〜7〜 「あ〜おいしかった」 先に満腹になって満足そうにゴロンと畳の上に転がっていたゴロンタの横に同じように寝転がって、おなかのあたりを軽くぽんぽんとたたいている。ああ、とても女子大生には見えないけれど、その気持ちはわかる。誰か見ているわけでもないし、私もやろうかな? 「やりたいんだったらやればいいじゃない。こんな私とゴロンタ以外だ〜れも見てないよ」 顔を読まれてしまった。唯一見ている人と猫がこの格好だし、だったらいいかな? ……お姉さまの横に同じ様にゴロンと寝っ転がった。 「おいしいのはよかったですけれど、おなかパンパンだし食べ過ぎちゃったかも」 「うんうん、私もだけど。たまには食べ過ぎるのも良いって」 「そうですね、せっかくのものですしね」 「そういうこと〜。ああ、おなかいっぱい」 この光景をお母さんが見たりしたら、間違いなく卒倒してしまうだろうな。 「何笑ってるの?」 「いえ……もし、この光景をお母さんが見たらどうなるかなぁって思って」 「なるほど。そうなったらたいへんだろうね。逆に、衝撃的すぎて記憶から消し去って、見なかったことにしちゃうかもしれない」 しばらくしたらきれいさっぱり覚えていなかったとかか。それならそれでいいのだろうか? 「でも、カメラちゃんとか三奈子の妹だと後に残っちゃうし、危険かもしれないね」 ああ、確かに蔦子さんと真美さんは危険すぎる。 ! 二人の顔が思い浮かんだら、跳ね起きてふすまの隙間や窓の外……そんなのぞき見できそうなところをチェックしていた。 幸い二人がのぞいているなんてことはなかったけれど、もし、あの二人にこの光景を見られたりしたら……『白薔薇さまの痴態』なんて記事が掲載されてしまったら……もう学校に行けないどころの話じゃない、お母さんと顔を合わせるのも嫌になってしまい、部屋に引きこもってしまいそうだ。 「ははは、不安になった?」 「どっかからのぞかれていたりとかないし……大丈夫ですよね?」 「そんなストーカーでもあるまいし。車も持ってない二人だし大丈夫でしょ」 確かに、どこへ行くのか私も到着するまで知らなかったのだから、話を聞いて電車で先回りなんてことはできない。だったら車がなければ尾行もできないし、お姉さまがひどい運転をしたのも周りに車がいなかったからだから大丈夫だろう。……まあ一応江利子さまの保証もあるし。 なんだか安心したら気が抜けてしまった。また畳に寝っ転がった私の体はさっき以上に力が抜けて……見た目はきっとひどいことになっているにちがいない。 それにしてもリリアン高等部を代表するはずの、現役の白薔薇さまと先代の白薔薇さまがこんな姿なんて、お母さんでなくても見てしまったら誰かは幻想が木っ端みじんに砕け散ることだろう。私だってこうなる前は……。 私たち以外の、他のファミリーだったらどうだろうか? 「今度は何?」 「ん、他のファミリーだったらどうかなって思ったんですけど」 「他か……黄薔薇だったらやっぱりこの前みたいに江利子と由乃ちゃんの間でおろおろする令って感じかな。紅薔薇だったら、祥子の別荘のテラスで、食後の紅茶を楽しみながら談笑だろうな、きっと」 ああ、祥子さまが優雅にティーカップを傾けている姿が思い浮かぶ。その脇に志摩子さんと乃梨子ちゃん。都合が付けば蓉子さまも。 丸く白いテーブルを囲んで楽しそうに話をするみんなから少し離れたところに、小笠原家のメイドさんたちが控えている。そして、テラスから見下ろせる広々とした庭園には手入れの行きとどいた青々とした芝生が広がり、白く水しぶきをあげる噴水があって、整然と並んだ立派な庭木を庭師のおじいさんが手入れをしている。 ………なんていうか、もう完璧に別世界? 「良いじゃない。そんなのじゃ肩こっちゃうよ。私たちには私たちにあった過ごし方こそ最高なのよ」 「にゃ〜」 ゴロンタも同意してくれた。確かに、優雅に紅茶を楽しむとかより、私たちにはこういうのがあっている。 