「…また君に借りができたな。」 既に陽も落ちた頃、ネルフ本部の公務室でゲンドウが何者かと電話で話している。 『返すつもりも無いんでしょう。…彼らが情報公開法をタテに迫っていた資料ですが、ダミーも混ぜてあしらっておきました。』 ゲンドウがテーブルの資料を見る中、電話の相手が答える。 『政府は裏で法的整備を進めてますが、近日中に頓挫の予定です。…で、どうです?例の計画のほうも、こっちで手を打ちましょうか?』 「いや、君の資料を見る限り、問題は無かろう。」 テーブルの書類には何やらロボットらしき物体の頭部の写真も混ざっていた。 問題無いとはこのロボットの事か? 『…では、シナリオどおりに。』 電話は切れた。 とある朝。シンジとペンペンが朝食を食べていると、ようやくミサトが起き出して来た。 年頃の男のコの前だというのに、前開きのタンクトップとフレアーパンツという下着同然の格好。しかし、髪はボサボサ、寝ぼけ眼、ノドチンコまで見えるような大欠伸…あまりの見っとも無さが色気など跡形も無く吹っ飛ばしてしまっている。 もはやシンジも処置無しと匙を投げており、何も言わない。 「…んぐ…んぐ…んぐ…プッハー、クーッ、やっぱ朝一番はこれよねぇ〜。」 朝からビールをかっ喰らってハイテンションのミサト。 「コーヒーじゃないんですか?」 呆れるシンジ。 「あのねー、日本人は朝はご飯と味噌汁、そしてお酒と相場が決まってんの。」 「ミサトさんが…でしょ。」 「ガサツで悪うござんしたねぇ〜。」 「ズボラ、もでしょ。大体、今日の朝ごはん、誰の当番でしたっけ?」 「う…。」 ‘公正に’あっちむいてホイで決めた当番だ。ミサトは何も言い返せない。 「ミサトさんがその歳で独身なの、よくわかりました。」 「な、何よぅ。うっさいわねぇ。」 これがいつもの葛城邸の朝の光景だった。 「ホントに今日、学校に来るんですか?」 シンジが食器洗いをしながら訊ねた。 「あったり前でしょ、進路相談なんだから。」 ミサトは椅子の上に胡坐をかいてトーストを食べながら答えた。 「でも仕事で忙しいのに。」 「いいのいいの、これも仕事の一つだし。」 照れ隠しに少々おどけるミサト。 「…仕事…ですか…。」 少しショックを受けたシンジの返事は元気が無い。本当の親ならそれが仕事の筈が無い。自分の発言が迂闊だったことに気付き、ミサトは顔を曇らせた。 来訪のチャイムが鳴った。 「碇君、おはよ〜。」 「ミサトさん、お早う御座います。」 トウジとケンスケがシンジを迎えに来た。勿論、彼らのお目当ては外見上は美人のお姉さん、ミサトである。 「ミサトさん、恥ずかしいからその格好で出てこないでよ。」 「はいはい。」 「じゃあ、行って来ます。」 「はい、行ってらっさーい。」 手だけ出して振り、見送りの言葉を言うミサト。 トウジとケンスケは憧れのミサトの姿を拝見できなかった事でルルーと涙を溢している。 「早く行こうよ!」 シンジは二人を促し、学校に向かった。 二人と談笑しながら登校するシンジの姿はどこにでもいる14歳の中学生であり、普通の少年だった。誰が彼をこの街を守るエヴァンゲリオンのパイロットだと思うだろうか? しかし、それならそれで、無用のトラブルに遭う可能性も有る。 「今、家を出たわ。後のガードはよろしく。」 ミサトは諜報部に連絡を入れた。 シンジの見えないところで、大人達が動き出す。 「皮肉か…ま、くだけた表情が増えてきたのは、いい傾向かな。」 それはミサトの本音だった。ミサト自身も嬉しそうな表情をしている。 朝風呂上がりの全裸にバスタオル一枚首にかけ、またもビールを手にしたその姿は頂けないが…。 第壱中学校の校舎の裏側にある駐車場に、青いスポーツカーが飛び込んできたかと思うと、軽くドリフトさせて停車した。 