春休み…結局、気になって学校にやって来てしまった。 マリア様の前でいつも通りにお祈りをしてから目的地に向かう。 「あ…」 目的地だった中庭に来て驚いた。丁度祐巳さんがゴロンタに餌をあげていたから。 「あれ?志摩子さん、志摩子さんもランチに餌をやりに来たの?」 「…ランチ?」 「この猫のこと…違ったの?」 「…ゴロンタ?」 「そっか、そうだったよね、くすくす」 祐巳さんは何がおかしいのだろう? 「志摩子さんはゴロンタだったんだね」 何のことを言っているのか分からなくて首を傾げていたら、どう言うことなのか説明してくれた。 ゴロンタは3年生が呼んでいた名前。2年生はメリーさん。1年生はランチと言う風に学年ごとに呼び方が違うらしい。そんなこと初めて知った。お姉さまはゴロンタとしか呼んでいなかったし、他の人が呼んでいるのを見たこともなかったから、 「でも…この子最初に見つけて助けたの白薔薇さまだったから、ゴロンタが一番なのかもね」 「ところで、志摩子さんは何を持ってきたの?」 「今朝の残り物だけれど」 残り物の魚が入っているタッパーを鞄から取り出して、蓋を開けて地面に置く。 「ふ〜ん…私はキャットフード。ホントは白薔薇さまのやってたのにしようとしたんだけれど、見付からなかったの」 プラスチックのカップに入ったキャットフードを食べていたゴロンタは私が持ってきた魚に気付いて、警戒しながらタッパーに近寄ってきた。 暫く警戒を続けていたから、一歩、二歩とタッパーから離れると、それで安全だと判断したのか私が上げた魚を食べ始めた。 「祐巳さんはいつもあげているの?」 「ううん…今日で2回目。この子、キャットフードよりも魚の方が良いのかな?私の場合直ぐには食べてくれなかったんだよ」 「そうなの?」 「うん。それでも、前はこんな近くに人がいたらそれだけで食べようとしなかったから、ずっと良いかな?」 「誰かいたら?」 お姉さまには随分なついていたし、私が直ぐ近くにいてもそれは変わりなかった。それだけ、ゴロンタにとってはお姉さまが特別だったと言うことなのね。今だって少し離れているし、そう言えば祐巳さんも同じだった気がする。 「うん、白薔薇さまだけは特別だったけど」 「……お姉さまはもう来ない。この子は、特別な物を失った…」 「志摩子さん!」 祐巳さんが声を大きくして私の名前を呼んだから少し驚いてしまった。さっきの呟き、私のことだと思ったからね。 「ううん。ありがとう私は大丈夫」 祐巳さんは文字通りに胸を撫で下ろしている。 私はお姉さまがいなくなっても大丈夫。この祐巳さんだってお姉さまが私を山百合会に引っ張ってくれたからこそ今友達でいられる。お姉さまがいなくなっても、何とかこのリリアンでやっていけるだけのものをお姉さまからいただだいたから…… 「でも、ゴロンタは未だそれを分かっていないのかも知れない」 「猫だからね」 「ええ…」 二人とも魚を食べているゴロンタに視線を戻す。 「あれ?二人とも…」 お姉さまの声がしたような気がして声の方を振り返ると、本当にそこにお姉さまが立っていた。 「あ、白薔薇さま!」 「お姉さま!」 お姉さまの姿を見たとたんゴロンタは直ぐに私のあげた魚を食べるのを止めてお姉さまにすり寄っていった。 「白薔薇さまもランチに?」 「お別れを言うのを忘れてたのを思い出したから」 お姉さまはゴロンタを両手で抱き上げる。ゴロンタはお姉さまの腕の中で嬉しそうにゴロゴロってのどを鳴らしている。 「元気そうじゃない。もしかして二人がやっててくれたの?」 「私は2回目です」 「私は今日初めて、」 「そっか、お前にもこうして私以外にも心配してくれる人がちゃんとできたんだね」 「私はもう卒業しちゃった……と言っても通うのは同じリリアンだけどね」 「この子だって、あの時に比べたら大きくなったし、ちゃんと一人だって生きていける。だから、もう良いかなとは思ってた」 「卒業式から一度もゴロンタに会いには来なかったけど、ゴロンタの方はちゃんと来てたんだね」 良し良しって良いながらゴロンタを撫でる。撫でられているゴロンタは凄く嬉しそう。でも、お姉さまが言っていることは、そんな嬉しそうにできるような話じゃないのに…… 「ねぇ、志摩子…前に、私にこう言ったよね。餌をもらえることが普通になったら自然界で生きていけなくなるって」 まだ、お姉さまを白薔薇さまって呼んでいた夏の初め、初めてゴロンタに餌をやっているところを見たときに、私が言った言葉。