次の日の朝、ヨーコが朝食を作ってくれた。 マッシュポテトとレタスとトマトのサラダに、鰯のフライ、豆腐とわかめの味噌汁、きゅうりと蛸の酢の物だった。 朝食にしてはやや不自然な印象があったが、わざわざ作ってくれたものに文句を言う筋合いはない。そもそも、こんなものを手際よく作れる時点で尊敬に値する。 たとえこれを食べたらドクターペッパーの味がしたとしても文句は言わない。 私は自分の信念として、親しい人間が自分の為に作ってくれたものには文句を言わないことにしている。 「ヨ〜コ〜、味噌汁しょっぱくな〜い?困るな〜、『ヨーコさん、あなた、私を高血圧にして殺す気ですか?』いじわる姑風」 さっきの信念は聞かなかったことにして頂きたい。 ヨーコは無言で紅薔薇チョップを私に見舞った。憎々しげな「死ね」というセリフが聞こえた気もする。 「作ってもらって文句言うな」 「すいません」 たぶん、ヨーコは意地悪な姑なぞものともしないだろう、というか、むしろヨーコが意地悪な姑。 「なにか失礼なこと考えてない?」 「気のせいだね。それよりさ、あのノート、ちょっと預けてくんない?今日は、その子のところに行くだけでしょ?」 「いいけど、なにする気?」 「こんな面白いアイテム、大学で見せびらかすに決まってるじゃない」 「エリコの生き霊が乗り移ってるわよ」 「エリコ?誰それ?」 う〜ん、思いだせんなあ。 「トリイ・エリコ、知らない訳ないでしょ!」 「ああ、デコ山デコ子のことか」 「なに勝手に名前変えてるのよ!」 「でも、トリイ・エリコって偽名ですよ?」 「勝手に偽名にするな!」 今日、二発目の紅薔薇チョップだった。 私は爽やかな首の痛みと共に大学に向かった。 大学に行くと、最初に、もっとも親しくしている人間と話す可能性が高い。 一番親しい人間に優先的に挨拶するし、色んな出来事を話す、みんなそうでしょう? だから、まず、ケイと話すことになる。 ケイと顔を合わせた瞬間、なにか、変な感覚があった。 なんというのだろうか、この後ろめたさは。 昨日、私は確かにケイを裏切った。 ケイと別れて、蓉子と付き合う未来について考えた。 それは、とんでもない裏切りではないだろうか。 だから、私はケイにこんな後ろめたさを感じるのだ。 しかも、家に帰れば蓉子がいる状態だ。 「おはよう、ケイ」 「おはよう。ねえ、セイ、なにかあったの?何だか元気がないけど」 「大したことじゃないよ」 続けて、『高校時代の友達が家に泊まっているんだ、それで夜遅くまで話し込んで寝不足なのさ』と言うつもりだった。 それほど嘘ではない。 しかし、喉はまるで砂漠に一日中いたみたいにカラカラになったし、言おうと思ったセリフは虫の羽音よりも小さく、モゴモゴとした音になりそうだった。 落ち着け。 そう言う以外に、この状態をまとめる方法はない。 何もかも正直に言うのが素晴らしいことだろうか? 昔好きだった子が昨日泊まりに来てドキドキしたよ、今でも好きな気持ちが残ってることに気付いて、ケイと別れて付き合ったらどうなるだろうと考えちゃったよハッハッハッ、とでも言うのか? そんなことは絶対に絶対に不可能だ。 私は意を決した。 「高校時代の友達が家に泊まっているんだ、それで夜遅くまで話し込んで寝不足なのさ」 「へえ、会ってみたいわね」 「………」 私は絶句した。 ケイは、そんな初対面の人間に会いたがるタイプではなかった筈。 なんだと? なんと言ったケイ? ケイと蓉子と私で、一緒の部屋にいるところを想像してみた。 それは新手の拷問としか思えない、想像することすら苦痛な時間だった。 「ケイ、知らない人だよ」 「あら、いいじゃない、知り合いが増えることは」 それが大学に来て本読んでる奴が言う台詞か! どう考えても、ケイは私に疑念を抱いてるとしか思えない。しかし、疑念を抱かれても仕方ない人間だった、私は。 「人見知りする子だから、ちょっと聞いてみるよ、ケイに会うかどうか」 私は是が非でも問題を保留にし、うやむやにしたかった。 「じゃあ、明日までに聞いてきてね」 ケイはにっこりと笑う。 どう考えても確信犯だった。 私がケイと別の授業の教室に向かっていると、後ろから背中を叩かれた。 「さ〜とうさん!押忍!」 「どうも」 「押忍って答えなきゃ駄目じゃない」 この子は、オトカワ・アカネと言う。 