超人機エヴァンゲリオン

第20話

心のかたち 人のかたち

 《ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!!》
 咆哮を続けるEVA初号機。と、その胸や肩が中から膨張し、身に纏った装甲板をぶち破った。
 「拘束具が…。」
 つい、リツコが漏らした言葉に日向が不審な顔を向ける。
 「拘束具?」
 「そう…あれは装甲板ではないの…EVA本来の力を私達が押さえ込む為の拘束具なのよ。その呪縛がEVA自らの力で解かれていく…私達にはもう、EVAを止める事はできないわ。」
 「止める事ができないって、それはまた随分と無責任な発言ですね。」
 クミが至極まともな事を言った。
 「日向君、青葉君。そのコを拘束して。」
 ミサトが二人に命令を出した。
 「えっ?」
 クミがここにいる理由もわからないが、ミサトの命令の真意も二人はわからない。
 「そのコはスパイよ。日本政府の。」
 「ええっ!?」
 「でも、まだ中学生じゃないですか!?」
 「細かい話はそのコから訊けばわかるわ。真辺さん、おとなしくして貰えるかしら?」
 「はいはい。其方の眼鏡のお兄さんに免じて捕まってあげるわ。但し、手荒に扱うと…。」
 クミは傍らの木の幹を徐に殴りつけた。
 「こんな風になっちゃうからそのつもりで。」
 クミが拳を抜くと、木には見事に穴が開いていた。
 「なっ!?」
 日向と青葉の背中を冷たい物が流れた。

 《ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!!》
 EVA初号機はまだ咆哮を続けていた。
 「EVA初号機の覚醒と解放…こいつはゼーレが黙っちゃいませんな。これもシナリオのうちですか?碇司令。」
 スイカ畑から加持はまるで傍観者のような独り言を言った。
 「始まったな。」
 「ああ…全ては、これからだ。」
 司令公務室の窓からそれを見ているゲンドウと冬月は、思惑通りと言わんばかりにほくそえんだ。
 EVA初号機が活動停止したのはそれから約1時間後だった。

 ゲンドウを除く人類補完委員会の五人が密談を行っている。
 「EVAシリーズに生まれ出ずる筈の無いS2機関。」
 「まさか、かのような手段で自ら取り込むとはな。」
 「我らゼーレのシナリオとは大きく違った出来事だよ。」
 「この修正、容易ではないぞ。」
 「碇ゲンドウ。あの男にネルフを与えたのがそもそもの間違いではないのかね?」
 「だが、あの男でなければ全ての計画の遂行はできなかった。」
 「だが、事態はEVA初号機だけの問題ではない。」
 「左様。EVA零号機と同弐号機の大破。」
 「本部施設の半壊。セントラル・ドグマの露呈。」
 「被害は甚大だよ。」
 「我々がどれ程の金と時を失ったのか、見当も付かん。」
 「これも碇の首に鈴を付けておかないからだ。」
 「いや、鈴は付いている。ただ、鳴らなかっただけだ。」
 「だが、鳴らない鈴に意味は無い…。」
 「今度は鈴に働いて貰おう。」


 <第1日・THE FIRST DAY>
 「EVA各機の損傷はヘイフリックの限界を超えています。」
 「時間が掛かるわね…全てが戻るには。」
 EVA零号機、EVA弐号機ともに今や使い物にならない状態で、ただのオブジェと化している。ネルフ本部も大穴が二箇所も開き、半壊状態。そして発令所もEVA初号機と[使徒]の戦闘のせいで見る影も無い。
 その発令所でリツコ、マヤ、青葉が対処を検討している。
 「幸い、MAGIシステムは移植が可能です。明日にも作業を開始します。」
 「でも、ここはダメね。」
 オペレーター階の下にあるMAGI階のMAGIにリツコは視線を移した。
 「破棄決定は…最早、時間の問題です。」
 発令所を見渡した青葉が自分の推論を述べた。
 「そうね。…取りあえず、予備の第二発令所を使用するしかないわね。」
 「MAGIは無くとも、ですか?」
 「そうよ。埃を払って、午後には仕事を始めるわよ。」
 「椅子はきついし、センサーは硬いし、やりづらいんですよね、あそこ。」
 と言いながらもマヤは愛用のピンクの座布団を既に取り外して小脇に抱えている。
 「見慣れた第一発令所と造りは同じなんですが。」
 「違和感、有りますよね。」
 「使えるだけマシよ。使えるかどうかわからないのはEVA初号機ね。」
 EVA初号機が突き破った先のケージと呼ばれた場所を見ながら、リツコが呟いた。

