復讐…

◆第拾四話

 朝食をとってから暫くしてドアがノックされた。時間からしてシンジであろう…そしてやはりドアを開けたのはシンジだった。
「おはよう」
「おはよう、レイラさん調子はどう?」
「ええ、良いわよ、お医者さんからもう退院しても良いって言われたわ」
「へぇ、そうなんだ」
 シンジは本当に嬉しそうな声を上げる…自分の退院を喜んでくれたと言うことが嬉しかった。
「ええ、だから、今日にでも退院しようかなと思っているんだけど、未だ暫く迷惑かけそうだけれど…」
 ちょっとすまなさげに言うが、シンジにとってはそんなことは全然構わないことで、レイラが退院し、家族が戻ってくると言うことが本当に嬉しかった。
「そんなの構わないよ、レイラさんの退院祝いで、今夜は僕が御馳走作るね」
「ありがとう…楽しみにしてるわね」
 ありがとう…その言葉に関する話が、夢に出てきた事を思い出し、ちょっとくすっと笑ってしまった。
「ん?レイラさん、どうかした?」
「あ、ううん、何でもないわ、それより…」
 退院後のことを中心にシンジが本部に行くまでの間、色々な話をしていた。


 今日も本部にやってきた。
 最近学校に行っていないと言うことに気づき、まあ、どうでも良いかとその考えを切り捨てながらリツコが待つ研究室に入った。
 リツコから聞きたいことがあると言うことで呼ばれている。あのことを聞くつもりなのだろうか…
「いらっしゃい、適当に座ってくれる?」
 シンジは勧められるままに近くにあった椅子に腰を下ろす。
「シンジ君、貴方に聞きたいことがあるのだけれど、良いかしら?」
「答えられることなら、」
「そう…最近、レイと随分疎遠…と言うか、お互いを避けあっているわね」
 レイの話をするのだろうか?しかし、その事はレイに聞けばいいはず…と言うことはリツコに聞かれてもレイは答えなかったと言うことだろうか?これだけの時間が空いているという事からもその可能性が高そうである。
 皮肉なものかもしれない…そうであるとすればレイが自分の意志で、話すことを拒否したと言うことなのだから…
「否定はしません」
「レイとの間に何があったのかしら?二人は随分お似合いに見えたのだけれど」
「悪趣味ですね。そんなことに首を突っ込もうなんて…どこかの誰かさんみたいに」
「趣味なんかじゃないわ、一緒にしないで欲しいわね。暫く様子を見ていたけれど、二人とも回復していないようだからよ…確かに今の貴方のシンクロ率でもある意味十分かも知れないわ、でも、レイはそうは行かない。零号機を抜きにするとかなり戦力が落ちるわ、これは3機で戦うことがどれだけのものであるか知っている貴方なら直ぐ分かると思うけれど」
 リツコの表情からするとレイの状況は随分悪いのかも知れない…しかし、もうシンジにとってはどうすることもできない事でしかない。
「…綾波は何も喋らなかったんですか?」
「どうしても言いたくないそうよ…貴方は?」
「同じです、」
「どうしても?」
「ええ…どうしても話したくありません。例えそのために綾波が死んだり、僕が死んでもね」
 キッパリと言い切る。
 随分長い時間リツコはシンジの目をじっと見つめて来たが…やがて視線を逸らし大きく溜息をついた。
「仕方ないわね…話せるようになったらいつでも連絡を頂戴」
 

 そして、その日はマンションに今日は二人で帰ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
 二人でそのやり取りを交わして部屋に入った。
「じゃあ、レイラさんはソファーにでも座って待っててよ、直ぐに御飯作るから」
「ええ、シンジ君の作る御馳走、楽しみにして待っているわ」
 シンジはキッチンに入り、既にある程度準備していた、退院祝いの御馳走を作り始めた。


 シンジが作った御馳走を食べながら、話を始めた。
「ホント、レイラさんが帰ってきてくれて嬉しいよ…前に、レイラさんが言ってたここに独りで住んでるからちょっと淋しいって言うの良くわかった気がするんだ」
「ごめんね、色々と迷惑掛けちゃって」
「ううん、元々レイラさんが僕を庇った結果だったし…それに、これからはもう一人じゃないしね」
「そうね」
「僕ってね、一緒に同じ場所に住んでいるだけみたいな形だけの家族って言うのかな?そう言うのはあっても、本当の家族って言うのかな…そう言うのじゃなかったからある意味ずっと一人だったみたいなものだったんだ」
「でも、今は…レイラさんは本当の家族だと思うよ、上手く言えないけど、レイラさんが入院している間にそう思ったんだ…だから、今家族が戻ってきてくれて本当に嬉しいんだ」
 レイラは微笑みを浮かべてそれに答えた。ただ…どこかその微笑みには影があるような気もしたが…気のせいだろうと思うことにした。


