霧島マナ………彼女はある日転校してきた。席は僕の隣になった。
彼女は何故か僕を気に入ったらしく、色々と話しかけてきた。
アスカという強気な女の子にいつも振り回されていた僕にとって、彼女は心を安らげてくれる存在だった。
生涯初めてのデートも彼女とだった。
でも、楽しい日々はそう長く続かなかった。
その頃、騒ぎとなっていた謎のロボット兵器事件。彼女はその当事者の友人だった。
ロボット兵器のパイロットが収容された戦略自衛隊病院に行ってみると、パイロットとは僕達と同じ中学生だった。
だが、その少年は突然いなくなってしまった。
「もしかして、連れて行かれたのかも…奴らに…。」
「奴らって?」
「シンジ、後ろ!」
アスカの声に振り向くと、背広姿の男性二人が駆け寄ってくる所だった。
マナを捕まえに来た、そう思った僕達は逃げ出し、とりあえずトイレに隠れたが。
「ここは女性用よ!」
「大声出すと見つかっちゃうよ。」
「ごめんなさい、私のせいでみんなに迷惑掛けちゃって…。」
「きっとあのパイロットも口封じの為に殺されたんだわ。そうなんでしょ、霧島さん!?」
「アスカ!」
その時、女性の悲鳴が聞こえた。奴らがトイレに入ってきたところに出くわしたらしい。
「いたか!?」
「いや、見つからん。」
「他の所を探そう。」
僕達はじっと声を潜めてなんとか危機をやり過ごした。
「とにかく、ミサトさんに連絡して、助けに来て貰おう。」
「そうね、緊急事態だから、非常モードで。」
アスカがミサトさんに連絡を入れた。後はどうやって外に出るかだが…。
「おじいさんや、もっと早く歩きなさいよ。」
「そんな事言っても…。」
僕達は掃除のおじいさん、おばあさんに変装していたのだが、あまりスタスタ歩いたらせっかくの変装がばれちゃうかもしれない。
「うーむ、何か怪しい…。」
気付かれたか?
「表にネルフの車があります!」
「何だと!」
「気付かれた!!」
僕達は慌てて走り出し、玄関から外に出た。そこにはミサトさんが車のドアを開けて待っていた。
「みんな、早く乗って!」
僕達が車に乗り込むとミサトさんはすぐに車を発進させた。だが、奴らも車で追って来た。しかも銃撃してきた。
「何で撃って来るのよ!」
怒ったミサトさんは更にスピードを上げた。少しすると。
「黒い車、見えなくなったわ。」
綾波の声に後ろを見ると、確かに追跡車はいなくなっていた。多分、どこかのカーブでクラッシュしたのだろう。
これでもう安心、そう思っていたのに…道をネルフの装甲車が塞いでいた。そしてその傍には父さんがいた。
「碇司令…。」
「葛城三佐、何をしている?」
ミサトさんは答えられないでいた。僕たちの為に、職場から勝手に抜け出して来てしまったのだから…。
その時、後ろからマナの悲鳴が聞こえてきた。見ると、彼女は車に押し込められそうになっていた。
「父さん!彼女を助けてよ!」
僕は父さんに助けを求めたが、父さんは僕の願いを黙殺し、マナは連れて行かれてしまった。
その後、数日が過ぎた。マナは殺されてしまったのだろうか………?
