第一話

気になる一年生 後編

〜6〜
「祐巳さん、ちょっといいかしら? ……できれば外で」
 週明けの月曜日、休み時間になるやいなや真美さんがやってきて廊下を指さす。
「いいけれど……」
 姉妹体験特集号は大変好評だったわけだし、今度はいったい何だというのだろうか。
「祐巳さん、いいの?」
 由乃さんが私もついて行こうか? と言ってくれたけれどお礼を言った上で遠慮する。
 まあ前回のことを考えてみても、真美さんは油断ならない相手であっても、不誠実な行動まではとらない人だ。全面的に大歓迎とは言わないが、まあ大丈夫だろう。
「ここならいいかしら?」
「ええ」
 階段の踊り場についたところで真美さんが聞いてきたので同意する。姉妹体験とか普通の姉妹申し込みにしても、もっとロマンチックな場所で行われることが多いので人はいなかった。
「早速だけど、二条乃梨子さんとはどうなってるの?」
 おいおい。まさか真美さんがそこまで平然と約束を破るとは思わなかった、前言撤回だよと思いかけたところで言葉が続く。
「あ、誤解しないでね。もちろん前の約束は守るわ。ただね、新情報を入手してしまって」
「新情報?」
「実は、今祐巳さんと乃梨子さんが姉妹体験をしているのではないかという噂が流れているのよ。もちろん、新聞部は一切ノータッチで」
「え?」
「噂の発信元は乃梨子さんのクラスで、どうも祐巳さんと乃梨子さんが仲良くお弁当を食べているのを見た……というかわざわざ見に行った人たちがいたようね」
「そこまで具体的に伝わっているの?」
「一年椿組にも新聞部員がいるの。その子によると先週の金曜日に騒ぎになって乃梨子さんが否定したみたい」
 当然だろう。そもそも乃梨子ちゃんがこれ以上滅入るような話自体一切していないのだから。
「で、そこで終われば良かったのだけど、乃梨子さんは新入生代表だったでしょ? だから元々それなりに注目を集めていたところで祐巳さん、つまり白薔薇さまとの楽しい昼食風景。盛り上がらないわけがない」
 成績トップの外部からの入学生と白薔薇さまが仲むつまじく昼食をとっている。しかも白薔薇さまは姉妹体験を始めた張本人。新聞部に限らず姉妹体験に興味津々な新入生にとっても格好の話題だったのだろう、と。
「……」
「で、乃梨子さんの発言お構いなしに、噂は収まるどころか広がっていくばかり。もし、祐巳さんにその気があるなら新聞部を利用することも考えておいて」
「……利用?」
「新聞ってのは何もことを大きくすることしか能がないわけじゃなく、真実を明らかにして収束させることだってできるの。たとえば自分が知りたいことがあったとして、それが余すところなく書いてあるものがあったなら、わざわざ自分で調べに行こうとするかしら?」
 確かに。
 自分で見たものでないと! って人も中にはいるかもしれないけれど、やっぱりごくわずかだろう。ましてそれが噂程度の話なら……
「なるほど……って、その手には乗らないわよ、真美さん」
「ばれたか。まあでもそういう要素が報道にあるのは事実だから、頭の片隅にでも置いておいてよ」
「うん。覚えておく」
「それに正直なところ。今年は部内規定もあるし、まだ誰の妹でもない二条乃梨子さんのことを祐巳さんの承諾無しに書くことはほとんど不可能なのよね。というわけで、公式発表が必要の際はぜひとも新聞部へご用命を」
 そう言いながら仰々しく頭を下げた後、真美さんは帰っていった。
 私は、どうするべきなのだろう。


 授業が終わって昼休みになるなりすぐに教室を飛び出し乃梨子ちゃんのクラスに向かった。いてもたってもいられなくなったからだ。
