<2015年> とあるバス停の傍で。 『はい、只今留守にしております。発信音の後にメッセージをどうぞ…。』 バス停の脇にある電話ボックスから電話をかけると、生憎相手は留守のようで留守番電話になっていた。が、それがわかっていた男は、いつもと変わらぬ口調で留守番電話にメッセージを入れた。 テレフォン・カード口からテレフォン・カードとしても代用できるネルフのIDカードが吐き出された。 「最後の仕事か…。」 白いネルフのロゴの入った真っ赤なカードを見て男が呟く。 「…まるで血のような赤だな。」 「拉致されたって…副司令が!?」 自分の執務室で嫌いなデスク・ワークの最中、訪れた諜報部員の話を聞くなり、ミサトは驚きに目を見開いた。 「今より2時間前です。西の第8管区を最後に消息を絶っています。」 「うちの所内じゃない。貴方達、諜報部は何をやってたの?」 「身内に内報、及び先導した者がいます。その人物に裏を掻かれました。」 「諜報2課を煙に巻ける奴…まさか!?」 そんな大胆不敵な事をやってのける身内の人物と言えば、ミサトの知る限りたった一人しかいない。 「加持リョウジ。この事件の首謀者と目される人物です。」 「…で、私の所に来た訳ね?」 ミサトは懐から拳銃とIDカードを出して机に置いた。自分は無関係だが、抵抗しても諜報部に迷惑を掛けるだけだ。 「ご理解が早く助かります。作戦部長を疑うのは同じ職場の人間として心苦しいのですが…。」 「私と彼の経歴を考えれば、当然の処置でしょうね。」 「ご協力感謝します。…お連れしろ。」 暗闇の中、手を後ろで縛られ、椅子に座っている冬月。 その前に何かが現れた。まるでモノリスのような黒い石板。その表面には『SEELE』と『01』と『SOUND ONLY』の文字がオレンジ色に光っている。 冬月は姿は見えなくとも、その文字だけで相手の正体を察した。 「久しぶりです、キール議長。全く手荒な歓迎ですな。」 「非礼を詫びる必要は無い。君とゆっくり話をする為には当然の処置だ。」 「相変わらずですね。私の都合は関係無しですか?」 「議題としている問題が急務なのでね。」 「止む無くなのだ。」 「わかってくれ給え。」 続いて『02』と『03』が現れたが、次に現れたモノリスは『08』となっていた。 “委員会ではなく、ゼーレのお出ましとは…。” そう、委員会ならば『05』までしか出て来ない筈であり、『08』が出て来たという事は、これはゼーレによる直接査問を意味していた。 「我々は新たな神を作るつもりはない。」 「ご協力を願いますよ。冬月先生。」 “冬月先生…か…。” 冬月は『11』が言ったセリフにフッと笑い、15年前に思いを馳せた。 <1999年 京都> 「…先生。…冬月先生!」 「ん?ああ、君達か…。」 大学の構内を歩いていた白衣姿の冬月が、駆け寄ってくる2人の学生に呼び停められた。 「これからどないです?鴨川でビールでも?」 「またかね?」 「リョウコら、先生と一緒なら行く言うとりますんや。」 「教授もたまには顔出せ言うとりましたで。」 「ああ、わかったよ。」 その名前を出されては断る事ができない。冬月は苦笑しながら了承した。 「Ich!Ich!Ich!Ich!」 とある居酒屋の一角では学生達が盛り上がっているが、カウンターの二人は静かに飲んでいた。 「たまにこうして外で飲むのも良かろう?」 「…はあ…。」 自分の恩師である人物にビールを注がれながら、あまり酒が好きでは無い冬月の返事は気の無いものだった。 「君は優秀だが、人との付き合いを軽く見ているのがいかんな。」 「はあ…恐れ入ります。」 「ところで冬月君。生物工学で面白いレポートを書いてきた学生がいるのだがね。碇という学生なんだが、知っているかね?」 「碇?いいえ?」 「君の事を聞いて、是非会いたいと言っていた。その内、連絡があると思うから、宜しく頼むよ。」 「碇君ですね?