超人機エヴァンゲリオン

第1話

使徒、襲来

 時に、西暦2015年。

 海中を謎の物体が進んでいた。水没したビル街との比較でその物体がかなり巨大である事がわかる。全長40〜50mくらいであろうか。だが、その物体の進行方向の海岸線の道路には、国連軍の戦車隊50台以上がズラリと並び、その砲身を海へ向けていた。

 街では既に特別非常事態宣言が発令され、人影は全く無かった。と、放置されている車の中を一台の青いアルピーヌ・ルノーA310が通り過ぎていった。
 「参ったわね、よりによってこんな時に来るとは………。」
 その助手席に転がっているファイルにはとある少年の写真が挟まれていた。まだ中学生らしく、詰襟の学生服を着ている。
 その少年は今、電話をかけていた。が、回線は不通になっていた。
 「ダメか………やっぱり来るんじゃなかった。」
 少年は呟きながら電話を置くと、写真を取り出した。青空をバックにタンクトップとホットパンツという出で立ちの美女が写っている。その写真には『シンジくん江 私が迎えに行くから待っててネ?』『ココに注目!!』等という能天気なメッセージが書き込まれている。ちなみに注目する部分もご丁寧に矢印で示され、開いた胸の谷間が少々見えている。トドメのつもりか、真っ赤なリップマークまでついている。
中学生相手に何を考えているのか…。
 「待ち合わせは無理か…仕方ない、シェルターに行こう。」
 もう既に何回も見て飽きているのか、少年はその被写体には何の感動も覚えず、とぼとぼと歩き出した。その時、何かが爆発する轟音が鳴り響いた。その音の大きさに両耳を押さえながらも音のした方向に振り向くと、何か巨大な物体が歩いてくるような地響きが聞え、やがて近くの山間から本当に巨大な物体が歩きながら姿を現した。国連軍のVTOL機が攻撃するが、何の効果も与えられない。少年は呆然としてその光景を見ていた。

 巨大なディスプレイにその物体の移動状況が示された。それを見ている眼鏡を掛けた白手袋の男とやや白髪が増えて頭が見事なロマンスグレーになった初老の男。
 「目標を映像で確認。主モニターに回します。」
 ディスプレイに巨大な物体が映った。黒い身体、両肩の白いプロテクターのようなもの、胸には赤い巨大な光球、そして頭部の部分には頭が無く、かわりに光球の上に白い顔らしきものがある。手足があり、二足歩行しているが、地球のそれまでの歴史の中では存在した事の無い異形の物体だった。
 「15年ぶりだね。」
 初老の男が口を開いた。眼鏡の男もそれに呼応して返す。
 「ああ、間違いない。使徒だ。」
 と、[使徒]が主モニターを見ている者達、つまり自分を映しているカメラに掌を見せた。その掌が赤白く輝いた瞬間、ディスプレイの画像は砂嵐に変わった。VTOL機が破壊されたのだ。そのVTOL機が落下して道路に激突すると、[使徒]はそれを片足で踏み潰した。
 少年は近くに止めてあった車の陰に飛び込み、爆風から逃れた。だが、横に目を向けた瞬間、VTOL機のパイロットの肉体の一部であったろう物体…人間の頭部がそこに転がっているのが見えた。
 “な、なんだよ、これ………なんでこんな怖い目に遭わなきゃいけないんだよ…。”
 人間の死、その現実に恐怖した少年は蹲り、頭を抱えて震えていた。
 「ちょっとあんた、そこで何やってんの!?」
 誰かの声がし、少年が顔を上げると、750ccバイクに乗った女性が角にいた。フルフェイスのヘルメットのせいで顔はわからないが、その声とライダースーツに見えるボディラインから女性だと少年は判った。一瞬、迎えに来てくれる筈だった女性かと思ったが、胸の大きさから別人のようだった。
 「あの、貴女は?」
 「いいから早く後ろに乗りなさい!それとも、あいつに踏み潰されて死にたいの!?」
 「は、はい!」
 振り向いて背後の恐怖の物体を見たくなかった少年は慌てて750ccバイクの元に駆け寄り、タンデムシートに座った。
 「いい、しっかり掴まってるのよ。」
 「は、はい!」
 が、少年が慌てて手を回したのは女性の胸の部分。
 「こらぁっ!そこじゃなくてもう少し下っ!」
 「ご、ごめんなさい!」
 「よし、じゃあ行くわよ!」
 750ccバイクは猛加速で発進した。
 「どこに逃げるんですか?」
 「とにかく、あいつから離れるのよ。」
 車が一台も走っていないせいか、750ccバイクはあっという間に町外れまで到達し、[使徒]の姿は見えなくなった。
 「んっ!?見つけたっ!」
 少年を迎えに来た筈の女性は、目の前を駆け抜けていったバイクの後部に少年がいるのを見つけ、交差点を曲がりながら車を急加速して750ccバイクを追いかけ始めた。
 ふと振り返った少年は、[使徒]ではなく青い車が猛スピードで追いかけてくるのに気づいた。
 「あの、なんか、後ろから車が追いかけてきてます。」
 「ええっ!?…ホントだ。ならば!」
 750ccバイクはさらに加速した。道はだんだんカーブが多くなってきたが、750ccバイクは少しも減速せず、見事にコーナーをクリアしていく。
 「怖くない?」
 「さ…さっきのに…較べたら…。」
 が、そう言いながらも少年は猛スピードが怖いのか、掴まる腕の力をさらに強くした。
 “…そうか…碇シンジくんっていうのか…。”
 が、750ccとはいえ、バイクとフランスのスーパースポーツカーとではやはり性能差は如何ともし難かった。
 アルピーヌの女性は750ccバイクの斜め後ろに付けると、サイドウィンドウを開けて怒鳴った。
 「そこのバイク、止まりなさい!」
 “まさか、この少年が目的?”
 「そのコをどこに連れてくつもり!?」
 “…やっぱり…この少年にどんな秘密があるというの?”
 「ええい、止まれと言ったら止まらんかぁっ!!」
 いきなり口調が変わったので、少年は後を見た。怒鳴った人物の顔の輪郭とふくよかな胸はどこかで見たような気がした。
 「あれっ?もしかして?」
 車中の女性は少年の顔色が変わったのを察し、顔にかけていたサングラスを外して笑みを見せた。
 「ああっ!す、すみません、止めて下さい!」
 「どうして!?キミが追われているんでしょ!?」
 「いえ、あの人、僕を迎えに来てくれた人です。」