「…本当の家族…か、」
 レイラはベッドに入りながら、シンジが言った言葉を呟いた。改めてそんな風に言われて、嬉しくなかったと居たら嘘である。しかし家族にも、色々な形があると思う。
 シンジが言った本当の家族というのが何を意味するのか…その正確なところは分からないが、レイラが一番望んでいる意味ではないと思う。
 シンジはレイラに家族であることを望んでいる…レイラはシンジに恋人になることを望もうとしている。シンジは恋人のような関係になることは望むのだろうか?
 又、改めてこの事が不安になってきた…
 これから、レイラがそれを明らかにしていったとき…シンジは、それに対してどう答えるのだろうか?


 久しぶりに自分の部屋、自分のベッドで目を覚ました。
 また夢の続きを見た。その夢では、シンジがマンションに…と言っても例に漏れずレイのマンションなのだが…やって来たりもした。次第に二人が親しくなっていく。それは夢の中のことだけであるが、思わず笑みを浮かべてしまう。
 だが…その一方で、相変わらず夢の中では自分はレイであった。
 自分でも、シンジが自分と恋人のような関係になる事を望むのかどうか不安に思ってしまっている…一方今はああなってしまったとは言え、シンジとレイは、まさにお似合いのカップルだった。
 家族ではなく、恋人になりたい…そう言う思いが強い…だから、夢の中で、レイに……
 そう言うことを考えていると…折角いい目覚めだったのに、気分が沈んできてしまった。
「だめだめ、弱気に成っちゃ、私は私、私として頑張らなくちゃ」
 声に出して自分に言い聞かせる。そして、レイになれれば…なんて思いは捨てられるように、レイラ自身としてシンジとの仲を発展させていこう。
 ある意味単なる家族から、恋人という関係に…徐々に、でも確実に…
 ふと時計に目をやると未だ結構早い時間であった。
「…よし、」


 シンジが朝食を作るために起きて部屋を出ると、良い香りが部屋に漂っていた。
「あ、レイラさん!」
 シンジは慌ててキッチンに駆け込む…そこにはエプロン姿で朝食の味噌汁の味見をしているレイラの姿があった。
「シンジ君、おはよう」
「あ、おはよう…じゃなくて、退院したばっかりなのにそんな事しなくても」
「いいのよ、お医者さんからもOKでてるし、久しぶりにシンジ君に私の料理を御馳走するわね」
 嬉しそうに言うので…シンジはそれを素直に受け取ることにした。


 久しぶりのレイラの手料理は実に美味しかった。
 その事を素直にレイラに伝えるとレイラは非常に嬉しそうな笑みを浮かべた。
 レイとのことまで、シンジが料理を作っていたし、その後あの時までレイラが料理を作っていたから食べていないわけではないのだが、味わうと言うことはしていなかった。
 こうして味わうと言うことができるようになっていると言うことはあの時に比べれば随分余裕がでてきたと言うことだろうか、そんなことを考えていると、箸が止まってしまっていて…レイラが少し小首を傾げながらシンジのことを見ていた。
 シンジはにっこりと笑みを浮かべて返した。


 それから、数日レイラが職場に復帰するまでの間、お互い二人の時間と言う物を楽しんだ。
 しかし、レイラが職場に復帰してから間もなく、レイラの目覚めは決まって憂鬱なものへと変わってしまっていた。
 原因は職場にあるわけでもなく、シンジにあるわけでもなく、ほぼ全て夢にあると言って良い。
 あのまま…大体毎夜のようにあの夢の続きを見つづけていたのだが、その内容が…とてもレイラが望んでいるような物ではなくなってきていた。しかし、相変わらず夢の中では自分はレイであるまま。そう、その事だけが、レイラが望んでいると思われる部分である…
 だがその一方で、シンジが酷い目に遭っている。それなのにそれをどうすることもできない。そんなことを望んでいるはずがないのに…
 そんな夢を見てしまっては、気分のいい目覚めになるはずがない。こんな夢なら見ない方がずっと良い。
 夢のことで誰へともなく一つ愚痴を零す…
 しかし、そうしていても何も始まらないので着替えをして朝食を作るために部屋を出た。