「おおっ、来よったでぇ!」 トウジが廊下に駆け寄り、新しいビデオ・カメラを手にしたケンスケも続く。 颯爽と現れたミサトがサングラスを取ると、トウジたちの声に続いた他の男子生徒達から歓声が上がった。 「うおおっ、スッゲェ美人!」 「誰、あの人!?」 「碇の保護者だってよ。」 「何いいっ!碇ってあんな美人のお姉さんに保護されてんのか!!」 男子生徒達の歓声はまだ続いている。 「バカばっか。」 学級委員長のヒカリはそんな男子生徒達を見て呟いた。他の女子生徒達も男子生徒達を冷ややかな目で見ている。嫉妬以外の何物でも無い。ただ、レイだけは興味無さそうに何故かゲンドウのいつものポーズをとってグラウンドの方を眺めている。 “うわっ!こ、これはスゴイっ!!” ケンスケのカメラは上から撮っている。そのアングルは最高だった。ミサトの黄色いツーピースの下は白のビスチェ。僅かにビスチェの胸のラインとミサトのEカップのラインにずれが有り、ミサトの胸の谷間が見えている。 と、ミサトはケンスケがビデオ・カメラで撮影しているのに気付き、Vサインを送る。トウジもVサインを返し、ケンスケも慌ててVサインを作る。 シンジはと言えば、二人の横で引いていた。 「やっぱ、ミサトさんってええなぁ?」 トウジが陶然とした声で呟く。 「あれでネルフの作戦部長やいうのがまたスゴイ。」 「ああっ、あんな人を彼女にできたらなあ〜。」 ケンスケの言葉にシンジは呆れたように呟いた。 「苦労すると思うよ…。」 「わかってないな、シンジは。」 「何が?」 「よっしゃあ!地球の平和はシンジに任せた!だからミサトさんの事はワシらに任せろっ!!」 全く息の合ったトウジとケンスケにシンジは背中をどやされた。 「地球の平和か…その為のEVA。」 放課後、ネルフ本部のEVA初号機ケージで起動実験が行われている。今日は戦闘訓練はないのでLCLの注入は必要なく、シンジも学生服姿だ。 「EVAって何々だろう…。」 まだ、真実はシンジに知らされていない。 実験終了後、日向、マヤ、リツコ、ミサト達の会話。 「零号機の胸部生体部品はどう?」 「大破ですからね。新作しますが、追加予算の枠、ギリギリですよ。」 「これでドイツから弐号機が届けば少しは楽になるのかしら?」 「逆かもしれませんよ。地上でやってる[使徒]の処理もタダじゃ無いんでしょう?」 「ホント、お金に関してはセコイ所ね。人類の命運を賭けてるんでしょ、ココ。」 「仕方ないわよ。人はEVAのみで生きるに非ず。生き残った人達が生きていくにはお金が掛かるのよ。」 同時刻。ゲンドウは超高空を飛ぶSSTOの中に居た。 「こちら、よろしいですか?」 後方からやってきた男はゲンドウに声を掛け、了承されてもいないのにゲンドウの横に座った。ゲンドウは窓の外を見ている。 「サンプル回収の修正予算、あっさり通りましたね。」 「委員会も自分達が生き残ることを最優先に考えている。その為の金は惜しまんよ。」 「使徒はもう現れない、と言うのが彼らの論拠でしたからね。ああ、もう一つ朗報です。米国を除く全ての理事国がEVA六号機の予算を承認しました。まあ、米国も時間の問題でしょう。失業者アレルギーですからね、あの国。」 「君の国は?」 「EVA八号機から建造に参加します。第2次整備計画はまだ生きていますから。ただ、パイロットが見つかっていないという問題は有りますが…。」 「使徒は再び現れた。我々の道は奴らを倒すしかあるまい。」 「私もセカンド・インパクトの二の舞は御免ですからね。」 ゲンドウの見ている窓の外…そこにはセカンド・インパクトによって氷も大陸も消滅し、海が赤く変色した南極が広がっていた。 再び、ネルフ本部。移動通路上のリツコ、ミサト、シンジ。 