コノハズクはまだ鳴くか
その夜訪れた男の家にはリビングに大きなコノハズクの剥製が飾ってあってあたしは彼が相当の金持ちなのだろうと思った。
新歌舞伎町の舗道でその男にあたしは目を留め話しかけていた。男は自分が少女に蔑んだ目で見られるのがたまらなく好きだと言っていたのであたしはきっと険しい顔をしていたのだろう。彼についていって大久保通りの小さなバーに入ってカクテルをすすめられたのであたしは自分が大人に見えたのだろうかと思ったけれども断るのは悪い気がしたので黙ってオレンジブロッサムに口をつけた。男は建築会社で課長だか部長だかをやっていると言っていたがあたしは気分が高揚していたので何課の仕事をしているのかわからなくて、ただその男がオレは新都庁庁舎の設計をやったんだと得意げに話していたのだけを覚えていた。
あたしがご家族はいらっしゃらないんですかと訊くと彼は自分は単身赴任で来ているのだと言った。この家は別荘みたいなものでオレは名古屋支店にもともといたんだが第2東京の本社に出向することになったからこっちに住むことになって、だが女房は実家から離れたくないというんで仕方なく新しい家を建てたんだ、工務店には特別に頼んで設計事務所の一級建築士を呼んでもらってオレ好みの家を建てさせたんだ、仕上がるまでには設計も入れて半年はかかったからな、それまではマンションに住んでいたんだがあれはひでえもんだった、揺れるんだよ、わかるか?風が吹くだけでも、向かいの通りを大型トラックが通るだけでも揺れるんだよ、普通の人間は気づきはしねえ程度なんだがオレにはわかるんだ、建物ってのは地震が来ても倒れないように免震構造っていって揺れを吸収する仕組みになっているんだがあのマンションの出来はひどいもんだったな、もしオレが10億持ってたらそのマンションの住人全員に出て行けって言うだろうな、そしてビルをぶっ潰してからきちんと建て直す、オレはこう見えても建築に関してはプライドがあるんだ、あのマンションを建てた建築会社はたぶん金で買われたせこい奴らだったんだろうよ、オレの会社に任せておけばきっちりとしたものを建ててやれたのに、まあそれなりの値段にはなるだろうが、男はカクテルグラスを片手に笑いながら革のリラックスチェアに座ってずっと自分の調子で話し続けている。
「見かけない制服だけど、どこだよ?」
学校のことだ、と男はカクテルグラスをかざして言った。男は椅子の背もたれに掛けていたスーツの上着を手で払うとネクタイを緩める。
「聖霊学習院です、福生にある」
「へえあそこか、たしかミッションスクールじゃなかったのか?あそこの子でもこっちまで出てくることってあるんだな」
「私くらいなもんだと思いますよ、あと私の友達が何人か」
オレの女房もミッションスクール出身なんだよ、地元の老人ホームに勤めてたんだ、介護福祉士の資格をとってな、オレのオヤジが身体壊して医者からもさじ投げられて入所した時に知り合ったんだ、あいつは基本的にはいいやつなんだが真面目すぎたな、オレは仕事であちこち飛び回ることが多いから家にはあまりいないんだ、だからオヤジの面倒を見ることに生きがいを見出してるっていうか、わかるか?より身近なものの方に人間ってのは引き寄せられていくもんなんだよ、オヤジは身体はよれちまったが口だけはいまだに達者でな、孫はまだかなんて言うんだよ、女房は女房でオレがきちんと家に居なけりゃ子供のためにならないなんて抜かしやがるしな、それで結局子供は作らなかったんだよ、男はいつしかネクタイも外してワイシャツのボタンを外し、すこし胸毛が見えていたがそれが色白な肌とミスマッチであたしは彼に歩み寄って跪いた。
「出身は?」
「地元です」
「オレも日本全国各地を回っていろんな女を抱いたもんだがお前は東京もんとは違う匂いがするぜ」
「そういえば、母の実家が京都です」
