「そのメール、誰から来たのかわからなったのか?」 「はい、MAGIの力を持ってしても、皆目見当つかずでした。」 「だが、イロウルはMAGIとの共存を選択しただけで殲滅していないのは確かだ。禍根は断っておかねばならない。」 シグマ・ユニット及び模擬体のジオフロントからの排除がゲンドウ、冬月、リツコのネルフトップ3の間で決定された。 「んぐんぐんぐ……ぷっはぁー!くぅ〜っ、やっぱ、朝はビールに限るわね!」 朝からビールをかっくらってハイテンションのミサト。 「朝だけじゃないんじゃないですか?」 シンジは毎度の事に呆れ顔。 「んもぅ、冷たいのね、シンちゃんったら!」 「いいんですよ。こないだみたいに、スカートが入らなくて大騒ぎするのはミサトさんですから。」 「うぐぅ…。」 シンジの皮肉にミサトはタイヤキを喉に詰まらせたような声を出した。 「ごちそうさまでした。」 シンジがエプロンを着けて朝食の後片付けを始めようとした時、バスタオルを巻いただけのアスカが脱衣所から現われた。 「ちょっとシンジ!私のシャンプー切れてるじゃない!」 「脱衣所探したの?買い置きがあった筈だけど…。」 既にミサトは保護者失格の烙印を押され、シンジが家事一切を取り仕切っていた。 「あのねぇ!この私があんな安物使えるわけないでしょ!」 「ごめん、それは知らなかったよ。」 「ごめんじゃないでしょ、ごめんじゃ!あんた謝れば済むと思ってるの!?」 「まあまあ、アスカもそんな喧嘩腰にならないで。日本人は信頼と協調を美徳とするの。だから己が引く事で和が保たれるならそれも良しと考えてるのよ。」 「ふん!その事なかれ主義が日本人を議論下手にしてるのよ!いい!?波風立たないように生きてる人間は、そのうち本当の波風に見舞われた時に、何の対処もできなくて慌てるだけなの!わかる!?わかってる!?」 「波風立ててばかりいるのもどうかと思うけど?」 「何ですってぇ!?」 「アスカ、あんまり興奮するとバスタオル落ちちゃうわよ。」 ミサトに言われてアスカは慌てて胸元を押さえた。が、直ぐにシンジの視線に気付くと…。 「ちょっと!どこ見てんのよ!!」 「あ、いや、別に…。」 シンジはアスカから顔を背けて流し台の水道の蛇口を捻った。 今日もシンジはトウジやケンスケと一緒に学校に向かっていた。 「知ってるか?シンジ。今日、転校生が来るんだってさ。」 「転校生?」 「ああ。男子か女子かはまだわからないけどな。」 そこまで知っているのはクミぐらいだろう。 「わざわざこの街に引っ越してくるなんて酔狂なやっちゃなぁ。でも、やっぱ来るなら女子の方がええなぁ。」 「転校生か…。」 シンジの顔が曇る。 …想い出なんか…辛いだけで……要らないよ。 “あのコは…今も無事に暮らしているのかな?” 消息は不明…シンジが知る由も無かった。 「シンジ、何ボケッとしとんのや?早うせんと遅刻してまうで。」 「あ、うん。」 朝のホームルームのチャイムが鳴り、2−A委員長のヒカリの「起立・礼・着席」の号令がかかる。 着席の代わりに‘着服’だったらみんなずっこけるのだろうが…そんなバカな事が有る筈も無く、ヒカリの号令の後、教師に促されて転校生が教室に入ってきた。眼鏡にロングヘアの女子生徒だった。 「山岸マユミです。短い間だと思いますけど、よろしくお願いします。」 「よろしゅう!」 トウジの挨拶返しでクラスに笑いが広がった。 「はい、よろしく。山岸さんの席は…そうですね…洞木さんの隣が空いてるかな。」 「はい。」 「よろしく。」 マユミはヒカリの隣の席に座ると挨拶してきた。 「こちらこそ。わからない事があったら、何でも聞いてね。」 「ええ。」 “転校生、か…。” 別に興味が有るわけでもなかったが、シンジはマユミのほうをボケッと見ていた。 その頃、ネルフ本部の発令所では、マヤが異変を見つけていた。 「パターン、オレンジ。未確認。不規則に点滅を繰り返しています。」 「もっと正確な座標を取れる?」 「これ以上は無理ですね。何しろ、反応が小さ過ぎて。」 ミサトは腕撫してその理由を考えてみた。 「地下…か…。」 「そのようです。深度は、約300m。」 日向がミサトの推測通りの答えを報告した。 「パターン、青に変わりました!」 「使徒?」 ミサトの顔が一気に緊張に引き締まる。 「目標をロスト。全てのセンサーから反応が消えました。」 「観測ヘリからの報告も同じ。目標は完全に消失。」 マヤに続いて青葉も報告した。 「どういう事…?先週からこれで三回目よ!?」 「試してるのかもね。私達の能力を。」 いらだつミサトに対し、リツコは冷静を保っている。 「使徒にそんな戦術的判断ができるというの?」 「生存本能と闘争本能のせめぎ合いが、人間に戦う為の知恵、すなわち戦術という物を与えた。だとしたら、使徒がそれを手に入れてもおかしくないわ。」 “つまり、使徒も進化しているという事か…。” 「…使徒も生き延びたいのかもね。」 ミサトの推測を知ってか知らずか、リツコは一人呟いた。 「零号機は?」 「機体、パイロット共に問題無し。いつでも出撃できるわ。」 「見えない敵か…。」 勿論、ジャミラでは無い…。 体育の時間。男子はグラウンド脇の野外コートでバスケット、女子はプールで水泳である。 「まったく、かったるくてやってられへんなぁ。水泳やってる女子が羨ましいで。」 以前のようにトウジは鼻の下を伸ばして水着姿の女子生徒を眺めていた。 その頭に手を載せて自分の方に向けるケンスケ。 「ところでさ、どうするんだ、文化発表会のネタ。」 「ンな、めんどくさいもん、女子にでも任せとけばええがな。」 「そうはいかないさ。父兄の参観もアリだろ。って事は…。」 「……って事は……何や?」 「相変わらず鈍いな。ミサトさんも見に来るって事だろ。」 まだわからんぞぉ。 「なるほど!そりゃ気張らにゃアカンなぁ!」 等と二人が勝手に盛り上がっている時、シンジもプールの方をボケッと見上げていた。 その視線に気付いたのは、シンジの意識していた女子ではなく、今日転校してきた女子だった。 「あ…。」 マユミは恥ずかしくなってその場から移動していった。 