『月曜日についての考察、あるいは佐藤聖の自主休講について』 全ての月曜日は憂鬱である、と述べたのは誰だったろうか、と私は思った。 何人かの人物に見当をつけてみたが、とても言いそうにない人物ばかりが浮かぶ、一番言いそうにない候補は塩川財務大臣だった。あるいは述べたのは私かもしれない。 とりあえず私は、月曜日が憂鬱であるのは真実だと判断して自主休講し、昼過ぎに起きて電車を乗り継いだ。 目的の駅にはまだ三駅ほどある。 彼女からの手紙が届いたのは先週の木曜だった。 彼女は私の高校時代の後輩で、どちらかと言えば私の信奉者と呼ぶのが近かった。 信じられないかも知れないが、高校時代の私には信奉者と呼ぶしかない人達がいて、彼女はその一人だった。その信仰心はチョコエッグのおまけを家宝にするぐらい滑稽な行為だったが、私よりはチョコエッグのおまけの方が価値があるかも知れない、と思った。 目的の駅から降りて改札を出ると、遠くに建設中の大きなマンションが見える。 駅前のゴミゴミした商店街から見ると、それは突然空から降ってきたみたいに周囲から浮いていた。 彼女の借りているアパートは、そのマンションの傍だという。 車道しか歩くしかないくらい歩道は狭く、路上駐車の車も多かった。私はほんのすぐ傍を通る車を警戒しながら歩かざるをえなかった。 彼女からの手紙は長く、内容は多岐にわたっていたが、要点は三つだった。 つまり、私は職場で浮いている、私は職場が嫌いで退職したい、あなた以外に相談したくない、の三点だった。 なぜよりによって私なのか、彼女の手紙を論理的に見れば全く分からなかったが、それはより正確に言うと、論理的に見れば彼女の手紙の全てはまったく訳が分からなかった。 ただ、彼女の感情を読み取るよう努力すれば(それは実際、とても骨の折れる作業だったが)彼女が私を未だに信奉していて、彼女は私がマリア様のように彼女を救えると信じているのは分かった。 その手紙を読んだ時の感情を率直に言えば、ドクターペッパーを飲んだ時の気分に似ていた、それは類人猿と人間程度の類似具合だけれど。 ただ私は、彼女のどうしようもない程の必死さに、仕方ないし暇だから行ってみようと思った。私はどうしようもなく暇だったし、大学に行くよりはスリリングだ。 いくらか進んだ所に小さなアパートがあり、彼女は二階の部屋に居ると聞いていたので、私がインターフォンを鳴らすと、ドミノが倒れるようなパタパタという音が聞こえた。 「はい?」 「ええと、佐藤です」 私は少し緊張したが、ドアを出てきた彼女は、感激で気絶しちゃうという主張を表情にくっつけていた。 「来てくれたんですね白薔薇さま!」 私はその呼び方に少し恥ずかしさを覚えた。あなたがもし、私の高校の出身者でなく、あだ名に白薔薇さまなどとつけられたら羞恥心を覚えないだろうか?ただ、私はその羞恥心の中に、ある懐かしさを覚えていた。 「ええ、暇だったんで来てみたの、私に相談したいと書いてあったし」 「でも、本当に来てくれるなんて…」 それは私も驚いているぐらいだ。何故わざわざ来なければならなかったのか?もし、今日の講義にひとつでも好きなものがあれば、こうはならなかっただろう。 それから部屋に招かれた私は彼女の悩みを聞いた。 彼女は、相当な私の信奉者であることを強く感じた。 彼女の主張を要約すれば、私は職場が大嫌い、となる。 「飲み会に無理矢理、無理矢理ですよ!?無理矢理参加させられるんです!そこではずっと説教みたいな話を聞かされるし、下ネタを言うオッサンまでいるんです!だから私は出来る限り飲み会を断るようにしてるのに、それを協調性がないみたいに…直接は言ってこないんですけど、そういう空気なんですよ!仕方がないから、誘われた時には、まえまえから日時を指定してもらえば行くと答えて、当日に言われた時は参加しないようにしたんですけど、それも駄目だって」 私は、彼女を飲みに誘って断られるシーンを想像してみた。「今日、飲みにいかない?」 「前もって予約してください」、リゾートホテルみたいだな、と思った。 