regained world
第二話
〜皇神四門〜
リツコに案内され、3人がたどり着いたのは、真っ暗な部屋だった。
「暗いですね。省エネですか?」
「それにしても暗すぎだと思いますが」
「それだけ経費を切り詰めているのでしょう。まさか、今時子供向けのテレビ番組でもやらないような、こんな安っぽい演出を高名な赤木博士がなさるはずないもの」
3人の言葉を受け、リツコはさっと視線を横にずらす。
「え、ええ。経費削減の為の、省エネよ……」
本当はゲンドウの考えた演出だ。
が、素直に答えられるわけがない。
(だからこんな演出はやめたほうがいいって言ったのに!)
リツコの怒りのボルテージが上がっていく。
怒りの対象は、リツコと冬月の反対を押し切ってこんな安っぽい演出にこだわったゲンドウだ。
「経費の無駄を省くのは、良いことですわ」
シンリの笑顔を見ないようにしながら、リツコはゲージの照明をつける。
人工照明の光が集中するところには、4人の前にある紫色の鬼を思わせる顔があった。
<不細工だわ>
<不細工だな>
<不細工だね>
「これが人類の作り出した究極の汎用人型決戦兵器。エヴァンゲリオン、その初号機よ」
3人の矢羽音による感想は、もちろんリツコには聞こえていない。
聞こえていたら、青筋の一つくらい額に貼り付けていただろう。
「それで、このようなものを私達に見せてどうなさるおつもりですか? 貴女は先ほど、碇ゲンドウの元へ案内するとおっしゃっていましたが?」
ぴくりとも動かない、穏やかな笑顔。
エヴァンゲリオンを前にして全く驚かないシンリ達に、リツコは疑念を抱いた。
「驚かないの?」
「十分驚いていますよ。こんな未曾有の有事の際に、赤木博士ほどの方を、このようなつまらぬ物を見せる為の案内役にする組織の無能ぶりに、ですが」
長年手をかけてきたエヴァや所属組織を侮辱されているにも関わらず、リツコの頬は怒り以外の感情により赤く染まっていた。
さっきから思っていたが、彼ら3人はリツコのことを非常に高く評価している。
赤木ナオコの娘ではなく、赤木リツコ自身を。
それは母に対して強くコンプレックスを抱いているリツコにとって、ひどく嬉しいことだった。
しかし、
「久しぶりだな、シンジ」
上から聞こえてきた男の声に、リツコは現状を思い出す。
見上げると、ゲージ内で一段高くなった場所、管制室にゲンドウがいた。
「赤木さん、あの初対面の人間を呼び捨てにする無礼な髭眼鏡はなんですか? 人間ですか?」
「あなたのお父さんで、ここの司令なの。もちろん人間よ。……一応」
最後の方に小声で一応と付け足した辺りに、リツコの本音がうかがえる。
「遺伝子の神秘だわ」
「全く似てないな。2人並んでも、誘拐犯と被害者にしか見えないだろ」
「えー。僕、あんなのに誘拐されるほど馬鹿じゃないよ?」
ゲンドウの言葉には一切返事をせず、和やかに話し出した3人。
それを見て、愚かな男は怒りを感じた。
子供の分際で、親たる自分を蔑ろにしていると。
実に身勝手極まりない怒りに任せ、男が怒鳴る。
「出撃!」
「ええと、赤木博士。あれは何と言っているんです? 僕は人間の使う言葉しか分からないので、通訳をお願いします」
「シンジ! 出撃だ!」
「また何か吠えてるぞ」
「外見と同じく、不愉快な鳴き声だこと」
(……無様ね)
既にゲンドウを人間の範疇から追い出したらしい3人を前に、リツコは内心そう呟く。
無様だ。本当に。
そして、さらに無様な人間がやって来る。
狂った老人達の計画と愚かな男の計画。
その両方で、重要な役を担う道化が。
「出撃? 零号機は凍結中のはずです!」
突然、チャイナスーツを着た黒髪の女性がケージに飛び込んできた。
どうやらゲンドウの声は、通路にまで届いていたらしい。
新たな女性――葛城ミサトの登場に、それまで穏やかだった3人の眉が跳ね上がる。
2時間も待ちぼうけを食わされた相手だ。当然良い印象を持っていない。
