今日は新武蔵野高校の入学試験の合格発表の日。
「…やっぱり…無いか…。」
掲示板のどこにもアスカの受験番号は無かった。
だが、そんな事は入学試験のその場でもうわかっていた事だった。精神状態がベストではなかったアスカは実力の半分も出す事ができなかった。
考えるのはシンジの事ばかりだった。今頃どうしているのか、いつになったらもう一度会えるのか…そんな事に気を取られてしまい、気が付けば時間切れ…。
今日は気を紛らわす為にただふらふらと合格発表を見にやってきて、予想していた結果を確認しただけだった。
だが、受験に失敗したというのに、アスカは特に落ち込む様子も無かった。
“今更、合格するかしないかなんてどうだっていいわよ…。”
新武蔵野高校を後にしたアスカはそのままどこという当ても無く、街並みを一人歩き続けた。
そろそろホワイトデーがやってくる。バレンタインのお返しに何を贈るか、今度は男達が頭を悩ます番だ。
“アホクサ…バレンタインデーが聖バレンタインの生誕日なら、ホワイトデーは誰の生誕日だって言うのよ…そんなの、贈り物のお返しが欲しいだけの浅ましい女の欲望に便乗してデパートが無理やり設定しただけじゃないの…本当に日本人ってバカばっかだわ。”
などと、強がって心の中で周囲の浮かれ人達に悪態を付いたものの、本当はアスカだってシンジからのお返しが欲しいのではあるが…。
“…シンジ…シンジ…今、どこにいるの?…会いたいよ、シンジ…。”
視界がぼやけてしまい、アスカは上を向いて歩くしかなかった。
「大見得切って引き受けてこれじゃあ、貴方に会わせる顔が無いわ…。」
『その状況では、君に責任はない。そんなに気にする事は無いよ。』
「いいえ、こうなったからには私が何とか解決してみせるわ。」
『どうやって?』
「こう見えても、私には二匹と三人の心強い味方がいるの。」
緑の黒髪の少女はケータイでの通話を終えるとまた、別の人物に電話をかけた。
『はい、榊です。』
「先日はどうも。榊警部、突然の御願いなんだけど、貴方の力を貸して欲しいの。」
『おや、貴女からの依頼とは珍しいですな。わかりました、できる事なら何でも協力しますよ。』
「有難う御座います。早速ですけど、鬼堂さんにもコンタクトを…。」
『了解です。では、夕方、二人で貴女の事務所に伺います。』
そして、ケータイでの通話を終えた彼女の背後で、錫杖の先に付けられた金属の輪がシャランと音を立てた。
「流石、円光さん。いいタイミングで来てくれたわ。」
「貴女も息災で何よりです。おお、其方達も元気であったか。」
「ワォン。」「ニャー。」
誰が言い出したか名づけたか設定したか、3月14日はホワイトデーということで、それを明日に控えた今日の街は賑わっていた。
バレンタインデーで本命の男性にチョコを渡す事ができた女性は、相手の反応(OKならお返しのプレゼントが有り、NGなら…いや、その先は言わないでおこう)にやきもきし、意中の女性からチョコを貰う事ができた男性はこの日はお返しのプレゼント選びに頭を悩ます。
既に成立しているカップルだった場合はデートしながら物品を品定め。
二束三文の義理チョコをばら撒いてエビタイを狙う女へのお返しは、二束三文のスナック菓子で十分だ。
そして、卒業式までの自由登校期間のこの日、繁華街へ繰り出したシンジ、トウジ、ケンスケ、カヲルのいつもの面々も、全員第一志望校に合格した余裕もあってか、プレゼント選びに勤しんでいた。
「やっぱり、チョコのお返しはチョコレートだと思うんだけど。」
「シンジ、それじゃあヒネリも何もあらへんがな。」
「いや、ここは別にウケを狙う必要はないだろ?」
「まあ、何にしろ、意中の相手になら、心の篭った品であればいいと思うけどねぇ。」
「でも、カヲルくんはチョコレートをむちゃくちゃいっぱい貰ってたけど、それに全部お返しするの?」
「仕方ないよ、貰っちゃったんだから。まあ、OKの返事はする必要が無いから、アルファベット・チョコを一粒ずつ手渡ししようと思ってる。」
「何だよ、それじゃまるで濡れ手に粟みたいじゃないか。」
「そういうケンスケはどうなの?」