 教室をのぞいて、真っ先に目についたのはあの目立つくるくる縦ロール……瞳子ちゃんだった。今は関係ない……教室を見回して乃梨子ちゃんを発見したが、まさに「疲れたぁ」と顔が言っている。でもそんなことお構いなしに、周りにはクラスの子たちが集まってきている。
 どんなことがあったのかまではわからないが、乃梨子ちゃんがひどい目にあったのはまちがいない。どうして真美さんに言われるまで思い至らなかったのだろうか? 去年のことを考えれば、いくら新聞部が何も書かなくても噂が流れてしまったら、こうなることは十分想像できたじゃないか。
 ……今は後悔も反省もいい。ともかく乃梨子ちゃんをこのままにはしておけない。さらに注目を集めかねないが、教室から連れ出そう。
 そう思ったとき、扉の近くにいた椿組の子から声をかけられた。
「ごきげんよう、白薔薇さま。……ひょっとして乃梨子さんに御用ですか?」
「ちょっとね。ごめん、いれてもらっていい?」
「は、はい! どうぞ!」
 大きな声で返事をするものだから、皆の視線が集まりため息とも歓声とも言えるような声の中、乃梨子ちゃんの元へ突き進む。
「乃梨子ちゃん、いい?」
「あ……はい」
 声をかけられてはじめて私の存在に気づいたようだ。
 ますます騒がしくなる後ろの方を無視し、乃梨子ちゃんといっしょに教室を出て、人気がない空き教室に移動した。
「乃梨子ちゃん、本当にごめん。ひどい目にあわせちゃったよね」
「あ……でも、祐巳さんが悪いわけじゃないし」
「ううん。今日クラスメイトに言われてやっと気づいたんだけど、客観的に考えれば乃梨子ちゃんの周りで何かあることぐらい予測できたはずなのに……うかつだった。だからごめん」
 乃梨子ちゃんはやっぱり私が謝ることではないと思っているのかいまいち納得していない様子だった。
「この騒ぎってようは祐巳さんと佐藤聖さんのお二人のまねっこがしたい人たちがはしゃいでいるだけでしょ? やっぱり祐巳さん、何にも悪くないと思いますけど。そんなことまで心配してたら疲れてしまいません?」
 やっぱり乃梨子ちゃんは賢いんだなってのを改めて実感する。これだけ慣れない、息苦しいと思っている場所でも、事の本質がよく分かっている。しかし、それ故にもっと申し訳なくなる。
「そう言ってくれるのはうれしいよ、乃梨子ちゃん。でも、私がもうちょっと気を遣っていればこんなにクラスメイトの子たちとかに追い回されなくて済んだと思うんだ。さっきだって、あんな風に連れ出しちゃったから、あとでもっと問いただされちゃうかもしれない。本当にごめんなさい」
 頭を深く下げてあやまる。
「……祐巳さん、頭を上げてよ。確かにこの十日間で一年分くらい疲れた感じはありますけど、それでも祐巳さんのおかげで少しはこの学校でやっていけるかもと思えたんですよ。祐巳さんに会わなかったら、かったるい気持ちだけで三年間過ごしたと思うし、それに比べたら波瀾万丈どんとこい! ってもんですよ」
「ありがとう、乃梨子ちゃん。なんだか助けるつもりで来たのに、逆に励まされちゃったな」
「いいですって。そうだ、一つ聞くなら祐巳さんもそうですけど、生徒会の皆さんはこんな感じになっちゃった時、どうやって対応してたんです?」
「うーん、実は薔薇さままでになっちゃうと、クラスメイトの人たちとかは遠慮するせいか、かえって静かになったりするんだ。でも、私がお姉さまと姉妹体験をする、しないって時に教えてもらったテクニックがあるから……」