「そうか、なるほどな、田舎もんは都会の女の子はかわいいんだろうなんて勝手な幻想を抱くもんだが現実は本当に幻想だぜ、大阪とか神戸なんてひでえもんだぞ、化粧ばっかり分厚く塗りたくりやがって、触ってもとても気持ちいいなんてもんじゃねえんだ、むしろ気持ち悪くてな、いっぺん金払わないでやったらむちゃくちゃ逆切れされてよそれは愉快だったぜ、しかたねえから会社の連れ呼んでマワしてから裏通りに捨ててやったよ、オレはすぐ仕事切り上げて他に移っちまったからそのあとどうなったかは知らねえがな」
酔いが回ってきたのだろうか、男は笑いがだんだん下品になっていってしかしそれを眺めている自分のほうがもっと下品なのではないかと思ってあたしは酒をくれないかと彼に頼んだ。
「お酒はカクテルが好みなんですか?」
シェイカーを振る彼の手つきはさまになっていてあたしは彼が若いころバーテンダーのバイトもしたことがあるのではないだろうかと思った。あの独特の振り方は一朝一夕で真似できるものではない。
「まあな、大学のころからいろいろ組み合わせを勉強して飲んでたりしてたから、自慢するわけじゃねえがオレの実家はそれほど金持ちってわけでもねえから、土地だけはたっぷり持ってたから不労所得があって食うのには困らなかったが、贅沢な酒とは無縁だったんだよ、ロマネコンティとかドンペリとか得意げに飲んでる奴らもいるがそういう人間に限って酒の本当の価値をわかってない、カクテルってのはアレンジ次第でいくらでも味の表情とか感情が変わっちまうもんなんだ、飲んだ時にどんな感情を引き起こすかっていう興味、オレはそれにひかれていったんだよ」
「あたしも友達とすこし飲むことがあるんですがやはり簡単に買えるチューハイとかビールですね、ウイスキーも、でもほとんどストレートでいってます、カクテルにも今度挑戦してみたいですね」
「ウイスキーかよ、さすがだな」
「安物ですよ」
あたしはアルコールが頭をぼんやりさせてきて気持ちがよくなってきていたのでリラックスチェアに座った彼の足の上に跨って見下ろすようにしてあんたは可愛いのねとか自慢話しは聞き飽きたわとかそんなことを言って彼の肩に手をかけると彼はそんなあたしを見てたまんねえなあと言ってワイシャツを脱いだ。
現場には出ないんですかと訊くと男はオレはもうそんな役職じゃねえよ、オフィスの椅子に座って書類に承認の判子をつくのが仕事なんだ、それか設計台に向かって図面を引くかだな、オレは今NTTの新社屋の設計をやってる、高さはアンテナも入れて240メートルにもなるんだぞ、だからしばらくはこっちにいる、そう言ってまた白色をしたリキュールをぐいっと飲んだ。
色白なのが建築の仕事をしているのを想像させないんです、とあたしは言った。
仕事が忙しいからな、趣味っつってもいわゆるアウトドアじゃねえ、泳ぎに行くことはあるがスイミングセンターとかバッティングセンターみたいな屋内の施設ばっかりだ、知ってるか品川のルナコースト、あそこのプールはいい、値段がちょっと高いから他のところみたいにガキ連れや若者がギャアギャア騒ぎに来たりしねえんだよ、オレはよくそこに通ってるんだ、品川と言われて相田先生のことを思い出したがあたしは表情に出さずにうなずく。泳ぎが趣味だと聞いてあたしは彼の腹の肉がたるんでいるのは贅肉なのではなく肉体の障害によるものだと思った。
男の名はスザキといった。スザキは体格は大きいが筋肉質ではなくどちらかといえば肥満体に属する方で、若い頃は監督として現場に出ることもあったそうだが今はデスクワークメインになっている。
「思い出深い建物ってあります?」
「そうだな、やっぱりあそこだな、コンフォート17、第3新東京市に建てたやつだ。もうなくなっちまったが、あれはオレが監督になって初めて任された現場だったんだ、だからこだわりぬいたぜ、コンフォートマンションはその17もいれて全部で25棟あったんだがその中でもオレのやった17は格別の出来だったぜ」