 「ケージに拘束…大丈夫でしょうね?」
 暴走したEVA初号機は回収され、装甲が剥がれた箇所に包帯をグルグル巻きにされて、新たなケージに拘束されていた。
 「内部に熱、電子、電磁波、化学エネルギー反応無し。S2機関は完全に停止しています。」
 アンビリカル・ブリッジからミサトと日向はEVA初号機を見上げていた。
 「…にも関わらず、このEVA初号機は三度も動いたわ。」
 一度目はシンジが初号機に初搭乗する前、二度目は[使徒]のディラックの海から帰還する時、そして三度目は先日の[使徒]との戦いに於いて。
 「黙視できる状況だけでは、迂闊に触れないわよ。」
 「迂闊に手を出すと何をされるかわからない。葛城さんと同じですね。」
 重苦しい雰囲気を和らげようと日向が冗談で茶化したが、ミサトは初号機を見つめたまま。
 「…すいません…。」
 TPOの判断を間違った様で、気拙い雰囲気に日向は謝った。

 人類補完委員会の命を受けた男がゲンドウに口を開いた。
 「いやはや、この展開は予想外ですな。委員会…いえ、ゼーレにはどう言い訳をつけるつもりですか?」
 加持は司令公務室の机の上に腰かけ、いつものポーズをとるゲンドウと脇に立つ冬月に顔だけ向けて言った。
 「EVA初号機は我々の制御下ではなかった。これは不慮の事故だよ。」
 「よってEVA初号機は凍結。…委員会の別命有るまではだ。」
 まるで表情を変えない冬月とゲンドウ。しかも、加持が委員会をゼーレと言い換えているのに、あえてゲンドウは委員会と言い直している。
 「適切な処置です。が、しかし…ご子息を取り込まれたままですか?」

 第二発令所で既に作業は始まっていた。
 「やはりダメです。エントリー・プラグ排出信号、受け付けません。」
 マヤが何度もEVA初号機にエントリー・プラグ排出命令を出したのだが、モニターには『REFUSED』の文字が点滅し、発令所に警告音が鳴り響いていた。
 「予備と疑似信号は?」
 「拒絶されています。直結回路も繋がりません。」
 「プラグの映像回路、繋がりました。主モニターに回します。」
 その映像を見た発令所の人々の間にどよめきが湧き起こった。
 エントリー・プラグにシンジの姿は無く、青いプラグ・スーツと白いヘッド・セットだけが漂っていたからだ。
 「何よ…これっ!?」
 「これがシンクロ率400%の正体よ。」
 ミサトの驚愕の声にリツコが平然と答えた。
 「そんな…シンジくんは一体どうなったのよ!?」
 「EVA初号機に取り込まれてしまったわ。」
 リツコの言葉をミサトは理解できない。
 「何よそれ!?EVAって何なのよっ!?」
 「人の造り出した、人に近い形をした物体としか言い様がないわね。」
 ミサトは苛立つが、リツコはいつにも増してクール。
 「人が造り出した?あの時、南極で拾ったモノをただコピーしただけじゃない。オリジナルが聞いて呆れるわ。」
 「ただのコピーとは違うわ。人の意志が込められているもの。」
 「これも誰かの意志だって言うのっ!?」
 淡々と冷静に言うリツコに、ミサトの怒りは大きくなっていく。
 「或いは、EVAの…。」
 そうリツコが言った瞬間、遂にミサトは激昂してリツコの頬を叩いた。
 「何とかなさいよ!あんたが造ったんでしょう!最後まで責任取りなさいよ!!」
 赤く腫れた頬も押さえず、リツコはミサトから視線を逸らした。
 マヤ他二人のオペレーターは口を挟む事もできなかった。


 <第2日・THE SECOND DAY>
 ネルフ本部の医療ブロックの病室でレイは目覚めた。
 「―――まだ、生きてる…。」
 独り言のように呟くレイ。
 「………また…逢える………。」

 「あの女が無事だった事なんてどうだっていいのよ!シンジはどうして帰ってこないのよ!」
 先の戦闘以降、ミサトはネルフ本部に泊まりっぱなし、自分は無事だったがその後出撃したシンジも未だ帰宅せず…ようやくミサトから電話が来たと思ったらレイの話だけ。アスカの寂しい想いは深まるばかりだった。