 正直ここまでくると焼け石に水な感じもあるが、やらないよりは良いだろう。そう思って昔お姉さまに教えられた対応策の応用……簡単に事実をかいつまんで話し、後はほほえみを浮かべてご想像にお任せしますと答えるとかそういうものを伝授した。
「なるほど、お嬢様っぽく振る舞うと相手もなかなか踏み込みにくくなるって感じですね」
 ちょっと試してみるかな……と、明るく振る舞う乃梨子ちゃんに胸が痛んだ。
 本当に私はどうすればいいのだろう。


 このままではいけない。そう思いつつも結局根本的な対策は何一つとして思い浮かばないまま放課後になってしまった。
「薔薇の館に行かないとな」
 自分に言い聞かすようにつぶやいて鞄を持って薔薇の館に向かおうとしていたとき、後ろから声をかけられた。
「白薔薇さま、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 うん? 聞き慣れた声のはずなのに違和感が。そう思い、返事をしつつ振り向く。
 そこにはテニスウェア姿の桂さんがいた。
「お久しぶり、祐巳さん! それとも、本当に『白薔薇さま』がいい?」
「是が非でも祐巳さんでお願いします……」
 桂さんにまで『白薔薇さま』と呼ばれてしまったら、なんというかすごく嫌だ。
「了解、祐巳さん。改めましてごきげんよう」
「ごきげんよう。テニスウェアなのにこんなところで会うとは……何か忘れ物とか?」
「ま、そんなところ。祐巳さんこそどうしたの、憂うつが顔に張り付いているわよ? ……あ、分かった。例の姉妹体験疑惑でしょ?」
「……もう伝わっているの!?」
「一年松組の子から。すごいね、隣のクラスどころか、隣の隣の隣のクラスぐらいまですぐ伝わっていったみたいよ。で、その子たちが部活の先輩に話したりするものだから、もう際限なく」
 いずれは上の学年にも伝わっていくかもとは思っていたけど、まさかこんなに早いなんて。
「まいったなあ……」
「私は祐巳さんが軽々しく姉妹体験をするとは思っていないけど、信じちゃっている人は多いわね。……そもそもなんでこんなことになっちゃったのか、聞いてもいい?」
 興味本位ってのも確かにあるかもしれないけれど、それだけではなく私のことを心配してくれているのがその目から十分伝わってきた。
「実は……」
 正直なところ煮詰まっていた部分もあると思う。
 乃梨子ちゃんとは年明けの高等部受験日の前日に初めて出会ったこと、入学して早々に暗い表情を浮かべていた彼女に声をかけずにはいられなかったこと等々、乃梨子ちゃんがいっそう疎外感を感じている理由等はあいまいにしつつも私は桂さんに話していた。
「ふーん。やっぱり祐巳さんが悪いね、そりゃ」
「うん。でもどう手を打ったらいいかが分からなくて……」
「いやいや、違う違う。そういう話じゃ無くて。あ、まったく違うとは言わないけど」
「え?」
「ああ、でもそうか、祐巳さんの周りにいる人たちって、みんなそうだし気づかないかもなあ……」
 そう言いながら桂さんは、一人で納得してうんうんとうなずいているのだけど、さっぱりわからない。
「ねえ、どういうこと?」
「あ、ごめんなさい。そうね……。ねぇ祐巳さん。あなたの立場は?」
 ちょっとためらうようなそぶりを見せた後、私の目を見据えてそう尋ねてきた。
 私の立場。そういう聞き方をされたら答えは一つしかない。
「い、一応白薔薇さま」
「そう。その考え方に皆との大きな壁ができちゃっているの。私は祐巳さんの気持ちも分かるし、そういうところ好きだけど」
 桂さんが言おうとしていることがやっぱり分からない。大きな壁ってどういうことなのだろう?