「そうですか、では住んでた人々もきっと幸せだったでしょうね、スザキさんが以前に住んでいたというマンションは酷かったんでしょう」
スザキはあたしの手を引いて寝室に行くと裸になってベッドにうつぶせになり、あたしに赤くて太い亜鈴のような形をしたろうそくを渡してこれに火をつけて蝋を背中に垂らしてくれと言った。寝室の中は嗅いだことのない不思議な匂いがして部屋の中を見渡すと小棚の上に香炉が乗っていて匂いはそこからしているのだとわかった。薄明るい照明に浮かび上がった男の背中には他にもいくつもの蝋を垂らした火傷の跡があってあたしの他にもあたしの知らない女たちに同じようなプレイを要求してやらせていたのだと思うとにわかに加虐心がわいてきてあたしの母さんもこういうことを仕事にしていたんだよと言いたくなったがぐっとこらえてあたしは制服の上着とスカートを脱ぎ捨てて下着と靴下だけの姿になるとろうそくにオイルライターで火をつけてからベッドに上がり丸くたるんだスザキの尻を踏みつけながらろうそくを傾ける。赤く溶けたろうそくの雫が男の背中に落ちるたびにのたうつようにベッドの上で身体を跳ねさせて外国のコメディ映画で俳優が卵をぶつけられたときに出すようなうめき声を上げてあたしはその男が本当に興奮できているのだろうかと疑問になったがやがて身体を半分起こしてせんずりを始めたのであたしは調子に乗ってその右手にも溶けたろうそくを垂らした。男はあたしを見上げ、その見下し目がたまんねえんだと、もう泣きそうな声になってもっといじめてくれと乞食のような声で嘆願したのであたしはろうそくをひとまずベッドのサイドテーブルに置くと彼の右手に手を添えてあんたキモいよケツが吹き出物だらけだよケツ毛ちゃんと剃れよこのデブゴリラと言いながらいっしょにちんちんを扱いてやった。
スザキは2回射精してその間にあたしの股間にも手をやってパンティの上からあたしのあそこを揉んであたしは彼が2回目の射精に向けて昇りつめている時に一度だけいった。濡れてしまったパンティを脱いであたしは下半身裸になると彼の腰の上に跨って彼を仰向けにさせあそこをすり合わせながら前後に動いた。あたしたちの性器がこすれあっている部分はお互いのエッチな液でぐちゅぐちゅと音を立てている。胸毛の上にろうそくを垂らしてやるとまた彼は奇妙な声を上げてよがっていたのであたしはそのときようやく本当に彼はマゾなのだと思った。
もう精液が出なくなったようでスザキは荒い息をつきながらベッドに腰掛けて自分のあそこをさすりながらテレビをつけた。ヨーロッパの大平原と田園の中を走る鉄道が映し出されている。列車は日本のような電気車両ではなくディーゼルで先頭の猫の目のようなヘッドランプがついた機関車からはかすかに黒煙が吐き出されている。
テレビ画面は外国人の会話を映し出しているがあたしは画面を見ずに替えのパンティをポーチから出して穿き替えていたので声だけを聞いてもその意味がさっぱり理解できなくて男と女の気持ちはこういうときにすれ違うのだと思った。
替えの下着を常に用意しておけというのはマナから教わった。誰も彼もが全裸になってから始めるとは限らないから、服を着たままやりたがるのもいるからというのだ。
あたしは下着を着替え終えてからトイレに行っておしっこといっしょに愛液を洗い流した。ウォシュレットがついていたので水流をあそこに当てるととても気持ちよくて思わず声を上げてしまったがスザキは何も言わなかった。
寝室に戻って制服を着てから3時間だから9万だと言うとスザキは床に脱ぎ捨てた自分の服のポケットをあさって取り出した財布をベッドのサイドテーブルの上に放り投げるようにして置き勝手に持っていけと言った。その動作をしている間じゅうあたしに顔を向けることはなくてまるであたしがもう用なしであるかのようにテレビを見ながらあごをしゃくって早く出て行けというようなしぐさをしたのであたしは黙って財布を開くと1万円札を10枚抜き取ってスカートのポケットに入れた。