シンジもマユミと視線が合ったので慌てて顔を伏せた。 「何やってんだ?シンジ」 「あ、いや、何でもないよ。」 「ふぅん…。」 昼休み。シンジは一人で、時間を持て余していた。 “たまには図書館にでも行こうかな。” シンジは思い立ったが吉日とばかり、図書館にやってきた。別に読みたい本を探す為ではなく、背表紙を見てどんな本があるのかを知るというだけでも時間潰しになるだろう、と思っただけの事である。それで偶然に興味が湧く本が見つかればそれもまた良しである。 その程度の気持ちでいるシンジが前をちゃんと見て歩く筈も無く、本を沢山抱えて歩いていた女子とぶつかってしまった。 「わっと…。」 「ご、ごめんなさい!」 「大丈夫!?」 「はい…あの、貴方は?」 「うん。僕は平気だけど。」 「良かった…本当にごめんなさい。私、ボーっとしてて…。」 「あ、いや、僕もちゃんと前見ていなかったし…。」 お互いに謝っていたが、落ち着くとシンジはその女子が誰かという事に気付いた。 「あれ?君は…。」 「え?あ、確か同じクラスの…。」 「碇シンジ。」 「碇くん、ね。」 シンジは一瞬、デジャビューを感じた。が、マユミが床に散らばった本を集めようと屈んだ事に気付いた。 「手伝うよ。」 「あ、いいんですよ。私のせいですから。」 「いいよ。一人だと、大変そうだから。」 「ごめんなさい。本当に。」 「いいよ、そんなに謝らなくても…。」 「ご、ごめんなさい!」 「いや…えーと…その…。」 このままでは先に進まないと思ったシンジはさっさと本を集めた。そしてマユミがまた謝ろうとするその機先を制して質問してみた。 「これだけの本、一人で読むの?」 「はい。本が好きなんです。だって…。」 が、その理由を言おうとしたマユミは何故か口篭ってしまった。 「…だって?」 「いえ、何でもありません。」 マユミは本を抱えて立ち上がった。 「本当にすみませんでした。」 「また謝ってる。」 「すいません、何だか、謝るのクセみたいで…。」 「ふーん。」 「それじゃ。」 「うん。」 マユミは歩いて去っていった。 “あのコはアスカとは合わないな…。” 翌日、ネルフ本部発令所にて。マヤと青葉が重大な報告をしている。 「受信データを照合。パターン青、使徒と確認!」 「警戒中観測機113号より入電。目標の移動速度、約70!」 今はゲンドウ、冬月共に不在だ。責任者であるミサトは発令した。 「総員、第一種戦闘配置!」 「映像、入ります。」 その[使徒]は、棘が出た数枚の円盤が中心を合わせて縦に並んでいる、といった形状だった。 「目標の能力は?」 「各部スケール以外は不明!」 日向が現状データをミサトに返す。 「さんざん地下に潜んでいたのに、今になって出てきた理由は何?」 「こちらの手の内が読めたのか?」 「或いは、より具体的な情報が欲しいのか?」 ミサトとリツコがいろいろと推論を展開する。 「碇司令は?」 「迎撃は、葛城三佐に一任するという事です。」 「エヴァ各機、出撃準備!」 「零号機は、すぐ出れます。初号機と弐号機の発進準備完了は370秒後!」 「パイロットは?」 「既に待機しています。」 「目標、第一次防衛線突破!」 山の斜面からの迎撃ミサイルや偽装ロープウェイからの火砲が[使徒]に命中するが、[使徒]は動じる事も無く移動を続ける。 「目標の能力は不明のまま。強羅絶対防衛線まで引き付けて、通常火器との連携で攻撃を開始。以後の行動及び、目標の能力への対処はその場での判断に委ねる。いいわね。」 ミサトはシンジ達に作戦を伝えるが。 「そんなの、作戦でも何でもないじゃん。」 アスカの言う事も尤もだ。‘その場での判断に委ねる’とは行き会ったりばったりも同然だ。 「フォーメーションは?」 「そうね…初号機のみの単独出撃とします。」 「ウソォ!?」 レイの質問へのミサトの回答にアスカは耳は疑った。 「目標の能力は不明のまま。最悪の場合を想定して、零号機と弐号機は本部で待機。いいわね。シンジくん。」 「自信は無いですけど…やってみます。」 「いい返事だわ。目標は!?」 「進行速度変わらず!270秒後に、強羅絶対防衛線に到達します!」 「エヴァ各機とも、既に発進準備は整っているわ。」 リツコの連絡を受けてミサトは命令した。 「発進!」 初号機は学校近くの格納庫から姿を現した。 「気を付けて、シンジくん。既に目標は1000m圏内よ!」 有視覚内だ。 だが、[使徒]は移動を止めて停滞したままで、攻撃の予兆は無かった。 「どういう事だ?攻撃してこないじゃないか。どうすればいいんだ…?」 戸惑うシンジを前に以前動きを見せない[使徒]。 「…接近戦をやってみます。」 シンジはプログ・ナイフを装備し、[使徒]を攻撃しようとした。 その時、[使徒]は身体の一部の円盤を分離して飛ばしてきた。 「うわっ!」 予想外の攻撃方法にシンジは慌てて身を翻して躱した。 円盤はまるでヨーヨーのように元の位置に戻っていった。 「くそっ!」 シンジは再び攻撃態勢を取った。だが、[使徒]は今度は円盤を幾つも飛ばしてきた。 シンジはプログ・ナイフでその一つを迎撃した。だが、[使徒]はダメージを受けず弾き飛ばされただけだった。さらに次の円盤が初号機に襲いかかる。 「くっ。」 次から次へと襲い来る円盤[使徒]をシンジは弾き飛ばしたり躱したりするしかできなくなっていく。 [使徒]との戦闘が長期戦の様相を呈してきたその時、警報が鳴り響いた。 《民間人を戦闘エリア内に確認》 「人だって!?」 通信モニターに映ったのは自転車に乗ったマユミの姿だった。 「あれは…僕達のクラスの…。」 一方、発令所のディスプレイにも、マユミのデータが映し出されていた。 「シンジくんのクラスメート?」 「何故、こんな所に?」 データを確認するミサトとリツコ。 「…前にもこんな事があったわね。」 「そう言えばそうね。あの時は確か…。」 第四使徒戦の時、トウジとケンスケが戦闘エリアに出ていた。二人を庇って初号機はピンチになったが、どこからかバイクが現われ、二人を救出して脱出して行ったのだ。 