今日も祥子さまはお休みだった。 あの写真の話ができればと思っていた分やっぱりちょっと残念。 会議も終わって白薔薇さまと一緒に帰り道を歩いていたのだけれど、途中から話が途切れてしまった。どうしたんだろうと横の白薔薇さまを見ると、何か考え事をしているみたいでどこかぼんやりとしていた。 「白薔薇さま、どうかしました?」 「……ん?」 「あ、うん。ちょっと考え事をね」 「そうでしたか、」 いったい何を考えていたのだろう? 「にゃ〜」 ん?猫の鳴き声がしてそっちを向いたら、あの猫が走り寄ってきて白薔薇さまの足にすり寄った。 みんなはランチって呼んでいる猫。 全然人になつかなくてお弁当のウインナーを一口分ちぎって投げてやっても、一メートル以内に人がいると食べに来ない猫なのに、白薔薇さまにはなついてるようだ。 「ランチ!」 「らんち?これはゴロンタだよ」 白薔薇さまはランチを抱き上げて頬ずりする。 「一年生はランチって呼んでいますよ、この猫。お昼時になると現れるから」 「なるほどね。私はゴロンタって呼んでるけど、メスなのにちょっと失礼だったかもね」 いや、ちょっとじゃないでしょうとは思うけれど、ランチは抱かれて嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らしている。この懐き方はちょっと信じられないかも。 「こいつはね。私のこと信じているんだな。だから甘えるのよ」 それは、白薔薇さまがカラスに襲われているランチを助けたことが始まりだったらしい。そう言った出会いの話から、弱肉強食とかタイムマシーンとかの話になったけれど、それはいけないことをしてしまったって、そんな風にもとれた。 「でも、助けちゃったんですよね?」 「まあね」 白薔薇さまは首をすくめる。 「なんでだろうね。浦島太郎も、そんなに好きな話ではなかったはずなのに、」 「テレビと違って、現物がそこにいるわけだから手を出せちゃうわけだな」 考える前にカラスを追っ払っていたと、そう言うことだ。 「前に助けるのはかえって残酷だって言われたこともあるんだけれどね」 誰がそんなことを言ったのだろう?白薔薇さまが助けていなければ、この子はこうしてここにいられなかっただろうに、 「助けて、餌をやって、優しくしてやったところで、私はいつかこの場所からいなくなってしまうでしょ。その後のことを考えたことはあるのかって言うのよ。まあ、一理あるけど……」 あれ?又白薔薇さまが何か考え込んでしまった。 「……人も同じなのかな?」 暫くしてからポツリと呟きが零れ出てきた。 人の場合……誰かと親しくなっても、いつかは別れが来てしまうって事だろうか? 「そんなこと無いと思います」 だって、いくらいつかは別れてしまうからって言っても、誰とも関わりを持とうとしない。持ちたくないって……そんなのって凄く淋しい事だから。 「そっか、うん、そうだよね」 「私もお姉さまには随分良くして貰ったけれど、本当に良かったと思ってる。凄く感謝してる」 まだ別れてないけれど蓉子にもねって、紅薔薇さまも付け加えた。 白薔薇さまのお姉さま。先代の白薔薇さまはいったいどんな方だったのだろう? 「お前も同じだよね」 ランチは問いかけに答えたのか「にゃ〜」と一つ高く鳴いた。 それから又ランチの話に戻った。 ランチは白薔薇さまの行動から始まって高等部の生徒に親しまれながら今まで育ってきていると……その中でも一番この猫のことを気にしていたはずだ。夏休みにも何度か餌をやりに足を運んだらしい。 「家に連れて帰っても良かったんだけど、ゴロンタ……あ、そのころはまだ単に『ねこ』って呼んでいたんだけど、この子に聞いたら、学校にいるって言ったから」 「……猫が話しましたか」 「この子は特別。だから犬並みに、私のことも忘れないし」 ねぇ〜なんて言って頬ずりをしてから地面に下ろす。それから、ポケットに手を突っ込んで小さなビスケットみたいなものをわしづかみにしてランチの前に置いた。 