超人機エヴァンゲリオン

第23話

 「だっはっはっは!」
 ミサトは大笑いした。
 「な、何よぅ、そんな大笑いしなくてもいいじゃない!」
 アスカは顔を真っ赤にして抗議した。
 先の戦闘終了後、アスカはシンジと離れ離れになると思い込んでシンジの胸の中で意味不明の事を口にしながら泣きじゃくった。
 だが、ネルフが貴重なチルドレンをそう簡単に手放す筈が無かった。チルドレンの候補は大勢いるが、シンクロしなければ意味が無い。何度失敗しようが、アスカはネルフにとって大事なチルドレンなのだ。
 だが、聡明なアスカがシンジの事が絡むとそんな事さえ忘れてしまう、そのいじらしさが普段のアスカからは想像つかなかったのだ。
 「いやぁ、アスカにそんな可愛いところが有ったなんて意外だったわ。」
 「むぅー…ミサトのイジワル。」
 「ミサトさん、アスカ、ご飯できたよー。」
 「ふぇーん、シンジぃー、ミサトがいじめるのー。」
 夕食当番のシンジが声を掛けると、アスカは甘えた声でリビングからダイニングへ駆けていった。
 「ちぇー、見せ付けてくれちゃって。」
 ダイニングのテーブルに着いたミサトはシンジとアスカの仲睦まじさを見て拗ねた顔になった。シンジとアスカは二人でキッチンから料理を移していた。
 「ふーんだ。ミサトは加持さんに手料理の一つも作ってあげられないもんね。」
 「二人とも、喧嘩はやめようよ。せっかくの晩御飯が美味しくなくなっちゃうよ?」
 シンジの仲裁で二人の言い合いは納まった。

 『葛城…俺だ…多分、この話を聞いている時は君に多大な迷惑を掛けた後だと思う…すまない…リっちゃんにもすまないと謝っておいてくれ。あと、迷惑ついでに俺の育てていた花がある…俺の代わりに水を遣ってくれると嬉しい…場所はシンジくんが知っている…。葛城…真実は君と共に有る。迷わず進んでくれ…もし、もう一度会える事があったら、8年前に言えなかった言葉を言うよ。』
 その夜、ミサトは加持のラスト・メッセージを繰り返し聞きながら無言で泣いていた…。

 「そう…居なくなったの。あのコが…。」
 夜も遅いのに、リツコは自分の執務室で残業していた。テーブルの上の灰皿は既に吸い殻が山盛りになっている。
 「ええ、多分ね…ネコにも寿命はあるわよ…。」
 淡々と受け止めるリツコ。
 「もう泣かないで、おばあちゃん…。時間が出来たら一度戻るわ。母さんの墓前に、もう3年も立っていないし…。うん、今度は私から電話するから。ん…じゃ、切るわよ。」
 あくまで冷静なリツコ。
 「そう…死んだのね、あのコ…。」
 リツコは何気に呟き、黒と白のネコの置物に視線を移した。それは前に加持から貰ったものだった。リツコも未だ真実を知らない。


 暗闇の中、ゼーレのモノリスがストーン・ヘンジのように並び、その中心にゲンドウの姿があった。
 「ロンギヌスの槍…回収は我らの手では不可能だよ。」
 「何故、使用した?」
 「EVAシリーズ。まだ予定どおりには揃っていないのだぞ。」
 その尋問にゲンドウは冷静に答える。
 「使徒殲滅を優先しました。已むを得ない事情です。」
 「已むを得ないか…。言い訳にはもっと説得力を持たせたまえ。最近の君の行動には目に余るものがあるな。」
 口々にゲンドウを非難するゼーレ。
 その時、電話が鳴った。ゲンドウは引出から電話の受話器を取り出した。
 「冬月、審議中だぞ………わかった。」
 初めは嗜めるように返答したゲンドウだったが、すぐに受話器を置いて周囲に告げる。
 「使徒が現在接近中です。続きはまた後ほど。」
 「その時、君の席が残っていたらな。」
 皮肉交じりの言葉を無視してゲンドウは退出した。
 「碇…ゼーレを裏切る気か…。」

 「あと15分でそっちに着くわ!発進準備が出来たEVA各機から順次、32番周辺に地上へ射出!」
 緊急連絡を受けてネルフ本部へ向かうべく、片手運転で愛車を猛スピードで走らせながらも日向へ電話で指示するミサト。
 「そう、EVA初号機は碇司令の指示どおりに。私の権限じゃ凍結解除はできないわよ。」
 窓の外の木々がハイ・スピードで通り過ぎて行く中、山の稜線の空中に光る物体が浮かんでいるのが見えた。
 「…使徒を肉眼で確認…か。」

