あり得たかも知れない幸福の日

「祥子さん、ごきげんよう」
 少し早歩きで祥子さんに追いついて、声を掛けた。祥子さんは少し驚いたみたいだったけれど、直ぐに「ごきげんよう」と返してくれた。
 二人で一緒に校舎に向かって歩き出した。
 お互い早い登校だってことについて話をしながら歩いていたけれど、チョコレートで気をよくした父が送ってくれたと言うことを話すと、祥子さんの表情が少し厳しくなった。
「今年も来るのかしら」
 祥子さんが呟いたことは多分本当になると思う。去年と同じように祥子さんにチョコレートを渡すためにやってくる下級生達、2年生と3年生は去年のことを知っているから渡しには来ないと思うけれど1年生は知らないから、
 でも一年生だけじゃなくて、私も渡そうとしている。
 祥子さんのつぶやきを聞いてしまった後は手提げ袋の中のチョコレートにどうしても気が行ってしまって、そこから後はせっかくの祥子さんとの話にもどこか上の空だったかも知れない。それどころか、マリア様の前で祥子さんが立ち止まってお祈りをしようとしたとき、突然祥子さんが立ち止まったことでびっくりしてしまったくらい。
(…私、大丈夫かな?)
「美冬さん、申し訳ないけれど、ここで失礼させていただくわ」
「……え?」
 二股の分かれ道、右を進めば講堂やお御堂があり、武道館やプールにも続く道。左の道は図書館の建物に沿って進み、そのまま進めば高等部の校舎が現れる。そんな場所でそんなことを言われた。
 頭の回転が遅くなっていたのだろうその意味するところが直ぐには分からなかったのだけれど、祥子さんも早く来ていたことを思い出し、右の道を進んだ先に何か用事があると言うことに気付いた。
 私と別れた祥子さんは右の道を一人で進んでいく。最初黄薔薇のつぼみである支倉令さんに会いに武道館にでも行くのかとも思ったけれど、わざわざ始業前に会わなければいけない理由も思いつかなかった。
 でも祥子さんの用事よりも手提げ袋の中身の方が気になっていたから、私は特にその事について考えることなく、とぼとぼと校舎に向かって祥子さんとは違う左の道を一人で進み始めた。


 休み時間クラスメイトの話を耳にしている内に、祥子さんの用事がなんだったのか分かった。薔薇のつぼみが隠した宝を探すという、新聞部が企画した例のお祭り騒ぎ。祥子さんはその事で支倉令さんや、白薔薇のつぼみの藤堂志摩子さん達と相談をしに武道館に行ったのかもしれない。それとも、ひょっとしたら宝を隠しに行っていたのかも。
 お祭りの事に考えが行っていたけれど、直ぐにチョコレートのことに引き戻されることが起きた。祥子さんが呼び出されて廊下に出ていった。過去の仕打ちを知らない一年生が祥子さんにチョコレートを渡しに来たのだった。
 グループで纏まって来ているのか、十人ほどの一年生がどこかおどおどとしながら、タイミングを合わせて祥子さんにチョコレートを差し出す。けれど、対する祥子さんは小さく一つ息を吐いて、去年と同じように「そう言うのは頂けないわ、貰う理由がないから」とチョコレートを受け取ることを拒絶してしまった。
 そんな事が休み時間の度に起こった。祥子さんの断る口調なんかは去年よりは若干ソフトだけれど、それでもショックを受けている一年生の姿も見えた。
 祥子さん宛だったのチョコレートをカードだけを書き換えて支倉令さんに渡そうなんて考えている一年生の姿も偶然見掛けた。そんなバレンタインデーにチョコレートを贈ることを決めてから贈る相手を捜すような本末転倒なのもいるけれど、確かに祥子さんに贈ろうと考えていた一年生もいたと思う……そう言った一年生の心の内を知る方法は私にはないけれど、どこか暗い足取りで自分の教室に戻っていく一年生の姿に自分の姿が重なって見えてしまった。