「ねえ、祐巳さ……いや、白薔薇さま。あなたはあなた自身が思っているよりはるかに全校生徒から、それが大げさというのであれば少なくとも一年生の大半と二年生の多くから憧れの存在として見られているのよ」
「ま、また。冗談きついよ、桂さん」
 確かに薔薇さまの称号が付いてしまっているせいで、多少なりとも注目されているのは事実だけど、お姉さまをはじめとする先代の方々、あるいは祥子さまや令さまの七光りのようなもので、私自身がそこまでの存在である訳がない。
「皆の憧れ、麗しの薔薇さまの一人にして唯一妹がいらっしゃらなかった白薔薇さま。その方がご自身の卒業も近づいてきた学園祭直前、ついに見いだされた一年生。……でもその子は誰から見ても、ごくごく普通の女の子にしか見えなかった。しかし、お姉さまとなった白薔薇さまの期待に応えるべくその子は選挙戦を勝ち抜き、固いつぼみが花びらを開くように薔薇さまとしての才能を開花させた」
 しかしそんな私の反応なんかお構いなしに、目をつぶり手振りを交えつつ、おとぎ話のあらすじでも読むかのごとく語った。
「か、桂さん?」
 ごくごく普通のって部分には同意できるけど、あとはどこの誰のこと?としか思えないような美化のされようじゃないか。シンデレラストーリーというレベルすら超えている。
 私がそんなのじゃないってのは、桂さんだってよく知っているはずなのにどうして……
「結局の所。祐巳さんや事情を知っている私や蔦子さんたちがどう思っていようが、もっと遠くから眺めていた二年生や新入生にはそういう風にしか見えないってこと。祐巳さん、あなたは虎の威を借る狐なんかじゃない、正真正銘アイドルなのよ」
 もし新一年生としてそんな話を聞いて入学していたら、ごくごく普通な私にだって薔薇さまに見初められるかもしれないなんて夢を抱いちゃったに違いない。
 あなたはその見果てぬ夢を作り出し、叶えてしまった張本人なのだ、と。
 そこまで言われてようやく分かった。
「私自身がどう思っているか……ではなくて、端から見た私へのイメージに対する自覚が全然足りなかった。そういうことだよね?」
 そこまで注目されていたのなら、目の前を通ったり誰かに話しかけていたりしたら一年の子たちにとって気が気でなかったのだろう。半年前……言われるようにまだ普通の生徒でしかなかった私は、まさに桂さんと祥子さまが志摩子さんに姉妹を申し込んだとかそんなうわさ話で盛り上がったではないか。きっと一年生の子たちもそういう感じだったのだろう。
「ええ……。だから、その乃梨子ちゃんにとって祐巳さんが関わっていること自体がいい結果につながらないと思う」
 祐巳さんには悪いけど。そう申し訳なさそうに付け加える桂さん。
「ううん、アドバイスありがとう。すごく参考になった」
「私で良ければいつでも相談に乗るから」
「本当にありがとう。時間がある時にでも薔薇の館に遊びに来てよ。心を込めておもてなしするからさ」
「ふふ、そうね。じゃあ、またね」
 部活に戻っていった桂さんを見送った後、改めて考える。
 私はそもそも乃梨子ちゃんに声をかけるべきではなかったのだろうか。でも、たとえそうだとしても時計の針は戻せない。
 かといって今更知らんぷりする? そんなこと、できっこない。でも桂さんが言うとおり、私が話しかければ話しかけるほど乃梨子ちゃんはますます追い込まれてしまう。
 私ができることは……


 次の日、放課後薔薇の館に行くとお姉さまがいた。
「あ、お姉さまごきげんよう」
「ごきげんよう」
 お姉さまはコーヒーを飲んでくつろいでいる。まさに勝手知ったる他人の家状態……いや、お姉さまは先月までここの長の一人だったのだからちょっと違うか? ……いや、まあどうでもいいことである。
「ところで、昨日これを見たんだけどさ、なかなかおもしろい取り上げかたしてくれたもんだね」
 そう言ってお姉さまが見せてくれたのはあのリリアンかわら版の姉妹体験特集号だった。
「大学にも届くんですか?」
「さすがに配りには来てないみたいだけどね。姉妹やらなにやら経由でそこそこの部数が回って来るみたい。私は同じ科目を受講している……子からもらったけど」
 ……この人、また覚えていなかったな。そういう部分は本当に変わらないんだから、もう。