 『EVA零号機、発進!迎撃位置へ。』
 ミサトが不在な為、副官の日向の声が本部内に響いていた。
 ネルフ本部より地上へと射出されていくEVA零号機。
 「EVA弐号機は現在位置で待機。」
 「いや、発進だ。」
 「しかし!」
 命令変更の指示を出したゲンドウに日向は不服そうだ。
 「構わん。囮ぐらいには役に立つ。」
 その言葉で、アスカはゲンドウの自分への信頼度が落ちていると気付き、唇を噛んだ。
 “…いいもん…私には…シンジさえいてくれたら…。”

 [使徒]の侵攻が止まった。
 『目標は大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています。』
 『目標のATフィールドは依然健在。』
 空中でゆっくりと回転する使徒。
 「…。」
 山腹の発進口の陰でEVA零号機は[使徒]の様子を伺っている。プラグ内のレイは厳しい表情を見せている。
 と、遅れ馳せながらミサトが発令所に現れた。
 「何やってたの?」
 リツコが目線だけ向けて睨むが。
 「言い訳はしないわ!状況は?」
 ミサトは自分の職務を遂行し、青葉に状況報告を求めた。
 「膠着状態が続いています。」
 「パターン青からオレンジへ!周期的に変化しています!」
 モニタリングしていた日向が報告した。
 「…どういう事?」
 ミサトは意味が全く解らず聞き返した。
 「MAGIは回答不能を提示しています。」
 「答えを導き出すにはデータ不足ですね。」
 マヤがキーボードを叩き、MAGIの審議結果を報告。青葉も自分の考えを述べる。
 「ただ、あの形が固定形態ではないのは確かだわ。」
 「先に手は出せないか。」
 リツコの言葉にミサトは待機策を選んだ。
 「レイ、しばらく様子を見るわよ。」
 だが、レイはその言葉を遮るかのように言った。
 「いえ、来るわ。」
 レイが言った途端、[使徒]は二重螺旋の円環状から、一瞬に一本の紐状になった。
 身体を伸ばした[使徒]はEVA零号機目掛けて突き進んだ。そしてEVA零号機のATフィールドをたやすく突破し、接触してきた。
 EVA零号機は[使徒]を掴んでライフルを直接[使徒]に押し付け、零距離射撃した。だが、[使徒]には何の変化も見られなかった。
 そして、侵食が始まった。
 「目標、零号機と物理的接触!」
 「ATフィールドは!?」
 「展開中!しかし、使徒に侵食されています!」
 「使徒が積極的に一次的接触を試みているの?零号機と…。」
 リツコは唖然として呟いた。
 EVA零号機は立っていられず、山腹に倒れ込んだ。
 EVA零号機の腹部と左腕の[使徒]接触部分から、植物の葉脈のような筋が広がっていく。プラグ内のレイにも全く同じ事が起きていた。
 「………くふぅ………。」
 身体に何かが入ってくるように感じる、と同時に苦痛と快楽がレイの身体を押し包んでいき、レイは頬をほんのり紅く染め、声を漏らしていた。それは、レイが経験した事のないものだった。
 「危険です!零号機の生体部品が侵されています!!」
 「弐号機、緊急発進!レイの救出と援護をさせて!!」
 ミサトの指示でEVA弐号機が地上に向けて射出された。
 “なんで私があいつを助けなきゃいけないのよ!!”
 アスカの顔には憎悪とも取れる不満が表れていた。
 「目標、更に侵食!」
 「危険ね…既に5%以上が生体融合されている。」
 レイの身体を侵食する葉脈も胸までその手を伸ばしていた。
 リフトビルに警告灯が点灯し、ビル正面のシャッターが開いてEVA弐号機が姿を現した。
 「アスカ、あと300接近したら、ATフィールド最大でパレット・ガンを目標後部に撃ち込んで!」
 ミサトが作戦内容をアスカに伝えた。
 “零距離射撃が効かないのに、何言ってんだろ?”
 亜空間から見ているクミは呟いた。
 「いいわね、アスカ。弐号機、リフト・オフ!」
 しかし、EVA弐号機からの反応は無い。
 “あいつを助ければこないだの借りは返せる…でも、あいつが死ねばシンジは私のもの…。”
 嫉妬に狂ったアスカはとんでもない事を考えていた。
 「どうしたの、アスカ?出撃よ!」
 が、マヤがミサトに叫んだ。
 「だめです!シンクロ率が二桁を切っています!!」
 「アスカ!!」
 『…あいつが死ねば、シンジは私のもの…。』
 アスカの呟きにミサトは耳を疑った。
 「アスカ!?…あんた一体…。」
 「このままでは、攻撃されるだけでは…。」
 日向の言葉にミサトは即決した。
 「弐号機を回収!」
 その頃、レイを侵食する葉脈は喉元まで迫っていた。
 苦痛と快楽に責め苛まれ、レイは身体を震わせながら意識を失っていった…。

