マリア様の悪戯

第十四話

路は開ける

『ごめんなさいっ!』
 2つの声が同時に上がった。
 と同時に、2人の頭が跳ね上がるようにして上を向く。それはつまり…2人で見つめあってしまうという事。
「祐巳…今のって…」
「祥子さま…今のは…」
 ふたりとも、頭の中が一瞬真っ白になってしまっていた。自分が悪いのではないかと思って謝ったら、相手も全く同じタイミングで謝ってきたのだ。これでは…思考だけが堂々めぐり。

 1時限目の始まりのチャイムがなりおわっても、2人は見つめあったままでいた。
(もっとも、授業自体はあるのだが、ほとんどの先生が文化祭の準備を認めているために自習扱いになっているのがほとんどではある…)
 お互いが、どう行動していいのかわかっていない。だから相手の行動を待っている。

「祐巳………」「祥子さま………」
 ほとんど同時に再起動した2人であったが、言葉が見つからない。


「今から私が話すことはただの一人事だから、聞き流してくれても構わないわ」
「あ、あの…祥子さま?」
 いきなりの祥子の言葉に、祐巳はびっくりしてしまう。
「私にはね、とても大切な人がいたの。とてもとても大切な…彼女がいないと………」
 祐巳の不思議そうな顔をよそに、祥子は自身の覚えている・そして共に歩んできた自身の半身とも言える人物の話を始めた。
 無論それは、目の前の彼女の事ではあるが…祥子自身も、自らの考えをまとめるように・昔を懐かしむように、目の前の祐巳に語りだした。
「彼女との出会いは、本当に偶然だった。
 私自身も気にも止めなかった、本当にささいな行動が彼女との出会いだったわ…タイを直す・という行動がね」
 その言葉にはっとする祐巳。なにせ1週間ほど前に、実際に祥子からタイを直されていたのだから。
「それからは………」
 祥子の独白はさらに続いた。 




 その頃、薔薇の館。
 自習扱いなので、薔薇さまや薔薇の蕾たちは(祐巳と祥子を除いて)全員集まっていた。そしてその中に蔦子もいた。衣装合わせといわれてつれてこられたのだが。
「どうしても外さなきゃダメなんですか?」
 必死に抵抗を続ける蔦子ではあったが、薔薇さま方の微笑み攻撃をかわす事という芸当は普通の生徒には到底出来ないだろう。むろん蔦子にも不可能なおはなし。
「ええ。例え劇であったとしても『メガネ』は相応しくないわ。
 確かに蔦子さんのトレードマークかもしれないけれど、せめて劇の間だけでも外しておいて欲しいの」
 そう薔薇さまに言われると…断りきれる生徒がどれほどいるだろうか。

 が、蔦子は諦めなかった。最後の手段とばかりに反論を返す。
「ですが、私のメガネは伊達ではありません。外してしまうと周りが良く見えないんですよ」
 実の所、半分ほど誇張が混じっているのだが、そこは交渉術を持っている写真部エース・隠したい所は隠したまま話を進めようとする。
「え? カメラマンとしての伊達のためにかけてたんじゃないの?」
 ビックリした表情を見せる白薔薇さま。どうやら薔薇さま達は、蔦子のメガネは度が入っていないと思っていたらしい。
 それを見た蔦子は、『ここで一気に畳み掛ければ!』とまくしたてる。
「もし外したままだと………お芝居どころの騒ぎじゃなくなっちゃいます。
 せめて、メガネをかけたままか、降板かのどちらかにしていただけないことには…」

 実の所、蔦子が山百合会の劇に出演する事自体はそれほど大事ではない。
 様は天秤にかけただけなのだが…参加しなかったときと参加した時のメリットとデメリットを計算して、『ここで協力しておけば、今後の撮影にいろいろと有利に物事を進められる』と判断して、参加する事を決めたのだ。
 薔薇さま達も彼女がそのくらい考えている事は重々承知している。新聞部と写真部・どちらを引き入れたほうが後々有利に物事を運べるか…いうまでもなく写真部だろう。それに、写真部のエース武嶋蔦子と福沢祐巳は、かなり仲がいい。新聞部や写真部の他の部員に比べても、かなり親しい間柄でもある。
 逆にいえば祐巳が嫌がる事を蔦子が行なうことはない・と踏んでいるのだ。