 一方その頃、[使徒]と国連軍の戦いは続いていた。国連軍の首脳達は[使徒]に対して何の効果も上げられない事に苛立っていた。厚木基地や入間基地の部隊も動員して攻撃を加えるが、[使徒]は大型ミサイルの直撃を受けても全くの無傷だった。
 「何故だ!直撃の筈だ!!」
 国連軍首脳達は慌てるが、後方の二人の男はその出来事を冷静に見守っていた。
 「やはりATフィールドか。」
 「ああ。使徒に対して通常兵器では役に立たんよ。」
 その時、国連軍首脳達のいるブースの赤い電話が鳴った。特別な指令らしく、カードキーでロックを解除して受話器を取る一人。
 「わかりました。直ちに。」
 指令が下った直後、[使徒]を取り囲んでいた十数機のVTOL機は蜘蛛の子を散らすように散開してその危険空域を離脱した。そして、[使徒]が山陰に隠れた直後、巨大な閃光が立ち上り、大爆発が[使徒]を飲み込んだ。その大爆発は、国連軍の最終兵器とも言えるN2爆弾によるものだった。おそらく、地雷として仕掛けていたのだろう。
 「やったぞ!」
 「残念ながら、君達の出番はなかったようだな。」
 国連軍首脳達は後方で静観していた二人に勝ち誇ったように言った。だが、主モニターは衝撃波のせいで砂嵐状態であり、結果はまだ不明だった。

 「何だったんですか、今の光は?」
 「国連軍のN2爆弾の地雷型ね。」
 「まさか、か、核爆弾!?」
 「そんな訳ないでしょ。NEW NUCREER、つまり新しい核という名前だけど、放射性物質は出ないの。核反応の巨大なエネルギーだけを利用した、地球に優しい爆弾よ。」
 「地球に優しい…。」
 爆弾のどこが地球に優しいのだろうか…。少年の不可解な表情に焦った彼女は言葉を続けた。
 「ま、まあ、それはそれとして、自己紹介がまだだったわね。私は葛城ミサト。」
 「知ってますよ。手紙くれたじゃないですか、写真も一緒に。」
 「あ、そっか、そうだったわね。じゃあ、改めてヨロシクネ、碇シンジくん。」
 「こちらこそ、よろしくお願いします、葛城さん。」
 「んー、チョッチ違うな。ミサト、でいいのよ。お姉さま、だったらもっといいけど。」
 「は、はあ…よろしく、ミサトさん。」
 ミサトが一瞬妖しい目をしたような気がして、シンジは何故か悪寒を感じながら答えた。
 “この人があの葛城ミサトさんか…。”
 「ところで、そこのバイクの貴女は?」
 「私?ただの通りすがりです。」
 「あっ、さっきは危ないところを助けて貰ってありがとうございました。」
 「いいのよ。じゃあ、私はこれで。」
 「あ、ちょっと…。」
 引き止める間も無く、彼女はバイクで走り去ってしまった。