 “誰?EVAの中の私?…いえ、私以外の誰かを感じる…。”
 レイは何かを感じていた。その何かに声を掛けるレイ。
 “あなた、誰?…使徒?…私達が使徒と呼んでいるヒト?”
 目の前に居るその何か―――レイと同じ姿をしている者―――[使徒]も話し掛けてきた。
 {私と一つにならない?}
 “いいえ。私は私。あなた、じゃないわ。”
 {そう…でも、だめ。もう遅いわ。}
 [使徒]が顔を上げた。
 {私の気持ちをあなたにも分けてあげる。この気持ち、あなたにも分けてあげる。}
 レイの身体が一気に葉脈に侵食された。
 {―――痛いでしょ?ほら、心が痛いでしょ?}
 [使徒]の顔はどことなく嬉しそうだった。
 “…痛い?…いえ、違うわ…サビシイ?そう、寂しいのね…。”
 {サビシイ?わからないわ。}
 “一人がイヤなんでしょう?それを、寂しいと言うの。”
 {それは、あなたの心よ。}
 “っ!?”
 {悲しみに満ち満ちている、あなた自身の心よ…。}
 レイが指摘した、寂しいと言う感覚。が、それこそ、深層心理に隠されたレイ自身の真実だった。レイの姿をした[使徒]は、それを指摘して口元を歪ませた。
 “そう…私、寂しいのね…私は、一人…誰とも違う…人じゃないから…。”
 と、レイの脳裏にシンジの顔が浮かんだ。
 “碇くん…貴方と一緒なら…寂しくない…。”
 レイの意識が覚醒した。
 「碇くん…一つになりたい…。」

