淡いピンクのはなびらが

 

 

舞っては

 

 

散っていた

 

 


 

サクラサク

 

〜〜 夏しか訪れないこの街で 〜〜

 


 

 

みーんみーんみーん

「暑いなぁ」

 

 僕は肩にかけたバックを持ち直すと、空を見上げた。

 ギンギンと容赦なく太陽が光っている。

 ちょっとぐらい手加減してくれてもいいのに。

 なんとなしにそう思ってしまう。

 

「何してんのよ、バカシンジーーーーー!!」

 

 僕が立ち止まってしまった所為で、もう随分先に行ってしまっている同居人の少女が大きな声を上げる。

 もうちょっと、おしとやかにしたほうが良いよ………とは言えない。怖いし。

 

「うん、今行くよ!」

 

 結局僕は素直に返事をして、足を速めるのだった。

 

 

 

 

 

 数十分後、僕はまだ暑い日の下にいた。

 手にはそれなりに重いビニール袋を引っさげて。

 何でこんな事になったかというと

 

 

 学校から帰宅し、家に着いて冷たい飲み物でもと思って冷蔵庫を開けると空だった。

 結論。

「さっさと買ってきてよ、バカシンジ!!」

 

 

 ………まあ、そういう事だった。

 女の子の言い成りになってるなんて、我ながら情けないと思う。

 だけど、どんなに考えても自分が同居人の少女に勝てるとも思えなかった。

 

「暑いなぁ」

 

 今日何度呟いたか分からないセリフをもう一度口にする。

 額から汗がだくだくと噴出して、目にかかって鬱陶しい。

 二の腕で汗を拭いながら顔を上げると、公園が目に入る。

 

「水でも飲んでいこうかな………」

 

 手に持っているジュースを飲むと同居人の少女が怒るのは目に見えている。

『アンタ、このアタシが喉が渇いてしょうがないってのに、先にジュース飲むなんていい度胸してるじゃない』

 とか言ってね。

 だけど公園の水ならばれないし、大丈夫だろう。

 ―――――そこまで考えてさらに自分が情けなく思えた。

 ……まあ、いい。落ち込むよりこの枯れきった喉を潤す方が先だ。

 

みーんみーんみーん

 

 公園内は緑がそこそこある所為か、蝉の声がさらに大きく聞こえるような気がする。

 僕は公園の水飲み場に一直線に向かって、蛇口を捻った。

 

 

「………あれ?」

 

 蛇口からは一滴の水も出なかった。

 断水だか、近くの水道管が破裂しているのだか理由は判らないが、僕が不運だって言う事だけは判った。

 

「はあぁぁ」

 

 僕はがっくり肩を落とすと近くのベンチに腰を掛けた。

 なんか精神的にも肉体的にも疲れたから小休止する事にする。

 

みーんみーんみーん

 

 ………こんな暑い中で休んでても、疲れが溜まるだけだよな。

 

「うー、さっさと帰るか………遅くなると怒りそうだし………」

 

 実際もう手遅れかもしれないけど。

 僕はベンチから立ち上がるとパンパンとズボンの尻を叩いた。

 ズボンから埃と花びらが落ち………

 

「って、花びら?」

 

 よく見るとベンチには花びらがたくさん落ちている。

 ひょいと、一つ摘み上げてまじまじと見る。

 ………ピンク色の花びらだ。

 でも、この公園にピンク色の花、もしくは木なんてあったっけ?

 

 

 ぶわぁ……

 

 

 暖かく、まるで包み込むような優しい風が吹いた。

 

「えっ」

 

 

 

淡いピンクのはなびらが

 

 

舞っては

 

 

散っていた

 

 

そして、その木の下には

 

 

少女が眠っていた。

 

 

 

 

 ぽかんとバカみたいに―――本当にバカみたいに間抜けな表情をして口を開ける。

 まるで、その風景がこの世のものじゃない様に見えたから。

 

 

 

 

はなびらが舞い散る中

 

 

僕は歩く

 

 

その儚げな木に向かって

 

 

その儚げな少女に向かって

 

 

 

 

 少女の隣まで歩き、彼女と同じように木を背にして座る。

 理由なんて別に無い。

 でも、あえて理由をあげるなら。

 彼女がとても気持ちよさそうだったから。

 

 

 そして、僕も目を閉じる。

 

 

 

 

 

ぺちぺち

 

ぺちぺち

 

 頬を叩く、軽い感触に僕は目を覚ました。

 ドアップで女の子の顔が目に入る。

 

「うわわっ!?」

 

 僕は反射的に飛び起きた。

 女の子がぱちくりと驚いたように瞬きする。

 どうやら、僕は眠っていた女の子の隣で眠り、さらにその女の子が起きて顔を叩くまで熟睡していたようだ。

 

「あ、あの、その、ゴメン! 僕は別にやましい事を考えて近づいたわけじゃ………」

 

 って、あ゛あ゛!