「元気だねあんた、いつもいつも」 「いつもじゃないよ〜、つい最近元気なかったよ。具体的には父親が行方不明になったとき」 そういうブラックなことをサラリと言う、この子はそういう子だ。 前から親しかったのだが、最近、彼女の父親が行方不明になり(しかし、凄い状況だ)、私は全く馬鹿馬鹿しいとしか言いようがないが、彼女の父親の救出に一役かってしまったのだ。 それ以来、ますます彼女は私になついている。 「私、今から嫌な授業なんだけど」 「私もそうだよ?仲間仲間」 「だったらなんでそんな元気なんだよ」 「元気はつらつ、オロナミンc」 「いや、意味がわからん」 「言ってみたかっただけ、それでね、あの時に、私を助けてくれた占い師さんのこと、調べてくれた?」 なにがそれでね、なのか全く分からないが、確かに、彼女からそういう用件を承っていた。 もう思い出したくもないような事情で、実に変な、占い師を名乗る怪しい男と一緒に、私は彼女のお父さんを助けたのだ。 そして、全く驚くべきことに、もう発狂しているとしか思えないのだが、アカネちゃんはその占い師にラブ、なんだそうな。 占いを依頼したお母さんに聞いても話にならない状態なので、あの時、長時間行動を共にした私なら、彼と連絡を取れる方法を探せるのではないか、と思ったらしい。 迷惑極まりない。 「分かる訳ないじゃん。っていうか私、調べなきゃいけない?」 「いけないよ〜。サトウさん、私の恋を応援してくれないの?」 「いやだって、応援できないでしょ普通。あいつ、今思えばヤクザとしか思えないんだけど」 「違うよ、占い師さんだよ、本人そう言ってたし、それにヤクザならヤクザで、それはそれでいい、萌え」 「いいのか?本当にいいのか?よく考えろ、正気を取り戻せ」 「正気だよ」 何故か、一瞬、彼女はとても真剣な目をした。 ちょっとドキっとしながら、私は言う。 「どっちにしろ、私じゃあいつの影さえ見れないわよ」 それは事実だった。 完全にあいつの正体は不明だった。 「サトウさんでも無理か、残念。でも、いつかまた会えるわ」 その確信はどこから来るのだろうか。 しかし、あいつを彼氏にしたいという感覚は、全くわからん。 そいつは、まるっきり美少女中学生の見た目なのだ。 アカネちゃんは充分に可愛い子ではあったが、なんというか、一般的には、あいつと並んだとき、どちらがより可愛いかについて問題がある。 ぶっちゃけ、あんたよりあいつの方が可愛いじゃん。 そんな奴を彼氏にして並んで楽しいか? まあ、彼氏なんか全く必要ではない私が考えても、仕方のないことではあるが。 ストックホルム症候群の疑いが…まあいい。 「あ、それじゃあサトウさん、代わりに、講義が終わったら一緒にミステリ研に来てよ」 「なにが、代わりに、なの?」 「調べてくれなかったから、その代わり」 「いや、別にそんな約束してないし」 「私、サトウさんの話を、ミステリ研の子にしちゃったの。私、その子と親しかったからミステリ研に入ったんだけど、入ったこと自体忘れてたのよ。いま、ミステリ研がサトウさんの話で持ちきりになっちゃったんだって」 「待て、お前何を話した」 「私とお父さんを助けてくれたこと」 「喋んなよそんなこと!」 まったく、なんということを… 「え、ミステリ嫌い?」 「いや、ミステリ自体は結構好きだけど、あんたわざと論点をずらして、自分の話に誘導してるでしょ、さっきから」 「ククク、それが権謀術数というものよ、アキャキャキャキャキャ」 「死んでしまえ」 「お願い、もう引っ込みつかないから、来て、ね?」 彼女が必死の目で私を見る。 何故か、こういうとき、私はユミちゃんを思い出す。 彼女とユミちゃんは全く全然完膚無きまでに違うのに、どこか似ている気がする。 それがどこなのかは、今もって分からないが。 「分かった、いいよ、ミステリ研、うかがわさせてもらいます」 「わーい!やったあ!」 彼女が本当に嬉しそうにはしゃぐ。 こういう、何だかんだ言って根本で素直というかなんというか、そういうところをユミちゃんに重ね合わせているんだろうか。 とにかく、私はミステリ研に行くことになってしまった。 全ての講義が終わり、生協に行くとアカネが待っていた。 「あ、サトウさ〜ん、こっちこっち」 「そんな大声出さなくても分かるから、っていうかお願いだから人混みで大声ださないで」 「あ、ごめんごめん、それじゃ、行きましょう」 少し不安な気持ちになった。 