「そういえば、あの時約束してたね。今まで忘れてて、ごめん」 どんな約束をしたのかは知らないけれど、ランチは小気味いい音を立てながらドライフードを美味しそうに食べている。こんな人の側でものを食べるだなんて初めて見た。 「猫のドライフード。食べたかったら上げるよ?」 「いえ、遠慮しておきます」 確かに美味しそうに食べているとは思ったけれど、そんなに物欲しげに見えたのだろうか? その後、ランチが満足するまで二人でランチの食事を見守っていた。 今日は白薔薇さまの新しい一面を知る事ができた気がする。 K駅でバスを降りたとき、丁度私が乗るバスが目の前で出てしまった。 「あっ……」 「さっきのバスだったの?」 こくりと頷くと、白薔薇さまはだったら次のバスの時間までどこかで時間を潰そうかって誘ってくれた。 「ああ〜!」 やっと引っかけることができたペンギンのぬいぐるみがクレーンから、ぽろりと落ちてしまった。 白薔薇さまが連れてきてくれたのはなんとゲームセンター。 最初こそ、制服のまましかもリリアンの生徒が……なんて言っていたのに、いつの間にかかなり熱中してしまっている。 むぅ、ゲームセンターの魔力って恐ろしい。 「あのペンギンが欲しいの?」 「……はい、」 じゃあ、代わりに取ってあげるねって言って、百円硬貨をするりと滑り込ませる。鼻歌を歌いながらクレーンを操作して……見事ペンギンをしかもがっちりと掴んだ。 そのまま持ち上がったぬいぐるみが下の取り出し口に落とされる。 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます!」 「他にも欲しいのがあったら取ってあげるよ」 ウィンクしながらバシッて完全に決まっていて凄く格好良かった。 白薔薇さまの腕は見事としか言いようがない。今日一日で部屋の棚の上のぬいぐるみが随分増えた。 一つだけ枕元に持ってきたペンギンのぬいぐるみを手にとる。最初に白薔薇さまが私のためにとってくれたぬいぐるみ。どうしても欲しいと言うほどではなかったけれど、凄く嬉しかった。記念のぬいぐるみになるのかな? ぬいぐるみを枕元に戻す……今日は白薔薇さまのいろんな面を見た気がする。 ランチ…失礼だったとか言ってもずっとゴロンタって言っていたけど、その方が本人ならぬ本猫も喜んでいたみたいだから、ゴロンタなのかな?…の事を話しているときの白薔薇さま。 考え事をしていたときの白薔薇さま。 ゲームセンターでの白薔薇さま。 みんな同じ白薔薇さまなのに、ずいぶん違うものだ。 「白薔薇さまか……」 白薔薇さまのせいでかおかげでか、あれから毎日のようにいろんな事がある……良いことも悪いことも。でも、それは嫌ではないかもしれない。 明日はいったいどんなことが起きるのだろう?不安もあるけれど、楽しみでもある。 それから眠りに落ちていくまで、いろんな期待を空想の世界で膨らませていった…… 今日もお昼は4人で屋上で食べることになった。 それで途中で山百合会の劇の話が出て、その練習に私が参加することになったって話に移っていった。相手が二人だから良いけれど、こんな事教室で話していたら又凄いことになってしまいそう。 「正直、気は進まないんだけれど、祥子さまと令さまの競演が早く見れるのは良いことかな?」 「ん?あ、そっか、言ってなかったか」 そんなことを零したら、白薔薇さまは何か言い忘れていたことを思い出した様子。 「令の王子様役は代役、本番は花寺の生徒会長に来て貰う事になってるって事言い忘れてた」 「え?花寺の生徒会長ですか?」 「そ、まあキザでいけ好かない奴なんだけど。ま、お互いの生徒会の役員がお手伝いに行く伝統があってそれでね」 そんな話があったんだ。じゃあ二人の競演が見られるのは練習に参加する者だけの特典になるのか、 「本番、二人とも見に来てよ」 「はい、勿論」 「ええ、行かせて貰います」 桂さんは普通に楽しみって感じ。