 一方のシンジは着替えを済ませた後、カレンダーをじっと見つめていた。
 そう、ユイの命日が直ぐそこまで近付いてきているのだ。
 しかし、ユイは死んでいるわけではなく、初号機の中にいる。なら、墓参りをする必要もないだろう…どうせ、行ったとしてもあの男と会うだけでしたかないだろうから。
 一つ息を吐いて、既にレイラが朝食を用意してくれているダイニングに向かった。


 そして、ユイの命日…シンジは、結局墓に参るつもりはなかったのだが…朝食の席のレイラとの話で、ユイの話が出てきてしまった。
「そう言えば…シンジ君のお母さんのお墓近くにあるんだったよね?」
 何故そんなことを聞くのだろうか?別に、ユイの墓がどこにあってもレイラとは関係がない人物であるはずなのに…
「…どうしてレイラさんがそんなことを?」
「えっとね…私もシンジ君のお母さんのお墓に行っても良いかな?と思って…」
 ちょっと恥ずかしげに自分がシンジとユイの墓へ行きたいからだと言うことを言う。レイラの意図が良くわからなかったが、行きたいというのなら行っても良いかもしれない。行かないつもりだったのだが…レイラが行きたいというのだから
「…そっか…じゃあ一緒に行こうか?」
 レイラは微笑みを浮かべて頷いた。


 そして、昼前にユイの墓がある墓地に二人でやって来た。
 辺り一面に墓標が立ち並ぶ中を歩きながら…あの男と鉢合わせたりなどしないかと少し心配になってきた。
 しかし、会うこともなくユイの墓の前までやって来ることができた。
 ユイの墓に花を添え手をあわせる。
 レイラは目を閉じ手をあわせて…何かユイに語りかけているつもりなのだろうか?例えそうであっても、ここにユイはいはしないのだが…
(そう言えば、奴は何でこんなところに来るんだろうな…奴は母さんがどこにいるのか知っているはずなのに、)
 ここで考えることはどうしても奴のことに結びついてしまう。
 一つ息を吐いて、考えをうち払った。
 やがて、二人はユイの墓の前から離れ墓地の外へと歩き始めた。
 レイラは歩きながらシンジの横顔を横目に見る。
 さっきユイに色々とお願いのようなことをしてきたのだが…その時のシンジの様子は、とても母親の墓参りをしているという雰囲気ではなかった。父親である碇との状態も酷い物であるし、そんなのは悲しすぎる…そう思う。
 突然のようにシンジが立ち止まる…それに続いてレイラも立ち止まり、目をシンジの視線の先に向けると、碇の姿があった。
 ゆっくりと近付いてくる。
 シンジは…改めて歩き出した…そのまま一言も口を利かずにすれ違うつもりである。
「…あの、こんにちは」
 レイラから声を掛けることにした。
「ああ、こんにちは、」
 レイラが先手を打って碇に言葉を掛けてしまったことでシンジも立ち止まる。
「奥さんに会いにこられたのですか?」
「いや…少し違うな…」
「そうなんですか…」
 ユイはここにはいない。それを分かっているなら当然のことであるが…では何故なのか?シンジは改めてその事を疑問に思ったが…だからと言って何かをすると言うことはなかった。
「私は、ユイに教えられたことを確認する為にここに来ている」
「奥さんに教えられたことですか?」
「ああ…人は想い出を忘れることで生きていける。だが、決して忘れてはならないものもあると言うことをな…」
 碇はどこか遠い目をしながらその言葉を口にしたが…シンジは軽く俯いていてレイラからは表情を見ることはできない。
「…決して、忘れてはならないもの…」
「ああ、決してな」
 それ以上は語りたくなかったのか、そこで話を打ち切り碇はユイの墓の方へと歩いていった。
 それを見てから二人も再び歩き始めた。


