超人機エヴァンゲリオン

第2話

見知らぬ、天井

 「いいわね、シンジくん。」
 「は、はい。」
 「最終安全装置、解除。エヴァンゲリオン初号機、リフト・オフ!」
 ミサトの号令でEVA初号機の身体を固定していた輸送台の拘束装置が解除された。が、シンジは次に何をすればいいのか、全くわからない。
 「シンジ君、今は歩く事だけを考えて。」
 リツコがアドバイスを送った。
 「歩く…。」
 “歩く…。”
 シンジは呟いてから、喋るのではなく考えるのだと気づいて、心の中で念じた。すると、EVA初号機は歩き始めた。が、シンジはすぐに前方の[使徒]に気づいてはっとした。
 昼間の出来事が脳裏にフラッシュ・バックし、一瞬怯えるシンジ。
 「ま、待て、止まれ…。」
 が、止まっても何の意味も無い。戦わなければいけないのだから。
 「…く…くそっ、やってやる、やってやるさ!」
 「シンジくん!?」
 「行けえぇっ!!」
 EVA初号機は猛然と走り出した。
 「あっ、だめっ!シンジくん、待ちなさいっ!!」
 ミサトが静止させようと指示を出したがもう遅かった。
 「うおあああああっ!!」
 シンジはそのまま体当たりするつもりだった。だが、[使徒]はひょいと身体を左に開いてEVA初号機との正面衝突を避けた。
 「あっ!?」
 思わずシンジは通り過ぎた[使徒]の方を振り返った。
 「シンジくんっ、前っ!」
 ミサトが慌てたがもう遅かった。前方不注意のEVA初号機は直進コースから外れ、ビルの壁面に斜めから激突し、もんどりうって倒れた。
 「ううう…。」
 ビルと、そして地面との衝突でシンジの身体も衝撃を受けていた。
 「シンジくん、しっかりして!早く起き上がるの!」
 ミサトの指示が出たがもう遅かった。[使徒]はEVA初号機の目前に迫ってきていた。
 [使徒]は右手でEVA初号機の首を掴んで吊り上げた。
 「がっ!」
 見えない手に首を絞められているようで、シンジは思わず自分の首に手をやるが、呼吸できない苦しみから逃れる事はできない。
 「どうなってんのよリツコっ!これじゃ何もできないじゃない!」
 「こんなのおかしいわ。あのシンクロ率でここまでパイロットにリターン・フィードされるなんて…。」
  考えられる事は、さっきよりもシンクロ率が上がっているという事だ。そう推測したリツコはすぐに部下のマヤに指示を出した。
 「マヤ、神経回路のフィード・リターンのレギュレーター・レベルを一桁下げてみて!」
 「はいっ、やってみます!」
  だが、それももう遅かった。[使徒]は残った左手でEVA初号機の顔を掴んだ。[使徒]の左掌にある穴から赤白い光が漏れてくる。
 「シンジくん、避けてえぇーっ!!」
 ミサトは叫んだがもう遅かった。[使徒]のビームがEVA初号機の顔面に打ち込まれた。
 「うぐっ…ぐあっ…いぎっ…。」
 シンジは右目を襲う激痛に両手で右目を押さえて悶え苦しむ。
 「このままじゃ、装甲が持たない!」
 リツコの言葉の直後、[使徒]のビームは遂にEVA初号機の頭部を貫いて後方のビルを直撃した。さらに[使徒]は、頭部に開いた穴からおびただしい量の赤い液体を噴出させたEVA初号機をビームの直撃を受けたビルに投げつけた。
 ビルに叩きつけられたEVA初号機は赤い液体の噴出が収まると、その目の輝きを失った。
 警告音が第一発令所に鳴り響いた。
 「頭部破損!損傷レベル不明!」
 「制御神経が次々断線していきます!」
 「シンジ君は!?」
 「モニターに反応無し、生死不明です!」
 「EVA初号機、完全に沈黙!」
 「ミサト、もうだめだわ!」
 「作戦中止!パイロット保護を最優先!プラグを強制射出して!」
 「だめです!完全に制御不能です!!」
 「何ですって!?」
 が、その時、再びEVA初号機の目に輝きが戻った。


 とある、光が差し込んでいる一室。そこにあるベッドにシンジが眠っていた。
 “もう大丈夫よ、シンジくん。”
 誰かの声が聞こえたと思った瞬間、シンジは目を開いた。
 “誰だったんだろう…それにここは…そうか、泊まったんだっけ…。”
 シンジは天井を見て呟いた。
 「…僕は…生きてるんだな…。」

