昼、街の大通りでたそがれる少年が一人。

(……ここ、どこ…?)

唐突だが、彼は道に迷っていた。

この街に関して共有している知識は、ネルフへの道順くらいのもの。

だが、たった二回の往復なので、その知識はまだ脳にはっきり刻まれていない。

道順などを教えなかったカイも悪いし、ミサトもさすがにネルフへ行っていたので仕方ないとも言えるが、楽観的にそんなものを頼りに外出し、その上見舞いには何を持っていこうか、何を話そうかなどと考えながら歩いていたのだ。

迷って当たり前である。

(…ああ、お腹も減ってきた……)

ちなみに現在時刻は午後1時前、出発したのは午前10時。

朝食はカロリーブロック。

それ程長くいるつもりはなかったし、道に迷っていることに気付いたのは今しがたのことなので、昼食はまだ取っていない。

ここまで来ると救いようがあるかどうかさえ疑ってしまう。

だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。

「すいません…この辺りに食事ができる所って、ありますか?」

歩きっぱなしで疲れた足を引きずり、鳴りっぱなしの腹を押さえて、通りすがりの人に訊ねた。

嗚呼、この馬鹿な少年に幸あれ……

 


ただ、その小さな世界を…… 第6話


 

「ふぅ〜、結構食べたな」

その人に教えられたのは、低価格競争真っ最中の某ファーストフード店。

しかも位置するのはデパートの一角という、彼にとっては渡りに舟な場所だった。

十二分に膨れた腹をさすりながら休憩エリアに向かい、ベンチに座る。

(さて、運良くデパートまで来れたんだ。買うもの買って早くお見舞いに行かないと)

脚を組み、それに肘を突いて考える。

丁度『考える人』のポーズだ。

(もう一回初めから考えてみよう)

(オーソドックスなところだと果物の詰め合わせとかなんだけど、食事制限あるとダメだし……)

(かといって花だけってのも……)

(好きなものも嫌いなものも知らないし……)

(…う〜ん………)

(………やっぱり考えてても決まらないな……せっかくデパートにいるんだから色々見てみよう)

 

 

 

片っ端から見ているうちに、書店が目に留まった。

(本か……いいかもしれない。入院なんて退屈そうだもんね。暇つぶしは多いに越したことはないし)

入ってみて、その本の量に驚いた。

なんせ普通の書店と同じ位、あるいはそれ以上にも見える。

(そういや、他の所も品揃え豊富だったな。このデパートって、結構大きいんだ。近くに良い所がなかったらここまで来ようかな?)

そんなことを考えながら物色していった。

が、途中であることに気付いて足を止めた。

(そういえば、心を閉ざしてるとか言ってよね、カイ。だったら本とか読むのかなぁ……)

(……う〜ん………迷ってても仕方ない。読まないなら読まないで、その時に考えよう)

頷いて、本探しを再開した。

(何がいいかな。漫画、雑誌、小説、エッセイ、参考書、学術書………ほんと、色々あるなぁ)

(心を閉ざしてるっていうんだから、世間のことには興味ないだろうな。エッセイってよく分からないし、漫画も、なんかダメそう。あんまり難しいのはお見舞いにはならない。となると小説か……)

(けど小説っていっても、アレくらいしか知らないな。それに有名だから知ってるかもしれないし……えっと……あった!)

棚から取り出したのは『死せる街』という小説。

セカンドインパクトによって壊滅的なダメージを受けたオーストラリアが舞台となっている。

見る影もない街に途方に暮れるも、様々な困難を乗り越え、周りの助けも得ながら必死に生き延び、アメリカに留学している恋人や友達、家族などの大切な人を探す男の話だ。

決して短調ではないストーリーに秀逸な描写、個性的なキャラクターが高い評価を受けた。

また、セカンドインパクトの痛みを的確に表現していて、凄まじい発行部数を誇り、当然のように多国語に翻訳された。

ちなみに作者はオーストラリア人で、その内容から殆どが事実ではないかと疑われたこともある。

そして、彼らが唯一持っている小説だ。

(珍しくカイが買ったんだよな、コレ。普段は物欲なんて全然ないのに。まあ僕も好きだからいいけど)