 お姉さまが写っていたから気を利かして渡してくださった、おそらく先の卒業生のどなたかには私が代わりに謝っておこう。ごめんなさい。
「まあその方の名前を覚えていなかったことはひとまずおいておくとしまして。お姉さまも『おもしろい』ですか」
「うっ……ところで『も』って誰?」
 一瞬たじろいだ後、何事もなかったかのように聞いてくるお姉さま。……はあ、いつものこと、いつものこと。ごめんなさい、ごめんなさい。そう念仏のように心で唱えてから質問に答える。
「由乃さんがちょっと楽しそうって、でもなにかかなり引っかかってるものがあるみたいですけど」
「ふうん。なんか思うところでもあったのかしらね? それはともかく、これ出たのは先週だよね。もう姉妹体験がブームになってるんじゃない?」
「はい、それはもう見事に」
 蔦子さんが姉妹体験ブームの状況について教えてくれたが、やはりクラブで新しく入ってきた一年生に持ちかけてというパターンがかなり流行っているそうで、蔦子さんが把握しているだけでもすでに二十組を超えているようで、そのうち百組は超えるんではないかとの蔦子さんの予想である。
 さらにはお姉さまがいない二年生に姉妹体験を持ちかけた三年生もいるらしく、なかなかすごい感じになっているようだ。一年間お姉さまなしで通した人に声をかけるのって相当勇気がいると思う。やはりリリアンかわら版の影響力は良くも悪くも絶大である。
 そのあたりの話をするとそこまで行くとはねぇーと少しお姉さまも驚いたようだ。
 階段を上る音が複数聞こえてきた。この音は祥子さまと令さまのようだ。
「あれ、聖さまごきげんよう」
「ごきげんよう」
「二人とも、ごきげんよう」
 どれほどもなく、由乃さんと志摩子さんも顔を見せ、今日の作業が始まった。お茶代がわりにとお姉さまが雑用を手伝ってくださったこともあってか、ずいぶん順調に進んだ。やはり五人か六人か、しかもその増えた一人が仕事を熟知しているというのはとても大きいと思う。
 そんなこんなで解散になった後、お姉さまが「祐巳、ちょっといい?」と聞いてきた。
 このパターンはつい昨日あったばかりだ。実は桂さんだけでなく、薔薇の館でも作業が終わった後令さまが声をかけてくれたのだった。
 仕事に差し障りになるほどではなかったと思うけど、それでも一区切り、一休みとるたびに乃梨子ちゃんのことが頭に浮かんできてしまったから、みんなにはバレバレだったかもしれない。悲しいことに噂は全学年に広まりつつあったし。
「はい、ありがとうございます」
「あら、そこまでわかるってことはもう誰かに聞かれてたかな」
「ええ、昨日令さまに」
「そっか、令では難しかったことかぁ、私に関することじゃないと厳しいかもしれないけど、まあ何に悩んでいたのか話してみてよ」
 お姉さまに相談か……それでも、やっぱり逆・隠れキリシタンのあたりは話すべきではないだろうか? いや、そのあたりのことが逆に何かのとっかかりになるかもしれないし、乃梨子ちゃんには悪いけれど、お姉さまには全部を話そう。
 そう考えて、全部洗いざらい話してお姉さまに相談することにした。
「うーん、なかなか難しいね。確かに仏像鑑賞とかすごい趣味だとは思うけど、そういったことを気楽に考えられない……いや考えられる人間だったかもしれないけれど、この学園に入ってしまったからかもなあ。この学園の空気って一度場違いと思っちゃうと相当きついしね。それでいて新入生代表ってことは結構な優等生だったのだろうから、昔の私みたいにもなれないわけだ」
「……」
 お姉さまは私から聞いただけなのに、乃梨子ちゃんのことをなんだか私以上に分かってしまった気がする。
 昔の私。
 その言葉を聞いただけでドキッとしてしまったけれど、お姉さまもこの学園に疎外感みたいなものを感じた経験者だから分かることもあるのだろうか? そのことを考えるといまだに悲しくなってきたりもするが、お姉さま自身がさらっと話されたことを思い悩んでどうする! そう考えて切り離すことにした。
 私がそんなことに思いをはせている間もうーんと腕組みをしながら考えていてくれたが、しばらくしてポンと手をたたいた。何かいいアイデアを思いついた!?