それに加え、年長者2人はミサトの格好にさらに顔を顰めた。
機能性よりも大人の女としての性的魅力を強調することを優先させた服装。
国際公務員、しかも軍人が職場でしていい格好ではない。
そんな彼らに気づくことなく、ミサトは声を張り上げる。
「まさか、初号機を使うつもりですか!?」
「そうよ。他に道はないわ」
ミサトに答えるリツコの顔は、非常にやる気なさげだ。
幼稚園児の方がまだマシなんじゃないかと思うくらい棒読みだし。
どうやら、この短時間の内に、色々と思うところがあったらしい。
しかし、やはりミサトはそれに気づかない。
管制室にいる愚か者もだ。
「でも、パイロットがいないじゃない。レイは動かせないんでしょう!?」
「パイロットは、さっき届いたわ」
棒読みでシナリオ通りの台詞を言いつつ、目でシンジに謝るリツコ。
謝れた方は気にしないでと言うように、にこっと笑ってみせた。
「………………マジなの?」
「こんな時に冗談なんか言わないわよ」
「無茶よ! レイでさえエヴァとシンクロするのに7ヶ月もかかったんでしょ!? 今きたばかりのこの子に乗れるはずがないじゃない!」
「座っているだけでいい。それ以上は望まん!」
「しかし!」
「今は使徒撃退が最優先事項だ。それは分かっているな? 葛城一尉」
「……そうですね。分かりました」
ミサトの中で決着がついたらしい。
くるりと体を反転させ、シンジを見下ろし、
「シンジ君、乗りなさい!」
頭ごなしに命令した。
<あの程度の言葉で意見を変えるくらいなら、最初から乗れと命じれば良いでしょうに>
<面白いくらい分かりやすい偽善だな>
<というより、いきなり命令してくる意味が分からないんだけど>
<そうね。こういう場合、形だけであってもお願いという形を取るべきだわ>
<性格についても、報告書通りというわけか>
<ええと、僕、今からこの女と話さなきゃいけないんですか?>
矢羽音で話している間も、ミサトは「乗らなければ、貴方はここで必要ない人間なのよ!」だとか「シンジ君、駄目よ、逃げちゃ。父さんから何より自分から。貴方は何の為にここに来たの」だとかほざいているが、もちろん3人はスルーだ。
ちなみに管制室にいる髭も「臆病者は不要だ! 帰れ!!」とか喚いているが、やっぱりスルー。
<もうそろそろ第一航空部隊がこちらに着くでしょうから、それまでの辛抱よ>
<うううう……。攻撃が始まったら、すぐ代わってよ?>
<約束するわ。さあ、そろそろお相手して……あら?>
<何かがここに向かってきているな>
<この音……人を乗せたストレッチャーのようね>
シンリの予想通り、ゲージに駆け込んできたのはストレッチャーだった。
全身のいたるところに包帯を巻いた少女を乗せている。
「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ」
「はい……」
ゲンドウの無情な命令に、レイと呼ばれた少女は身を起こそうとする。
しかし、中々起き上がれない。
誰か見ても絶対安静が必要な状態なのだから、それが当然だ。
それなのに、少女は必死に立ち上がろうとする。
「貴方が乗らなければ、あの子が乗ることになるのよ! あんな状態の女の子を乗せても平気なの!? 男の子として恥ずかしくないの!?」
少女を指差し、ミサトは叫んだ。シンジを睨み付けて。
シンジは何も言わなかった。ただその目に激しい怒りと嫌悪を宿して、目の前に立つ女性を一瞥しただけ。
<潮時だな>
<そうね。攻撃も始まったようですし、そろそろ始めましょうか>
胸元にしまってある小型通信端末が震えるのを確認して、シンリは頷く。
<トメサブロウ、私が愚か者共の相手をしている間に、あの少女を保護してちょうだい。このままでは死んでしまうわ>
<了解>
矢羽音による会話を終えると、シンリは一歩足を踏み出した。
「さて、そろそろ茶番は終わりにしましょうか」
玲瓏とした声で告げられた言葉に、ゲージにいた全ての人間の視線がシンリに集まる。