勿論、現時点ではそれがクミだったと言う事はミサトもリツコも知っている。 「…まさか、ね…。」 そのまさかが起こった。どこからか黒光りする750ccバイクが現われたのだ。 「ちょっとあんた、そこで何やってんの!?」 呆然と目の前の出来事を見ていたマユミは突然声をかけられて振り向いた。 750ccバイクに乗った女性がそこにいた。 「あの、貴女は?」 「いいから早く後ろに乗りなさい!ここは危険よ!」 「は、はい!」 マユミは言われるまま、タンデムシートに座った。 「いい、しっかり掴まってるのよ。」 「は、はい!」 「よし、じゃあ行くわよ!」 750ccバイクは猛加速で発進した。 「どこに行くんですか?」 「とにかく、ここから離れるのよ。」 車が一台も走っていないせいか、750ccバイクはあっという間にシンジの視界から消えた。 「ダメじゃない、あんな所にいたら。もしかしたら死んでたかもしれないわよ?」 「す、すみません…いきなりだったもので、どうしたらいいかわからなくて…。」 「避難警報、聞いてなかったの?直ちにシェルターに入れって。」 「すみません…シェルターってどこですか?」 「貴女…余所者?」 「…転校してきてからまだ日が浅いので…。」 「そっか、それなら仕方ないわね。」 バイクは最寄のシェルター入り口付近で停まった。 「そこの階段を降りればシェルターに行けるわ。」 「どうもすみません。」 「じゃね。」 「あっ、あの、貴女は?」 「…友達よ。」 「えっ?」 バイクは発進していった。 一方、[使徒]と初号機の戦闘は続いていた。 「うわっ!」 バランスを崩して倒れる初号機。 “このままじゃ、やられる!” だが、絶体絶命かと思われたその瞬間、何者かの攻撃で円盤[使徒]は破壊された。 突然の援護射撃に驚いたシンジが火線方向を見ると、そこにはポジトロン・ライフルを構えた零号機が立っていた。 レイが助けに来てくれたのだ。 『貴方は死なないわ…私が守るもの。』 形勢は一気に逆転した。 初号機の接近を阻もうとして分離してきた円盤[使徒]は次々と弐号機のポジトロン・ライフルで破壊され、[使徒]の身体は半分以下の大きさになってしまった。 だが、勝利まであとわずかと思われた矢先、[使徒]はいきなり球体になった。 「まさか!?」 次の瞬間、[使徒]は自爆した。 「よくやってくれたわ。」 ミサトはシンジ達を労った。が、その後の言葉は歯切れの悪い物だった。 「とりあえず、一件落着と行きたいところだけど…。」 「だけど…って、まだ何かあんの?」 「零号機の警戒待機命令は解除されてないわ。」 「だって、使徒はもうやっつけちゃったじゃない?」 「碇司令の命令なのよ。」 「ふーん。ファーストも大変ね。ま、私達には関係無い事だけど。」 「そうね。」 レイはアスカのざーとらしい労りの言葉にも動ぜずに答えた。 「じゃあ、僕も残ります。」 レイを気遣ったシンジだったが。 「いえ、碇くんは学校に戻って。」 御懸念無用のようだった。 「そうね、レイがいれば十分だし、シンジくんも明日からは学校に戻っていいわ。」 「そうですか…わかりました。」 「ともかく、シンジくんとアスカは明日から普通の生活に戻って。レイは碇司令の命令により警戒待機。いいわね。」 「「「はい。」」」 「あーあ、何だか拍子抜けね。使徒もあっけなかったし。」 アスカは両手を組んで伸びをした。 「今日はもう遅いわ。部屋でゆっくり休むのね。」 「言われなくてもそうするわよ。」 「後は…。」 まだミサトは何かを気にかけているようだ。 「どうしたんです、ミサトさん?」 「ううん。アスカの言うように、あっけなさすぎる使徒がちょっち気になっただけ。」 「私達の戦闘能力が、それだけ向上してるって事よ。」 出撃していないくせにアスカが胸を張った。 「そうね…。」 ミサトの言葉の歯切れが悪い理由…それは、[使徒]が消滅する前にパターンが青からオレンジに変わっていたからだった。 その夜、シンジはなかなか寝付けなかった。 “…目が冴えて眠れないや…何でだろう…。今日の戦いが忘れられないのかな?…違う、そんなんじゃない…。” ごめんじゃないでしょ、ごめんじゃ!あんた謝れば済むと思ってるの!? シンジはアスカの言葉を思い出した。 “アスカは何であんなに怒ったのかな?…やっぱり、考え方が外国人なんだな…自分が正しいと考える…そうやって自分を守ってる…自分の事は自分で守り、他人を信用しない…。” 日本人は信頼と協調を美徳とするの。だから己が引く事で和が保たれるならそれも良しと考えてるのよ。 シンジはミサトの言葉を思い出した。 “本意じゃなくても、ほんのちょっと自分が引くだけで和が保たれる…。じゃあ、あの子は?… 本当にごめんなさい。私、ボーっとしてて…。 シンジはマユミの言葉を思い出した。 “あの子は何であんなに謝ってばかりなんだろう…僕だって前を見ていなかったんだから、僕にも非はあったのに…。” 謝る事で周りの和が保たれる…ならば、謝ってばかりというのは…。 “そうか、周りの事ばかり気にしてるんだ…アスカの言う波風を立てないように…波風への対処ができるか、自信が無いから…。” そこでシンジははっと気付いた。 “何で、こんなにあの子の事を気にしてるんだろう…。” 翌朝、シンジが起きてダイニングに行くと、テーブルの上にミサトのメッセージが置いてあった。 〔シンちゃん江。お先に出かけちゃってるからね〜ン。今日の晩ゴハンたぶんパス。先に食べちゃってOK。アスカと変なことしないよーに、バイビー。〕 「珍しい事もあるもんだな。」 シンジは朝食を取ると出掛けた。だが、その方向は学校ではなく、ネルフ本部だった。 「お早うございます。」 発令所にやって来たシンジはそこにいたリツコに挨拶した。 「あら、どうしたのシンジ君?」 「あ、いえ、僕も待機任務に就いた方がいいんじゃないかなって思って。」 「大丈夫よ、レイがいてくれるから。」 「でも…。」 「任務が無い時はちゃんと学校に行くのも仕事のうちよ。ここは、私達に任せておいて。」 「はい…。」 ネルフ本部から戻ってきてシンジが学校に向かっていると、途中にある小さな本屋からマユミが出てきた。