 第三新東京市のとある地面に土がむき出しになったクレーターができていた。その周囲には立ち入り禁止の札が立てられており、一般市民の接近を防いでいた。クレーターの中央にはUNと書かれたテントがあり、放射線防護服を着た者達がなにやら作業をしていた。
 それは皆ネルフの人間だったが、テントのUNという文字はカモフラージュに他ならない。

 とある一室に集った六人の男。周囲は真っ暗だが、テーブルの六色の光が男達の存在を示していた。出席者はゲンドウと外人風の男達。
 「使徒再来か…。あまりに唐突だな」
 紫色に染まった、バイザーをかけている人物が徐に口を開いた。
 「15年前と同じだよ。災いは何の前ぶれもなく訪れるものだ」。
 緑色に染まった男が同意した。
 「幸いとも言える。我々の先行投資が、無駄にならなかった点においてはな。」
 赤色に染まった男が部分的に評価した。
 「そいつはまだわからんよ。役に立たなければ無駄と同じだ。」
 青色に染まった男が少々反論した。
 「左様。いまや周知の事実となってしまった使徒の処置、情報操作。ネルフの運用は全て適切かつ迅速に処理して貰わんと困るよ。」
 黄色に染まった男がゲンドウに苦言を呈した。
 「その件に関しては既に対処済みです。ご安心を。」
 
 『昨日の特別非常宣言に関して政府の発表が今朝、第二―』
 『Pi』
 『今回の事件は―』
 『Pi』
 TVのチャンネルが次々と変えられるが、どこも昨夜の非常事態宣言の政府発表を全く同じ画面で放送している。
 「発表はシナリオB−22か。またも事実は闇の中ね。」
 防護服を着たミサトがうちわを仰ぎながらテレビを消した。
 「広報部は喜んでいたわよ。やっと仕事ができたって。」
 後ろで同じく防護服を着たリツコが何かの作業をしながら答える。
 「うちも、お気楽なもんねぇ〜。」
 「どうかしら、本当はみんな怖いんじゃないの?」
 「あったりまえでしょ…。」
 ミサトは今までのおどけた口調ではなく真面目に呟いた。

 「ま、その通りだな…。しかし、碇君。ネルフとEVA、もう少し上手く使えんのかね。」
 「零号機に引き続き、君らが初陣で壊した初号機の修理代。国が一つ傾くよ?」
 「聞けばあのおもちゃは君の息子に与えたそうではないか。」
 「人、時間、そして金。親子揃って幾ら使えば気が済むのかね。」
 「それに君の任務はそれだけではあるまい。“人類補完計画”。これこそが君の急務だぞ。」
 「左様。その計画こそがこの絶望的状況下における我々の唯一の希望なのだ。」
 「いずれにせよ、使徒再来における計画スケジュールの遅延は認められん。予算については一考しよう。」
 議題を進行する責任者らしきバイザーの男が議論を打ち切り、ゲンドウに告げた。
 「では、あとは委員会の仕事だ。」
 「碇君、ご苦労だったな。」
 鈍く響く音と共に四人の姿が突然消える。
 「碇。後戻りはできんぞ。」
 一人残ったバイザーの男がそう言い残し鈍く響く音と共に消えた。
 「わかっている。人間には時間がないのだ。」
 ゲンドウは自分に言い聞かせるように一人ごちた。

 通路に立ち窓の外を見ているシンジ。窓の外は緑が広がっている。と、ドアの開く音が響き、続いてキャスターを転がす音が近づいてきた。シンジがその音の方を見ると、移動ベッドに一人の患者がいた。
 「あ、君は…。」
 それは、いつぞや出会った蒼銀の髪の少女だった。が、その少女はシンジを見ても無表情のまま通り過ぎていった。
 “僕の事、覚えてないのかな?”