 「レイ!」
 ミサトが叫んだ。EVA零号機は体中を[使徒]に侵食され、異様な姿になりつつあった。
 「初号機の凍結を現時刻を持って解除…。直ちに出撃させろ。」
 「え?」
 何の前触れもなく発せられた命令に驚いたミサトはゲンドウに振り向いた。その表情には、あからさまな困惑が見て取れた。が、ゲンドウはあくまでも冷静な顔を崩さない。
 「…出撃だ。」
 ミサトの疑問を無視し、ゲンドウは再度命令した。
 「はい。」
 ミサトは了解したが、その声は如何にも不服そうだった。
 そのやりとりは無線でアスカの耳にも聞こえていた。
 「…何よ…私の時は…出さなかったくせに…なんであいつばっかり…。」
 レイは大事で自分は大事ではない…ゲンドウのえこ贔屓に、アスカの感情は昂ぶり、声は涙声になっていた。
 EVA初号機が地上に姿を現した。
 「ATフィールド展開。レイの救出、急いで。」
 「はい!」
 その時、EVA零号機を侵食していた[使徒]の反対側が何かに気付いたような素振りを見せた。レイははっとした。
 「碇くん!?」
 [使徒]はまっしぐらにEVA初号機を目掛けて伸びてきた。
 「くっ!」
 シンジは寸前でかわしたが、パレット・ガンが破壊されてしまった。
 「シンジくん、後退して!」
 「でも、綾波が!」
 「丸腰ではシンジくんも危ないわ。予備のパレット.ガンを出すから受け取って。」
 だが、[使徒]は執拗にEVA初号機を追いかける。それを見てレイはハッと気付いた。
 「これは…私の想い…碇くんと一緒にいたい…碇くんと一つになりたい…いえ、それはだめっ!」
 寂しい…孤独…誰か傍にいてほしい…誰かと一つになりたい…シンジと一つになりたい…。自分の想いがシンジを傷つける、そう考えたレイは意外な行動に出た。
 EVA零号機のATフィールド波形が変化した。
 「ATフィールド反転!一気に侵食されます!!」
 「使徒を押さえ込むつもり!?」
 EVA零号機の胸部装甲板が吹っ飛び、中に見える赤い光球に[使徒]は引き込まれていった。同時にその赤い光球が巨大に膨れ上がった。
 「レイ!機体を捨てて逃げてっ!!」
 ミサトはレイに脱出を命令したが。
 「だめ…私がいなくなったら、ATフィールドが消えてしまう…だから、だめ。」
 レイはミサトの命令を拒み、プラグのシートの後ろにあるレバーを引いた。
 シート後部のディスクが高速回転を始め、インジケータがMODE:Dを表示した。
 DはDESTROYを意味していた。レイはシンジを守るために[使徒]を道連れに自爆する道を選んだのだ。
 「レイ…死ぬ気?…。」
 ミサトが呆然として呟いた。
 「…碇くん…さよなら…。」
 レイは目を閉じてシンジの事を想った。
 だが、突然、ディスクの回転が止まった。
 「だめだよ、自爆なんて。」
 誰かの声がレイに聞こえた。誰の声かは、レイにはわかっていた。
 「真辺先輩?」
 突如、空間から滲み出るように何か巨大な物体が出現した。人型のEVAに似た巨人。
 いや、それはEVAそのものだった。
 「四号機!?」
 冬月が驚愕の声を上げた。
 ネルフ・アメリカ第二支部ごとディラックの海に飲み込まれて消滅した筈のEVA四号機の白銀の機体が陽光を浴びて煌めく。
 「シンジくんを守る方法は他にも有るわ。生きる事を簡単に諦めないで。」
 EVA四号機の手が白く発光し始めた。
 「…わかりました。」
 レイは頷いた。
 「それじゃ、じっとしてて。」
 EVA四号機は白く光る手をEVA零号機の赤い光球―――コアに近づけ、そのままコアの中に手を入れた。そして、コアの中から[使徒]を引っ張り出した。EVA四号機は[使徒]と接触しても、何故か侵食されなかった。
 EVA零号機から[使徒]が完全に引き出されると同時に、EVA零号機の全身を覆っていた葉脈も一瞬にして消えた。
 EVA四号機は[使徒]の反対側も捕まえると、両端を結び合わせて動けなくしてしまった。
 ようやくその時、新たなパレット.ガンを手にしたEVA初号機が駆けつけてきた。
 「綾波、大丈夫か!」
 「丁度良かったわ。シンジくん、後はお願いね。」
 EVA四号機はEVA初号機の前に[使徒]を放った。[使徒]はもぞもぞと身動ぎしかできない。
 「真辺先輩!?その声は、真辺先輩でしょう!?なぜEVAに乗っているんですか!?」
 シンジは目の前の[使徒]の間抜けな姿よりも聞えてきた声により驚愕して訊き返していた。
 「そんな事はどうでもいいのよ。四号機には武装が無いの。プログ・ナイフでケリを付けてくれる?」
 「あ、はい!」
 シンジはプログ・ナイフを[使徒]に突き立てた。[使徒]は血のような真っ赤な液体を傷口から噴出しながらのた打ち回った。が、しばらくすると血の噴出が収まり、同時に[使徒]も動かなくなった。そして、だんだん透明になっていき、ついには見えなくなって消滅した。
 「も、目標は完全に消滅…。」
 「零号機、生体部品問題ありません…。」
 予期せぬEVA四号機の出現、そしてそれに乗っているのが謎の少女クミらしいという事がレイやシンジの言葉から推測され、発令所のオペレーターたちは動揺していた。
 「碇司令。これは一体どういう事でしょうか!?」
 ミサトは不審に満ちた目で背後を振り返って質問した。
 「これは、我々も驚きの事態だよ。」
 「葛城三佐。あの真辺クミという少女を必ず捕らえろ。その者に訊けばわかる筈だ。」
 冬月、ゲンドウの二人とも姿勢は変わっていないが、その眉間には皺が寄っており、困惑している様が有り有りだった。
 「ミサトさん、どうして真辺先輩がEVAに乗ってるんですか?それに、EVA四号機は消滅したって…。」
 「作戦は本時点をもって終了とします。零号機、初号機は必ず四号機をネルフ本部まで回収の事。」
 ミサトはシンジの質問には答えず、指示を出した。
 「葛城三佐?」
 レイもミサトに疑惑の目を向けた。
 「シンジくん、レイ。訊きたい事があれば、直接本人から訊いた方がいいのよ。」
 だが、そのまま捕まるほどクミもお人よしではなかった。