「俺はちゃんとしたものを返すぞ。」
「ケンスケ…何もナツキの義理チョコごときに…。」
「義理チョコでも俺は嬉しかったんだよ。」
「ふーん…トウジは委員長に何を贈るつもり?」
「そこやがな…チョコは論外としてや、クッキーかキャンディーかマシュマロのどれにするかで悩んどる。」
「あれ?それって、どれかが恋人でどれかが友達の意味じゃなかったっけ?」
「だから、そのどれが恋人かがわからんから悩んどるんやないか。」
「うーん…こういう時、物知りの真辺先輩がいたらなぁ…。」
結局、カヲルは予定どうりアルファベット・チョコを2袋、ケンスケはおしゃれなホワイトチョコ(板チョコ)を、トウジは悩んだ挙句にクッキーとキャンディーとマシュマロの詰め合わせを購入した。そして、シンジはとりあえず手作りチョコにする為にビター、マイルド、ホワイトの三種類の板チョコを買ったのだが…。
「あら、こんにちは、シンジくん。」
「あれ、綾野さん…。」
三人と別れた後、繁華街をぶらついていたシンジは傍の店から出てきた直後のレミと出くわした。
「む?その不二子家の袋は…ははーん、中身はホワイトデーに使うチョコと見た!」
「相変わらず鋭いなぁ…綾野さんは?」
「ここでお買い物をしたところ。」
レミが指差したのは、彼女がたった今出てきたランジェリー・ショップだった。
「あ…そ、そう…。」
その店のショーウィンドウに飾られた、セクシーなランジェリーを目にしてシンジが顔を少々赤らめたのを見たレミは目を丸くした。
「何?これぐらいのを見てその反応?…うーん…確かに彼女の言うとおり、これは手強そうね…。」
「何の事?」
「惣流さんが嘆いていたわよ。フィアンセなのに、なかなか仲が進まないって。」
「いや、それは…アスカが積極的過ぎるんだよ…。」
「まあ、往来で立ち話も何だから、あそこの喫茶店でお茶でも飲まない?」
そんな訳で、シンジとレミは通りの反対側にあるATORコーヒーに入った。
「…それはともかくね、どうして彼女がシンジくんともっと深い仲になりたいのか、考えた事ある?」
「う、うん、まあ、それは…いろいろと事情があって…。」
「えーと…多分、綾波さん絡みの事をシンジくんは考えているんでしょうけど、はっきり言ってそれは些細な事よ。」
「えっ?」
「貴方達はあの第三新東京市からやってきた…さぞ、大変だったでしょうね。」
「う、うん…。(綾野さん、どこまで知ってるんだ?)」
「戦争は怖いわね…一瞬にして、大事な人を失う事になったりもするから…だからこそ、惣流さんはシンジくんとの結びつきを求めるのよ。」
「…結びつきって…。」
シンジはまたも少々顔を赤らめた。
「いや、いちいちこれぐらいでそんな反応されても困るんだけど…まあ、とにかくね、彼女はシンジくんを失う事をひどく怖れているのよ。だから、できる事なら早くシンジくんと結ばれたい、愛を確かめ合いたい、と想ってる訳。」
レミの言う事にシンジも思い当たるところはあった。
それは僅か三日前…シンジの無事を知ったアスカはシンジの胸の中で泣き続けていたからだ。
だが、それをふと思い出したシンジにすぐ一つの疑問が思い浮かんだ。
「…綾野さん、君はどうしてそんな事がわかるの?まるでアスカの心の中がわかるみたいじゃないか…。」
「…一つ、バレンタインの裏話を教えてあげる。惣流さんのチョコ、凄かったでしょ?」
「え?いや、それは、その…。」
「あの、彼女がモデルのヌード絵をデッサンしたのは、実は私なの。」
「えっ?」
「いやぁ、文化祭でヌード絵を発表しちゃったもんだから、彼女が頼みに来たのよ。ヌード絵のデッサンをするなら私にお願いしたいって。」
「あ…そうだったんだ…。」
「自分のフィアンセに贈るバレンタインのチョコに、事もあろうに…じゃなくて、よりにもよって…も、違うか…とにかく、ヌード絵を描くなんて、そんなダイターンな事を考えるんだもの、これぞ‘推して知るべし’ってものよ。」
「…と、言う事は…そんなアスカの想いに気づく綾野さんも、もしかしたら同じ想いを誰かに…?」
「え?ま、まあ、そんな事はどうでもいいのよ。」
“!!”