 「オーライ、オーライ。」
 EVAが使う銃器や弾薬等が街中で着々と補充されてゆく。ミサトはトラックから降りて、リツコはトラックの窓から顔を出して、その光景を眺めている。
 「この街とEVAが完全に稼働すればいけるかもしれない。」
 「使徒に勝つつもり?相変わらず楽天家ね。」
 「あら?希望的観測は人が生きる為の必需品よ。」
 「…そうね。貴女のそういうところ、助かるわ。」
 「じゃ。」
 そう笑顔で言うとミサトは愛車に乗り込んでどこぞへと向かった。

 シンジが待合室でボケッとTVを見ていると、そこにミサトがやってきた。
 「シンジくん、迎えに来たわよん。」
 「あ、どうも。」
 「昨日はよく眠れた?」
 「さあ…いつの間にか眠っていたみたいなんで…。」
 「ま、何にしろ、身体に何も無くてよかったわね。」
 「はあ…。」
 どうもシンジの返答は歯切れがよくない。
 「もう、男のコらしく、シャキっとしなさいな。」
 ミサトはシンジの頭をわしゃわしゃと混ぜ撫でた。
 「いいじゃないですか。放っといて下さい。」
 シンジが抗議の声を出すとミサトはシンジが元気になった事を確認して微笑んだ。
 「まいっか。それじゃ行きましょ。」
 「どこにですか?」
 歩き始めたミサトに慌ててシンジも追随する。
 「シンジくんは来たばっかりだから何の手続きもしてないでしょ?住民票の登録とか、転校手続きとか。」
 「ええ。」
 「それに、この中の案内もしてなかったわよね。」
 「ミサトさんが案内されるんですか?」
 「そうよ。嬉しい?」
 「いや、そうじゃなくて…。」
 自分が迷子になっていたのに、どうして人に案内ができるのだろう…等とシンジが考えていると、エレベーターのドアが開き、誰かが出てきた。
 「…父さん…。」
 「碇司令。」
 だが、ゲンドウは無言で二人を無視して歩み去った。シンジはゲンドウの後ろ姿を見送る事もできずに呆然と立ち尽くしていた。
 “自分の子供のお見舞いはせずにあのコのお見舞いか…。”
 誰のお見舞いに来たのか、ミサトにはわかっていた。

 「一人ですって!?」
 「そうです。彼の個室は上の第6ブロックに決まりました。」
 住民票の手続きの為にネルフ総務課にシンジを連れて来たミサトはその決定に驚いた。
 「どうして!?碇司令と住むんじゃないの?」
 「それが、碇司令から直々の通達が出ていまして…。」
 「ちょっと、じゃあその通達を見せてみなさいよ!」
 ミサトはゲンドウのシンジの扱いにちょっと腹が立って総務課の職員に詰め寄った。
 「ミサトさん…いいんです。今までもそうでしたから…。」
 「でも、せっかくこっちに来たんだから、お父さんと暮したほうが。」
 「大丈夫です。一人で暮らすのは慣れていますから。」
 第二新東京市にいた頃は、保護者はいたがそれは名目に過ぎず、シンジはアパートに一人で暮らしていたのだ。
 「そう?…うーん、じゃあ、私んちにおいでよ、シンジくん。」
 「は?」
 突然のミサトのひらめきに思わずシンジは目が点になった。
 「私も一人暮らしでさ、部屋も結構余ってるのよ。どう?」
 「でも、そこまでご迷惑掛ける訳には…。」
 「全然メーワクじゃないわよ。…それとも、嫌なの?」
 ミサトは少々寂しそうな顔になった。
 「い、いえ、別に嫌という訳でも…。」
 結局、シンジの新居はミサトのマンションの一室と決まった。

 「もしもし、あ、リツコ?うん、私。シンジくんね、私のマンションで一緒に住む事になったから。」
 ネルフ本部から地上に出たミサトは、まだ作業の途中であろうリツコに連絡を入れた。
 『それは一体どういう事?まさか、勝手に決めた訳じゃないでしょうね?彼は大事なチルドレンなのよ。』
 ミサトの暮らしぶりを知っているリツコは同意しかねるようだった。
 「ちゃんと上の許可は取ったし、大丈夫だって。それにそんなに心配しなくても、子供に手ぇ出すほど飢えてないわよ。」
 『当たり前でしょっ!!もう、そんな事ばっかり言って…どうして貴女はそう能天気なの?』
 最後のリツコの言葉を聞かずにミサトは電話を切った。
 「相変わらず冗談が通じない奴…あら、どうしたのシンジくん?」
 ふとシンジを見ると、シンジはドアの方に身を寄せて身体を硬くしていた。
 「もしかして、ミサトさんってそういう趣味なんですか?だから一緒に住もうって…。」
 年下の男のコ、それも思春期以下の年齢の少年を愛する女性を総称してショタコンという。が、シンジの脳裏には鞭を持って自分に迫るミサトの姿が浮かんでいた。
 「もう、やーねぇ、シンジくんったら!冗談だってば。リツコをからかっただけよ。」
 「そ、そうですか…。」
 笑顔で答えるミサトにシンジはほっとして脳裏に浮かんだ映像を消去した。が、ミサトは妖しい笑みを見せて続けて言った。
 「…でも…冗談じゃないって言ったら…シンジくん、どうする?」
 「降ろして下さい!!!僕やっぱり帰ります!!!」
 シンジは慌ててドアを開こうとしたが、オートロックが掛かっているので開く筈も無い。
 「シ、シンジくん、ホントに冗談よ!冗談だってば!!」
 行きと同様、帰りもアルピーヌ・ルノーA310は蛇行しながら走っていった。

