第6話

平成16年のトライアングル

人は暗がりの中で小さな明かりをみつけてほっとするみたいに、人に好意を持つ。
 私は、そう思う。
ミステリ研の部室に行く途中で会ったアカネは、サワラを見て、少し涙目になっていた。
 よく分からないのだけれど、ミュージシャンに会ったファンみたいな反応なのかなあ、と思ったり。
「サワラさん……ですよね?」
「そうだよ。久しぶりだね。まあ、あの時は色々あったけど、無事でよかったよね」
そうして見つめ合う二人は、何かとても非対称に思えた。
 まさしく、ミュージシャンに会うファンだ。
ミュージシャンにとっては大勢の中の一人、彼女にとっては唯一の人。
 そんな温度差を感じた。
「私、あの時から、もう一度お会いしたいって、ずっと思ってました」
「ははは、そんな大げさな。僕は君のことは考えなかったなあ」
サワラの足を全力を持って踏みつけた。
「ぐ」
「そうですよね…でもでも、また会えて嬉しいです」
「うん、僕も嬉しいよ。でも今からミステリ部に用事が…ぐ!」
再び全力で踏みつけた。
「用事は私がすませておくから、サワラはアカネと積もる話でもしなさいよ」
「君が済ませられる用事かよ。僕は仕事でって…ぶぐう!?」
見えない角度でボディブローをサワラに叩きこんだ。
「いつでも出来る用事よね」
(それでも仕事なんだから何よりも優先して行うべきだろう)
という声が聞こえた気もしたが、私が睨むとサワラは頷いた。
「よし、アカネちゃん、二人でどこかに行こう」
「え?いいんですか?ご迷惑じゃ」
「うん迷…いや、サトウさん睨まないで、ここで会ったのも、運命だって言いたくてね。僕はこの運命を大切にしたいな」
二人が退場していく。
 メールを見たら、ミステリ部の様子を見ておくようにサワラからメールが入っていた。
やれやれ、私は部室に向う。

ヨーコを連れてくれば良かった。
 ヨーコは祈祷師に会えたことを、病院にいる友達に報告にいったらしい。
だからアカネもサワラもヨーコもいない状態で、現場は封鎖されたので、急慮部員が集合している仮のミステリ部室に私は居る。
「あれは完全密室なのよ!現実に!今!この大学で!密室殺人が行われたのよ!この謎に参加しないで何がミステリ部なのよ!鍵がかかった部屋、犯人はどうやったのかしら!!」
大学の部室のちゃちぃ鍵なんか、どうにでもなりそうだが。
 部長の興奮ぶりは少し不愉快だった。
部員が言う。
「ピッキングの可能性は?」
「そうやって無理に開けたら跡が残るわ」
そんな断言するけど、ほんとに跡なんか残るかなあ?
「でも、跡が残ってるかもしれないじゃないですか」
「それなら今から調べにいきましょうか?それに、鑑識は何も言ってないわ」
鑑識があなたに何も言わないのは当たり前です。
「サワラさんの報告に、鍵の跡がなかった以上、密室と考えるのが自然でしょう」
いいえ、不自然です。
 でも、サワラって名を出したときの不愉快な表情が少し面白い。
まあ、そりゃ嫌いになるよな。あそこまで言われたら。
「じゃあ、犯人はどうやって鍵を?」
「そうね、鍵はモリムラ教授が保管していたのだし、難しいわね」
「そもそも、何故犯人は密室を作ったんでしょう?」
そこから、ミステリの密室談義がはじまる。
 凄く不愉快な気分になってきた。
自分達の部員が死んだんだぞ?
 つい最近まで、一緒に笑ったりしてきたんだろう?
何でお祭り騒ぎしてるんだ?
 何を、事件に『参加』して『当事者』になろうとしてるんだ?
読者参加企画のhpぐらいにしか、こいつらは殺人事件を思っていない。
 私はそれをぼんやりと眺めていた。
そうやって、殺人事件に参加して、彼らは何を得られるんだろう。
 私は…何をすべきなのか。
かなりの時間が無為に過ぎた。
 砂時計を眺めては再び引っくり返すような時間が、私の心に空白を作る。
何十回目かの同じ疑問が聞こえた時だった。

