読んでみましょうか」 自分のパートを音読。 紅薔薇さまのナレーターの間にそれぞれ自分の役の台詞を読み上げる。 「ほら、祐巳ちゃん、貴女の番よ」 「は、はい!」 「シ、シンデレラ!ど、どうしたの、まだ掃除終わって無いじゃないの」 ああ、台本を読んでるだけなのにどもってしまった。 「もう終わらせましたわ」 「も、申し訳ありません」 「祐巳ちゃん、謝ってどうするのよ〜」 白薔薇さまが仕方ないなぁって感じで言ってくる。 確かに、台本だと自分でゴミを散らかしてあんな事を言うって風になっているけれど、相手は祥子さま。謝ってしまわずにはいられなかったのだ。 「ほらほら、やり直し」 「す、済みません」 「えっと……、何を言っているの?この散らかったゴミは貴女には見えないのかしら?」 「……済みません。直ぐに片付けます」 なんだか、本当に悪いことをしてしまった気がしてきたぞ。役でやっているだけなのにこれだから、私は意地悪な姉になれないのは間違いなさそうだ。 「シンデレラ、貴女やる気あるわけぇ?」 「あらあら、これでは夕飯を与えるわけにはいかないわね」 対して姉A役の由乃さんと、継母役の白薔薇さまはかなりはまっている気がしてしまうのはどうしてだろうか? それにしても、シンデレラ役の祥子さまをいびる姉B役が、私に務まるのか正直自信ない。けれど、ひょっとしたらそれ以前かもしれない。「お姉さま」って祥子さまに言われるだけでビクッと来てしまうんだから、 他の役の方が良かったかもと思っても、もう手遅れか…… 「いや〜今日は楽しませてくれたね」 今日も白薔薇さまと一緒に帰り道を歩く。 本当に楽しそうだけれど、そんなにも面白かったのだろうか? 「うん、面白かったよ。祐巳ちゃんの百面相、最高」 うう…… 「大丈夫だってまだまだ練習する時間はあるんだから」 そう言われても、ちょっとどころか全然自信がない。 「ま、そんなことは良いとしてだ。今度の休み暇?」 「え?」 「カメラちゃんが言ってたこと、悪くはない話だって思ったからね」 それって、一緒にどこかにお出かけ……デートって事ですか? 「そ、二人でデート。ま、そんな形式張らなくてもゲームセンターでも良いけどね」 初デートがゲームセンターというのはあんまりな気もするが、この前誘って貰ったときはホントに楽しかった。 確かに悪い話じゃないし、むしろ良い話と言えるだろう。 と、言うことで日曜日に二人でどこかへ遊びに行こうと言うことに決まった。 「じゃ、それまでに一つ宿題。台本すらすら読めるように家で練習してくること」 ピシッて人差し指を立てながらそんな宿題を課してきたけれど、確かに宿題にされなくてもそうするべきだ。練習中とは言えあまりに恥ずかしい真似を連発するわけにはいかないのだから、 今日も会議の後、劇の練習。 宿題にもされたけれど、家で少しでもすらすらと読めるようにって練習してきただけあって流石に前よりはましになって来た。けれど、すらすら読めるであって役をしっかりこなせるとは全く別物であり、しかも劇には舞踏会のシーンまであるのだ。まだまだ道は長そうである。 そういえば、本番は多くの観衆がいるけれどその中には蔦子さんや新聞部の人もいるのだ。とんでもないミスをしでかして決定的瞬間をばっちり収められでもしてしまったらいったいどうしたら良いのやら 「お嬢さん、私と一緒に踊って頂けませんか?」 「お誘い頂き光栄ですわ」 今、ちょうど練習している舞踏会のシーン。令さまと祥子さまの競演が見れるのは私たちだけの特典か、早く実際に二人の競演をこの目で見てみたいものだ。 そう言えば本番で相手になる花寺の生徒会長ってどんな人だろう?……今度祐麒に聞いておくか、 「白薔薇さま、祐巳さんって面白いですわね」 休憩に入ると唐突に祥子さまがそんなことを言われた。 