 蔦子にとってのメガネは、祐巳のリボンや由乃のみつあみのような、一種のステイタスシンボルでもあり、カメラマンとしての自分なりのポリシーでもある。
 それを外すことは………例えそれらの天秤を全て覆しても拒否したい事だった

「どちらかでしか、山百合会に協力できかねます」
「なんだったら、コンタクトを用意するけど………その顔じゃあ承知してくれそうにないわね」
「良くおわかりで」
「う〜ん…蔦子さんの視力が悪いにじゃあしょうがないわねぇ…」
 とかいいながら、白薔薇さまは蔦子さんの後ろを取る。蔦子さんも白薔薇さまが肯定の発言をしてくれたために、それほど気にも止めなかった。が、それも作戦だとは、蔦子は気づかなかった。
 と。

 ひゅっ!
「あっ!?」
 白薔薇さまの指が、まるでピアノの鍵盤を泳ぐかのように…蔦子さんのメガネを外していた。
 無意識の内に誰かの背中に回りこめる能力・ある意味特技なのかもしれない。
「かっ、返してください! 白薔薇さま!」
「はい、黄薔薇さま〜 パスっ!」
 そういうと、取り返そうとする蔦子を気にせずに、放物線を描くようにメガネを黄薔薇さまの方へ放った。
 もちろん、寸分の狂いもなく、メガネは黄薔薇さまの手の中へとすっぽりと収まっていた。

「黄薔薇さま! 返してください!!」
 蔦子は、放物線を目で追いながら、自分のメガネが黄薔薇さまの手の中に収まったのを確認すると、ターゲットを白薔薇さまから黄薔薇さまへ変更した。
 が、それもすぐに無駄に終わる。
「紅薔薇さま。あとはよろしく♪」
 そういって、先ほどの白薔薇さまと同じように、放物線を描くようにして紅薔薇さまへと投げたのだった。
 そして、蔦子のメガネは紅薔薇さまの手の中に…

「紅薔薇さま。返して頂けますよね?」
「ええ、勿論。さぁ、どうぞ」
 そう言って、メガネを蔦子の方へ差し出す。
 そして………メガネを受け取った瞬間、
「蔦子さんって、裸眼でも別に問題ないみたいね♪」
 紅薔薇さまの一言に固まってしまう蔦子だった。

「な・・・なぜ!?」
「あら? 貴女は白薔薇さまにメガネを取られてから、一度も自分のメガネから目を離していなかったでしょう?
 あれだけしっかり見えていたって事は、裸眼でもそれほど視力は悪くない・劇に支障がでるほどではないって証拠にはならないかしら?」
 そう言いながら、三薔薇さまは笑みをくずしていない。特に黄薔薇さまの笑みは…ここ数日で何度目だろう? と思わせる、令の笑みを含んでいた。

 ここで、蔦子はミスに気づいた。
 全てはお芝居………自分はうまく乗せられてしまっただけだということに。
「ということで、蔦子さん。劇中はメガネは外して置いてくださいね」
「………わかりました」
 こう答えるしかできない蔦子だった。

「でもさ、何でメガネを外すのが嫌いなわけ?
 こうやって見ると、蔦子さんも結構可愛いと思うんだけど…」
「とりあえず、今の内に蔦子さんにメイクをしてしまいましょう♪」
 そして、メガネを外したままの蔦子に、三薔薇さまは薄くではあるがメイクをほどこし始めた。