 「お待たせ〜。」
 コンビニから出てきたミサトは山ほどの袋を両手に抱えていた。
 「何をそんなに一杯買ったんですか?」
 「んふ、これはシンジくんの歓迎会の必須アイテムよん。」
 「?」
 「ま、その前にチョッチ寄り道するわよ。シンジくんに見せたいものがあるの。」
 「何ですか?」
 「それはね…。」
 「それは?」
 「ヒ・ミ・ツ。」
 ミサトは悪戯っぽく笑ってはぐらかす。
 不思議そうな、あるいは不安そうな表情のシンジを横に乗せたまま、ミサトのアルピーヌは街を走り抜け、とある峠の高台にやってきた。
 既に日は朱く、夕焼けの中に第三新東京市が佇んでいる。
 「何か、寂しい街ですね。」
 シンジはポツリと呟いた。こんな寂しい光景をミサトはシンジに見せたかったのだろうか?
 シンジの言葉に答えずに腕時計を見ていたミサトがようやく声を発した。
 「時間だわ。」
 その直後、周囲にサイレンが鳴り響いた。その音が周囲の山に反響して木霊となっていく中、地表にある幾つものゲートが開き始めた。その中から出てきたのは、地下に収容されていた高層ビル群だった。
 「凄い!ビルが生えてきた!」
 驚くシンジ。見る見るうちに先程の寂しい光景はどこへやら、目の前には密集した高層ビルが立ち並ぶ大都市が広がっていった。
 「使徒迎撃専用要塞都市、通称第三新東京市。これが私達の街。…そして、シンジくんが守った街よ。」
 「そんな…僕は何も…知らないうちにケリがついてたんです。僕が守ったなんて…。」
 「でも、シンジくんがEVAに乗ってくれなかったら、私達は今こうしてここに生きてはいなかったわ。途中の過程がどうであれ、この街を、人々を守ったのはシンジくんよ。」
 「ミサトさん…。」
 「何はともあれ、よくやってくれたわ、シンジくん。」
 何故か、シンジの目に涙が溢れてきた。
 押し黙ってしまったシンジに目を向けたミサトは、シンジが涙をこぼしている事に気づいた。
 「あ、あれ…何で泣いてるの?私、嫌な事言ったかな?」
 「いえ…いいんです…ただ…。」
 シンジは、本当はミサトの言葉を他の誰かに言って欲しかった。そうすれば、わだかまりも何もかも無くなっていただろう…。

 二人が今度こそ家路に着いて峠を下っていると、後方からバイクが一台やってきた。
 バイクが横に並んだ時、シンジは気づいた。
 「あれっ?」
 白・赤・黒のライダー・スーツ、黄色地に緑と黒の二本線が入ったヘルメット。間違いなく、昨日シンジを助けてくれた女性だった。
 「あら、昨日の…。」
 彼女はシンジに手を振った後、ミサトには敬礼するようなポーズをした。
 女の感がミサトに彼女の行為についての疑問を持たせた。
 “今のポーズの意味は何?”
 が、そう思っているうちに、彼女のバイクは加速してアルピーヌの前に出ると、見る見るうちにアルピーヌを引き離して見えなくなってしまった。
 「あれって、750ccよね。」
 「多分…。」
 「彼女、只者じゃないわね。」
 「レーシング・ライダーかもしれないですね。」
 「そうかもね。」
 が、ミサトの言った只者じゃないという言葉は、シンジの解釈とは異なる意味だった。