 さて、N2地雷の直撃を受けた[使徒]はその後どうなったのか?
 「あの爆発だ。ケリはついてる!」
 国連軍首脳は自信たっぷりに言った。だが、エネルギー測定センサーが回復した直後、その自信は粉々に打ち砕かれた。
 「爆心地に高エネルギー反応有り!」
 「なんだとうっ!?」
 主モニターに[使徒]の姿が映った。
 「我々の切り札が…。」
 「なんて事だ…。」
 「くそっ、悪魔か、あれは!」
 いや、悪魔ではない。あくまでもその生命体は[使徒]と呼称されるべきものだった。もし、もう一つ呼称するとすれば、それは[天使]………。

 「ええ。心配ご無用。彼は最優先で保護してるわよ。だから、カー・トレインを用意しといて。直通のやつ。そっ、迎えに行くのは私が言い出した事ですもの。ちゃんと責任持つわよ。じゃ!!」
 ミサトは部下にカー・トレインの手配を頼んでいた。その間、シンジは先程の出来事を振り返っていた。
 “あれは一体何だったんだ………何でこんな日にあんな怖い目に遭わなくちゃならないんだ………父さん………。”
 「………くん………ジくん………シンジくん?」
 ミサトの声にシンジははっとして顔を上げた。
 「え?は、はい、何ですか?」
 「どうしたの、さっきから思いつめた顔して。」
 「いえ、何でもないです。」
 「そお?相談したいのなら、聞いてあげるわよ。性の悩みかな?」
 「ち、違います!」
 「まー、照れちゃって可愛いの。」
 「わあっ、ミサトさん、前見て運転して下さいっ!」
 アルピーヌは蛇行しながらトンネルへ入っていった。

 一方その頃、爆心地では[使徒]が身体に受けたダメージを回復しつつあった。まるで呼吸するかのように動くエラ状の部分。さらにそれまであった顔らしきものをまるで上に押しのけるようにして下から現れている同じような顔。その状況を冷静に分析する二人の男。
 「予想どおり、自己修復中か。」
 「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ。」
 と、[使徒]が目から放った光線で映像を送信していたヘリが破壊され、主モニターの画面が砂嵐になった。
 「ほう、たいしたものだ。機能増幅まで可能なのか。」
 「おまけに知恵もついたようだ。」
 「この分では、再度侵攻は時間の問題だな。」

 アルピーヌが停止したのは車ごと台車に載せて移動するカートレインに乗ったからだった。そして入り口の扉が下に降りると、その扉には[NERV]という文字が見えた。
 「ところでシンジくん。お父さんからID貰ってない?」
 「あ、はい。どうぞ」
 シンジは鞄を探ってIDカードを差し出した。
 「ありがとう。じゃ、これ、読んどいてね。」
 IDカードを受け取ったミサトは、かわりにファイルを手渡した。表には『ようこそ、NERV江』と、裏には『極秘』と書かれている。さらに『FOR YOUR EYES ONLY』と書かれた帯で封印までされていた。
 「…ナーヴ?」
 「ナーヴじゃなくてネルフと読むの。」
 「何語ですか?」
 「ドイツ語よ。」
 「へー、世界で一番の主要言語は英語なのになんでまたドイツ語?」
 「さーてね。」
 「特務機関ネルフ…聞いたこともないな。」
 「まあ、国連直属の非公開組織だからね。」
 「…そこに、父がいるんですね。」
 「まっねー。お父さんの仕事、知ってる?」
 「人類を守る、大事な仕事だという事しか………。」
 カー・トレインは二人だけを乗せて地下へ下っていく。