そして、皆一様に絶句した。
初めて彼女を真正面から見た時のリツコと同じように、彼女の美貌に見惚れたのだ。
ただ一人、葛城ミサトを除いて。
「何よ、あんた! なんで部外者がここにいるの!? 出て行きなさいよ!」
「碇二将、あなたは何か勘違いしておられるようですわね」
ミサトを無視して、シンリはゲンドウに向けて嫣然と微笑んだ。
そこかしこで、ごくりと唾を飲み込む音がする。
「何のことだ……?」
「使徒迎撃の指揮権が、いまだネルフにないのをご存知ないのでしょう?」
「何!?」
「なんですって!?」
「信じられないのなら、確認なさったらどうです?」
言われずとも、ゲンドウはそうしようとした。
が、ゲンドウがボタンを押すより先に、内線が鳴る。
「どうし……」
『碇! すぐにこちらに戻れ! 見知らぬ部隊が使徒を攻撃している!!』
「なんだと!?」
受話器から聞こえてきたのは、焦った老人の声。
告げられた内容は、ゲンドウのシナリオからはずれたものだった。
「すぐに戻る!」
乱暴に受話器を叩きつけたゲンドウは、眼下に立つ女性を睨み付けた。
「どういうことだ」
「あら、なんのことでしょう? こちらには内線の内容は聞こえていませんので、あなたが何をおっしゃりたいのか分かりかねますわ」
「現在未確認の部隊が使徒を攻撃している。貴様は何か知っているのだろう」
ゲンドウが告げた内容に、ゲージ内がざわめく。
「ええ、もちろん。その未確認の部隊は、私達が所属している組織のものですもの。つまり、現在の指揮権は私達にあるのです」
続くシンリの言葉に、ざわめきはさらに大きくなる。
使徒迎撃の指揮に関する優先権は、少し特殊な形になっている。
第三新東京市外では、日本が独自に所有している戦力である戦自が最も優先権が高く、その次が国連軍、最後に国連下部組織であるネルフという順番になっている。
ネルフが使徒殲滅の実績を持てば優先順位は変わるだろうが、現在はそのような形だ。
ただし第三新東京市に使徒が侵入した場合、優先権は逆転する。
第三東京はネルフとゼーレの意思によって作られ、管理される都市だ。
ネルフを優遇する為の特別法令も多くあり、その為に優先権の逆転が起こっているのだ。
このことはネルフに所属する職員なら、誰でも知っている。
当然、司令であるゲンドウは言うまでもない。
先程、ゲンドウの目の前で戦自が敗退した。
通常の指揮優先権に照らし合わせれば、次に指揮権を持つのは国連軍だ。
だから、彼は目の前で麗しい微笑をたたえる女性が所属している組織というのは、国連軍を指しているのだと勘違いした。
「今すぐこちらに指揮権を渡せ」
所属が国連軍ならば、多少強引に指揮権を奪っても、あとでゼーレがどうにかしてくれる。
そう考えたゲンドウは、さらに目つきを鋭くし、冷えた声を出した。
男から感じる威圧感に、ケージにいる整備員の幾人かは震えるが、それだけだ。
威圧されている当の本人の笑みは、欠片も崩れない。
「何故ですか? 指揮権の移譲は国連からの命令によって正式に行われたものです。私達は今のところ、使徒に敗北を喫したわけでもありません。指揮権を渡す理由がありませんわ」
「あんたね! 使徒はエヴァじゃないと、私の指揮じゃないと倒せないのよ! わかったら、さっさとネルフに指揮権を譲りなさいよ!!」
吠える道化を、シンリは真正面から見た。
顔に浮かぶのは蠱惑的な微笑。
しかし目だけは、見るものを凍らせてしまいそうなほど冷たい。
「あなた方は、何の根拠もなくそう主張し続けてきましたね。使徒はエヴァンゲリオンでなければ倒せない、と。そして様々な無理を押し通してきました。その傲慢さの、ツケが回ってきたのですよ」
「わけわかんないこと言ってないで、さっさと指揮権を渡せっつってんのよ!!」