そんなある日、マナを見つけた。彼女は檻に入れられ、ロボット兵器をおびき出す餌にされていた。
僕がマナを助け出そうと檻に近づいた時、ロボット兵器が現われた。
僕は、エヴァでロボット兵器を止める為に出撃した。でも、マナを気遣って動けないうちに、ロボット兵器にマナを檻ごと奪われてしまった。
このままでは戦自の攻撃でマナの命が危ない。僕はエヴァでロボット兵器を追ったが、追いつけず、最後はエネルギー切れになってしまった。
戦自はN2爆弾を投下してきた。エヴァの機体はその爆発に耐えられたが、ロボット兵器はどろどろに融けてしまった。
僕は、マナを、そしてロボット兵器のパイロット―――おそらく、僕たちと同じ中学生の少年―――を救う事ができなかった。
鈴原トウジ………彼は、僕がこの街に来て最初に友達になってくれた。最初の出会いはいきなり殴られるという、無茶なものだったけど。
でも、それはトウジの誤解みたいなもので、僕の事を知ったトウジはお詫びに自分を殴っていいと言った。
本当は気が乗らなかったけれど、僕は初めて人を殴った。
それから、僕達はケンスケも含めて三人でよく連るんで昼食を食べたりふざけ合ったりして、三バカ大将という不名誉な名前を付けられたりもした。
そんなある日、トウジはエヴァのパイロットに抜擢された。
トウジは、怖くて震えていた。エヴァのパイロットになる事に。
「大丈夫。トウジだってできるよ。僕がやってるくらいなんだから。」
僕はそう言って励ました。
けれど、あんな事になるなんて………。
トウジの乗ったエヴァは起動実験で事故を発生させた。[使徒]に乗っ取られてしまったのだ。
アスカも綾波もやられてしまった。残るは僕だけだった。
でも、僕が戦えば当然トウジを傷付ける事になる。だから僕は戦えなかった。
僕がピンチになった時、いきなりエヴァは僕の意志とは関係なく動き…いや、暴れ始めた。
トウジの乗ったエヴァがムチャクチャに破壊されていく。
僕は父さんに攻撃を止めてと頼んだが、聞いてくれなかった。
そして、トウジの乗ったエントリー・プラグが抜き出され、握り潰された。
僕は怒りに燃えて父さんに反抗しようとしたけれど、駄目だった。
気を失っている間、僕は夢の中で委員長に責められていた。
「碇くん…トウジを返して。」
「違う!僕のせいじゃない!僕のせいじゃないんだ!!」
僕は親友を見殺しにしてしまった。
綾波レイ………彼女は初めて会った時、重症を負っていた。青い髪、赤い瞳、白いプラグスーツ…綾波は不思議な少女だった。
無口で、他人には何の関心も持たない、近寄りがたい雰囲気を持っていた。
それでも、綾波は命懸けで僕を守ってくれた。只の任務だったのに。
僕は綾波が生きている事を知って涙を溢してしまった。他人の為に泣いたのって多分初めてだった気がする。
そして、綾波は初めて僕に笑顔を見せてくれた。多分初めてだったらしく、ぎこちない微笑だったけれど。
その時に、僕と綾波の間には確かな絆が生まれた。
綾波は以前よりは社交的になったと思う。
時折、誰もが知ってる言葉を知らなかったりして周囲を唖然とさせたりしていたけれど。
でも、綾波は僕を守る為に[使徒]を道連れに自爆してしまった。
悲しいと思っているのに、何故か涙は出てこなかった。
綾波が死んでしまったと認める事を頭が拒否しているのかもしれなかった。
でも、綾波は生きていた。いや、それは綾波の姿をした別人だった………。
惣流・アスカ・ラングレー………彼女はやたらと勝気な少女だった。
エヴァのパイロットとなるべくエリート教育を受けてきただけあってシンクロ率も戦闘能力も抜群、おまけに14歳の若さでドイツの大学を卒業した天才。
それゆえプライドが高く、いつも僕をバカにしていた。
そんなアスカだったけど、一緒に暮らすようになって判ったのは、ミサトさんと同様に料理洗濯その他家事一切が不得手だと言う事。
そんなギャップが楽しくて、アスカの困った顔や笑った顔を見るのが嬉しくて、僕はアスカに惹かれていった。
でも、僕がシンクロ率でアスカよりいい成績を出した頃から何かが変わっていった。
そして、ある日アスカは僕の前からいなくなってしまった。
僕が頑張った事が逆にアスカを傷付けてしまったのかもしれない。
渚カヲル………アスカにも綾波にも友達にも会えなくなって、焦燥感にも似た不安を感じていた僕に安らぎを与えてくれたのは彼の微笑みだった。
何故なのかは今でもわからない。
でも、カヲル君は[使徒]だった。
死を願うカヲル君………僕はその願いを叶えてあげてしまった。
何故、殺した?―――僕の内なる声が僕自身を責め立てる。
「彼は使徒だったんだ!仕方なかったんだ!」
僕はそう答えるしかなかった。
僕はどうすればいい?どうすればこの内なる声を消す事ができる?
誰に教えを請うても、誰も答えてはくれなかった。
現われたのはエヴァ。
「僕はこれに乗って、ずっと人を傷付けていかなきゃいけないのか!?」
では、何故エヴァに乗るのか?