その後、三冊ほど選び、それらを二冊ずつ手に取ってレジへ向かった。

(あ、地図も買っておこう。この街のこととか全然知らないし)

第三新東京市を中心とした、そこそこの大きさのものを選んだ。

「――――4768円になります」

言われて、既に手に持っていたカードを渡す。

その顔は先程とは違い、どこか諦めたような雰囲気が漂っている。

店員が差し出されたカードを受け取ろうとして、ビクッとその動きを止めた。

それを見て、シンジが溜息を吐く。

(カイ〜、何で財布も冷蔵庫も空っぽなんだよ〜)

シンジが自分の身を嘆いている間に、再起動を果たした店員が会計を済ませ、カードと小説を渡す。

「あ、ありがとうございました」

その言葉を背に受けて書店を後にするシンジには、小説の入った袋がやけに重く感じれた。

 

 

 

今、シンジは右手に小説が入った袋を、左手にお見舞いの花を持って、レイの病室の前に立っている。

朝は彼女に会うことを不安がっていたのに、彼の表情にそれはあまり見られない。

が、変わりに先程よりも憂鬱そうな顔をしている。

あの後フラワーショップに向かい、そこの女性の店員にお見舞いの花を見繕っていた。

微笑ましいものを見るような顔をしていた彼女の表情が、会計の際に驚愕に固まり、デパートを出れば、まだ学校も終わらない時間からこんな所を歩き回っている少年を補導しようとした警官に捕まり、身分を示せば最敬礼され、その後その警官がパトカーを呼んでシンジをネルフまで送り届けた。

そこからは比較的マシだったが、数日前まで只の少年だった彼が、憂鬱になるには十分過ぎるだろう。

(はぁ、まあいいや、済んだことだし。それに落ち込んだ顔でお見舞いなんてできない)

気を取りなおし、深呼吸して、ノックする。

「……どうぞ」

雑音があれば聞きとれないような弱い声が、中から聞こえた。

一つ息を吐き、ドアを開けた。

「また、来たの?」

開口一番、無表情にレイが言った。

それに苦笑を浮かべてシンジが答える。

「『また』じゃないよ。初めまして。僕が碇シンジ。カイもお見舞いに来たんだ?」

「そう、あなたがシンジ君」

「ん?カイが言ったの?名前で呼ぶように」

いきなり名前で呼ばれたことに驚き、同時に嬉しくも感じる。

「『判別つくようなら名前で呼んでくれ、無理なら碇でいい』と言われたから」

「うん、僕もその方がいい。ところで花瓶ってどこか分かる?」

「この棚の一番下にあるわ」

備え付けのチェストを目で指す。

「分かった」

取り出し、部屋の水道で水を入れて戻って来た。

「窓のところに飾っとくよ」

とん、と置いて、ベッドの傍の椅子に座る。

「あとこれ、小説。退屈だろうからって思ったんだけど、読む?」

袋から出して差し出すと、無言でそれらを受け取った。

その瞬間、シンジは心の中でガッツポーズをした。

受け取ってくれなければ、二冊ずつ買った意味がない。

小説をネタに親睦を深めようという魂胆が、丸潰れになってしまう。

しかし、その喜びは長くは続かなかった。

「これは読んだことがあるわ」

指差しているのは『死せる街』

「あ、有名だもんね。小説とかよく読むの?」

「ええ」

「じゃあ、他のは?」

「読んだことはないわ」

被害は思ったより軽かったらしい。

「そっか。よかった」

「なにが?」

「い、いや、こっちの話」

「そう」

ごまかせた(?)ことに安堵するも、

「………」

「………」

「………」

「………」

今度は話が途切れる。

(は、話が……基本的に返事しかしてくれないから……)

(何か話題になることは……)

(あぁぁ……色々考えてたのに何でうまく続きそうなのが一つも――)

パラ…

(え?)