 彼女たちよりは私の方が大切な人に贈り物をするという意味合いはずっと強いはず。でも、それでも、私は祥子さんにとってチョコレートを貰うに値するのだろうか?そんな不安が又私にのしかかってきてしまった。


 授業中色々と考えて、駄目で元々なんだし、渡さないままよりは渡そうとして断られた方が未だ良いのではないかとも思って、次の休み時間に渡そうと決める。
 でも、私は優柔不断で……
「申し訳ないけれど、そう言うの頂けないわ」
 今日何度目なのだろう、祥子さんもうんざりと言った様子で言葉を吐き出し、更に貰う理由がないからと付け加える。
 休み時間になって直ぐ行動に移せなかったから、又その光景を見てしまうことになった。そうしたら、さっきまで考えていたことがみんな一気に吹き飛んでしまった。
 そんな事を授業と休み時間の度に何度も繰り返すことになってしまった。


……私のバカ……
 そうこうしている内に放課後になってしまった。今、中庭にいる他の宝探しの参加希望者達の中に紛れて立っている。  どうしてこんなところにいるのだろう?チョコレートを渡す切っ掛けの為に宝を探し出す?……そんな馬鹿な  何を馬鹿なことを考えているんだろうと思って、中庭から去ろうとした時、つぼみの姉妹が前に集められた。  当然、その中には祐巳さんもいる。祐巳さんは祥子さんにチョコレートを渡すのだろうか?  福沢祐巳さん……祥子さんの妹。何故彼女が祥子さんに選ばれたのか分からない。特に特徴もない、ただ何となく落ち着きのない子。それ位の印象しかないのに、  祐巳さんのことを考えている内にゲームが開始され、結局私も誓約書兼登録書を提出して、他の大勢の参加者達と一緒に祥子さんのカードを探しに出た。  祥子さんは登校した後、どこかにカードを隠しに行くというような感じはなかった。休み時間の度に下級生がやってくるのだから、そんな暇があるはずもない。とすれば祥子さんはあの時にカードを隠したと言うこと。つまりこの二股の右側の道を進んだ先のどこかにカードあるはず。そう考えて朝祥子さんが通ったはずの道を進む。  だけど、武道館やプールとその回りなどはもう人で溢れていた。みんな目が血走ってる気がしてちょっと怖かった。 (私なんかが探しても……)  溜息をついて来た道を引き返した。  そもそもあれだけの人数が必死で探している。そんな中で私なんかが祥子さんのカードを見つけられる可能性なんか無いに等しい。そんなことはちょっと考えれば分かることなのに、どうしてこんなゲームに参加してしまったのだろう?  祥子さんに是非ともこの手提げ袋に入っているチョコレートを貰いたいと言ってもらえるような理由が欲しいかったから?そう、そうなのだけれど、本当にそれで受け取ってもらえるのだろうか?  もし、私がカードを見つけて持っていくとすると、多分みんなの前で私が見つけたと発表される。あの新聞部の企画だから、それも大々的に……そんなところでチョコレートを渡せる?……とても無理……  だったら、その後?どう言う言葉を付けて渡すの?このチョコレートを貰って欲しくて一生懸命探しましたとでも?  祥子さんはどう思うだろう?多くの下級生と同様に見られる?いくら何でもそんなことは無いと思う。普通に考えたら、多分その発想は変だから、理由を聞くと思う。そうしたら、11年前の事を話す。祥子さんは覚えてないだろうけれど、私が祥子さんに贈りたいと言うことはわかってくれるはず……そう、そうなると思う。  そう考えるとなんとしても見つけたくなった。けれど、既にみんなが探しているところに私が行って見つけだせるとは思えない。大きな溜息が思わず漏れてしまう。  こんな事なら、あの時祥子さんの後をつけていれば良かった。答えを先に一人だけで見てしまえば良かった。私にはそれをするチャンスがあったのに……  又溜息をついたけれど、一緒に何かが頭の中でひらめいた。