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:2 THE BEAST



 ミサトのマンションに着いた時、既に陽は完全に沈んで夜になっていた。
 コンフォート17マンション。それがミサトの住むマンションの名前だった。
 部屋は3LDKなのだが、そこに想像を絶する光景が待っている等とシンジにわかる筈も無かった…。
 「シンジくんの荷物はもう届いていると思うわ。」
 立ち止まった扉の前にダンボールが数箱置かれていた。
 「あ、これです。」
 「実はあたしも先日この街に引っ越してきたばっかりでねぇ。」
 ミサトがカードキーでドアのロックを外し中に入る。
 「さっ、入って。」
 「あ、あの、おじゃまします。」
 少し躊躇いながらシンジが言うと、ミサトは少々怒った顔になって言った。
 「シンジくん。ここは貴方の家なのよ。」
 シンジはゆっくりと敷居をまたぐと、少々はにかみながら言った。
 「ただいま。」
 「お帰りなさい。」
 ミサトはニッコリ微笑んで帰宅の挨拶をした。その直後。
 「ご飯にする?お風呂にする?それとも…寝る?」
 ミサトの新婚夫婦みたいな言葉にシンジは手に提げていたコンビニの袋を床に落として固まった。
 「そ、それって、どういう意味ですかっ!?」
 「あーら、冗談なのに真に受けて顔真っ赤にしちゃって。若いっていいわね。」
 ミサトは笑顔でうんうん頷いている。
 「もう、からかうのもいい加減にして下さい!」
 「ゴメンゴメン。」
 ミサトは笑顔で謝ると、シンジが落としたコンビニの袋を持って奥へ歩き出した。
 「まぁ〜ちょっち、散らかっているけど気にしないでね。」
 明かりが灯ると、ダイニングと思われる部屋はゴミ袋だらけで、かろうじて足の踏み場が確保されているといった様子。当然、食卓と思われるテーブルの上も、空き缶やペットボトルやインスタント食品のスチロール容器が積み上げられていた。
 “こ、これが…ちょっち?”
 あまりの荒み様にシンジは唖然とする。自室に入ったミサトは着替えながらシンジに声を掛けた。
 「食べ物、冷蔵庫に入れておいてくれる?」
 「あ、はい。」
 シンジは食材を入れるために冷蔵庫の扉を開けた。
 「氷…。」
 その次も開ける。
 「つまみ…。」
 さらにその次も開ける。
 「ビールばっかり…。どんな生活してんだ?」
 呆れながら呟いたシンジはふとやった目線の先にあるもう1つの冷蔵庫に気づいた。
 「あの、あっちの冷蔵庫は?」
 「ああ、そっちは良いの。まだ寝てると思うから」
 「寝てる?」
 冷蔵庫の中で寝てる生き物とは一体…。

 とりあえず、テーブルの上のゴミの山をゴミ袋の中にぶちこみ、その日の夕食会が始まった。と言っても、テーブルの上に並んでいるのは先程コンビニで買ってきたレトルト食品ばかり。
 そしてミサトがまず手に取ったのは…。
 「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、ぷはぁ〜。クーッ、やっぱ人生、この時の為に生きてるようなもんよね。」
 どうやら、三度の飯よりビールのほうが好きなようである。が、シンジはそのミサトのリアクションがどこと無くわざとらしいような気がして冷めた目で見ていた。
 「あら、どうしたの?食べないの?レトルトだけど、結構イケルのよ。」
 「えーと、僕、こういう食べ物には慣れてなくて…。」
 取り合えずシンジは無難であろうと思われる返事をしたが、ミサトはさらにオーバーな反応を見せた。
 「ダメよ!好き嫌いしちゃ!」
 ミサトはシンジにキスしようかというような勢いでテーブルの上に身を乗り出して言った。ミサトの推定Eカップと思われる胸が目の前で揺れて、シンジはドギマギする。
 “ノーブラじゃないか…って、何を考えてるんだ、僕は!?”
 「ふふっ、愉しいでしょ、一人で食事するより。」
 と、いきなりミサトは笑顔になった。
 「は、はあ…。」
 「さっ、食べて食べて。私のベスト・チョイスばっかりだから、味のほうは保証付よん。」
 とりあえずシンジはカレーライスに口をつけた。別に格別美味と言うわけでもない、平均点はクリアしただけのカレーライスだった。
 「どう?おいしいでしょ?」
 「はあ…まわりがこんなんじゃなかったら、もっと良かったですね…。」
 シンジは周囲のゴミ袋を見渡してから溜息をついた。
 “僕はこれからずっとゴミの中で暮らしていくのだろうか…。”
 「あー、ごめんごめん、いろいろと忙しくてさ、ゴミを外に出す時間もなかったのよ。」
 「本当ですか?」
 「ほ、ホントにホントだってば。」
 どもった時点で嘘はバレバレだった。