どこかで聞いた、誰かの口癖と同じ言葉をこぼしたレミをシンジは思わずじっと見つめた。
「な、何?何か変な事言ったかしら?…で、シンジくんはどうするの、ホワイトデーのプレゼント。」
「あ…えーと、やっぱりこっちも手作りチョコを作ろうかと…。」
「うーん…今一つインパクトに欠けるわね…。」
「でも、奇を衒うつもりは無いよ。心の篭ったプレゼントだったら、アスカは喜んでくれる。」
「それは確かに正しいわ。でも、どうすれば彼女がもっと喜んでくれるか、という事をもっと考えなきゃ。」
「それはそうだけど…でも、綾野さんはどうして僕達の事をそんなに気に掛けてくれるの?」
「惣流さんからあんな依頼されてお手伝いしたんだもの。こうなったら漕ぎ出した船も同然。最後まで二人の仲を後押ししちゃうから。そういう訳で、元のところに戻りましょう!」
「元のところって…!?」
レミがシンジを連れてきたのは、先ほど自分が買い物をしたランジェリー・ショップの前。
「彼女があんなダイターンなプレゼントをした以上、シンジくんもそれに応えるというのが筋ってものよ。」
「だから、下着屋さんと何の関係が…?」
「ストレートに言うなれば、彼女はシンジくんに抱いて欲しいというメッセージを投げ掛けた訳。それにYESの場合、男性としてお返しに贈るプレゼントは十中八九決まってるわ。」
「…まさか…。」
「そのまさかよ。お返しに贈るのは、ズバリ、ランジェリーなの。」
「い、いや、で、でも…ここに入っていいのは女のコだけで…。」
「だからぁ、それが間違ってるんだってば。男性の入店お断りなんて言ってたら、そんなの男性に対する差別になっちゃうわ。女性へのプレゼントを買う為なんだもの、男性がここに入ったって何にもおかしくないの。」
「そう…なのかなぁ?」
「そうなんです!ほら、勇気を出して、行ってらっしゃい。」
レミはシンジの背中をどんと押した。シンジはちょうど開いた自動ドアの中に消えた。
“…えーと…何を買えばいいんだろう…。”
シンジは顔を赤らめながらゆっくりと店内を見回した。ブラジャーだのショーツだの、ストッキングやガーターベルトだの、キャミソールだのベビードールだの、テディやボディストッキングだの、地味な色のものからカラフルなものまで、あるいはおとなし目なものからセクシーなものまで、ありとあらゆるタイプのランジェリーが用意されている。
店内に入っただけでボーっとしているシンジを見つけて、店員が声を掛けてきた。
「何かお探しですか?」
「え、えっと、その…プ、プレゼント用に…。」
「プレゼント用と言うと、ホワイトデーのですか?」
「はい、そうです。」
「どのようなものにしますか?あと、サイズはいかがなさいますか?」
と聞かれても、シンジは何を買えばいいのかわからないし、それ以前にアスカのスリーサイズも知らなかった。
「…えっと…その…。」
口籠るシンジを見て、その店員はとんでもない勘違いをした。
「ねえ、キミ…もしかしたら、プレゼントは自分用なのかしら?」
「は?」
「うーん…普通はそういうお客様はお断りしてるんだけど、キミはカワイイからオッケーにしましょう。」
「何の事ですか?」
「安心して。お姉さんがキミにぴったりのブラとショーツを選んであげるから。」
「ちょ、ちょっと、何を訳のわかんない事言ってるんですか?」
「大丈夫、ごまかさなくてもいいのよ。カワイイ男のコが女性の下着に興味あるのは普通なんだから。」
まるで脳内がピンク色の妖しいウィルスに汚染されているかのようにその店員は妄言を吐き続けた。
「あ、あの、僕、帰りますっ!」
彼女に暴走(妄想?)状態のミサトと同じ雰囲気を感じ取ったシンジは慌てて店外に逃げ出した。
「どうしたの?何を慌てて…。」
「どうしたもこうしたも…何だよ、あのお店の人は…。」
「店員がどうかして?」
「あ…そうだ…綾野さんが一緒に来て説明してくれればいいんだ。」
「はい?」
シンジはレミの手を引いて再びランジェリー・ショップに入った。そして、アスカのスリーサイズなど、レミにいろいろアドヴァイスを受けながらアスカへのプレゼントを購入したのだった。