 自分から警戒されるような事言ってどうするんだよ!!

 そんな僕の葛藤を知ってか知らずか、彼女はただにこにこと笑うだけだ。

 

「あの………怒ってないんですか?」

 

 僕の言葉に彼女はまるで『どうして?』と言わんばかりに首を捻る。

 ………可愛い。

 じゃなくって!

 

ぽむぽむ

 

 僕が錯乱していると、彼女は笑顔で『座って』とばかりに自分の隣の地面を叩く。

 とりあえず、言う通りに座る………。

 

「………」

 

 そのまま、沈黙に突入してしまう。

 彼女は相変わらず笑ったままだ。

ぐぅ………何か言わなくちゃ、何か言わなくちゃ………。

 

「あ、あのさ………君、名前は?」

 

 ぐはっ、僕はバカかああああ!?

 これじゃナンパだよぉぉぉ!!

 しかし、彼女はやはり気にしない様子でにこにこしている。

 ………でも、答える様子は無い。

 

「ぼ、僕は碇シンジって言うんだけどさ!」

「……しんじ?」

「えっ!? ………う、うん、シンジっていうんだ」

 

 彼女はこのままずっと口を利かないんじゃないかと思った矢先の彼女のセリフに、僕は動転しながらもなんとか答えを返す。

 

「しんじ………」

 

 ふにゃっと顔を綻ばせながら、何故か反芻するように繰り返す。

 ちょっと………変わった子だな。

 

「………さくら」

「えっ……」

 

 彼女が小さな声で呟く。

 『さくら』って………。

 

「もしかして、君の名前? 『さくら』って」

「………さくら?」

「いや、僕に聞かれても………」

 

 彼女は首を傾げながら何やら考え出す。

 やっぱり、ちょっと……いや、だいぶ変わった子みたいだ。

 しばらくして、考えがまとまったのか顔を上げる。

 

「さくら」

「………それが君の名前?」

 

こくこく

 

 僕の問いに彼女は―――さくらちゃんは嬉しそうに何度も頷いた。

 

 

 

 

 

 それから僕達は時間を忘れてお喋りした。

 ………と言っても、さくらちゃんは相変わらず口数が少なく僕から話を振る事がほとんどだったけど。

 自分から話題を振るのが苦手な僕なのに―――――何故かさくらちゃんと話すのはまったく苦痛にならなかった。

 さくらちゃんは僕の話に少々オーバーなアクションと、それに反比例するかのような口数で対応した。

 見た目は僕とほとんど変わらない彼女だけど、本当は僕より随分年下なのかもしれない。

 そう思わせるほど、彼女は幼かった。

 そして、幼いが故に純粋で―――――綺麗だった。

 

 

 

 

 

「しんじ」

 

 さくらちゃんが僕の名前を呼びながら、足元に落ちていたビニール袋を拾い上げる。

 

「あ、それ、ジュースだよ………飲む?」

 

 僕がビニール袋から缶ジュースを取り出してさくらちゃんに差し出す。

 首を傾げて―――どうやらこの仕草は癖らしい―――缶ジュースを見つめる。

 

じーっ

「………」

じーーっ

「…………」

じーーーーーっ

「……………えっと、美味しいよ?(汗)」

 

 僕が促すと、彼女は恐る恐るといった感じで缶ジュースを手に取る。

 ………で、缶の開け方が判らないのか、ひっくり返したり、叩いたりしている。

 

「さくらちゃん、こうするんだよ」

 

カコッ

 

 さくらちゃんの持っている缶に手を伸ばし、栓を開けてあげる。

 

じーっ

「それはもういいから」

 

 またもや缶を凝視し始めるさくらちゃんに苦笑しながら、もう一つ缶ジュースを取り出して栓を開ける。

 ごくごくと僕が飲み始めると、さくらちゃんも同じように缶に口をつけた。

 

んぐんぐ

 

 ………そんな擬音が聞こえてきそうな飲み方だった。

 さくらちゃんは缶ジュースが美味しいと判ると、パッと顔を明るくして勢いよく飲み出す。

 

「さくらちゃん………そんな急がなくても………」

 

 かなりの急角度に缶を傾けて、飲んでいるさくらちゃん。

 案の定―――――

 

「ごほっ、げほっ………うー」

「だ、大丈夫!?」

 

 変な器官に入ってしまったのか、むせるさくらちゃんの背中を僕は慌てて撫でた。

 さくらちゃんは缶を涙目で睨んでいたが、落ち着くとまた飲み始める。

 

んぐんぐ

「あ、またそんな飲み方すると………」

「げほっ………」

 

 ……………この子に学習機能はないのだろうか?

