〜3〜
 軽い頭痛に額を抑える。
 その理由に心当たりはありすぎる。
 ……あれから校内を探し回った。
 土曜日は完全に日が暮れて用務員さんに注意されてしまうまで、昨日もクラブ生に紛れて登校し、今日も早朝から……それこそ活動していなかった部の更衣室に至るまで探し回った。いろいろと驚くようなものも見つけてしまったりもしたが、肝心の志摩子さんから貸してもらったあの数珠だけは見つからなかった。
 いっしょに探してくれた祐巳さんのことも気になるが、いっこうに姿が見つからない。たぶん薔薇の館に行けばいるだろうとは思うけれど、そこには志摩子さんもいるに違いない。今いったいどんな顔で志摩子さんに顔を合わせればいいのか、平静を装えるのか? ……そんなの無理に決まっている。こういうときこそ携帯電話があればいいのにと思ってしまう。
 しかし、ないものねだりをしてもしかたない、そろそろ人も増えてくるし教室に向かった方がいいだろう……ああ、祐巳さんのクラスに行ってみようか、志摩子さんとはクラスが違うから、祐巳さんとだけうまく会うことができるかもしれない。そう考えて足を校舎の方に向けると「あら、乃梨子さん。ごきげんよう」と声をかけられた。
「ああ、瞳子さん。ごきげんよう」
「よろしかったらいっしょに教室まで行きませんか?」
「ええ」
 やはり平静を装わなければいけない。祐巳さんのクラスに向かうのはあきらめて瞳子さんといっしょに教室に向かうことにした。
「乃梨子さん、お疲れのようですね……」
「え? 少し……昨夜小説を読んでいたら、ずいぶん遅くなってしまって」
「あら、そうでしたか、お気をつけを。もしあまり悪いようでしたら、無理はなさらず保健室に行かれた方がいいですよ?」
「ありがとうございます」
 彼女には土曜日に目撃されてしまった上、何をしているのかまでずばりと言われてしまったが、ありがたいことにそのことには直接触れず「瞳子にできることでしたら何でもしますから、おっしゃってくださいね」と言ってくれた。
「ありがとう、瞳子さん」
 彼女の余計なおせっかいと思う所ばかり目が行っていたけれど、以前からさりげない手助けなども数多くしてくれていたことを思い出す。今度もっとしっかりお礼を言った方が良いかもしれない。
 教室に到着……午前中はミサで午後は新入生歓迎会。私としては授業の方がずっといいのだが、そう思っても始まらない。ため息を心の中でつきながら自分の席に着く。念のために机の引き出しを調べてみる。当たり前だが数珠はない。
 誰かが反省してこっそりと人知れないうちに戻して置くなんて、そんな虫がいい話はなかった。
 ほんとうにどうしたらいいのだろう?


