久しぶりに会ったそいつの額が照明の光を反射している。 思うのだけれど、どうして広い額はこんなにも人間の注意を引くのだろう、場合によっては顔は覚えて無くても額の輝きだけは覚えているということもあるのではないか。額で集客効果が期待できないだろうか? その人物の額は白くなめらかでもちろんニキビなど一つもなく、白いタイルのように潤ってピカピカと静かに光を反射している、ふと、触って撫でたらつるつるしたお風呂の床みたいな感触なんじゃないか、と思って手を伸ばしたくなる。 そいつの額に関する考察には、キリ、というものがない。 どのような幼児体験や青春の傷や家族環境が彼女にこの額を選ばせたのだろうか、祖母の賞賛だけでここまで額にアイデンティティを持つかのように振舞えるものだとは思えない。 あるいは全国額会議みたいなものがあって、今後我々はいかに額を出すべきなのか真剣に考え、カチューシャの着用を義務づけるべきなのではないか、とか何とか決定が出たりしているのかも知れない。 「なにジロジロ見てるの?」 「いや、額が眩しくて」 「逆にセイは暗いわね。人に話を聞いてもらう態度については、考えた方がいいわよ」 「気が向いたらね」 「ほんと、変わってないわね」 「変われないんだよ」 私はこの額にアイデンティティを持ちすぎて、額そのものと言っていい存在になった女、トリイ・エリコの所へ駆け込んだのだ。 エリコは、行く当てなどとは到底呼べない危険なカードだったが、私は最初から手持ちのカードが人より少ないのだ。たぶん、人より32枚は少ない。 私はとても苦労して(主に精神的な苦労だが)とにかく苦労し、葛藤し(こいつにこんな話をしていいのか、そもそもこれは他人に話していい話なのか)しかし、とにかく話した。 それは本当にとてつもない苦労だった。フルマラソン二回分ぐらいの苦労だ。 エリコがため息をついた。 確かに、ため息をつかれても仕方のない内容だった。 「セイ、あなたは大人になる必要があるわ」 「大人?」 「ケイさんか、ヨーコか、どっちか選ばなければいけない。それは分かる?」 「なんとなくは」 「セイ、あなたね。ずっといい加減な態度で二人に接し続けるからこうなるのよ。大切なものから一歩距離をとるどころか、滅茶苦茶にしちゃってるじゃない」 「いや、エリコ、違うんだよ。ケイはともかく、ヨーコとは距離をとっていたんだけど」 「だから自分のせいじゃないって?セイ、目を覚ましたら?あなた、ヨーコは勝手に自分に惚れただけで、自分は被害者だって言う気なの?」 「そんな訳じゃないけど…」 「ヨーコはね、ずっとあなたのこと好きだったのよ?シオリさんの時、温室であなた達を見かけて、ヨーコ泣いてたわ。セイをそんな風に変えるのは自分だって思ってたみたいね」 それは初耳だった。 「ヨーコにはっきりとケイさんが好きだって言った?何か少しでも、なあなあで誤魔化そうと思わなかった?自分の責任で何かを選んで、結果何かが失われても、それを背負って引き受けるのが大人でしょう」 エリコの言葉が私の胸に刺さった。 業務用のホチキスのように大きな針が、ガチャンと心臓を皮膚と止めてしまったみたいに、私はその痛みを自分の責任として感じていた。 ヨーコは、そんな昔から、自分を… あんなにずっと支えてくれて… それなのに、私は。 私は、何て愚かなのか。 「セイ、大人になりなさい」 と言った彼女が本当に大人なのは、彼女の大切な人の力なのだろうか。 いつもやる気がなく、責任を面倒くさがり、常に傍観者でいようとした彼女は誰より大人から遠かったはずなのに。 大切な人の力で、自分が変われるなんて、どれだけ素晴らしいだろう。 大切な人を傷つけて何も変わらない私に比べたら。 本当にそれは素晴らしいと思った。 私はジェイズカフェに呼びつけてしまった彼女を返し、荒れた部屋に戻るとヨーコの書置きがあった。 