 

 

 

 

 

「………あ、もう帰らなくちゃ」

 

 気がつくともう辺りは、夕日で赤く染まっていた。

 

「怒ってるだろうなぁ………」

 

 同居人の少女の激怒している顔が脳裏に浮ぶ。

 でも、まあ………

 

「………しんじ?」

 

 後悔してないけどね。

 

「さくらちゃんってここら辺に住んでるの?」

 

 僕の問いにさくらちゃんはしばし首を傾げ………やがて、こくりと頷いた。

 

「あ、あのさ………」

「………?」

 

 僕は………生まれて初めて、心から………

 

「また………いつか会えるかな?」

 

 女の子ともう一度会いたいと願った。

 

こくっ

 

 さくらちゃんの答えは、初めて即答だった―――――。

 

 

 

 

 

僕は淡いピンクのはなびらが舞い散る木を後にした

 

 

 

 

 

「遅〜〜〜〜〜い!! このぶわぁかシンジ!! 何処ほっつき歩いてたのよ!!」

 

 帰宅した僕を迎えたのは予想道理、激怒した同居人の少女だった。

 

「ゴ、ゴメン」

 

 まあ、今日は僕が悪いからね………。

 僕が素直に頭を下げると何故か同居人の少女は顔を赤くしてフンッと顔を逸らした。

 

「ま、まあ、いいわ。そーれーよーり、ジュース早くちょうだいっ!」

「うん」

 

 素直にビニール袋を手渡す。

 同居人の少女は嬉々として、ビニール袋を開き―――

 

「シンジ…………」

「な、なに………?」

 

 底冷えするような声で同居人の少女が質問(詰問かもしれない)してくる。

 

「なんで、空の缶ジュースが入ってるのよ」

「え、いや、僕が飲んだから………アスカの分はちゃんとあるだろ?  あ、もしかして、僕が先に飲んだの怒ってるの?」

「そんな事はどうでもいいのよ」

「へっ?」

「なんで空き缶が二本あるのよ!? 吐きなさい! 誰と一緒だったの!? ファースト!? それとも戦自スパイ女!? じゃなきゃあの暗い眼鏡女!?」

「な、な………」

 

 鋭い。

 でも、なんでそこで綾波やマナや山岸さんが出てくるんだろう?

 

「そ、そんなことなパシーン

 

 最後まで言う前に平手打ちが飛んできた。

 

「今日はシンジ飯抜きよっ!!」

 

 ドスドスと足音を立てて同居人は去っていった。

 ………あの、ご飯作るの僕なんですけど。

 

 

 

 

 

 今夜のメニューがハンバーグだったのは幸いだった。

 同居人の少女はまだ腹を立てているようだが、大人しく食べている。

 当然の事ながら、僕はちゃんと食事を取っている。

 

「シンちゃ〜ん、今日はご機嫌ね〜♪」

 

 ここの家主にして僕達の保護者のはずの女性が話し掛けてくる。

 

「えっ、そうですか?」

「そうよ〜ん、食事中もニヤニヤしちゃって♪ 良い事でもあったの?」

「……………そうですね。とても……良い事がありました」

 

 僕が微笑んでそう言うと、同居人の少女と家主の女性はそろって驚愕の表情で固まった。

 

「ちょ、ちょっと、アスカ。シンちゃん、本当にどうしちゃったのよ?」

「知らないわよっ」

 

 こそこそと内緒話する二人を不思議に思いながら、僕はハンバーグを平らげていく。

 ………このハンバーグ、さくらちゃんだったら美味しいって言ってくれるかな?

 いや、さくらちゃんだから、僕が『美味しい?』って聞いて、こくこくって首を振るんだろうな。

 

「あ、そうだ」

「な、なに? どうしたの、シンちゃん?」

 

 何故か家主の女性がうろたえている。

 まあ、別にどうでもいいけど。

 

「ピンク色のはなびらの木って知ってます?」

「「はぁ? ピンク色のはなびらの木ぃ?」」

「そうです。心当たりないですか?」

 

 家主の女性は『んー』と唸りながら、ビールを煽り、こう言った。

 

「桜………かしらね」

「さ、さくら!?」

「ど、どうしたの? シンちゃん、なんかおかしいわよ?」

 

 いきなり大声を上げた僕に家主の女性は心配そうに声を掛けてくる。

 それにしても………さくらちゃん、僕が聞いたのは君の名前で木の名前じゃないって(汗)