「どうして犯人は部屋に鍵をかけたのかしら?」

大音量のボーイソプラノが響く。
「そりゃあお前が鍵をかけたからだっ!!」
バアンとドアを開いたサワラはまさしく陳腐な名探偵みたいだった。
 アカネがその助手のように後に続く。
指を指された部長が露骨にうろたえた。
「な、何を」
部長の肩を掴んでサワラが外へ出て行く。アカネもついていく。
「話は裏で聞こう」
サワラが出て行った。
 あ、ぼうっとして見送ってしまった。
私も急いで続く。

 人の来ない校舎の陰で、サワラは完全に、あの時と同じようにヤクザになっていた。
「私が鍵をかけたっていう証拠は」という実にミステリっぽいセリフを吐いた部長の腹をサワラが蹴り上げた。
「俺も遊びできてんちゃうねん。証拠とかそんなグダグダしたもんはいらん。いいか、一つだけ聞くぞ、ノートはどうした」
「知らな…」
私は目を背けた。
 サワラは、あの時よりは温和だが、確実な暴力の匂いを発散している。
嫌な音が聞こえた。
「なあ、若いから、顔とか滅茶苦茶にされんの嫌やろ。事務所に来てもらってもええねん。ただ、そっちのことを考えてここにしとんねん。大声とか出したら、お前は後日AVデビューや、裏のな」
嘘には聞こえない、というのがポイントなのだ。脅しではなくこんなことを言われたら、震え上がるに決まってる。現に部長は震えていた。
「お前、鍵はかけたな」
「は、ぅぐ、はい」
部長が泣いている。
「なんでかけた」
「密室…密室なんてありえないって…言われたから」
「ああん、なるほどなあ、それで自分で密室にしたんか。モリムラのとこの鍵を持ち出して。まあ、鍵なんぞどうでもいいわ。それでノートは」
「し、ひっ、知りません」
「知らんですむかいこらぁ!!」
凄まじい迫力だった。声こそ小さくしてるが、リリアン生で震え上がらない者はいないだろう。
「鍵かけた癖にノート知りませんだぁ?おいおいお嬢ちゃん、ガキの使いちゃうぞこら、死体の第一発見者の癖に、それ隠すような奴の『知りません』なんぞ、信用できん、なぁ!」
また、嫌な音。
「わしの言うこと間違ってるか、なぁ?疑われて当然ちゃうの?なあ?鍵かけてたこと隠す奴なんか信用できへんで、なあ?ちゃう?わしは言うならば裏切られたんよ、警察の情報まで教えたのに、なぁ?」
「ひっ、ぅぅ、ひっ」
「なんとかいわんかいこらぁ!!」
嫌な音。
「わしもその世界じゃ大物よ、右にもおかん扱いよ。菱も瓢箪も、わしが行ったらもう王様扱いよ。君、ちょっとおかしいんちゃう?わしに隠す態度が。事務所行こか」
サワラが肩を掴む。
「それじゃあ、最後に聞くで、これにはしっかり答えてもらわんと。『ノートはどこだ』」
部長が泣きながら答えた。
「知りません」
と。