蔦子さんは……最高の被写体を撮ることができるのだから小躍りしてしまいたいってところだろうか?二人とも弾んだ声で返した。 今日も楽しくお昼の時間を過ごして校舎に戻るとき、白薔薇さまは思いだしたように私に用事を告げた。 「祐巳。悪いんだけど、今日は少し遅れるから先に薔薇の館に行っててくれないかな?」 「あ、わかりました」 まだ始まっていないとは言っても劇の練習に参加することになったわけだし、一人でもきちんと行かないと。 で、一人で来たは良いのだけれど……一人で入る薔薇の館は今までになく緊張する空間だった。 なんだか、薔薇の館に入るたびに緊張が大きくなっていく気がする。 やっぱり、私みたいな平々凡々な生徒にはしきいが高い空間だって言うのが身に染みてしまう。 かといって、今更帰るなんて選択肢はなく、そんなことを思いながら階段を軋ませて二階に上がる。そして、ビスケット扉を開けたら祥子さま一人だけがいらっしゃって、上品にカップを傾けて何かを飲んでいた。 「あら、今日は一人?」 「あ、はい。白薔薇さまは少し遅れるって」 「そう、何が良いかしら?」 何が良い?何がって何?ってちょっと考えて、飲み物の事だって気付いた。 「祥子さまと同じ物が、」 「分かったわ」 って言ってから気付いた、祥子さましかいないのに聞いてくるって事は祥子さまが、私のために入れてくださるって事!? 「座っていて良いわよ」 慌てて私が手伝おうとしたらそう言われて……私は椅子に座って待つことにした。 程なくして祥子さまが私の前に紅茶が入ったカップを差し出して下さる。 「あ、ありがとうございます」 お礼を言ってから祥子さまが私の為に入れて下さった紅茶に口を付けた。 「美味しいです」 「口にあったようでよかったわ」 「……皆様は?」 「お姉さまはクラスの用事で遅くなるわ。由乃ちゃんは体調を崩して欠席。だから令も今日は来ない。志摩子は委員会よ。黄薔薇さまの理由は知らないわ」 「そうなんですか……じゃ黄薔薇さまか、白薔薇さまが来るまでは、二人っきりなんですね」 そう今ここには祥子さまと私の二人っきりしかいない。憧れの祥子さまと私しか……色々とありすぎて気付いていなかったけれど、薔薇の館に来れば祥子さまとお話ししたりする事だってできるんだ。 それだけじゃなくて、今日はたまたまだけれど、祥子さまに紅茶をいれて頂いたりまで…… (ああ、なんて幸せなんだろう) 「嬉しそうね」 「え?」 「祐巳さんの顔がそう言っていてよ」 あぅ……百面相。目は口ほどに物を言うなんて言葉があるけど、私の場合は顔が言いたい放題らしい。 祥子さまにくすっと笑われてしまった。恥ずかしさで顔から火が出てしまいそうで、思わず唸ってしまったら一層おかしかったらしくて更に笑われてしまった。 「貴女って楽しい子ね」 それって良い意味に聞こえないんですけれど、 又、祥子さまの前で恥ずかしいことをしまった。……恥ずかしい事であの写真の事を思い出した。 確か、鞄に入っていたはず。あの写真は凄く欲しいけれど、祥子さまにあの写真を見せて、学園祭で飾る許可を取るなんて、イザって段階になったらやっぱり恥ずかしすぎた。 覚えているのかどうか分からないけれど、どちらにせよだらしない女だって祥子さまに告白するようなものなわけだし…… 「今度はどうしたのかしら?」 ……又やってしまった。祥子さまは楽しそうに笑っている。 これだけ連続で恥ずかしいところを晒してしまったんだし、もう少し開き直ることにした。 「実は、この写真なんですが……」 鞄からあの写真を取り出して祥子さまの前に置く。 祥子さまはその写真を手にとって、ちょっと驚いたような顔をしてから、眉間に少し皺を寄せてじっと写真を見つめている。不快というわけじゃないけれど、このとらえどころのない表情は、やっぱり覚えてらっしゃらないかったか、ここでは桂さんが正しかったようだ。 あのとき色々と悩んだり恥ずかしがったりしていたのは意味無いことだったのかと、ちょっと力が抜けて、ため息をつきそうになった時、祥子さまが驚く言葉を口にした。 