そして、卒業を一週間後に控えた3月14日…つまりホワイトデー当日。
指定された喫茶店でアスカはシンジが来るのを今か今かと待っていた。
“シンジのお返しのプレゼントは何かな?まあ、シンジの事だから一生懸命に考えたものだろうけど…料理の上手なシンジだから、やっぱり手作りのホワイトチョコかな…それとも、ちょっと捻ってマシュマロとか…キャンデーやクッキーってのも有るし…もしかしたら、アクセサリーかしら…。”
と、鈴の音とともにドアが開いて、シンジがなにやら紙袋を小脇に抱えて入ってきた。
「お待たせ。」
アイスコーヒーをオーダーしたシンジは、それが来て一杯飲んで一息入れてから話を切り出そうと思っていたが。
「…それは…私への?」
「うん…まあ、そうだけど…。」
何となくシンジは落ち着きが無さそうだった。
「どうしたの?」
「えーと…プレゼントを何にしようか考えたんだけど…アスカの好きな色じゃないから、気に入ってくれるかどうか…。」
ようやくそこで、オーダーしていたアイスコーヒーが来た。
「あ、そうだ、先に訊いておきたいんだけど…レイには何を渡したの?」
「…とりあえず、ホワイトとマイルドとビターの三種類のチョコの詰め合わせを…。」
一時間前。シンジはレイにバレンタインデーのチョコのお返しを渡すべく、公園へ急いでいた。
レイは自ら指定した公園のベンチで待っていた。
「…碇くん…来てくれて、ありがとう…。」
「早速だけど、これ。バレンタインデーのチョコのお返し。」
シンジがレイに差し出したのは、バレンタインの際にレイから貰ったのと同様な小鉢に白いリボンでラッピングしたものだった。
「…これ…私がチョコをあげた時の…。」
「…じゃないよ。実を言うと、あのチョコレートはまだ大事に取ってあるんだ。」
「何故?」
「チョコがカラフルでとっても綺麗だから、何か食べるのが勿体無くって…。で、綾波に何を返そうかと思って、ホワイトとマイルドとビターの三種類のチョコにしたんだ。」
レイはシンジに説明されて、リボンを解いて小鉢の蓋を開けた。
そこには、いくつもの小さなボール状のチョコが入っていた。それも、三種類の単体だけでなく、二種類あるいは三種類をマーブル状に混ぜて固めたものもあった。
「ただそのまま小さなボールにするのもつまらないと思って、いろいろバリエーションをこさえてみたんだけど…。」
「碇くんが私の為に手作りしてくれたチョコレート…とっても嬉しい…頂くわ。」
レイは早速一粒、口の中に放り込んだ。
「…どう?」
「…美味しいわ…。」
だが、レイが今食べたのは、甘さの中にほんの少しほろ苦さが混じった、大人の味とも言うべきビターチョコだった。だが、今は…いや、これからシンジと話す事を考えれば、それが苦いなんて言っていられなかった。
「碇くん…アスカのこと、聞いたわ…。」
「そう…でも、綾波が気にする事はないよ…そうそう、綾波も新武蔵野に合格したんだってね。おめでとう。」
だが、レイはうつむいてシンジから視線を外すと、目を瞑って無言で左右に首を振った。
「…あれ?どうしたの、綾波…嬉しくないの?」
「…いいえ…嬉しくなんかないわ…私は、アスカに負けたんだもの…。」
受験に際し、レイは自分の全力を出し切って見事に第一志望校の合格を勝ち取った。
だが、アスカは…。
その結果を知ったレイは、アスカに勝ったと思っていた。カヲルに重大な事実を指摘されるまでは。
試合に勝って、勝負に負けた…という感じがするねぇ。
それは一体どういう意味かしら?勝ったのに負けたなんて、日本語になっていないんじゃない?
…例えば、野球の話をしよう。AチームのピッチャーとBチームのバッターはすごいライバル。ある時、二人のチームが対戦した。当のピッチャーとバッターの対決は4打席あった。ピッチャーはバッターから3回も三振を取ったが、最後にホームランを打たれてチームは負けた。果たして、二人の勝負は?
…それで、どうして私がアスカに負けた事になるの?
条件は同じだった…そこで、試験に際して実力を存分に出しきれたかどうか…これは勿論、キミの勝ちだ。では、何故惣流さんは実力を出せなかったのか?
