〜1〜 桜の花もすっかり散ってしまい、季節は春から夏へと移っていこうとしている。 もう祥子も完全に調子が戻っている頃……今頃リリアンでは何が起こっているのだろう。つい2月前までまで私もいたリリアン。6年間の間、常に何かが起こっていた気がする。 去年の今頃は志摩子の事があったっけ、聖の妹にとも考えてもいたけれど、随分違う形になった。最も、今の形になって本当に良かったと思うけれど……そんなことに始まって、リリアンでの事を想い浮かべながら歩いていたら、ふと見た顔を見つけて立ち止まった。 何か悩み事でもあるのだろうか、一人で公園のベンチに座って溜息をついているその子は、福沢祐麒……祐巳ちゃんの年子の弟。去年の花寺学院の学園祭で行われた『ミス・花寺』で準優勝に輝いた経歴も持っている。そう言った理由から私たちの劇にも出てもらった。 今は別に急いで等いないし、気になったので声を掛けてみることにして、公園に入り祐麒君の座っているベンチに向かって歩いていく。 「はぁ……」 「何こんな所で溜息をついているの?」 ゆっくりと顔を上げて二つの瞳で私を捕らえる。やっぱり祐巳ちゃんによく似ている。鬘をかぶせて制服を着せてリリアンを歩かせたら、どれだけの生徒が祐巳ちゃんと間違えるだろうか、 「あ、確かロサ・キ、ロサ……」 「水野蓉子よ、福沢祐麒君」 「あ、済みません」 「別に構わないわ」 一緒にいたときはみんな、私のことを肩書きで呼んでいたけれど、リリアン以外の人間にロサ・キネンシスと言う単語を覚えるのはなかなか難しい。それに、私はもう紅薔薇さまではない。 「良かったら、相談に乗りましょうか?」 祐麒君の隣に腰掛けながらそう声を掛けてみる。 「水野さんが?」 「ええ、私に乗れることならね」 すると祐麒君は暫く迷った後「……水野さんはリリアンの生徒会長でしたよね」と確認をしてきたので「ええ、リリアンの場合は三人が同格だけれどね」と返す。 「俺…ぼ、僕、柏木先輩に」 「くすっ。いいのよ、もっと普段通りにしゃべっても」 あまり使い慣れていないだろう敬語で慌てて言い直そうとするのは何ともほほえましくて、笑ってしまったけれど、優しくそう言うと、参ったなぁと言う感じの表情を浮かべる。 「俺、柏木の置きみやげで生徒会長をやらされているんです」 あの王子さまも又凄い後継者を選んだものね。現白薔薇さまが福沢祐巳、福沢姉弟がリリアンと花寺の生徒会長だなんて……十中八九狙ったわね。 「花寺の事情は御存知ですか?」 おそらく体育会系と文化系との対立の事とそれぞれのクラブの事を言っているのだろう。随分激しいものだというのは結構有名である。 「源平の話なら、それなりにね」 「嫌なんです……毎日毎日、争いの真ん中に置かれて、揉まれるなんて」 本当に疲れていると言った感じの声。よく見ると学生服にはいくつも破れた跡があるし、大したものではないけれど祐麒君自身も生傷を負っている。 全く……後継者に誰を選ぶのも良いけれど、ちゃんとそれだけの器になるように導いてから去ってほしいものね。姉妹制があるリリアンとない花寺の違いなのかも知れないけれど、それでも激流に揉まれる中で成長しろと、崖から突き落とすような真似までする必要はないだろう。 (私も世話焼きね) 「それで、祐麒君はどうしたいの?花寺に辞職という制度が整備されているのかどうかは分からないけれど、実質の代行を作って全て丸投げしてしまうと言うこともできるでしょう?」 逃げればいいじゃないの?そんな風に言われて流石にむっと来て私を少し睨んでいる。これなら大丈夫そうね。 「なら、これからどうすればいいのか、一つ一つ一緒に考えましょう」 にっこりと微笑みながらそう言うと、祐麒君は驚いたような表情をした後、ぺこりと頭を下げて「ありがとうございます」と返してきた。 〜2〜 近くの喫茶店に入ってお茶を飲みながらもっと具体的な話を聞いた。 