わかりました。」 形而上生物学第1研究室。それが冬月の研究室だった。 「これ、読ませて貰ったよ。2つ3つ、疑問が残るが刺激的なレポートだね。」 「有難う御座います。」 レポートを書いたのは女性だった。 「碇…ユイ君だったね?」 「はい。」 「この先、どうするつもりかね?就職か?それともここの研究室に入るつもりかね?」 「まだそこまで考えていません。それに第3の選択も有るんじゃありません?」 「?」 ユイの言う第3の選択とやらが全く思い浮かばず、冬月は怪訝な顔。 「家庭に入ろうかとも思っているんです。良い人がいればの話ですけど。」 何故にそんな事を言い出したのかわからず、冬月はユイの顔を凝視した…。 <2015年> 「S2機関を自ら搭載したエヴァンゲリオン初号機。」 「それは理論上、無限に稼働する半永久機関を手に入れたと同義だ。」 「5分から無限か。突飛な話だ。」 「絶対的存在を手にして良いのは神だけだ。」 「人はその分を越えてはならん。」 「我々に具象化された神は不要なのだよ。」 「我々のシナリオにそんな物は無い。」 「…神を造ってはいかん。」 キールの重々しい声が響く。 「ましてや、あの男に神を渡す訳にはいかんよ。」 「碇ゲンドウ…信用に足りる人物か?」 <1999年> 「六分儀ゲンドウ?聞いた事はあります…。いえ、面識は有りませんが…色々と噂の絶えない男ですから…えっ!?私を身元引受人に!?…いえ、伺います。いつ伺えば宜しいでしょうか?」 …「六分儀?天文学の家系?」… …「いや、全然関係ない。」… (クミは例の喫茶店で加持から話を聞いていた。) 「在る人物から貴方の話を聞きましてね…一度、お会いしたかったんですよ。」 電話を掛けてきた警察で手続きを済ませ、入り口の外で待っていた冬月は、出てきた初対面の男に眉をひそめた。 「…酔って喧嘩とは、意外と安っぽい男だな。」 「話す間も無く一方的に絡まれましてね…。人に好かれるのは苦手ですが、疎まれるのは慣れています。」 喧嘩で負った傷か、左頬を赤く腫らし右腕に包帯を巻いたゲンドウはそう言って不敵な笑みを見せた。この時点で既に例のニヤリ笑いを身に付けていたようだ。 「まあ、私には関係無い事だ。」 冬月はゲンドウの言葉を聞き流し、背を向けて歩き始めた。 「冬月教授。どうやら貴方は僕が期待した通りの人の様だ。」 “そう、彼の第一印象は嫌な奴だった…。” “そして、あの時はまだこの国に季節、秋があった…。” 紅葉の繁る山を歩く冬月とユイ。 「本当かね?」 冬月は振り返り、少し後ろを歩いているユイに訊き直した。 「はい。六分儀さんとお付き合いさせて頂いています。」 ユイは真剣な表情で答えた。 “それを聞いた時、私は驚きを隠せなかった…。” 「君があの男と並んで歩くとは…。」 冬月には全く想像できない。 「あら、冬月先生。あの人はとても可愛い人なんですよ。みんな、知らないだけです。」 「知らない方が幸せかもしれんな…。」 「あの人に紹介した事…御迷惑でした?」 「いや、面白い男である事は認めるよ…。好きにはなれんがね…。」 “だが、彼は彼女の才能とそのバック・ボーンの組織を目的に近づいたというのが仲間内での通説だった。その組織はゼーレと呼ばれるという噂をその後、耳にした…。” <2000年> “セカンド・インパクト…。20世紀最後の年にあの悲劇は起こった。” <2001年> “そして、21世紀の最初の年は…世界中、何処を見ても地獄しかなかった…他に語る言葉を持たない年だ…。” <2002年> 濁りきった空、真っ赤な海面、そこから突き出た無数の塩の柱…。 「これがかつての氷の大陸とはな…見る影もない…。」 巡洋艦の展望室の窓辺に立ち、冬月は茫然と地獄の光景を眺めていた。 「冬月教授。」 「…君か。良く生きていたな。」 背後から声を掛けたのはゲンドウだった。冬月がここにいるのはゲンドウが仕組んだ為であった。 