 <第3日・THE THIRD DAY>
 ミサト、リツコ、日向、マヤの4人はケージに集まっていた。リツコはそこでシンジの救出計画を立案した。
 「シンジくんのサルベージ計画?」
 「そう。シンジくんの生命というべきものはまだ存在しているわ。」
 「シンジくんの肉体は自我境界線を失って、量子状態のままエントリー・プラグ内を漂っていると推測されます。」
 リツコの言葉をマヤがわかりやすく噛み砕いて説明する。
 「つまり、シンジくんは私達の目では確認できない状態に変化しているという訳ね?」
 「そうです。プラグの中のLCLの成分が化学変化を起こし、現在は原始地球の海水に酷似しています。」
 「生命のスープか…。」
 「シンジくんを構成していた物質は全てプラグ内に保存されているし、魂というべきものもそこに存在している。現に彼の自我イメージがプラグ・スーツを擬似的に実体化させているわ。」
 「つまりサルベージとは、シンジくんの肉体を再構成して精神を定着させる作業です。」
 「そんな事ができるの?」
 「MAGIのサポートがあればね。」
 「理論上は…でしょ?何事もやってみないとわからないわ。」
 半信半疑のミサト。


 <第4日・THE FOURTH DAY>
 “何だ、これ?…何処だ、ここ?”
 シンジの魂はプラグ内の状態を見ていた。
 “僕のプラグ・スーツ…エントリー・プラグ?”
 続いて見えたのはミサト、リツコ、加持、ゲンドウ、冬月、日向、青葉、マヤ、トウジ、ケンスケ、ヒカリ、レイ、アスカ、そしてクミ。
 “僕の知ってる人達…僕を知ってる人達…つまり、僕の世界なのか?”
 その次は、EVA初号機、EVA零号機、EVA弐号機、EVA参号機。
 “EVAだ…僕はEVAに乗って敵を倒さなきゃいけない…。”
 その次は、サキエル、シャムシエル、ラミエル、ガギエル、イスラフェル、サンダルフォン(蛹)、マトリエル、サハクイエル。
 “敵…敵…敵…敵…これも敵…あれも敵…たぶん敵…きっと敵…使徒と呼ばれ、天使の名を冠する、僕らの敵…EVAの、そしてネルフの目標…ミサトさんのお父さんの仇…。”
 と、そこでシンジの胸に疑問が起こる。
 “…何で僕が戦うんだろう…こんな目に遭ってまで…。”
 シンジは自らに問い掛けた。
 次に見えたのは、イロウル、レリエル、バルディエル(EVA参号機)、ゼルエル。
 “敵…敵…敵…みんな敵…僕らを、僕らを脅かす物…つまり、それが敵…そうさ、自分の命を自分で守って何が悪いんだ!”
 そこで再び疑問が起こる。
 “なぜ、使徒はやって来るんだろう…。”
 使徒がここの地下に眠るアダムと言う物体に接触すると、サード・インパクトが起きて今度こそ人類は全て滅びると言われている。
 加持の言葉を思い出す。
 “アダムって何だ…どうしてそれと使徒が接触すると、人類が滅びるんだ…。”
 セカンド・インパクト…それは南極大陸の消滅による大災害、そしてそれによる大混乱…だが、人類はそれでも生き残った。
 “サード・インパクトというのはそれ以上の事が起こるのか?例えば地球が爆発するとか…。でも、それじゃ人類以外の生物も全部滅びるよな…ん?滅びると言われている…。”
 さらに疑問が湧く。
 “言われている…と言う事は…もしかしたら、違う可能性もあるのか?”
 何が真実なのかは自分自身で確かめないといけないの。
 クミの言葉を思い出す。
 “…真実を知ってるのは…父さんだ…。”
 お前が知る必要は無いし、お前に言う必要も無い。
 全ては心の中だ…今はそれでいい…。
 ゲンドウの言葉を思い出す。
 “父さんは何も話してくれない…教えてくれない…どうしてなんだ…。”
 末端のパイロットには関係ないからな。知らされてないという事は、知らなくてもいいという事なんだろう。
 ケンスケの言葉を思い出す。
 “違う…僕は知るべきだったのに、誰も教えてくれなかったんだ…。”