よし! 私たちにふさわしい食後の幸せの味わいかたを思う存分堪能しよう! とても他の人には見せられないような姿で畳の上に寝っ転がりながらだ〜らだ〜らしている内に、窓の外がだんだん暗くなってきた。 「ん〜〜〜〜! 良い感じに日も暮れてきてるし、そろそろ着替えて蛍見にいこうか」 お姉さまが起き上がって思いっきりのびをしてから部屋の電気をつけた。それで、だいぶ暗くなってきていた部屋の中が一気に明るくなった。 「着替えてってことはお姉さまも浴衣持ってきたんですか。あの時言っていた前から持っているものですか?」 そうじゃないんだけどねと何か歯に物が挟まったような言い方で答えて、鞄から取り出したその浴衣は……あのファッションショーで決まったけれど、お姉さまが抵抗して買わなかった浴衣だった。 「あれ? その浴衣、結局買ったんですか?」 「うんにゃ……この前蓉子がプレゼントに来たのよ」 「蓉子さまがプレゼントに?」 「うん……楽しませてもらったお礼だって」 「二人ともすごく楽しんでましたからね」 「江利子はともかく、何で蓉子があんなにノリノリだったのかは未だにわからないんだけどねぇ」 と言って顔をしかめた。 これでようやく分かった。ファッションショーの時のお姉さまの髪を結っているときの表情。そして江利子さまが謝りに来たこと。 そしてなによりお姉さまが買わなかった・自分で選んだ浴衣をお姉さまに贈っていた。これはまず間違いないだろう。 「あれ? 祐巳は何か心当たりでもあるの?」 「ん……心当たりって訳じゃないですけれど、お姉さまが何かしちゃったんじゃないですか? 約束をすっとぼかしたとか」 少なくともこれは私から言うような、言えるようなことではない。 「う〜ん、心当たりはないんだけど、やっぱりそうなのかなぁ……」 「お姉さまっていろいろとやってそうですからね」 実際にやってそうだし、お姉さまも自覚があるから納得したようで、「そういわれると弱いんだよなぁ……」ってこぼした。 「しっかし、あれが蓉子の仕返しだったとしたら、それこそとんでもないことをしてしまったってことだよなぁ……下手に何かって聞いたりしたら火に油を注ぐかも、いや火薬放り込むようなものかも。でも、誕生日は違うし……ひょっとしてこの前のおみやげ腐ってたか? ……いや、蓉子がそんな……」 ぶつぶつとつぶやきながら、心当たりを考え始めてしまったけれど、どのみち答えは出ないだろう。ここで答えが導き出せるようならそもそも……ってことだ。 「蓉子さまがいないところで考えても答えは出ないですし、蛍がいなくなっちゃう前に着替えちゃいましょうよ」 「う〜ん、まあそれもそうか。そうだね、また考えることにして着替えようか」 鞄からお姉さまに買ってもらった浴衣を取り出す……家族のみんなにも似合っていると言われ悪い気はしなかったけど、どうしてもあのファッションショーを思い出してしまって恥ずかしさがふつふつとわいてくる。 ……着替えようとして、視線に気づいて手を止めた。 「着替えるからあっち向いててくれませんか?」 「え? どうして?」 「だって、恥ずかしいじゃないですか」 「別に全部脱いですっぽんぽんになるわけでもないし、女同士なんだから気にしない気にしない」 「う〜、まあそうですけど〜」 それでも、お姉さまに着替えるところを見られるなんて恥ずかしいからなかなか着替えずにいたら、何なら私が着替えさせてあげましょ〜と手をわなわなさせながら迫ってきた。 「いっ! いいです! 自分で着替えますから!」 「うん、やっぱり、怖いよねぇ」 私の焦った叫びへのコメントは、何でそんなものが出てくるのかわからないものだった。しかも、さっきの楽しそうに迫ってきたときの雰囲気とは一転、どこか気疲れしたようになってしまっている。 理由がわからなくてクエッションマークを頭の上にとばしていたら、「ああ……あんとき、江利子にさっきみたいな風に迫られたのよ」って説明してくれた。 