「君は例の葛城調査隊に参加していたと聞いていたが?」 「運良く事件の前日に、日本に戻っていたので悲劇を免れました。」 「そうか…六分儀君、君は―。」 「失礼。今は名前を変えていまして。」 冬月の声を遮り、ゲンドウはポケットから1枚のハガキを取り出して渡した。 「ハガキ?名刺じゃないのかね?」 少し怪訝そうな顔をして冬月はハガキを受け取り、その内容に驚愕した。 「碇…碇ゲンドウ!?」 ゲンドウは既にユイと結婚していた。ゲンドウが入り婿になったのは、二人の背後の力の差から当然の結果だった。 「妻がこれを冬月教授にとうるさいので…貴方のファンだそうです。」 「それは光栄だな。ユイ君はどうしている?このツアーに参加しないのかね?」 「ユイも来たがっていましたが、今は子供がいますのでね。」 <2015年> ネルフ本部・第4隔離施設。 “暗い所はまだ苦手ね…嫌な事ばかり思い出す…。” 薄暗い部屋の中、ミサトは椅子の上に膝を抱えて座り、顎を膝の上に乗せて目を瞑っていた。 <2002年> 南極調査船・第2隔離施設。 「彼女は?」 「例の調査団、唯一人の生き残りです。」 壁も床も天井も真っ白な部屋の中、瞳の輝きを失った少女が部屋の中央で椅子の上に膝を抱えて座っている。 「名は葛城ミサト。」 「葛城?…葛城博士のお嬢さんか?」 「はい。もう2年近く口を開いていません。」 「酷いな…。」 「それだけの地獄を見たのです。体の傷は治っても、心の傷はそう簡単には治りませんよ。」 本来ならちゃんとした病院施設に入院させるべきなのだが、万が一の情報漏洩を防ぐ為に少女は隔離されていたのだ。 「そうだな。…こっちの調査結果も簡単には出せないな。」 冬月は持っていたファイルに視線を移して唸る。 “完璧にエリアを特定した大気成分の変化…微生物に至るまで、全生物の徹底的した消滅…爆心地地下の巨大な空洞跡…そして、光の巨人…。” 最後の写真には白い巨大な人影が写っていた。 「…この事件は謎だらけだよ。」 “その後、国連はセカンド・インパクトは大質量隕石の落下によるものであると正式発表した。だが、私の目から見れば、それはあからさまに情報操作されたものだった。その裏にはゼーレ、そしてキールという人物が見え隠れしていた…。私はあの事件の闇の真相が知りたくなった。その先に例え、碇ユイの名があろうとも…。” <2003年 箱根> 国連直轄・人工進化研究所。その入口で、冬月とユイは再会した。 「お久しぶりです。」 「…ああ、しばらく。」 ユイの挨拶に冬月はそれだけ答え、ユイの横を通り過ぎた。 「何故、巨人の存在を隠す!?」 冬月の目は怒りに満ちていた。 「セカンド・インパクト…知っていたんじゃないのかね、君等は!?その日、アレが起こる事を!!」 だが、手を組んだ下に隠されたゲンドウの口元には、ニヤリ笑いが浮かんでいた。 「…君は運良く事件の前日に引き上げていたと言ったな!」 冬月は持ってきたアタッシュ・ケースを開けて書類を取り出した。 「全ての資料を一緒に引き上げたのも幸運か!?」 冬月が机の上に投げ広げたのは、セカンド・インパクトの隠蔽資料。 「こんな物が処分されず残っていたとは意外です…。」 「君の資産、色々と調べさせて貰った。子供の養育には金が掛かるだろうが、個人で持つには額が多過ぎないかね!?」 「流石、冬月教授…経済学部に転向なさったらどうです?」 「セカンド・インパクトの裏に潜む、君達ゼーレと死海文書を公表させて貰う!アレを起こした人間達を許すつもりはない!!」 冬月の脅しにも全く表情を変えず、ゲンドウはゆっくり立ち上がって答えた。 「お好きに…。その前に見せたい物があります」 「随分、潜るんだな…。」 深いトンネルを下るケーブルカー。 「ご心配ですか?」 「多少ね…。」 と、突然、目の前に巨大な地下空洞が現れた。 「こ、これは!?」 「我々でない、誰かが残した空間ですよ。