〜4〜
 新入生歓迎会が終わった後、乃梨子ちゃんを連れてあの温室にやってきた。やっぱり大事な話はここというイメージがある。
「まずは、何も教えないまま巻き込んでしまって、ほんとうにごめんね。それと、これ……」
 ポケットから本物の志摩子さんの数珠を取り出して乃梨子ちゃんに渡す。
 乃梨子ちゃんは受け取った巾着袋を開けてその中の存在に驚いた様子だった。
「これ……」
「うん、土曜日のうちにここの鉢の裏に隠してあったのを私が見つけていたの」
「……説明してくれるんですよね?」
「そのためにここに来てもらったの。最初すぐに乃梨子ちゃんに返そうと思ったのだけど、本当にそれでいいのかな、と思ってしまった」
「……」
「今返せば、確かにとりあえず問題は解決する。けれど、状況は事件の起こる前に戻っただけで何も変わっていない。それどころか、今後悪化していくことだって十分考えられる」
「確かに、誰がやったのかもわからないままだし、私を困らせようという目的だったなら、第二第三の事件が起きていたかもしれませんね」
「うん……今度のことをやってしまった人についてはあの時反応を観察していたらわかったから、今ごろ令さまと由乃さんが事情を聞いていると思う」
「あぶり出す目的があったんですね」
「まあ、私的にはおまけみたいな感じで、主目的じゃなかったんだけどね……さっき言ったことに気づいて、何とかできないかいろいろと考えたの。その時……天啓ってこんな時に使いたくなるのかな? ふと一つのイメージが思い浮かんだ」
「あのお芝居のどっかのシーンですか?」
「うん。誰かが私と志摩子さん、たくさんの生徒の前であの数珠を掲げるの」
「はぁ」
「ある意味当たり前の話ではあるんだけど、リリアンに仏教徒が通っていたりとかそんなことを気にする人は誰もいない」
「……志摩子さんをのぞいて、ですか?」
「あと、乃梨子ちゃんと祥子さまも……」
「紅薔薇さまも?」
「祥子さまも乃梨子ちゃんと同じように志摩子さんとの約束をとても重く考えていたの。志摩子さんは秘密のせいで交友関係が非常に狭くなっているってことは前に話したよね? 私は、それは改善するべきだって思ったし、祥子さまも思っていた。でも、祥子さまと志摩子さんの姉妹の成立も私とお姉さまと同じくらい深いものだったし、志摩子さんの秘密自体も関わっていたから、令さまから志摩子さんの秘密を何とかしようと提案されたとき祥子さまはかなりの難色を示したんだって」
「……あれ? 令さま、黄薔薇さまですよね? どうして志摩子さんの秘密を知っていたんですか?」
「いたって簡単な話で、令さまのお祖父さまが小寓寺の檀家だったというオチ」
「なるほど……って、ちょっと待ってください。それって」
「うん、恐らく乃梨子ちゃんの考えているとおり。檀家が知っている……つまり志摩子さんのお父さま、小寓寺の住職は本当に秘密にしようなんて考えていなかったってこと。本心は聞いてみないと分からないけど、志摩子さんの本気を試そうとした……そのあたりかもね」
「や、やっぱりそうなりますよねぇ」
「私もいろいろ考えた時、その可能性はあり得るとは思ったの。だって志摩子さん、お寺から直接、それもリリアンの制服を着て登校しているんだよ? どれだけ気をつけていても、いつかばれちゃうって」
「ごもっともで」
 すっかり脱力してしまう乃梨子ちゃん。でもその気持ちはすごくよく分かる。
 冷静に考えれば、私よりはるかに頭の良い乃梨子ちゃんだから、すぐにその推測が成り立つと思うのだけど、やはり志摩子さんの言葉が大きいのだろう。志摩子さんが「秘密にしないと」と言ったら何の疑いもなく信じてしまうというものだ。
「まあそんなことを考えて令さまに相談したら、志摩子さんの秘密については、推測ではなく事実だと分かった。なら、あとは生徒も志摩子さんを受け入れるってのをはっきり見せるだけ」
「そういうことだったんですね。ようやく祐巳さんのウインクと志摩子さんの苦笑の意味が分かりました」
「あ、気づいたんだ。さすが乃梨子ちゃん」
「どうも……それでもうひとつ気づいたのですが、いいですか?」
「うん、いいよ」
「志摩子さんへのメッセージも、犯人探しも構いません。むしろ名案だと思いました……でも、事前にそのことを知らせてくれなかったのはどうしてですか?」
 ついに来た。
