10年前。アスカが4歳の時、アスカの母は死んだ。 ドイツのとある墓地でアスカの母の葬儀が行われていた。 アスカは喪服姿で立っていた。だが、涙は無かった。 「仮定が現実の話になった。因果な物だな…提唱した本人が実験台とは。」 「では、あの接触実験が直接原因という訳か。」 「精神崩壊…それが接触の結果か。」 「しかし残酷なものだ。あんな小さな子を残して自殺とは…。」 「いや、それだけが原因ではないかも知れん。」 小声で会話する参列者達を見つめるアスカの脳裏には、病室の光景が浮かんでいた。 「アスカちゃん。ママね、今日、あなたの大好物を作ったのよ。」 真っ白な病室のベッドでアスカに良く似た女性が身を起こし、胸に抱いている人形に向かって優しく話し掛けていた。 「ほら、好き嫌いしているとあそこのお姉ちゃんに笑われますよ?」 隔離病棟に入れられた女性はガラスの向こう側にいる少女に向かって微笑み、その少女であるアスカは唇を噛んでガラス越しの母を見ていた。 「毎日、あの調子ですわ…人形を娘さんだと思って話し掛けています。」 「彼女なりに責任を感じているのでしょう。毎日研究ばかりで娘を構ってやれませんでしたから。」 「娘さんも辛いでしょうね。」 「しかし、あれではまるで人形の親子だ。いや、人間と人形の差など紙一重なのかも知れません。」 「人形は人間が自分の姿を模して作った物ですから。もし、神がいたとしたら…我々はその人形にすぎないのかも知れません。」 「近代医学の担い手と思えないお言葉ですね。」 「私も…医師の前にただの人間。一人の女ですわ。」 母の担当医とその同僚の男性医師の会話も、アスカの耳には入っていなかった。 地中に棺が収められ、その上に『SORYU KYOKO ZEPPELIN 1974−2005』と書かれた黒い墓標が立てられた。 「偉いのね、アスカちゃん…いいのよ、我慢しなくても…。」 「いいの…。私は泣かない。私は自分で考えるの。」 ハンカチを顔にあてる涙声の中年女性に、アスカは気丈な態度で答えた。 だが、それは精一杯のやせ我慢だった事は、アスカの拳がギュッと握られ、僅かに震えている事からすぐにわかった。 10年後、放課後恒例のハーモニクス・テスト中。 『聞こえる、アスカ?シンクロ率が8も低下よ。いつも通り、余計な事は考えないで。』 「やってるわよ!」 エントリー・プラグ内で少し眉間に皺を寄せていたアスカは、リツコの指示に苛立って大声で口答えした。 「最近のアスカのシンクロ率、下がる一方ですね。」 「困ったわね、この余裕のない時期に…。やはり、レイの零号機を優先させましょう。今は同時に修理ができるだけのゆとりは無いわ。」 マヤは心配そうに言ったが、リツコは冷たく呟いた。 『弐号機左腕の数値目標をクリア。』 『ネクロシスは現在0.00%未満。』 『アポトーシス作業は問題ありません。』 EVA弐号機ケージにはLCLが一杯に張られ、ダイバー服を着た作業員達が弐号機に頭部装甲板を取付作業中。 『零号機の形態形成システムは現状を維持。』 『各レセプタを第2シグナルへ接続して下さい。』 EVA零号機は先の戦闘で受けた損傷が全て修復され、ケージからゆっくりとLCLが抜かれてゆく。 “あのアダムより生まれしもの、EVA・シリーズ…セカンド・インパクトを引き起こした原因たるものまで流用しなければ、私達は使徒に勝てない。逆に生きる為には、自分達を滅ぼそうとした物をも利用する…それが、人間なのね…。” アンビリカル・ブリッジに立ち、拘束されているEVA初号機を見据えるミサト。 「父の仇…。」 「葛城さん。」 つい、心の中で呟いていた言葉が口から出てしまった瞬間、ミサトに日向が声を掛けた。 ジオフロント内にある小さな公園。森の向こうにはネルフ本部の修復作業が見える。 「EVA拾参号機までの建造開始!?世界七ヶ所で?」 ベンチに座るミサトはその情報に驚く。 「上海経由の情報です。ソースに信頼は置けます。」 