顔を上げると、レイが小説を読んでいた。

話が途切れたことを、話が終わったと思ったのだろう。

「あ、あのさ……」

「なに?」

「せっかくだから、何か話がしたいんだけど……」

パタン、と音を立てて本が閉じられた。

「何が訊きたいの?」

「その、そんなに難しい話じゃないんだけどさ、『死せる街』は読んだことがあるんだよね?」

「ええ」

「僕も呼んだことがあって、すごく好きなんだ。それで感想とかお気に入りのシーンとかあったら教えて欲しいんだ。あ、僕が気に入ってるのは、主人公が友達に裏切られて食料とか全部奪われた後、絶望やいろんな苦しみに苛まれながらも前に進むってシーンなんだ」

「………」

「他にも好きなシーンはあるんだけど、やっぱりあそこが一番好きなんだ。初めて読んだときは、恥ずかしいんだけど、小さなことでいじけてる自分が情けなくなって、他にも色々励まされたこともあったし。綾波は?」

「分からない」

「え?内容とか、あんまり覚えてない?」

「あなたは、どうしてそんな風に感じるの?」

「綾波は、本を読んで何かを感じたりはしないの?」

「ええ」

「……本を読むのは、本当に只の暇潰し?」

「そうよ」

(じゃあ、本の話なんて、できやしないんだ……)

軽い絶望を感じてうなだれた。

言葉が交わされないまま、紙を捲る音だけが、病室に響く。

パラ…パラ……パラ…

いつ終わるともなくその音が続き、突然その沈黙が破られた。

「綾波さん、そろそろ検査の時間――」

そう言って現れた看護婦だが、シンジから漂う嫌な雰囲気に当てられたのか、途中でその動きを止める。

しかし、シンジがその場から逃げるには十分なきっかけだった。

「あ、そうなんですか。じゃあ綾波、僕は帰るから。またね」

言うなり立ち上がって、ドアへ向かう。

「そう、さよなら」

だが、その足がピタッと止まった。

「綾波、それはよくないよ」

「なにが?」

「“またね”も“さよなら”も別れの挨拶には違いないけど、“またね”は“また会いたいね”っていう意味なんだ。でも“さよなら”にはそんなニュアンスは殆どない。綾波さんは、もう会いたくないくらい、僕が嫌い?」

少し怯えるように、言葉を待つ。

「…………別に」

「そう、よかった。じゃあ、またね。綾波」

「……また、ね」

心からの笑顔を見せて、レイに背を向ける。

「やるじゃない?」

さっきからずっと立っていた看護婦からそんな言葉がかけられて、顔を真っ赤にして急ぎ部屋を出るシンジ。

もしかすると、自分を忘れていたことに対するささやかな復讐だったのかもしれない。

その笑顔が、某作戦部長とそっくりでさえなければ……

 

 

 

………どうして、あんなことを言ったの……?

……再会の約束………誰とも交わしたことはない……

……………わからない………

……わたしは、彼に何を望んでいるの……?

…わたしの望みは、ただ無に帰るだけなのに………

……どうして、わたしは………

…………どうして…………

 

 

 

一方、そのころのシンジ。

「ここ……どこ……?」

今度はネルフで迷っていた。

「冗談じゃない。なんで一日に二回も道に迷わなくちゃならないんだよ」

だがそれも仕方のないこと。

ネルフの構造は迷路に等しい。

「今度は考え事も何もしなかったのに……まったく、もっと分かり易い構造にしてよ」

そう言って、来た道を引き返す。

が、行けども行けども周りの様子が変わることはない。

その上、人が通りかかることもない。

「ま、まさか、こんなところで野垂れ死になんて、ないよね?」

既に手足は小刻みに震え、目にも涙が浮かんでいる。

「と、とにかく、どこか連絡できそうな場所を探そう。そうしたらなんとかなるよね」

自分に言い聞かせて、かなりの早足でその場を去った。

 

 

 