 この聞いていいのか、聞かない方がいいのか、信じたい、それでも……そんな相反する気持ちが入り交じった瞳を、真っ正面から受け止める義務が私にはある。
「もちろん乃梨子ちゃんが信用できなかったとかそういうことじゃないよ」
「それなら、なぜ」
 覚悟はしていた。
 でもこれで終わりなんだと考えると、身勝手きわまりないが声が詰まりそうになる。それをぐっとこらえて、言わねばならないことを言う。
「乃梨子ちゃん。イメージが思い浮かんだって言ったよね?」
「ええ、お芝居の」
「……私はね、そのシーンを思いついた時、最初にこう思ったの。『これで志摩子さんを助けられる』って」
「……」
「乃梨子ちゃんなら分かるよね、その意味が。結局土壇場になって考えついたことは、乃梨子ちゃんを利用することになっても志摩子さんを助けたい……そういうことなの」
「……」
「乃梨子ちゃんが今抱えることになってしまった問題って、円満な解決法が限られていて、私が乃梨子ちゃんを振った形にして、乃梨子ちゃんも結構つらい思いをしたんだと、みんなの同情を誘うのが一つ。そして、志摩子さんの秘密を明かして、乃梨子ちゃんと志摩子さんが知り合った経緯までみんな公表して、それなら仲良くなっても仕方がないってみんなに納得してもらうというのがもうひとつ。こちらならすべてが今のままで、丸く収まっちゃう。でも私にそれはできなかった」
 乃梨子ちゃんの顔を見ながら話さなければいけない。そう頭では分かっている、分かってはいるのだけど、黙ったままの乃梨子ちゃんを直視できなくて俯いたまま話し続ける。
「だってそうじゃない。最初に思い浮かんだのが例のお芝居で、そこで私は乃梨子ちゃんを利用しても仕方がない。そう考えたんだよ? いくらその後、もっとマシな方法を思いついたからって、乃梨子ちゃんにそしらぬ顔で『いい方法思いついたからお芝居して』なんて頼めるっていうの? はっきり言って、もう最初の時点で体験とはいえ、姉である資格を失っていた……そういうこと」
 あれほど覚悟を決めたつもりだったのに、勇気が足りずに顔を上げられない。
 そして長い沈黙の後、乃梨子ちゃんの声がした。
「それって、姉妹体験を終わらせたいってことですよね?」
「……そう思ってもらって構わないよ。姉である資格が私にないってことだけど」
 いい加減顔を上げないと。自分で選んだ道なのだからと気合いを入れようとしたところで、突如両肩を掴まれた。
「祐巳さん!」
「は、はいっ!!」
 あれほどどうにもならなかった顔が、その突然の出来事に思わず上がってしまう。
 そこに映った乃梨子ちゃんの表情は、私が想像していたものとはまったく異なるものだった。
「で、弟子にしてください!!」
「……はい?」
 何かまったく私の頭の中になかった単語が飛び出してきた気がする。
 今まで考えたことが頭から吹き飛び「デシ」なる言葉が私の体を駆け巡る。
 デシ……1デシリットルの「デシ」ってことはないよね。そうなると……
 でし……弟子……教えを受ける人ってことだけど……
「わっ、わ、私ったら何を言っているんだろう。あのですね、小学校の頃仏師に憧れていて、実際にK市に居を構えるH先生に会いに行って弟子にしてくださいっていったのがきっかけで、それで、それから、えっと……」
 真っ赤になって早口でいろいろと語り出す乃梨子ちゃん。もう私はその半分も聞き取れていない。
 同じくらい慌てる状況で一足先に慌てふためく人を見ると、かえって冷静になれる……そんな話をどこかで聞いた覚えがあるが、これはまさにその状況だろう。
 覚悟をしていたとはいえ、乃梨子ちゃんからどんな言葉を受けるのか。そう思っていたらこれだもの。
「あ、あの……お願いします! ゆみさん、私を」
「乃梨子ちゃん! ストップ! ストーップ!! 落ち着いて、深呼吸しよう? はい、一、二、三!」
 実際に私がするのにあわせて、乃梨子ちゃんも胸に手を当てて、息を吸って吐いてを繰り返し、数分のうちには落ち着きを取り戻していた。
「……申し訳ありません」
「いやいや、謝るのはこっちだって。乃梨子ちゃんが取り乱しちゃうほどのことを、私が言ったってことだから。ごめんね、場を改めてもっとゆっくりとすべきだっ」
「そんな! あれはそういうことじゃないんです!!」
「え?」
 私が言い切る前に割り込んでくるなんて。まだ落ち着いていないのだろうか?