私達三人は近くの喫茶店で、食事をした。
 余り食欲はなかった。
確かに私も部長は好きではなかった。でも、サワラのやり方は反吐が出る。
こいつは最低だ。
「サトウさん、怒っているね」
「いいえ」
「あれが僕らの方針なんだ」
「分かってる」
「言いたくはないけど、仕事というのは、そんな綺麗にばかりはできないものじゃないかな」
「分かってるって言ってるだろ」
こいつとそんな話をしたい気分ではなかった。
アカネがオロオロしてる。ごめんね。
 でも、アカネ、あんなサワラの姿を見て、何も思わないの?
「サトウさん、サロウさんに失礼だよ。サロウさんだって、喜んでやってる訳じゃないよ」
うお!弁護しやがってる!
「サロウさんは、私の時だって、ああいうことが出来るから、私を助けられたんだよ。私は、サロウさんが辛いのも、分かるから」
「いやいや、オトカワさん、別にそんな弁護しなくていいよ。まあ、楽しい話でもしよう、昨日、このサトウという女はね」
サワラが楽しそうに昨日の玉葱づくしのエピソードを話す。
 全く、いい気なものだ。
「それにしても、何で部長が鍵をかけたって分かったの?」
「勘。部室を密室にして喜ぶのはあいつだけだ。ピッキングなんてする価値はないし、モリムラのところに鍵があるのを知ってるのは部員だけだからね。まあ、僕はああいうのを見抜くのは得意でね」
「本当に、部長は鍵をかけたの?あんたが脅して無理やり言わせたんじゃないの?」
「そうかもね。まあ、どうでもいいよ。サトウさんには分からないかも知れないけど、部長は嘘は言ってない。鍵もかけてるね」
「ふうん」
「他人の事件を通して、自分を主張するなんて、本当に下らない。彼らとは基本的に無関係な事件なのに、あの事件を通して私語りとは恐れ入る」
「なんのこと?」
「あの事件を、彼らは自己表現の場にしたってことだよ。不愉快なことにね」
やはり、サワラはミステリ部とはとことん肌が合わないようだ。
「でも、結局ノートは見つからないし、骨折り損ね」
「まあね」
「犯人が持っていったとか」
「その場合は犯人を締め上げなきゃな」
そろそろ、二人きりにしてあげるか。
 私はそう思って席を立った。
「私、ちょっと帰るから、サワラはアカネともう少しゆっくりしていってね」
「ん?それなら僕も」
睨みつけた。
「何でもない」
私が喫茶店を出ると、ケイが立っていた。
「セイ、心配したのよ。警察に行ったって」
ああ、そうだ。ケイが心配しないわけはなかった。
 しかし何より恐ろしいのは、私がケイのことを忘れていたという事実だ。
「ごめん」
だから素直に謝った。
ケイは困ったように笑う。それは秋の風のような、寂しげで涼しげな笑いだった。
「ねえ、セイ、今日、あなたのところに泊まっていい?」
もちろんだよ、と言いかけた。
 そこで気づく。
今日も、ヨーコは泊まるのだ。
「でも、友達が泊まってて」
「…あら?会いたいって言ったわよ?許可とってくれたでしょ?」
ケイの声のトーンが変わった。秋風なんて悠長なものではない、静かだが迫力あるそのトーンは、まさしく嵐の前の静けさだった。
「もちろん」
私は大げさに力を込めて言う。
「そう、じゃあ行きましょう」
私はケイと共に私の部屋に向う。
 それは嵐の渦の中へ飛び込むような、心底絶望的な歩みだった。

沈黙は重力を持つ、と私は思う。
 その重さは時と場合によるが、いまこの部屋の重力はまさしくブラックホールと言えた。
これほどの重い沈黙を、私は知らない。
「はじめましてケイさん、セイとは『高校時代からの長い知り合い』です。ミズノ・ヨーコといいます」
「ああ、はじめましてヨーコさん、セイとは『いま仲良くさせてもらっています』。カトウ・ケイと申します」
何故だろう、普通のセリフなのに異様な切れ味がある、たぶんダイヤモンドだって切断できるだろう。
 何気ない普通の会話をしているのに、私は胃液が逆流しそうだ。
0.1秒単位の沈黙ですら、重力崩壊を起こしそうなぐらいに重い。
 ああ、煙草吸いてえ。
ヨーコと夜の街へ逃げ出したときでさえ、煙草を吸いたいとは思わなかったのに。
 煙草が吸いたくなるのは本気のピンチの証だと、私は勝手に思っている。
「ええ、ヨーコさん法学部なんですか?凄いですね」
「いえ、全然たいしたことなんかないですよ」
マジで勘弁してほしい。
 なんというか、本当に上辺だけの会話だ、二人とも長い付き合いだから分かる。
「ちょっとトイレ」
と言って私は逃げ出した。トイレで煙草に火をつける。
 深く吸い込む。
立ち上っていく煙をぼんやり眺めた。
 落ち着け。
頑張れ私。
 いま、耐えられない空気だったから思わず逃げ出したけれど、問題は何も解決していない。その癖、このままトイレで嵐が過ぎ去るのを待てたら、どんなにいいだろうなんて思っている。
 それでは余りに無責任だし不自然だし失礼だ。
逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ。
 そんな小ネタで遊んでいる場合ではない。
さあ、行け!
 トイレから出ると、凄い早足でケイが玄関へ向うのが見えた。
「ちょっとケイ!どうし…」
振り返ったケイの顔を見て絶句した。
 涙目のケイは、胸の中が真っ暗になるような怒りの表情をしていたから。
ケイが乱暴にドアを開けて出て行く。
「ケイ!!」
追いかけようとした私の袖を誰かが掴んだ。
「ヨーコ…」
「セイのことが好きなのかって、聞かれたわ」
その言葉がずしりと私の胸に響いた。胸が、痛い。
 いやだ。
その答えは聞きたくない。
「私、セイのことが好き」
ああ、聞いてしまった。
 とうとう、ヨーコの気持ちを知ってしまった。
本人の口から。
 私はずっと、それから逃げ出そうとしていたのに。
そして、その卑怯さの結果がこれだ。
私を好きなヨーコが私のところにずっと泊まっているのを知って、ケイは怒って、悲しんだ。
 当然じゃないか?
私なら絶望する。
 だから私は次のヨーコの質問に答える資格なんてなかった。その事務的だけど温かい知的な声でヨーコはこう言うのだ。今度は素面で。
「私とケイさん、どっちを選ぶの?」と。
そして答える資格のない私は走って部屋から逃げ出すのだ。玄関を抜け、靴のかかとを踏みながら、それでも全力で走って逃げるのだ。
 行く当てなんてどこにもなかった。
本当に、どこにもなかった。


