ロザリオを見つめる……お姉さまから頂いた、私がお姉さまの妹になった証であり、私が姉になるためのもの。 『私はいつでも飛び立てるように身軽なままでいたいんです』 志摩子の言葉が脳裏によみがえる。 あれは、多分本心だろう。 けれど一方で、そのときが来てしまう前に白薔薇さまが自分を捉えてくれるよう願っている風にも見える。それなのにあの方ときたら……お姉さまも前は何度か言っていたのに、もう諦めてしまった。だから今志摩子を捕まえられる人は誰も……そう、誰もいないのだ。 ならば、私がするしかない。確かに一度は断られてしまったけれど、あの子のためにも、そのくらいであきらめるわけにはいかない。 少し考え込んでしまっていたらしい。腕時計を見てみれば、時間はもうあまりない。最後にもう一度鏡に目をやってみる。……これはいけない。鏡の中には少し曲がってしまったタイを付けている私がいた。 今日は特別な日なのだから………鏡を見ながらタイをきゅっと結び直す。 「お嬢様、そろそろ登校のお時間です」 「わかっているわ」 さあ、行こう。 もうひとつの姉妹の形 〜1〜 私にとっては高等部生活が始まって以来最大、いや人生でも有数のショッキングな大事件。あこがれの祥子さまに曲がってしまったタイのことを注意されてしまったという話は、桂さんにしてみれば大爆笑のネタにしかならず、しこたま笑われることになってしまった。 まあ、桂さんの言うことにも一理あったし、私もあきらめることにしたとき、ちょうど登校して来た志摩子さんの話になった。 「そういえば、聞いた?」 「何を?」 「お姉さまから聞いたんだけれど、祥子さまが志摩子さんに姉妹を申し込もうとしているんですって」 「へぇー」 祥子さまが誰を妹にするのかは、私たち一年生はもちろん二年生の中でも注目の話題だった。なんでもこのところその話が動こうとしていると二年生の一部で噂になっているらしい。 祥子さまが志摩子さんにか、いいなぁ。祥子さまのそばに立つ志摩子さんの図を想像する……似合っていると思う。 「でも、それだけなら、志摩子さんだったら別にすごいことでもなんでもないけれど……」 すごいことでもなんでもないっていうのは言い過ぎじゃないかと思うけれど、どんな続きがあるのだろう? 「それがね。実は初めてじゃなくて、二回目だって言うのよ」 「二回目?」 「つまり、志摩子さんは一度あの祥子さまの申し出を断っているって事よ」 えー! って大きな声を上げてしまうのは、何とか抑えられた。既に格好も話している内容も淑女とはほど遠いものの、一線は踏みとどまることができたようだ。 「……でも、どうして?」 私だったら即OK。ひょっとしたら嬉しさのあまりそのまま昇天してしまうかもしれない。まあ、そんなことは天地がひっくりがえってもあり得ないんだけれど……だって、スターと素人だもん。 「祥子さまの妹になりたくなかったか、他に妹になりたい方がいたかのどっちかってことよね。でね、これはあくまで副部長から聞いた話がもとなんだけど……」 と、声を潜める桂さん。桂さんの所属しているテニス部の副部長経由の情報からさらに推理したものらしい。その慎重さぶりに、ごくりと唾を呑み込んで耳を近づける。 「ひょっとしたら志摩子さんは白薔薇さまの妹になりたいんじゃないかって思うのよ」 「紅よりも白の方が良かったのかしら?」 色の好み? ちょっと拍子抜けしてしまった。そのくらいならここまでひそひそ話にしなくても。 「そういう問題じゃないでしょう。もう、……祐巳さんったら少しずれているんだから」 うむむ……また少し呆れられている。そう言われても、他にどういう理由があるというのだろうか? 私には理由がわからずに唸っていると、桂さんがこれ以上ないくらい声を潜めてその理由を口にした。 「志摩子さんは白薔薇さまともつながりを持っていて親しくしていただいているそうなのよ。そもそも、志摩子さんが山百合会のお手伝いをしているのも白薔薇さまがきっかけだったらしいし」 「そうなんだ」 「つまり、志摩子さんは現在空席になっている白薔薇のつぼみの座を狙える立場なのよ」 「白薔薇のつぼみ?」 「そう。つぼみの妹になって次期つぼみになるよりも、直接つぼみの座を狙っているってことじゃない? それなら、紅薔薇のつぼみの誘いを断るのもわかるし……」 「えーー!! しっ……」 余りのことに、志摩子さんがそんなことを! って叫びそうになったのを桂さんが私の口を押さえて止めさせてくれた。 