 それにしたって、いったいどういうことなのだろう?
 頬を薄く染めながら、乃梨子ちゃんが続けた。
「あの、本当に恥ずかしいお話なのですが……私、こういう告白って、小学生の時に仏師に弟子入りしようと実際にお宅を訪問した時ぶりで、だから、まだリリアンの用語って慣れていないですし、それで緊張もしていたから出てきた言葉がそっちに行っちゃって……」
「ごめん、乃梨子ちゃん。やっぱりもう少し落ち着いて。話が見えてこない」
「あぁ、すみません! えっとですね、つまり……」
 ……こういうのをリンゴのように真っ赤に染めてと言えばいいのだろうか?
 さらに頬、いや顔全体を染めながらぼそぼそっとつぶやいた。
「あの……この姉妹関係ってのをこれからもっていうか……」
 ようやく分かった。何と乃梨子ちゃんは姉妹体験を続ける、あるいはそれ以上の関係を私と結びたいってことだ。
「……どうして?」
 さっぱりわからない。乃梨子ちゃんが言った意味はとりあえずわかった。けれど、何がどうなったらそんな考えにたどり着くのか理解できない。
 乃梨子ちゃんは幾分落ち着きを取り戻し、語り出す。つまり「姉妹」というキーワードがこっぱずかしいのかな? 確かに意識するとそうなるっていう気持ちは分かる。
「どうしてって……そ、その、やっぱりすごいって思ったからです。もともと祐巳さんのおかげでって部分がいっぱいあって感謝なんかいくらしてもしたりないくらいしてましたしすごいって思ってましたけど、今日のことを聞いて、今まで思ってたよりもずっとすごい人だって思いました」
「私がすごい?」
 それから乃梨子ちゃんは乃梨子ちゃんが私のことをどう思っているのか、どうしてそう思ったのかについて説明してくれたのだが……そんなにすごいすごいと連呼されても困る。
 しかし、説明してもらって乃梨子ちゃんの気持ちは何となくわかってきた。
 私は乃梨子ちゃんと志摩子さんの出会いこそが運命だと思っていた。だって、たまたま人に勧められたお寺に行ってみたら、学園で綺麗だと思っていた人がそこに……なんて狙ってできることじゃないし。その上、その日のうちに仲良くなったわけで。
 言い訳に思えるかもしれないけれど、乃梨子ちゃんは、志摩子さんとならうまくやっていける……そういう前提があったからこそ、あの発想にも至ったのだ。
 けれど、乃梨子ちゃんにしてみれば、今までの私の行為、私との出来事、そのすべてに深く感謝してくれていて、同時に私のことを尊敬してくれていた。なんと私と受験日に出会ったことを小寓寺で志摩子さんに出会ったことと同じくらいにだ!