…わからないわ…。
僕達は単体の存在、でもヒトは群体の存在…ヒトは一人では生きられない、と誰かが言っていた。僕達のように生身でATフィールドを自在に使えないヒトは、僕達よりも心が弱い…だから、他人の存在に希望を求めようとする…場合によっては絶望にもなってしまうけど…ここまで言えば、キミにももうわかる筈だ。
「私は碇くんが好きだった…アスカも碇くんを好きだった…でも、アスカは私やカヲルより心が弱い…だから、その差を他人を強く想う事で埋めていた…貴方を想う心は、私よりもアスカの方が強かったのよ…。」
レイは堪え切れなくなって、ほろり一粒を頬にこぼしてしまった。
「綾波…。」
「碇くんのお父さんから言われたわ…今は自分が為すべき事をしなさいって…だから、私は受験に集中した…もしかしたら、碇くんを心配するあまりに恐ろしい事を考えてしまうのが嫌だったからかもしれない…そう考えないように逃げていたのかもしれない…でも、アスカは…ずっと碇くんのことを想い続けていた…だから、残念な結果に…。」
「そうか…僕のせいでもあるんだね…。」
「それは違うよ。シンジくんは何も悪くない。だって、どうしようもなかったんだからね。」
いつのまにか、カヲルが傍に来ていた。
「カヲル…。」
「レイ…キミは今でもシンジくんが好きかい?」
「…ええ…。」
俯いたまま、レイは答えた。
「シンジくんは彼女の事をどう思ってるんだい?」
「えっ!?」
「失礼だけど、キミはもう少し自分の優柔不断さを改めた方がいいんじゃないかな。じゃないと、いつまでも彼女と惣流さんの心に不安の種が残ったままだよ。」
「僕は…。」
シンジもレイの事は好きだ。だが、それが恋愛感情かと問われたら、答はNOだ。好きというのはカヲルと同様にとても大切な友達だと思っているというだけだ。でも、それを言えば、レイを傷付けることになるかもしれないから、今まで言えなかった。
“でも、今は…勇気を出して言わなければいけない…そうですよね、真辺先輩…。”
だが、シンジが意を決して口を開こうとしたその時。
「いいの…碇くんはアスカが一番好きだって事、わかってるから…。」
「綾波…。」
「だから…碇くんが望むなら…その通りにしていいわ…アスカが待っているんでしょう?」
「…綾波…ごめん…。」
シンジは涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、アスカの待つ喫茶店へ駆けていった。
「さあ、このハンカチで涙を拭きたまえ。シンジくんのものじゃないけどね。」
カヲルはポケットからハンカチを取り出してレイに差し出した。
レイは俯いていた顔を上げた。
「…何故?」
「男は女に優しくするものさ…。」
「…そう…使わせてもらうわ…。」
レイはカヲルからハンカチを受け取った。
「…貴方に優しさを感じたの、初めてのような気がする…。」
「そうかい?…まあ、それはともかく、自分から身を引く事をよく決心できたね。感心に値するよ。」
“リリンは、私達に比べて遥かに短い命…同じ刻を一緒に過ごす事はできない…碇くんも、私の姿は変わらないのに自分だけ年老いた姿になるのはきっと耐えられないと思う…。”
“そうか…リリンは、誰も君と共に生きていく事はできない…。”
“貴方か‘彼女’ぐらい、ね。”
“君が望むのであれば、永遠に傍に居続けよう。”
“……ありがとう……。”
EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION2
CHILDREN’S GRAFFITI
EPISODE:12 A white day rhapsody of lovers
そして、場面は再び喫茶店の中。
「ふーん…でも、私のは全然別なのね?」
「う、うん…。」
「ねえ、何を気にしてるのかわかんないんだけど…シンジは一生懸命考えてくれたんでしょ?だったら、私は喜んで受け取るわ。」
「ん…それじゃぁ…はい、これ、バレンタインのお返しに…。」
シンジはアスカに紙袋を手渡した。