「15年前、人類は最初の使徒と呼称する人型の物体を南極で発見した。でも、その調査中に原因不明の大爆発が起きたのよ。それが、セカンド・インパクトの原因。」 「じゃあ、僕たちのしてる事は…。」 「これから起きるかもしれないサード・インパクトを未然に防ぐ。その為のネルフとEVAなのよ。」 ミサトは会話に参加しない。聞えてないような振りをしているようにも見える。 と、リツコが話題を変えた。 「ところでアレ、予定通り明日やるそうよ。」 「わかったわ。」 アレとは………? そして翌日。また、いつもの朝が…始まらなかった。 食卓に顔を出したミサトはいつもの見っとも無い姿ではなく、ネルフの正装姿だった。 呆然とするシンジと、驚きのあまり口を開けて魚を落としてしまうペンペン。 「お早う。」 「お、お早うございます。」 きりっとした表情のミサトに圧倒されながらも挨拶を返すシンジ。 「仕事で旧東京まで行ってくるわ。多分帰りは遅いから何かデバって。じゃ。」 そういってミサトは出かけていった。 そして、いつもどおりシンジはトウジ、ケンスケと共に登校中。 「やればできるのかもしれないな。」 「ん、何の事や?」 「いや、只の独り言だよ。」 「それにしても、今日はミサトさんの声さえ聞けんかったとは…ワシは悲しい。」 「いいよなあ、シンジは。毎日ミサトさんの声が聞けて。俺も一度でいいからエヴァンゲリオンに乗ってミサトさんに命令されてみたい。」 「それなら私が命令してあげようか?」 いきなり後ろから声がして振り向くと、そこにはクミがいた。 「あれ、真辺先輩。珍しいですね、朝会うなんて。」 「いつもこの道通ってたんですか?でもあまり姿を見かけた事無かったような…。」 「ん、ああ、昨日は違うところに泊まったから、こっちを通る事になっただけ。」 「えっ?泊まったってどこに?」 「ま、まさか、大人のホテルじゃ…。」 「バカモノ!」 クミはトウジの頭を叩いた。 「す、すんまへん!」 「先輩って自由奔放ですね。」 「そう?葛城さんには負けると思うな。」 「いやあ、ミサトさんもやる時はやるみたいですよ。今朝だって仕事で旧東京に行くからって、ちゃんとした格好で出かけましたから。」 「旧東京?ふーん、もしかしてあれかな?」 「えっ?先輩、何か知ってるんですか?」 「何かね、ネルフとエヴァンゲリオンに対抗して、民間で作ったロボットの完成パーティーとかがあるみたいよ。」 「ロボット!?それ、どんなのですか?」 ケンスケの目が輝く。 「残念ながら、エヴァンゲリオンに較べたら、全然カッコ悪くてダッサダサ。あれじゃ役に立たないでしょうね。」 クミは顎に手を当てて、頭の中に対象物件の資料を思い浮かべながら答えた。 「しかも名前がJAよ。農協じゃあるまいし。」 「何で農協が出てくるんでっか?」 「鈴原。キミは英語をもっと勉強するように。」 「Japan Agricultureで農協だよ。頭文字を取ればJAだろ。」 「はー、確かに。じゃ、農協を訳すとJAでいいんやな。」 「…キミは国語の勉強ももっと必要みたいだね。」 クミはどっと疲れたような気がした。 「でも、本当に真辺先輩は何でも知ってるんですね。」 「うーん、知識欲や好奇心が人より旺盛なだけよ。知識は人を助けてくれるから。」 「学校で習う事も僕達を助けてくれるんですか?」 「多分ね。今の社会は高校を卒業した者しか一人前として扱ってくれない。高校に入るには中学校で学んだ知識が必要。大きく見ればそんなところかな。」 「小さく見れば?」 「数学、計算ができないとお金が使えない。国語、字が読めないと理解できない。英語、読み書きできないと世界を相手にできない。」 「理科と社会は?」 「あのねぇ、たまには自分で考えなさい。」 第壱中に着いた四人は昇降口で別れた。 