大学生の、同世代との飲み会とは、やはり違うのだろうな、とは思う。 「周りの人達は本当につまらない人達ばっかりで、全然私の気持ちなんて分かってくれないんです。私に、お前辞めろとか言う人までいるんですよ!お前なんかいらんとか…」 彼女は、きっと繊細なんだろう。 高校時代、彼女は夢見る少女だった。親が無理して入学させたお嬢様学校、彼女は夢見るままに卒業して、苦しい家計は彼女を就職させた。そして女子高あがりの彼女が中年の人々に受け入れられないのは、彼女自身が中年の男を受け入れられないからだろう、と私は思った。 それはちょうど、掃除当番で誰よりも速く窓を拭いて、誰も窓拭きを手伝ってくれないと責め立てるような感じに似ていた。 「大丈夫、きっと時間が解決してくれるわ」 もっと気の利いたセリフを探したが、見つけられなかった。しかしそのような、実に凡庸な言葉でも彼女はみるみる目を輝かせて、そして泣いた。 彼女がどれくらい追い詰められていたか、私は知らなかったけど、それを感じることだけはできた。 泣きやんで落ち着いた彼女に、うまくかける言葉も見つからなかったので、私は熊の話をした。 「知り合いの女の子に、熊のぬいぐるみを大切にする女の子がいてね。子供の頃は、それはもうずっと肌身離さずもっていたんだって。でも小学校にあがって、熊のぬいぐるみを持ってきてはいけないって先生や親に言われて、彼女は熊を捨てに家からは 少し遠いゴミ捨て場に行ったんだ。彼女もプライドがあったからね。周りの子に白い目で見られて、大人には怒られて、熊のぬいぐるみを持つのが恥ずかしくなった。でも結局、彼女は熊を捨てられずに家に帰った」 「はい」 「でももう学校にはぬいぐるみを持っていかなくなった。そして年月が経って、今では熊のぬいぐるみがどこにいったのかも分からない。彼女は時々熊のことを思い出すけれど、昔のような激しい思い入れは蘇らない。そういう風に、少しづつ、人間って何かから離れていくんじゃないかな?」 彼女はもう落ち着いていた。 落ち着いた彼女は面白く、賢い、感じの良い女の子だった。 私はだんだん高校時代の気分を思い出し、また、彼女の高校時代の様子も鮮明に蘇ってきた。 それは懐かしい感覚で、少しだけあの学園に帰った気分になった。 だから日が落ちたことにも気づかず、かなりの時間を過ごしてしまった。 帰ろうとする私を彼女が引き留めた。 それは正確には引き留めたというより、立ちふさがったという方が近かった。ドアに鍵がかけられ、彼女は私に抱きつく。 「泊まっていって下さい白薔薇さま!」 「それは悪いでしょう」 「悪くありません!おねがいですから泊まって下さい、もし、白薔薇さまが帰ってしまったら、私は明日の朝、どうしても会社に行けない気がするんです!」 彼女は本気だったし、必死だったと思う。 「白薔薇さまがいるだけで、私は勇気をもらえるんです!お願いですから、明日の朝まで勇気をください!それとも、なにか予定があるんですか」 「ないよ」 「それなら!」 本当を言うなら予定はあった。それは予定と言えるほど明確なものじゃなかったけれど、私にとって大切な人であるケイのところに、泊まる『かも知れない』と伝えてあったのだ。 『かも知れない』と言うものの、私はそう伝えた時には、ほぼ100%泊まりに行っていた。 ただ私は、少なくても形式上は、かも知れないと述べた予定を理由に、目の前の必死な女の子を振り切ることはできなかった。 私は状況に流されて彼女の部屋に泊まることになり、徐々にそれがどうもまずい判断だった気がして、落ち着かなくなってきた。 互いにシャワーを浴びて出てきた時、なにかやましい感じを覚えた。それはうまく説明できないけれど、浮気をしている夫というのは、こういう感じだろうかと思った。 彼女が私から『勇気を分けてもらう』ために抱きついてきたとき、風呂上がりの彼女がタンクトップの下に何もつけていないのが分かった。私は、率直に言えば、少し、興奮していたかも知れない。 同じベッドで眠る提案を、私は断れなかった。 それについて言い訳はしないが、断る理由がなかった。 