書類の束を抱えて廊下を歩く男が一人。

その名は日向マコト。

「ふぅ、葛城さんも人使いが荒いよな。今夜も徹夜かぁ」

口ではそう言うが、それ程悲壮さは窺えない。

「ま、それだけ頼りにされてるってことだし………ん?あれって……」

視線の先には、涙を流しながらとぼとぼと歩くシンジがいた。

「何かあったのかな?おーい!そこの君!!」

その言葉にシンジが顔を上げ、マコトの姿を認めて、突っ込んできた。

「どわぁ!!」

吹っ飛ばされ、尻餅をつくマコト。

抱えていた書類は盛大に宙を舞っている。

「あああぁ!あなたは僕の救世主です!!」

「いたたたた……一体どうしたんだ?救世主って……」

泣きながらシンジがこうなった経緯を話す。

「ま、まあ、道に迷うのは仕方ないよ。ここって迷路みたいだし、葛城さんだって何度も迷ってるし」

「ミサトさん、も?」

「そういやシンジ君は葛城さんと同じマンションに住んでるんだったね」

「あ、はい」

「じゃあ、葛城さんに家まで送って貰おうか?まだ居るといいけど……」

そう言って、撒き散らされた書類を拾い始める。

「あ、すみません!」

シンジも慌てて手伝い始めた。

「いいよ、気にしなくて…………よし、行こうか」

涙を拭って、シンジはマコトの後を追いかけていった。

 

 

 

作戦部長室前

マコトがドアをノックする。

「葛城さん、いらっしゃいますか?」

だが、暫く待っても返事はない。

「ここにはいないか……時間も時間だし、食堂に行ってるのかな?」

時刻は午後6時45分。

悲しいことに、今日のシンジの運動量はとてつもなく多い。

「そういえばシンジ君はお腹が空いてたり喉が乾いたりしてない?」

「大丈夫です。お腹は空いてません。ただ、ちょっと喉が乾きましたけど……」

「そうか、取り敢えず食堂に行ってみよう。そこでジュースでも買ってあげるよ」

 

 

 

食堂についた。

辺りを見渡して、ミサトを探す。

しかし見つからない。

「う〜ん、もしかして帰っちゃったのかなぁ。今日の書類仕事全部回されたし」

と、見知った顔を見つける。

「お、あいつは……」

同僚の青葉シゲルと伊吹マヤだ。

「よ、シゲルにマヤちゃん。葛城さん見かけなかった?」

「ん?ああ、マコトか。葛城さんはさっきまで赤木博士と食事してたぞ。その書類の山の文句でも言いに行くのか?」

「もしかしたら先輩の部屋にいるかも。コーヒーがどうのこうの言ってたから」

「なるほど、赤木博士の淹れたコーヒーは美味いもんな。ありがとう。じゃあ行こう、シンジ君」

「はい」

オレンジジュースを買って、リツコの部屋に向かった。

 

 

 

技術部長室前

「赤木博士、いらっしゃいますか?日向です」

『日向君?開いてるから入って。ミサトは逃げないように押さえておくから』

『ちょ、リツコ!離してよ!』

どうやらミサトもいるらしい。

「し、失礼します」

マコトが部屋に入るなり、ミサトが顔色を変えた。

「ひ、日向君、へ、返品は受け付けないわよ?男なら一度受けたことは最後までやり遂げないと。ね?ね?だから書類は持って帰って〜〜!!」

「………ミサト……」

親友の余りの情けなさにこめかみを押さえるリツコ。

他も似たり寄ったり反応を見せる。

「か、葛城さん、書類の文句を言いに来たんじゃないですよ。実はシンジ君が……」

「え!シンジ君になにかあったの!?」

ミサトがシンジに駆け寄り、異常がないか確かめる。

リツコも真面目な顔をになって、様子を見る。

「……道に迷っちゃいまして……」

「「はぁ!!?」」

素っ頓狂な声を二人が上げ、シンジは恥ずかしげに縮こまる。

「ずっと歩き回ってたらしくて……携帯もまだ支給されていないと」

「…………ミサト?確かあなた……」

その恐ろしく冷たい声に、ミサトが竦みあがる。

「だ、だって……」

「弁明の余地はないわ。このことは司令部に報告しておくから」

「そんなぁ〜!リツコ様ぁ、お慈悲を〜〜!!」

ミサトが縋り付きながら言う。

「自業自得よ。とにかく、シンジ君はこの馬鹿に送ってもらいなさい」

「は、はぁ」

「ほら、いつまでくっついてるの?さっさと立ちなさい」

「……はぁ、シンジ君、行きましょう」

重い影を背負って、のろのろと部屋を出ていった。

「えっと、失礼しました」

シンジもその後を追う。

 

 

 