「いい人だよね、真辺先輩って。」 「おや?もしかして?」 「それは許さへんで。ミサトさんと一緒に暮らしてるのに、これ以上幸せを求めようっちゅうんか?」 「二人とも、何か勘違いしてない?」 などとふざけあいながらも三人は2−Aに入った。 シンジが机に座ると、すぐにレイが傍に寄ってきた。 「碇くん。」 「あ、お早う、綾波。」 「返して。」 「…何?」 「返して。」 レイはそう言ってシンジに手を差し出した。 「いや、だから、何を?何か借りたっけ?」 いつのまにか周囲は二人を遠巻きに見ている。人に自分から話し掛けるレイを初めて見たのだから無理も無い。 「大事な物なの。返して。」 「もしかしてあの眼鏡?知らないよ、僕。」 大事な物と聞いてシンジはあのゲンドウの眼鏡を思い出した。レイはゲンドウに助けられた。だからゲンドウを信頼している。あの眼鏡はゲンドウとレイの絆を示す物だ。 「眼鏡じゃないわ。でも、大事な物なの。」 「綾波。悪いけど、はっきり言ってくれないと何の事かわかんないよ。」 「下着。」 「は?」 「私の下着。」 「そ、それが、どうしたの?」 「一枚無くなってるの。返して。」 「ちょ、ちょっと待ってよ!僕が綾波の下着を盗んだって言うの!?」 「何ですってええぇ〜!!」 ヒカリ以下、クラス中の女子生徒達が殺到してきた。 「それ、本当なの、碇くん!?」 「信じられない!!」 「幻滅だわ!!」 「違うよっ!きっと綾波の誤解だよっ!」 身に覚えの無い濡れ衣を着せられ、シンジは大パニック。 「みんな静かに!綾波さん、詳しく話して。」 ヒカリが場を鎮めて事実関係の確認を始める。 「この前、シャワーを浴びてたら碇くんが家に来ていたわ。」 「セキュリティ・カードを届けに行ったんだ。」 「それで。」 「碇くんがぶつかってきて、押し倒されたわ。」 「何ですってええぇ〜!!」 「わざとじゃないんだ!慌てて前を見ていなかったからたまたまそうなったんだ!」 「静かに!それで、何故下着が盗まれたってわかったの?」 「今朝、枚数を数えたら、一枚足りなかったの。」 「だから、どうして僕が盗んだ事になるんだよっ!?」 「その後、誰も家に来なかったわ。」 「………状況からして………。」 「………犯人は………。」 「………碇くんしか有り得ないわ………。」 「ち、違うよっ!僕はそんな事やってない!これは誰かの陰謀だよっ!」 「…サイテー…。」 「…ヘンタイ…。」 「…女の敵だわ…。」 シンジの必死の言葉に女子生徒達は聞く耳を持たず、逆にシンジをなじって自分の席に戻っていく。 「綾波さん、もうすぐホームルーム始まるから、また後にしましょう。」 ヒカリの言葉にレイは肯いて一応自分の席に戻った。 「………。」 シンジは無言で俯いた。 「シンジもアホやな。何が悲しくて女のパンツなんか盗んだんやろな?」 「トウジ。物的証拠が全然無いじゃないか。状況証拠だけで犯人と断定するのは圧倒的に冤罪になるケースが多いんだぞ。」 「じゃあ、どうやったらシンジの無実を証明できるんや?」 「アリバイとか、第三者の証言とか、逆証があればいいんだけど。」 シンジはパニック状態で、自分の他にクミがいた事を忘れていた。 EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION EPISODE:7 A HUMAN WORK 第28放置区域(旧東京都心)―――セカンド・インパクトによる水位の上昇で水没し、放置されたビル街の上空をミサトとリツコの乗るネルフ専用VTOL機が飛んでいた。 二人が今日こんな所にやってきたのはある式典に出席する為だった。 「何もこんな所でやらなくてもいいのに。で、その計画、戦自は絡んでるの?」 と少々ゲンナリしているミサト。。 