 同じ頃、国連軍首脳達は眼鏡、正確にはサングラスをかけた男と向かい合っていた。
 「今から本作戦の指揮権は君に移った。」
 「お手並みを見せて貰おう。」
 サングラスの男は表情を変えず、了解した旨、返答した。
 「碇君。我々の所有する兵器では、目標に対し、何ら有効では無かった事は認めよう。」
 「だが、キミなら勝てるのかね?」
 碇と呼ばれたサングラスの男、ネルフ総司令官・碇ゲンドウは自信を持って答えた。
 「その為のネルフです。」
 口元はサングラスを押し上げる白手袋に隠れよく解らないが、よく見てみると少々歯をこぼしニヤついていた。その背後の初老の男の他、コンソールに座っている三名のオペレーター達も冷静な顔でゲンドウと国連軍首脳達のやり取りを見ていた。
 「期待しているよ。」
 自分達だけがどたばた騒ぎをしていたと悟った国連軍首脳達はそう捨てゼリフを残し、ブースごと沈みながら退場していった。
 「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ?」
 初老の男が問うと、ゲンドウは目線だけ移して答えた。
 「初号機を起動させる。」
 「初号機をか?パイロットがいないぞ?」
 「問題無い。もう一人のパイロットが届く。」

 「これから…父の所に行くんですね。」
 「そうね、そうなると思うわ。」
 ”父さん…。“
 ふと、シンジの心の中にいやな思い出が甦る。大きな鞄を足元に置き、どこかの駅のホームで泣きべそを掻いている幼い頃の自分…。
 “何で今更…僕に何の用があるっていうんだ…。”
 再び、思い詰めた表情になるシンジ。
 “…このコにも、お父さんとの事で何か辛い思い出があるのね…。”
 シンジの表情を見ていたミサトは、カー・トレインがジオフロントに出たのを切っ掛けにシンジに声をかけた。
 「シンジくん、ほら見て。」
 「うわっ…すごい!ホントにジオフロントだったんだ。」
 第三新東京市の地下に広がる広大な空間、ジオフロント。その内部には地下だというのに草原や針葉樹の森、湖が広がっていた。中央には正四角錐状のピラミッドのような建造物、その傍にほぼ同じサイズの湖、天井に広がる発光パネルからは暖かな光が降り注いでいた。如何にしてこのような空間ができたのか…。
 「うん?あのピラミッドみたいなのは遺跡か何かですか?」
 「いいえ、新しく作った物よ。あれが私達の秘密基地、ネルフ本部。世界再建の要、そして人類の希望の砦となる所よ。」



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGERION

EPISODE:1 ANGEL ATTACK



 陽が落ちた外と同様に暗くなったジオフロント。その中央部に位置するネルフ本部内をミサトとシンジはどこかに向かっているようだった。が。
 「おっかしいなあ…確かにこの道の筈よねぇ〜…。」
 なんと、ミサトは道に迷っていた。自分の働く職場で道に迷うとは…。
 「しっかし、リツコはどこへ行っちゃったのかしら。」
 シンジはミサトの傍で先程彼女に貰ったファイルを読んでいる。
 「ごめんね。まだ慣れてなくて。」
 「あ、いえ。気にしないで下さい。」
 「でも大丈夫。システムは利用する為に有るもんね。」
 で、ミサトは何を利用したかというと…。

 『技術局一課、E計画担当の赤木リツコ博士。赤木リツコ博士。至急、作戦部第一課葛城ミサト一尉までご連絡下さい。』
 パイプが並ぶ赤い水を張ったプールの様な場所からちょうど上がってきた金髪の女性はウェットスーツを脱ぎながら呟いた。
 「呆れた。また迷ったのね。」
 デパートで迷子になった幼児のように呼び出しをかけて貰ったミサト。形振り構っていられないようだった。