89%は埋まっていますがね。」 「元は綺麗な球状の地底空間か。」 ゲンドウの説明を聞き、全体像を想像した冬月の脳裏に何かが浮かんだ。 「南極にあった地下空洞と同じ物か!?」 「データは、ほぼ一致しています。」 と言う事は…冬月はまさかと思いながらも言わずにいられない。 「あの悲劇を…もう一度起こすつもりかね…君達は!?」 「それは…ご自分の目で確かめて下さい。」 ゲンドウは冬月の顔すら見ず、伏せていた視線を上げる。 「あれが人類の持てる全てを費やしている施設です。」 その視線の先には人口の光が幾つも灯り、建設途中のピラミッドの様な建物があった。 エレベーターが開いたその先の部屋には一人の女性がいた。振り向いたその顔に冬月は見覚えがあった。 「あら、冬月先生。」 「赤木君…君もかね?」 「ええ、ここは目指すべき生体コンピュータの基礎理論を模索するベストな所ですのよ。」 彼女こそ、生体コンピューターの世界的権威である赤木ナオコ博士。ゲンドウの言った『人類の持てる全てを費やしている施設』という言葉もあながち嘘ではないようだ。 「ほう、これが…。」 ナオコが座っていた席には3つの端末があり、その背後には巨大な黒いボックスが3つ立ち並んでいた。 「MAGIと名付けようと思ってます。」 「MAGI、東方より来たりし三賢者か…。見せたい物とはこれか?」 「いいえ、こちらです。」 冬月を促し、ゲンドウが歩き出す。 「リツコ、すぐ戻るわ。」 たった今、自分に会いにやってきた愛娘にここで待つように言い、ナオコも2人の後に付いて行った。 スポット・ライトに照らされ、巨大な空間に姿を現した巨人。 「これは!?…まさか、あの巨人を!?」 頭、それに繋がっている脊髄、そして腕…。それらは全て人工の部品でできていた。 「あの物体を我々ゲヒルンではADAMと呼んでいます。が、これは違います。オリジナルの物ではありません。」 「では!?」 「そう、ADAMより人の造りし物…EVAです。」 「EVA!?」 「我々のADAM再生計画。通称E計画の雛型たるEVA零号機だよ。」 ゲンドウの説明に冬月は振り返ってもう一度巨人を見上げる。 「冬月…俺と一緒に人類の新たな歴史を創らないか?」 そして、冬月はゲンドウと手を握った。 …「碇ゲンドウが冬月氏に誘いを掛けたのは、まずはその優秀な頭脳が欲しかった事も有るが…。」… …「仲間にして外憂を断つと言う事も計算の内、ってトコね。」… …「その通りだと思う。そして冬月氏がそれに応じたのは、『人類の新たな歴史の創生』と言う言葉に惹かれたのも事実ではあったが、別な理由が有った筈…おそらく、彼らの真の目的を知るには外部の人間では無理が有った、だから敢えてその中に入って目的を掴み、その目的如何に拠っては…。」… …「事を起こすつもりだった…正に、獅子身中の虫となる為だったのね…まさか、ミイラ取りがミイラ、なんて事にはなってないでしょうね?」… …「俺の知る限りはな。どっちかと言えば、彼らこそゼーレにとって獅子身中の虫になるかもしれないがな。」… …“うーん、やはり、その二人にも会ってみる必要が有るな…。”… EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION EPISODE:21 He was aware that he was still a child. <2015年> 初号機ケージ、アンビリカル・ブリッジ中央でEVA初号機を見上げているリツコ。その背後からマヤが声を掛ける。 「先輩。」 「あ、ごめんなさい。例の再テスト、急ぎましょ。」 リツコはいつものように白衣のポケットに手を入れて歩き出す。 「そう言えば、葛城さん、今日見ませんね。」 「そうね…。」 一応リツコはその訳は知っていたが、その裏まで話せる訳ではないので黙っていた。 <2005年 長野県 第二東京市 第二東京大学構内> 「葛城…さん?」 