「ふふっ、中身は何かな〜。」
アスカが早速紙袋を開けようとすると。
「あ、ちょっと待った…できれば、他の人に見えないように、膝の上で開けて貰いたいんだけど…。」
「いいけど?」
シンジのお願いでアスカは膝の上で紙袋の中の物…ピンクのリボンでラッピングされた白いアルミ製の缶を取り出した。そして、その蓋を外した中には…。
「えっ!?…シ、シンジ…これって…。」
アスカは驚き、目をぱちくりさせながら中身とシンジを何度も交互に見た。
缶の中に入っていたのは、チョコレート色のブラジャーとショーツのセットだった。
「い、一応、手作りのチョコも入っているんだけど…。」
「で、でも、何でこれを…。」
「何をプレゼントしたらいいかわからなかったから、いろんな人に聞いたんだ…。」
ゲンドウは教えてくれなかったが、貰った本人のユイに訊くとホワイトチョコだったらしい。ミサトは酒が欲しいと言い出したので即却下、リツコはオーソドックスにチョコ、マヤはアクセサリーと答え、日向はクッキー、青葉はマシュマロ、加持はキャンデーだと主張した。いろいろ考えた結果、シンジはやっぱり手作りチョコで応えようと思ったのだが、土壇場でレミの強引な?説得によってランジェリーにしたのだった。
だが、このお返しは大人の関係にある間柄の場合である事を、シンジとの爽やかMakeLove(?)を求めるアスカが知らない筈がなかった。
「嬉しいわ、シンジ…やっと、その気になってくれたのね




」
「え、えーと…赤じゃなかったんだけど…気に入ってくれた?」
「勿論!(…そうだ、近くに確か…。)」
シンジにこれ以上はないぐらいのとびっきりの笑顔で返したアスカは何かを思い出し、ランジェリーを紙袋の中に戻すとぱっと立ち上がった。
「シンジ、ちょっと一緒に来て!電話急げよ!」
「それを言うなら、善は急げ、だよ…。」
レジで会計を済ませると、ランジェリーの入った紙袋を小脇に抱えたアスカはシンジの手を引きながらどこぞへと駆け出していった…。
“げ…この辺りは…。”
アスカがシンジを引っ張ってきたのはホテル街。それも、ただのホテルではなく、頭に‘ラブ’が付くホテルがいくつも並んでいる所だ。
「…ねえ、アスカ…僕をここに連れて来てどうするつもり?」
シンジは胸をドキドキさせながらも訊かずにはいられなかった。
「あのね、シンジ…さっきのプレゼント、とっても嬉しかった…。」
「そ、それは良かった…。」
「それでね…せっかくシンジが選んでくれたんだし…早く着てみたいの…。」
「そ、そうなの…。」
「だから…ここ、入らない?」
アスカは立ち止まって指差した。ちなみにそのラブホテルの名前は<ホテル・ニュー越谷>だった。
「…ア…アスカ…僕達、まだ、未成年だよ…。」
「大丈夫、バレないって…。」
「いや、無理だって。」
「じゃあさ、バレるかバレないか、試してみようよ。」
「そういう問題じゃぁ…。」
「それに、ラブホテルの部屋の中はどうなってるのか、知りたくない?」
「えーと…ま、まあ、それは確かに興味はあるけど…。」
「じゃあ、決まり!早速、ラブホテル探検に出発!」
アスカはシンジの手を引っ張って強引にラブホテルの中に入ってしまった。
「本当に入れちゃうとは…。」
どうやら人件費削減で自動受付になっていたのがラッキーだった。
二人は301号室を選び、休憩分の金額を機械に入れてボタンを押すと、カードキーが吐き出されてきた。
「パッパパーン!部屋の鍵を手に入れた!」
「ノリノリだね、アスカ…。」
そして、二人は期待に胸をwktkさせながらエレベーターで移動し、見事ラブホテルの部屋の中への潜入に成功したのだった。
「ふーん…これがラブホテルの部屋ね…何か、意外と普通ね…。」
広い寝室の他にバスルーム、トイレ、ソファとテーブルと椅子。あと、カラオケが備え付けてあった。
「これがリモコン?」
アスカが手にとって電源スイッチを押すと、TVが映った。だが、普通のTV番組が移っていたので適当にチャンネルを変えていくと、いきなり!