「そしてその娘は、私にとってなくてはならない存在になったの。
 姉妹制度・なんて言葉では表せないほど、大切な妹にね」
 祥子の独白を聞きながら…祐巳は唖然としてしまっていた。
 その独白は…祥子がその少女に対する心からの想いだったから・そしてその少女が、かなり自分自身に似ているようで。
 むろん、自分ではないだろうと思っている。なにせ祥子の話したような事は祐巳自身には全く体験は無いし、自分が祥子様を支えられるような人間か? と問われたら、まず間違い無く首を横に振るだろう。
「でも…その娘とは何の前触れも無く、別れなければならなくなってしまった。
 また明日、いつもの時間に彼女の笑みを見られると思っていたのに………永遠に見ることが出来なくなってしまった」
 何の別れの言葉さえかけられず、二度と会えなくなってしまった・それがどれほどのものなのか、実際に体験したことのない祐巳ではあったが、それでもとてつもなく辛いことだろうというのは、はっきりとわかる。

「そんな時、祐巳を見かけたのよ。
 祐巳はその娘とうりふたつだったわ。姿形だけじゃなくて、しぐさからなにから…ね」
「でも、私は…」
「そう…ここにいる祐巳は祐巳なのよね。私の心の中にいる彼女とはそっくりだけど、別人だという事を理解していなかった。
 私はそれに気づかずに…祐巳とその娘を重ね合わせていたの。祐巳の思っている事に全く気づかず…私の想いだけを押し付けてしまっていたの。
 ………最低な先輩よね」
「そっ・そんなことないですっ!
 私にできることであればなんだって…」
 そんな風に言ってくれる祐巳に、祥子は、
「本当に一緒………私の心の中の祐巳も、きっとそういってくれるわ」
「え? 心の中のゆみって…同じ名前なんですか?」
 自分と同じ名前にびっくりする。
「ええ、そう。私の心の中にいる娘も、祐巳って言うの。
 福沢諭吉の福沢・しめす辺に右を書いて祐・それに巳年の巳。それが私の大切な妹」
「!?!?!?」
 目を白黒させることしか出来ない祐巳だった。

 しばらくたった後、
「祥子さま…」
「なあに?」
「わがままを言ってよろしいでしょうか?」
「………ええ」
 自分の心をさらけ出した祥子にとって、この一言を言うのはとても辛かった。もし祐巳から別れの言葉が出てきたら・と思うと。無論それを拒否するつもりはない。
 だが…
「もし祥子さまさえよろしければ…
 もう少し、祥子さまのそばにいさせてもらえませんか? そして、本当の祥子さまを見させてもらえませんか?」
「え?」
「私…祥子さまの事を誤解していました。いいえ、もしかすると『想い』のすれ違いだったのかもしれません。
 私はごくごく一般家庭で育ってきましたから、祥子さまが私をかばってくれようとした事を間違って解釈していたのかもしれません。
 だから…」
「ちがうの! 私が貴方の事を想わずに、自分の想いだけをぶつけてしまったのがそもそもの原因なの。私の心の中にる祐巳と貴女を重ねてしまった…」
「だから………だから、もう少し一緒にいさせてもらえませんか?
 姉とか妹とか…賭けとかそんなものを一切抜きにして…本当の『小笠原祥子』さまを見せて欲しいんです」
「祐巳…」

 もちろん、祥子の答えは決まっている。
「ええ、そばにいて本当の私の姿を見ていて。
 そして、本当に妹になってもいいと思ったときにロザリオを受け取ってちょうだい。
 もちろん、姉にふさわしくないのであれば、ロザリオは受けとらないでもかまわないわ」
「そ・そんな。受け取らないなんて…」
「ただし、受けとらなくても嫌いにならないでくれると嬉しいわ」
「もちろんですっ!」
「じゃあ、薔薇の館へ行きましょう」
「はい。祥子さま」
 祐巳と祥子は手を取り合い、温室を後にした。
 そのとき、2人の心の中には今日の朝までのもやもやとしたものがなくなっていた。





『………どちらさまでしたっけ?』
 薔薇の館へ入った祥子と祐巳の最初の一言目は、とても間が抜けた質問になってしまった。
 そこには、今まで一度も会ったことのない可愛らしい生徒が立っていたからだ。