 午前中のミサが終わり、ついに午後のイベント、新入生歓迎会が始まった。志摩子さんに気取られないように平静を装いきらなければいけない。
 三人の薔薇さまからそれぞれメダイを首にかけてもらうわけだが、私たちのクラス椿組は幸いなことに祐巳さんの列だった。これなら紅薔薇さまのサポートとしてついている志摩子さんとは直接顔を合わせずに済みそうだ。
「マリア様のご加護がありますように」
 祐巳さんがひとりひとりにそういいながらメダイをかけていく、あと少しで私の番がやってくる。
「マリア様のご加護がありますように」
 そして前の人がもらい終え後ろに下がり私の番がやってきた。
 祐巳さんは私の顔を見てほんの少しの間だけ心配そうな表情を浮かべる……祐巳さんも見つけられなかったというメッセージなのだろう。
「マリア様の――」
「お待ちください!」
 祐巳さんがメダイを私にかけてくれようとしたまさにそのとき、後ろの方からそんな声が上がった。
「乃梨子さんは白薔薇さまからおメダイをいただくような資格などありません!」
 そういってざわめく生徒をかき分けて前に出てきた人物にはかなり驚かされた。
「瞳子ちゃん!」
「白薔薇さま、それに皆さま、神聖な儀式の邪魔をしてしまい、ごめんなさい」
 まさかと思うものがあった。
 でも、今日に限らず今まで彼女がしてきてくれたことを思い浮かべると、そんな考えはすぐさま否定したかった。
 それでも、この状況から導き出されるものと言えば……
「瞳子ちゃん……どういうことなのか説明してくれるわよね?」
「はい、祥子お姉……紅薔薇さま。もう瞳子我慢できなくて」
「乃梨子さんにはおメダイを受け取る資格がないってどういうこと?」
「あ……乃梨子ちゃん、あれって……」
 何かに気づき、私にだけ聞こえるようにささやいた祐巳さんの視線を追っていく……私の希望は見事に打ち砕かれてしまった。
 彼女の左手に握られていたもの。それはまさしく、志摩子さんから借りた数珠が入っている巾着袋だった。
 瞳子さんは巾着袋を掲げて「これは乃梨子さんのものよね?」と聞いてきた。
 ふと気づいて紅薔薇さまの横にいる志摩子さんを見ると、口に手を当てて……かすかに震えているようにも見える。
 ……いけない。私がショックを受けている場合じゃない。なんとしてもここを切り抜けなければ!
「どうして私の持ち物だと断定するのかしら?」
「あら、土曜日、ずいぶん必死に何かを探し回っていたのはこれを探していたのではなかったのですか?」
 なんてことだ。いったいいつからなのか知らないが、少なくとも土曜日のあれは演技だったというのか!
 裏切られた……そんな気持ちが私の声を荒らげさせる。 
「さぁ、探し回っていたのは事実だけれど、その巾着袋だとどうして瞳子さんは思ったの?」
 答えられるものなら答えてみろ! まさか私が乃梨子さんの鞄から抜き取りましたからだなんて答えられるわけはない。
 案の定私の指摘にひるんでいる。よし、もう一回だめ押しに聞いてやる……そう思ったところで、思わぬ横やりが入った。黄薔薇のつぼみである。
「ねぇ、瞳子ちゃん。そもそも、その巾着袋になにが入っているわけ?」
「百聞は一見にしかず。どうぞごらんになってください!」
 これ幸いとばかりに、私の問いを無視して巾着袋を開き、黄薔薇のつぼみはその中身をのぞき込んだ。
「これは……瞳子ちゃんが言うとおり、乃梨子さんのものなの?」
「違います」
「絶対に?」
「はい」
「あら、それはたいへん失礼しました。ではこれは捨ててしまいますね」
「は、はいぃ!?」
 瞳子さんは巾着袋を上に投げポーンと宙に巾着袋が舞った。キャッチしてさらに「乃梨子さんがこれの持ち主でないとしたら、どうなってしまってもかまわないでしょう?」などと言ってきた。
「瞳子ちゃん、それが誰のものでどうやって手にしたのか知らないけど、人のものを勝手に捨ててしまうなんてしてしまっていいことではないでしょう?」
 祐巳さんがフォローしてくれたのだが、瞳子さんは平然と「持ち主が名乗り出ないのでしたら、瞳子の好きにしていいと思いますけど」などと言ってのけた。
 それがここにいない誰かのものではないと確信しているからこその言葉……ええい、ここは仕方ない。
「……わかりました。認めましょう。それは私が持ってきたものよ」
「乃梨子さん!」
 志摩子さんが話しに入ってこようとしたのを「黙っていてください」ととどめる。志摩子さんを話に入れてはいけないのだ。
「うまいわね、乃梨子さん。『持ってきた』……と。さっきのもうそではないのでしょうね。じゃあいったい誰のものなのかしら? マリア様のお庭にこんなものを持ち込んだ不届きものが他にもいるということ?」
 ま、まずい……志摩子さんの顔がみるみる青ざめていく。
 何とかしなければ! でもどうやって!?