胸にはそこで買った本を入れているであろう紙袋を抱えている。 「あ……?」 「あれ、君……。」 思いがけない出逢いにお互い、何を言うべきか悩んでいたようだったが、先に口を開いたのはシンジだった。 「朝から本買ってたの?」 「ええ。昨日、図書館で借りた本、みんな読んじゃったから。」 「本が好きなんだね。」 「だって、いろんな事を教えてくれるから。」 二人は並んで一緒に学校へ歩き出した。 「あの、碇くんは、本を読んだりしないんですか?」 「いや、全然というわけじゃないけど…まあ、本を読むのは好きだよ。」 「良かった。」 「どうして?」 「だって、同じ趣味の人がいると思うだけで、楽しくなるじゃないですか。」 「そうだね…。」 “綾波とは合いそうだな…。” などとシンジが考えていた時、マユミの視界が歪んだ。 “えっ!?” 目の前の空間が裂け、赤い光がマユミの身体を射た…ような気がした。 マユミは立ち止まり、下腹部を押さえてうずくまった。 「どうしたの!?」 “何これ…私が私じゃないみたい…何なの?” 「大丈夫?」 「あ、いえ。何でもないから。」 「そう…。」 もしかしたら女の子の事情というものかもしれないと思い、シンジはそれ以上訊かなかった。 そして数学の授業中。いつもは勝手に脱線して昔話にトリップしてしまう老教師が何故か真面目に授業をしている。 「あー、そういう訳でありまして。うー、今日は偶数の日ですので、出席番号からして、碇君に答えて貰いましょう。」 「はっ、はい!」 ボーっとしていたシンジはいきなり当てられて動揺した。今、テキストのどこを質問されているのかがわからない。だから、答えようが無い。 「碇君、どうしました?」 「はい、え…えーと…。」 シンジ、大ピンチ。と、その時。 ・―――――――――――――――――――――・ | 問題:sin(α+β)=(?) | | @sinαsinβ+cosαcosβ | | Asinαcosα+sinβcosβ | | Bsinαcosβ+cosαsinβ | | | | 正解はBよ | ・―――――――――――――――――――――・ シンジのパソコンのディスプレイに問題と回答がセットになってチャット送信されてきた。 「えーと、Bです。」 「あー、正解ですな。うー、よく勉強してきていますね。」 「ふぅ…。」 ほっと一息のシンジ。 “でも、誰が教えてくれたんだろう…。” シンジが周囲を見回すと、マユミと目が合った。マユミが助けてくれたのだ。 その後、授業がどうなったかと言うと…。 「…これが世に言う、セカンドインパクトと言うものです。その頃私は根府川に住んでいましてねぇ。今ではもう海の底になってしまいましたが…。」 やっぱり昔話にトリップしていた。 4時間目終了のチャイムが鳴った。 「ああ、もうこんな時間ですか。では今日の授業はここまで。」 「起立!礼!」 シンジが弁当を出そうとすると、昼食が学校生活で最大の楽しみである筈のトウジがメシも食わずに声を掛けてきた。 「なあシンジ!ちょっと昼休み、付き合わんか?」 「いいけど、何で?」 そこにケンスケも加わる。 「打ち合わせだよ、打ち合わせ。今度、文化発表会があるだろ?俺達の演し物を決めなくちゃな。」 「文化発表会か…。」 シンジ達は弁当やコンビニのパン・おにぎりを持って音楽室に集合した。 「だけど、問題はやっぱりヴォーカルだよな。男だけのバンドなんて、クリープを入れないコーヒーみたいな物だよ。」 どうやら、バンドを組む事になったらしい。 「そやから!ワシゃ男らしいバンドを目指したい、言うとるやんか!」 バンド名は‘地球防衛バンド’だそうだ。 「ナンセンスだね。美人でイカス、カワイ子ちゃんのヴォーカリストは、メジャーを目指す為の必須条件さ。」 いきなりメジャー志望である。 「ほんじゃ、どないすんねん?」 ちなみに、シンジはベース、トウジはギター、ケンスケはドラムスである。 「今から用意するのさ。」 「おおっ!?心当たりでもあるんか!?」 「いや、ヴォーカル選択は、シンジに一任だ!」 「ぼ、僕が!?」 「心当たりの一人や二人、いるだろ?」 校庭にて。 「はぁー?何で私があんた達を手伝ってやんなきゃいけないのよ。」 「とにかく、頼むよ!」 「私の知った事じゃないわよ!」 第一候補、アスカにはけんもほろろに断られてしまった。 2−Aにて。 「え?私が?」 「僕らを助けると思って!」 「ごめん、やっぱりやめておくわ。」 第二候補、ヒカリにもやんわりと断られてしまった。 図書館にて。 「あの…私が…ですか?」 「たのんます!」 「その美貌を見込んで!」 トウジやケンスケもマユミが最後の候補とあって、土下座までして必死に頼み込んでいる。 「だって、私より綺麗な人なんて、いっぱいいるのに…。」 「シンジ!お前も何か言うたりや!」 「うん…無理にとは言わないけど…君ならきっとできると思う。」 シンジの言葉にマユミは決心した。 「…恥ずかしいですけれど…私でよければ…。」 「じゃ、いいんだね。」 「ええ…。」 「よっしゃあ!」 「ありがとう、山岸さん。」 本来、人前に出る事は得意でないマユミだったが、ヴォーカルを引き受けたのはシンジへの好意からだった。 放課後の音楽室からマユミの歌声が聞えてくる。 地球防衛バンドのデビュー曲として用意されたのは、ケンスケ作詞・作曲の‘君が、君に生まれた理由’だった。 「あ、あの……。」 マユミは歌い終わったが、誰もが何も言わないので少々不安になった。 「ワ、ワシは今、モーレツに感動しとる!今までこれほど泣ける歌を聞いた事ないで!」 「すごい逸材じゃないか!」 「僕も、これ程とは思わなかったよ。」 次々とあがる称賛の声にマユミは面映くなってしまった。 「照れくさいですね。人前で歌うのって。」 でも、その照れくささも何か心地良かった。 「よっしゃ、次はワシらの番や!」 トウジはギターのアンプの電源を入れようとしたが…。 「ちょっと待った!駄目だよトウジ。アンプの電源を入れる時はボリュームを下げてからじゃないと。下手するとスピーカーが壊れちゃうよ。」 