あたしは彼が何を求めていたのかということには関心がなくてだからなぜ自分がこんなにも素っ気無くされたのかわからなくて母さんに訊けばそういう男の人の心理とかがわかるのかもしれないと思ったけれどそんなことできるわけもないので感情はフラットになったままだった。胸の奥にふつふつとわきあがる黒い何かがある。あたしはやはり自分がやられなければ満足できないのだろうか?いつかケイが言っていた、あたしはやられてるのが似合うと、だからスザキのようなマゾの男を責めるよりも何人もの男を集めてみんなにやらせてやるほうが満足できるのではないかと思う。
リビングにあるコノハズクの剥製があたしをじっと見下ろしているように見える。
あたしはポケットに詰め込まれた万札の感触を確かめながら玄関の重いドアを開けて外に出た。夏の生ぬるい空気を感じる間もなくばね仕掛けのドアは勝手に閉まり、やがてがちゃんとオートロックのかかる音がして鍵が閉められる。これでもう、あたしが外からこのドアを開けることは出来ない。だからもうこれでおしまいだ、あたしとスザキとの関係はこの一晩きりで終わったのだ。そう気づくとあたしは自分の中の感情のわだかまりが悲しみに変わっていくのがわかって、なぜ悲しいのかと考えてもあたしがセックスだけしたらあとは捨てられたように追い出されてしまったのだという事実をポケットの中のお金でねじ伏せるしかないのだという結論にたどり着いてしまってあたしは結局母さんと同じことをするしかない自分というものがとてもあさましく思えてしかしそれはたとえばティファニーの香水を買ったりプラダのバッグを買ったりすることと大差はないのだと考えると幾分か気持ちが楽になるようになる気がした。
スザキの家がある三鷹の住宅街を抜けてから線路を北に越えてぶらぶら歩いていると携帯が鳴ってマナから電話が来た。今また社長の地下クラブにいるから遊びに来ないかというのだ。あたしはすこし疲れていてできれば寝たかったけれども身体に染み付いたスザキの汗の臭いをかき消したいと思ったので駅まで歩くからちょっとかかる、と答えた。どこにいるの、と聞かれて吉祥寺通りにいる、と答えると伊吹社長がちょうど今武蔵野市役所に行ってるからちょうどいいからそこへ行けと言われた。
道路案内板を頼りに30分くらいかけて市役所に辿り着くと駐車場には職員たちの車に混じって明らかに異様な雰囲気を漂わせている外車があったのでそれが伊吹社長の車なのだろうと思った。丸目のヘッドライトが4つ、それから三ツ星のエンブレムがボディの先端に飛び出している。このスタイルはよく見たことがある、ベンツだろうか?しかしあたしが今まで見かけたような肥ったスタイルではなく引き締められたボディをしている。これもやはり普通のベンツとは違うのだ。
やがて10分と待たずに伊吹社長が出てきたのであたしは駆け寄って社長のもとに急いだ。伊吹社長は普段の高級な毛皮のジャケットではなくフォーマルなスーツを着ている。マナの話しによると伊吹社長はサードインパクト以前は国連の職員だったというのでこんなスーツも似合うのだろう。
「お疲れ、マナちゃんからメールでお話しは聞いたわ」
伊吹社長は慣れた手つきでベンツのエンジンをかけると車を通りの流れに乗せる。
あたしはスザキが嫌いなタイプではなかったけれども肥った人間特有の体臭をしていたのがいやだったので思い出そうとするのを振り払って社長に訊いた。
「今日は何の用で来てたんですか?」