ベンチの背後に立っている日向は自信を持って答えた。 「何故、この時期に量産を急ぐの?」 「EVAを過去に1機を失い、先の戦いでは2機が大破ですから…第2次整備に向けて、予備兵力を急いでいるのでは?」 「そうかしら?ここにしてもドイツで建造中の伍、六号機のパーツを回して貰っているのよ?最近、随分と金が動いているわね。」 「ここにきて予算倍増ですからね。それだけ上も切羽詰まっているという事じゃないでしょうか?」 「委員会の焦りらしき物が見えるわね。」 「では、今までの様に単独ではなく、使徒の複数同時展開を設定したものでしょうか?」 「でも、非公式に行う必要がないわ…。何か別の目的があるのよ。」 さらに増える謎に、ミサトの目は何かを睨みつけるような厳しい目をしていた。 「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、ぷはぁ〜。クーッ、やっぱ人生、この時の為に生きてるようなもんよね。」 相変わらずのミサト。 「そう。じゃあ、これからはミサトのご飯はビールだけにしようか?」 今日のカレーを作ったアスカがミサトを睨んで言った。 「アスカったら〜、もう勘弁してよ。あれは一瞬の気の迷いだったのよ。」 先日、ミサトがシンジを襲って以来、アスカとミサトの冷戦が続いている。ミサトは額に大粒の汗を浮かべて愛想笑い。 「じゃあ、その原因は一体何なのよ!?」 あの後の夕食時にミサトは二人に平謝りしたが、原因については口を噤んでいたのだ。 「それは言わないで…訊かないで頂戴…。」 ミサトはしんみりとした口調で頭を下げる。 「シンジはどうなの!?何かミサトに言う事は無いの!?」 「…今度同じ事をしたら、僕はこの家を出て行きますから。」 「…それだけ?」 アスカはシンジの冷静な言葉に不思議そうな表情を浮かべる。 「アスカも一緒に来て欲しいな。」 何と大胆にも同棲しようとの発言。 「シンジ!それ、本当!?」 途端にアスカの表情は嬉しさで一杯になった。が、ミサトは大慌て。 「だっ、だめよっ!!あんた達はまだ中学生なのよっ!!」 しかし、今だって、ミサトの家で暮らしているのだ。ミサトが仕事で遅い時だって何度もあったのに、何を今更慌てるのか。 「ミサトさん、僕達の事、信用してないんだ…。」 「私をこの家に連れてきたのは誰だったっけ?」 「う…うわーん、ペンペーン!二人が私の事虐めるうぅ〜。」 ミサトは二人の冷たい視線に耐え切れなくて、ペンペンに縋った。 と、その時電話が鳴った。 「あ、僕が出るよ。」 一番近いシンジが応対に出たが、すぐにアスカに振り向いた。 「ドイツからアスカに国際電話だって。」 「あら、ありがとう。」 アスカはすぐに電話に出た。そしてすぐに流暢なドイツ語で話し始めた。 “そうだ、アスカはドイツに居たんだから、ドイツ語喋れて当然だよな。” アスカを羨望の眼差しで見るシンジ。 アスカの電話はそれから10分近く続いた。 「長い電話だったね。」 「うん。こっちに来てから初めてだから、話す事はいっぱい有ったから。」 「誰と話してたの?」 「ママだけど?」 「いいな、家族との会話か。」 「そっか、シンジはお父さんとはあまり話せなかったのよね。」 シンジが羨む理由がアスカにもすぐにわかった。 「でも、正直に言うと、本当のママじゃないの。」 「えっ?」 「私の本当の名前は惣流・アスカ・ツェッペリン。でもママは私が四つの時に死んじゃったの。ラングレーというのは私を引き取って育ててくれた家。」 “そう言えば、ユニゾン特訓の時に寝言でそんな事言ってたな…。” シンジがそう気付いた後、さらに新たな疑問が浮かんだ。 「あれ?お父さんは?」 「私が生まれた時からいなかった。私のママは、冷凍保存されていた精子をお金で買って、私を身籠ったの。」 「そうだったんだ…何か、悪い事訊いちゃったかな?」 「ううん、気にしないで。いつかはシンジに話さなきゃいけない事だったし。あ、そうだ。