「エヴァに乗るとみんなが誉めてくれるんだ。」
だからエヴァに乗るのか?
「そうさ。」
みんなの、他の人の為にエヴァに乗るのか?
「いいことじゃないか。エヴァに乗って使徒を倒せば、みんなが幸せになれるんだ。」
「嘘ね。」
アスカが現われた。
「そんなの、結局自分の為じゃないの。」
「そうかな?」
「そうやって、またすぐに自分に言い訳してる。他人の為に頑張ってるんだ!と思う事自体、楽な生き方してるって言うのよ。」
「そうかな?」
「要するに、寂しいのよ、シンジは。」
「そうなのかな?」
「そんなのただの依存、共生関係なだけじゃない!」
「そうなのかな?」
「自分が人に求められる事を、ただ望んでいるだけじゃないの!」
「そうかもしれない。」
「人から幸せを与えられようと、ただ待ってるだけじゃないの!偽りの幸せを!」
「そうかもしれない。」
いつの間にか僕は闇の中に蹲っていた。でも……。
“何だ?この感触?前に一度あったような……自分の身体の形が消えていくような……。気持ちいい……自分が大きく、広がっていくみたいだ……どこまでも…どこまでも……。”
【それは人々の補完の始まりだった】
【人々が失っている物】
【喪失した心】
【その心の空白を埋める】
【心と、魂の、補完が始まる】
【全てを虚無へと返す】
【人々の補完が始まった】
「違う。虚無へと返るのではない。全ての心が一つになり、永遠の安らぎを得るのだ。」
父さんはそう言ったが、僕の目に映ったのは血を流して事切れているリツコさんとミサトさんの姿だった。
“この光景は事実なのか?それとも幻なのか?それともただの記号としての存在なのか?”
「人間は常に心の闇から逃れようとして生き続けているわ。」
【それが心の飢餓を生み出す】
【それが心の不安、恐怖を生み出す】
「だからって、人の心を一つにまとめ、お互いに補完し合おうと言う訳!?そんなのただの馴れ合いじゃない!」
「だけど、貴女もそれを望んでいたのよ。」
「えっ?」
「ミサトさんは何を願うの?」
ミサトさんの願い、それは良い子になる事だった。そうすれば泣いているママを助けられるから。でも、良い子を演じ続けるのに疲れ、男に抱かれ、現実から逃げた。でも、それは刹那的な逃避で心を癒しているだけだった。
「アスカは何を願うの?」
アスカは幼い時に孤独な身の上となったが、プライドで身を守り、自らの力で生きてきた。本当は孤独が辛かったんだ。だから叫んだ。
「独りはイヤ!」
「僕を見捨てないで。」
「私を捨てないで。」
「私を殺さないで。」
僕の前にいる、僕とミサトさんとアスカ。その心の、魂の叫び。
「これは何?」
「貴方のお父さんが進めていた、人間の補完計画の一部よ。その実体、その真実は誰にも判らないわ。」
教えてくれたのはミサトさん。
僕の知人、友人達が現われては言葉を告げて消えていく。
破滅、そして誰も救われない世界………。
「誰も僕を救ってくれなかった!」
「誰も貴方を救えないわ。」
リツコさんが言った。
「これは君が望んだ事だ。」
加持さんが言った。
「破滅を、死を、無への回帰を、貴方自身が望んだのよ。」
アスカが言った。
僕は何も答えられない。答えを持っていないから。
「これは現実なのか?」
「これが現実よ。」
ミサトさんが言った。
「現実って何だ?」
「貴方の世界よ。」
綾波が言った。
「時間と、空間と、他人と供にある君自身の世界の事さ。」
日向さんが言った。
「君がどう受け止め、どう認めるかは、自分自身が決める世界だ。」
青葉さんが言った。
「今はただ、与えられただけの、貴方の世界なのよ。」
マヤさんが言った。
“それが現実……自分自身が決める世界……この中途半端な、悪夢のような世界が……。”
「どうしようもない貴方の世界よ。」
「もう全て決まりきっている世界だろ!」
僕は耳を塞いで怒鳴っていた。それでも人々の声は聞こえてくる。
「自分一人が心地良い世界を望んだ。」
「自分の弱い心を守る為に。」
「自分の快楽を守る為に。」
「これはその結果に過ぎないわ。」
「嫌いな物を排除し、より孤独な世界を願った、貴方自身の心。」
「それが導き出された小さな安らぎの世界。」
「この形も、終局の中の一つ。」
「貴方自身が導いたこの世の終わりなのよ。」
【人は弱い生き物である。】
【それは心のどこかが欠けているから。】
【その心の隙間を埋める、】
【それが補完計画。】
【心も身体も弱い生物、】
【だからお互いに補完しなければ生きていけない。】
人は何故生きるのだろう?