花寺の対立は生徒会長が祐麒君のような感じだからなのか、祐麒君がその中心にいるからなのかは分からないけれど、耳にしていたよりもかなり深刻で激しいようだった。 一通り話を聞いてどう対処するべきかと考えていると、ふと、こちらを見ているリリアン生の姿が目に入った。わたしも、まだまだ注目される存在ね。あの子達が築山三奈子でなくて良かった。もし彼女であったとしたら、前紅薔薇さまの交際相手か?みたいにして祐巳ちゃんと絡めて面白可笑しく書いた小説と併せてリリアン全体に広まっていたことだろう。 さて、考えを相談されたことに戻して……花寺はクラブの上下関係がOBも含めて凄く厳格で強い。今起きている問題を抑えるにはこれを利用しない手はないだろう。記憶が正しければ、かなり兼部していたはずだし、崖から突き落とした責任をとって、あの王子様に今度は馬車馬の役をして貰いましょうか、 「そうね。生徒会の役員のことを聞きたいのだけれど良い?」 「あ、はい」 正規の役員は全員二年生で祐麒君を含めて四人。それと顧問と言うか、お目付役の二人の三年生が居るだけと……去年とは随分陣容が変わったようね。顧問の二人はあの双子だけれど、多少は動いてくれるとは言え基本は静観……確かにお目付役ならそんな物かもしれない。逆に言えば、その二人がお目付役として機能するのなら大きく出ても大丈夫ね。 「祐麒君、一つ私に案があるのだけれど聞いてくれる?」 「本当ですか!?」 凄く嬉しそう。それだけ前が見えていなかったのだろう。 「問題です。第一問。各クラブ・同好会の予算と活動に関する諸権限を握っている組織は?」 「え?」 突然の問題に面食らった様子だけれど、しばらくしてから「生徒会です」と正しい答えを返してきた。 「第二問。その生徒会の長は?」 「お、俺です」 「そう。祐麒君が、予算と諸権限を握っているのよ」 「だから、困っているんですけれど……」 今更何を言っているのか?と言いたげな表情だけれど、それは真面目だから……祐巳ちゃんのことを連想して少し笑ってしまうと、むっと言った感じの表情に変わる。 「ごめんなさい、前に祐巳ちゃんも困っていたからね」 きっと似たようなことをよく言われてきたのだろう、今度は何とも複雑そうな表情になる。この豊富な表情も祐巳ちゃんにそっくりね。 「そう言った方向で困る必要はないのよ。無茶な要求をしてきたり、正当な理由なしに生徒会の決定に従わなかったクラブにはペナルティを下すようにすれば、自ずと自制して穏やかな物になるでしょう」 「ペナルティ?」 「そうね。生徒会長に対して暴行を行った件によって、罰として予算の大幅削減や、一ヶ月間の活動禁止とか」 祐麒君の制服の破れているところを指さしながら言う。 問題は生徒会に威厳がまるでない事。長である祐麒君を含めて役員全員が二年生。そして、祐麒君もこんな感じだから、はっきり言って舐められてしまっているのだろう。生徒会の持つ権限というのを彼らに思い出させてやればいい……自分たちがいったい何をしていたかと言うことを思い知ったときにはすでに遅いかもしれないけれど、 「そ、そんなこととできませんよ」 「これは例えでしかないけれど、活動が健全でないなら、何らかの罰を受けるのは至極当然。生徒会長に与えられた権限を正当な範囲で使っているだけよ。そもそも、きちんと言葉で伝えられず、行動に出た方が悪いのでしょう?」 「それは、そうですけれど……」 「それに、祐麒君を信頼して全校生徒がその権限を預けたのでしょう?なら、むしろそう言った権限を使って、問題を解決して行くことこそ祐麒君に課せられた役目なのじゃないかしら」 たぶん信任投票だったのだろうけれど、多くの生徒が信任したと言う事実は動かない。 「……」 「どう?」 「……でも、俺だけじゃ、」 「一人でできなければ、他の役員と力を合わせて行えばいいわ。そもそもその為に生徒会長を補佐する役員がいるのでしょう?」 その通り、だから今度は何も言わなかった。 