私にはチャンスがあった。祥子さんの後を付けて、カードのありかを探るチャンスがあった。そんな私がカードを見つけて持っていったら祥子さんはどう思うだろう?ひょっとして後をつけたのでは?そう思われたりしたら……間違いなく祥子さんの中での評価は地に落ちる。一度評価が落ちてしまったら、祥子さんはとことん徹底的に無視する。つまり、もうそこから元に戻ることはない。  いらない心配なのかも知れないけれど、一度そんな考えが思い浮かんでしまったら、もうカードを探そうなどと言う気は完全に失せてしまった。  いったい私は何をしているのだろう?良くわからない。  けれど一度、ごちゃごちゃとしてしまった考えを整理したかった。そう思うと一人になりたかった。  ここはカードを探す者が行ったり来たりしているから、一人にはなれない。  一人になれそうな場所を探すと直ぐに古い温室が目に入った。普通の生徒は余り寄りつかない場所、あそこなら……そう思って中を確認してみたら、やっぱり思ったとおりそこにはカードを探す人も、温室の花の世話をする人もいなかった。  私は温室に入り一人になってからゆっくりと深呼吸をした。  落ち着いて考えてみる。祥子さんの後をつけていればよかった。そう思ったから、逆に見つけたと言うことは後をつけた疑いがあることになってしまうそう考えた。でも、それは、別に私でなくても同じ事ではないだろうか?むしろ、顔を知られていない人の方が後をつけやすいはず。だったら、誰が見つけても条件は同じじゃないだろうか。  実際、もし私が見つけたとしても、それは偶然。確かにヒントは得られたけれど、範囲は余りにも広すぎる。だからその中から見つけだすなんて事は、結局探した場所が偶然答えだったと言うしかない。  祥子さんが私が後をつけたかどうかなんて知ることはできない。知ることができないことをわざわざ疑うようなことはしないはず。  私は何もずるいこと何かしていない。ただ単に父に送ってもらって早く登校したから、祥子さんと偶然一緒になっただけ。どこにも問題なんかない。  大丈夫、そう自分に言い聞かせて、自信を持って……どこにあるのか分からない祥子さんのカードを探しに行く。  そう、全くカードのありかなんか見当がついていない。それなのに、もし見つけたらと言うことばかり考えて勝手に悩んでいた。今日馬鹿なことばっかりしてる。  何度目かの溜息をついて、温室を出ようとしたとき、一つの影が温室の外から中に入ってきた。 「あ」 「ごきげんよう。ごめんなさい、驚かせてしまったみたい」 「いいえ」  私が驚いたのは、温室に突然人が入ってきただけではなく、その入ってきた人が福沢祐巳と言う人物だったから。彼女が何をしにここへ来たのかはその手に地図があったことから明白だった。 「祐巳さん……ここにはカードを探しに?」 「ええ。あなたは?」 「私は……」  さっきまで、色々と馬鹿みたいな事を悩んでいただけだったから、少し、言いにくかったけれど、今は又探し始めたのだから、「私も探している途中よ」と答えた。  祐巳さんは温室の中を歩き始めた。地図を見てみると確かにこの温室も宝探しの範囲になっている。誰も探していない、誰も目を付けていなかったこの場所に祐巳さんは探しに来たけれど、何か理由があってここに探しに来たのだろうか? 「祐巳さんよりも少し前にここについたのだけれど、あると思う?」 「そうね……」  歩きながら答える。 「やっぱり」 「多分ここだと思って」  突然花壇の一角を素手で掘り始めた。 「あの……祐巳さん?」  何かあったの?そんな風に呼びかけてみたけれど、彼女は聞こえなかったのか私の言葉には応えずに必死で土を掘り続けていた。それも素手で一生懸命に  祐巳さんの目が輝いている。