 そして、今日のこと……私の気持ちは乃梨子ちゃんに語ったとおり。でも、乃梨子ちゃんはその行動、さらにそれを正直に告白したことがさらなる尊敬につながったようで、その気持ちが思いあまった結果、さっきの告白ににつながったようだ。
 正直、本当に驚いた。まさかそんな風に考えていてくれるなんて夢にも思わなかったから。こんな時でなんだけど、すごく嬉しい。
 けれど、どうしたものだろう? 姉妹体験を続けるか、あるいは本当に……
 新入生歓迎会におけるお芝居が無事成功した以上、当初の予定だけでなく、乃梨子ちゃんがそのまま……という選択肢も存在しうるのは間違いない。私にその資格の有無を問わなければ、だが。
 思いがけない乃梨子ちゃんの言葉で動揺してしまったせいだろうか、普段はあまり思い出したくない、でもここぞという時は私を助けてくれたりもした江利子さまの言葉が頭に浮かんできた。
 姉妹なんてそんなに重いものじゃない。姉妹なんてものは一緒にいて楽しければ良い。
 後者はともかく、前者は私とお姉さまにとっては不可能な考え方だ。ただ、そのあり方まで引き継いでいくべきかと言われたら、今なら違うと言える気がする。むしろ私で終わらせるべき、そう考えてもいいぐらいに。
 ついさっきまで、これっぽっちも考えになかったというのに、姉はともかく、妹とはどういう関係であるべきか、そんなことまで考えている私がいた。
 うん、やっぱり乃梨子ちゃんはすごい子だ。そんな子が私のことをここまで思ってくれている。もちろん私だって乃梨子ちゃんのことは好きだ。ならば私はどう応えるべきか……
 よし。
「乃梨子ちゃん」
「はい」
「言われて思い出したようなものなんだけれど、もともと姉妹制って姉が妹を導くって感じで、ある意味師弟みたいなものなんだよね」
「へ? はぁ」
 まさか、弟子の話まで戻されるとは思っていなかったのだろう。少し口を開けたまま首をかしげる乃梨子ちゃん。なかなか見せてくれないそんな顔もまた可愛いな。
「はっきり言って、私は乃梨子ちゃんに尊敬されるような資格はまったく無いと思ってる」
「そんなことっ」
 唇に人差し指を立てて、乃梨子ちゃんに口を閉じてもらう。
「ありがとう、もう少し聞いていてね。さっきの話の続きになるけど、私は自分が乃梨子ちゃんにふさわしいなんて思っていない……でも、だけど、本当にもし乃梨子ちゃんがよかったら……ほんとうの姉妹になってみない?」
「え……でも、語っておきながらなんですけど、祐巳さんにとって姉妹って」
「うん、重いよ。それにすごく深い。だから、あくまで姉妹体験は、乃梨子ちゃんが落ち着くまでの仮のものとしてしか考えてこなかった。けど、乃梨子ちゃんの話を聞いていて思ったんだ。たとえ、乃梨子ちゃんと姉妹にならなかったとしても、やっぱりそういうものは、私で打ち切りにしてしまったほうがいいかなって」
 興奮から出た言葉故に、自分の発言が本当に姉妹提案につながってしまうとは思わなかったのだろう、理由を言ってもまだ乃梨子ちゃんは戸惑い顔を浮かべたままだった。
「深さ云々を除けば、もちろん私も乃梨子ちゃんのことは好きだし。ただ、本当に姉妹となったら、このロザリオが白薔薇の中で引き継がれてきたことを受け継ぐ。つまり白薔薇のつぼみにはなってもらうことにはなるけど、それでよければどうかな?」
「ほんとうにいいんですか?」
「私はね。どっちかというと乃梨子ちゃんこそ、本当に私なんかでいいのかな?」
「そんな! 祐巳さん、ありがとうございます」
「うん、じゃあ」
 腕からロザリオを外し、乃梨子ちゃんの首にかけようとしたところで気づく。
 首にかけるというのは知らず知らずのうちに今の重さ・深さを乃梨子ちゃんに押しつけることにならないだろうか?
 このロザリオにそういった想いがこもっているのは間違いないし、思いがけない形であふれ出てきてしまうかもしれない。
 気のせいとか、ばかばかしいと言ってしまうのは簡単だが、乃梨子ちゃんが志摩子さんと出会った経緯を考えても、運命というのは馬鹿にならない気がするのだ。
 だから。
「もし、このロザリオが重すぎると思ったらいつでも外していいからね」
 ちょうどさっきまで私がそうしていたように、ブレスレットのようにロザリオを手首に巻いた……かつて、お姉さまがそうしてくれたように。
「ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします……えっと、お姉さま?」
「まあ、呼び方はおいおい慣れてからでいいよ。こちらの方こそよろしくね……乃梨子ち」
「ふふふ」
「ハハハ……」
 あー、だめだ。ずいぶん軽い響きの「お姉さま」に笑っている場合じゃない。私の方が難易度高いぞ、これは!
 ……まあ、でも、こんな感じの始まりこそが、私と乃梨子ちゃんが紡ぐ新たな姉妹関係にふさわしいのかもしれない。
 時折右手首が訴えてくる妙な軽さはそっと胸にしまい込む。
 うん、これでいい。
「……こほん。では、改めて。よろしくね、乃梨子!」
「はい、お姉さま!」


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