それでも、あなたが好き いい書置きだった。『それでも』というのが、実に深い意味がありそうじゃないか? いい言葉だ。 それでも、あなたが好き 私もだよ、ヨーコ。 次の日の陰鬱な気分は、壮絶な生理(私は軽いが)よりも気を重くさせていた。 にも関わらず場違いに明るい声が聞こえた。 「おっはよーーー!!サトーさん!!」 「アカネ…」 「もう、幸せって感じ!!ほんと、マジで素敵なのサワラさん!ほら、サワラさんって凄く指が綺麗じゃない?」 ほら、って言われてもそんなの見てません。 「その綺麗で細い繊細な指が、前髪かき上げたりするのよ、そういうのってセクシーじゃない?」 「同意を求められても困る」 「なによー、親友の恋路を応援してよ」 「メールアドレスとか聞いた?」 「まだ」 「駄目じゃん」 「だ、だって、私リリアンの淑女なんだもん、恥ずかしい」 「それじゃ駄目だって、おっと、あれ、そうじゃない?」 見ると、サワラがこっちへ来る。私に用事だったら困るから走って逃げた。 二人きりにさせてあげなきゃね。 後からメールしなきゃ、『私への用件は全てアカネを通すように』って。 少しだけ、私は元気になった。 ありがとう、アカネ。 ケイは大学を休んでいた。 探しても見つからない訳だ。 でも、見つけてどうするの? どうにもできない。 だってそうじゃないかな? 結局のところ、混乱した頭が納まっただけで、私は彼女達のうちどちらかを選ぶことなんてできない。 選ばなきゃ駄目かな? 一瞬、甘えて逃げそうになった私に、エリコの言葉が蘇る『大人になりなさい』。 でも、エリコ、本当に私は二人とも大好きなんだよ? 心の底から。 こうしてケイのいない大学は意味のない世界みたいにモノクロームだし、ヨーコを傷つけてしまった後の世界は棘で出来た茨の森のように私を傷つけるだろう。 どうしたらいいんだろうね? 本当に。 いきなりメールが来た。 サワラからだった。 そこにはたった一言書かれていた。 『フジムラ・ミヤコが逮捕された』 私はミステリ研へと駆け出した。 「自首だよ、自首」 というサワラの脇には、アカネがいた。 「フジムラさんが、なんで」 「理由はともかく、この状況では、犯人と言わざるをえない」 「何で!?」 「状況証拠が揃いはじめてるんだ。被害者の爪や手に、彼女の皮膚や髪がついていた。血のついた靴下が自宅から見つかったらしい。たぶん、服に気をとられて、デザインと区別つきづいらい赤い染みに気づかなかったんだろう。犯行に使われたナイフも、彼女の家から持ち出されたとほぼ断定できる。そのうえ自首だ。普通は、犯人と言わざるをえない」 「そんな…なんで」 「分からないね」 アカネが、ポツリと言った。 「ミネちゃんとアカネ、ずっと昔から親友だったのに…」 涙ぐんでいる、しかし、私はふと、幾つかのことを思い出した。 (あの子、幼稚舎からの親友に連れられてミステリ研に入ったの、ほら、あの、背の高い子)(ほら、ミネちゃんも合コンで彼氏できたんだし〜)(部室の中央にその長い体を横たえている菱木美音の死体を発見した) 幼稚舎からずっと一緒の二人。 片方に彼氏が出来た。 そして、片方は片方に殺された。 ううん、それはタチの悪い推測に過ぎない。 でも、でも、もしもケイに彼氏が出来たら私はどうなるだろう。 そんなこと、妄想に過ぎないと思いながら、考えるのをやめられない。 女同士で付き合って、片方に彼氏が出来たとき、私は平静でいられるだろうか。 サワラが不意に言った。 「僕はこの結果に納得できない」 「え?」 「フジムラ・ミヤコには殺人者の匂いはなかった」 「どういうこと?」 「僕は職業柄、殺人犯に会うこともあるし、公判を見る事だってある。しかしね、サトウさん、ミステリなんかでは犯人は理知的に書かれるけれどね…僕が最近見た公判なんか酷いものだった。