「お目付役の二人もいるのだから大丈夫。行き過ぎで拙いようなら彼らが止めてくれるわ、心配なら実行する前に伺いを立ててみるのも良いし」 私の言ったとおりにすれば、確かに上手く行くかも知れないけれど……そんな風な感じで悩んでいる様子。 今は答えを出せないだろうけれど、しばらくそっとしておいてから話を再開した。 「私が言ったのは一つの方法でしかないし、実際にどう言う行動をとるのも祐麒君の自由よ。でも、いずれにせよ他の役員とよく話してみると良いと思うわ」 「……そうですね。ありがとうございます」 ぺこりと頭を下げる。 「頑張ってね」 それからは話は変わって、祐巳ちゃんの事について話をして楽しんだ。 別れる時に、手帳の1ページをはずして電話番号を書いて祐麒君に渡す。 「これ、私の電話番号。何かあったらいつでも連絡して頂戴」 「あ、ありがとうございます」 祐麒君を見送ってから、早速あの王子様に連絡を取る事にした……いつでも行動に移れるように、お膳立てをしてもらいましょう。 それにしても、祐巳ちゃんの話を聞いていてまた会ってみたくなった。前に、遊びに来てくださいとも言ってくれていたし、今度遊びに行こうか、 〜3〜 季節は梅雨へと移り変わり、よく雨が降る。 外出するときには傘が必要……今日も前に聖から誕生日プレゼントとして貰った赤い傘をさして歩いている。 きっと私が紅薔薇さまだったから、赤いものだったのだろう。さらに言うと、どうも当日になって思い出したようで夜にずいぶん慌ててやって来たのだっけ。全く、聖らしいとも思ったけれど嬉しかった。 そう言うわけでお気に入りにもなったこの傘をさして会いに行く相手は祐麒君。何度か電話で個別の事について相談を受けたりもしたけれど、実際に会うのはあれ以来になる。 待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、祐麒君は先に来ていたようで、手を振って自分の居場所を知らせてきた。 「ありがとうございます。水野さんのおかげで、何とかやっていけそうです」 祐麒君が他の役員と力を合わせて精力的に動いたおかげで、花寺は普段の落ち着きを取り戻したくらいの対立になってきたようだ。落ち着いたという状況でも対立がすごいというのだから、改めて花寺の内情はすごいものだと思う。 服のボロボロ度はかなり増しているのだけれど、祐麒君の顔には生気が戻っていた。自分の行動が確かな効果を上げているというのを実感していのと、先が見えてきたからだろう。 「私は何もしていないわ、実際に花寺を押えることができたのは祐麒君ががんばったからよ」 「でも、水野さんのおかげで動くことができたんですから」 「ふふ、じゃあ、お礼の言葉を受け取っておくわね」 「はい」 今までの事は聞いたので、これからの話を聞くと、対立が収まって来たので生徒会行事に力を注いで行くそうだ。行事自体はいくつもあるけれど……最大のものはやはり学園祭。 「祐巳が生徒会長の一人だから話通しやすそうで、そのことについては良いかなって思ってます」 「そうね。それは逆にも言えることだけれど」 「そうですね……」 そんな話をしていると携帯電話に着信があってバイブ機能が作動した。 「ちょとごめんなさい」 祐麒君に一言謝ってから席を立ち画面表示を見てみると、登録していない相手で番号が表示されているだけだった。店の外に出て電話を取る。 「はい、水野です」 『ああ、よかった』 「その声は清子おばさま?」 『ええ、そう。わたし、蓉子さんに祥子を助けてほしいの』 「わかりました。どこへ行けばよろしいでしょうか?」 祥子を助けてほしい……具体的な事は何も分からない。けれど、その言葉だけでこれからの予定はすべて決まってしまった。 店に戻り祐麒君に謝って、すぐにタクシーを拾った。 「私も世話焼きね」 タクシーの窓に映っていた自分の顔に微笑みが浮かんでいるのを見つけてそう呟いた。