一瞬、祥子さんの妹である祐巳さんは何か祥子さんからヒントなり答えなりを聞いていたのかも知れない。そう思ってしまったけれど、そんなのとても失礼な考えだった。  祐巳さんの目はそんな目じゃない。自分で考えて、誰も目を付けてなかったこの温室にあると思ったんだ。なんだか、今日悩みっぱなしの私と違って祐巳さんは凄く生き生きとしているように見えた。  「良かったら手伝ってくださらない?」 「見付かったら、二人で申請に行きましょう」 「……え?」  私は耳を疑った。もしも、そこから、カードが出てきたとしたら紛れもなく祐巳さんのものであろう。それをそこに居合わせただけの人間にどうして半分の権利を認めるというのだろうか。人が良いのにもほどがある。  祐巳さんのあまりの人の良さを見たからなのか、それとも祐巳さんの姿がどこか輝いて見えたからなのかは分からないけれど私は祐巳さんを手伝いたくなった。  辺りを見回し、鉢の置かれている棚にシャベルを見つけるとそれをとって祐巳さんに「よかったら」と言って差し出す。そうしたら祐巳さんは笑顔で「ありがとう」と言ってシャベルを受け取りそれで一気に掘り始めた。 「あっ」  シャベルで掘り初めて直ぐに祐巳さんが驚きの声を上げた。それからシャベルを脇に置いて手を掘った穴の中に入れた。まさか、本当にあったの? 「やったぁ!!お姉さまのカード!!」  文字通りに喜び飛び跳ねる祐巳さんの手にはビニールの袋に入った紅いカードが確かにあった。紅……それは祥子さんの色。間違いなくそれは祥子さんのカードだった。 「祐巳さん……」 「あ、はい、ここにありました」  私がカードをよく見えるように掌にのせて差し出す。 「ねぇ、祐巳さんは、どうしてここだと思ったの?」 「どうしてって?」 「温室に入るなりこの場所に直行したじゃない。何か根拠があったんじゃないかしらって思えたから」 「ああ、それはね」  私が気になっていたことを聞いたら祐巳さんは掘っていた場所の近くにあった緑の葉を茂らせた背の低い木を指さした。 「この薔薇、ロサ・キネンシスという名前だから」 「……そうだったの」  ロサ・キネンシス……紅薔薇。それは、祥子さんを表している花の名前だった。  私は祐巳さんに負けた。完敗だった。  祐巳さんは祥子さんのことを本当によく知っている。祐巳さんに比べたら、私は祥子さんを事をどれほども知らないのだと思う。 「あ、時間が、急いで申請しに行きましょう」  祐巳さんは私に一緒に行くように促してくる。ああ、そうだった。祐巳さんはたまたまそこに居合わせただけの私に権利を半分譲ろうとしていたんだった。けれど、そのカードは祐巳さんが手にするのが一番相応しいと思う。だって、祥子さんのことを一番想っているは彼女なんだから 「ううん、そのカードは祐巳さんのものよ」 「え、でも……」 「祥子さんのことを一番想っていたのは祐巳さんなんだから、祐巳さんが手にするべくして手に入ったのよ」 「え、あ、そ、そのごめんなさい」  突然謝られてしまった。何となく理由は分かったけれど、 「さ、時間がないわ、急いで行ってらっしゃい」 「あ、はい、失礼します」  祐巳さんは軽く頭を下げてから温室を出て中庭へと走っていった。  私は今年も祥子さんにはチョコレートを渡すことはできないみたいだけれど、今年のバレンタインデーは何も収穫がなかったわけじゃなかった。  中庭に戻った時、丁度黄薔薇のつぼみの令さんのカードを発見した人の発表が行われていた。  私は他の参加者達の紛れて、もう少し見やすい場所に行く。  令さんのカードを見つけた人は数人の一年生達だった。今、三奈子さんの掛け声でじゃんけんをして、カードと副賞が誰の物になるのかと言うことを決めている。  何回かのじゃんけんで、誰のもになったのか決まったみたいで、その優勝者が嬉しそうにインタビューに答えている。 