全く知らない連中に会う、というのは結構神経を使う。 しかも、変な予備情報を彼女達はもっているだろう。 「私、ミステリ研ほとんど行ってなくて。活動としては、作品書いたりしてるんだって」 「へえ、そりゃ凄い」 「でね、ミキちゃんが言うには、プロのミステリ作家の多くが、京都大学のミステリ研から出ていて、そういうのを目指してるんだって。私、読むのが専門だから行きにくいの」 「だからさぼってた訳か」 「だって、名前だけでいいって言われたし」 作家志望のアマチュア集団か、嫌な予感がする。 私の話をモデルにしたいとかいう話なら、死んでも断らねば。 ミステリ研の溜まり場が見えてきた。 まず、始めに、私は決して批評家ではないし、作品を読むのに厳しい目を持つとか、そういう訳ではないのを断っておきたい。 しかし、目を輝かせながら、私の話を読んで下さい、と言われる状況は、精神衛生上よくない。 まして、その内容が… 読まされた作品を五段階で評価したとしよう。 五段階の内訳は、素晴らしい、良い、普通、悪い、アミーゴ、の五段階で、読んだ作品は間違いなくアミーゴに分類される。 読み終えたら叫びだしたくなる程だ。 「アミーゴ」 「なに?サトウさん?」 「いや、何でもない。とても面白かったよ」 「どの辺が面白かった?主人公のキャラはどう?探偵のキャラをたたせるために大分考えたのよ。ほら、推理シーンだけじゃなくて、探偵が自分の考えをたくさん述べるでしょう?」 「ええ、そうね」 「恋愛というのは所有欲に近い、そういう愚劣な欲望を崇拝するような習慣は悪い影響しか与えない、とか」 そういう未消化な主張が山ほど出てくるから、哀れなくらい探偵が馬鹿に見える、という点は指摘しないことにした。 そんなことをしたら、その思想について討論することになる。そんな面倒くさいことは死んでもごめんだった。 まあ、死ぬくらいなら討論するけど。 「いいんじゃないかしら」 「でしょ、人を殺すのに意味はない、社会が意味をねつ造するだけで、動機は存在しない」 「結構なことね」 「無意味なことは人間だけが出来ることで、それが芸術をうみ、無意味なことこそが人間らしさであり、無意味な殺人は芸術的行為ということができる。まあ、殺人は決して認めないものの、それは素晴らしい行為だ」 「はあ、まあ、いいんじゃない」 とりあえずやり過ごして終わりたい。 この、自称作家は、あれ、名前思い出せない。 アカネちゃんに、何人か紹介してもらったが、名前を思い出せなかった。いま、私に自分の恥部のような作品について熱弁してるのが部長らしい。 「ここでは、みんなが作品を書いてるのかしら」 みなが頷く。と同時に別の人の作品を読む羽目になった。 大体が、普通か、悪い、ぐらいだった。 一人だけ、何故か私に作品を見せない子がいた。 私は興味をひかれた、読んだら面白くない可能性は高かったが、今更、面白くない作品の一つや二つ読んだってもう、ビクともしない。もう麻痺するくらい読んだのだ。 「あなたのは?」 「え、お目汚しですから」 「見せて」 彼女はおずおずと自分の作品を差し出した。 それは、素晴らしい作品だった。 感動したし、切ない気分にもなった。 表現は繊細で、描写は緻密だった。どこか儚げで、何かを常に諦めざるを得ないような切ない感覚に溢れている。何故か江国香織を思い出させた。 しかし、致命点な欠点が一つある。 それは、ミステリではなかった。 無理矢理、ミステリ要素を入れているのが分かってしまうのだ。 恋愛小説にでもしてしまえばいいのに。 「素晴らしいじゃない!」 「え、でも」 「なんでミステリなの?こんなの、いらないじゃない」 一瞬、部屋の温度が下がった気がした。 そうか、ここはミステリ至上主義者の場所だった。 きっと、彼女は苦労してるんだろうな。 「それで、サトウさん、本題なんだけど」 と部長が言う。 「なにかしら」 「ミステリ研に入ってくれない」 「断る」 「じゃあ、せめて、あなたの体験をモデルにした小説を書かせて」 私は部長を無視し、さっきの子を見た。 「あなた、なんて名前?」 本当はもう聞いている筈だが、覚えてなかった。 「フジムラ・ミヤコ」 「ミヤコさんが書くなら、いいよ、他の人は駄目」 「何故!」 