 ゴメン、シンジくん…私、貴方に大事な事を言わなきゃいけなかったのに…こんな事に…。
 ミサトの言葉を思い出す。
 “だから、僕はトウジを…。”
 シンクロしていないのに勝手に動くEVA初号機。
 “どうしてあの時勝手に動いたんだろう…勝手に動くのなら、パイロットはいらないじゃないか…。”
 シンジ。これは、おまえにしかできない、おまえだからこそできる事なのだ。
 再び、ゲンドウの言葉を思い出す。
 “それも嘘だったのか、父さん…。”
 私はEVAに乗る為に生まれてきたようなものだもの…もしEVAのパイロットをやめてしまったら、私には何も無くなってしまう…それは死んでいるのと同じだわ…。
 レイの言葉を思い出す。
 “いや、違う…綾波は自分の意思でEVAに乗っていた…つまり、あの時は勝手に動く事はなくて…その後勝手に動くようになった…と言う事?”
 だが、初めてEVA初号機を見た後、天井から巨大な照明が落ちて来て死を予感したあの時。
 “EVA初号機はあの時僕を守ってくれた…。”
 ディラックの海に飲み込まれた後、プラグ・スーツの限界が来て全てに絶望したあの時。
 “僕はあの時…母さんを感じた…何故?”
 シンジの母は、シンジがまだ幼い頃に研究所の事故で死んだと聞いた。だが。
 『この男は自分の妻を実験材料にした疑いが有る!』
 『この男は自分の妻を殺したんだ!』
 幼い頃、無責任な報道で心傷つけられたシンジ。
 そして、シンジは遠い親戚に預けられた。その人物からチェロの演奏を教わっていた為、シンジはその人物を先生と呼んでいた。
 “母さんは…本当に死んだのか?…何でEVAに乗ってて、母さんを感じるんだ?…EVAって、一体何なんだ?”
 だが、それを止められるのは、[使徒]と同じ力を持つエヴァンゲリオンだけだ。
 再び、加持の言葉を思い出す。
 “だから、使徒は襲って来るのかな…海に居た時はEVA弐号機があったもんな…。”
 あの時、シンジはアスカと一緒にEVA弐号機に乗った。
 “パイロットはアスカだったから起動したけど、何で僕がジャマにならなかったんだろう…。”
 初号機には私が乗る。赤城博士が、パーソナル・データの書換え準備をしてるもの。
 再び、レイの言葉を思い出す。
 “だから、僕は誰でも乗れると思って、自棄になって飛び出して、真辺先輩に会って…。”
 時と場所と状況によって物事は全て変化する。
 再び、クミの言葉を思い出す。
 “そうだ…綾波がいれば十分の筈なのに、僕は呼ばれた…それには、何か意味が有る筈だ…時と場所と状況、どれか一つでも違うと物事は変化する…何かが違うから、綾波は乗れなくて僕が呼ばれた…。”
 初めて見たレイは大怪我をしていて、自力で立ち上がる事さえ困難だった。
 “そうだ、あの時、綾波は怪我をしていた。だから代わりに僕が…でも、綾波の怪我が治っても、僕が乗らなければならなかった…。”
 ハーイ!ゆーあーなんばーわーん。
 再び、ミサトの言葉を思い出す。
 “シンクロ率の問題だろうか…僕が初めてEVA初号機に乗った時、シンクロ率は40%を越えていたらしい…あのアスカでさえ、初めてEVA弐号機に乗った時は全然シンクロしていなかったというのに…何故だ…僕が特別なのか?それともEVA初号機が特別なのか?”
 出撃。
 三度、ゲンドウの言葉を思い出す。
 “…父さんは僕を呼んで、いきなり出撃しろと言った…シンクロしなければEVAを動かす事さえできないのに…という事は、父さんは僕とEVA初号機がシンクロする事を確信していた…。”
 できっこないよ…ここに来て初めて見たんだよ…どうして僕が動かせるの?
 シンジは自分の言葉を思い出した。そして、それが切っ掛けとなって思い出す。今では記憶の隅に追いやられて、自分自身さえも忘れてしまった事を。
 “違う!僕は…僕はEVAを知っていた!まだ、母さんが生きている頃、僕はEVAを見た事が有った!”