「……はぁ〜〜〜〜〜」

これが何度目だろうか、ミサトが深い溜息を吐く。

「減給だろうなぁ……今日は遅刻もしちゃったし……」

二人は今ミサトの車の中にいて、シンジは後ろに座っている。

さすがのミサトも暴走する元気はないらしく、安全運転をしている。

「あ、あの、ミサトさん、僕は気にしてませんから。ただ僕が方向音痴だっただけで……」

あまりの居心地の悪さにフォローを入れるも、

「いいのよシンジ君、気を使わなくて。はぁ〜〜」

大して効果はない。

「………」

「………」

「………」

「………」

「あの」

「なに?」

「近くに買い物できる場所ってありますか?今冷蔵庫の中が空っぽで……」

「分かったわ。すぐ近くにスーパーがあるから、寄っていきましょう」

交差点を左折すると、少し離れたところにスーパーが見えた。

空車の目立つ駐車場に車を停める。

「一人じゃ大変でしょ?手伝うわ」

「ありがとうございます」

そう言って二人でスーパーに入る。

手早く必要なものをカートに入れていく。

「そうだわ!」

後は会計を済ますだけ、という所で突然ミサトが声を上げた。

「な、なんですか?いきなり」

「シンジ君の歓迎パーティーとか、まだやってなかったじゃない!」

「は、はぁ」

「だからこれからやりましょう。善は急げって言うし」

「ええ!そんな、いいですよ。それにさっきまであんなに……」

「いいのよ。それに嫌なことは飲んで忘れるの!付き合ってよね!」

その嬉々とした表情から見ると、ただ単に飲んで騒ぐ口実が欲しいだけなのかもしれない。

シンジが呆れている間に、どんどん酒類がカートに入っていく。

もう既に止めることを諦めたようだ。

「そんなに飲むんですか?」

「ちょっち足りないわね。あとは私の部屋から持ってくればいいか」

「これで足りないなんて……誰か呼ぶんですか?」

「シンちゃんも飲むでしょ?」

「未成年にお酒を勧めないで下さい」

「かったいわね〜。ま、いいわ。リツコでも呼びましょう。今日は仕事少なそうだったし。連絡してくるから、会計お願いね」

自分のカードを渡し、スーパーの外へ出る。

「……手伝ってくれるんじゃなかったんですか?」

その言葉を聞くものは、誰もいなかった。

 

 

 

「で、どっちの部屋でするんですか?」

マンションのエレベーターでシンジが言う。

持っている袋の数がミサトのほうが多いのは、彼女なりの謝り方なのだろうか?

「ん〜、私の部屋をまた掃除するのは大変だから、シンちゃんの部屋にしましょう」

「この前簡単に掃除したのに、また散らかしたんですか?それから『シンちゃん』ってのやめて下さい」

「なんでよ〜、可愛いじゃない」

前半に答える気はないらしい。

「恥ずかしいんです!」

そうこうしている内に、エレベーターが目的の階に着いた。

「リツコは少し時間が掛かるらしいけど、今から準備したら丁度良いと思うわ」

「分かりました」

ドアを開ける。

「お邪魔するわね」

「どうぞ。スリッパも何もないですけど……」

「気にしなくていいわよ」

台所に着くとテーブルに袋を置き、材料や調味料を取り出す。

「じゃ、すぐに用意しますんで、今のうちにお酒取ってきたらどうです?」

「シンちゃんって料理できるんだ」

「大した物は作れませんけどね」

「凄いわね、その年で。じゃあ取ってくるわ。あ、ペンペンも連れてきていい?」

「お願いします。鯖でも焼いておきますね」

「ペンペンも喜ぶわ」

ミサトが部屋を出る。

「さて、頑張るか」

 

 

 