彼女が私に、抱いてほしいと言ったとき、それがどういう意味なのか図りかねた。つまり、どういう意味での、抱く、なのか。 いや、本当は分かっていた。かなり完全に理解していた、だがとぼけた。 彼女は、はっきり言って可愛かったし、高校時代の彼女は確かに夢見る少女だったが、賢かったし、やはりとても感じがよく、手紙を書いてしまった彼女や、今日の始めの頃の彼女の方が、やや錯乱した状態であって、きっと時が経てば後悔し、いつもの彼女に戻るだろう、と私は思った。 何故そんなことを思う?これから先も彼女と関わっていくことについて検討するみたいに? 「いま、ほんの少しだけ勇気を下さい」 私はずっと誘惑と戦い続けた。彼女の膨らみをはっきりと意識したし、彼女からするとても良い匂いも私を苦しめた。 こういう時、どう対処していいか分からなかった。 正確には、一つだけとても簡単な方法があったが、私はその可能性を捨てるのに必死だった。 結論から言えば、私は彼女を抱かず、月曜日は終わった。 『カトウ・ケイの怒り、父親の失踪』 私は引き留める彼女を振り切り(もし、振り切れなければ私は確実に取り返しがつかないことをしただろう)大学に向かい、講義を受け、昼休みにケイと話をした。 「何故、昨日来なかったの?電話したのよ私」 私はケイに昨日の事情を説明するのがとても困難に思えた。 しかも、私が家に帰っていなかったことをケイは電話で確認している。 私はゲームセンターや漫画喫茶で遊んで終電を逃したと嘘をついた。 だが、この嘘はたちまちバレてしまった。 私はゲームセンターなんてもうずいぶん行ってないし、電車を逃すほど漫画喫茶に夢中になったことなど一度もなかった。 なによりまずかったのは、私に彼女から手紙が来た時、それをケイに話していて、「月曜日にでも行こうかな」と言ったのをケイが覚えていたことだ。 仕方がないので正直に喋った。 彼女は押し黙り、今まで見たこともないぐらい、とてつもなく不機嫌な顔をしていた。 「いや、ケイが思っているようなことは何もなかったから、本当だって、信じてよ」 彼女はこちらをきっと睨んだ。それは、本当にキッとしか言いようのない睨み方で、しいて言えばギロチンが落ちる感じに似ていた。 「ねえ、セイ。あなたが言うのは、私は昨日自分を信奉してくれる女の子と抱き合いながらベッドで寝たけど、何も疑う必要はないからご飯でも食べよう、ということなのよ」 「そうね…でもそうとしか言いようがないのよ」 「じゃあ何故嘘をついたの?あなたは、嘘をついたのよ。そのあなたの、何を信じればいいの?」 彼女は立ち上がり、この場を去った。 なにか彼女を引き留める言葉があるだろうか? ない、そんなものは私の中には存在しない。 打つべき手は思いつかなかった。全く、思いつかなかった。 全ての講義が終わると、私はケイと話すのはしばらく不可能だと判断せざるをえなかったので、大学をまっすぐ出ることにしようと歩き出した。 だが構内で真っ青な顔をして立ち尽くす女の子が、知っている顔だったので話しかけることにした。 この子はちょっとシニカルなところがあり、人が失敗した時に「アキャキャキャキャ」と笑う癖があり、正確にはそれは笑いではなくセリフだった。それは人を効果的にからかう為に使われる。私も、講義で教授に当てられ寝ていた時に言われたことがある。 その彼女が顔面蒼白になっているのだ、話しかけずにいられない。 彼女が私に気づいた。 「佐藤さん!お父さんが行方不明になったの!」 「アキャキャキャキャ」 彼女が怒りのあまり黙った。それは気詰まりな沈黙だった。 そしてそのあと、私は猛烈な抗議を受けた。それは大学中に響き渡るのではないかというぐらい大音量で、もし怒りを数値化して比べられれば、世界ランキングに入れる怒りぶりだった。 どうも彼女は、昔の私の知り合いに似ているところがあって(その子はユミちゃんという)表情がコロコロ変わって、からかうと楽しい。 しかし楽しがり続けても彼女の怒りはおさまらないし、いい加減注目を集めはじめていた。 「まあまあ、落ち着いてよ。