「では最後に、紅薔薇のつぼみのカードを発見した方は、一年桃組、福沢祐巳さん!」  みんな口々に「え〜」とか「ホントに〜」とか「やっぱり」みたいな声が漏らしている。  最初にハンデが付けられた様に姉妹は他の人よりもつぼみと接点が多いから有利と言うこと何だろうけれど、祐巳さんはそんな物じゃない。だって、この学園の中にロサ・キネンシスがあったなんてどれだけの人が知っていただろうか 「ところで、紅薔薇のつぼみのカードはどちらで見つけられましたか?」 「温室のロサ・キネンシスの近くです」  そんなやり取りが行われたときだって、ロサ・キネンシスを蓉子様のことだと取った人たちが首を傾げた位だから…… (くすっ、こう言うのも優越感みたいなものかな)  インタビューに答える祐巳さんは本当に嬉しそうで、祥子さんもどこか嬉しそうだった。  そして発表が全部終わった後、それぞれの薔薇のつぼみから一口チョコを参加者全員に配ることになっていた。私は、祥子さんの列に並んで、祥子さんから一口チョコを貰った。その他大勢と同じようにでしかなかったけれど、祐巳さんが祥子さんのことを本当に想っているのが分かったのが、私にとって何よりの参加賞だったのかも知れない。  参加賞が配り終わると、自然解散のような形になって中庭にいる人がだんだん減っていく。  祥子さんに視線を向けると、祐巳さんがピッタリとその傍についていて、何か嬉しそうに話をしていた。そして、祥子さんも楽しそうだった。二人の姉妹が楽しそうに会話するのを見つめていたら、祐巳さんが私の存在に気付いたみたいで、祥子さんを連れて私の方にやってきた。 「お姉さま、この方がさっき言っていた方です」 「そう、祐巳が言っていたのは美冬さんのことだったのね」  何について話をしていたのかは勿論分かる。祐巳さんがどんな風に話したのかまでは分からないけれど、 「美冬様って言われるのですね」 「ええ、」 「美冬さんは、祐巳が権利を分け合おうと提案したけれど、断ったのよね」 「ええ、そのカードは祥子さんのことを一番想ってる祐巳さんが一番相応しいって分かったから」  祐巳さんが手に持っている紅いカードに視線を向けながら言う。 「私が妹に選んだのだから当然よ」  祥子さんは口元に笑みを浮かべている。何でこんな子をなんて思っていたけれど、それは完全に間違いだった。祐巳さんは祥子さんのことを良く理解しているし本当に強く想っている。そして祥子さんの方だって祐巳さんと一緒にいると楽しそうなんだから。 「祐巳さんって、本当に良い妹ね」 「ええ、」 「あ、お姉さま、直ぐに戻りますから、少し待っていていただけませんか?」 「良いわ。美冬さんと話をしているから」 「はい、じゃあ」  祐巳さんは何かを思いだしたようで、校舎の方にさささっと早足で入っていく。  何か取りにでも行ったのかと思ったとき、それが何なのかひらめいた。多分チョコレート、今日は色々とあったから渡すチャンスがなかったのかも知れない。  チョコレートを渡すチャンス……それは、今私もそのチャンスを手にしているのかも知れない。この中庭には他にも生徒の姿があるけれど、今祥子さんの前には私しかいない。そして、祥子さんへのチョコレートが入った手提げ袋はちゃんと持っている。  今年も無くなったと思っていたチャンスがやって来たのかもしれない…… 「美冬さんどうかなされた?」 「あ、その……」  手提げ袋の中に手を入れチョコレートの包みを掴む。だけれど、それを取り出すのにためらってしまう……
……申し訳ないけれど、そう言うの頂けないわ……