「でしょ」 「へ」 「百面相。みんな楽しんでるよ」 「うが」 思わず声が漏れてしまった。 「志摩子、祐巳さんっていつもこんな感じなの?」 「そうですね……同じクラスではありますが、親しくはなかったので、こんなに楽しい方だと知ったのはごく最近です」 「そう。それは勿体ないことをしていたわね」 「ええ、本当にそう思います」 全然嬉しくないです、はい。 「祐巳さん、もし良かったら一緒に薔薇の館に行きません?」 掃除が終わって薔薇の館に行こうとしていたら、志摩子さんが声を掛けてきた。 志摩子さんが一緒に行こうって誘っている。昨日の祥子さまとの話もそうだけれど、白薔薇さまが言っていたように志摩子さんは現実を受け入れようとしているのだ。 なら、私がするべき行動は白薔薇さまの妹として振る舞うって事だから…… 「うん。誘ってくれて嬉しい」 鞄を持って一緒に薔薇の館に向かうことにした。 祐巳ちゃんを迎えに一年の教室に向かっていたら、丁度そっちから志摩子と祐巳ちゃんが並んで歩いてきた。 「あ、白薔薇さま」 「これから薔薇の館?」 「はい」 「白薔薇さまも良かったら御一緒にどうです?」 志摩子の発した「白薔薇さま」という言葉には、この前の時のような私と自分への嫌味と皮肉のようなものはなかった。正直驚いたけれど、なるほど、志摩子は祐巳ちゃんにだけじゃない。もう私に対しても直接前に進もうとしているんだ。 正直大したものだと思うけれど、私もそうしなくちゃ、 「うん。行こうか」 こうして三人で薔薇の館に向かうことになった。 遂にやって来た日曜日。今、いったい何を着ていこうかと迷っている最中である。 試しに着てみたけれど、どうにもいまいちでやっぱり止めたものがそこらに散乱している。 「あら?祐巳ちゃんこれどうしたの?」 そりゃ、娘がこんな事をしていたら気になるのが当然だろう。部屋に入ってきたお母さんが開口一番に口にした。 と、言うことでかくかくしかじかと、事情を説明。 「ええ!?祐巳ちゃんお姉さまができてたの!?」 そう言えば、色々とあったからお姉さまができたって事お母さんに言うの忘れてた。 それならそうと早く言ってくれればいいのにって続けて、更にデートに行くのなら何でも貸してあげるってまで言ってくれた。 お言葉に甘えて、色々と試させて貰ったけれど、結局普段着慣れないものはどれも似合わなかった。 正直白薔薇さまと一緒に出かけるのにあんまりにも着飾りすぎるのは嫌だけれど、一緒にデートに行くのにいつも着ているみたいな服って言うのも……とは思ったのだけれど、結局これぞと言うものはなく普段着ているものに落ち着いてしまった。 「祐巳ちゃん〜お客さんよ〜」 お母さんの声が聞こえて来た。 白薔薇さまが来たのだろうか? 「いつも家の娘がお世話になっております」 お母さんと白薔薇さまが御挨拶しあっていた。 二人とも余所行きモード。家のお母さんもだけれど、白薔薇さまも普段あんなでも流石に薔薇さまだけのことはある。ここまで変わると流石に驚きだけれど、 「祐巳ちゃん。おはよう」 ここはリリアンじゃないからごきげんようじゃないと、なるほど。 「はい、おはようございます」 「お急ぎでないなら、上がっていって下さいな」 そのまま少し玄関口で話をしているとお母さんがそんな風に奨めて白薔薇さまは「お言葉に甘えさせて頂きます」と言った後、「あれ?あの子は」なんて奥の方に目を向けながら続けた。その視線を追っていくと丁度リビングから出てきた祐麒の姿があった。 「あ、弟の祐麒です」 「おはようございます」 祐麒がこっちに来て白薔薇さまに挨拶する。 「おはよう。そうか、君、祐巳ちゃんの弟だったんだ」 「え?……あっ!」 祐麒は思い出したような様子だけれど二人は知り合いだったの? 