「そうだ。いっそのこと徹底的にやってしまえばいいのよ」
「徹底的にですか?」
「そう。ちょうどこれに乗ってしまえばいいんじゃない?」
「どういうことですか?」
 リリアンかわら版を掲げつつそう言うお姉さまだが、意味がさっぱりわからず首をかしげる。
「だから姉妹体験よ、姉妹体験」
「はい?」
「噂通りに祐巳がその乃梨子ちゃんって子と姉妹体験をするのよ」
「……お姉さま、何言ってるんですか?」
 自分でも声が冷たくなっているのがわかったのに、お姉さまの方はそれにはまるで気づかなかったのか、さらに話を続けた。
「今でもすでに噂になっているわけで、どうせそれは消えないだろうから、いっそのことその通りにしてあげればいいのよ。で、大々的に発表すればいい加減な噂ではなくなるし、乃梨子ちゃんが何か困っているときに祐巳だってお姉さま役として堂々と助けにいけるじゃない」
「お姉さま!」
「な、なに?」
「お姉さまは姉妹ってものをどう思っているんですか!? 確かに、私だって姉妹体験自体はいいものだって思ってます。でも、それでも! 私にとってお姉さまの存在がどれだけ大きいとおもっているんですか!」
 手に巻いているお姉さまからいただいたロザリオをぎゅっと握りしめる。
「それなのに、そんな簡単に姉妹体験をしてみたらって……お姉さまのバカ!!」
 そう言い放ち、お姉さまの顔を見ないまま、薔薇の館から駆け出していた。


 どうしてお姉さまはあんな無神経なことを言うのだろう。
 あのバレンタインデーのイベントの時だってそうだ。私がお姉さまとのデートをどれだけ大切にしていたのか、そして逆にお姉さま以外の誰かわからないような人(結果的には静さまになったがあくまで結果的である)となんかデートをしたくなかったのに、そんな私の思いなんかまったく考えずにあんなことを言ったり……
 涙が出てきそうだ。
「ゆみ、大丈夫か?」
「え?……ゆ、祐麒!?」
 机に突っ伏している私を祐麒がのぞき込んでいたのに驚いて、バネ仕掛けのおもちゃみたいに飛び上がってしまった。
「いつも言っているようにノックくらいしなさいよ」
「ノックどころか、直接声をかけても全然気づかなかったのに文句を言うなよ」
「う、それはごめん」
 なんか、前にも近いやりとりがあったような気がする。
「それで、佐藤さんとのことだろうけど、大丈夫か?」
「……分かる?」
「昨日もだいぶ悩んでいるみたいだったけど、今ほど落ち込んでなかったし。それがこうなるってのは佐藤さんのことか佐藤さんとのことしかないだろ」
「ほんと、バレバレだね」
「そっとしておいてやろうかとも思ったけど、ここまでくるとな。……で、俺でよければ話聞くけど?」
 なんだか、最近みんなにそんなことを言われてばっかりだ。
「……お姉さまとけんかしちゃった」
「そっか、で何が原因なんだ?」
「お姉さまが無神経なこと言ったのよ……」
 今日の出来事を簡単に祐麒に話すとうーんと考えて、口に出さないまましきりに首をひねる。
「ねえ、なんか思いついたの?」
「なぁ、相変わらず俺には姉妹関係っていうのがよくわからないから、思いっきり的外れかもしれないけどいい?」
「いいけど……」
 ためらいがちにそんなことをいうものだから、思わず身構えてしまう。いったいなんだろう?