『あぁ〜ん、ダメぇ…。』
等と艶っぽい声をあげる全裸の女性が映し出された。
「わっ!こ、これって、もしかして、アダルトビデオ?」
「ちょ、ちょっとアスカ!何を見てるんだよ!」
シンジはぱっとリモコンをアスカの手から取り上げて電源をオフにした。
「なーに?シンジは興味無いの?」
「いや、無いことは無いけど…別に今、見なくても…。」
「え〜、せっかくここまで来たんだから、経験できるものは経験しておいた方が…あ…。」
自分で経験という言葉を使ったアスカはその意味に気づいて頬を赤く染めた。
「…も、もう、いろいろチェックしたし、そろそろ退却しない?」
「ダメ…まだ、してないことあるもん。」
「…じゃあ、せっかくだから、カラオケで歌う?」
「そうじゃなくて…えーと…。」
ここに来た元々の目的は何だったのか、アスカは思い返してみた。
「そうそう、忘れてたわ。」
アスカはテーブルの上に置いた紙袋を開けて、さっきシンジにプレゼントしてもらったチョコレート色のランジェリー上下セットを取り出した。
「これを早く着てみたかったのよね。シンジも見てみたいでしょ?」
「何を?」
「だから…このランジェリーが私に似合ってるかどうか、よ。」
「大丈夫だと思うよ。」
「あ、でも、ほら、誰かが言ってたじゃない。何が真実なのかは自分自身で確かめないといけない、ってさ。」
「物事は時と場所と状況で変わる、とも言うけど?」
「んもぅ…シンジは、私のランジェリー姿を見たい?見たくない?はっきりして!」
「え?そ、そりゃぁ…見たい…と思う…。」
「うん!それじゃ、ちょっと待っててね!」
シンジの答えを聞くや否や、アスカはランジェリーを手にしてバスルームの脱衣所に駆け込んだ。
少しして。
「…お待たせ。」
ランジェリー姿になったアスカがシンジの前にしずしずと歩いてきた。
「…ど…どう…かしら?」
「……………(ごくり)。」
頬をほんのり赤く染めながら後ろ手のポーズを取ったアスカを見て、シンジは思わず生唾を飲み込んだ。
「…似合ってる?」
「う…うん…。」
「…綺麗?」
「と…とっても…。」
「…艶っぽい?」
「す…凄く…。」
すると、アスカはベッドに登って横座りになってシンジを誘った。
「シンジ…こっちに来て…もっと、いちゃいちゃしようよ…。」
上目遣いのアスカの誘惑にとうとうシンジの理性の防波堤が決壊した。
「ア、アスカ!」
興奮して椅子から立ち上がったシンジ…だが、頭に血が上りすぎたのか次の瞬間、
「…ブハァッ!」
と吐血…ではなく、鼻血を吹いた。
そしてその直後、大量の鼻血で貧血を起こしたのか、ヨロヨロとよろめいたシンジはバランスを崩して後ろにひっくり返り、運悪くテーブルの縁にゴンッと後頭部をぶつけてその場に崩れ落ちた。
「きゃああっ!シンジッ!」
アスカが慌てて駆け寄ったが、シンジは頭を打ったショックで失神していた。
「シンジ、しっかりして!死なないで!」
だが、アスカがシンジの身体を揺さぶると、すぐにシンジは気が付いた。
「痛ててて…僕は…どうなったんだっけ?」
「シンジ…シンジ〜!!」
アスカはシンジを抱きしめると、ポロポロと涙をこぼした。
それは、まるで数日前…シンジが無事だと自分の目で確認できたあの時とまるで同じだった…。
ある日、シンジが行方不明になった。アスカの受験日前日、買い物に出掛けて以降、戻ってこなかったのである。誘拐か?まさかの失踪か?それとも事件に巻き込まれたのか?
シンジのケータイがデパート内で発見された事から、そこで何かがあったと思われるのだが、その他に手掛かりはこれと言って何も無かった。
「シンジが行方不明って、どういう事なんですか!?」
「碇くんは無事なんでしょうか?」
「それが全くわからないのよ…。」
アスカとレイに訊かれたユイは沈痛な面持ちで答えた。
本来なら受験の本番を翌日に控えた二人には知らされるべきではなかった。だが、シンジがいつまでたっても帰ってこない事に不審を抱いた二人が、シンジが戻るまでずっとシンジの部屋に居座り続けたので、ゲンドウ達も真実を話すしかなかったのだ。
「警察には連絡したんですか?」
「勿論よ。ウチの人は警察関係にも顔が広いからね。」
勿論、元ネルフ総司令という経歴がものを言った訳だがそれはともかく。
“…シンジ…無事でいて…。”
“…碇くん…。”
アスカとレイはシンジの無事を祈る事しかできなかった。
「二人とも、シンジの事が気に掛かるだろうが、今は自分が為すべき事をしてほしい。」
「私達が為すべき事、ですか?」
「うむ。シンジの事は我々が何とかする。二人とも、明日は受験の本番だろう?今日はもう休み給え。」
「…はい…。」「…わかりました…。」