「す、すまんな。つい、あの歌に感動しっぱなしでな!」 「おっ、いつものメンバーが集まってるね。」 そこにクミが現われた。マユミの歌声に惹かれて来たらしい。 「あ、真辺先輩。」 「どちら様ですか?」 マユミはシンジに訊ねた。クミが命の恩人である事にはまだ気が付かない。 「3年B組の真辺クミ先輩だよ。僕達はいろいろとお世話になってるんだ。」 「もしかして、ワシらの取材でっか?」 「ま、そんなところよ。」 「取材?」 「真辺先輩は新聞部なんだ。」 「ところで、さっきの歌声の持ち主はそちらの彼女ね?」 「あ、初めまして。山岸マユミと言います。」 クミはマユミを凝視した。 「…あの、何か…?」 「…貴女、最近身体の調子はどう?」 「いえ?…何か?」 「まあ、いいわ。」 何かに気付きながら、クミは敢えて詮索するのをやめた。 その後、バンドはマユミのヴォーカルを除いてまだまだ人前で演奏できるレベルではなく、猛練習が必要な事がわかった。 そんな体たらくでメジャー云々とは何をか言わんや、であった。 その夜。 既に床に就いたマユミは夢の中にいた。 夕焼けの色に染まる、古い電車の車内。マユミはただ一人座席に座って本を読んでいる。 “私がいる。” “本が好き。本の中には下品な男の人もいないし、勝手にあちら側からこちら側にやって来る、無神経な人もいないから。” “家の中が好き。期待した以上の事も起きないけど、それより悪い事も起きないから。自分で思ったとおりの事ができる。私を誉めてくれる人もいないけど、私を笑う人もいない。” “面倒くさいから、喋るのは嫌い。どんなに言葉を重ねても、本当の私の事を理解してくれる人はいないから。でも、喋らないから、勝手に私がこうだと思い込む。おとなしい子だと勘違いする。嫌い。そんな人は大嫌い。自分の勝手なイメージを人に押し付ける。そんな人ばかりだから。” いつのまにか、自分の前の座席にシンジがいる。 “碇くん。彼みたいな男の子は今までいなかった。だけど、期待はしない。何度も裏切られたから。みんな私を裏切るの。裏切らないのは、私の好きな本だけ。” “でも、私、何で泣いてるの?” 血を流して横たわっている母。包丁を握っている父。 フラッシュバックする、幼き日々の出来事。 世界が真っ赤に染まり、それが凝縮して真っ赤な球体になり、そしてマユミの身体の中に飛び込んできた! “やめて!私の中に入って来ないで!” ふと、気付くと、目の前にはあの時に見た、紫色した巨人。さらに、青い巨人も現われた。 青い巨人が巨大な光の弾を放ってきた。 “きゃああああ!” マユミの絶叫とともに、世界は眩しい光に包まれた。 “何?…これは何?” “それは悪夢…。” 背後からの声にマユミが振り向くと、そこにはあの時バイクで現われた女性がいた。 “悪夢!?” “そう。そして、それを見せているのは貴女の中にいる物体。” “私の中!?…そうだ、あの時!” マユミは思い出した。朝、シンジと歩いていた時に突然襲ってきた眩暈―――突然、視界が歪み、目の前の空間が裂けた。その中に、紫の巨人が戦っていた、あの謎の物体が一瞬見えた事を。 “まさか、あれが…あの怪物が私の中に!?どうすればいいの!?” “方法はただ一つ…勇気を出す事。” 今日の放課後も地球防衛バンドの練習は続いていた。 そして、一番のネックはトウジのギターだった。 マユミのヴォーカルは申し分無し、シンジのベースもチェロを習っていたおかげでそれなりのレベルであり、ケンスケも持ち前の器用さでドラムスをこなしていたが、ミサト同様ガサツが服を着て歩いているようなトウジにギターは難しかった。 「くそ〜、何で思ったとおりに動かんのや、この指は…。」 「はあ…どうしたものかな…。」 ケンスケも頭を抱えている。ギターの無いバンドなぞ、ブライトを入れないコーヒーみたいなものだった。 「誰か、ギターの上手な人に指導して頂いたらどうでしょうか?」 マユミの提案を聞いたシンジに思うところがあった。 “そう言えば、確か青葉さんはギターが趣味って言ってたな…。” だが、ネルフの仕事をほっぽいといてギターを教えに来てくれるだろうか? その時、街の方から爆発音が聞こえてきた。 「な、何や!?」 「爆発音だ!!」 「事故かいな?」 「違うよ、あれは…。」 「…う…。」 窓の方に駆け寄ったシンジ達の背後で、マユミは突然苦しみ出し、下腹部を押さえてしゃがみ込んでいた。 “私の中に…何かが…いる…。” 『ただいま、第三新東京市全域に、緊急避難命令が発令されました。市民の皆さんは速やかに規定のシェルターに退避して下さい。』 サイレンと共に非常警戒態勢の警報が響き渡った。 その直後、アスカが音楽室に飛び込んできた。 「シンジ!出撃よ!」 「うん!」 「頼んだで、シンジ!」 「エヴァの活躍、見せてくれよな!」 シンジはアスカに続いて音楽室を出ようとした時、蹲っているマユミを見つけた。 「山岸さん、どうしたの!?」 「シンジ、早く!」 「…いい…行って…碇くん…。」 マユミは苦しさを押し殺してシンジを促した。 「わかった。トウジ、ケンスケ、山岸さんを頼む!」 「任しとけ!」 発令所では日向と青葉の報告が続いていた。 「中央ブロック及び第一から第七管区までの収容完了!」 「政府及び関係各所への通達完了。」 「民間人と非戦闘員の退避は?」 「突然の敵襲で混乱しているようです。」 「急がせて。戦場は市街のド真ん中よ。」 「いきなり防衛線の内側に現われるなんて。」 マヤは驚きを隠せない。 「前回の戦いはこの為の布石だったというわけね。」 リツコはそれでも冷静だった。 シンジとアスカのエントリーが完了し、ミサトは二人に指示を伝える。 「状況は急を要します。既に零号機は発進。初号機及び弐号機も急速発進。目標に威嚇射撃を行いつつ誘導。その間に、民間人の避難を完了させるわ。いいわね。エヴァ初号機、及び弐号機、発進準備!」 「わかってるわよね、シンジ。あんたやファーストにうろちょろされると、私の戦いの邪魔なの。戦いは、常に無駄なく美しく。私に任せておけば、使徒の一体や二体、簡単に倒してみせるわ。」 