 「さーて、食事も済んだという事で、これから二人で生活していく上でのルールを決めなきゃね。」
 ミサトは新聞のチラシから裏が白い一枚を引き抜いてきてテーブルの上に置いた。
 「何を決めるんですか?」
 「朝食と、夕食と、ゴミ出し、それから共同スペースの掃除っと。」
 それらの一週間の当番を決めるのだ。
 「じゃんけんポン!あっち向いてホイッ!」
 いきなりのミサトの仕掛けにシンジはつい反応してしまい、負けた。
 「やっりぃ、まずはシンジくんが当番ね。」
 「ずるいですよ、いきなり!」
 「負けてから文句言わないの。さあ、次行くわよ。」
 「じゃあ、せめてタイミングは『最初はグー』で。」
 「いいわよ。最初はグー!じゃんけんポン!あっち向いてホイッ!」
 ミサトとシンジの壮絶な攻防の結果、23対5でミサトの圧倒的勝利。
 「これが、ネルフ作戦部長の実力よ!」
 あっち向いてホイで勝ったからと言って何を自慢しているのやら…。
 「という事で、今日からここはあなたのウチなんだから、何にも遠慮なんていらないからね。」
 「…は、はい…。」
 もしかしたら一人暮らしのほうがよかったかも、とシンジは元気の無い返事。
 「んもー、辛気臭いわねぇ。おっとこのコでしょう!シャキッとしなさい、シャキッと!」
 再びミサトはテーブルの上に身を乗り出すと、シンジの髪の毛をワシャワシャと混ぜ撫でる。
 「…や、やめて下さい!」
 昼間と同様、これをされるとシンジは少々ムッとした。
 「まあいいわ。嫌な事はお風呂に入ってパーーーッと洗い流しちゃいなさい。風呂は命の洗濯よ。」
 ミサトは指を立ててニッコリ微笑んだ。

 お風呂の前の脱衣所の上には、ミサトの洗濯物が吊るされていた。それもブラジャーやパンティ等…。
 “本当に僕を男だと思ってるんだろうか…それとも、わざと…いや、やっぱりからかってるんだ、そうに違いない。もう引っかからないぞ。”
 疑心暗鬼のシンジはミサトの下着類を見ながらも無反応だった。これはミサトのシナリオからは外れていた。が、お風呂の扉を開けると…。
 「クワワワワッ。」
 そこには、身体についた水を弾き飛ばしている一羽のペンギンがいた。
 「うわあああっ!」
 思いもかけない生物の出現に動転したシンジは慌てて脱衣所を飛び出してミサトの前へ。
 「ミ、ミ、ミ、ミサトさんっ!!」
 「どしたの?」
 「あ、あ、あ、あれ、あれは…あれ?」
 シンジの前を通り過ぎたそのペンギンは、シンジを無視してミサトに片手?を上げると「クワ。」と一声出して挨拶した。
 「はい、おはよう。」
 ミサトが挨拶を返すと、そのペンギンは自分の部屋―――外見は冷蔵庫―――の中に入っていった。
 「ミサトさん、今のは!?」
 「ああ、彼?新種の温泉ペンギンよ。名前はペンペン。もう一人の同居人。」
 「温泉ペンギン!?」
 「そ。…それより…ムフ。」
 ミサトはなにやらだらしない笑みをこぼした。シンジはキョトンとする。
 「前、隠したら?」
 「わぁっ!」
 風呂に入るので自分が何も身に付けていない事にはっと気づき、シンジは真っ赤になって風呂場に戻った。
 「うーむ、まだまだお子様か。」
 ミサトはビールを手にして呟いた。
 「にしても、ちとわざとらしくはしゃぎすぎたかしら。見透かされているのはこっちかも…。」

 「葛城ミサトさん…悪い人じゃなさそうだけど…怪しい人かもしれない…。」
 シンジは天井を見上げて呟いた。
 風呂は命の洗濯よ。
 先程ミサトはそう言ったが…。
 「でも、風呂って嫌な事を思い出す方が多いよな…。」
 シンジの脳裏をよぎる厳しい顔の父、そして白い少女…。
 “あのコ…レイって呼ばれてたな…一体、父さんとはどういう関係なんだろう…。”