「あなたは知ってるかしら、今武蔵野にテレビ塔を建てるプランが進んでるのよ、テレビ塔っていっても東京タワーみたいな完全な鉄塔じゃなくて、ビルの上に大きなアンテナが乗っかる形なのね、それで地面をまとめる、つまりそのテレビ塔を建てる土地を買い集めるのに私に協力してくれないかって話しだったのよ」
東京タワーは旧東京だけではなくこの第2東京でも街のシンボルになっている。高さは470メートル、3層からなる展望台と基礎部に設置された8階建てのタワービルを持ちその外観は旧東京タワーの拡大改良版といった趣きだ。今回武蔵野に建てられるというタワーはいわば補助的なもので高さだけは高層ビルによる電波の遮蔽を防ぐために東京タワーと同等だが基本としてはオフィスビルとして使われる予定だという。
第2東京は旧松本市中心部を都心とし、西部の穂高連峰山岳地帯を削り取って開発された造成地を主体にして山の手線が都心をぐるりと囲み、北側、新潟方面へ向けて新関越本線が伸び、西側、岐阜方面へ向けて中央本線、東側、群馬方面へ向けて高崎線、南側へ向けて東海道本線が伸びている。あたしが住む福生は中央本線の先に位置し、中央本線はそのまま県境を越えて岐阜県高山市まで続いている。第2東京の地名は都市発展に伴ってほぼ旧東京のものを踏襲したかたちになっていて、長野県は南北に分割される形になって県中央部に東京都が新たに設立された。すなわち第2東京の住所を書き表す場合には、東京都第2東京市千代田区、となるわけだ。あたしの家から伊吹社長の地下クラブへ行くには福生駅から中央本線に乗って東に向かい立川、国分寺、武蔵野と過ぎて東京23区内に入り新宿駅で降りる、といった形で片道およそ40分といったところだ。福生市は穂高連峰の山々を背後に背負った自然あふれる学園都市であると同時に関東地方の国連軍基地が集中する基地の町でもある。新宿駅の近くにも今は使われていないがサードインパクト直後に臨時基地が置かれていた時期があり、そこで払い下げられた兵員宿舎には多くのアーティストや作家などの著名人がそこで暮らした経歴を持っているという。碇さんもそのひとりだと、伊吹社長は言っていた。そんな外国人たちや若者たちの遊び場として伊吹社長のクラブは新歌舞伎町の地に深く根ざし、今では集まる人々の顔ぶれやファッションや流行の音楽も変わったけれども社長たちの思い出は変わらず、移り変わりの激しい都会の雑踏にも紛れることなく存在し続けている。
サードインパクトによってできたクレーターは直径100キロメートル以上にも達し、山梨県、旧東京、埼玉県は丸ごと消えた。静岡県は伊豆半島が島になり静岡市以西が、神奈川県は東部のわずかな地域がかろうじて残っている。社会科の資料集を見ればこれらのことはすべて載っているが、使徒、と呼ばれる怪獣のことについてはどんな公的資料にもその名を見つけることはできない。ちなみに第2東京から北東へ峠を越えた上田市のあたりは別荘地として開発が進んでいて、伊吹社長の話しによれば碇さんもそこに別荘をひとつ持っているそうだ。
そんな中で、この第2東京市も含めた新生東京都は今でも開発の手が各地に伸びているのだが公の立場、政治に携わる者がアンダーグラウンドの支配者である伊吹社長に話しを持ちかけてきたというのはどういうことなのだろうか。
「自治体からの依頼も受けるんですか」
「あら、あなたは私がどんな人間だと思ってたのかしら?」
「地上げ屋、ヤクザみたいな感じです」
伊吹社長はベンツのハンドルを握ったままクスクスと笑い、揺れるイヤリングに過ぎ行く車のテールランプの赤い光が反射してきらめいている。
やがて笑いを収めると社長はハンドルを握りなおし、シフトレバーを操作して一段低いギアに入れてから話し始めた。ベンツは信号待ちの列に紛れ込み、見れば交差する道路は信号が黄色に変わっていて前の車は発進するのを待ちきれずブレーキランプを明滅させている。