「戦略自衛隊?いえ、介入は認められずよ。」 リツコが書類を見ながら答える。 「どおりで好き勝手にやってるわけね。」 地上に見えるドーム、そこで日本重化学工業共同体の製作した無人の[使徒]迎撃ロボット、[JA](ジェット・アローン)の完成披露記念会が行われようとしていた。 大勢の招待客の中で、ネルフ御一行様のテーブルもあるが、そこにいるのはミサトとリツコの二人だけ。形式だけの招待であることは明白だった。しかも妙に馬鹿でかいテーブルの真ん中にビールが数本あるだけ。手を伸ばしたって届きゃしない。という事は、どうやって置いたのか…? 拍手の中、壇上に責任者、時田シロウが挨拶に上がった。 「えー、本日は日本重化学工業共同体製作によるジェット・アローンの完成披露記念会にお集まり頂きまして誠に有難う御座います。スペックについてはお手元の資料を御覧頂く事にしてここは質疑応答の場にしようと思います。忌憚の無いご意見ご質問をどうぞ。」 「はい。」 早速リツコが手を上げた。 「おお、これは高名な赤木リツコ博士。お噂はかねがね承っております。」 「質問をよろしいですか?」 「どうぞ。」 「先程の説明によりますと、リアクターを内蔵とありますが、格闘戦を前提とした兵器としては危険ではないでしょうか?」 「3分しか持たない決戦兵器よりは遥かに長時間の作戦行動が可能ですよ。」 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 「よしなさいよ、大人気ない。」 しつこく時田に食い下がるリツコを背にミサトはつまらなそうに呟いた。 「まさか、科学と人の心があの化け物を押さえるとでも?本気ですか?」 「ええ、勿論ですわ。」 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 「何と言われようと、ネルフの主力兵器以外、あの敵性体は倒せません!」 リツコは時田を見据えて断言した。 「このっこのっこのっ、ったく、あの俗物どもがっ!どうせウチの利権にあぶれた連中の腹いせでしょ!ハラ立つわねええぇ〜っ!」 ミサトがロッカーを怒りに任せて蹴りつけ、ボコボコにしている。ビールが飲めなかった事も加わって怒り倍増だ。 「およしなさいよ、大人気ない。自分を自慢して誉めて貰いたがってる…たいした男じゃないわ。」 リツコはそう言ってJAのパンフに火を付けた。 「でも、何であいつ等がATフィールドまで知ってんのよ!」 「極秘情報がだだ漏れね。」 「諜報部は何やってんのかしら!?」 JAの起動テストがいよいよ始まった。巨大格納庫が左右に別れ、中からその姿を現すJA。しかし、その内部にある制御室で、データが消去され書き換えられている事を時田以下スタッフは誰も知らなかった。 「テスト開始。」 「全動力開放。」 「圧力、正常。」 「冷却機の循環、以上無し。」 「制御棒、全開へ。」 「動力、臨界点を突破。」 「出力問題無し。」 「歩行開始。」 「歩行、前進微速。右脚、前へ。」 「了解。歩行。前進微速。右脚、前へ。」 「へー、ちゃんと歩いてる。」 ミサトは双眼鏡で見ながら呟いた。リツコは壁に凭れ、見ようともしない。 だが、突然リアクターの内圧が上昇した。安全装置は作動せず、時田は緊急停止を指示した。それでも命令信号を受信せず、歩行を停止しないJA。 制御不能である。有り得ない事態にコントロール・スタッフは混乱する。そして、直進するJAはコントロール・ルームのあるドームを踏み抜き、そのままの速度で遠ざかっていった。 「開発者に似て、無礼なロボットね。」 埃を被ったミサトは、呆然とし奇跡を待つしかないという時田に迫った。 「奇跡を待つより捨て身の努力よ!停止手段を教えなさい!」 