 その頃、ネルフ本部内のとある実験場にゲンドウがいた。証明も落とされ、使用不可となった制御室からは、下半身を特殊ベークライトで固められた巨人が見える。
 後から入ってきたのはリツコだった。
 「レイの様子はいかかでしたか?午後、行かれたのでしょう…病室に。」
 「あと20日もすれば動ける。それまでには凍結中の零号機の再起動をとりつける予定だ。」
 「辛いでしょうね…あの子達。」
 「EVAを動かせる人間は他にいない。生きている限り、そうして貰う。」
 「子供達の意思に関係無く…ですか。」

 夜も遅くなり、シンジは与えられた自分の部屋でベッドに横になっていた。部屋にはまだ引っ越しの荷物がダンボールのまま置かれているが、一つだけ開けられている。そこから取り出したウォークマンでシンジは音楽を聞いていた。
 一方、ミサトはお風呂に入りながらリツコと電話をしていた。
 「そう、あんな目に遭ったのよ。また乗ってくれるかどうか…。」
 「彼のメンテナンスもあなたの仕事でしょ?」
 リツコはネルフ本部内の自分の執務室でまだ残業中。
 『怖いのよ。どう触れたらいいか解らなくって…。』
 『もう、泣き言?自分から引き取るって大見得切ったんじゃない。』
 「うっさいっ!!」
 ミサトは怒鳴るように答えて電話を切った。
 “あの時、私はシンジくんを道具扱いしていたのよね…。”
 僕は貴女達の人形じゃないんだ!!
 キレたシンジの言葉が思い出される。
 「使徒を倒したというのに…何故か嬉しくない…。」
 ミサトはぼんやりと天井を見ながら呟いた。
 同じ頃、シンジも部屋の天井をぼんやり見上げていた。
 「ここも、知らない天井だ…当然だよな、この街に僕が知ってる場所なんてどこにも無いもんな…。」
 “なんで、こんな所にいるんだろう…。”
 ふと、シンジは片手で右目を覆った。シンジの脳裏に昨夜の記憶が蘇る…。