アスカは相変わらず自信満々だ。かつて独断先行して酷い目に遭った事はもう忘れているらしい。 「無茶な事言うなよ。」 「ふん!だったら、あんた一人でやってみる!?」 「そんな場合じゃないのに。」 とかなんとか言ってる間に発進準備は完了し、二人は出撃した。 目標を見た二人は驚いた。 「嘘!?あれって死んだ筈じゃなかったの!?」 確かにシンジの目の前で自爆した筈の[使徒]がビルの間に浮かんでいた。 と、突然、[使徒]は球体に変化し、無数の棘を周囲に伸ばしていった。 「何だ!?何が起こってるんだ!?」 [使徒]の棘は周囲のビルに次々と突き刺さっていき、[使徒]は自ら動こうにも動けない状況になってしまった。 『目標の行動が予測できないわ。命令があるまで各自その場で待機。長丁場になるわよ。』 「ナガチョウバ?何それ?」 ミサトの言葉の中に自分の知らない単語が出てきたのでアスカは思わず訊いてしまった。 『明日の朝がキツイって事よ。』 長期戦と言った方がわかり易いのだが…。 時間だけが流れていく…そして、第三新東京市に夕闇が迫ってきた時、事態に変化が起きた。 球体がさらに大きくなっていく。 「いったい、何が起こっているの?」 ミサトが問うと日向が答えを返した。 「し、信じられません。使徒の質量が増加していきます!」 「質量が!?まさか!?センサーの数値は!?」 「全センサー正常!測定誤差でもありません!」 「そんな…物理法則に反しているわ!」 「考えられる事は一つ…。」 驚くミサトに対し、冷静なリツコが口を開いた。 「何!?」 「成長しているのよ。蝶が幼虫からサナギ、サナギから成虫に変わるように。」 「まさか!?」 「有り得ない事じゃないわ。使徒は自己修復機能と、敵対する相手と環境に応じた適応力を持っている。恐らくは、その延長線上の能力ね。」 「だとしたら?」 「恐らく、エヴァの攻撃方法に対抗する能力を身に付けている筈。」 やがて、球体に皹が入り出した。その皹はだんだん大きくなっていき、ついに球体はばらばらと崩れ出した。その中から出てきたのは…。 「これが、使徒の本当の姿?」 妙に鋭角的なフォルムを持ち、三本の突起物がついた部分が随時回転している。 「目標、移動を開始しました。」 [使徒]はエヴァ零号機に近づいていく。パレット・ガンを構える零号機。と、[使徒]は突起物を伸ばして攻撃してきた。寸前で避けるレイ。突起物はビルを貫いて戻っていった。 「シンジくん、アスカ。現在、零号機が使徒と交戦中。直ちに援護に向かって。」 『わかりました!』 『やっと反撃開始ってわけね。』 「気をつけて。変形した使徒がどんな力を持っているのか、皆目見当も付かないわ。」 『どうせ見かけだけよ。恐れる事は無いわ。』 『でも、零号機を何とかしないと…遠距離攻撃を仕掛けよう、アスカ。』 『ま、セオリー通りよね。』 兵装ビルからパレット・ガンを取り出すエヴァ初号機と弐号機。 「行くよ!」 だが、シンジ達がレイの援護に駆けつけたその時、マヤから驚くべき連絡が入った。 「気を付けて下さい!目標を示す測定数値のいくつかが、0を示しています!」 『どういう事!?』 「つまり、あなた達の目の前にいる敵は、実体であり、実体でないということなの。」 『何よソレ?じゃ私達、幻と戦ってるっていうの?』 『でも、攻撃は本物だわ。』 『うるさいわね、ファースト!そんな事わかってるわよ!』 ちなみに学校の屋上から例によって[使徒]を観察していたクミはボソッと呟いていた。 「ヒッポリト星人みたい。」 『こちらでも分析は進めているわ。今は敵の攻撃を避けつつ、遠距離からの牽制を行って!』 ミサトの指示が出たが。 「敵がこちらに向かって来なけりゃね!」 と言ってると。 「来たわ…。」 レイの言うとおり、[使徒]が接近してきた。 「私が囮になるわ。シンジとファーストは後方から攻撃。あいつの背中に思いっきりパレット・ガンをぶち込んで。」 珍しい事に、アスカは地味な役回りをするつもりだ。 「でも、危ないよ?」 「わかってるわよ、そんな事。たまには信用してみるわよ、シンジ。裏切ったら承知しないから。」 「わかった…。」 シンジの顔にも気合が入った。 「行くわよ。シュタルト!」 アスカはエヴァ弐号機を敵に接近させる。それに気を取られた[使徒]の後方に回り込んだエヴァ初号機と零号機のパレット・ガンが火を吹いた。更に前方からもエヴァ弐号機のパレット・ガンが火を吹いた。だが。 「駄目です。目標へのダメージ、認められません!」 「ンもぅ、しぶといわね!」 すると、[使徒]は明後日の方向に移動し始めた。と言っても、その方向には…。 「あの方向…。」 「まさか…。」 「私達の学校じゃない!?」 そこにはトウジとケンスケやヒカリにマユミ、その他逃げ遅れた生徒達がいる筈だ。 「やめろ!そっちには、友達が、戦えない人がいるんだ!」 シンジは慌てて[使徒]を追った。それを待っていたのか、[使徒]は後ろ向きに突起物を伸ばしてきた! 「くっ!」 パレット・ガンを犠牲にして直撃を免れたものの、バランスを崩して倒れるエヴァ初号機。 《警告 LCL浄化装置損傷 浄化ユニット…交換を要す》 「くそっ、こんな時に…。」 『聞える、シンジくん!?零号機と弐号機が目標を食い止めるわ!その間に、エントリー.プラグの修理を受けて!』 「で、でも…!?」 ミサトはそう言うが、果たして修理にどれくらい時間が掛かるのか? 『大丈夫、ユニット交換は10分もあれば済むわ。今、作業用トレーラーをそっちに向かわせたから。』 リツコがそう言うからには大丈夫だろう。 『早く修理を受けなさいよ、シンジ!』 『ここは私達が何とかするわ。』 「わかったよ、アスカ…綾波。」 うつ伏せになったエヴァ初号機から抜き取られたエントリー.プラグがトレーラーの修理台に置かれ、作業員が修理を続けている。 “早くしないと、綾波とアスカが…。” 気は急くものの、シンジは道端に腰を降ろして修理を待つ事しかできない。 だが、そこになんとマユミがやって来た。 「碇くん…。」 「山岸さん!?どうしてこんなところに?