 エレベーターの到着を待っているミサトの傍らでシンジはファイルを熱心に読んでいる。そのファイルにはネルフの組織、任務、人員、沿革、設備、等の概略が記載されていた。まあ、企業のパンフレットのようなものだろう。
 と、エレベーターが到着すると開いた扉の向こうに女性が待っていた。先程アナウンスで呼んだ女性らしくバツの悪そうな顔をして後ろに下がるミサト。
 「あ、あら、リツコ…。」
 「何やってたの、葛城一尉。人手も無ければ時間も無いのよ。」
 「ゴミン!!」
 ミサトは顔の前に片手を上げ謝った。
 リツコはやれやれといった感じで溜息をつき傍らにいるシンジを見た。
 「例の男のコね。」
 「そ。マルドゥックの報告書によるサード・チルドレン。結構可愛いでしょ。」
 「また、そんな能天気な事を…私は技術一課E計画担当博士、赤木リツコ。よろしくね…あら、どうかした?」
 シンジに自己紹介したリツコは相手が少し顔を赤らめているのに気付いた。
 「い、いえ、別に…何でそんな格好を?」
 リツコは青い水着の上に白衣という妙な出で立ち。だが、その妙なアンバランスさが逆にセクシーな雰囲気を漂わせていたようで、シンジの反応も尤もだった。
 「た、確かに、父親とは大違いね。」
 リツコは慌てて白衣の前を合わせた。親友のミサトだけならまだしも、他の誰かに見られたら後ろ指差されるかもしれない間抜けな格好だった。
 “何か、嫌な予感がする…。”
 故意か偶然か、ミサトといいリツコといい、自分の出会った女性の妙な仕草や行動にシンジは戸惑っていた。

 「では冬月。後を頼む」
 ゲンドウは初老の男にそう言い残してエレベーターに乗り込み、ネルフの指令が出される第一発令所から出て行った。
 「三年ぶりの対面か…。」
 ゲンドウを見送ったネルフ副司令・冬月コウゾウの表情は穏やかだった。
 「副司令。目標が再び移動を始めました」
 冬月の元に部下の報告が届くと、冬月は一転して厳しい表情になり、指示を出した。
 「よし。総員第一種戦闘配置。」