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:20 WEAVING A STORY2:oral stage



 “うんうん、みんな悩んで大きくなるのよ。”
 クミはシンジがEVA初号機の中でいろいろ思い悩んでいるのを感じて頷いていた。
 と、その一室にまた新たに諜報部員が入ってきた。
 「懲りずにまた来たか。」
 「包み隠さず話して貰いたい。」
 「もう知ってる筈でしょ。だから私を殺そうとしてきたんじゃない。」
 「そうだ。殺した筈なのに生きている。」
 「死体の確認もせずに殺したと認識するなんて、諜報部員としてはお間抜けね。」
 一人目はここで頭に血が昇ってクミの襟元を掴んだ為、クミの抵抗を喰らって失神した。
 二人目はそれを知って、中に入るや否やクミを後ろ手に手錠を嵌めようとした為、これまたクミの抵抗を喰らって失神した。
 三人目も今、額に怒りの血管を浮き上がらせたが、そのまま尋問を続ける。
 「君は何者だ?」
 「さーて誰でしょう?」
 「君の名前は?」
 「名前はクイズだ!」
 「君の目的は何だ?」
 「ヒ・ミ・ツ。」
 「君の属している組織は?」
 「教えてあげない。」
 「いい加減にしろ!!」
 諜報部員は机を手で叩いた。が、クミは平然としている。
 「カツ丼とか有る?」
 「何の事だ?」
 「♪デカと、机を挟む時〜♪…必須アイテムでしょ?」
 「ふざけるな!!」
 とうとう諜報部員は怒り狂って立ち上がり、クミの襟元を掴んでしまった。
 「はい、ゲーム・オーバー。」
 途端に目にも止まらぬクミの鉄拳を喰らって三人目も失神した。
 クミの尋問は遅々として進まなかった。

 アスカはベッドにいた。
 「…ん…はぁ…んぅ…シ…シンジぃ…はぅ…。」
 時々、熱い吐息を漏らし、シンジの名を呟き、タオルケットの中で身体をもぞもぞと動かしている。
 “シンジ…寂しいよ…早く、戻ってきて…。”
 一方その頃、レイもベッドにうつ伏せになってシンジの事を想っていた。
 “碇くん…貴方に会いたい…貴方の声が聞きたい…。”


 <第30日・THE THIRTIETH DAY>
 『現在、LCL温度は36度を維持。酸素密度に問題無し。』
 『放射電磁パルス異常無し。波形パターンはB。』
 『各計測装置は正常に作動中。』
 サルベージ実行を前日に控え、EVA初号機とエントリー・プラグには特殊な電極やコードが射されている。胸の赤い光球だけはそのまま剥き出しになっているが、装甲板も元通りになっている。
 だが、上からEVA初号機を見下ろしているミサトは不安な表情をしていた。

 「サルベージ計画の要綱、たった一ヶ月でできるなんて、流石先輩ですね。」
 マヤが驚嘆の声を上げるが。
 「残念ながら原案は私じゃないわ。10年前に実験済みのデータなのよ。」
 リツコは無感動に答えた。
 「そんな事があったんですか?EVAの開発中に。」
 「まだ私がここに入る前の出来事よ。母さんが立ち会ったらしいけど、私はデータしか知らないわ。」
 リツコはモニターから目を離さず、キーボードでデータを入力していく。
 「先輩のお母さんて、あのMAGIシステムを開発した赤木ナオコ博士ですよね。その時の結果はどうだったんですか?」
 「だめだったらしいわ。」
 「え?」
 「失敗したのよ。…そして、碇司令が変わってしまったのは、多分その時からよ。」


 <第31日・THE THIRTY−FIRST DAY>
 “綾波は、何故EVAに乗るの?”
 “絆だから。”
 “絆?父さんとの?”
 “碇くんとの。”
 “僕?”
 “そう。”
 “どうしてそう思うの?”
 “私の心には何も無かった。何の為に生きるのか分からなかった。碇司令に会って、この人の為に生きるのだろうと思ってた。でも、碇司令は私を見ているようで、本当は他の誰かを見ていた。多分、私に似た誰かを…。でも、碇くんは違う。碇くんは、私そのものを見てくれている。私の為を思って、私を助けてくれた…私の為に、泣いてくれた…私に笑顔を教えてくれた…だから、私は碇くんの為に生きていきたい…碇くんを守ってあげたい…それが、私の生きている理由…。”