そうか、さっきのは江利子さまをまねていたのか。 「あれ? あんときってひょっとして更衣室の中でですか?」 「そう。怖いでしょ、こんな広い部屋じゃなくて、狭い更衣室の中であんな風に迫られたら。しかも、江利子のはあんなものじゃないよ。あの獲物を見つめるような目、楽しそうな顔……本気で貞操の危機を感じちゃったんだから」 「そうなんですか……」 江利子さまだったらおもしろそうの一言で本気でやりかねない気もしてしまうから、かなり怖そうだ。私だったら逃げることすらできずに荷馬車に揺られる子牛のようにただ来る「そのとき」を待つだけになってしまうのだろう。 「まあ、過ぎたことだし、ちゃっちゃっと着替えちゃおう」 ………… ………… そうして、着替えも後は帯だけになったところで、私よりも手早く着替えをすませたお姉さまがこっちを見ているのに気づいた。それもじぃ〜っと……さっきとは違うけれど、それでもちょっと怖い。 「お姉さま、どうかしましたか?」 「あ〜れ〜をやってみたい」 「……はい? あ〜れ〜ってなんですか?」 本気で何をおっしゃっているのかわからなくて聞いたのだけれど、お姉さまは何を言っているんだって感じの顔をした後、一つ息をついてあ〜れ〜とは何なのかをジェスチャーを交えながら説明してくれた。 「ほら、時代劇とかでよく出てくるでしょ。お代官さまおやめください! 良いではないか〜良いではないか〜! あ〜〜れ〜〜〜! って、あれ」 ああ、あれですか。 「知らない? 祐巳って時代劇見ない子だったっけ」 「いや、見る方じゃないですけど、わかりました。でも、そういう問題じゃなくて、なんでですか?」 「だって、ロマンじゃない!」 何で力説!? 「せっかくの二人っきりのお座敷で浴衣。そうきたら、もうやるっきゃないじゃない!」 「あなたオヤジですか? まだ二十歳にもなっていないっていうのに、今からそんなオヤジくさくてどうするんですか」 「あ〜れ〜をやらせてもらえるならオヤジでも何でも良いから、やらせて〜」 ああ、何でも良いからときたか、これで断ったら今度は子供化してやらせてくれなきゃやだ〜とか駄々をこねてきそうだ。我が姉のことながら何というか…… 「ねっ、お願い。このとおり」 幸い? 駄々をこねるのではなくて手を合わせて拝んできたけれど、『あ〜れ〜』ってそこまでやりたいものなのだろうか? 「う〜ん……だったら、私に先にやらせてもらえるなら良いですよ」 そんな条件を出してみたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして「へ?」って……自分はさんざん言っておいて私が言い出すのはそんなにも意外だったのだろうか? それとも、そんなことでやらしてくれるの? って方だろうか? 「え〜、私が回されるの〜? う〜ん」 迷っている。ということは前者なのだろうか? そんな気がする。実は割に合わないことになるのだけれど、それでも妹としては後者の方が良かったような気がする……でも、それはそれでしゃくだし……考えているうちに、どっちが良いのかよくわからなくなってきてしまった。 一方のお姉さまの方はしばらく考えた後、「OK、やらせてくれるなら良いよ」と、するためにやられるというのを選択したようだ。 まあ決まった以上はとりあえずやってみよう。あれだけお姉さまがやりたがっているのだし、やってみたら案外おもしろいものなのかもしれない。 「じゃあ、行きますね」 お姉さまの帯の結び目をほどいて……「えい!」っと引っ張ると、イメージしていたのとは違って堅い感触がしてお姉さまがうめき声を上げた。あれ?? 「ゆ、祐巳! しまってる! しまってる!」 「え? あ、ご、ごめんなさい!」 両方を一緒に引っ張ったら、当然回るわけもなく、きつく締まるだけだった。 