あと10分もしないうちに、山百合会主催の劇が幕をあけようとしていた。 そして、楽屋裏では…最後の準備に余念がなかった。とはいえ舞台道具に関しては全てのセッティングは終わっており、現在は衣装の着付けとメイクの最終チェックといったところだ。 「祥子さま、準備の方は出来ましたか?」 「もう少し待ってちょうだい。あと少しで髪が結い終わるから」 「…祥子。貴女が遅刻してくるのがいけないんでしょう?」 祥子さまの髪をとかしている黄薔薇さまにそういわれて…しゅんとしてしまう祥子。 「祐巳ちゃんは確かにくせのある髪だけど、短いから簡単にそろえられるから楽だわ。 それに比べて祥子の髪は…祥子が終わった後は、念入りに蔦子ちゃんの髪を整えてあげないとね♪」 そういいながら微笑む黄薔薇さまを見て…蔦子本人は背筋に冷たいものを感じたという。 祐巳と祥子はあれ以降ほとんどの時間、行動を一緒にしてきた。とはいえ、劇の練習が大半を占めていたこともあって、当たり前といえば当たり前ではあるのだが… そして、学園祭当日も朝から2人でいろいろな学年や部活動の展示などをみて回っていた。 もっとも、祐巳自身は自らのクラスでの担当もあったのだが、友人達の根回しにより当日の作業は一切無くなっていた。というか、本来であれば『受け付け』を行なってもらう予定だったのだが、『紅薔薇の蕾の妹予定』の彼女をそんな所に出してしまっては・・・という配慮があったとか無かったとか。 (彼女が出てくれれば来てもらえる人数も増える事まちがいなし・でも、クラスとしての展示物をしっかりみてもらうには逆効果じゃないか? との意見があったために祐巳の出番は無くなったらしい) 祐巳と祥子は、まず写真部のブースへと向かった。勿論お目当てのものは… 「あ、祥子さま、祐巳さん」 写真部のエースも彼女達二人が真っ先にここに来るだろうと予想していたらしく、既にスタンバイしていた。無論手には愛用のカメラを持って。 そして2人は、1枚の写真の前で停まる。 「これが」「私達の」「初めての」『出会い』 そこには、マリア様の前でタイを直す少女と直される少女が写っていた。まるで風景の一枚を切り取ったかのような自然な表情の2人がその中にはあった。 むろんこの写真のタイトルは『躾』 だが、当の2人だけはこの写真を『出会い』と呼んでいる。お互いが始めてを知ったその瞬間を収めたものだから。 「展示の許可を頂きまして本当にありがとうございました。祥子さま」 「あら、お礼を言うのであれば態度で示して頂けると嬉しいわ♪」 「たっ、態度ですか?」 ちょっと引きそうになる蔦子だった。 「山百合会主催のシンデレラで、ちゃんと姉Bを演じきってくださいね」 「は・はぁ・・・それは勿論です」 苦笑いをしながら生返事を返す。 「ああ、あと、黄薔薇さまの対応もね♪」 その言葉を聞いた瞬間、蔦子の顔から笑みが一瞬の内に消えた。 蔦子が『じつは、伊達メガネ(多少は度が入っているので、実際には伊達ではないのだが)のせいで、いままで行動はとっぴでもごく普通の女子生徒にしか見えなかった・のだが…いざメガネを外して見ると、山百合会役員と比べても遜色ない美しさを持っている』事を知ってしまった黄薔薇さまは、事あるごとに蔦子に迫っていた。 迫る方には体性を持っていた蔦子だったが、迫られる方には一切の体性を持っていなかった。そのために、当初予定していた『山百合版シンデレラの練習風景』を撮影するという行動が、いつのまにか『いかに黄薔薇さまにみつからないように参加するか』に変わってしまっていたのだった。 もっともそのおかげで、外部・特に新聞部への情報もれも全くと言っていいほど起きなかったのは、ある意味山百合会にとっては良い結果になったのかもしれない。 「あの〜 祥子さま、それってやっぱり…」 「ええ。例え学園祭が終わったとしても、黄薔薇さまの貴女へのアタックは止まる事はないでしょうね」 その一言で、がっくりと肩を落としてしまう蔦子だった。 「………ですが、黄薔薇さまには令さまという蕾が既にいるんじゃあ………」 「黄薔薇さま曰く『姉妹じゃなくても後輩を指導するのが先輩の役目でしょう♪』だそうよ。 それと、先日令に聞いたんだけど、『どうやったらもう1人妹が持てるかしら』って、ぶつぶつつぶやいていたそうよ」 ほとんど駄目押しに近い一言を言われて………声をかけるのがためらわれるほど落ち込んでしまっている友人に、声をかけることができなくなってしまう祐巳だった。 「ええっと…祥子さま、妹を2人持つことなんで本当にできるんですか?」 「そんなわけないでしょう。令には既に由乃ちゃんという妹がいるんだし」 ちょと燃え尽きてしまった感のある蔦子を、『劇までには楽屋へつれてきてください』と写真部の部員に任せて、2人は他部の展示ブースへと足を運んでいた。 その後、2人は集合時間を忘れて構内を歩き回ったせいで、劇の準備の集合時間に遅刻してしまったのは些細なことかもしれない。 後1分弱で開幕となる。 「じゃあ、祥子、祐巳ちゃん、準備はいいわね?」 『はい』 「緊張はないみたいね。頑張って、2人とも」 紅薔薇さまのその声に後押しされて、2人は手をつないで光さす舞台へと身を躍らせていた。心の通い合った姉妹のように… すでに太陽は役目を終えて地平線へとかくれさり、星空の中に月が淡い光を発しながら辺りを照らしていた。 祐巳は1人、篝火を見ながら今までの事を思い出していた。すでに祐巳の持っていた台本は篝火の中に入れられ、炎の中で想い出に昇華しようとしていた。 この2週間、祐巳にとっては今まで生きてきた中で1番の波乱の2週間だった事は間違いないだろう。 憧れの先輩からの告白・そして妹になって欲しいという言葉。 すれちがい・勘違い・そして… かけがえのないものを見つけられたような気がしていた。本当に心を許せる友人・そして… たった2週間、しかし少女にとっては絶対に忘れることの出来ない刻。彼女の心の中の大切な部分を成長させてくれた時間。 「………さて………」 祐巳は立ち上がると、とある場所へと足をむけて歩き出していた。 マリア様の像の前。祐巳と祥子は2人きりでこの場所に来ていた。 どちらから誘ったわけでもない・約束したわけでもない。しかし2人はまるでしめし合わせたかのように、今、この場所に向かい合わせで立っていた。 「祐巳………紅薔薇さまとの約束。 ではないけれども、今の気持ちを聞かせて欲しいの」 「祥子さま…」 「このロザリオ…あなたの首にかけてもいいかしら?」 「………………」 そして… 月とマリア様だけが、2人を暖かく見守っていた。 そして…