「そー葛城ミサト、よろしくね。」 『母さん。先日、葛城ミサトという娘と知り合いました。他の人達は私を遠巻きに見るだけで、その都度母さんの名前の重さを思い知らされるのですが、何故か彼女だけは私に対しても屈託がありません。彼女は例の調査隊唯一人の生き残りと聞きました。一時、失語症になったそうですが、今ではブランクを取り戻すかの様にベラベラと良く喋ります。』 『リっちゃん。こっちは相変わらず地下に潜りっぱなしです。支給のお弁当にも飽きました。』 『母さん。このところミサトが大学に来ないので、白状させたら馬鹿みたいでした。ずっと彼氏とアパートで寝ていたそうです。飽きもせず、1週間もダラダラと…。彼女の意外な一面を知った感じです。今日、紹介されました。顔は良いのですが、どうも私はあの軽い感じが馴染めません。』 『リっちゃん。昔から男の子が苦手でしたね、リっちゃんは。やはり、女手1つで…。ううん、ずっと放任していたもんね。嫌ね、都合の良い時だけ母親面するのは…。』 「母親か………。」 忙しいナオコは娘の世話を自分の母親に任せきりで、娘との唯一のコミュニケーションは手紙のやり取りしかなかった。 <2003年 箱根 芦ノ湖湖畔> 「今日も変わらぬ日々か…この国から秋が消えたのは寂しい限りだよ。ゼーレが持つ『死海文書』。そのシナリオのままだと十数年後に必ずサード・インパクトが起きる。」 夏の日射しを受けた湖の水面の反射光が水辺に立つ冬月を照らす。 「最後の悲劇を起こさない為の組織…それがゼーレとゲヒルンですわ。」 近くにある木陰にユイはしゃがみ、乳母車に乗る我が子をあやしている。 「私は君の考えに賛同する…ゼーレではないよ。」 「冬月先生…あの封印を解くのは大変危険です。」 時折、ユイ譲りの笑顔でご機嫌に笑う幼子。 「資料は全て碇に渡してある。個人でできる事ではないからね。この前の様な真似はしないよ。それと、何となく警告も受けている。あの連中が私を消す事は造作も無い様だ。」 「生き残った人もです。簡単なんです、人を滅ぼすのは…。」 「だからと言って、君が被験者になる事もあるまい。」 「全ては流れのままにですわ。私はその為にゼーレにいるのですから…。」 <2004年 箱根・地下第2実験場> 『LCL電化。圧力+0.2。』 『送信部にデストルド反応無し。』 『疑似ベース、安定しています。』 何かの実験が行われようとしているスペースに何故か幼児が一人。が、場違いという言葉など知る筈も無く、そのコは周囲に無邪気な笑顔を見せている。 「何故、ここに子供がいる?」 「碇所長の息子さんですわ。」 冬月は眉間に皺を寄せ、ゲンドウに視線を移した。 「碇…ここは託児所じゃないぞ。」 『ごめんなさい、冬月先生。私が連れてきたんです。』 「ユイ君、今日は君の実験なんだぞ?」 実験場にいる母に向かって幼児は笑顔で手を振り、ユイも笑顔で我が子に向かって手を振り返した。 『だからなんです。この子には明るい未来を見せておきたいんです。』 『リっちゃん。それがユイさん最後の言葉でした。イレギュラーな事件は彼女をこの世から消し去ってしまいました。私の願いそのままに…。なんて嫌な女なんでしょうね…。リっちゃん。この日を境に碇所長は変わってしまったわ。』 …「その事故って、本当にイレギュラーだったのかな?」… …「誰かの思惑が絡んでいたと言いたいのか?」… 「この一週間、何処へ行っていた!」 冬月は所長室へ入ってくるなり、一週間ぶりに姿を見せたゲンドウに怒鳴った。 「傷心を癒すのもいい…。だが、もうお前一人の身体じゃない事を自覚してくれ!」 「わかっている。冬月…今日から新たな計画を進める。キール議長には既に提唱済みだ。」 ゲンドウは机に肘を付いて両手を組んだ姿勢で冬月に静かに口を開いた。 「…まさか、あれを!?」 一つの恐ろしい計画が冬月の脳裏に浮かぶ。 