全プログラムを白紙に戻すパスワードを入力すれば、JAは停止する。が、そのパスワードを時田は知っているものの、上の許可が無いと教える事もできない。だが、時田が上司に連絡を入れても、政府関係者はことごとくこの問題を盥回しにする。政府には、責任を持って処理できる才覚を持った者等いなかったのだ。 「間に合わないわ!爆発してからじゃ遅いのよ!」 廃墟となった市外を歩行するJA。その内部ではリアクターに異常が発生し、炉心融解の危機が迫っている。融解し、さらに何らかの外因で爆発を誘発すれば関東は放射性物質に汚染されてしまう。 その最悪の事態だけは避けねばならない。ミサトは独断で行動する事を時田に告げた。 「日向くん、厚木に話つけといたから、シンジくんと初号機をF装備でこっちによこして。そ、緊急事態。」 着替えながら日向に連絡して指示を出すミサト。 「無駄よ。おやめなさい、葛城一尉。第一、どうやって止めるつもりなの?」 「人間の手で、直接。」 リツコにそう答えながら、ミサトは放射線防護服を取り出して着替えた。 ミサトの考えた手段とは、JA内部に直接乗り込み、自らの手でプログラムを消去するという危険極まりないものであった。 ミサトの指示を受け、ネルフの大型全翼輸送機(STOL)が飛来した。そしてその機体下部からEVA初号機が投下され、着地した。それを見上げる人々。 管制員達が制御コンソールを破壊した。 「指揮信号を切りました。これで背後のハッチが手動で開けられます。」 「希望…全プログラム消去のパスワードです…お願いします。」 時田も正式な許可が下りる前に教えてくれた。 「有難う。」 ミサトは通信機でシンジに作戦内容を説明した。 「現在、JAのリアクターに異常が発生してるわ。あと少しで炉心融解の危険があるの。そこで、シンジくんは私を乗せたままJAに接近し、私を取り付けて。その後は私が何とかするから、シンジくんは初号機でJAの移動を食い止めて。」 『それって、ミサトさんがあれに乗り込むって事ですか?』 「そうよ。」 『そんな無茶な!』 「他にベターな方法が無いの。大丈夫、EVAなら万が一の衝撃にも耐えられるわ。」 『じゃなくて、ミサトさんが!』 「ま、やれる事はやっとかないとね。後味悪いでしょ。」 『ミサトさん…わかりました。絶対死なないで下さい。』 「わかってるわ。それじゃあ、お願い。」 EVA初号機は右手を地面に置き、ミサトがその上に腹這いで乗ったのを確かめると再び立ち上がった。 『行きます!』 EVA初号機は猛然と走り出した。 陽光が廃墟の旧東京を照らしている。その中を歩く巨大な影と走る巨大な影。 あっという間にEVA初号機はJAに追いつき、その前進を止めた。 「いいわ、やって!」 ミサトの指示でEVA初号機の右手がJAの背後に差し出され、ミサトはJAの上に飛び降りた。見守るシンジにミサトはVサインを出し、JAのハッチを開けてその中へ入っていった。 「すごい熱。こりゃまずいわね。」 ミサトは怯む事無く奥へ進み、制御システムのコンピューターを開けて[KIBOU]とパスワードを入力した。だが。 「ERROR!?何よこれ!?」 ミサトは続けて二、三度同じ作業をしたが、いずれも[ERROR]の表示がディスプレイに浮かび上がった。 「プログラムが変えてあるんだわ!間違い無い!!」 ミサトは周囲を見回した。制御棒のロック・ボルトが飛び出ている。 「こうなったら!!」 ミサトはロック・ボルトに飛びつき全力で押し始めた。これを中に押し込めば、外に出ている制御棒もJA内部に挿入される筈だ。だが、ロック・ボルトは重く、硬くなかなか動こうとはしない。 「う〜〜ん、動けええぇ〜〜。」 ミサトの必死の奮闘が続くが、JA内部の圧力は限界に届こうとし、爆発寸前。