 まあ………僕にとってあの子はもう『さくらちゃん』なんだけどね。

 

「なんでもないです………それにしても桜って綺麗ですよね」

「え、ええ………ほんと、センカンドインパクト以降見れなくなったのが残念だわ。花見の行事も無くなっちゃたしねぇ〜」

「えっ」

 

 

 

 セカンドインパクト以降見れなくなった

 

 

 

「それにしてもシンちゃん。綺麗ですねって、ビデオか本で見たの?」

「ちっ、違います! 近くの公園で見たんですよ!!」

「見間違いじゃない? 桜はセカンドインパクトの影響で絶滅したのよ」

 

 

 

 絶………滅………?

 

 

 

「アンタの事だからどうせぼーっとしてて、幻でもみたんじゃない?」

「幻なんかじゃない!!」

「な、なに、ムキになってるのよ?」

 

 同居人の少女が僕の剣幕に、怯えたように口調を震わしている。

 だけど、僕にはそんな事を気にしている余裕はまったくなかった。

 

 嘘だ嘘だ嘘だ!!

 あれは………確かに桜だったんだ!!

 

 

 僕の頭の何処かが警鐘を鳴らす。

 

 

 真実だと認めちゃいけない

 幻だと認めちゃいけない

 じゃないと―――

 

 

「………そういえば、確かにシンちゃんの言う通り近くの公園に桜があったわね」

 

 

 じゃないと―――

 

 

「でも………枯れていた筈よ、セカンドインパクトの時に完全に」

 

 

 あの少女まで幻になってしまうから―――

 

 

 

 

 

 

「はあはあはあはあ」

 

 僕は家を飛び出した。

 走る。

 エヴァなんかに負けないくらい早く走ろうとする。

 でも、現実は厳しい。

 僕の身体は少し走っただけで、すぐ音を上げている。

 

 ちくしょうっ!

 僕の身体だったら! 僕の足だったら! 少しは協力しろよっ!!

 あの子に―――会えなくていいのか!

 

 

 

 真っ暗な公園に着いた。

 僕は公園の中をさらに走る。

 大して広くない公園だから、目的の場所にはすぐ着いた。

 でも、そこには―――――

 

 

 

あの儚く美しい木は無かった

 

 

そこにあったのはたった一つの切り株

 

 

それだけだった

 

 

 

 僕はそこで意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぺちぺち

 

「うーん………」

 

ぺちぺち

 

「あれ………」

 

 また顔のドアップ。

 

「………幻?」

 

ぺちん

 

 そう言ったら強めに顔を叩かれた。

 

「しんじ………ここで寝たら風邪ひく」

「さくら………ちゃん? どうして………」

 

 僕が搾り出すように言うと、さくらちゃんは公園とは道路を挟んだ向かいの家を指し、

 

「・・・わたしの家」

 

 と、のたもうた。

 あー………えーと、つまり、桜の木が幻だったらさくらちゃんまで幻って言うのは完全に僕の妄想な訳で………。

 

「だぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 思わず頭を抱えて僕は絶叫した。

 は、恥ずかしすぎるぅぅぅぅぅ!!

 

「あ、でも………この桜の木は………」

 

 僕が桜の木に目を写すと、やっぱりそこにあるのは切り株なわけで。

 さくらちゃんに視線を向けると、ふるふると首を横に振る。

 さくらちゃんも判らない……当たり前か。

 

「さくらちゃん、ここ前から切り株だったの?」

 

 こくんと肯定するさくらちゃん。

 

「今日は来たら、咲いてた………」

 

 き、切り株が桜になってたのに気にしなかったんだね、さくらちゃん………(汗)

 でも………。

 

「ま、いいか。幻でも何でもこの木が今日、僕達を会わせてくれたんだから………」

 

 僕がそう呟くと、さくらちゃんはぽっと顔を赤くする。

 ………もしかして、今、僕凄く恥ずかしいこと言った?

 さくらちゃんに視線を送ると、こくこくと頷いている。

 ………って、言葉に出さないでも伝わってるし。

 

 

「………帰ろうか?」

こくっ

 

 僕達は桜の切り株に背を向けて、歩き出した。

 

 

 

「ねえ、さくらちゃん………」

「………?」

「僕さ……今日、さくらちゃんが消えるかと思った時、凄く怖かったんだ」

「?」

「………だから……『いつか』じゃなくて、また明日ここで会おうよ。幻に……なってほしくないんだ」

「………」

こくっ

「ありがとう」

 

 

 

その二人の背後で、儚く、優しいピンクのはなびらが舞っていた

 

 

 

 

 

END