さっき、シンジの事も話しといたから。将来のお婿さんだって。」 「ええっ!」 「何驚いてるのよ?私とじゃ嫌なの?」 「ち、違うよ!随分気が早い話だなって…。」 さっきは同棲宣言したシンジだが、アスカのほうが一歩も二歩も進んでいた。 ミサトはそんな二人を心底羨ましい想いで見ていた。真実をミサトはまだ知らない。 そしてまた数日後のハーモニクス・テスト。 アスカの調子はさらに悪くなっていた。 「シンクロ.グラフ、マイナス12.8…起動指数ギリギリです…。」 マヤの言葉も力が無い。ここまでアスカの調子が悪くなるとは思ってもいなかった。 「アスカ、今日、調子悪いのよ。二日目だし。」 ミサトはアスカを庇った。アスカは昨日から生理が始まっていたのだ。 「シンクロ率は表層的な身体の不調に左右されないわ。問題はもっと深層意識に有る筈よ。」 ミサトの言葉を否定するリツコ。 “EVA弐号機のコア、変更も已む無しかしら…。” リツコはモニターを見ながら心の中で呟いた。 「アスカのプライド、ズタズタね…。」 「まあ、あんな負け方したんだもの、無理も無いわよ。」 ミサトは先の[使徒]との戦いで敗北した為と思っていたが。 「そうじゃないわ。私が言ってるのはシンジくんに対してって事。」 リツコはEVAのパイロットとしての優秀さでシンジに差を拡げられた事ではないかと分析していた。 「それは無いわね。」 「どうして?」 「だって、あの二人ラブラブだもの。昨日も見せ付けてくれちゃってさ。」 シンジとアスカが何をミサトに見せ付けたのかはここでは言うまい。 「ちょっと、大丈夫なの?あのコ達の間に間違いでもあったら、ただじゃ済まないわよ?」 シンジもアスカももう14歳なのだ。性の知識はそれなりに持っている筈だ。 「そうね…シンジくんは奥手だけど、アスカの方からアプローチするかもしれないし…まだまだ子供だと思ってたんだけどね…もう限界かしらね、三人で暮らすのも…。」 「臨界点突破?楽しかった家族ごっこもここまで?」 ミサトを元気付けようとリツコが茶化す。が。 「猫で寂しさ紛らわせてた人に言われたかないわね、そんなセリフ。」 意外にもミサトはリツコの言葉に噛み付いてきた。 「…ゴメン…今、余裕無いのよ、私…。」 言われた自分が返した言葉も辛辣だったと気づいて、ミサトはすぐに謝った。 「…いえ…私こそ…。」 既に加持の事もリツコは知っている。それ故にミサトに余裕が無い事もわかっていたのだが。 女子トイレの洗面所。アスカは個室から出てきたものの、まだ下腹部に痛みが残っていて、鏡の前で腰を折り曲げていた。 「女だからって…なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ…。」 鏡に映る自分に向かって愚痴を溢すアスカ。 エレベーターが開いた途端、アスカの表情は険しくなった。中にレイがいたのだ。 上に行くエレベーターの中、二人は口を開こうともしない。 シンジがまだ、EVA初号機の中に取り込まれていた頃、シンジが入院中だとしか聞かされていなかったアスカとレイはすぐにお見舞いに駆けつけ、病室前で鉢合わせした。 だが、面会謝絶という事で二人は追い払われ、今のようにエレベーターで二人きりになったのだ。 シンジ…もう、会えないなんて事、ないよね…。 碇くんは、きっと戻って来る。 アスカがポツリと呟くと、レイは自信有り気に言った。その言い方がアスカは気に入らなかった。 ところであんた、何しに来たの? 碇くんのお見舞いよ。 はんっ、ちゃんちゃら可笑しいわね、人形みたいなあんたが人間様の、それもあたしのシンジのお見舞いとはね。 私は人形じゃないわ。 どこが!?あんた、人から言われた事ばかりやってるじゃない!自分の意志が無くて何が人間よ!! EVAのパイロットなら、命令に従うのは当然だわ。 あっそう。じゃあ、碇司令が死ねって言ったら死ぬのね!? 碇くんを守る為だったらそうするわ。碇くんを守る為に、私はEVAに乗ってるようなものだもの。 