「そもそも、それはそんな大事になるようなものなの?」
 いつの間にか紅薔薇さまのすぐそばに移動している黄薔薇さまが瞳子さんに尋ねた。
「はい! ご覧ください!」
 瞳子さんが巾着袋から……取り出した数珠を高く掲げる。お聖堂の中できらきらと光を跳ね返して……こんな時になんだけど、この場所ってこの数珠が飾られるのに結構ふさわしくない? なんて思ってしまうほど、それはそれは、ほんとうに美しく輝いていた。
「数珠?」
「あーっ!」
 こんな事態にもかかわらず見とれてしまっていた私を呼び戻したのは、すぐそばにいた祐巳さんの大きな声だった。
「白薔薇さま、どうしたの?」
「それ、私が持ってきたものです」
「祐巳さま、いくら姉妹体験をしている関係だとしても乃梨子さんをかばわれる必要はないですよ」
「いや、かばっているとかじゃなくて、ほんとうに私が持ってきたものだから」
 そうか、事情を知っている祐巳さんは志摩子さんに話が及ばないように、全部自分のことだということにして丸く収めようとしてくれているのか。けれど相手は白薔薇さまだというのに瞳子さんは一歩も退かずに「うそです」と断定した。
「それとも何か証拠でもおありで?」
「その数珠についているネームタグに福沢って書いてあるでしょ?」
「え? ……あれ?」
 数珠をじっくりと見た瞳子さんが固まっている。まさかほんとうに?
「でしょ?」
「はい……でも、どうして祐巳さまがこんなものを?」
「ああ、それは、家族の中で最近本格的に仏門に目覚めたのがいて、本格的な数珠を手に入れてきたわけ。で、乃梨子ちゃんが一度見てみたいというから拝借してきたんだけど」
「そう、でしたか……」
「あ、全然気にしなかったけど、薔薇さまの家族に仏教徒ってまずいことなの、ひょっとして!?」
 祐巳さんの大げさと思えるほどオロオロと慌てふためき声をあげる姿がおもしろかったのだろう。お聖堂のあちこちで笑いが巻き起こった。でも、私には何がいったいどうなっているのかさっぱりである。
 そして祐巳さんはウインクを一つ……その先は志摩子さん?
「そんなことあるわけないでしょう、白薔薇さま。でも二人とも、私物の持ち込みは気をつけましょう。瞳子ちゃんもそれでOK?」
「はい、黄薔薇さま。乃梨子さん、ほんとうに申し訳ありません、瞳子、てっきり乃梨子さんが仏教徒だと思ってしまい、マリア様に申し訳なくて、申し訳なくて」
 ぽろぽろと涙を流して、膝をつき手を組んで許しをこうてきた。
 あんなことをした人間を許せと言うのか? しかし、こんな涙を流して前非を悔いる人間を許さないとなれば、下手をしなくても私の方が悪者になってしまう気がする。
「はいはい、許す許す」
 軽く脱力して、投げやり的にそう言ったら「やったー。ありがとう、大好き乃梨子さん!」なんて言って抱きついてきた。顔もさっきまでの涙はいったいどこへ行ったのやら……って、こいつが演劇部だというのをいまさらながら思い出した。
「嘘泣きかよ!!」
 私たちのやりとりは周りから見たらおもしろかったのだろう笑い声が巻き起こるし、黄薔薇さまには「はいはい、二人とも仲良し漫才はそこまで!」なんて風に言われてしまった。
 その「仲良し」って部分には大いに反発したいが、ここでそんなことを言ったらさらに奴によって盛り上げられそうなのでやめておく。
 ……あれ?
 ふと、志摩子さんの方を見ると軽い苦笑いといった感じで、さっきまでの青ざめた顔とかではなくなっていた。
 話が違う方向に転んでほっと一息という表情とは明らかに違う。いったい何がどうなっているというのか?
 訳がわからなくて頭の中がこんがらがってきたところで、祐巳さんがそっと「後で話があるから」とささやいてきたのだった。


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