「それが知りたくて生きるのよ。」
誰の為に生きるのだろう?
「勿論、自分の為じゃない。」
生きているのは嬉しいのか?
「嬉しいと思う。」
寂しいのは嫌いか?
「嫌いだ。」
辛いのは嫌いか?
「嫌いだわ。」
だから逃げるのか?
「人の言う事にはおとなしく従う、それがあの子の処世術じゃないかしら?」
そう思い込んでいるだけか?
「僕には何も無い……生きる価値が……。」
【だから?】
「僕は僕が嫌いだ。みんなもそう思っている。でも、エヴァに乗ると誉めてくれるんだ、こんな僕でも。」
【だからエヴァに乗るのか?】
「それが、僕の全てだから………。」
太陽。雨。雨空。夕陽。青空。川。
僕の心を不安が覆う。
「何を願うの?」
「何が欲しいの?」
「何を求めているの?」
ミサトさん、アスカ、綾波が僕に問い掛ける。
【シンジの心の満たされない部分、それは………】
「私に構わないで!」
【拒絶】
「傷つくのが怖いのね。」
「嫌われるのが怖いんだ。」
「何を願うの?」
【不安の解消】
「何を望むの?」
【寂しさの解消】
「幸せではないの?」
僕が望む物は‘価値’だ。
「僕には価値が欲しいんだ。誰も僕を捨てない、大事にしてくれるだけの…。」
「それは貴方自身で認めるしかないのよ―――自分の価値を。」
母さんはそう言った。
「じゃあ、僕って何?」
僕のいろんな姿が僕自身の目に映る。僕が他人に見せている形。僕と言う記号。
「でも、僕が判らない。僕は何処に居るんだ?僕って何なんだ?」
【だから心の閉塞を、願う】
「誰も僕の事なんて、判ってくれないんだ!」
「あんたバカァ?そんなのあったりまえじゃん。」
「だから自分を大切にしなさい。」
「大事にできる訳ないよ!」
気付くと僕は何も無い真っ白な世界にいた。
「これは?何も無い世界?誰も居ない世界?」
「自由な世界を。」
「自由?」
「何物にも束縛されない自由な世界を。」
「これが自由?」
「そう、自由な世界。その代り何も無い。」
「僕が考えない限り?」
「どこまでも一人だけの世界。」
様々な逡巡の後、僕はようやく気付いた。
「そう、僕は僕だ。僕が自分を思うから僕が居るんだ。ただ、他の人達が僕の心の形に影響しているのも確かなんだ。」
「その通りよ、碇シンジ君。」
「やっと判ったの?」
「ああ。僕にはいろんな可能性がある。エヴァのパイロットじゃない僕だって有り得るんだ。」
「そう考えれば、この現実世界も悪くは無いでしょう?」
「でも、僕は僕の事が嫌いだ。」
すると、僕の周りの人々が言ってくれた。
一人の世界観の狭量さ、感じ方一つによって変わる世界の事を。
「ただ、お前は人に好かれる事に慣れていないから、人の顔色を伺っているだけなのだ。」
「でも、みんな僕が嫌いじゃないのかな?」
「あんたバカァ?あんたが一人でそう思い込んでいるだけじゃない。」
「でも、僕は僕が嫌いだ―――でも、好きになれるかもしれない。」
世界に亀裂が入っていく。
「僕は此処に居ても良いのかも知れない。」
僕は気付いた。
「そうだ!僕は僕でしかない。僕は僕だ。僕は此処に居たい!だから、僕は此処に居ても良いんだ!」
世界が広がった。
夢は現実の続き、現実は夢の終わり。
自分の世界からシンジが戻ってきた現実の世界は、人と人が殺し合う戦場に変わっていた。
悪夢はまだ、終わらない………。
超人機エヴァンゲリオン3
「妖夢幻想譚」序章 人類補完計画
完
あとがき