振られた腹いせにかつて自分がいじめていた人間を使ってレイプさせて、そのうえ、警察にたれこむと女が脅している、と嘘をついて実行犯からお金を騙し取り、あげくには実行犯使って殺人までさせていた。これがいかに異常か分かる?」 サワラが不機嫌そうな目で言う。 「まず、振られた腹いせ、という発想が歪んでいる。次に、この実行犯と計画犯の人間関係が歪んでいる。なんで大人になっても、学生時代のいじめたいじめられたの関係が続いているのか理解に苦しむ。あげく、いいなりにレイプだの殺人だのまでする。理解を絶するね。しかも、お金を実行犯からまきあげて殺させるなんて、どう考えてもありえない。あと、直接関係はないけど、命令犯が実行犯に向って、女がお前を脅している、なんて言ってしまったせいで一部マスコミがそれを鵜呑みにして、被害者はお金を脅し取っていた、という記事が載って被害者をとてつもなく痛めつける結果になった。しかも、この命令犯は、裁判中、なんで自分がと不平ばかりもらしていた。自分は何もしていないのに、と。ここまで人格が歪むものなのか、と思うよね」 サワラは苦虫を噛み潰したような顔をしている。 「それで、僕が何を言いたいかというとね、誤解を恐れず言うなら、感情で殺人する殺人犯の殆どは人格的に歪んでいるんだ。ああ、殺人犯の権利を護りたい方々の罵声が聞こえる気はするけど、あくまで僕の経験的な話で、ただの偏見だからね。一応」 「それで、フジムラさんは歪んでないって」 「そう、僕のみた限り、そういう歪みはなかった。まあ、歪みはなくても殺してしまうことはあるけど、今回の事件は、そういう突発的な殺人じゃない。家からナイフ持ち出してるんだからね。また、お金やそういう利益が絡んだ殺人でもない。あるのは感情だけだね。自分の恋愛感情の為に人を殺すなんて、余りにも身勝手だろう。恋愛感情にそこまでの価値はない。だから、そういうことをする人間には必ず歪みがある。でも、彼女は違った。彼女にそこまでの歪みは見出せなかった」 「サワラ、人の心の中が見える訳でもないのに、言いすぎじゃない?」 「そうかもね。でも納得できない。彼女はまともだった。僕が裁判で見たり、実際会ってきた殺人犯とは違いすぎる。己の感情のためだけに人を殺すほど幼稚には見えなかった。これは僕の確信だから、サトウさんが何て言おうと、僕はこの件から手を引かない」 「好きにしなよ。でも、私は、恋愛感情で人を殺してしまうのは、分かる気がする」 「錯覚だよ。君は殺さない。恋愛なんてね、自然の営みだから大したことはないんだ。他人に振られたり別れたりするのに耐えられないぐらい脆弱な奴だけが暴走する。操を立てるなんて意味はないし、三角関係だって大したことじゃあない。そんなに固く考えたら、初恋の人以外とは恋愛できないことになる。本当に愛しているのは一人だけのはず、なんて前提を採用したらそうなるだろう?まあ、ミステリの探偵役って、振られるのに耐えられそうもない奴多いけどね」 なんてよく喋る奴なのか。 しかも、何だかイライラする話ばかりだ。 私は上手く反論できないものの、とてもイライラした。 アカネが口を開く。 「ねえ、サワラさん」 「何かな?」 「恋愛感情って、大したことない?」 「いや、ちょっと誤解がある言い方だったね。自然の営みだから、大げさなもんじゃあないよ、と言いたかったんだ」 「でも、自分の人生の全てを賭ける価値があると思う。私」 「僕にとってはそんな価値はないなあ。まあ、人それぞれだからね」 アカネが傷ついた顔をした。 心底、サワラをぶん殴ってやりたかった。 何でそんなお前はアカネを傷つけるんだ。 でも、私はいつも何もできない。 殴ったって、何も変わりはしないんだ。 「私、帰るわ」 「そうかい?」 「ごきげんよう、サトウさん」 潤んだ目で言う彼女に、私は精一杯の応援の気持ちを込めて言った。 「ごきげんよう」 部屋に帰っても誰もいない。 最近まで、そこにヨーコが居た。 目蓋を閉じれば思い出す、彼女の笑顔。 本当に私は、どちらかを選ぶことなんて出来るのだろうか。 それはたぶん私にとっては、円周率を700桁覚えるよりも難しいだろう。 ふと机を見るとノートが置かれていた。 メモがついている。 これをサワラ・サロウに渡すように 開いてみたノートは、あの懐かしい気さえする、ヒラムラ・サカエノートだった。