「ふふふ、まあそれもお仕事のひとつではあるけどね、私はいってみればあそこで店を開いたり商売をしているひとたちの代表格って感じなのよ、ほら空港とか新幹線を新しく作る時に用地買収なんかでもめるじゃない?そういう交渉の仲介役をやってるのよ」
「ジュンヤさんとはどういう関わりで?」
「ジュンヤ君はね、どちらかといえば私の弟分みたいな感じね、私が第2東京で仕事を始めたときにちょうどいっしょに移ってきて、いっしょに事業を興していったのよ、私は経営者として、彼は組の若頭として、道はそれぞれ違ったけれど同じ志を持った仲間、って感じなのよ」
「社長が第2東京で仕事を始めたのはいくつのときだったのですか?」
「25よ、それまでは国連に勤めていてね、まあサードインパクトで何もかもがお釈迦になったところからのスタートだったから、私みたいにある程度の学問がある人はとくに都市再建を担う経営関係では重宝されたのよ」
「いまいちピンときませんね」
「じゃあわかりやすい事例で説明しましょうか?」
「お願いします」
「たとえばそうね、新しく風俗店を出そうとして女の子を集めようとするわね?それにはどんな方法があるかしら?」
「求人広告?」
「それももちろんあるけれど、でもまともにそんな方法で応募してくるひとなんていないでしょう、そこでスカウト会社というものが出てくるわけよ」
「ああ、相田先生が言っていた、ジュンヤさんがケツモチをしてるっていう?」
「そう、スカウト会社の仕組みっていうのは女の子に声をかけてお店に連れて行って、お仕事を紹介するの、そうして女の子がその店で働くことが決まって、決められた日数、これは店によってまちまちだけれど、きちんと女の子がお仕事をしたってわかったらそのぶんの報酬がスカウト会社に入る仕組みなのよ」
「人材派遣みたいな感じですか?」
「まあそうとらえてもらって構わないわね、そして風俗店に来たお客は料金を払って、そこから女の子に給料を出して、余った分がお店の利益になるわけだけれど、ここで女の子とお店とお客との仲立ちをするのが私たちってわけなの、私たちはなにもしていない、ただ人から人へ、つまり需要と供給の仲立ちをしただけで同じようにお金を得ることができるのよ、そのお金っていうのはお店の料金に上乗せされた、つまり帳簿上で生まれたものだから、お客も女の子も誰も損をしない、だけど私たちはもうけを得ることができるってわけ、たとえばあなたが自分で身体を張って10万稼いできたとしても、私は連絡をしただけで、つまりノウハウだけで同じ10万を手に入れることができるの、それが経営ってことなのよ、そんなふうに何もないところからお金だけを生み出す、それが私たちの仕事の要ってわけなのよ、日本という国を再建するためにはね」
「つまりあたしたちは商品だと」
「そういうことね」
声の調子は柔らかいが、最後のそういうことね、だけは鋭く冷たい響きが含まれていた。伊吹社長は視線を道路の向こうに投げ、照らしこまれる対向車のヘッドライトの光にもまったく動じる素振りを見せない。これが社長の力の証なのだ。あたし如きのような小娘が敵う相手ではない、だからおとなしく従って言うとおりにしていれば身の安全だけは確保することが出来る、そこから先はあくまでも自己責任だ。
「まああなたたちが自分でやるぶんには私もとやかく干渉しないから、ジュンヤ君もね、自分の思うようにやっていけばいいわ」
最後にそう締めくくり、社長はそこで初めてあたしのほうを向いて微笑みかけて見せた。それはあたしを安心させようとしているのと同時に、枠をはみ出せばそこに待っているのは奈落だということを強調してあたしの心に刻み付けている。
武蔵野市を出て吉祥寺駅を過ぎ、杉並区に入る。
あたしがこないだここの店で相田先生と買い物したんですよ、と通りの向こうのビルを指差すと伊吹社長はあらすっかりいい仲になったんじゃないと微笑んでいた。