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:23 Rei V



 何処かの暗闇でストーン・ヘンジのように環状に列ぶモノリス達。
 「遂に第16までの使徒を倒した。」
 「左様。これでゼーレの死海文書に記載されている使徒はあと一つ。」
 「約束の時は近い…。だが、使徒の行動と言い、EVA四号機の出現と言い、今回の事件は不可解な点が多すぎる。これは調査せねばならんな。」
 「成る程、碇に対する新たな人柱が必要という訳か。」
 「そして、真実を知る者が必要だ。」
 ネルフの中に全ての真実を知っている者等いないと言う事に、驕り昂ぶる者達が気付く筈も無かった。

 ゲンドウ、冬月に次いでより真実を知っている者はリツコしかいなかった。
 自分の研究室でパソコンのキーを叩くと、画面には在りし日のゲンドウ、母ナオコ、自分の三人が映った写真が現れた。
 高校生のリツコはまだ髪を金色に染めてはいなかった。
 仏頂面をしている自分の顔を、リツコは自嘲的な眼差しで見ていた。そして、その視線をゲンドウに移す。ゲンドウは色の付いたサングラスではなく普通の眼鏡を掛けており、どこと無く不敵な笑みを浮かべているようにも見えた…。

 EVA零号機、EVA初号機と共にネルフ本部に回収され、ケージに拘束されたEVA四号機の前に、ミサト、リツコ他保安諜報部の人間が大勢集まった。エントリー・プラグ内との回線はなぜか繋がらず、クミを捕縛する為に人海戦術を取ったのだ。
 だが、エントリー・プラグの中にはクミはおろか、誰もいなかった。さらに驚く事に、EVA四号機にはコアが入っていなかった。シンクロとは、コアとチルドレンとの間の同調である。コアが無ければシンクロもましてや起動もできるわけがないのだ。
 あの女のコの事はともかく、これは全く有り得ない事だわ。
 有り得ない?初号機だってエネルギーも無ければシンクロだってしてないのに動いたじゃない。
 リツコの言葉にミサトが反論した。
 でも、初号機にはコアがあったわ。…ミサト、エンジンが付いてない車を動かすにはどうすればいい?
 そんな事できるわけ無いじゃない。後ろから押すなんてのは無しとして。
 その通りよ。四号機は誰かが外から動かしていたとしか思えないわ。
 リツコ、あんた本気で言ってるの!?
 他に説明の仕様が無いわ。コアの無いEVAなんて、道端の石ころと同じ、ただの物に過ぎないのよ。
 “リツコがあそこまで言うのなら…やはり、碇司令しか知らない事なのね。”

 レイはシャワーを浴びながら今日の出来事を思い返していた。
 “碇くんを守る為に、私は死のうとした…でも、真辺先輩はそれをいけない事だと言った…碇くんは、どう思うのかしら?…。”
 ふと、シンジと絆を結び合った日の事を思い出す。
 “碇くんは…私が無事だと知って、泣いてくれた…そう、碇くんは私に生きていて欲しい…ヒトでもない私に…。”
 シャワーを浴び終えたレイはバスタオルで髪の毛の水分を取りながらベッドに向かった。
 と、小物入れの上の眼鏡が外の光を反射しているのが目に入った。それを手に取ったレイはまた、思い出した。
 あの日は、それをシンジが持っていて、取り返そうとしているうちに押し倒された。シンジはレイの胸に手を付いてしまった。
 それを思い出したレイはなぜか胸がドキドキし始めた。
 “何?…この胸の高まりは何?…碇くんに胸を触られたから?”
 レイは自分の手で胸を触ってみた。
 “…くふぅ…。”
 敏感な部分が反応したのか、レイは熱い吐息を漏らした。
 “………これは…あの時の感じ………これが…一つになるという事………。”
 レイは眼鏡を放り捨てると、熱い吐息のまま、ふらふらと歩いてベッドに倒れこんだ。
 “魂の容れ物…そう思っていたのに…あの人は、教えてくれなかった………。”
 レイの両目に涙が浮かんできた。そして、それが枕に落ちた。
 “涙…私、泣いてる…どうして?…寂しいから?…一人だから?”
 レイはまだ、恋という言葉を知らなかった。