部長が憤慨した。 「理由はないわ。無意味なことが素晴らしいんでしょ。とにかく、他の人が書いたら、それなりの報復をさせてもらうから」 「待って下さい!」 ミヤコちゃんが私を見る。 「困ります…」 「ミステリにこだわらなくていいよ。あなたに書いてもらえるなら、それが一番だと思うし」 「でも…」 「書いても、書かなくてもどっちでもいいよ。私は、書くならあなたしか駄目、と言っただけ、それじゃ」 私は逃げるように部室を出る。アカネがついてきた。 しばらく無言で歩き、充分離れた、と思ったらアカネが言った。 「部長のあれ、もう犯罪だよね」 「まあね」 「読まされる人間の身になってよ、って感じ」 「あんた相変わらず黒いなあ」 「だって、部長は人間としても評判悪いもん、だからわたし幽霊部員」 「コメントは差し控えさせてもらいます」 アカネは、私に部長の評判を幾つか教えてくれたが、どうでもいいことだ。 「でね、サトウさんが最後に指名した子いるでしょ、フジムラさん」 「ああ、いたね」 「あの子、幼稚舎からの親友に連れられてミステリ研に入ったの、ほら、あの、背の高い子」 どの背の高い子か、まったく分からなかった。 「どう考えても、フジムラさんが一番うまいのに…うまかったよね?」 「異議なし」 「ミステリ研では評価はあんまりなんだって」 「不思議ね…部長のって、部員は評価してるの?」 「さあ、あんまり詳しくないし、興味ないから…でも、フジムラさんちょっと可哀想よね。普通の文芸サークルとかに入れば良かったのに。いくら親友に言われてからって、見誤ってるよ」 一つの些細な共同体の、どうでもいい噂話。 あまり、私には関係ない。 でも、もしもミヤコちゃんがあの事件を書いたら、どんな風になるんだろうか。 シオリと私みたいな物語だった、いばらの森を思い出す。 私はあれから、どこかに辿り着けているだろうか、と思った。
黄薔薇放送局 番外編 江利子「♪〜♪」 由乃 「……」 令 「……」 乃梨子「……」 由乃 「(ちょっと、黄薔薇さまおかしくない?)」 乃梨子「(怒りのあまりお気が……?)」 由乃 「(ちょっと令ちゃん話しかけてみてよ)」 令 「(勘弁してよ!)」 由乃 「(令ちゃんのお姉さまでしょうが! それに私のお姉さまでもあるんだから。 可愛い妹の頼みが聞けないって言うの!!)」 令 「(由乃はずるい。 こういう時だけ姉呼ばわりして!)」 由乃 「(いいからとっとと行け!)←令を蹴飛ばす」 令 「わわっ!」 江利子「あら、令。 遅かったじゃない」 令 「も、も、もも……」 江利子「なに? 桃でも食べたいの? ここの管理人からもらった桃缶でもあげましょうか?」 令 「ありがとうございます、っではなくてお姉さま何か良いことでもあったのですか?」 江利子「わかるぅ〜? あの百合外人のことなんて頭からすっ飛ぶくらいよ。 ええ、今度会った時に成層圏まで吹っ飛ばしてやればそれで良いくらいだわ」 令 「(滝汗)」 江利子「ね、ね、ききたい、聞きたい?」 令 「い、一体何があったのですか?」 江利子「そう、聞きたいのね。 では教えてあげましょう」 祝! 主役!←アニメ7月11日放送分参照 江利子「……ついに! ついに我が世の春が来たわ!」 江利子「アニメですら出番を取られ虐げられ……長い道のりだった。 だけど、とうとうお天道様の下を堂々と歩ける日が来たのよ!」 令 「は、はぁ……」 二人 「おめでとうございます!」 江利子「あら、由乃ちゃんに乃梨子ちゃん。 ありがとう♪」 由乃 「(いつの間にか花束を持ってきている)これは私たちからの気持ちです」 江利子「まぁ♪ 二人とも気が聞くわねぇ…… それに比べて……(令を見ながらため息)」 令 「(よ、よしのぉぉ 図ったわねぇ〜)」 由乃 「(ごめんね令ちゃん、世の中は厳しく無情なものなの)」 江利子「……さて、気が利かない妹は放っておくとして。 どこかでおいしいものでも食べていきましょうか。 もちろん私のおごりよ♪」 由乃 「ありがとうございます♪」 乃梨子「お相伴にあずかります」 江利子「令、あなたはここの後かたづけをしておくこと。 分かったわね。 そうそうあと作者さん、あんまりおいたすると…… 改造しちゃうわよ♪」 三人 「(本当にできそうな所が恐ろしい……)」 江利子「さぁ、行きましょ♪」