あんまり必死な顔をしていたから、こうやって気分転換した方がいいと思って怒らせたのよ、怒る、という別の感情を持つことによって、さっきまでとらわれていた感情に対して気分転換になるでしょ」 彼女はようやく周囲の視線に気付いて黙ったが、私に対する視線は冷たい。 「お父さんが行方不明になったって、どういうこと?」 彼女は渋々話し出した。 父親が二日前から帰ってこないこと、職場にも出ていないこと、行方不明になる前には様子がおかしかったこと… それは思っていたよりずっと長い話になった。 もう三十分は超えている。 彼女は喋りながら心配し、興奮し、あるいは悲しんだ。 私はその親子愛みたいなものが上手く把握できなかった。 それは私の感性に何かが決定的に欠けているせいだと思う、その何かは、私の手を通り過ぎてしまって、もう二度と手に入らない。 「お父さんがおかしくなったのは、叔父さんが自殺してからだと思う」 「自殺?」 「うん、N県で教師をしていたんだけど…」 彼女の叔父さんはN県で公立中学の教師をしていて、彼女のお父さんとはとても親しく、彼女自身も叔父さんの娘や叔父さんと交流があった。 そして叔父さんは自殺したが、その事情を誰も彼女に説明しなかった。父親も母親も何かを知っていたが、娘に対して暗く重い秘密の扉を設けて、そこには鍵穴すらない。 続けて、父親は行方不明になった。そこには何かがある、そう考えても不思議はない。 「お父さんは○○税務署で働いていて、職場の人達はお父さんの行方不明の事情を知らないって言うんだけど、私には分かるわ、何かが、決定的に隠されているのよ」 「何かって?」 「何かよ」と彼女は言った。 私はしばらく上を向き、首がいたくなったので言った。 「まだ、今の段階ではなんとも言えないわ。案外、帰ってくるかも知れない。ちょっと職場でいじめられて嫌になったのかも知れないし…」 「お父さんはそんな人間じゃないわ」 「たとえよ。何がどうなってるか分からないんだし、余り深刻に考えると辛いでしょう」 彼女は答えなかった。 実際、何かまずいことになっているのかも知れない。しかし、私に出来ることがあるだろうか? 何もない。 これは只の事実に過ぎない。私にできることなど何もない。 そして、帰ってくるかも知れない、という以外の、どんなセリフがあるだろう?『何か大変なことが起きているかも知れないわ』そう、それは真実かも知れない。でもそれだけだ。 私は何もできない。 家に帰ったら歯磨き粉が切れていた。 『土曜日への楽天的展望、吸えない煙草』 土曜日には大抵の問題は解決している、少なくても週の最初の方に起きた問題は解決している、そうでなければどうやって人生を乗り切っていけるだろう? だからケイの正当な怒りも父親の失踪も切れた歯磨き粉も、全て土曜日には解決している筈だ。 私は大学に向かう途中に煙草の自販機を見つけ、何故か立ち止まった。 不意に、とても煙草が吸いたくなったのだ。今まで吸ったことなどなかったのに、私は外国でめずらしいみやげ物を見つけた時のように、自販機に吸い寄せられていった。 お金を入れてボタンを押すと、何かが倒れるような些細な音がして煙草が出てきた。 矢がデザインされている、シンプルな感じのものだった。 自分でもよく分からないうちに煙草を買っている、しかしそれは全く訳が分からないのではない。私は明らかに動揺しており、頭の中にはずっとケイのことがあった。 ケイは煙草を吸わない。私の親しい人達は大抵、吸わない。高校時代からそうだ。 高校時代、私はやや異端児だった。しかしそれはお嬢様学校での異端児に過ぎない。煙草さえ吸ったこともないような、優良な異端児だった。 それがいま、少し気に食わなかった。 そして何か踏み外してしまえと重い、煙草を吸おうとしたが火をつける道具など持っていなかった。 だから私は諦めて、鞄に煙草を入れて大学に向かった。 私はずっとひっかかっていたあることを思い出した。 父親がいなくなった彼女に、お父さんはいじめられていたのかも知れない、というたとえを言ったが、その発想はどこから来たのかということだ。 