「まったく、まじめにやってよね」 「そんなこと言われても、こんな経験なんてあるわけがないじゃないですか」 「だからって、本当に苦しかったんだよ。それに、やっぱりやるならちゃんと悪代官になりきらないと」 そう言われても、悪代官の役をやるのって、考えてみるとすごく恥ずかしい……恥ずかしさをみじんもださずに悪役をやりきる役者さんたちはすごいのかもしれない。 「じゃあ、仕切り直しね」 「……はい」 「お代官さまお止めください!」 町娘のふりをして逃げ回るお姉さまを追い詰めていくうちに、だんだん楽しくなってきた。あのお姉さまを追いかけ追い詰めるような圧倒的に強い立場に立てているのが楽しいのかもしれないと思った。 「もう逃げられはせんぞ!」 たぶん間違っている気がするけど、それでも自分的には雰囲気が出てきてだんだん口調も様になってきた気もする。 そうしておいかけっこをしているうちに、ついにお姉さまを部屋の端に追いやった。 「ご容赦を! 後生ですからご容赦を!」 「がははは、よいではないか!」 お姉さまの帯の結び目をほどいてめいっぱい引っ張ると「あ〜〜れ〜〜〜!」って言いながら、私が引っ張る以上にくるくるって回る。 ……ちょっと回りすぎじゃない? 「あれっ?」 帯がなくなってもまだ少し回っていたけれど、それも止まったから終わりかと思ったのだけれど、お姉さまはふらふらってして、私の方に倒れ込んできた。 「ええ!? ぎゃうっ!!」 突然畳に押し倒される格好になってしまった。おしりや肩が痛くて最初気づかなかったのだけど……ふと見上げれば、すぐ目と鼻の先にお姉さまの顔が。 「……」 見つめ合う二人……さっきまでの雰囲気はどこかへ完全に消し飛び、舞台は一転、時代劇からラブロマンスへ。私の役柄も悪代官からヒロインに変わってしまった。 これはひょっとして…… 「……ゆみ……」 お姉さまもこの空気を感じ取ったのだろう。 目でお互いの気持ちを確認した後、お姉さまがゆっくりと顔を近づけてきた。私は目を閉じてその瞬間を待つ。聞こえてくるのは胸の鼓動とお姉さまの息づかい。もう一度優しく私の名前を呼ぶお姉さまの声が聞こえ…… 唇がふれる感触の代わりにやってきたのはなぜかふすまが開く音だった。 「え!?」 「失礼します……あら」 開いたふすまの向こうには目をまん丸に開いた仲居さんが。 ばっちり見られてしまった私たちは液体窒素につけられた金魚みたいに瞬間冷凍されて完全に固まってしまった。 仲居さんの方を見たまま固まってしまった私の視線には空になってそのままになっていた器といまだに幸せそうに寝転がったままのゴロンタが入ってきた。 ああ、これを下げに来たのか、出しっぱなしにするわけにもいかないし下げに来るよな、そりゃ……。 「すみません……失礼しました。蛍を見に行かれるならそろそろ出られた方が良いですよ。それでは失礼します」 仲居さんはほほえみを浮かべて、静かにふすまを閉め直して立ち去っていった。……と、何かというか誰かがこけるような音が聞こえてきた。 よく考えれば、お膳を下げに来たはずなのに、下げずにそのままふすまを閉めて戻っていってしまったのだ。つまり、プロが態度を出さないようにしてもしきれなかったのだとわかっていっそう恥ずかしくなった。 ああ、こんな恥ずかしいところをばっちり見られてしまうなんて……本気で穴を掘って埋まって誰にも見られずにじゃまされない地底世界に行ってしまいたい。 「あ、あのさ、祐巳……」 「なんですか?」 私の声は涙声になっていた。 「私の番は……」 なんて言ってきたので、「本気で今からやりたいんですか?」と聞いてみると……「あ〜」とか「え〜と」とか言った後、ものすごく残念そうに「戻ってくるよね……」と顔を紅くしながらため息のようにつぶやいた。 お姉さま自身も私と同じくらい恥ずかしかったのだろう、名残惜しそうではあったけれど、あきらめて引き下がってくれた。 つづく