「ああ、志摩子にロザリオを渡した日の朝ね。そう、祐巳さんあの時の子だったの」 「は、はい」 思い出していただけた嬉しさで舞い上がってしまいそう。でも、一緒に凄く恥ずかしくもなってきた。今鏡を見たら私の顔はトマトみたいに真っ赤になっているかも。 「凄く良く撮れているわ、この写真」 「その写真、写真部の蔦子さんが撮ったものなんです」 「ああ、それで」 「それで、その写真を学園祭に展示したいから、祥子さまから許可を取ってきて欲しいって、前に言われたんですけれど」 「……タイトルは『躾』だそうです……」 もっと恥ずかしくなってきて小さな声になってしまったけれど、ぷって祥子さまが吹き出してしまった。 「ふふふ、余りにもピッタリ過ぎるわね。くすくす」 又唸ってしまいそう。 「この展示って大きなパネルとかになるのかしら?」 「あ、はい、そう言っていました」 「そう……良いわ。蔦子さんにそう伝えておいて」 「はい、ありがとうございます」 これで、この写真が私のものになったわけだ。ああ、いったいどこに飾ろう……って御本人の前でそんな妄想をするのはあんまりなので直ぐに考え横に置いた。 「でも、面白い偶然ね」 「面白い?」 「こんな事は滅多にしないのだけれど、あの日は私の決戦だったから、」 「決戦?」 「ええ、志摩子にロザリオを渡すつもりだったの」 そっか、一度断られてしまったんだったっけ、 「朝家を出るときに鏡を見たらこれが少し曲がっていたから、決戦に望むのにこんなのじゃいけないって、念を入れてきっちり結び直してきたのよ」 自分のタイをちょっとつまみながら言う。 「多分、そう言うことがあったからこんな『躾』をしたのかも知れないわね」 うぅ、楽しそうに写真の題名をひっぱってきてる〜と、又唸ってしまって笑われてしまった。 「本当に楽しいわ」 溜息が出ちゃう。 (でも、本当にあの時のことが切っ掛けだったんだなぁ) あのシーンを蔦子さんに撮られて、薔薇の館に行く途中に白薔薇さまからロザリオを渡されて、それで妹体験とかになってしまった。 あの時は本当に凹んでいたけれど、そのおかげで今こうして祥子さまと二人っきりで居る時間が持てたわけで、今度は本当に夢みたい。 「何か嬉しいことでもあったのかしら?」 あ、又顔に出ていたようだ……今日はいくら何でもちょっと顔に出すぎてるかも。 正直にその事を話すことにした。 「そうなの?なら、あの時の子が祐巳さんなのではなく、あの時の子だから今ここにいるのね」 「そう言うことになりますね」 思っていたよりも少し遅くなったけど、ちゃんと祐巳ちゃんは来てるかなぁ?ってちょっと心配になりながら薔薇の館に入ると、上から祥子と祐巳ちゃんの楽しそうな声が聞こえてきた。 ちゃんと来ていたか、それに祥子とも上手く行っているようで良かった。 今回のことは祥子にとってはかなり不快だっただろうに、それでもそれを表にしなかったのは流石だとおもっていたけれど、それが今みたいに楽しそうに話せるようになったのなら万々歳だ。 「あ〜えらいえらい、ちゃんと来てくれたんだ」 入るなり祐巳ちゃんの頭をなでなで〜ってする。 私そこまで子供じゃありませんよ〜とでも言いたいのか、軽く手をばたばたさせて抗議して来るけど、嫌がってはいないって言うのも分かっちゃうなぁ 「祐巳さんがいなかったらどうされるおつもりだったんですか?」 「う〜ん、ショック。ショックで寝込んじゃうかも」 と言った冗談のやり取りをするのは良いとして、遅く来たはずなのに二人以外誰もいないって言うのはどういう事なのか祥子に聞いてみる。 「で、祥子みんなは?」 「お姉さまはクラスの用事で遅れます。由乃ちゃんは体調を崩して欠席しています。黄薔薇さまの理由は存じません」 「そっか、」 「白薔薇さまは何になさいます?」 飲み物か……二人は紅茶を飲んでいたみたいだし、同じ紅茶で良いか、 そう伝えると直ぐに祥子が用意を始めた。 (ん?) 机の上に一枚写真が置かれている。 祥子と祐巳ちゃんの写真か、 「その写真見て良い?」 「あ、はい」 手に取って見てみる。 驚いた、二人ってこんなに親しかったとは全然思いもしなかったから、祥子がわざわざタイを結び直してあげるなんてよっぽどだな。まるで……まるでなんだろ? 『姉妹』みたい? (ばかばかしい) 祥子の妹は志摩子、祐巳ちゃんじゃない。普段からこんな事をしているなんて事はあり得ない。親しいと言っても、そこまでじゃないに決まっている。多分何か理由があったんだろう。 そう言えば、何でこんなシーンの写真があるのだろう?いくら何でもわざわざ写真に収めるためにこんな事をするなんて考えられないし……と、ふとカメラちゃんが二人をカメラに収めているシーンが思い浮かんだ。納得。 まさに決定的瞬間を撮ったって感じか、 「お待たせしました」 祥子に一言言って紅茶を受け取る。 「これ、良く撮れてるね。カメラちゃんが撮ったの?」 「はい、」 「学園祭で展示するそうです」 「そっか、うん。それだけの写真だよ」 「蔦子さんに伝えておきますね」 「あ、これ、ありがとね」 祐巳ちゃんに写真を返す。 「それにしても、祥子が人のタイを直してあげるなんてね。この日、雨降ったんじゃない?」 「それはどうとれば宜しいのでしょう?」 「意外だったからね。祥子だったら、だらしない子のお姉さまも呼び出して二人纏めて説教とかの方が似合ってるんだけどな」 どうしてそこで固まる?祐巳ちゃんも「あ……」って感じで固まってるし、まさかズバリやってたの? 「御存知でしたか……」 何か不機嫌になるようなことがあったときかも知れないけど、本当にしていたとは……説教されてしまった子が可哀想。 途切れてしまったけれど、会話が再開する前に階段が軋む音が聞こえてきた。蓉子と江利子の音かな? その通りで蓉子と江利子が扉を開けて入ってきた。 「あら、志摩子はまだなのね」 「はい、お姉さまと黄薔薇さまは何になさいます?」 「祥子が用意してくれるのね。そうね、みんなと同じで良いわ」 「私も」 「わかりました」 祥子がさっと立ち上がって紅茶の準備を始め、暫くして二人分の紅茶が用意される。 「あ、そう言えば、劇の配役はもう聞いた?」 「はい、主役を任されたからには、必ず成功させます」 「そっか、頑張ってね」 ん?さっき祐巳ちゃんの目が輝いていたような? その目が何となく気になって、それから祐巳ちゃんのことを観察していたら、みんなを見る目の違いに気付いた。 私と志摩子は別にして、誰に対しても憧れみたいなものが混じった目をしていたのだけれど、その中でも祥子へ向ける目は特別だった。 あれは、祥子のファンが祥子に向けている目そのものだった。 (祐巳ちゃんって、祥子のファンだったんだ) それもただのファンじゃない。理由があったとは言っても、祥子にタイを直して貰えるほど親しい二人……私、とんでもない事しちゃった。 それから、どうしたらいいのかずっと考えていた。 今日は令と由乃がいないこともあって会議も早く終わった。 そして、考えた答えを実行するためにそのまま祐巳ちゃんを誘い出した。 「白薔薇さま、どこへ行くんですか?」 とことこって一緒に歩きながら聞いてくる。行き先はあの温室。 「人があんまり来ないとこ、あそこ」 「行こ」 何か話をするのに良い場所って言うのもあるのだろう。 だから歴史に応じた分の想いがここで交わされてきている。その中には……私と栞の想いも含まれている。 よかった。誰もいなかった。これで、祐巳ちゃんに話せる。 又、ここに一つ想いの歴史が刻まれる事になるのか…… 「祐巳ちゃん、」 ちゃん付けで呼ぶ。勿論祐巳ちゃんはその事でえ?って顔を浮かべるけれど、 「祥子のこと好きだったんだね」 質問に吃驚して少しあたふたとしていたけれど、それって認めているような物だね。 「……はい」 「だよね」 「私の話、聞いてくれるかな?」 