シンジと会えなくなってから、レイははっきりと自覚していたのだ。自分が何の為に、誰の為に生きるのかを。 それが、碇くんと結んだ絆。私が生きる理由。 残念だったわねー。私はシンジと一緒に暮らしてる。シンジにお弁当も作って貰ってる。あんたの入り込む隙間なんてどこにも無いわよっ! 何を威張ってるの?碇くんにお弁当作らせてるなんて、迷惑を掛けてるだけだわ。 ふん!要はどっちをシンジが選ぶかよ!あんたより私の方が胸が大きいんだから、どっちが魅力的かは一目瞭然よ! そして、葛城三佐のような女になるのね。 ったく、あー言えばこー言う女ね。いい、あんたは知らないだろうけど、シンジは私を選ばなきゃいけない理由があるの! どんな? どんなって…は…裸よ。 裸がどうしたの? 見られたのよ、シンジに!だから、シンジは責任を取って私を選ばなきゃいけないのよ! 全く強引な理由であるが、決定打にはならなかった。 それなら、私も碇くんに裸を見られた事あるわ。 何ですって!? おまけに胸も触られたわ。 い、い、いい加減な事言ってんじゃないわよっ!! あの奥手のシンジがレイの胸を触ったという衝撃的な話に、アスカは思わずうろたえた。 本当よ。碇くんに訊いてみればいいわ。それに、真辺先輩も見てたもの。 う、う、嘘おおぉぉーっ!! 尊敬しているクミを疑える筈も無く、アスカはぐうの音も出なかった。 …冷静に考えれば、レイにぐうの音も出させない事がアスカには三つもあった。 レイより先に大人になっている事。 シンジと既にキスしている事。 シンジからスキだと告白された事。 しかし、アスカは怖くてシンジには訊けなかった。では、クミに訊こうとしたのだが、会えなかった。その動揺が今日のテストにも影響を及ぼしていたのだ。 「心を開かなければEVAは動かないわ。」 突然、レイが口を開いた。 「心が有るってーの、EVAに!?」 「そうよ。貴女もわかってる筈よ。」 「ふん、訳のわからない事を。」 「何故、わかろうとしないの?」 「うるさい!」 「このままでは碇くんの負担が増えるばかりよ。」 「うるさいって言ってるでしょ!」 ちょうどその時、エレベーターがある階で停止した。それ以上レイと一緒に居るのが嫌で、アスカは降りた。 翌日、EVA弐号機の修理は終わった。 早速、午後からシンクロ.テストが行われる事になり、シンジ、レイ、アスカの三人は早退してネルフ本部にやってきた。 『EVA弐号機、シグナル問題無し。』 『VA接合、融合は正常。増殖範囲は予定通りです。』 テスト開始までに少し時間が有る為、プラグ・スーツに着替えたアスカは弐号機ケージのアンビリカル・ブリッジにやって来て、EVA弐号機と向かい合っていた。 「やっと戻ったわね。あんな負け方したくせに…。」 少々不機嫌な顔でアスカは腰に手を当てて立っていた。 「何で兵器に心なんて要るのよ。ジャマなだけなのに。」 アスカはEVA弐号機に話し掛けているが、返事が返って来る訳でもない。 「とにかく、あんたは私の命令に逆らわなきゃいいのよ。」 そこまで言ってアスカははたと気付いてきょとんとした顔になる。 “私ったら、何言ってんだろ?” と、そこでいきなり警報が鳴り響いた。 『総員、第一種戦闘配置。対空迎撃戦用意。』 アスカはスピーカーの方を振り返った。 「使徒!?まだ来るの!?」 EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION EPISODE:22 Don’t Be. 青葉が主モニターの映像を切り換えると、衛星軌道上に浮遊する[使徒]の姿が映った。光り輝く6枚の翼がある事しかわからない。 「衛星軌道から動きませんね。」 「ここからは一定距離を保っています。」 日向と青葉の報告が続く。 「…って事は、降下接近を伺っているのか、その必要もなくここを破壊できるのか…。」 ミサトは腕撫してモニターに映る[使徒]を睨みながら唸る。 