多分あの時この子に自分を重ねて見ていたからそんなことを言ったんだと思う。 「私は残酷なことしちゃったのかな?」 「そんなことありません!私は……」 今お姉さまが言った言葉が何故か自分のことのように思えて慌てて否定したけれど…かみ合っていないと気付いて途中で止めた。お姉さまはゴロンタの事を言っていたのに… 「うん、その言葉が聞けて良かった。ゴロンタもおんなじだよね?」 ゴロンタに私を重ねて見ているのは私だけじゃなかったのかも知れない。ううん。お姉さまはゴロンタを私に重ねてみているのね。 お姉さまが言ったことを分かっているのか分かっていないのか、ゴロンタは一つ長く高く鳴いて返事をした。 「…二人がこの子の特別な存在になってくれる?」 お姉さまが私たちに言った言葉に驚かされた……ゴロンタにとってお姉さまだけが特別だったけれどそれが私たちに変わる。 ゴロンタはお姉さまがいなくなっても決してお姉さまのこともぬくもりも忘れないし、あのカリカリのキャットフードの味も忘れることはないだろう。だけどリリアンに居場所ができたこの子はその居場所があれば、これからもずっとリリアンに来て過ごすことができる。新しい特別な存在ができることは、それまでの特別な存在のことを忘れることではないし、そんな必要もない。 お姉さまはそんなことを伝えようとしているような気がした。それはこの子と同じようにお姉さまにここに居場所を作ってもらった私にそのまま当てはまるから…… 「はい、」 「喜んで」 それが正しかったのかどうかは分からないけれど、私はそう受け取った。待ってくれていたのだろう私の返事に続いて祐巳さんが返した。 お姉さまは私にゴロンタを抱かせてくれた。最初は「ニャゴ〜!」って鳴きながら抵抗していたけれど優しく撫でてあげると直ぐに大人しくなった。 「白薔薇マジック…」 「なに〜それは?」 「え、えっとですね…そのぉ……」 「え〜い、さっさと言いなさい〜!」 「ああ〜〜!」 何度目だろう?お姉さまに抱きつかれて、祐巳さんがどこか楽しそうな悲鳴を上げる。 「ほ〜れほれ、早く何なのか言わないともっと凄いことをしちゃうぞ〜」 「白薔薇さまぁ〜おたすけを〜」 祐巳さん曰くセクハラ親父。二人のこのじゃれ合いも見納めかな? (でも、それで良いのよね…) 私の心の中の声に反応したのだろうか?ゴロンタは一つ長く鳴いた。 あれから、私は気が向いたときにゴロンタに餌をあげに来ることにした。 祐巳さんも似た感じなのか、時々一緒になることもある。 私の手から直接でも食べるようになったゴロンタ。今もこうやって掌にのせて食べさせていたら、足音が近付いてきた。祐巳さんが来たのかな? 「あれ?志摩子さん。その猫……」 やって来たのは祐巳さんではなく、乃梨子だった。 「良くなついてるね。誰にも全然なつこうとしないのに」 「元はお姉さまがカラスに襲われていたこの子を助けたの」 「ふ〜ん、佐藤さんが」 「ええ、」 乃梨子が手を伸ばすと食べるのを止めて、私の陰に隠れてしまう。 「あ…だめか」 最初は私の時もそうだったかも、私は乃梨子みたいな事はしなかったから良くわからないけれど…それでもお姉さまの手でゴロンタを抱かせて貰うまでだったらそう遠い反応ではなかったかも知れない。あの時の魚だって直ぐ傍にいたら食べてくれなかったのだから…。お姉さまが私をこの子の特別な存在にしてくれたからこそ今こうやってなついてくれているのだ。 ふっと、白薔薇マジックと言う祐巳さんの言葉が思い浮かんだ。 「乃梨子、この子抱いてみる?」 「え?でも」 「大丈夫だと思う。最初はちょっと暴れるかも知れないけれど、優しくしてあげてね」 「う、うん…」 ハンカチで手を拭いてからゴロンタを抱き上げて乃梨子に抱かせて上げる。やっぱり最初は抵抗していたけれど、乃梨子が優しく撫でてあげている内に大人しくなった。 これで、乃梨子もゴロンタにとって特別な存在になったと思う。 私には乃梨子という特別な存在ができた。そして、乃梨子に抱かれているゴロンタを見ていると、これからもそれはあり得る様な気がしてきた。それが今は知らない誰かになるのか、祥子様や令さまになるのか、もう友達になっている祐巳さんや由乃さんになるのかは分からないけれど……お姉さまありがとうございます。 お姉さまのいる大学の校舎に向かって心の中でお礼を言った。