 暗闇の中、スポット・ライトを当てられて姿を見せたリツコは何故か全裸だった。
 「我々も事は穏便に進めたい。君にこれ以上の陵辱…辛い思いをさせたくないのだよ。」
 「私は何の屈辱も感じていませんが?」
 リツコの周りをモノリスが取り囲み、リツコの正面の「01」のモノリスがリツコに語り掛けたが、リツコは全く動じていなかった。
 ゼーレがリツコをこのような姿にしたのは、何も武器を所持していない事を確認する為、というのが表向きの理由。が、実際は、ゲンドウの頭脳とも言うべきリツコを動揺させ、査問を有利に進めようと言う狙いがあった。
 「気の強い女性だ。碇が傍に置きたがるのもわかる。」
 「だが、君を差し出したのは他でもない…碇君だよ?」
 その言葉に、リツコの眉が少し動いた。
 「EVA零号機パイロットの尋問を拒否。代理人として君をよこしたのだよ、赤木博士。」
 それも嘘であった。リツコを指名してきたのはゼーレの方だった。それをゲンドウが仕向けた事にして、リツコの心にさらなる動揺を与えようとしたのだ。
 “レイの代わり…私が…。”
 リツコはゲンドウの本心に気付いた。自分を利用しているだけなのだと…。
 それでも、リツコは冷静な態度を崩す事はなかった。

 『君が欲しがっていた真実の一部だ…他に36の手段を講じて送っているが、恐らく届かないだろう…確実なのはこのカプセルだけだ。…こいつは俺の全てだ。君の好きにしてくれ…。パスワードは俺達の最初の思い出だ。じゃ…元気でな。』
 留守番電話に残された加持からのメッセージ。それを聞きながら、ミサトはホテルで受け取ったカプセルの中身―――マイクロ・チップを摘み、電気スタンドの光にかざしていた。
 「鳴らない電話を気にして苛つくのはもう止めるわ。」
 そして、何事かを決意し、机の上に視線を走らせた。机上にあるのは拳銃とIDカード。
 「貴方の心、受け取ったもの。」

 リツコはゼーレからネルフ本部に戻された。エスカレーターで降りていくリツコの表情は、どこか思いつめたように険しく固かった。
 その頃、暗闇の中でゼーレのモノリスが会議を再開していた。
 「良いのか?赤木博士の処置…。」
 「冬月とは違う。彼女は帰した方が得策だ。」
 「EVAシリーズの功労者。今少し役に立って貰うか。」
 「左様。我々、人類の未来の為に。」
 「EVAシリーズは既に8体まで用意されつつある。」
 「残るは後、1体か。」
 「完成を急がせろ。約束の時は、その日となる。」

 夕方。部屋にいたシンジに電話があった。
 「はい、もしもし?」
 『そのまま聞いて…。貴方のガードを解いたわ。すぐに本部に来て頂戴。』
 「…リツコさん?」

 ネルフ本部の大深度地下施設ターミナル・ドグマに断続的な電子音が鳴り響いていた。
 電子音が鳴る扉の上には『KEEP OUT』と『立入禁止区域』の文字が赤く光っていた。
 音が変わった事でロックが解除された事を確認し、ゲートを開ける為に隣のスリットにカードを通す。が、エラー音が鳴ってセントラル・ドグマへの扉は開かれなかった。
 「ん?」
 変だとリツコが思ったその時、背中に銃が押しつけられた。
 「無駄よ。私のパスが無いとね。」
 そのミサトの声で、誰が仕掛けを変えたのかをリツコは知った。
 「加持君の仕業ね…。」
 いつになく真剣な表情でミサトはリツコの背中に突き付けた銃のセーフティ・ロックを外した。
 「ここの秘密、この目で見せて貰うわよ。」
 「いいわ。…但し、このコも一緒にね。」
 まるでリツコは動ぜず横に視線を移し、ミサトも油断なく横に視線を移すと、ミサトの行為に驚いて目を見開いているシンジがいた。
 「いいわ。」
 ゲートが開き、その先のリニア・エレベーターで3人はセントラル・ドグマを下りて行った。