「こりゃ、迂闊に動けませんね。」 「どのみち、目標がこちらの射程距離に近づいてくれなければ、どうにもならないわ。EVAには衛星軌道の敵を迎撃できないもの。」 「レイとアスカは?」 「零号機、弐号機ともに発進準備完了。いけます。」 「了解。」 ミサトはマヤの報告から作戦を決定した。 「零号機はポジトロン・ライフルで[使徒]を狙撃。弐号機はバック・アップ。」 そのミサトの言葉を聞いたアスカは憤慨した。 「バックアップ!?この私が!?ファーストの!?」 「アスカ、命令よ。」 アスカの不服そうな声を聞いてミサトが釘を刺したが。 「冗談じゃないわよ!弐号機、発進します!!」 アスカは勝手に発進してしまった。 「アスカ!」 アスカの命令無視・独断専行にリツコが驚く。 「いいわ、先行してやらせましょう。」 「葛城三佐!?」 ミサトがアスカの独断専行を黙認した事に日向も驚く。だが、ミサトは主モニターを厳しい表情で睨んだままだった。 リツコはミサトの意図にすぐ気付いた。 「これでだめならここまで、と言う事ね。」 リツコはマヤに近寄って小声で話す。 「弐号機のコアの変換、考えとくわよ。」 「あの、初号機は出さないんですか?」 「凍結なのよ。碇司令の絶対命令でね。」 ミサトは日向の問いにそう答えて背後の二人を振り返った。ゲンドウはいつものポーズ、冬月もいつもの姿勢だった。 EVA初号機はケージに固定されていた。その拘束具の繋ぎ目には、監査部の黄色い封印テープが張られていた。だが、実際は先の戦いの二の舞を恐れた人類補完委員会の指示によって取られた処置であり、1つでも破れればEVA初号機が起動した証拠となる。別に違約金を払う必要は無いが。 「…。」 それでも万が一の時を考え、シンジはシンクロ作業一歩手前のEVA初号機のエントリー・プラグに待機していた。 地上では激しい雨が降っていた。その中、EVA弐号機は静かに立っていた。 と、その足元の武器発射口の警告音が鳴り始めた。やがて、シャッターが開くと下から長い銃が出てきた。ポジトロン・ライフルを改造し、質量センサーで目標を確認する望遠スコープを装備したポジトロン・ライフル改である。カートリッジによる連続発射が可能になっている。 EVA弐号機がそれを掴み、空へ向けて構えた。 「これを失敗したら多分EVAを降ろされる…この街にもいられない…シンジとも会えなくなる…ミスは許されないわよ、アスカ。」 アスカは、悲壮な覚悟を決め、険しい表情で自分に言い聞かせた。 ヘッド・レスト後方から狙撃用のヘッド・ギアが伸びてきてアスカはそれを被った。そのモニターには眩く光り輝く使徒の姿が映っており、照準の丸と三角のマークが忙しなく使徒の周囲をグルグルと回っている。 『目標、未だ射程距離外です。』 「もう、さっさとこっちに来なさいよ!じれったいわねぇ!」 アスカがいらつく声を漏らしたその時、ようやく照準のマークが2つ揃った。 「っ!?」 同時に、中心で輝いていた使徒の点がモニター一杯に広がり、強烈な光がアスカの目を射た。 [使徒]から放たれた光がEVA弐号機を包んでいた。 発令所にけたたましい警報が鳴り響く。 「敵の視光性兵器なのっ!?」 「いえ!熱エネルギー反応なし!」 ミサトの確認の声に対する青葉の報告は問題なかったが、マヤの報告は…。 「心理グラフが乱れています!精神汚染が始まります!」 アスカの脳波グラフは激しく波打っていた。 「使徒の心理攻撃!?まさか、使徒に人の心が理解できるの!?」 モニターを見たままリツコは驚愕した。 「こんちくしょおぉ〜〜〜っ!」 EVA弐号機はヨロヨロと後ずさりながらも、続けざまにポジトロン・ライフル改を2射。だが、天空に放たれた2発の光弾は[使徒]に迫ったものの、地球の自転に引かれて地上へ落ちていった。 「陽電子消滅!」 「ダメです!射程距離外です!」 日向と青葉の報告に、ミサトは腕撫して主モニターを見つめ、打開策を見つけようとしていた。 “EVAを空輸、空中から狙撃するか?…いえ、ダメね。接近中に撃たれたらお終いだわ…。” 「あっ!ああっ!ああぁーっ!!」 両手で顔を覆い、肩を振るわせ、苦痛に耐えるアスカ。 その苦痛から何とか逃れようと、アスカはとにかくポジトロン・ライフル改を撃ち続けた。 だが、照準が合っていないその砲撃は、第三新東京市と箱根の山々に爆発を引き起こしただけだった。 「EVA弐号機、ライフル残弾ゼロ!」 絶望的状況を青葉が報告。 「光線の分析は!?」 「可視波長のエネルギー波です!ATフィールドに近い物ですが、詳細は不明です!」 「アスカは!?」 「危険です!精神汚染Yに突入しました!!」 「いやああぁぁっ!!私の、私の中に入って来ないでっ!!」 アスカは頭を抱え、エントリー・プラグのシートの上で蹲った。同じくEVA弐号機も頭を抱え、体をブルブルと震わせて腰が落ちていく。 さらに光の輝きが増し、アスカの脳に衝撃が走った。。 「痛い!」 蹲りかけていたEVA弐号機は逆に仰け反った。 「ああっ!!」 腕を不自然に交差させ、再び蹲ろうとするEVA弐号機。 「痛いっ!」 再びEVA弐号機は機体を震わせながら仰け反っていく。 「嫌っ!」 また頭部を抱えながら上半身を前に戻し、地面にへたり込むEVA弐号機。 「嫌あぁ〜〜〜っ!!」 ついにEVA弐号機は頭部を抱えたまま蹲ってしまった。 「嫌ああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」 蹲ったまま頭部を抱えながら左右に振って悶え苦しむEVA弐号機。 「私の心まで覗かないでぇ!!」 だが、[使徒]の光線は途切れる事はなかった。 『お願いだから、これ以上心を犯さないでっ!!』 悲痛なまでのアスカの絶叫が発令所に響き渡った。 「アスカっ!!」 アスカの大ピンチにミサトも叫ばずにはいられなかった。 「心理グラフ限界っ!!」 アスカの脳波はもはや波形等という物ではなくなり、全てのグラフ線が目茶苦茶に絡まっていた。それを見て、マヤも悲鳴のように叫んで報告した。 「精神回路がズタズタにされている。これ以上の加負荷は危険すぎるわ!」 リツコは、アスカが限界に来ていると判断し、ミサトの方を振り向いて言った。 「アスカ、戻って!」 「いやよ!」 「命令よ、アスカ!撤退しなさい!」 「いや!!絶対にいや!!今戻るなら、ここで死んだ方がマシだわっ!!」 『加速器、同調スタート。』 『電圧上昇中、過圧域へ。』 EVA零号機は地面を踏みしめ、ビルの屋上で砲身を固定したポジトロン・スナイパー・ライフル改を構えた。 この武器は、五番目の[使徒]を倒した時に使用した戦略自衛隊技術研究室で創られた物の改造強化型である。挑発したまま返却せず、ネルフで改造したのだ。だが、勿論、前回と同様に連射は利かないし、第二射を撃つ為には日本中から電力を集めねばならない。一撃でしとめねばならないのだ。 『強制集束機、作動。』 『地球自転、及び重力誤差、修正0.03。』 『薬室内、圧力最大。』 ヘッド・レスト後方から狙撃用のヘッド・ギアが伸びてきてレイの頭に被さった。 『最終安全装置解除!全て発射位置!!』 「くっ!」 一撃必殺。精神集中したレイは歯を食いしばり、引き金を引いた。 轟音と共に閃光が放たれた。一気に雲海を突き抜け、衛星軌道上に伸びるビーム。 だが、[使徒]はATフィールドを展開し、そのビームを拡散させて弾き飛ばしてしまった。 「ダメです!この遠距離でATフィールドを貫くには、エネルギーがまるで足りません!!」 「しかし、出力は最大です!もう、これ以上は!!」 もうこれ以上、出力を上げようにも上げる方法は無い。 「EVA弐号機、心理グラフシグナル微弱!」 アスカの脳波計には、全てのグラフ線の動きさえ無くなってきていた。 「LCLの精神防壁は?」 「ダメです!触媒の効果もありません!」 「生命維持を最優先。EVAからの逆流を防いで。」 「はい!」 