それは、ケイが私との関係を疑っている、後輩からの連想だった。 彼女は税務署に勤めていたのだ。 署こそ違うものの、失踪について税務署が何かを隠しているなら、彼女から探りを入れるのは悪い発想ではなかった。 昼休みに大学の構内から彼女の携帯に電話すると、簡単に彼女と繋がった。 「佐藤です」 「え!」 沈黙があった、私だと分かっていないのだろうか?佐藤という名はありふれている。 仕方がないので分かりやすく名乗った。 「あなたの白薔薇さまですよー」 「えええええ!」 「元気してた?」 「は、はい」 「全然無理しなくていいんだけど、いま大丈夫?」 「はい!いつも一人で昼は食べてますから」 そんなことを元気よく言うなよ、と私は思う。 「ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」 「はい、何でも聞いて下さい」 「○○税務署の職員が、行方不明になった話知ってる?」 「ええ、少しだけ耳に挟んだことがあります」 「詳しい?」 「いいえ、殆ど知りません、そういう事実があったとしか」 「ちょっと詳しい事情を知りたいのよ。全然、本当に無理しなくていいから、ただ好奇心で聞いてるだけだから、何か分かったら教えてくれない?」 「分かりました!」 大体用件は終わったので、軽く世間話をして電話を切った。 私はまだ昼食を食べていないので、急いで食堂に向かう。 その日の午後、彼女から電話がかかってきた。 「さ、さ、佐藤さんのお宅でしょうか」 彼女の声はうわずっていたし、携帯電話なのに『お宅でしょうか』はおかしいと思った。 何だか、からかいたくなってくる。 ちょっと沈黙してみた。 「あの、もしもしー、もしもーし」 ほっといてみる。 「もしもしー、もしもしー」 ちょっと可哀想なので、答えることにした。 「あの」 「はい?」 「番号間違えてますよ」 「ええーーー!!!」 電話を切ろうとしたので大急ぎで名乗る。 「うそ、うそうそ、ごめん、私です佐藤です、あなたの白薔薇さまですよー」 「ろ、白薔薇さま!ひどいですよ!」 「ごめんごめん、可愛かったからつい、それで、何かな?」 「あ、ええとですね、行方不明の件なんですけど、それについて知ってる人と話をつけたので、お暇でしたら喫茶店でその人と 会っていただいたらいいかなーって」 「うん、いいよ」 「駅前のジェイズカフェというところで、今日の6時です。私、とても残念なんですけど行けないんです、その人は背の高い、 痩せた、50歳ぐらいのお爺さんで、間宮さんっていいます」 「えらく、早く話がついてるね」 「ええ、頑張りましたから」 頑張らなくていいのになあ…正直、ちょっと心配になってきた。かなり無理して話をつけたんじゃなかろうか? 「目印とか、私しなくていいのかな?」 「ええ、間宮さんは、ジェイズカフェに若い女の子が来たら分かるって、言ってました」 用件は終わったので、またもや世間話をして切った。だんだん、彼女が心配になったり、可愛く思ったり、ほっとけない感じを覚えたり、なんというか私内好感度が上がっている気がする。 そりゃ、ケイに怒られるよな。 私は着替えて、ジェイズカフェに向かった。 『源泉所得税について、間宮上席の話』 ジェイズカフェは、古い外国の音楽がかかる喫茶店だった。 ピンボールや、よく分からない樽が置いてあり、なんとなくだか、古い木造の船室を思わせた。 客はそれなりにいたが、背の高い痩せたお爺さんは一人だけで、また、若い女の子も私だけだった。 むこうも私に気付いて一礼した。 間宮さんはとてもキチンとした身なりの人で、つば広の帽子を置くと、白くなった髪が丁寧になでつけられた頭が見えた。 細い銀縁の眼鏡をかけていて、目じりに皺がある。 物静かで、厳格なお爺さんという印象を受けた。 「佐藤さんでいらっしゃいますでしょうか?」 「はい、私が佐藤です」 「私は間宮圭一と申します。佐藤さんは、私の友人の失踪について、お知りになりたいと伺っております」 「ええ、そうです」 「このようなことを聞くのは失礼かも知れませんが、なぜ、お知りになりたいのですか?