 祥子さんが口にした言葉、それを私に対して言われてしまったら、どうしようなんて又不安になってしまう。今日だけで何回こんな事を繰り返しているのだろう。 「あら、雪ね」  祥子さんが呟いたとおり、小雪が舞い降りてきた。  だめ、ここで、思い切らないと又チャンスが消し飛んでしまう。頭の中にあったものを全部振り払って思い切ってチョコレートを手提げの中から取り出す。 「祥子さん!このチョコレートを貰って欲しいの!」  祥子さんは私が差し出したチョコレートを指で軽く掴み上げる。 「……美冬さん。去年も同じクラスだったし、今日も見ていた。なのに、貴女は私にチョコレートを贈ろうとした。何か私の思い当たらない理由でもあるのかしら?」 「じゅ、十一年前から祥子さんのことが好きだったから……」  祥子さんは目を少し大きくして驚いている。当然なんだけれど、 「幼稚舎の時、私祥子さんに憧れていたの。いつも幼稚舎で祥子さんのことを見ていた。でも、見ていただけだった」 「だけど私がブランコから落ちて血を出したとき、みんな逃げてしまったけれど、祥子さんだけが私に近付いてきて、祥子さんのハンカチを血が出てた私の膝に当ててくれた。」 「その時のハンカチ。祥子さんはくれると言ったけれど、私はチョコレートと一緒に返したの。その時、初めて祥子さんは私の名前を呼んでくれた。そして別れ際にまたねっても……」 「だけど、私は父の転勤のせいでその日でリリアンを離れることが決まっていたの。だから、そのまたねが本当になることはずっとなかった」 「でも、私はリリアンを離れることになったけれど、ずっと祥子さんのことが好きだった……」 「高校になってリリアンに戻ってこれたとき、10年経ってやっと本当になった。祥子さんと同じクラスになって、教室で見掛けて懐かしさからつい声を掛けたのだけれど、祥子さんは私のことなんか覚えていなかった。覚えているはずもなかったのだけれど」 「だから、もう一度全部最初から始めなくてはならなかった……又、祥子さんと話がしたかった。色々なことを一緒にしたかった。あの時結局なれなかった友達になりたかった……」 「だけど……出鼻をくじかれたから、祥子さんに対して声が掛けられなかったの……」 「そうしている内に、祥子さんが紅薔薇のつぼみに選ばれて、それから後は、祥子さんは又私にとって遠い存在になってしまった。だから本当に祥子さんの姿を見つめて暮らすだけになってしまってた」 「去年のバレンタインデーだって……幼稚舎の時祥子さんにお礼として渡したチョコレートと同じものを持ってきてた。未練がましく、もしかしたら祥子さんがあの時のことを思いだしてくれるかも知れないって思って……」 「だけど私はそんなだから、なかなか行動に移せなかった。そうしている内にあの光景を見てしまったの。それで祥子さんにチョコレートを渡そうなんて考えは一気に萎んでしまった」 「でも、祥子さんは断ったときに、貰う理由がないからと言った。だから、ちゃんと祥子さんが納得するような理由を話したら受け取ってもらえたのだろうかなんて考えてたの」 「でも、祥子さんが是非とも欲しいと言うような理由なんか、とても見付からなかった」 「それから1年間、又同じ事の繰り返し。今日も去年と全く同じように繰り返してた……」 「だけど、今日の宝探しで、もし私が祥子さんのカードを見つけることができたら、その時はひょっとしたら貰ってもらえるチャンスができるんじゃないか、そんな風に考えて色々と探し回ってたの……具体的な理由とか方法なんか全く考えていなかったのにね」 (ああ、いっちゃった……)  私の中にあった物を全部ぶちまけてしまったら、今度は一気に不安になった。さっきの無しって時間を巻き戻したかったけれど、そんなことはできない。 「そう。11年ね……」  祥子さんは呟くように言った後、ごめんなさいと言う言葉を口にした。それと一緒に私の中で何かが砕け散った気がする。祥子さんはやっぱり永遠に遠い存在だった。