「でも最近メールの返事も遅くなってきたんですよ、ちょっと心配です」
「相田君もいろいろと忙しいから、それに今は例の写真集の作業をしているんでしょう?すこしは我慢しないと」
クラブに来る時は制服じゃああんまりうまくないからその買ってもらった私服で来るといいわ、と伊吹社長は言った。あたしはそうですね、とうなずいて今度行くときはどれを着ていこうかと思い浮かべる。
社長のベンツは新宿駅そばのパーキングに入り、輪留めをかけてドアをロックした。社長はスーツの上からいつものコートを羽織り、やわらかな毛皮が首筋を撫でている。これからクラブに行くという証なのだ。この分厚い衣装は自らの身の装いと同時に自分がそれだけのものを身につけられる存在なのだということを誇示する意味もある。
「そういえば、今日行った男って建築関係の仕事をやってるって言ってました、なんでも新都庁の設計をやったとかで、彼の会社も今回の件にかかわってるんでしょうかね?」
「さあどうかしらね、ただこの件は市はじまって以来の大プロジェクトだから、集まってくる企業の数も半端ないものがあると思うわ、中にはゴロツキ会社みたいなところもあるでしょうね、彼はなんて言ってたの?」
「なんか、オレは建築に関してはプライドがあるんだとか、オレに任せれば完璧な建物を建ててやることができるとかそんなことを言ってました、まあ彼もあたしも酔ってましたしはっきりしたところは覚えていないんですけどね」
「あらあなたも飲んでたの?」
「すこしですよ」
「でも気をつけたほうがいいわよ、たちの悪い男になるとお酒に薬入れたりするから」
「わかってます」
マナはあたしたちの到着を待ちわびていて、あたしたちがやってくるとさっそく社長にすり寄って今日はかけてもらいたい曲があるんですよと言っていた。伊吹社長はちょっと待ってね、コバヤシ君を呼ぶからと言ってスタッフルームに入っていった。やがて金髪をツンツンに立てたサングラスの若い男が出てくる。彼はあたしたちを見るとようカワイコちゃんたちオレに頼みがあるのかいと両手を大げさに広げて外国人のような話しぶりで言った。マナはNAOKIさんのB4Uをかけてくれと言っていたがあたしはその曲のタイトルもアーティストの名前も聞いたことがなかったのでマナになんの曲と聞くとビートマニアだよ、知らないの?と言われてあたしはたしかにゲーマーだけど音楽ゲームはへたくそだからやらなかった、と答えた。
曲が流れだすとマナはさっそくフロアに躍り出ていって若者たちといっしょにリズムに乗っている。
「マナちゃんはほんとよく通ってますよ、顔覚えてるやつも結構いますしね、何気にアイドルって感じなんすよ」
「ほんとうにもう、あんまり危ないところに出入りしちゃダメだっていつも言って聞かせてるのにね」
そう話す社長はどこか優しそうな、手のかかる娘を見ているような表情をしている。
「ところでそっちの子は新入りっすか、社長のお気に入り2号って?」
コバヤシさんはとても甘い香りのするコロンをつけていてあたしはその香りに包まれてとてもいい気分になったのでスタッフルームを見せてほしいと言って中の機材を見せてもらった。マナの部屋にあったのよりもずっと大きくてたくさんのつまみやスライダ、スイッチがついていてどれを操作すればどんな音になるのかわからなかったけれどもこの部屋に二人きりでこの男の人といられるのがうれしくてあたしはたぶんあのマゾの男の不快な体臭をかき消したくて自分にこの人の匂いを擦り付けようとしていたのだと思う。
あたしたちは1階の廊下のつきあたりの非常口の脇にあるトイレでバックでやってあたしはコバヤシさんのあれをあそこに入れたままおしっこを漏らして便器からこぼしてしまって床を濡らした。
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