 『繰り返す。総員第一種戦闘配置。対地迎撃戦用意。』
 ネルフ内に緊迫したアナウンスが鳴り響く。先程のエレベーターから降りた三人は、今度は長い長いエスカレーターに乗っていてそれを聞いた。
 「ですって。」
 「これは一大事ね。」
 だが、ミサトとリツコの会話はあまり緊張感が無さそうだ。自分が戦う事になるとは夢にも思っていないシンジも、嫌な事は忘れようと件のファイルを読み続けている。
 「で、初号機はどうなの?」
 「B型装備のまま現在冷却中よ。」
 「それ、ほんとに動くのぉ〜?まだ一度も動いた事無いんでしょう?」
 「起動確率は0.000000001%。O−9システムとはよく言ったものだわ。」
 「それって動かないって事?」
 「あら失礼ね。ゼロではなくってよ。」
 「数字の上ではね。ま、どのみち『動きませんでした。』じゃもう済まされないわ。」
 やがて、シンジ達はある所に到着した。
 「ここよ。」
 「えっ?」
 「あれがなんだか、わかる?」
 リツコが指差した所を見ると、赤い液体の中に巨大な紫色の物体が浮かんでいた。
 「?」
 シンジは歩いて近づき、その物体の正面に来た瞬間、それが何かに気付いて驚いた。
 「これは!…まさか、巨大ロボット!?」
 まだ14歳の少年だからこそ、漫画やアニメ、ゲーム等で親しんでいるからこそ、わかるものだった。頭の固い大人だったら、全身を見ない限りわからないだろう。
 「そう。人の造り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。その初号機。あの謎の巨大な生命体に対抗する為の、我々人類最後の切り札よ。」
 人造人間。つまり、人が造った人間。だが、シンジにはその意味に気付く前に、なぜこんなものがここにあるのかが疑問だった。そして、その理由は…。
 「これも、父の仕事ですか?」
 「そうだ。」
 高性能の集音マイクがついていたのか、シンジの呟きに答える声が響き渡った。上方から聞えたその声に、シンジは思わず上を見上げた。そこに見える人影、それはシンジの父、ゲンドウに他ならなかった。
 「久しぶりだな。」
 だが、再会を喜ぶ父親の言葉は無かった。
 「父さん…。」
 一方、シンジも再会を喜ぶ言葉無く、父親の視線から逃げるように目を逸らしてしまった。が、そんなシンジにゲンドウは不敵なニヤリ笑いを見せて命令を下した。
 「…出撃。」
 が、その言葉にミサトは驚いた。
 「出撃!?零号機は凍結中でしょ?…まさか、初号機を使うつもりなの?」
 「他に道は無いわ。」
 リツコはゲンドウの命令も当然だと思っているせいか、ミサトより冷静な口調。
 「ちょっと!レイはまだ動かせないでしょ、パイロットがいないわよ!」
 「さっき、届いたわ。」
 ミサトはリツコの言わんとしている事に気付いてハッとした。
 “届いた?”
 シンジの心に何か引っ掛かるモノがあった。
 「碇シンジ君。」
 「はい?」
 「貴方が乗るのよ。」
 「えっ!?」
 リツコのあまりに突然な言葉にシンジは言葉を失う。
 「でも、レイでさえEVAとシンクロするのに7ヶ月もかかったんでしょ?今来たばかりのこのコにはとても無理よ!!」
 「今は使徒撃退が最優先事項です。その為には誰であれEVAと僅かでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法は無いわ。わかっている筈よ、葛城一尉。」
 「…そ…そうね…。」
 無理だと反論してみたものの、リツコの理路整然とした説明にミサトは了承するしかなかった。だが、そんな説明では当事者のシンジが納得できる筈も無い。
 「…嘘だろ、父さん…僕が…このロボットに乗って…さっきの怪物と戦うなんて…。」
 恐怖を思い出し、シンジの声は震えていた。
 「…そんなの…無理だよ…できないよ…。」
 「おまえがやらなければ人類が滅亡する。人類の存亡がお前の肩に架かっているのだ。」
 「できっこないよ…ここに来て初めて見たんだよ…どうして僕が動かせるの?」
 「座っているだけでいい。それ以上は望まん。」
 「そんな…。」
 その頃、[使徒]は目からの光線で攻撃を再開していた。街が破壊され爆光が立ち上る。
 「奴め、ここに気付いたか。」
 ゲンドウはシンジから目を逸らし、傍のモニターに映る第三新東京市の様子を見て呟いた。
 「シンジ君、時間が無いわ」。
 リツコが促す。リツコを見ると、そこにはリツコが厳しい目を自分に向けていた。
 リツコから目を逸らすとそこには腕撫した厳しい顔のミサトがいた。
 「乗りなさい。」
 さっきまでは優しかったミサトの冷たい命令に、シンジは驚いてよろめいた。
 「シンジ。拒否は許さん。出撃だ。」
 再度、ゲンドウの命令が下った。
 “なんだよ…今までほったらかしにしていたくせに、一方的過ぎるよ…。”
 俯いてしまったシンジへミサトはさらに説得を続けた。
 「シンジくん。私達は貴方を必要としてるわ。でも、EVAに乗らなければ、ここでは不要の人間なの。わかる?」
 だが、シンジは拳を握っただけで何も答えない。
 「シンジくん…貴方は何の為にここまで来たの?お父さんとの再会を喜び合う為じゃないわよね。」
 だが、シンジは現実から逃避するかのように目をぎゅっと瞑ってしまった。
 「駄目よ、逃げちゃ。お父さんから…何よりも自分から。」
 それは、シンジの一番嫌いな言葉だった。
 「………うるさい………。」
 それが、ようやく口を開いたシンジの第一声だった。
 「えっ?」
 「…ウルサイ…煩い…五月蝿いっ!」
 「シ、シンジくん!?」
 「他人のくせに…何も知らないくせに、わかったような事言わないでよっ!」
 突然キレたようなシンジにミサトもリツコも唖然とした。
 「なんだよ!さっきだってヒトを物扱いして!僕は貴女達の人形じゃないんだ!」
 「だ、誰もそんな事…。」
 「座っているだけでいいなら、貴女達が乗ればいいじゃないか!」
 「いや、それは…。」
 「僕みたいな子供を戦わせようとして、それで恥ずかしくないの!?」
 「シンジくん、落ち着いて、お願い。ねっ。ねっ。」
 ミサトはシンジの激昂ぶりに額に大汗を張り付かせながらも、両手を合わせて笑顔でなんとか宥めようとする。
 「もういい、葛城一尉。」
 その声にシンジは再びゲンドウを見上げた。
 「シンジ。これは、おまえにしかできない、おまえだからこそできる事なのだ。出撃しろ。」
 シンジを信じているようなゲンドウの言葉。だが、シンジはゲンドウの言葉を信じられなかった。
 「父さんは…人類を守る為なら…自分の子供はどうなってもいいの?僕が死んでも構わないの?」
 だが、ゲンドウは無表情のまま、答えない。いくら動揺していても、それを表情に出してはいけないのだ。
 「答えてよ、父さん!!!」
 シンジの絶叫にようやくゲンドウは口を開いた。だが、その言葉は…。
 「…そうか…わかった…おまえなど必要無い。」
 「碇司令!?」
 ミサトは耳を疑った。シンジがいなくなれば今度こそ本当にパイロットがいなくなってしまう。当然、[使徒]の迎撃も不可能だ。いや、それ以前に、ゲンドウの言葉は自分の子供に対するものとは思えなかった。
 「人類の存亡を賭けた戦いに臆病者は無用だ。帰れ!」
 ゲンドウの最後通告を受けたシンジは愕然とした。
 ゲンドウは続いて冬月に連絡を入れた。
 「冬月。レイを起こしてくれ。」
 「使えるのかね?」
 「死んでいるわけではない。」
 「わかった。」