アスカとレイは迎えに来たキョウコ、リツコと共にそれぞれ碇家を辞した。
““…こんな時…真辺先輩がいてくれたら…。””
二人の思いは同じだった。
だが、心の強さには大きな差があったのだった。
「わぉん。」「にゃー。」
公園のベンチに俯いて座っていたアスカの足元に、いつの間にか子犬と仔猫が一匹ずつ擦り寄ってきていた。
「…何よ…甘えた声出したって、何もあげる物なんか無いわよ…。」
アスカは二匹を蹴飛ばすように足を振ったが、二匹は軽く飛び退くとなおも愛想を振りまいた。
「そんな小さな動物に乱暴はいけないよ、アスカ。」
「そんなの、私の勝手で…。」
アスカが声を途切らせたのも無理は無い。その声は、ずっと自分が聞きたかった愛しい人の声だった。
幻聴かと思って恐る恐る声がした方に顔を向けると、そこにはシンジがいた。
アスカは目を瞑って俯いた。
“違う…これは夢だわ…そうに決まってる…もう一度目を開けたら、やっぱりそこにシンジは…。”
“いいえ、これは夢なんかじゃないわ。勇気を出して、目を開けてごらんなさい。”
誰かの声がした。
アスカがゆっくり目を開けると、目の前にシンジがしっかりと実在していた。
「…本当に…シンジなの?」
「心配させちゃってごめんね、アスカ。」
シンジはそっと優しくアスカを抱きしめた。
「…シンジ…シンジ〜〜…。」
アスカはシンジの胸の中でぼろぼろと涙をこぼしながら泣き続けた…。
そして場面は再びラブホの一室。
「アスカ…どうしたの?なんで泣くの?」
「だって…だって…シンジが死んじゃったかと思ったんだもの…。」
「やだなぁ、頭を打ったぐらいでそう簡単に死ぬ筈ないじゃないか。」
いや、打ち所が悪ければ即死も有り得るのだがそれはともかく。
「…それに、こんなに僕の事を想ってくれる女のコを残して死ねる訳ないよ。」
シンジもそっとアスカの身体を抱きしめた。
「シンジ…。」
「僕は死なない…アスカのことが好きだから、僕は死なない。」
無意識のうちに、シンジは何かのドラマのセリフに有ったような無かったような言葉を口にしていた。
「うん…私も…シンジのこと、大好き…。」
そして、結局二人はそのままラブホテルを出てきてしまった。アスカとしては、ホワイトデーのプレゼントとしてシンジから贈られたランジェリーをシンジの前で披露して十分アピールできた事が収穫であった。
対するシンジは…アスカのアピールに応えようとしたものの、興奮して鼻血を噴いてしまい、挙句にテーブルの縁に頭をぶつけて失神するという失態を見せてしまった事で何となく気が滅入っていた。
「…シンジ…気にしなくていいわ。シンジの言うとおり、やっぱり私達にはまだ早過ぎたのよ。」
「アスカ…。」
「きっと…その時が来たら、そのまま自然にできると思う…。」
「そうだね…。」
「悪い奴等は捕まったし、レイは身を引いてくれたし、もう、焦る必要はないもの。ゆっくり、大人になろうよ。」
「うん…。」
「でも、シンジが求めるなら、いつでもOKの三連呼だからね!」
それを聞いた瞬間、シンジは濡れたマンホールの蓋に足を滑らせてコケそうになった。
シンジを誘拐した組織は、シンジを仮想現実体験装置にセットし、その意識内からクミの情報を入手しようとしたのだが、シンジを救出しに来た者達に実験装置やデータを破壊され、目論みはあえなく潰えた。さらに、未成年者誘拐の罪で全員警察に検挙されたのであった。
だが、シンジ達…いや、旧ネルフの人間に敵対する組織がまだ存在する事が明らかになったのは僥倖であり、シンジの警護を依頼した人物は慧眼を持っていたと言えよう。
一週間後、シンジ達は新武蔵野市立第一中学校の卒業式を迎えた。
シンジ達七人にとっては他の卒業生と違って一年半しか在籍していなかったが、全員晴れ晴れとした表情だった。
進学先が同じ者がいれば違う者もいる。卒業により疎遠となる可能性も有り、クラスメート達は予餞会でその寂しさを吹き飛ばすかのように大いに騒いで盛り上がって楽しんだ。たった一人の欠員者を除いて…。
「…まぁ、それなりに楽しい日々ではあったわね。本来のお仕事の依頼が無かった事については、微妙な感じがしない気も無いけど。」
「わぉん。」「にゃー。」
「アルファとベータもお疲れ様。よぅし、今日は久しぶりにケーキ食べに行こー!」
シンジ達が帰路に着いたのを見送った少女はアルファロメオ・アルフェッタをスタートさせて何処へと走り去った。
シンジ達は知る由も無かった。
綾野レミとは仮の名前で、その正体は…<怪奇事件専門の私立探偵で、本名は綾小路レム
―――人呼んで[ドリームハンター・レム]と言う、その人であった…。
超人機エヴァンゲリオン2 中学生日記
第12話(最終話)「恋人達のホワイトデー・ラプソディ」
完
あとがき