「そう、かつて誰もが成しえなかった神への道…人類補完計画だよ。」 <2008年> 『母さん。MAGIの基礎理論、完成おめでとう。そのお祝いという訳ではないけど、私のゲヒルン正式入社が内定しました。来月からE計画勤務になります。』 非常灯しか灯らない薄暗い通路を一人歩く女性。 「誰だ!?」 気付いた警備員が女性の顔を懐中電灯で照らしながら近づいてくる。 「技術開発部、赤木リツコ。これID。」 眩しそうに目を細めながら、リツコは白衣のポケットからIDカードを取り出して警備員に渡す。 「発令所が完成したそうなので見に来たのだけど、迷路ね、ここ。」 「発令所なら今、所長と赤木博士がみえてますよ。」 警備員は自分が持っている携帯端末のスリットにIDカードを通し、リツコの身分を確認してIDカードを返した。 その発令所は一言で言えば「戦艦の艦橋」に似ていた。 「…本当に良いのね?」 「ああ…自分の仕事に後悔は無い。」 「嘘っ!ユイさんの事が忘れられないんでしょ…。」 だが、ゲンドウは無言で何も応えず、ナオコは肩の力を抜くとゲンドウに近寄ってゆく。 「…でも、良いの…私は…。」 両手をゲンドウの両肩に置き、ナオコは目を瞑って自分の唇をゲンドウの唇に重ね、ゲンドウも応えてナオコの腰に腕を回す。 二人がいるMAGI階より1フロア上のオペレーター階にいたリツコは、自分が初めて見る女としての母の姿に茫然として二人を眺めていた。 <2010年> 「所長、お早うございます。お子さん連れですか?」 ナオコとリツコが出勤して来ると、ゲンドウの傍には蒼銀の髪と紅い瞳の少女がいた。 「あら?でも確か、男のコ…。」 「シンジではありません。知人の子を預かる事になりましてね。綾波レイと言います。」 「レイちゃん。こんにちは。」 リツコは腰を屈めて目線をレイに合わすが、レイは無表情に顔を上げてリツコを見るだけだった。一方、ナオコはレイの顔を何故か凝視していた。 “このコ、誰かに…。” その瞬間、ナオコの脳裏に誰かの面影が浮かんだ。 “ユイさん!?” “この年、スーパー・コンピュータ・MAGIシステムが完成する。だが…。” 無人の発令所で、ナオコとリツコがオペレーター階からMAGI階を見下ろしている。 「MAGIカスパー、MAGIバルタザール、MAGIメルキオール…。MAGIは三人の私。科学者としての私、母親としての私、女としての私…その三つが鬩ぎ合っているの。」 仕事の成果である三つのボックスを満足そうに眺め、ナオコが嬉しそうに語る。 「三つの母さんか…あとは電源を入れるだけね。」 リツコはナオコに顔を向けるが、ナオコはMAGIを眺めたまま無言で頷く。 「…今日、先に帰るわね。ミサトが帰ってくるの。」 「そうそう、彼女、ゲヒルンに入っていたのね。確か、ドイツ?」 「ええ、第三支部勤務。」 「じゃあ、遠距離恋愛ね。」 「別れたそうよ。」 「あら?お似合いのカップルに見えたのに…。」 いつかリツコに写真で紹介された事のあるミサトと加持が別れたと聞き、ナオコは心底に意外そうな顔をした。 「男と女はわからないわ。ロジックじゃないもの。」 「そういう冷めたところ、変わらないわね。自分の幸せまで逃しちゃうわよ?」 付け加えて呟いたリツコの言葉に、ナオコは茶化す様に笑って諭す。 「幸せの定義なんて、もっとわからないわよ。さてと、飲みに行くの久しぶりだわ。」 帰り支度が終わったリツコはナオコの言葉を受け流し、軽い足取りで出入口へ向かう。 「お疲れさま。」 「お疲れさま。」 そして、ナオコは一人発令所に残ると椅子に座り、再びMAGIを眺める。 と、リツコと入れ替わる様に別の出入口が開いた。 「何か御用?レイちゃん。」 出入口にポツンと立っているレイを見つけたナオコは笑顔で話し掛けた。 「道に迷ったの…。」 「あらそう。じゃあ、私と一緒に出ようか?」 「…いい。」 