ピーンポーン

「あ、やっと来たわね!」

目の前のビールを飲みたくてうずうずしているミサトが、喜びに目を輝かせる。

「並べておきますんで、開けてもらえますか?」

「オッケー」

小走りに玄関に向かう。

ドアを開ける音がして、すぐに話をしながら戻って来た。

「だからもう少し予定を立てるとかしたらどうなの?」

「いいじゃない、そんなことは」

「はぁ、何度言っても反省しないものね……こんばんは、シンジ君。お邪魔するわね」

「こんばんは。もう準備できてますから座ってください」

三人が座るなり、ミサトがビールを注ぐ。

「ほら、リツコもシンちゃんも。乾杯するんだから」

リツコもビールを、シンジはジュースを自分のグラスに注ぐ。

「んじゃ、シンジ君のネルフへの歓迎と引越しを祝して、カンパーイ!!」

「「カンパーイ!」」

軽くグラスを合わせて、ミサトが一気に飲み干す。

「ぷはぁー、やっぱエビチュはいいわね!」

「いつも飲んでるでしょ?」

一口だけ飲んだリツコが言う。

「こういう場では全然違うの!」

料理に箸を伸ばす。

「ん!美味しいじゃないこれ!!」

「本当ね。シンジ君が作ったの?」

「ええ、まあ。喜んで貰えて嬉しいです」

「14歳でここまで料理が上手なのは、まずいないわよ」

「でもカイの方が上手ですよ。よく作り置きとか食べましたけど……それで僕も少し教えてもらったんです」

「へぇ、カイ君も料理するんだ。ところでどうやって教えてもらったの?」

「レシピとかコツとかをノートに纏めてくれましたね。直接会うことはできませんから」

「でもそれじゃあ難しくない?私だったら無理よ」

「ミサトは破滅的に料理の才能がないだけよ」

微妙に蒼褪めながらリツコが言う。

「リツコだってたいしたことないじゃない」

文句を言いながらも、誰も箸を止めない。

「それに、どうしてかやり始めると考えるより先に体が動くんですよ。知識の共有とかなんとか……難しいことも言ってましたけど、忘れました」

「ああ、リツコも言ってたわね。よく分からなかったけど」

「別に分からなくてもいいことよ。理解するのは専門家だけで十分だわ」

「それもそうよね」

その後も順調にパーティーは続いていった。

 

 

 

「ところでミサト、携帯はもう渡したの?」

少し赤くなった顔でリツコが言った。

「あったりまえでしょ〜。この私を誰だと思ってるの?」

リツコよりも遥かに多くの空き缶が周りに転がっているのに、まだ正気を保っているようだ。

「他のものも纏めて貰いましたよ」

「できるなら最初からしなさい」

「へいへい、分かりましたよ」

 

 

 

「そろそろいい時間ね。お開きにしましょう」

酒を飲むペースを調整していたのか、かなりしっかりした様子のリツコ。

「まぁだのみたんないわよぉ〜。シンちゃ〜ん、お酒かってきて〜」

机に身体を伏せ、呂律の回らない状態でミサトが言う。

「普通ならとっくにアルコール中毒になってるわよ。本当にザルね」

「わたしはザルなんかじゃないわよぉ。れっきとした人間です〜」

「はぁ、何言ってるんだか。遅くまでごめんなさいね」

「いえ、僕も楽しかったですよ。またいらして下さい」

「ほら立ちなさい。シンジ君の迷惑でしょ」

「うぃ〜。わぁったわよ、うるさいわねぇ……今立ちますよ〜だ」

のろのろと立ちあがり、リツコにもたれかかる。

「今度ネルフに来たときは私の部屋に来て頂戴。色々話すことがあるから」

「分かりました」

「それじゃあね…………あ、一つ訊きたいんだけれど、カイ君って凄い勉強家だったりする?」

「え?そんなことはないと思いますよ。勉強とかは全然していないみたいですから」

「そう。変なこと訊いてごめんなさいね。それじゃあまた」

ミサトを殆ど引きずるようにして出ていった。

 

 

 

リツコが車を運転している。

飲酒運転だが、他に帰宅する手段がない以上仕方がない。

いや、そもそもそんなこと自体を考えているようには思えない。

そして運転に関しても。

『難しいことも言ってましたけど、忘れました』

『え?そんなことはないと思いますよ。勉強とかは全然していないみたいですから』

(シンジ君が言ってたことが本当だとすれば、カイ……彼は一体何者なの?有る筈のない知識……)

(知識は経験によって脳に刻まれるもの。なら何故経験がないのに知識だけがあるの?)

(異常なほどに正確な推測ができ、そしてそれに絶対の自信を持っているだけ?)

(それとも、私達が気付いていないだけでなんらかの組織、あるいは個人が教育を?カイだけに?あるいはシンジも教育され、普通を演じているの?)

(いえ、そうなれば彼は本当に二重人格なのかさえも疑わしい……カイがシンジを演じているのか、それとも………)

(最終的には強引な手を使ってでも、真相を知るべきなのかもしれないわね)