 “やっぱり、父さんは…僕を愛してはいないんだ…だから僕を捨てたんだ…。”
 シンジの視界は涙でぼやけていった。
 「…こんなの…酷いよ…三年振りに会ったのに…父さんともう一度…。」
 「シンジくん…。」
 シンジはゲンドウともう一度、どうしたかったのか…が、その時、ドアが開いて、シンジ達の傍にベッドに載せられた少女が運ばれてきた。白い、身体にフィットした服を着ている。が、他にも白いもの…包帯が巻かれていた。右手は骨折しているのかギプスが付けられ、左手も負傷しているらしく包帯が巻かれている。包帯は頭にも巻かれていた。右目も負傷したのか、眼帯に覆われている。右手に点滴を受け、少女の赤い瞳は虚ろだった。
 それが、レイという少女だった。
 「レイ。」
 「はい…。」
 ゲンドウに呼びかけられた途端、少女の赤い瞳は僅かばかりの輝きを取り戻した。
 「予定が変わった。出撃だ。」
 「はい…。」
 出撃を了承した白い少女は苦痛に顔を歪めながらも起き上がろうとした。
 “この女のコ…僕と同い年ぐらいじゃないか…いや、その前に、ひどく怪我してるじゃないか…なのに、父さんは…。”
 その時、[使徒]の連続攻撃によって第三新東京市に幾つもの爆発が起こり、その衝撃でシンジ達のいる所も大きく揺れた。
 バランスを失い尻餅を付くシンジ、その上に天井の大きなライトが振動で外れて落下してきた。
 「危ない!!」
 ミサトは叫んだが身体が硬直して動く事ができなかった。それはシンジも同様だった。
 天井を見上げたシンジはライトがゆっくりと落ちてくるのが見えた。
 “僕は…死ぬの?”
 人は生死の境の極限状態になった時、周囲がとてもゆっくり見えるらしい。それをシンジも知っていた。そして、シンジが自分の死を恐怖した時、奇跡が起きた。
 突如、ロボットの目に光が点るや否や、紫色の巨大な手が赤い水の中から現われ、シンジの上に落ちようとしていたライトを弾き飛ばしたのだ。
 “…ユイ…。”
 ゲンドウは心の中で呟いていた。
 『EVAが動いたぞ。どういう事だ?』
 『右腕の拘束具を引きちぎっています!』
 「まさか!?有り得ないわ!!エントリー・プラグも挿入していないのよ!!動く筈ないわ!!」
 リツコは驚愕した。
 「インターフェイスも無しに反応している…というより、守ったの?彼を?…イケル!!!」
 ミサトの顔が驚きから確信に変わった。
 何が起こったのか判らないシンジは周りを見回して、レイがベッドから投げ出されている事に気付き、走り寄った。
 「君っ、大丈夫っ!?しっかりして!!」
 シンジはレイを助け起こし呼び掛けるが、レイは苦しそうに喘いでいる。
 「君っ!」
 だが、その声はちゃんとレイに届いていた。
 “…誰?…碇司令…じゃない…。”
 薄らと目を開くと、そこに見えるのは見た事も無い少年の顔。
 “…貴方…誰…。”
 ふと、シンジは右手が濡れている感触がして、レイから右手を外した。レイの脇腹から滲んだ血がついていた。
 「!」
 シンジは思わず息を呑んだ。
 “こんな大怪我してる女のコに戦わせるつもりなのか、父さんは!?”
 シンジはロボットを振り返った。既にその目に輝きは無く、腕も微動だにしない。
 “僕が戦わなかったら…このコが…。”
 そうなれば、自分も父と同じという事になる。
 シンジはもう一度レイの血がついている掌を見た。
 “そんな事は…駄目だ!”
 掌を見ていたシンジは拳を作って決心した。
 「…わかったよ、父さん…僕が戦うよ!」
 「シンジくん!」
 シンジの言葉にミサトの顔が輝いた。
 「ミサトさん、このコを。」
 「ええ。」
 シンジとミサトはレイをベッドに戻した。
 「起動準備!」
 リツコもすぐに指示を出す。
 「シンジ君、操縦システムを説明するからついてきて。」
 「はい。」