JA各部からも蒸気が噴出し始めた。 『ミサトさん!!逃げてえぇっ!!ミサトさんっ!!』 シンジが絶叫する。 「もう、だめだ…。」 時田が呟いた瞬間、プログラムが作動し、ロック・ボルトが全て引き込まれた。そして制御棒も全て挿入され、JAは停止した。 「奇跡だ…奇跡が起こった!」 喜ぶスタッフを横目で見ながらリツコはぽつりと呟いた。 「…あのバカ。」 一方、シンジはミサトに無事かどうか呼び掛けていた。 『ミサトさん!大丈夫ですか!?ミサトさん!!』 「大丈夫よ、シンジくん。ちゃんと生きてるわよ。」 『よかった…無事で…でも、僕見直しちゃいました!本当に奇跡は起きたんですね!』 「まあ、ね…。」 ミサトの表情は硬い。 “奇跡は用意されてたのよ…誰かにね。” その陰謀が誰に計画された物であったか…ミサトはある程度気づいていた。 「EVA初号機の回収は無事終了しました。汚染の心配はありません。葛城一尉の行動以外は全てシナリオ通りです。」 リツコがゲンドウに報告した。 「御苦労だった。」 シンジがミサトと共に帰宅すると、留守番電話が一件入っていた。 『もしもし、真辺です。シンジくん、今日は大変だったね。でも安心して、疑いは晴れたから。クラスメート達も反省してるし、明日はちゃんと出てきてね。じゃ。』 「真辺先輩…。」 「何々、今日学校で何かあったの?」 「い、いえ、何でも無いです。」 「ホントに?何か疑いがどうとかクラスメートがどうとか言ってたみたいだけど…もしかして、シンジくん学校でいじめられてるの?」 「まさか!」 「シンジくん、正直に話してよ。私はシンジくんのお母さんのつもりとは言わないけど、それでもシンジくんの事、大切に思ってるんだからね。」 「ミサトさん…わかりました…。」 シンジは今朝の災難を正直に話した。 「何か、いけない事だけど、急の出動が天の助けみたいな感じで…。」 「そっか…でも、シンジくんがそんな事する訳無いもんね。もし、女性の下着に興味があるのなら、私の分で事足りるもんね。」 「いや、そういう事じゃ…。」 「で、どうするの?明日学校に行くの?」 「ええ…、何か真辺先輩が僕の無実を証言してくれたようだし…。」 いや、実はそれも違っていた。 時間を戻して、昼休み。シンジが緊急出動で2−Aを出て行ってから少し後。クミが妙な噂を聞きつけてやってきた。 「綾波さん、私の事は覚えてる?」 レイは無言で肯いた。 「正直に話してくれないかしら?シンジくんに下着泥棒の濡れ衣を着せたのはあの時、胸を触られた事が許せないから?」 「違うわ。」 「ちょ、ちょっと待った!先輩、今何と?」 トウジが聞き捨てならない言葉を耳にして駆け寄ってきた。 「シンジくんが目を瞑って出て行こうとして綾波さんとぶつかって、二人とも倒れた。不可抗力だけど、たまたまシンジくんは綾波さんの胸に手をついてしまった。私はちゃんと見ていたわ。」 「シンジの奴〜。そんないい目に遭うてたとは…。」 「鈴原!話の腰を折らないで!」 ヒカリがトウジの耳を引張って遠ざけた。 「じゃあ、何でシンジくんが下着泥棒だと思う訳?私は一緒にいたけど、シンジくんにそんな素振りは無かったわよ。」 「今朝、枚数を数えたら、一枚足りないの。あの後、私の家に来た人は誰もいないわ。」 「貴女、下着は何枚持ってるの?」 「何故?」 「いいから答えて。」 「…30枚よ。」 「で、今朝数えたら、何枚だったの?」 「29枚。一枚足りないわ。」 「………今、家に29枚あるのね?」 「ええ。」 「じゃあ、貴女今、下着履いてないの!?」 「………あっ………。」 少ししてレイははっと気付いた。 クミはしゃがんでレイのスカートの中をちらりとのぞいた。 「最後の一枚発見。」 ヒカリはどっと疲れを感じた。 