ちょっと考えた後「どんな話ですか?」って聞き返してきた。 「前に志摩子とは色々とあったって言ったよね。それと、それよりも前の話」 志摩子への想いを語るには栞のことを話さないわけにはいかない。 祐巳ちゃんは黙って聞きますと言うことを示してくれたから、ゆっくり私の想いを順番に語り始めた。 栞との出会いから別れまでの事。 その後、お姉さまや蓉子が私を支えてくれた事。 春、志摩子とあの桜の木の下で出会ってからの事。 今までにあったことをその時の想いと一緒に一つ一つ正直に語った。 私の話は哀しい話だったから、祐巳ちゃんみたいな子だったら当然か……話をしている内に涙ぐんで、その内に溢れて流れ始めてしまった。 ポケットからハンカチを取り出して何度も拭っていたけれど全然収まる気配はない。 「栞は天使だったから私なんかには捕まえておくことはできなかった。だけど志摩子は違う。志摩子は人間だから私にだって、そう思ってた」 「でも、私は志摩子を捕まえていなかった。ただ傍にいただけだった。捕まえようとしていなかった。志摩子も捕まえて貰うことを望んでいたのにね」 志摩子は自分の確かな居場所が欲しかった。私はそれを与えられるのに与えようとしなかった。 「だから、祥子に捕まえられちゃった」 こうやってこの想いを誰かに語るなんて事初めて……本当に栞と会ってからいろんな事があった。そのたびにみんなに迷惑かけ続けてきた。 そして祐巳ちゃんにも……今度はその事を謝らなければならない。 「ごめんね。私が志摩子を放っておいたから、祥子を志摩子に取られちゃったね。その上こんな事にまで巻き込んじゃって」 祐巳ちゃんはなんだか不思議そうな顔をしながら……ハンカチで又涙と、鼻水を拭ってしまった。 「あれ?何のことか分からなかったのかな?」 頷く。 「だって、祥子は志摩子だけの特別な存在になっちゃったでしょ?私がちゃんと志摩子を捕まえておけば、祐巳ちゃんが祥子の妹になっていたはずでしょ?」 「ぐず…そんなこと……」 又涙を拭こうとして、さっき鼻水まで拭いちゃった事に気付いみたい。ハンカチを見つめたまま固まってしまっている。 「はい」 (仕方ないなぁ) どうしてこんな時でもそんなことをしちゃうかなぁ?まあ、それが祐巳ちゃんらしいって事なのかも知れないと苦笑せずにはいられなかった。 私のハンカチを貸してあげるると、涙声で「ありがとうございます」と返ってきた。 話を続きは祐巳ちゃんの涙が完全に止まるまで待つことにした。 会議は早く終わったのに、随分長く話していたからもう空がだんだん紅く染まってきている。 あの時は、雨だったから夕焼けを見ることはできなかったっけ……雨だったからこそ雨宿りにここに来たのだけれど、 「……そんなことないです」 もう大丈夫かな? 「だって、本当だったら、私なんかが祥子さまと何か関係を持つなんてできたはず無いですから。あの写真だって、本当に偶然だったんですし」 「でも、親しかったのは事実でしょ?そうじゃなきゃあの祥子が」 そう言ったのだけれど、祐巳ちゃんは首を横に振った。 「祥子さまに声を掛けて貰ったのは、あの写真の時が初めてなんです」 と言うことは知りもしない下級生のタイを直したって事?あの祥子が? 「祥子さまは、あの日は決戦だったから、念を入れてタイを結び直してきたって言っていました」 私が百面相してしまってたか、私の疑問に答えてくれたけれど、その決戦って何なのかと言う疑問が生まれてしまった。 その事を聞いたけれど、祐巳ちゃんはなかなか答えようとしなかった。 暫くじぃ〜っと教えて光線を放っていると、根負けして一つ息をついてから答えた。 「その……祥子さまが志摩子さんにロザリオを渡した日の朝なんです」 (え?) 「そうじゃなかったら、知りもしないただの一年生の私が祥子さまにタイを直して貰うなんて事は、」 あの日の事だったの? 「それで、あの写真の事で祥子さまに会いに行こうとしているときに、白薔薇さまからロザリオを渡されたわけで」 それじゃ全部繋がっていたんだ。