ほどよく固まったチョコレートにココアパウダーをまぶしていく……これで完成。 ……完成したが…… 「何をやっているのかしら、私?」 今日は二月十三日……確かに明日は二月十四日、バレンタインデーである。そのことだけを考えれば女子高生の私がチョコレートを作っていることに特に問題はない。だが、同時に明日は私の受験日でもあるのだ。 私と同じ受験生たちはきっと今ごろは最後の追い込みとばかりに猛勉強をしているか、もう明日に備えてさっさと寝てしまうとかそういった感じのものが大半だろう。むろん中にはたとえ受験があろうとなかろうと明日はバレンタインデーだと私と同じようなことをしている人だっているかもしれない。 しかし、そういった人たちと私では決定的に違うところがある。 私が作った相手……送ろうと思っている相手である聖はこれを受け取るだろうか? ……いや、聖は受け取るだろう。あの聖のことだ、くるもの拒まずになるに決まっている。でも、私が渡せるだろうか? ……去年はとても渡せなかった。 あの栞さんとの別れからわずか一月半……いまだ傷心のまっただ中にいた聖に恋人同士の行為を連想させるチョコレートのプレゼントなんてとてもできなかった。ちょうど一年前の今日も作りはしたが、聖の寂しげな顔を見た瞬間これはだめだって悟った。 それなのにそんなことつゆほどにも考えずに聖にチョコレートを送っていたファンの子たちを見て、いろいろと言ってやりたくもなったものだ。 今も聖の心の傷は癒えたわけではないが、それも傷を抱えても生きていけるようになった。ならば渡せるかというと今年は志摩子がいるのだ。 あの聖のファンの子たちが聖にチョコレートを送るのと同じような感じなら話はとても簡単だが、私の場合は…… そういったことをわかった上で私は聖に送りたいのだろうか? 送りたいからこそこのチョコレートを作ったのだろうか? ……作っている間はとても高揚していたのに、完成するとひどく冷静に……さめてしまった。ほんとうに受験の前日に何をしているのか……自分の行為がひどく頭の悪いことのように思える。前日の夜の行動くらいで当落が分かれるほどきわどいつもりはないし、受けているのも明日の一校だけではないが落ちてしまったら確実に後悔をするはめになるだろう。 「……さっさと片付けて寝よう」 今から自分のするべきことを自分に言い聞かせるようにつぶやいて、片付けを始めた。 チョコレートのことで悩んでさらに時間をつぶすなんてあまりにばからしい。考えるのは受験が終わってから……そうしよう。 そのときに渡すことができるなら渡そう。 そんなふうに今は問題を先送りすることに決めた。 新聞部が企画したバレンタインデーのイベントが終わり、たくさんの生徒であふれていた薔薇の館とその周りも閑散としてきた。 このまま人が少なくなって、聖と二人っきりになれたら鞄の中に入れてあるチョコレートを渡そう。そう決めたのだが……新聞部員が帰っていくと志摩子が入ってきて何かを探した後出て行ったかと思うと今度は祥子が戻ってきたりなんて感じで、ずっと誰かが近くにいて二人っきりにはなれなかった。 そうしている内に外に出ていた志摩子が戻ってきてしまった。 そして志摩子もチョコレートを聖に送った……正確には送ろうとしていたことがわかった。まさか、そのチョコレートを聖は勝手に食べてしまうとは……話を近くで聞いていて頭が痛くなってしまったが、結果的に志摩子の思いはかなったようで、聖からおいしかったとほめられて真っ赤になってうつむいてはいてもうれしそうだった。 そのまま聖と志摩子は二人で帰ることになり、私のもくろみはかなわないままとなってしまった。 ……あの志摩子の様子と状況を考えればとてもではないが邪魔はできない。ましてや志摩子は直接渡すことができなかったチョコレートを私は直接わたすだなんてことできようはずもない。 