 人工進化研究室第3号分室。それは、ゼーレの調査組織であったゲヒルンがカモフラージュ用に作った施設だった。
 その内部はまるで病院そのものだった。そして、もう何年も人が出入りしていないらしく、多くの設備にはシート・カバーが掛けられていた。
 その、とある一室。コンクリートむき出しの壁、ワゴンの上に乱雑に放置されたビーカーや薬品類。シンジはぽつりと呟いた。
 「…まるで綾波の部屋だ…。」
 リツコがそれに応える。
 「綾波レイの部屋よ。彼女が生まれ育った所。」
 「ここが?」
 「そう、生まれた所よ。レイの深層心理を構成する光と水は、ここのイメージが強く残っているのね。」
 リツコが淡々と説明するが、ミサトはその説明に割り込む。
 「赤木博士。私はこれを見に来た訳じゃないのよ。」
 「わかってるわ、ミサト。」
 リツコは二人をさらなる奥へと誘った。
 広大な空間に横たわる、無数の巨人の骨格。一見、EVA零号機の素体とも見えるが、センサー・アイが5つある異なったタイプだった。
 「EVA?」
 ミサトが質問とも独り言ともつかない声を上げた。
 「最初のね。失敗作よ。10年前に破棄されたわ。」
 「……EVAの墓場……。」
 ミサトのその呟きにシンジは息を飲んだ。
 「ただのゴミ捨て場よ。貴方のお母さんが消えた場所でもあるわ。覚えていないかも知れないけど。貴方も見ていた筈よ。お母さんが消える瞬間を…。」
 リツコは口元をほんの僅かに綻ばせながら、冷たく言葉を繋いでいく。
 リツコの言葉を聞いてシンジの心に恐怖のような不安のような、言い様の無い暗い思いが忍び寄った。
 「リツコ!」
 ミサトは銃をリツコに向けて嗜めた。
 最後にリツコは二人をダミー・プラグのプラントに連れて来た。
 そこは、いつかレイがLCLに満たされた中央のパイプの中に佇んでいた所だった。
 「これが…ダミー・プラグの元だと言うの?」
 「真実を見せてあげるわ。」
 リツコはそう言うとスイッチを入れた。
 周囲のシャッターが上がっていき、その向こうからオレンジの光が洩れてきた。
 オレンジ色の水―――LCLで満たされた水槽の中に、たくさんのシルエットが浮かんでいた。それは、明らかに人間の形をしていた。しかも、その顔はシンジもよく知ってる者だった。
 「綾波…レイ?」
 シンジはその人影が何であるかを確認し、呆然として声を漏らした。
 と、その声が届いたかのように、無数の綾波の姿をした者達が一斉にシンジを見た。
 「っ!」
 シンジはゾッとして身体を竦めた。
 「まさか、EVAのダミー・プラグは…。」
 「そう。参号機を破壊したダミー・システムのコアとなる部分がこの無数の物体。」
 「これが!?」
 「ここにあるのはダミー。そしてレイの為のただのパーツに過ぎないわ。」
 リツコは真実を語り始めた。
 「人は神様を拾ったので、喜んで手に入れようとした。だから、バチが当たった。それが15年前…。せっかく拾った神様も消えてしまったわ。でも、今度は神様を自分達で復活させようとしたの。それがアダム…。そして、アダムから神様に似せて人間を造った。それがEVA。」
 「人!?人間なんですか?」
 シンジは震える声でリツコに問う。
 「そう、人間なのよ。本来魂の無いEVAには、人の魂が宿らせてあるの…。みんな、サルベージされたものなの…。魂の入った容れ物はレイ、一人だけなの。あのコにしか、魂は生まれなかった。ガフの部屋は空っぽになっていたのよ。」
 リツコは誰に語る訳でもなく、淡々と話し続けていた。
 「ここに並ぶレイと同じ物には魂が無い。ただの容れ物なの。」
 そして、最後に付け加えるように言う。
 「だから壊すの。憎いから。」
 リツコはまたスイッチを押した。
 水槽に気泡が立ち上り、レイの姿をした物体が分解されていく。
 バラバラになっていく物体はもはや人間の形をしていない。
 ミサトは呆然とその光景を見ていた。
 「う…うああっ!」
 シンジが悲鳴を上げた。
 「シンジくん!?」
 ミサトはその悲鳴にはっとしてシンジに振り向いた。シンジは凄惨な光景に頭を抱えて蹲っていた。
 ミサトはリツコがシンジを連れて来た目的にやっと気付いた。
 自分からゲンドウを奪ったレイへの復讐、そして自分を裏切ったゲンドウの身代わりのシンジへの復讐…。
 「あんた、何やってんのかわかってんの!?」
 自嘲の笑みを浮かべるリツコを睨みつけて銃を向けるミサト。
 「ええ…破壊よ…人じゃないもの…人の形をした物なのよ…でも、そんな物に私は負けた!勝てなかったのよ!!」
 リツコは肩を震わせて感情を迸らせた。
 「あの人の事を思えばどんな屈辱も耐えられた…でも、あの人は…あの人は…。」
 リツコの涙声の告白を聞いてシンジは顔を上げ、ミサトは銃を下ろした。
 「バカなのよ、私は!母娘揃って大バカ者だわ!」
 リツコは泣き崩れた。
 「私を殺したいなら、そうして…いえ、そうしてくれると嬉しい…。」
 「それこそバカよ、貴女は。」
 ミサトにはそうとしか言えなかった。ミサトの言葉にリツコはとうとう号泣し始めた。
 その背中をミサトは複雑な思いで見つめていた。
 “EVAに取り付かれた人の悲劇………。”
 悲しみと同情と決意がミサトの心の中で交錯する。ふと気が付いたミサトは付け加えるように呟く。
 「私も同じか………。」
 リツコの嗚咽が響く中、シンジは声も無くリツコの背中を見つめていた………。