私のあまりの反応に桂さんは思いっきり焦ったみたいで少し汗が浮き出ていた。 「皆さんお騒がせしてすみませんでした」 桂さんと一緒にクラスのみんなに謝る……少し落ち着いてから話を始めようとしたのだけれど、朝拝の鐘が鳴ってしまったから話の続きはできなかった。 だから……私の頭の中の福沢建設は妄想という名の工事現場を朝拝の時間中拡張し続けていた…… 〜2〜 妙な話を耳にした。 二年生の子が三人、踊り場でうわさ話に話を弾ましていた。先輩が通りかかったのを見かけたら挨拶をしなければならないなんて指導をする気もないし、私はそんなことをされるだけのものでもない。だから、そのまま通り過ぎようとした時、『志摩子さんに申し込むみたいよ』と聞き逃すことができない言葉が耳に入ってきた。 「ねえ、ちょっといいかな?」 「ロ、白薔薇さま!?」 ずいぶん驚かれたけれど、いろいろと教えてくれた。 祥子が志摩子を妹にしようとしている。要はそういうことだ。 あの志摩子が祥子の妹に? 祥子がロザリオを差し出しても志摩子が受け取るとは少し考えにくい。しかし、祥子がどういうつもりなのか気になったので祥子の二年松組に向かったものの、そこに目当ての人物は居なかった。 「白薔薇さま、申し訳ありません。祥子さんは教室にはおりませんので」 取り次ぎをしてくれた子に一言お礼を言って今度は一年生の教室に向かった。 何か嫌な予感がする。 志摩子は何組だったか……。確か……一年桃組だった気がする。 一年桃組のドアを開けて教室を見回してみるが志摩子も祥子もいない。 「あの……白薔薇さま、何かご用でしょうか?」 「ああ、志摩子がどこにいるか知らない?」 「あ、志摩子さんでしたら、先ほど祥子さまがいらして……」 「ありがと」 その子が言い終わるのも待たずに私は走り出していた。二人を早く見つけないと取り返しがつかなくなってしまう、そんな気がしてならなかったから。 一年桃組を飛び出して、思いつくところを探し回ってみても、二人は見あたらなかった。 あちこち走り回ったせいですっかり息が上がってしまっている。令みたいに普段から運動しているわけじゃないから、苦しい。 一端立ち止まって深呼吸をして息を整える。 ……二人はどこへ行ったのか、落ち着いて考えてみよう。きっと祥子はロザリオを渡そうとしている。たぶん間違いないだろう。 志摩子が素直に受け取るとは思えないけれど、あの祥子がまったく勝算のない行動をするとも思えない。どの程度かはわからないが見込みはあるのだろう。 志摩子が祥子の妹になんてのはごめんだ。でも、二人を見つけたとして、どう止める? 私は思わず拳をぎゅっと握りしめようとし……その違和感に気づく。汗だくの手のひらにはロザリオが収まっていた。知らず知らずのうちに手にしていたようだ。 そうだ。私にはまだこれがあった。 志摩子を妹にしたいか? そう聞かれたら「はい」とは答えられない。だからこそ、今のような形になっている。けれど、志摩子は私からロザリオを差し出されたのなら、受け取るはずだ。 志摩子を祥子に取られるくらいなら、ずっといい。私が祥子よりも先にこのロザリオを志摩子に渡して阻止する! そう決心したところで、ふと足に何かが当たっていることに気づいた。で、足元をみるとゴロンタがすり寄っていた。 「ごめん、今持ってないんだ」 残念ながらおねだりされているえさを今は持っていない。 「でも後であげるから、志摩子がどこにいるか知ってたら教えてくれる?」 まさにダメ元そのもので聞いてみると、ゴロンタは顔をどこかへ向けた。私もそちらを向く……いた!! 「志……」 志摩子の名前を呼ぼうとしたまま、私の表情は凍り付いた。まさに祥子が志摩子にロザリオを差し出していたから…… もう間に合わない。 志摩子受け取らないで!! 私の心からの叫びは志摩子には届かなかった…… 〜3〜 それは祥子さまとのツーショット写真という餌に食いついてしまい、蔦子さんと二人で薔薇の館に行く途中のこと。 「コレいらない?」 「…はい?」 なんと、目の前に立っているのは白薔薇さま! で……目の前に差し出されているのはロザリオ?? 「はい」 ぽんと手渡されるロザリオ。 何がなんなんだか頭の思考回路が追いついてこない私たちを置いて白薔薇さまはどっかへ行ってしまった。 ……… ……… 「ええー!!」