その事が改めて分かった…… 「私はまるで覚えていなかった。幼稚舎の時私はいつも一人だった。だけど一度だけ二人になったときがあった。ほんの僅かな間だけ、相手の名前やどんな人だったのかも思い出せない。それはほんの僅かな間だけだったから……多分この中身を見ても、何も具体的なことは思い出せないでしょうね」 「だから、本当に最初から始めなければいけない。それでも良いかしら?」 「え……?」  祥子さんが何を言っているのか直ぐには理解できなかった。そしてそれを理解したとき、今度は驚きから直ぐには答えを返すことができなかった。 「……い、良いの?」 「それは私が聞いているのよ?」 「も、勿論」 「そう、嬉しいわ。美冬さん、上がっていく?」  祥子さんは微笑んでから、薔薇の館を視線で示し尋ねてきた。私はどこかおずおずとだけれど確かに頷いた。 「祐巳」 「はい、わかりました」  祥子さんはいつの間にか戻ってきていた祐巳さんの方を全く振り返らずに、名前を呼んだだけだったけれど、祐巳さんは祥子さんが言いたいことが分かったみたい。 「わ〜お、祐巳ちゃん」  志摩子さんと一緒に薔薇の館に向かいそして扉を開けると、白薔薇さまが祐巳さんに飛びついた。 「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」  祥子さんは白薔薇さまを睨んでいる、気がする。  それからの話は要約すると……白薔薇さまが祐巳さんからのものだと思って食べてしまった、薔薇の館の一階にあった鞄の中に入っていたマーブルケーキは、志摩子さんが白薔薇さまの為に作ったものだった。で、祐巳さんは白薔薇さまにさしだしたチョコレートをこんなものを食べたら口が曲がっちゃうからと言って撤回、奥へと急いでいった。  やり取りが終わった後、祥子さんの表情を見たらどことなくゆるんでいた。 「さ、私たちも行きましょう」  祥子さんと一緒に白薔薇さまと志摩子さんに一つ会釈をして薔薇の館の中に入った。 「新聞部にはしてやられたわ……」  廊下を歩きながら祥子は私に愚痴を漏らした。 「どうしたの?」 「日曜日の祐巳とのデート、制限が多すぎるのよ。その上私は予算の収支報告、祐巳は詳細なレポートの提出があるのよ。こんな事ならもっと介入しておけば良かった」 「そうだったの」  祥子を悩ますなんて、流石はあの新聞部と三奈子さんね。 「そうね。いっそのこと、嘘の報告をすることにしておいて二人で全く別のデートをしてきたら?」 「ああ、それも良いかも知れないわね」  私の提案にくすっと上品に笑う。  祥子には対等な関係の友人が少なかった。そんな人は黄薔薇のつぼみの令さんくらいだったのかもしれない。だからだったのか、私が対等な友人としての関係に収まったら、こうして愚痴を漏らしてくれるようになるまで本当にアッという間だった。それだけじゃない、私が「祥子さん」と呼んでいたら「祥子」と呼ばないと返事をしないとまで言われてしまったくらい。 (あの時、勇気を出して本当に良かった) 「美冬、私がそんなことを言うのがそんなに面白い?」 「ううん、違うわ、少しびっくりすることではあるけれど」 「そう?」 「お姉さま!美冬さま!」  向こうから私たちを見つけた祐巳ちゃんが急いでやって来る。  祥子さんと友達になって祐巳ちゃんとも良く話をするようになったから、祐巳ちゃんの良いところがよく見えるようになってきた。  何となくだけれど今日も良い日になりそうな気がするし、残る1年余りの期間も良い日が多くなりそうな気もする。
あとがき
初めて書いてみたマリみてSSです。
「ウァレンティーヌスの贈り物」を読んでいるときに、もし、あの時美冬が祥子の後を付けなかったら?どうなっていたのかと思ったのが切っ掛けで書いてみたifものです。
いかがだったでしょうか?