「前に、祐巳は私がお姉さまを信じられなかったのが悪かったってそう言ってたよな?」
「うん……まあ」
「佐藤さんだって祐巳との姉妹関係をすごく大事にしているんだろ? だから、もしかすると似たようなものかもしれないぞ」
「え?」
「以前祐巳が似たようなことをされて怒ったことも覚えていて、さらに祐巳と同じくらい姉妹関係を大事にしているなら……承知の上であえて言ったなんて考えられないか?」
「そんなっ!」
「まあ落ち着けって。姉妹関係もよく分からない人間が、仮定の上に仮定を乗っけた推論だから見当外れなことを言っている可能性だって十分あるし。とはいえ、少なくとも言いっぱなしで出てきたのは祐巳が悪かったと思うよ。前例があるならなおのことどうして祐巳がそんなことを言ってしまうような気持ちになったのか佐藤さんに説明するべきなんじゃないかな」
「……」
「本当に俺の予想が当たっていたなら、祐巳が何を言ったところでその無神経な意見って奴は変わらなかったと思うけど。それでも、そこまで頑なに主張されたら少しは何かあるかもって分かったかもしれないな。ま、落ち込む前にやるべきことはいろいろあるんじゃない?」
 そう言って部屋から出て行った弟にまったく言い返せなかった。
 祐麒は当たってないかもと言ったけれど、私が考えていたことよりよほどお姉さまの真意を掴んでいるように思えた。だってお姉さまは本当に大切なことだと思ったら、私なんかが想像つかないくらい深く考えてしまう人だから。卒業式の前だってそうだった。
 そのことは十分身にしみていたはずなのに。祐麒に説かれるまで、また軽はずみなことを言ったとしか思えなかった自分がひどく情けなかった。
 同じことを繰り返していないだろうか。結局依存しているんじゃないだろうか
 あの時お姉さまが発した言葉が思い浮かんだ。
 依存。祐麒にも言われたっけ。あの子はすぐに取り消したけど。
 でもその通りだと思う……だからこそ、お姉さまに素っ気なくされたとか無神経なことを言われたと思ってしまうと、深く考えもしないで反応してしまうのだ。
「ダメだな、私」
 ため息が出てくる。お姉さまはそれなりに折り合いをつけたというのに、私ときたら。
「こんな状態じゃ、お姉さまも安心できないよ……え!?」
 無意識のうちにこぼれていた言葉に驚く。まさか、お姉さまがあんなことを言った理由って……
「そういうことなの?」
 私がお姉さまから離れられなくてべったり依存しているから。でも、それを面と向かって言うと私が傷つくかもしれない。だから乃梨子ちゃんのためだけでなく、私のために姉妹体験をした方が良いって。
 それも何にも考えていないふりをして、だ。そうすればどう転がってもお姉さまが私に謝るだけで収まるから。
 もし想像通りなら、私は馬鹿だ。それも筋金入りの大馬鹿だ。
 そう思ったら、いてもたってもいられず電話を取りに行っていた。そして、お姉さまの携帯電話へ……というところで気づく。時計の針は既に深夜に近づこうとしていた。
 しかし一瞬躊躇した後、私は発信ボタンを押した。
「もしもし」
「お姉さま、祐巳です。こんな時間にごめんなさい」
「ううん、いいよ。どうしたの?」
「今日、あんなことを言ってしまって……」
「あんなこと? ……あぁ、私がバカってやつね。いいの、いいの。今考えると、私がお気楽に姉妹体験なんて言っちゃったのが許せなかったんだよね? ほんとバカでごめんね、祐巳。お詫びにまたどこかに連れて行ってあげるから、あの話は忘れちゃってよ」
「そんな、お姉さま……」
 あんまりにも想像通りの言葉。
 どうして祐麒に言われるまで分からなかったのだろう。今ならお姉さまの本心が痛いほどよく伝わってくるのに。私があの時気づいていれば、お姉さまに自分が無神経だったなんて言わせなくて済んだのに。なんかひどく悲しくなってきて、涙が出てきた。