 “アスカは、何故EVAに乗るの?”
 “何でかな…前は、自分の才能を世の中に示す為って思ってたけど…。”
 “何でそう思ったの?”
 “だって、誰も私を見てくれないんだもん。お父さんがいないからって無視して、お勉強頑張ったら作られた天才だって無視して…でも、EVAのパイロットに選ばれたら、変わったの。EVAは世界を守る為に作られたロボット。私はEVAに乗って世界を救うの。そうしたら、みんな私への態度を改めたの。みんな、優しくしてくれたの。だから私はもっともっと頑張ったわ。ただ、頑張りすぎて、エリートのプライドだけが頼りみたいになっちゃったけど…でも、そこにシンジが現れてくれたの。”
 “僕が?”
 “そう。私は自分のプライドばかり守る事しか頭に無かった。他人を認める事なんかこれっぽっちも考えていなかった。初めて会ったシンジは何かどこにでも居る平凡な男のコに見えた。けど、シンジこそ、本当の天才だった。でも、私みたいに驕らず、ただ懸命で、私の事を何度も助けてくれた。シンジが私の身代わりにディラックの海に飲み込まれた時、私は一人になって思いっきり泣いた。それでわかったの。人と人は互いに認め合わなきゃいけないって…だから、シンジには感謝してる。だからシンジの事、好きになったのね。そうか、わかった。私はシンジと一緒にいたい。だからEVAに乗ってるのよ。”

 “シンジくんは何故、EVAに乗ってるの?”
 “ミサトさん…僕は、まだよくわからないんだ…最初は綾波を助ける為だったかもしれない。父さんが怪我してる綾波をEVAに乗せようとして、そのまま見過ごしたら、自分も父さんと同じひどい人間じゃないかって思って…それから、みんなが乗れっていうから…僕は嫌だったけど、でもみんなが困るんなら、何とかしないといけないと思って…それから何故僕じゃないと駄目なのか、それを知る為にはEVAに乗り続けないとわからないかもしれないと思って…そうしたら、敵を倒す度にミサトさんや父さんが誉めてくれて、それが嬉しくなって、きっといつかは父さんと仲直りできるんじゃないかと思ってた…それなのに…。”
 “それなのに?”
 “父さんは僕の気持ちをわかってくれない…僕が教えてって言っても、何も話してくれない…こんなに頑張ってるのに、父さんは少しも心を開いてくれないんだ…。人は一人で生きるって、理屈はわかるよ。でも、迷った時、父さんに相談したいのに、父さんはいつもいないんだ。人はお互いを完全にわかりあう事は不可能だと言って、いつも逃げているんだ。親子だけど、確かに個人そのものは別だから、わかりあうのは難しいかもしれないけど、何も話さずに最初から諦めてちゃ、何も始まらない。そうでしょ、ミサトさん。”
 “そうね…お父さんの心を開く為に、シンジくんはもっと頑張らなきゃいけない、と言う事じゃないかしら?”
 “これ以上何を頑張るの?僕は一生懸命にやってきたんだ…もう疲れちゃったよ…僕は安らぎが欲しい…僕の心が張り裂けないように…みんなに優しくして欲しいんだ…。”

 “わかったわ。優しくしてあげる。”
 “えっ?”
 “シンジくん…私と一つになりたくない?心も体も一つになりたくない?それは、とても気持ちの良い事なのよ…いいのよ、私はいつでも…。”
 “シンジ…あたしと一つになりたいでしょ?…心も体も一つになりたいでしょ?それは、とても気持ちの良い事なんだから…ほら、このあたしが言ってるのよ…早くおいでよ…。”
 “碇くん…私と一つになりましょう…心も体も一つになりましょう…それは、とても気持ちの良い事らしいの…碇くん…。”
 全裸のミサト、アスカ、レイが身を寄せて妖しくシンジに誘い掛ける。
 “シンジくん…私と一つになりたくない?心も体も一つになりたくない?”
 “シンジ…あたしと一つになりたいでしょ?…心も体も一つになりたいでしょ?あたし、シンジになら、初めてをあげてもいいわ。”
 “碇くん…私と一つになりましょう…心も体も一つになりましょう…。”
 “アスカ…。”
 “シンジくん…。”
 “シンジ…あたし、シンジと一つになりたい…心も身体も、一つになりたい…シンジの事が…好きだから…。”
 “碇くん…。”
 “アスカ…アスカ…僕も、アスカが好きだ…。”