祥子と祐巳ちゃんがいる薔薇の館の二階をちらりと振り返り、一つ深いため息をついて私も帰路についた。 ……私はバカだ。 私の目の前にあるチョコレートが入った小箱……ロサ・ギガンティア付きのリボンを巻いてある……をまた手に取る。 結局これを渡すことができなかった。どこかで一言聖に声をかけて二人っきりになれる場所に移動しさえすればよかった。ただそれだけでよかったのに、それすらできず、ただ機会が訪れるのを待っていただけだったから今も私の目の前にこれがある。 わざわざ受験の前日に作って、結局自分の手元に残ったままだなんてあまりにあんまりではないだろうか? 今年も自分で食べることになってしまうようだ。 いつまでも残っていたらなおさら尾を引いてしまいそうだし、さっさと処分してしまうことにしよう。 思いっきり深いため息をついて、小箱に巻いてあるリボンに手をかけたとき、インターホンが鳴った。 こんな時間に誰だろう? カメラの映像を見てみると玄関の前に立っていたのはなんと聖だった。 聖がどうして? それはわからないが、ともかくすぐに玄関に行き聖を家の中に招き入れた。 「こんな時間にどうしたの?」 「いや、こんな夜にごめんね。学校で渡しそびれちゃって」 渡しそびれる? 聖から私が受け取るようなものが何かあっただろうか? 山百合会の実態はもう祥子たちつぼみに移っているし、それにしてもこんな夜にわざわざ私の内に来て渡さなければいけないようなものは思い浮かばない。 「はい、チョコレート」 聖がポケットから取り出して私の前に差し出したものにひどく驚かされた。 「いや、すっかり忘れててごめんねー。蓉子にはいつもお世話になっているからたまにはってことで」 「……………。ちょっとまってて!」 慌てて自分の部屋に戻ってついさっきまでため息を連発させていた原因を取ってきた。 「そんなに慌ててどうしたの?」 「はい」 そうして聖に小箱を差し出す。 「あれ、蓉子も用意してくれてたの?」 「え、ええ……」 「ありがと。でも蓉子も渡しそびれてたんだ。蓉子が忘れるだなんて珍しいねー」 「忘れてたわけじゃないわよ。でも、志摩子と一緒のところを見ると邪魔できなくてね」 今日の私はおしゃべりだと思う。ええ、と軽くうなずいておけばそれで済むのに、どうやら済ませたくないようで、そう言っていた。 「え? 志摩子? そんなの気にせず渡してくれればよかったのに、そうすれば私も忘れなくてすんだのに」 「バカ、気持ちを考えなさいよ、気持ちを」 「……気持ち、蓉子の?」 「志摩子のよ」 「……そっか、ごめん。蓉子の気持ちを考えずに無神経なこと言っちゃった」 一瞬、私の気持ちに気づいてくれた? と思ったが、そんな簡単にそのことに気づくような人間なら今私がこんな気持ちでいることはないだろう…… せいぜい、聖と志摩子の関係を大事にしてくれている私が、そんな邪魔なんかとてもできるわけがないのにすればいいのになんて言ってしまったとかそのあたりのことだろう。 今日の私はおしゃべりだったが、私の気持ちをそのまま口にするほどまでにはおしゃべりではなく「ともかく、ありがとう」と笑顔を作ってチョコレートが入った小箱の交換を済ませた。 「それにしても……今日はチョコレートの話があっちこっちであったし、聖自身志摩子からのチョコレートを祐巳ちゃんからのだって思って勝手に食べちゃったりしたっていうのに、忘れていたって言うのはちょっとどうかと思うわ」 そして、いつものように軽くお小言を言っていた。 「アイタタタ、自分でもさすがになぁって思ってるんだから、追い打ちかけないでよ」 「反省を期待するわ。今日のところは、こんな時間にわざわざ寒い中を来てくれてありがとう」 コートかけに掛けてあったコートを羽織り外に出て聖を見送る。 「それじゃまた明日学校でねー」 「ええ」 そして聖が見えなくなってから空を見上げた……ひどく寒いが、夜空の星はとてもきれいだった。 「……まったく、しかたないわね」