 「ぐがあああああっ!!!」
 右目を貫かれたような凄まじい痛みにシンジは絶叫し、エントリー・プラグ内でのたうちまわる。そして、EVA初号機がビルに叩きつけられた衝撃で頭を打ち、気絶した。
 EVA初号機が寄りかかっているビルのその屋上では、吹き上がり続けている赤い液体を呆然と見ている者が一人。
 「これがホントの血の雨…てな事言ってる場合じゃないっ!」
 ライダー・スーツに身を包んだその者は慌てて走り出し、血の雨の降らないポイントに移動した。
 「けど、これはこれで役に立つかも。」
 血の雨が止むと、その者は自分の身体を赤く染めた液体をそっと指で拭って匂いを嗅いでみた。その液体は確かに血の匂いがした。
 「…冗談じゃなかったりして…。」
 と、その者が呟いた時、完全に沈黙していた筈のEVA初号機の目に光が戻った。
 「EVA初号機、再起動!」
 「そんな!!動ける筈ありません!!」
 マヤは信じられない報告に自分のモニターから目を離し主モニターを見た。
 「…まさか…。」
 「…暴走…。」
 ミサトとリツコが呆然と呟く。
 《ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!!!》
 EVA初号機は口を開いたかと思うと、不気味な遠吠えを上げた。そして、大地を蹴ってジャンプ、前方宙返りをし、そのままの勢いで[使徒]にキックを浴びせた。
 EVA初号機の浴びせ蹴りに[使徒]は後方へもんどりうって倒れこんだ。そのさらに後方にEVA初号機は見事に着地した。
 「―――勝ったな。」
 主モニターを見ていた冬月が、まだ勝負が始まったばかりだというのに呟いた。ゲンドウはそれには応えず、主モニターを見ている。
 何とか起き上がった[使徒]になおも攻撃しようと、EVA初号機は突っ込んでいった。その時、[使徒]の目が光り、EVA初号機を襲った。
 EVA初号機は左腕を犠牲にして直撃を避け、突撃を続行した。
 だが、突然[使徒]の前に八角形のオレンジ色の光の壁が発生し、EVA初号機の接近を阻んだ。
 「ATフィールド!!」
 リツコは驚愕した。
 「やはり、使徒も持っていたのね。」
 夜だからこそ、そのオレンジ色の光の壁ははっきり見えたのだ。
 「だめだわ!!ATフィールドがある限り、使徒には接触出来ない!!」
 すると、EVA初号機は[使徒]の光線を受けて折れた筈の左腕を一瞬で修復させた。
 「左腕、再生!」
 「凄いっ!」
 さらに、マヤが驚くべき情報を報告した。
 「EVA初号機もATフィールドを展開!!位相空間を中和していきます。」
 「いえ、あれは…浸食しているのよ。」
 中和ではなく、EVA初号機による一方的な浸食という事実に驚くリツコ。
 そしてついに、EVA初号機は[使徒]のATフィールドをこじ開けて中に侵入した。
 「あのATフィールドをいとも簡単に…。」
 現代兵器では傷すらも付けられなかったATフィールドをあっさりと破ったEVA初号機に驚くミサト。
 EVA初号機が一歩詰め寄ろうとした時、使徒の目より光線が放たれた。が、EVA初号機は光線を今度は片手で受け止め、逆に撥ね返した。撥ね返された光線の直撃を喰らった[使徒]の最初の顔が破壊された。
 「光線を撥ね返したっ!?」
 「先程はダメージを負ったのに!?」
 [使徒]は最初の顔が破壊された事にも怯まず、両手でEVA初号機の首を捕らえ、絞めてきた。だが、EVA初号機は余裕で[使徒]の手首を握ると、そのまま握りつぶし、蹴りを入れた。[使徒]は吹っ飛んで後方のビルに激突、そこになおもEVA初号機は体当たりで突っ込んだ。その勢いはビルごと後方に移動させてしまうほどだった。
 もはやグロッギー状態の[使徒]にEVA初号機のさらなる攻撃が続く。[使徒]の胸にある赤い光球にEVA初号機のパンチが加えられた。そして数発のパンチで赤い光球にひびが入った瞬間、[使徒]は身体を軟化させ、EVA初号機の上半身に球状になって覆い被さった。
 「自爆する気!?」
 まさかの[使徒]の逆襲にミサトは慌てた。その直後、EVA初号機は光に包まれた。
 大爆発が起こり、周囲のビル十数棟を巻き添えにして火柱が天に昇った。
 「EVAは…。」
 「まさか、溶けて蒸発なんてしてないわよね?」
 ミサトの心配を打ち消すように、爆炎の中からEVA初号機がゆっくりと姿を現した。
 「…あれがEVAの本当の姿…。」
 ミサトとリツコは凶暴な戦いを繰り広げたEVA初号機に思わず息を呑んだ。
 が、そうなる事を予期していたかのように、ゲンドウがニヤリ笑いを見せた事に誰も気がつかなかった。
 後に第一次直上会戦と呼ばれる事になる、[使徒]とEVAとの最初の戦闘はこうして終了した。
 「回路接続。」
 「システム回復。グラフ正常位置。」
 「暴走ありません。」
 「シンジくんは?」
 「生きてます。気絶しているだけです。」
 「良かった…機体回収班急いで。パイロット保護最優先でね。」
 ミサトは事後処理の指示を出した。
 「プラグ内モニター回線、回復しました。」
 エントリー・プラグの中のシンジは眠っているかのようだった。
 “もう大丈夫よ、シンジくん。”
 誰かの声が聞こえたと思った瞬間、シンジははっと気を取り戻した。


 “あの声は…誰だったんだろう…。”
 シンジは、今朝と同様に、昨夜も誰かが自分を目覚めさせてくれた事を思い出した。と、そこにミサトが声を掛けた。
 「シンジくん、ちょっといい?開けるわよ。」
 シンジはとっさに窓の方へ身体を向けた。シンジの部屋の襖を開けたミサトは湯上りのバスタオル一枚の姿だった。シンジが背中を向けているので心の中で舌打ちしながらも、ミサトは口を開いた。
 「言い忘れていた事があるの…私、シンジくんを道具扱いしていた…ごめんね。」
 「…もう、気にしてませんよ。」
 シンジが顔だけ向き直ったその時、不意にミサトのバスタオルがはらりと落ちた。
 「きゃ!」
 慌ててミサトはバスタオルを拾って身体を隠す。
 「………み…見た?」
 「からかうのはやめてって言ってるじゃないですかっ!!」
 シンジは怒りに顔を真っ赤にして起き上がった。
 「ち、違うの!今のは不可効力よ!」
 が、シンジは枕を掴んだ。枕を投げつけられると思ったミサトは慌てて襖を閉めた。
 「お、お休み、シンジくん。これからも、頑張ってね。」

 「ホントに冗談じゃなかったとは…。」
 とあるマンションの一室で、ポニーテールの少女はパソコンに表示されたデータを見て呟いた。



超人機エヴァンゲリオン

第2話「見知らぬ、天井」―――目撃

完

あとがき