 その頃、ゲンドウと冬月の前にクミがいた。今日は派手なサフラン・イエローのシャツと黒のミニ・キュロットという情熱的なスタイル。
 「自分からやって来るとは意外だったな。」
 「シナリオにない事ですか?」
 冬月とゲンドウがよく使う言葉を使ってまずはクミの先制攻撃。
 「どこまで知っている?」
 「今日までに起きた出来事、そして出会った人達の想い…。」
 「!?」
 ゲンドウと冬月はクミの言葉の意味の重大さにまだ気付かない。
 「例えば、セカンド・インパクトの真相、ADAMとEVAの関係、シンクロ率…。」
 「何っ!?」
 冬月は愕然とした。一体どうやってそんな極秘情報を入手できたのか…。
 「それから、貴方がゼーレに従う気は無い事、貴方がレイちゃんやEVA初号機に拘る理由、シンジくんを遠ざける理由…。」
 「バ、バカな!?」
 ゲンドウは信じられなかった。それは、ゲンドウの心の中にある事だったからだ。
 クミはゲンドウを見据えて言った。
 「ユイさんを想う事ができるなら、シンジくんにも優しく出来る筈よ。」
 ゲンドウの目が驚愕に見開かれた。
 「おまえは…人の心を覗けるのか?」
 「まあね。シンジくん達を戦わせない為にダミー・プラグを作ったのなら、そう言えばいいのに。わかって貰えないと思い込んで逃げてばかりいるから泥沼に落ち込むんじゃない。」
 「君は一体何者だ!?使徒なのか!?」
 またも心を覗かれたゲンドウは敵意剥き出しにして立ち上がって訊いた。
 「失礼ね。私は人間よ。ただ、貴方達ともレイちゃんともちょっと違うけどね。まあ、しいて言えば‘ただの通りすがり’かな?」
 「も、目的は何だ!?」
 「世界制服…じゃなかった、世界平和…とでも言っておくか。」
 ゲンドウの問いにそう答えると、クミは踵を返してドアの方へ進み出した。
 「どこへ行く!?」
 ゲンドウと冬月は訊かずにはいられなかった。
 「ゼーレに会いに行くわ。」
 「それは許さんぞ!」
 ゲンドウは銃を取り出していきなりクミを撃った。だが、その銃弾はクミの背後に広がった光の壁に当たり、溶けて消滅した。
 「ATフィールド!?」
 思わず冬月はそう口にしたが。
 「いや、違う…。」
 その光はオレンジ色では無く金色であり、形も八角形ではなくクミの周囲をドーム状に覆っていた。
 クミはドアの前で振向いて言った。
 「安心して。貴方達の本心は話さないから。」
 ゲンドウが慌てて銃を撃った理由は、それこそクミが言ったとおり、二人の本心をクミがゼーレに言うかもしれないと思ったからだった。

 「もはや潮時であろう、あの男は。」
 「我々ゼーレのシナリオどおりに動いているかどうか怪しいものだ。」
 「しかもエヴァンゲリオンが五機。戦力も集中している。」
 「この上は我々の手で予定を早める他はあるまい。」
 「そろそろ、正鵠を射る我々の切り札に目覚めて貰わねば。」
 ネルフ・ドイツ支部ハンブルグ。その地下施設にもネルフ本部に有る物とそっくり同じダミー・プラントがあった。
 その中央のLCLに満たされたパイプの中で目を閉じて刻を待っているのは、レイと同じ紅い瞳の少年だった。
 「気分はどうだね?タブリス。」



超人機エヴァンゲリオン

第23話「涙」―――障壁

完
あとがき