早くシェルターに避難しないと危ないよ!」 だが、次のマユミの言葉はシンジの想像を絶していた。 「お願い…私を殺して!お願いだから!」 「な…何を!?…山岸さん、君が何を言ってるのか、全然わからないよ!」 「わかるの…私の中に、あの怪物がいる…あの怪物の魂が宿っているの…。」 「そんな…。」 それじゃ、マユミの正体は[使徒]なのか!?シンジにはそんな事は到底信じられない。 「わかるの…わかるのよ!だから殺して!早く私を!」 「そんな事、できるわけないだろ!」 「だって、私、嫌いだから!人に迷惑をかけられるのも、かけるのも。勝手に心を覗かれるのも、覗くのも、そんなの嫌だから!このままじゃ、もっともっと自分が嫌いになるから!」 マユミは地面に座り込むと両手で顔を覆いながら自分の心情を激白した。相手がシンジだからこそ、引っ込み思案なマユミにも勇気を出せたのだ。 「でも、駄目だよ。」 シンジの優しい声にマユミは思わず顔を上げていた。 「だって、死んじゃったら好きも嫌いも無いじゃないか。」 「碇くん…。」 「修理完了!再起動の準備にかかる!」 LCL浄化ユニットの交換作業が完了した。もうエヴァ初号機は大丈夫だ。 「早くシェルターに。あいつは、必ず僕が倒してみせるから。」 「…行ってしまうの?」 「だって、やるしかないから。」 「え?」 「僕には、エヴァに乗る事しか無いんだから、やるよ。」 そう言って、シンジはエントリー・プラグに入った。 「綾波、アスカ、今そっちに行くよ。」 『シンジくん。生徒達のシェルターへの避難は完了したわ。零号機と弐号機は目標と交戦中。直ちに援護して。』 「はい!」 『新しい武器も用意したわ。好きなものを選んで。』 シンジは再びパレット・ガンを選び、アスカ達の許に駆けつけた。 「遅いわよ、シンジ!」 「ごめん!」 “でも、どうすれば奴を倒せるんだ…?” 「零号機、弐号機ともに損傷率は、ほぼ限界です!」 「目標、ダメージ認められず。」 「武装ビルの地対地ミサイルシステム、未だ回復しません!」 オペレーターたちの報告は悪いものばかりだ。 “このままじゃ、全滅するのを待つだけだ…。” 「シンジくん、レイ、アスカ。残念だけど、これ以上は無理だわ。撤退して、体制を整え直すしか…。」 「目標、初号機に狙いを絞りました!」 ミサトの言葉が終らぬうちに、青葉が危機を伝える。 「避けて!シンジくん!」 だが、[使徒]が気にしていたのは、エヴァ初号機ではなく、その傍のビルの屋上に立つ一人の少女だった。 シンジもその存在に気付いた。 「え?まだ、避難してなかったのか!?」 よく見ると、マユミは屋上のフェンスの外にいた。 “まさか!?” 「嫌なの…人の心を覗くのも、覗かれるのも…勝手に心の中に入り込まれて、私の中に入って来られて…嫌なの…嫌だと思う、自分も嫌なの…もう、こんなの嫌なの…だから…。」 一人、想いを呟いたマユミは目を閉じると、ビルの屋上から身を投げた! 「駄目だ!!」 シンジは直ぐに反応した。エヴァ初号機の手が伸ばされ、マユミはその掌に落ちた。 「なんて事するんだよ。死のうとするなんて。生きていたくても、それができなかった人も大勢いるのに、何でだよ。」 マユミは気絶したらしく、動かない。[使徒]も動かない。 「もしかしたら、明日は今日より悪い日かもしれない。いい日かもしれない。でも、明日というのはいつまでたっても無くならない。それは、生きていれば、明日はいつも明日だからなんだ。」 シンジはマユミを地面に降ろした。 『来るわ、シンジくん!』 「だから…僕は戦うんだ!」 伸びてきた[使徒]の突起物を、振り向きざまにエヴァ初号機は両手で掴んだ。 予想外の反撃に戸惑ったのか、[使徒]の動きが止まった。その時、マユミの身体から赤い小さな光球が分離し、[使徒]に吸い込まれていった。 「エリア内に新たな反応を確認!」 「パターン青、使徒です!」 「まさか、新しい敵!?」 「いいえ、反応は、現在の目標と同一座標上です!」 「姿は一つなのに、反応が二つって事?」 ミサトには訳がわからない。 「もしかしたら…。」 「何なの?」 「さっきのシンジくんのクラスメートを望遠モニターに出して。」 「はい。」 リツコの指示をマヤが実行し、地面に倒れたままのマユミの姿が映し出された。それを見て、リツコはようやくからくりがわかった。 「なるほどね。あの子の身体の中に隠していたんじゃ、自らのコアを危険に晒すと判断したらしいわ。潜ませておいたコアを、ようやく本体の中に戻したのね。だから一瞬、反応が二つになった。」 「使徒のコアが…?」 「考えたわね。」 「どういう事?」 「今までシンジくん達が戦っていたのは、使徒の影武者のような物よ。本当の本体、すなわちコアを人の身体の中に隠し、弱点を無くしていた。」 「そんな事って…。」 「敵は、我々の物理常識では計り知れない存在よ。けど、これじゃまるで…。」 「まるで?」 「いいえ、科学者が口にする事じゃないわね。」 「理屈はどうでもいいわ。コアが使徒の身体に戻った。つまり…。」 「倒せない相手じゃなくなった…という事ね。」 「行けるわ。シンジくん、アスカ、レイ。3機同時による過重攻撃で目標を粉砕!」 「でぃああああっ!」 エヴァ初号機が[使徒]を投げ飛ばした。ビルに激突し、身動きできなくなった[使徒]に、三方向からパレット.ガンの弾丸が撃込まれた。 閃光が[使徒]を包み込み、爆発が起きた。今度こそ、使徒殲滅完了である。 「やれやれ、ね…。」 ミサトも大きな息をついた。 その頃、マユミもようやく意識を取り戻そうとしていた。 「う……うん……私……こんな所にいる……。」 「お目覚めかしら、お姫様?」 ふざけた口調の言葉に振り向いたマユミの前には、クミがいた。 「あ…真辺先輩…。」 「大丈夫?立てる?」 「はい……私…何故、生きてるんですか?」 「シンジくんが助けてくれたのよ。エヴァンゲリオンの手で貴女を受け止めたの。」 「碇くんが?…そうだ、あの怪物は!?」 「シンジくん達がやっつけてくれたわ。それも、貴女のおかげだけどね。」 「私の…?」 