 『冷却終了。』
 『右腕の再固定終了。』
 『ケージ内全てドッキング位置。』
 第一発令所にミサトとリツコが戻るとEVA初号機の発進準備が着々と進められていた。
 オペレーター席の右端に座っている女性、伊吹マヤ二尉が集まる情報を確認する。
 「停止信号プラグ、排出終了。」
 『了解。エントリー・プラグ挿入。』
 EVAの背中の装甲が開きエントリー・プラグと呼ばれる細長い筒が入れられる。
 『プラグ固定終了。』
 『第一次接続開始。』
 『エントリー・プラグ内、LCL注水。』
 黄色い液体が下からエントリー・プラグ内を満たしていく。
 「な、何ですか?これ?」
 シンジは迫ってくる液体に慌てた。
 「心配しないでいいわ。それはLCLと言う特殊な液体で、その中でも息が出来るわ。」
 「ちょ、ちょっと待って…。」
 だが、液体の上昇は止まらず、シンジは慌てて口一杯に空気を貯める。
 「大丈夫。肺がLCLで満たされれば直接血液に酸素を取り込んでくれます。すぐに慣れるから。」
 リツコの説明を聞いたシンジは限界に達し口の空気を吐き出した。同時にLCLが肺に流れ込み、その感触に顔をしかめる。
 「き、気持ち悪い…。」
 「我慢なさい!!男のコでしょ!!」
 「人事だと思って…。」
 シンジのぼやきはミサトには聞えなかった。
 『主電源接続。』
 『全回路動力伝達。』
 「了解。第二次コンタクトに入ります。A−10神経接続異常無し。」
 「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス。」
 「初期コンタクト問題無し。」
 「双方向回線開きます。」
 「シンクロ率41.3%。」
 リツコはモニター計測器を見て驚く。
 「…すごいわ。」
 「ハーモニクス、全て正常位置。暴走、ありません。」
 「いけるわ、ミサト。」
 リツコがミサトの方を振り向いて告げると、ミサトは小さく肯き、号令を掛けた。
 「発進準備!!」
 『第一ロック・ボルト外せ。』
 『解除確認。』
 『アンビリカル・ブリッジ移動開始。』
 『第2ロック・ボルト外せ。』
 『第一拘束具を除去。』
 『同じく第二拘束具を除去。』
 『1番から15番までの安全装置を解除。』
 『内部電源充電完了。』
 『内部用コンセント異常無し。』
 「了解。EVA初号機、射出口へ。」
 射出口へ移動していくEVA初号機。
 「進路クリア。オール・グリーン。」
 「発進準備完了。」
 技術部最高責任者であるリツコの最終確認が出される。
 「了解。」
 作戦部最高責任者ミサトはそれを聞き了解する。
 そしてネルフ総司令であるゲンドウの方を向く。
 「構いませんね。」
 「勿論だ。使徒を倒さぬ限り我々に未来はない。」
 無言で肯くミサト。
 「碇。本当にいいんだな?」
 冬月の問いにゲンドウは答えない。口元の前に組んだ白手袋のせいでその表情はよくわからない。が、よく見てみると少々歯をこぼしニヤついていた。
 「発進!!」
 ミサトの勇ましい声と共に凄まじいスピードで射出台ごと地上に打ち上げられるEVA初号機。
 「くっ!!」
 凄まじい下向きのGにシンジは歯を食いしばって堪える。
 第三新東京市のとある地面がスライドして出来た開口部から、EVA初号機が姿を現した。シンジの目の前には[使徒]の姿。そして[使徒]とEVA初号機の対峙している状況が地下のネルフ第一発令所の主モニターにも映っていた。
 決戦の時は来た。
 “シンジくん…死なないでよ。”
 ミサトは心の中で呟いた。そして、同じ事を呟いた者が地上のとあるビルの上にもいた。



超人機エヴァンゲリオン

第1話「使徒、襲来」―――邂逅

完




あとがき