ナオコの親切にも、レイは無表情のまま呟く様な小声で拒否した。 「でも、一人じゃ帰れないでしょ?」 「大きなお世話よ。ばーさん。」 「えっ?…何?」 レイの言葉にナオコは表情を少し凍りつかせ、自分の聞き間違いかと聞き返した。 「一人で帰れるから放っておいて。ばーさん。」 「ひ、人の事をばーさんだなんて言うものではないわ。」 ナオコは顔を引きつらせながらも、やはり相手は子供だと思って懸命に笑顔で答えた。 「だって、あなた、ばーさんでしょ?」 「お、怒るわよ。碇所長に言って叱って貰わなきゃ…。」 「所長がそう言ってるのよ、あなたの事。」 「う、嘘っ!?」 レイの返事にナオコはショックを受けた。 「ばーさんはしつこいとか…ばーさんは用済みだとか…。」 更に、レイは容赦のない言葉を告げて目で笑った。 本当にゲンドウがそんな事を言ったのか?レイの言葉が脳裏で繰り返されるうちに、レイの顔にユイの面影が重なっていく。 「所長が言ってるのよ。ばーさんはしつこいとか、ばーさんは用済みだとか…。」 ナオコの中でレイの声がユイの声に変わっていく。 「あんたなんか…あんたなんか、死んでも代わりはいるのよ…レイ…。」 激情にかられたナオコは、いつの間にかレイの首を両手で絞め上げていた。 「………………。」 自分を蔑む声はいつの間にか聞えなくなっていた。 はっと我に帰ったナオコは、レイの首に当てられた自分の両手と力無くダラリと下がるレイの両腕を茫然と見つめた。 「…あ…あああっ!」 自分が何をしたのか気付いたナオコは、正常ではなくなっていた。 次の瞬間、鈍く大きな音が発令所に響いた。 “キール・ローレンツを議長とする人類補完委員会は、調査組織であるゲヒルンを即日解体。全計画の遂行組織として、特務機関ネルフを結成した。そして、我々はそのまま籍をネルフへと移した。ただ1人、MAGIシステム開発の功績者、赤木博士を除いて…。” <2015年> 「さてと、俺はまだ仕事が有るから、これで失礼するよ。」 加持は伝票を手にして立ち上がった。 「お兄ちゃん。」 クミは何か胸騒ぎを感じて加持を呼び止めた。 「ん?何だ、クミ。」 「…ううん…何でも無い…。」 冬月の背後でドアが開く音がした。逆光を受けて立つ男が誰かはすぐにわかった。 「君か…。」 「ご無沙汰です。外の見張りにはしばらく眠って貰いました。」 「この行動は君の命取りになるぞ。」 「真実に近づきたいだけなんです。僕の中のね…。」 後ろ手にされた冬月の手錠が外された。 椅子に膝を抱えて座っていたミサトは、扉が開く音に足を下ろして振り向いた。 「御協力、有難うございました。」 この部屋にミサトを連れてきた諜報部員は、トレーをミサトに差し出した。 「…もう、良いの?」 ミサトはそこにある自分の拳銃とIDカードを懐にしまいながら訊いた。 「はい、問題は解決しました。」 「そう…彼は?」 「存じません。」 ミサトの問いにそれだけ答え、その諜報部員は部屋を出て行った。 巨大な換気扇が回る一室。その前に立っている加持。と、何者かがやってきた。 「よう、遅かったじゃないか。」 声を掛ける加持。直後、一発の乾いた銃声が周囲に響いた。 「…ただいま。」 重い足取りで家に帰ってきたミサトは、疲れ切った声を出して帰宅を告げた。 そのままミサトはダイニングのテーブルに着いて想いにふける。事件は解決したとはいえ、その首謀者であった加持のその後は…。 ふと顔を上げて目に入った電話にミサトははっとした。留守電が有ったのだ。 ミサトは、震える指で再生ボタン押した。 『葛城…俺だ…多分、この話を聞いている時は君に多大な迷惑を掛けた後だと思う…すまない…リっちゃんにもすまないと謝っておいてくれ。あと、迷惑ついでに俺の育てていた花がある…俺の代わりに水を遣ってくれると嬉しい…場所はシンジくんが知っている…。葛城…真実は君と共に有る。迷わず進んでくれ…もし、もう一度会える事があったら、8年前に言えなかった言葉を言うよ。』 