運命なんて信じていないけれど、どうしてこう私の周りにはあまりに思わせぶりな出来事が多いのだろう? 「そのおかげで、祥子さまとちゃんとお話し出来るようになって、今日なんか二人っきりでお話し出来たわけだし、」 「確かに嫌なこともあったけれど、白薔薇さまと一緒にいると楽しいし、お礼を言いたいぐらいです」 嫌なことが何だったかは言うまでもない。 でも、そっか私と一緒にいて楽しいって思ってくれたのか、 「妹体験、できて良かったと思う?」 頷きで返してくれた。 ……私も姉体験ができて良かったのかもしれない。本当に姉として振る舞えていたのかなんかは全然分からないけれど、 祐巳ちゃん見たいな子と知り合えて一緒に過ごせた事は、良かったことだと思う。 これが、もしあの時ロザリオを渡したのが祐巳ちゃんでなかったら、いったいどうなっていたのだろう?妹体験を訴えたのが祐巳ちゃんでなかったら?……本当に祐巳ちゃんで良かったと思う。 「ありがとう」 祐巳ちゃんの頭をなでなでしてあげる。二人だからか、抵抗したりとかはしない。 (三度目の失敗……か) 祐巳ちゃんの頭を撫でていたら、ふと又江利子に言われた言葉が頭をよぎった。 一度目の失敗……栞とはあまりに近付きすぎた。栞しか見ていなかった。栞以外は何も見えなくなってしまっていた。 けれど、二度目の失敗……志摩子とは距離を置いたままもう一歩を踏み出せなかった。私は志摩子と近付く事に酷く怯えていたのかも知れない。私と酷く似ている志摩子に…… 江利子が言った曖昧な関係とは、本当は私と志摩子の関係の事だった。けれど、今は祐巳ちゃんとの関係の事になってしまった。 ここに来たのは、このままの関係を続けちゃだめだって思って、ロザリオを返して貰うつもりだったから……でも、曖昧な関係の終わらし方はもう一つある。志摩子とはその終わらせ方ができなかったし、もうできない。なら祐巳ちゃんとその終わらせ方をするのも良いかもしれない。 私は近い方と遠い方両方を経験してしまったから、今ならその間の距離が分かる。それに祐巳ちゃんは天使でも、私に似た人間でもない。だから、祐巳ちゃんとなら上手くやっていけると思う。 今私は、ただ踏み出せば良いだけ…… 「今、ロザリオ持ってる?」 「あ、はい」 鞄から巾着袋を取り出して私に渡してきた。ちゃんとロザリオが入ってる。 「ちゃんと持ってたんだね」 「ホントはね、これ返して貰おうって思ってたんだ。だって、祐巳ちゃんには迷惑ばっかりかけちゃって、何にも良いことなんか無かったはずだったからね」 「そんなことは!」 「うん、そう。そうだったんだってさっき分かった」 「……」 「祐巳ちゃん、私の妹になってくれないかな?」 直ぐには私の言った言葉の意味が分からなかったのだろう。暫く経ってからその意味を確認してきた。 「それって……」 私が頷くと、祐巳ちゃんは少し迷うような素振りを見せたけれど、ゆっくりと頷いた。 「じゃあこれからは私がお姉さまね」 祐巳ちゃんの首にロザリオをかけようとして、はっと途中でその手を止めた。 このロザリオ……ずっと前から白薔薇ファミリーの間で受け継がれてきた。いずれ白薔薇さまになる者に渡されるもの。それだけの重みがあるロザリオ。 でも、今渡そうとしているロザリオはそれだけじゃない。 栞、志摩子、二人への私の想い……私が犯してしまった罪の重さが加わっている。それは、祐巳ちゃんには重すぎるようにも思えてしまった。 だから、こうすることにした。 「重くなったら、いつでも外して良いから」 丁度私がそうしていたようにブレスレットのようにロザリオを手首に巻いた。けれど私とは違っていつでも外せるようにと…… それに対する祐巳ちゃんの言葉は「ありがとうございます」だった。 こうして私は遂に姉になった。曖昧な関係をこれで終わらせる事ができた。 三度目の正直……ううん、そうしなければならない。 ……絶対に。 あとがきへ