黄薔薇放送局 番外編 江利子「出番! あぁ、何度言っても良い響きだわ。 しかもこの私にぴったりとしか言いようのない登場。素晴らしいわ」 令 「……お姉さま、もう二十分ほどたちますし、そろそろ本題へ……」 由乃 「(首を縦にブンブン振っている)」 江利子「もう二人とも…… ひがみじゃないわよね? でもまぁ今日お呼びする方は決まっているわよね」 乃梨子「……決まっているのですか?」 江利子「当然じゃない。もうこのお方以外にあり得ないわよ。 実際にお呼びするのが早いわよね。ではどうぞ!(指を鳴らす)」 (閃光) 由乃 「うわっ! 今日はさらにまぶしいし!」 ○○○「ジャジャ〜ン!」 令 「…………」 乃梨子「…………」 江利子「これはこれはようこそおいでくださいました♪ あなたのような方をお呼びできて私とても光栄ですわ」 エリコ「いえいえとんでもない。あなたのような身も心も素晴らしい方が主宰する、 この場に呼んで頂いて私とても感激しておりますの。こちらこそ光栄ですわ」 江利子「まぁまぁまた嬉しいことを言ってくださる。 さすがは薔薇さまの名を冠したエリコさまだけありますわ♪」 エリコ「なんのなんの、あなたさまこそ現役の薔薇さまではないですか。 その全身からあふれんばかりの気品といい、さすがは江利子さま。素敵ですわ」 …… …… 由乃 「頭イタ…… 何これ? この茶番劇はなんなのよ、ねぇ令ちゃん? ……令ちゃん?」 令 「(ふらふらっとよろめいた後に卒倒) お姉さまが一人、お姉さまが二人……」 由乃 「……気、失っているし。 情けないなぁ、もう。 乃梨子ちゃん、もうあの二人おいて帰ろうか? ……乃梨子ちゃん?」 乃梨子「……」 由乃 「? って、目開いたまま気絶してるし……(汗) ……もういいや。私だけ帰ろう。こんなの付き合ってられないし」 エリコ「あらあら由乃ちゃん、逃げるのかしら?」 江利子「まぁまぁ由乃ちゃん、退散しちゃうの?」 由乃 「……相手になっちゃだめよ、由乃。 心頭滅却すれば火もまた涼し、放置、放置……」 エリコ「なんてこと、由乃ちゃんが口もきけないくらい敗北感にうちひしがれているわ」 江利子「まぁ、大変。あの負けず嫌いの由乃ちゃんが口もきけれないほどになるなんて」 由乃 「……こらえる、こらえるのよ…… そう、犬がほえているとでも思えば……(想像中) 許せるかー!!」 エリコ「あぁ、ようやくいつもの由乃ちゃんに戻りましたわ、江利子さま」 江利子「ええ、これこそ毎度おなじみの由乃ちゃんですわね、エリコさま」 由乃 「うるさ〜い、うるさい、うるさい、うるさい〜 そのドルビー2chみたいな言い方やめてくださらないですか!」 エリコ「まぁ、おもしろいたとえ方をするのね、由乃ちゃん」 江利子「ええ、ドルビーで例えるなんてさすが、由乃ちゃん」 由乃 「ムキー!!」 エリコ「(笑)」 江利子「(笑)」 …… …… 江利子「さてさて、由乃ちゃんが爆発した所でそろそろお開きにしようかと」 エリコ「今日は本当に楽しかったわ。 作中に登場させてくださった作者さまにもお礼を述べさて頂きますわ」 江利子「あぁ、楽しかった。またお会いしましょうね♪」 エリコ「ええ、喜んで♪」 二人 「それではごきげんよう」