 
黄薔薇放送局 番外編

江利子「きた来たキタきた、キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
	ついに来たわ。 こういう展開を待っていたのよ、私は!!」
乃梨子「今日はまたとばしておられますね、黄薔薇さま」
江利子「だってワクワクしてこない、乃梨子ちゃん?
	そう言うわけで、今日のゲストは当然その片割れ。 うりゃ!!」
(盛大な音、白煙とともに人影が)
○○○「っっう! (頭を抱えながら)何なのよ一体!」
江利子「いらっしゃい〜♪」
乃梨子「(これは聞いていなければ唖然とするよなぁ……)」
ヨーコ「あなた、エリコ! ここはどこよ!? おまけになんで制服なんか着ているのよ?
	って、セイが言っていたのってこれのことね! てっきり冗談だと思っていたのに……」
江利子「あら、セイから聞いていたの。なら、話が早くて助かるわ〜♪
	早速だけど、泥沼の三角関係に入ったことへの感想でも聞かせてくれないかしら?」
ヨーコ「いきなりそれ? 突然ね……
	……ええ、私はセイのことが好きよ。今も昔もずっとね」
江利子「おお、言い切ったわねぇ。自信のほどは?」
ヨーコ「……セイ次第じゃない?」
江利子「……言い切った割に弱気ねぇ。もっと押さないの?」
ヨーコ「……できると思う?」
江利子「さてさて、それは私の口からは何とも。
	まぁ、無事片づいてセイも少しは大人になったら三人でどこかに行きましょうか」
ヨーコ「それはいいかもね(クスッ)」
江利子「まぁ、私はここからゆっくり見せてもらうけど、ヨーコの武運を祈っててあげるわ」
ヨーコ「応援してくれるの?」
江利子「友達だしね〜」

……
……

江利子「こんなところね、お疲れ様。また話の終わり頃にでも会いましょう」
ヨーコ「ええ、またね(微笑み)」
(白煙と音)
江利子「……あぁ、もうちょっとからかってやろうと思ったのだけど。
	どうにもあのヨーコといると見透かされているようで困りものね」
乃梨子「話に入っていけませんでした……」
江利子「まぁ、この話のヨーコはただでさえ大学生。
	おまけにつらい恋をしている設定つきだからねぇ。ちょっと濃かったわね」
乃梨子「黄薔薇さま、いつもと雰囲気が違いましたね」
江利子「今回オチがなかったしねー。……どうにも『らしく』ないわね。
	やっぱり令と由乃ちゃんでも一緒に呼んでおけば良かったかしら?」
乃梨子「呼ぶと変わるのですか?」
江利子「そりゃ、三角関係をネタに由乃ちゃんを可愛がりまくって、
	それにオロオロする令を眺めてさらに楽しみ、一粒で二度おいしく頂くわけよ。
	あぁ、そうだ! 探偵ごっこまでして、おもいっきり外したことも材料になったかも」
乃梨子「(……良かったですね、令さま、由乃さま)」
江利子「う〜ん、なんだか気分が乗らないわねぇ……」
乃梨子「実に今後が気になる所で終わっておりますが、
	続きを早く読むためにも隠上さまに感想を送って差し上げてくださいね」
江利子「う〜ん……」
乃梨子「それではみなさまごきげんよう」


江利子「あぁ、そうか! 乃梨子ちゃんに代わりに相手になってもらえば!
	アレ、乃梨子ちゃん? どこにいったの〜? お〜い、乃梨子ちゃん〜