マユミにはクミの言葉が理解できなかった。 「あの怪物は自分の魂を貴女の身体の中に宿らせて不死身になっていた。でも、シンジくん―――正確に言えば、エヴァンゲリオン初号機が貴女の傍に来てしまった。貴女が殺されたら貴女の身体の中の怪物の魂も死んでしまう。それを恐れて、怪物は自分の魂を元に戻した。その結果、怪物は不死身ではなくなり、エヴァンゲリオンによって倒された。」 マユミは自分の下腹部を押さえた。もう、あの異質な感覚は無かった。 「そうだったんですか…でも、私は死んでもよかったのに…。」 「どうして?」 「人に迷惑をかけるのが嫌だった…心を覗かれるのが怖かった…死んでしまえば、そんな事に苦しまなくてもよくなる…私の体の中にあの怪物の魂がいるのなら、いっそ死んでしまったら…。」 「苦しみから解放されるし、怪物も死ぬ。正に一石二鳥って訳ね。」 「……怒ってるんですか?……死のうとした事を……。」 「ほんのちょっとね。でも、終わり良ければ全て良し、という事で許してあげるわ。」 クミの優しい微笑がマユミの心に安寧を齎した。 「それじゃ、もう暗いし、家まで送るわ。」 「…あの、どうやって?」 街は静寂に包まれ、交通機関など動いてはいない。 「それで。」 クミの指差した所には、バイクが1台あった。 「第3使徒サキエル、第4使徒シャムシエル、第5使徒ラミエル、第6使徒ガギエル、第7使徒イスラフェル、第8使徒サンダルフォン、第9使徒マトリエル、第10使徒サハクイエル、第11使徒イロウル。」 ゲンドウの執務室に第三新東京市を襲った使徒のスライドが映され、使徒の名前をゲンドウが読み上げていく。 「予定どおりですか?ここまでは?」 「ごく一部の例外を除けばな。」 「人類補完計画。アダム。そしてエヴァ。例外は、命取りになりはしませんかね?」 「何事にもイレギュラーはある。全て修正可能な範囲の出来事だよ。」 「なら、いいんですがね…。」 「もちろん、君の行動も含めてだ。」 そのゲンドウの言葉に思わず加持は言葉を失った。 「しかし、有能な人材を無碍にはせんよ。」 「どんな強固なダムも、壊れるのは、ほんの小さな亀裂からと言いますからね。」 「それが?」 「司令がもしも、その亀裂を見つけたとしたら?」 「…無かった事にする。」 「賢明な御判断です。」 「…てな訳で、私を愛するあまり、無理に無理を重ねて戦うシンジくん。これぞ男の鏡!それとも私の美貌が罪なのかしら!?」 アスカは数人の女子生徒の前で、大はしゃぎで今回の武勇伝を話していた。 「でも、でも、ああ、ごめんねシンジくん。私には加持さんという、心に決めた人がいるんだから!」 アスカの勝手な解釈で広げられた話により、シンジはアスカに恋焦がれる男にされてしまっているようだ。 「かわいそう、碇君…。」 “同情するなら金をくれ!って言いたいよ…。” しょんぼりと困り果ててるようなシンジはそう考えながらも、内心、アスカの『ごめんね』という言葉に嬉しさを感じてもいた。 その様子を見ていたトウジとケンスケは呟いた。 「えらい平和やなー。」 「そ、平和が一番。」 「ッダーッ!!」 突然、拳を突き上げながらトウジとケンスケの傍にクミが現われた。 「な、なんでっか、真辺先輩!?」 「君達、元気かな?」 「ええ、まあ…。」 「うんうん、元気があれば何でもできる。」 等と言いつつ、クミはシンジやアスカのいる方へやってきた。 「シンジくん、ちょっと来て。」 「あ、はい。」 「アスカちゃん、貴女の愛するシンジくん、ちょっと借りるわよ。」 「いや、あの、ちょっと…。」 アスカの返事に聞く耳持たず、クミはシンジを引っ張って出て行った。 「何だ、やっぱりそうだったんだ。」 「照れ隠しにあんな事言っちゃって、惣流さんたらカワイイ。」 クミのたった一言で立場が逆転し、アスカはシンジへの想いを素直に伝えられない純情な乙女にされてしまった。 ただのクラスメートなんてそんなもの…。 シンジはクミのバイクの後ろに乗せて貰って駅に向かっていた。 「山岸さんね、今日転校するんだって。」 「ええっ!?」 「もともとお父さんが国連所属の技術者らしくて、今回も技術交換の為の滞在だったそうよ。」 「じゃあ、お父さんがどこかに行く度に山岸さんも転校ばかり…?」 「みたいね。親娘二人だけの家庭だからね。」 「普通はそうですよね…。」 シンジのその声は少々暗かった。そう言えば、シンジも一応親子二人だけの筈だったが…。 「シンジくん。彼女を羨ましがってもいいけど、自分を悲しんでも仕方が無いわ。貴方は強くなるんじゃなかったの?」 マナの件でクミに相談に行った時の事だ。 「…そうでしたね。すみません。」 『間も無く、2番線に厚木行き特急リニアが参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がり下さい。』 そのアナウンスの直後、シンジ達はマユミを見つけた。 「山岸さん!」 「碇くん…真辺先輩…どうして…。」 「見送りに来たのよ。」 「黙って行かなくてもいいじゃないか。」 「ごめんなさい。お別れって、寂しくてあまり好きじゃないから…。」 「また、謝ってるんだね。」 シンジの指摘にマユミははっと気付いた。 「本当だ。私って進歩が無いですね。」 「いいえ、きっと貴女は変わる事ができると思うわ。清水の舞台から飛び降りる勇気があれば…。」 「この先、どんな事だってできるさ。」 「そうですね。ありがとう、碇くん。真辺先輩。」 列車が入ってきて止まった。 「本当にごめんなさい。わざわざ見送りに来させてしまって。」 「ほら、また謝るんだね。」 「あ…。」 マユミは頬を赤く染めた。 “あら?” クミはマユミの想いにすぐに気付いた。 「それじゃ、時間ですから。」 マユミは列車に乗り込んだ。 「元気でね。」 「ええ。真辺先輩も、シンジくんも。」 マユミは勇気を出してシンジを名前で呼んだ。 その直後、ドアが閉まった。 マユミは眼鏡を外し、シンジに手を振った。 列車は走り出し、マユミは第三新東京市を去っていった。 超人機エヴァンゲリオン 「君が、君に生まれた理由」―――勇気 完 あとがき