主モニターのEVA弐号機も殆ど動かなくなってきていた。 “この光はまるでアスカの精神波長を探っているみたいだわ。まさか、使徒は人の心を知ろうとしているの?” またしても予想外の状況にリツコは主モニターを食い入るように見つめていた。 [使徒]の光線がさらに太く眩しくなった。 アスカの脳裏にセピア色の古い記憶が浮かんでいた。 えぇぇ〜〜〜んっ!えぇぇ〜〜〜んっ!えぇぇ〜〜〜んっ! サルのぬいぐるみを抱き、泣いている幼いアスカ。 “なんで、私、泣いているんだろう?もう泣かないって、決めたのに…。” サルのぬいぐるみは腹を切り裂かれ、中から綿が溢れ出た。 どうしたんだ、アスカ?新しいママからのプレゼントなのに。何が気に入らなかったのかな? 初めての父がしゃがんで小さなアスカを抱こうとする。 …いいの。 何がいいのかな? “私は子供じゃない!早く大人になって、自立するの!ぬいぐるみなんて要らないわ!” 14歳のアスカがぬいぐるみを踏みつけ、幼いアスカの心を代弁した。 だから私を見て! 場面はいきなり転移し、病室で人形を抱いている母に幼いアスカが叫んでいた。 ママ!お願いだから、ママを止めないで! 母は人形をアスカだと思い込んで話している。 お願い…一緒に死んで頂戴…。 ママ!ママッ!お願いだから私を殺さないでっ!! だが、母は人形の首を絞めていく。 イヤ!私はママの人形じゃない!自分で考え、自分で生きるの!! しかし、人形の頭部は胴体から切り離されてしまった。狂ってしまった母はアスカを自分の手で殺したのだ。 そして、ある日、自ら首を吊って自殺した…。 “嫌っ!そんなの思い出させないでっ!せっかく忘れているのに掘り起こさないでっ!そんな嫌な事、もう要らないのっ!もう止めてっ!止めてっ!!止めてよぅ…。” 幼いアスカの後で、14歳のアスカは涙声で絶叫し、両手で顔を覆った。 「汚された…私の心が…汚されちゃったよぅ…どうすればいいの…シンジぃ…。」 アスカは蹲ったまま、嗚咽を上げていた。 EVA弐号機の四つのセンサー.アイが輝きを失った。 『EVA弐号機、活動停止!』 『生命維持に問題発生!』 「パイロット、危険域に入ります!」 アスカの脳波は、全てのグラフ線がゼロ値に近づいていこうとしている。その時、発令所に通信が入った。 『僕が初号機で出ます!』 もうこれ以上は黙って見ていられず、シンジが出撃許可を求めてきた。ミサトは背後の二人の判断を仰ぐ為に振り向いた。 「いかん!目標はパイロットの精神を浸食するタイプだ!」 「今、初号機が浸食される事態は避けねばならん。」 冬月もゲンドウも出撃を許可する様子は無かった。 『だったら、やられなきゃいいんでしょう!!』 「その保証は無い。」 『でも、このままじゃアスカがっ!!』 ゲンドウの判断は正しいとわかってはいるが、それでもシンジはアスカが心配で、さらに許可を求めた。だが、ゲンドウは別の命令を下した。 「レイ。ドグマを降りて槍を使え。」 ゲンドウの言葉に冬月は慌てた。 「ロンギヌスの槍をか!?碇、それは!」 「ATフィールドの届かぬ衛星軌道の目標を倒すには、それしか無い。急げ。」 ゲンドウの言葉に揺るぎは無い。 「しかし、アダムとEVAの接触はサード・インパクトを引き起こす可能性が…あまりに危険です!碇司令、やめて下さい!」 ミサトは意義を唱えるが、ゲンドウはミサトの声を無視した。 ミサトは気付いた。 “嘘…欺瞞なのね。セカンド・インパクトは、使徒の接触が原因ではないのね。” 『セントラル・ドグマ、10番から15番まで解放。』 『第6マルボルジェ、零号機通過。続いて16番から20番を解放。』 幾つもの分厚い隔壁が次々と開かれ、EVA零号機は昇降機に足をかけ、深い縦穴のセントラル・ドグマを降りて行く。 “サード・インパクトは起きないと言う訳ね、そんな事では…だったら、セカンド・インパクトの原因は何?” 一般大衆に発表された情報も嘘だが、ネルフの職員はおろか、ネルフの幹部に公開された情報すら嘘だったのだ。