メッセージは終わった。その途端、テーブルの上に雫が幾つも落ちてきた。ミサトはぼろぼろと涙を溢していた。 「バカ…あんた…ホントにバカよ…。」 彼女は気付いていた。加持がもうこの世にはいないだろうという事に。 「…うっ…ううっ…うっうっうっ…うわあああ〜ん。」 耐え切れずに、ミサトは声を上げて号泣した。 丁度SDATのディスクを換えようとしていた為、シンジはミサトの異変に気付き、リビングにやってきた。 「ミサトさん?どうしたんですか!ミサトさん!?」 テーブルに突っ伏して声を上げて泣いてるミサトの姿にシンジは驚いて声を掛けた。 「何があったんですか!?ミサトさんってば!」 シンジが何度か声を掛け、肩を揺するとようやくミサトは顔を上げてシンジを見た。 「…シンジくん…。」 ミサトの両目には依然大粒の涙が溜まっていた。 「ミサトさん…何があったんですか?」 だが、ミサトは目を伏せて俯いた。ミサトの両目尻から涙がこぼれて流れる。シンジはそれを見て動揺しながらも、言葉を続けた。 「…僕は…ミサトさんよりずっと子供だから…慰めの言葉なんて言えないけど…でも、何か、できる事があれば力になりますよ?」 その言葉にミサトの心は妖しく震え始め、理性の堤防から欲望が滲み出した。 「シンジくん…優しいのね…有難う…でも、シンジくんは子供じゃないわ…もう、十分大人よ…だから…だから……私を慰めてっ!」 ミサトはそう言っていきなりシンジを抱きしめた。 「ミサトさん!?」 シンジは抗う間も無く、ミサトにキスされていた。 “ミ…ミサトさん…な、何を…。” 慌てたシンジは後ろによろめいてバランスを崩し、ミサトに押し倒された。が、そのおかげでミサトの唇が外れた。 「ミサトさん!!正気に戻って!!」 シンジは肩を押してミサトを引き剥がそうとするが、ミサトは抵抗した。 「お願い、シンジくん…私には、もうシンジくんしかいないの!」 「な、何言ってるんですか!ミサトさんには加持さんが…いる……。」 シンジの言葉は途切れた。ミサトが号泣し、錯乱している理由がおぼろげだが頭に浮かんだのだ。 「…まさか…加持さん…。」 「あああっ!!何してんのよ、ミサトっ!!」 風呂上りのアスカがシンジとミサトを見つけて憤怒の表情で歩み寄ってきた。 慌ててミサトは立ち上がってシンジから離れる。 「シンジに手を出すなんてどういうつもりっ!?ミサトには加持さんが…。」 奥手のシンジがミサトに手を出す筈が無いとわかってるアスカは、ミサトが邪な心でシンジに手を出したと一方的に決め付けた。 「ゴメンっ!!」 ミサトは自室に逃げ込んだ。 「こらっ、ちょっと待ちなさいよっ!!」 アスカは追撃しようとしたが。 「ゴメン!ホントにゴメンナサイ!!さっきの事は忘れて!!お願い!!」 とりあえず、シンジの救出はできたのでアスカは追撃をあきらめた。 「ったく、あのショタコン女めっ!…シンジ、大丈夫?」 「まあ、ね。」 「何でいきなりミサトに襲われたの?」 「よくわからない。何か、ミサトさんはひどいショックを受けて、錯乱してたみたいだけど…。」 「ひどいショックって?」 「それもよくわからない。ミサトさんは声を上げて泣いてたんだ。で、どうしたの?って声を掛けたら、いきなり押し倒されて…。」 シンジは加持の身に何かあったかもしれない、という事は黙っていた。真実かどうかわからない事は迂闊に口にできなかった。 「お兄ちゃん!」 胸を撃ち抜かれて血まみれで倒れている加持の傍にクミが駆け寄ってきた。 “…クミか…俺は…ここまでのようだ…。” 加持はもはや言葉も喋れず、虫の息だった。クミは加持の傍に膝まづいて心を飛ばした。 “大丈夫!私が助けてあげるから!” 自分の意識の中にクミの意識が入ってきて、加持は驚きに目を見開いた。 超人機エヴァンゲリオン 第21話「ネルフ、誕生」―――偽装 完 あとがき