 その頃、いよいよサルベージ作業が開始されようとしていた。
 ミサトは腕撫して初号機を睨み、リツコは白衣に手を突っ込んでいる。
 準備は全部整った。
 「サルベージ・スタート。」
 リツコの指示により、シンジの救出作業が始まった。
 『全探査針打ち込み終了。』
 『電磁波形、ゼロマイナス3で固定されています。』
 「自我境界パルス、接続完了。」
 「了解。第一信号送信。」
 「了解。第一信号、送ります。」
 「EVA初号機、信号を受信。拒絶反応は無し。」
 「続けて第二、第三信号、送信開始。」
 『対象カテゴシス、異常無し。』
 『デストルド、認められません。』
 「了解。対象をステージ2へ移行。」
 ミサトはじっと見守っている。

 “シンジくん。”
 ミサトの声がした。
 “シンジ。”
 アスカの声がした。
 “碇くん。”
 レイの声がした。
 “シンジ君。”
 リツコの声がした。
 “おい、シンジ。”
 トウジの声がした。
 “やあ、シンジ。”
 ケンスケの声がした。
 それは、シンジを取り巻く人々の声。シンジの帰還を願う人々の姿。だが、シンジは混乱する。
 “うるさい!やめてよ!僕はここにいたいんだ!アスカの顔を見ていたいんだ!アスカと一緒にいたいんだ!アスカと一つになりたいんだ!”
 シンジの願いにサルベージはジャマだった。

 警告音が鳴り響いた。
 シンジの自我を表すラインが理想値のXY軸中心を離れ、暴れ回る様にグラフをグルグルと回っている。
 「ダメです!自我境界がループ状に固定されています!」
 「全波形域を全方位で照射してみて。」
 「はい!」
 リツコがすぐに打開策を指示した。が、リツコの策に対する答えは虚しいエラー音だった。
 「ダメだわ…発信信号がクライン空間に捕らわれている。」
 「どういう事っ!?」
 「つまり…失敗。」
 リツコの言葉にミサトは愕然とする。
 次の瞬間、新たな警告音が重なった。
 エントリー・プラグ状況表示が【INTERVENTION BLOCKED】から【FULL NERVE CUT】、そして【TANJENT GRAPH REVERSE】に変わっていく。
 「干渉中止!タンジェント・グラフを逆転!加算数値を0に戻して!!」
 「はい!」
 やや焦り気味のリツコの指示をマヤが必死に実行していく。が。
 「旧エリアにデストルド反応!パターン・セピア!!」
 「コア・パターンにも変化が見られます!プラス0.3を確認!!」
 青葉と日向が更なる状況悪化を報告する。
 『プラグ内、水温上がります!…36…38…41…58…79…97…106!!』
 『体内アポトーシス作業、予定数値をオーバー!危険域に入ります!!』
 エントリー・プラグ内にも異常が見られ、LCLが沸騰して幾つもの気泡が上っていく。
 「現状維持を最優先!逆流を防いで!!」
 「はい!プラス0.5、0.8…変です!せき止められませんっ!!」
 「これは、何故…?帰りたくないの?シンジ君…。」
 逆流は止まらずに加速していく。思わずリツコはシンジに問い掛けていた。

 “アスカ…好きなんだ…一緒にいたいんだ…僕から離れないで…僕を抱きしめて!”

 幾つもの警告音が鳴り響き、モニターに『REFUSED』の文字が点滅している。
 「EVA初号機、信号を拒絶!」
 「LCLの自己フォーメイションが分解していきます!」
 「プラグ内、圧力上昇!」
 絶望的な報告をマヤ、青葉、日向が叫んだ。
 「全作業中止!電源を落として!!」
 リツコはそう言うしかなかった。
 「ダメですっ!プラグがイグジットされますっ!!」
 マヤの悲鳴にも似た報告と同時にエントリー・プラグのハッチが開き、エントリー・プラグからLCLが流れ出していく。
 「シンジくんっ!!」
 ミサトは絶叫していた。
 茫然とする全員の前でシンジの青いプラグ・スーツが床に流れ落ちた。