「確か、学園祭に来てた……」 「白薔薇さまの佐藤聖よ」 「ああ、」 「はい?」 祐麒とお母さんの口からそれぞれ全く違った音が漏れた。 「佐藤聖……白薔薇さま………えええ〜〜〜〜〜!!!!!!」 家が吹っ飛ぶかと思ったくらいお母さんの絶叫は凄まじいものだった。 おいおい、驚くにしてもほどほどにしておかないと、本当に貴女がこの家を駄目にしたら、設計したお父さんが泣くぞ。 でも、この反応も考えてみれば当然とも言えるかも知れない。 リリアンOGでしかも、少し前の私と同じで平々凡々な生徒として過ごしてきたお母さんにとって山百合会幹部への憧れは並大抵のものじゃない。それなのに白薔薇さまがこの場に私を訪ねに来た。しかも、私のお姉さまとして、更に言えば、一年生の私が二年生をすっ飛ばして白薔薇のつぼみになったと言うことも意味しているのだから……と言うことで、近所の皆さま、家の母がお騒がせしてしまったことをどうかお許し下さい。 「祐巳ちゃんのお母さんってリリアン出てたんだ」 「……はい」 さっきのお母さんの大騒ぎを思い出すだけで頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になってしまいそうなくらい恥ずかしい。 まさかあんな風になるとは……話し忘れていたのを本気で後悔。ちゃんと手順を踏めば、あそこまでパニックになってしまう事はなかっただろう。 帰りに又寄って貰うからって言うことにして、祐麒に任せて来たけれど、その時はその時で心配。いや、猛烈に心配……いったいどんな状況が私の帰りを待ち受けているのだろう? 「楽しそうな家族だね」 くすくすって笑っている白薔薇さま。 楽しそうのなかに祐麒も入っているような気がするけれど、いったい何があったのだろう?……後で問い詰めるか、あ、でも今日はお母さんのこと任せちゃったし、今日のところは大目に見てあげる事にしよう。 どうだ弟よ、姉は寛大だろう。 「ところで、祐巳ちゃんって普段いつもそんな格好なの?」 「え?」 「祐巳ちゃんの私服見るの初めてだからさ」 ああ、そう言うことか、てっきり結局これぞって服が見付からなかったって事を見抜かれてしまったのかと思ってしまった。 「そっか、じゃ、いっちょ可愛い妹に良い服の一つでも買ってあげますか」 (が〜〜〜〜ん) くるって回れ右をしてバス停の方に歩き始める白薔薇さま。 何秒か固まってしまったけれど、ショックから立ち直ると慌てて追い掛けた。 白薔薇さまも着飾ってきたって感じはしないし、そのままでもよかったのに……溜息が出てしまう。 でも一つになることがある。で、バス停でバスを待っている間に、バス停と反対の方向に歩いていたわけだけれど、どこへ行くつもりだったのか?と言うことを聞いてみたら、 「ん?特に、祐巳ちゃんと一緒にちょっとぶらぶらしながらどこへ行くか考えようって思ってね」 白薔薇さま、貴女どこへ行くか決めてなかったんですか……ってそれは私も同じか、 敢えて言うならゲームセンターが上がったくらいで、どこへ行くのかという話題は全くのぼっていなかったことに今更ながらに気付いた。 「ま、行き先決まったし、気にしない気にしない」 ……う〜む K駅の駅ビルの店で、祐巳ちゃんに似合いそうな服をいくつかピックアップして、順番に試着して貰っているのだけれど、なんだか凄く楽しい。 等身大の着せ替え人形で遊んでいるみたいなものなのだろうか?しかも、人形と違っていろんな反応をちゃんと返してくれるし、祐巳ちゃん自体可愛いし……なるほど、蓉子の気持ちが少し分かった気がする。 そろそろ出てくるか……そうだここは一つ吃驚させてみよう。 カーテンが開いて祐巳ちゃんが姿を現す。うん、やっぱり良い感じだ。 「あれ?白薔薇さま?」 