ミサトは目を細めて眉間に皺を寄せる事で怒りを抑えた。 EVA零号機は遂に最下層に降り立ち、目的地へ向かって歩き始めた。 「碇…まだ早いのではないか?」 「委員会はEVAシリーズの量産に着手した。…チャンスだ、冬月。」 冬月はゲンドウに顔を近づけ、お互いに小声で会話する。 「しかし…なあ…。」 それでも冬月はゲンドウに熟慮を求める。 「時計の針は戻す事はできない。だが、自らの手で進める事はできる。」 覚悟を決めたかのようなゲンドウ。 ターミナル・ドグマに到着したEVA零号機は迷う事なく目の前に広がるLCLの湖を歩いて進む。 「老人達が黙っていないぞ?」 「ゼーレが動く前に全て済まさなければならない。」 十字架の前までやってきたEVA零号機は、十字架に磔された下半身のない白い巨人を見上げた後、胸に刺された槍に手をかけた。 「今、弐号機を失うのは得策ではない。」 「かと言って、ロンギヌスの槍を老人達の許可なく使うのは面倒だぞ?」 ゲンドウを嗜める冬月。 EVA零号機が巨人に深々と刺さった槍の抵抗感を感じながらもゆっくりと引き抜くと、巨人は体をビクッと震わせ、今までなかった下半身がいきなりブクブクと生え出した。 「理由は存在すればいい。それ以上の意味は無いよ。」 「理由?お前が欲しいのは口実だろう?」 冬月が言い返した。 「EVA弐号機のパイロットの脳波、0.06に低下!」 「生命維持、限界です!」 と、同時に警告音が鳴った。 「EVA零号機、2番を通過。地上に出ます!」 射出口から槍を持った零号機がゆっくりと地上に現れた。 「…あれがロンギヌスの槍…。」 ミサトが槍を睨みながら呟いた。その槍先は二股に分かれ、途中から螺旋状に渦を巻きながら一つになって柄の部分を形成していた。 己の体長より長い槍を零号機は両手で持ち、槍先を少し天に向けて掲げる。 「零号機、投擲体勢!」 青葉の指示を受け、EVA零号機は槍を右後方に引いて構える。 「目標確認!誤差修正よし!」 『カウント・ダウン入ります!10秒前!9、8、7、6…。』 限界ギリギリまで槍を後方に引くEVA零号機。レイも厳しい表情だ。 『5、4、3、2、1、0!』 助走を一気につけてEVA零号機は槍を投げた。 ものすごいスピードで天空へ放たれたロンギヌスの槍はあっという間に宇宙空間まで達し、[使徒]のATフィールドを難無く突破、[使徒]を貫き消し去った。 「目標消滅。」 「EVA弐号機、開放されました。」 「ロンギヌスの槍はどうなった?」 すかさず冬月が司令席の階の手すりから身を乗り出して訊いた。 「第一宇宙速度を突破。現在、月軌道へ移行しています。」 「回収は不可能に近いな…。」 「はい。現在、あの質量を持ち帰る手段は、今のところありません。」 ロンギヌスの槍はゆっくりと回転しながら大気圏外を慣性移動していた。 一方、地上では雨も止み、EVA弐号機の回収が始まっていた。 「アスカは?」 「パイロットの生存は確認。汚染による防疫隔離は解除されています。」 「そう…。」 エントリー・プラグから出たアスカをシンジが待っていた。 「アスカ…無事でよかった。」 「シンジ…シンジいぃ〜!」 アスカは涙を溢しながらシンジの胸に縋り、泣き出した。ラスト・チャンスに失敗し、あろうことかレイに助けられた事で、アスカの心には絶望しかなかったのだ。 「シンジ…私の事、忘れないで…大人になったら、迎えに来てね…。」 泣きじゃくりながらのアスカの言葉は、シンジには意味不明だった。 徐々に月に引き寄せられながら宇宙空間を漂うロンギヌスの槍。 と、突然、その傍に何者かが出現した。 「ふーん、これがロンギヌスの槍か…。」 宇宙服を着たクミはじっくりとロンギヌスの槍を観察した。 「ただの二股の槍じゃないの。」 そう、彼女にしてみれば、それはただの巨大な物体でしかなかった。 超人機エヴァンゲリオン 第22話「せめて、人間らしく」―――転移 完 あとがき