 “…私の出番ね。”
 クミは何十人目かわからない尋問者を前にカツ丼を食べながら思っていた。

 シンジのプラグ・スーツを抱きしめ嗚咽するミサト。
 「うっ…ううっ…うっ…うっ…ううっ…人、一人…人、一人助けられなくて、何が科学よ…シンジくんを返して…返してよ!!」
 シンジはもう帰ってこない…絶望したミサトがEVA初号機に怨嗟の絶叫をした時、ドアが開いてそこにクミが現れた。
 「シンジくーん。アスカちゃんが家で待ってるわよー。早く出ておいでー。」
 その間抜けな呼び掛けに目が点になるミサトと一同。だが、次の瞬間、EVA初号機のコアが青くなったかと思うと、コアから滲み出るようにしてシンジが出てきた。
 「狙いは過たず正確に。下手な鉄砲も何とか、じゃダメですよ。」
 「真辺さん…貴女…どうして…。」
 一ヶ月も大騒ぎして計画して、それで失敗して絶望していたのに、クミのたった一言でシンジが帰還したのでミサトは何が何だかわからなくてそれしか言えなかった。
 「二人が好き合っているの、知らなかったんですか?」
 ミサトの疑問にクミは笑顔で答えた。そう言えば、レイが無事だと伝えた時にアスカはシンジの事ばかり心配していた。どうやら、御飯の事で心配していたのではなかったのだ。
 「さてと、ネルフの中も大体見終わったし、そろそろ帰るとしますか。」
 クミはそう言って、呆然としているミサトをそのままにして出て行った。
 ちょうどその頃、尋問室のクミのシャドーは歪んで消えた。尋問していた諜報部員は「ご〜ん」という幻聴を聞きながらカクッと失神した。


 <第33日・THE THIRTY−THIRD DAY>
 残務整理も終わり、久々の自宅への帰宅の帰り道。
 ミサトが運転するアルピーヌの助手席にはリツコが乗っていた。
 「初号機の修復作業、明後日には完了するわ。」
 仕事を終えたというのに仕事の話をしてしまうリツコ。
 「結局、神様の力だって道具として使っちゃうのね。人間って奴は。」
 「どうかしら?委員会では凍結案も出ているそうよ。」
 「人造人間エヴァンゲリオン。人が造ったにしては未知の部分が多過ぎない?」
 皮肉った感じでミサトが問うが、リツコは何も答えない。
 「ま、シンジくんが助かったからいいけどさ。」
 「どう?久しぶりに飲んで行かない?」
 運転者に酒を勧めるべきではないのだが…。
 「んっ!?ごみん。今日はちょっちね…。」
 ミサトには先約が有るらしく言葉を濁した。
 「じゃ…。」
 リツコのマンション近くの交差点でリツコを降ろし、ミサトは去って行った。
 「シンジくんが戻った途端に、男と密会とはね…フフ、人の事は言えないか。」
 車が見えなくなり、リツコがポツリと自嘲気味に呟いた。

 何処かのホテルの一室。間接照明のせいでそこは薄暗い。
 「リツコは…今頃、いやらしい女だって軽蔑してるわね、きっと…」
 「情欲に溺れている方が人間としてリアルだ…少しは欺けるさ…。」
 ミサトと加持は気だるそうにベッドで寝そべっていた。
 「うちの諜報部を?…それとも碇司令?…リツコ?…それとも、私?」
 「いや…自分を…。」
 ミサトは俯せに寝そべり、加持は仰向けになって天井を回っているファンを眺めていた。
 「他人をでしょ…貴方、人の事には興味無いもの…その癖、寂しがる…本当、お父さんと同じね…。」
 「煙草…まだ吸っていたんだ…。」
 「こういう時にしか吸わないわ…だから、知ってるのは加持君だけよ…。」
 「そいつは光栄だな…。」
 「で…人類補完計画…何処まで進んでいるの?…人を滅ぼすアダム…何故、地下に保護されているの?」
 話している内容の割には、ミサトは甘い声を囁いている。
 「それが知りたくて、俺と会っている…。」
 「それも有るわ…正直ね…。」
 「御婦人に利用されるのは光栄の至りだが…こんな所じゃ喋れないな…。」
 「今は、私の希望が伝われば良いの。…ネルフ…碇司令の本当の目的は何?」
 「それはこっちが知りたい…。」
 と、加持は男女の営みを再開しようとした。
 「あん…もう…誤魔化さないで…。」
 と、言葉だけは拒否しながら悦楽の声を漏らしていたミサトだったが。
 「あっ…ちょ、ちょっと、変な物入れないでよ。」
 ミサトは慌ててそれを取り出し、枕元に置いた。それは、小さなカプセルだった。
 「もう…何?」
 「プレゼントさ。8年ぶりの。」
 「?」
 「最後かもしれないがな…。」



超人機エヴァンゲリオン

第20話「心のかたち 人のかたち」―――幻影

完
あとがき