陰から飛び出し祐巳ちゃんに抱き付く。 「ゆ〜みちゃん」 「ぎゃうっ!」 「う〜ん、可愛い、可愛いよ」 撫で撫でって……ん?今さっき、なんか光ったような? 「んもぅ皺ついちゃいます、ってどうかしました?」 「ん?何でもないよ。それよりこれにしよ、凄く似合ってるし」 と言うことで店員さんを呼んで代金を支払う。祐巳ちゃんは自分で払おうとしたけど、ここはお姉さまを立てさせなさいって言って私が支払った。 それから適当にK駅のあたりをぶらつきながら、ウィンドウショッピングをしたり映画を見たりして、今度はお昼をとるために喫茶店に入った。 ここに来たらいつも行く店があるんだけれど、今日は祐巳ちゃんに併せてデザートが美味しい店にした。 「美味しいですね」 「気に入ってくれた?」 「はい」 「うん、そりゃ良かった。ここのデザート、特にパフェが最高だから楽しみにね」 本当に嬉しそう。 そう言えば、こうやって一緒にどこかに出かけたりとか、志摩子とは一度もなかったっけ、 ずっと志摩子と近付くことを恐れていたのか…… 「白薔薇さま?」 「あ、」 「ストロベリーパフェとチョコレートパフェお待たせしました〜」 狙った訳じゃないだろうけれど、本当に良いタイミングでパフェを持ってきてくれたので、こっちに逸らせる事にする。 「お〜きたきた。どう?美味しそうでしょ」 「はい」 弾んだ声が返ってくる。 さてと、これからどこへ行くか、パフェをつつきつつ祐巳ちゃんの幸せそうな顔を観賞しながら考えることにした。 「ただいまぁ〜」 「御邪魔します」 「あ、お帰り……」 私たちを出迎えたのは祐麒だった。 顔見て、お母さんが凄いことになっていたって言うのが直ぐ分かった。 いったい、これから何が待ち受けているのやら、と思っていたらパタパタという音を立ててお母さんが奥から小走りで出てきた。 「あらあら、お帰りなさい」 「白薔薇さま、今日は娘をありがとうございました。良かったら夕飯を召し上がっていって下さいな」 この浮かれようからして、とんでもない御馳走でも用意していたのだろう。 リビングにはいると、テーブルの上を埋め尽くしている御馳走の数々が目に飛び込んできた。 伊勢エビ、尾頭付きの鯛とかそう言ったものは良いとして……なんで鏡餅?今は正月ですか? お母さんは何がなんだか良くわからないけれど、とりあえずめでたいものを片っ端から集めてきてしまったと言うことなのだろう。 しかし、鏡餅以上に気になるものがある。あの部屋の隅に鎮座しておられる片方しか目が入っていないダルマはいったい何なんだか…… 「うわ〜凄いですね」 「どうぞどうぞ、たんと召しあがれ」 椅子に座っているお父さんも祐麒と似たような感じだし、多分今日はお母さんに振り回されていたんだろう。 お父さん、祐麒、ごめんなさい。 又新しい一週間が始まる。 最近祐巳さんのおかげでシャッターチャンスには事欠かさない訳で、今週も何があるのか凄く楽しみだ。 昇降口の前で新聞部の部員が今日もかわら版を配っていた。最近発行間隔が凄く短くなってるけど今日はいったいなんだろう? 気になったので私も一つ貰って読む事にした。 『新白薔薇姉妹蜜月を堪能中!』……相も変わらずネーミングセンスが感じられない題名が一番上を大きく飾っていたけれど、どうやら二人はホントにデートをしていたらしい。同時に築山三奈子がストーキングしていたって事でもあるが、 それにしてもこの二人が仲良さそうにしている写真。正直撮る腕は大したこと無いし、カメラも使い捨てのものだろうけれど、決定的瞬間を逃さない嗅覚だけは流石だ。 くしゃ……そんな音が聞こえた気がして振り向くと、そこにはかわら版を握りしめた志摩子さんが立っていた。 (何かが起こる) 私の直感がそう告げていた。 あとがきへ