 それから暫くの間二人とも無言だったのだが、車を走らせながらレイラの方から声を掛けてきた。
「…シンジ君は…絶対に忘れられないものとかってある?」
 尋ねられて少し考えてみる…シンジにとってそんなものはあるのだろうか?大切な物という意味では、レイへの想いが大切だったのかもしれない、しかし、今は意味がないもの。忘れられないかも知れないが、決して忘れてはいけない物ではない。今も尚価値があるとすれば…奴らから受けた仕打ち、そっちのほうだろう…
「…奴にされたことかな…」
 シンジがその言葉を言ったとたんレイラは悲しげな表情に変わった。しかし、この事ではいっさい引くつもりはないし、引くことはできない。
 沈黙が車内を包み込んでしまう。
 シンジは窓の外の景色に目を向けレイラの方から視線を逸らしている。
「…少し…話、聞いてくれる?」
「…うん、良いよ、」
 視線を正面に戻し、ゆっくりとした口調で答えた。
「…私が、お父さんの本当の子供じゃないって事は、多分分かっていると思うけれど…」
 ゆっくりと頷く。
「…本当のお父さんもお母さんも誰なのか分からないの…だからかな?シンジ君の事が、とても悲しく思えちゃうの」
「…どういう意味?」
「本当のお父さんやお母さんが誰なのか分かっている…なのに、シンジ君の関係はとても良い物じゃない…さっき、シンジ君のお母さんのお墓参りをしていたときも…お母さんのお墓参りをしているって感じじゃなかった…」
「……それは、母さんとの関係の問題じゃないよ」
「…そうなの?」
「前に奴が言っていたよ…あそこには母さんの遺体も遺骨もない…墓の中は空なんだ」
 あそこに母は存在しない…ただ、墓があるだけ…だから、それが分かっていたら…無理がないことなのかも知れない。
「そう、なの…」
「母さんの写真も遺品も何にも残ってないんだ…」
「全部奴が捨てちゃったんだよ…奴は、全ては心の中にある。だからそれで良いみたいな事言っていたよ…」
「多分、何か写真とか遺品とかがあると、それに頼ってしまって自分の中の母さんの存在を軽くしてしまうことを防ぐためとかそんな感じなんだろうけど…」
「僕はどうなんだって言うの…3歳やそこらの時じゃ、殆ど覚えてないよ…なのにね……自分さえよければ良いんだよ、別に僕のことなんかどうでも良いんだよ…だから、捨てられたんだ…」
 更に重苦しい雰囲気が包み込んでしまう。
 途中からはレイラに対して反論していると言うよりは、愚痴…それも、プライベートな事についての事を言っているというのに近いかも知れない…だからか、つぶやきのような口調に近くなる。
 レイラは…そう言ったことを話してくれたと言うことに少し喜びも感じていたが…内容が内容だけに、考え込むことになった。
 暫く経ってから、別に話を切りだした。
「……私ね…子供のころの記憶が無いの…お父さんに引き取られるまでの記憶がないの…」
「…そう、なんだ…」
「普段は気にもしていないのだけれど…シンジ君のお父さんの言った言葉でちょっと考えさせれちゃったかな」
 レイラは副司令ではなく、シンジのお父さんと言った。分かっているのに…さっき言ったばかりなのに…それなのに、そんな呼び方をする。レイラは、この二人の関係を何とかしたいと思っている。だがそれは、シンジにしてみれば、大きなお世話そのものである…だが、レイラの気持ちを考えると、複雑な気持ちになってしまいもする。
「…そんな風に言わないでよ」
「………シンジ君…」
「それで…どうしたの?」
 レイラは一つ息を吐いてから、自分のことを語り直し始めた。
「…だいたい15歳くらいかな?それ以前の記憶はないのだけれど、それでも私はちゃんと生きているし、これからも生きていける……」
 シンジは黙って最後まで聞くことにした。
「記憶を失う前、私がどんな経験をしたのかはまるで分からない…ひょっとしたら、それこそ辛い辛い経験で、その記憶を忘れることで生きていけるようになったのかも知れないとも思ったこともある…」
「だから、想い出を忘れることで生きていけるというのはその通りかも知れない…、そう思ったの」
「でも……その後の、決して忘れてはならないものがあると言うこと…私にはその決して忘れてはならないものがあったのかどうか分からない…初めからそんなものは持っていなかったのか、持っていたけれど、一緒に忘れてしまったのか…ってね」
「もし、忘れてしまったのだとしたら一体それは何だったのかなって…」
 レイラはどこか遠い目をしてその言葉を呟いた。
「…奴の言う事なんて…そんな深く考えない方が良いよ」
「そう?私は、あの言葉が凄く重い言葉だと思ったんだけれど…」
「…重い?」
「…何となくだけれどね」
 それは漠然とした感覚でしかなかったのだろう、レイラは軽く苦笑しながら返してきた。
 重い…確かにそうかも知れない。奴は実際にそうしてきたのだから、但し、そうして何をしたのか、何をしようとしているのかと言うことを考えればあまりにばからしいことでしかない。
「確かに、言っていることは間違っていないかも知れないね…でも、そうしてどういう行動をとるのか、それが、そう言うことの価値が決まると思うよ…」
 シンジがいわんとしていることは、さっき語った事から容易に想像が付く…だからそう言った後レイラは特に何も言葉を返さなかった。