「あ、綾波さ〜ん…。」 「そうか、29+1で30や。だから数学も必要なんや。」 「鈴原!」 デリカシーの無いトウジの頭をクミが叩いた。 「ったく、トウジったらデリカシーが無いんだから。で、先輩。これでシンジへの疑いは晴れた訳ですよね。」 ケンスケが確認を入れる。 「ええ。そうね、綾波さん?」 「…ええ…。」 「ええーっ、うっそーっ!」 「どうしよう、私、碇くんに酷い事言っちゃった!」 「私も!」 「綾波さん、貴女のせいよ!」 「碇くんに嫌われたら、私…。」 女子生徒達は大パニックになった。事はシンジとレイの問題だったのに、女性の心理からかレイを守る為にシンジを口撃してしまったのだ。しかし、レイが彼女達に助けを求めた訳でもなく、自分達で勝手にした事であり、レイに文句を言うのは筋違い。 で、クミがそんな女子生徒達を静める。 「はいはい、静かに!そんなに騒ぐ事じゃないわ。悪いと思ったら、謝ればいいの。特に綾波さん、貴女がね。」 「は、はい。」 クミの一睨みの前にレイは直立不動。 「そや、謝ればええんや。それでシンジは許してくれる。あいつは女みたいにしつこくないからのう。」 トウジは偉そうに腕撫して肯いた。それに対するクミのコメントは…。 「経験者は語る、か。キミも時にはいい事言うね。要らない事も言ったみたいだけど。」 この時の不用意な発言でトウジの女子の中での人気は一気に下降したらしい。 そして翌日。 また、いつもと同じ朝が始まった。 昨日、ミサトを見直したシンジだったが、結局ミサトは一昨日の彼女に戻ってしまった。 「さーって、ブラとパンツはどこかいな?♪」 シャワーを浴びてバスタオル一枚で鼻歌交じりでうろつくミサト。 「ったく、昨日はカッコ良かったのに、家の中じゃ見っとも無いよ!ホントにズボラだし、ガサツだし、グータラだし、だらしないし…見ているこっちが恥ずかしくなるよ!」 「…シンジもお子様な奴っちゃな。」 「何でだよ?」 「他人の俺達には見せないホントの姿だろ。それって家族じゃないか。」 「家族…うん、そうだね。」 トウジとケンスケの指摘で気付いたシンジは笑顔になった。 シンジたちが2−Aに到着すると、既に女子生徒達は全員登校していた。そして、黒板には大きな文字で、『碇君、ゴメンナサイ。女子一同』の文字が書かれてあった。 「碇君、私達を許してくれる?」 ヒカリが代表してシンジに訊いた。 「もう、気にしてないよ。」 シンジは微笑んで答えた。 「やったー。」 「よかったぁ。」 女子生徒達はみなほっとして明るい表情になり、安堵の溜息をついた。 「うん、それでこそ、男だね。」 「真辺先輩…お早うございます。」 「お早う。後は…綾波さん。」 「はい。」 クミに呼ばれてレイがシンジの前にやってきた。 「ちゃんと謝りなさい。」 「あ、いや、もういいんだよ。」 シンジは遠慮したが、レイはクミの言いつけに従って謝罪の言葉を述べ始めた。 「碇くん…変な事言ってごめんなさい…これからは、気をつけます…。」 だが、レイは俯いたまま、固まった。 「綾波、どうしたの?もういいんだよ。気にしてないから。」 「私…こういうの、初めてだから…どんな顔をすればいいのか…!」 つい、いつぞやも同じ事を言った。レイはその時を思い出した。 顔を上げたレイの前には笑顔のシンジの顔があった。レイはあの時と同じように今のシンジと同じ笑顔になった。 「それが謝る時の顔かっ!」 クミがレイの頭を叩いた。 その夜、クミはパソコンの画面を見て呟いていた。 「検査結果は異常無し、か。」 レイの部屋から本当に盗まれた物、それは血が付着した包帯の一片だった。 「何かちょっと違うように感じるんだけどな。」 超人機エヴァンゲリオン 第7話「人の造りしもの」―――陰謀 完 あとがき