「やりすぎたのですわ、あなた方は。多額の使途不明金を出しながら、さらに追加予算をよこせと叫ぶ。そのくせ情報は完全非公開で、エヴァンゲリオンのみが使徒を殲滅できるという根拠さえ明かさない。しかも、特務権限を私的乱用しているとの報告まで上がってきています。……事態を重く見た国連は、私達を監察官として派遣したのですよ。ここ、ネルフにね」
シンリの視線がミサトからゲンドウへと移る。
「そしてあなた方は、直前に対使徒戦決戦兵器とやらのパイロットを収集する不始末を犯した。よって、皇神四門司令官皇神シンリの名において、現時点においての特務機関ネルフの交戦権及び特務権限の凍結を命じます。使徒戦が終わるまで私の監視下にいて頂きますので」
「皇神四門ですって!?」
驚きの声を上げたのはリツコだ。
いや、彼女だけではない。
ケージ内のほとんどの人間が彼女と同じ反応を示した。
皇神四門。
世界最強の部隊と名高いだけでなく、世界一の技術者集団と評されている組織だ。
しかし何より特筆すべきは、国連を初めとしたあらゆる国や組織が、たかが一民間組織にすぎない皇神四門に所属するものを徴兵・徴発できないということ。
これは国連と皇神四門の間で交わされた正式な盟約に明記されているもので、異例の措置といってもいい。
つまり、国連にそれだけのことをさせるほどの何かが、皇神四門にはあるのだ。
知らなかったとはいえ、とんでもない人物を組織内に入れてしまったことに、リツコは顔を青くする。
彼女はその時になって初めて、3人が揃いの黒服を着ていることに気づいた。
(まさか……)
そして、ある可能性に気づく。
「……シンジ君。貴方、10年前にある家の養子になったって言ったわよね?」
「ええ、それがどうかしましたか?」
「貴方の本当の名前を聞いてもいいかしら?」
一番初めに会った時、リツコは「碇シンジ君ね?」と彼に尋ねた。
その時、シンジは何と答えた?
「お会いできて光栄です。赤木博士」と言ったのだ。
リツコの質問に、YESともNOとも答えずに。
それは何故?
YESとは言えないだろう。
彼は戸籍上、もう「碇シンジ」ではないのだから。
では、何故NOと答えなかったのか?
NOと答えれば、リツコは彼の名前を聞くだろう。
もしあの時、シンジの保護者を名乗る2人が皇神四門の関係者だと分かっていたら、リツコは何をしてでも彼らをネルフに入れなかった。
それを避ける為に、彼は本名を名乗らなかった。
シンジが名乗れば、保護者2人が皇神四門の関係者だとバレるから。
それはつまり、シンジ自身が皇神四門の関係者だということだ。
リツコの問いを聞いたシンジは、小さく笑った。
苦労して正解にたどり着いた生徒を褒める教師のように。
「僕の名前は皇神シンジといいます。皇神四門司令官であり、皇神家当主でもある皇神シンリの弟です。ついでに皇神四門の技術部に所属しています」
くらっとリツコの体が揺れる。
眩暈がした。
皇神家当主ということは、世界経済の半分を握っているといわれる皇神財閥の総帥だということだ。
ちなみに皇神四門は元々、皇神財閥の研究組織兼私兵集団として設立された組織であり、現在も皇神財閥の傘下にある。
あんな、まだ20歳をいくつも超えていないような女性が、世界最強と言われる部隊の司令官と巨大財閥の総帥を兼任しているなんて!
リツコが必死に眩暈に耐えている中も、事態は進んでいく。
少々乱暴にケージのドアが開かれ、軍服を着用した者が雪崩れ込んできたのだ。
「貴様ら、その女を捕まえろ」
援軍か何かと勘違いしたらしいゲンドウが偉そうに命じるが、そんなものに従うわけがない。
何故なら彼らが着ているのは、シンジ達と揃いの軍服。
彼らもまた、皇神四門に所属する者達なのだ。
十数人の集団は真っ直ぐシンリの元へ向かうと、彼女の前に膝をついた。
「ご命令を」
「発令所の確保と碇ゲンドウ二将及びネルフ幹部の監視を。抵抗する者には、しばらく眠ってもらいなさい」
「御意」
短く答えて、全員が迅速に動き出す。
ゲンドウの傍に2人が張り付いたのを確認して、シンリは男から視線をはずした。
「それでは、使徒殲滅とまいりましょうか」