 と、その少女と祐巳の目が合ってしまった。先に目をそらしたのは少女だったが…
「えっと………もしかして…蔦子………さん?」
「祐巳さん…祥子さま…」
 3人揃って固まってしまった。
 最初に再起動したのは、蔦子だった。もっともほとんど同時ではあったが。
「あの、これはですね…とてもとても深い理由が…」
「蔦子さんって、山百合会の皆さんに負けず劣らず、綺麗なんですね♪」
 祐巳のその言葉によって、蔦子の思考がまた止まってしまった。
「本当ね。祐巳のいうとおり、蔦子さんってメガネをかけていないときの方が綺麗ね。
 でも、写真部なら…いえ、写真部だからこそその点には気づいていたはず。それなのに、メガネをかけ続ける…どうしてなのかしら?」
 祥子の言葉に、いつもの返事を…
「ほら、私って視力が………」
「あら? いままでの行動を見る限り、貴女の視力はさほど悪くないわね。少なくとも裸眼でも生活には支障がない程度でしょう?」
 紅薔薇さまにそう言われてしまう、続きを言えなくなってしまう。
 ………………
 しばらくの後、
「ここだけの話にして置いてくださいね」
 といって、蔦子は正直に自分がメガネをかけているのかを語り始めた。


「と言う訳です」
「そうなの。あなたの持つポリシーは良くわかったわ。
 でも、出来れば劇の間だけでもメガネを外してもらえると助かるんだけど」
 紅薔薇さまの言葉に、もう観念したのか、蔦子は、
「わかりました。ただし、本当に劇の間・それも本番の舞台の上だけですよ!」
「ええ、それで充分よ」
 そしてその後、全員が揃っているということで、通しでの練習が始まった。


 練習も終わり、みんなが帰る準備をしているとき、
「はぁ………
 こんな可愛らしい・面白い娘がいるんだったら、白薔薇さまみたいに3年まで妹を作るんじゃなかったかもしれないわね」
 最後の黄薔薇さまの呟きは、薔薇の館にいた薔薇の名を冠する人物たちをあきれさせる一言になってしまった。
 そして、彼女の人となりを知っている人物にとっては…彼女の瞳は『いいアイテムを見つけた』というサインを発している事に気づき、蔦子を同情するしかないかな? と思うしかなかった。

 
黄薔薇放送局 番外編

由乃 「♪〜♪」
令  「……」
由乃 「蔦子さんがめがねを外すなら私は付けてみたのだけど……どう?」
令  「……」
由乃 「……令ちゃん? 何か言ってよ!」
令  「(上気した顔で)めがねをかけた由乃もすごくかわいい……」
由乃 「な! あ! や、やだぁ、令ちゃんったらぁ!(真っ赤)」
令  「あ、ああ……ゴメン、由乃。 つい……(真っ赤っか)」
由乃 「もう、令ちゃんたら突然何言い出すんだか……」
令  「う、うん、本当になに言っているんだろ、私……」
(二人して顔を隠したまま見つめあい、そして……)

……
……

乃梨子「……」
江利子「あらあら、完全に二人の世界ね。
	おまけに令の頭からはへたが生えているし」
乃梨子「ごきげんよう、江利子さま。しかしへたってなんです、へたって」
江利子「そりゃ『へた』は『へた』よ。ほら、つむじのあたりに見えるでしょ?」
乃梨子「そんな馬鹿な……ってほんと(げっそり)」
江利子「最近の令のへたれっぷりにとうとう頭からへたが生えだしたみたいねぇ」
乃梨子「……」
江利子「放っておくとどこまで伸びるのかしら?」


次回予告

乃梨子「舞台の日は来た」
江利子「二人は……」
乃梨子「いよいよ迎える最終回」
二人 「次回 マリア様の悪戯 第十五話『』 お楽しみに!」


由乃 「令ちゃん……」
令  「由乃っ!」

乃梨子「……」


※『へた』が生えるというネタは某所のお絵かき掲示板を参考にさせて頂きました。