「お姉さま、本当にごめんなさい」
「……祐巳、ひょっとして泣いているの?」
 そんなことないですと言おうとしたけれど、一度こぼれ始めた涙は止まることがなかった。
「ああ! もしかしてバレンタインの時のこと思い出させちゃった!? 本当に気が利かなくてごめんね。そうだ、さらにお詫びの気持ちとして祐巳が好きな……」
 もういいです。その一言すら言えなくて、ただ泣くことしかできなかった。
 そんな私にかけられる電話越しのお姉さまの優しい声……これが面と向かってであったなら、きっとお姉さまはこんな私なのに優しく抱きしめてくれただろう。そう思えてしまったらもう耐えきれなくなって声を上げて泣いた。
 まともに話すことができない私にお姉さまはこのまま待っているからとだけ告げて、ただひたすら待ってくれた。
 そして、ティッシュペーパーの箱の残りが少なくなる頃ようやく涙も何とか止まった。
「……すみません、ご迷惑をおかけしました」
「いいって、いいって。むしろ私が……」
「お姉さま」
 ようやく持ち直し、謝る私にお姉さまがさらに自分が悪いと言おうとするのを遮るように話しかける。
「え、何?」
「私、姉妹体験してみます。もちろん、乃梨子ちゃんが承諾してくれたらですけど」
 息を呑むのが電話越しにも聞こえた。
「……祐巳はそれでいいのね?」
 さっきまでと全然違って、お姉さまの声には冗談めかした部分が一切無い真剣なものだった。
「はい」
「そう。ならば私が言うことは何もないわ。最初私が提案したことであっても、選挙のときと同じよ。自分で決めたかぎりは責任を持って、ね」
「はい、お姉さま。ありがとうございます」
「うん、じゃあお休み」
「お休みなさい、お姉さま」
 電話を戻した後、洗面所によって顔を洗い、気合いを入れるべく両手で両頬をパンパンと軽く叩く。
 お姉さまはもちろん乃梨子ちゃんにも、そしていろんな人に迷惑や心配をかけただけでなく、これからもかけるかもしれないけど、決めたのだ。
 明日、乃梨子ちゃんに姉妹体験を申し込む。


〜7〜
 昼休み、乃梨子ちゃんの教室に行って連れ出し、あの温室にやってきた。
 お姉さまからロザリオをもらった場所、私がお姉さまの妹になったこの場所に……
「こんな場所があったんですね」
「新しい温室の方は乃梨子ちゃんも知っていると思うけど。こっちはこっちで代々生徒の誰かがお世話をしているんだ」
 乃梨子ちゃんは温室に咲く色とりどりの花をみて、ちょっと驚いているようだが、もちろん気分転換のためにここに連れてきたのではない。
「へぇ、それで中はこんなに整えられているんですね。……あ、これは確か庚申薔薇でしたっけ。ずいぶんきれいに咲いてますね」
 乃梨子ちゃんの目の前の花はロサ・キネンシスだった。確かにとてもきれいに咲いている……
 自然と私の目はロサ・ギガンティアを探していた……うん、こっちも負けないくらいきれいに咲いている。
「そう、学名は『Rosa chinensis』生徒会を象徴する三色の一つ。で、こちらが『Rosa gigantea』また同じく生徒会を象徴する三色の一つにして……」
「あ、祐巳さんの」
「覚えていてくれたんだね、ありがとう」
 にっこり笑ってお礼を言う。
「そんな……それより、今日はここでお昼にするんですか? ちょっとお弁当を広げるにはどうかなと思うんですけど……」
「ううん。ちょっと先にお話ししたいことがあってさ」
 お話ですか、と首をかしげる乃梨子ちゃんを見つめながら深呼吸を一回。
 ……よし!
「ねぇ乃梨子ちゃん」
「はい」
「私と姉妹体験してみない?」



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