それが分からなければ、お話することはできません」 とても丁寧な声だった。彼は恐らく、年相応に何かを経験し、感情を抑制する術を知っていると私に思わせた。 「その方の娘が、私の友人だからです、不安そうな友人の姿を見ていられない」 間宮さんは、暫く何かを考えているようだったが、吹っ切ったように話しだした。 「実を言えば、彼の失踪は仕事上の問題なのです。そして、これはとても危険な話です。 まず万が一、彼は無事には帰ってこないでしょう」 そう言う間も、それは普通の声で、何の感情も感じさせなかった。 「彼は省略になっていた事案を、つまり税務署としては何の問題もないと判断した申告について、誰の許可も取らずに、勝手に調査することにしたのです。それは、本来ありえないことです。税務署では、課長に渡された事案を調査するからです。調査担当者が勝手に調査対象を決めることなどないのです」 「何故そんなことを?」 「正直に申し上げて、それは分かりません。何が彼を突き動かしたのか…ただ、周辺の事情だけは分かります。佐藤さん、これは絶対に口外しないで頂きたいのですが、税務署には、幹部だけが扱うことの出来る申告というものがあります。幹部以外は触れることすらできません。そういう、特殊な申告があるのです」 「それがなにか?」 「それはつまり、その申告については、たとえどんなおかしい点があっても一切調査しない、ということなのです。彼が独断でやろうとした事案は、そういう事案でした。それの納税者は申告の住所はこの辺になっていますが、普段はN県の○○市の事務所にいるのです。彼はその町に行って消息を絶ちました」 「ちょっと待って下さい、どういうことですか?」 私にはその仕組みはよく分からなかった。どうしてそんな変なことがあるんだ? 「佐藤さん、世の中には、本当に恐るべき闇があるのです。それは物語の中だけにあるものではないのです。その組織は、国家の中枢にまで根を張り、政治家を操り、食肉業界を牛耳り、ヤクザと繋がり、税金を取られません。そういう、恐るべき組織があるのです」 「なんなんですかそれは」 「その団体についてお教えすることはできません。ただ、幾つかお話できるエピソードがあります。私がかつて法人課税部門の源泉所得税の担当だったころ、N県のその市に、源泉の調査に行ったことがありました」 「市に、源泉所得税の調査?」 私は、源泉所得税というもの自体、よく分からなかった。ただ、それはなにか嫌な『現実的』な響きだな、と思った。東証平均株価、という単語を聞いた時の不快感に似ている。 「よく分からないんですが、市役所のような、国家の一部に対しても、調査をされるんですか?」 「そうです。源泉所得税というのは…まず、所得税というのがあるのですが、それはおわかりですか?」 「いいえ、詳しくはわかりません」 「所得税というのは、一年間の収入に対して支払わなければならない税金です。これは誰であろうと払わなければなりません。例外はありません。収入が低いために税金がかからない人を除けば、全員申告します。税務署の職員も所得税を支払います」 「はあ」 「しかし、会社員や公務員は、最初から一年間の収入が分かっています。給料から逆算すればいいのですから。そして、会社員や公務員がみな税務署に申告に来たら、税務署はパンクしてしまいます。そこで、会社は給料を支払う時に、あらかじめ税金を 天引きして支払います。そして自分の会社の社員の税金全てを、会社が代わりに申告して納付するのです。これが、源泉所得税です」 分かったような分からないような… 「ここで税務署が調査するのは、申告の税金を少なめにして、社員から預かった税金を自分の懐に入れるような行為を防ぐためです。だから、市役所も市役所の職員の税金を預かっている訳ですから、妙なことがあれば調査します。しかし通常は、公務員というのは俸給表というもので給料がいくらなのかは完全に決まっており、誤魔化せば普通の会社よりは簡単に分かります。そもそも、国家の機関が誤魔化すなど、あってはなりません」 「でも、誤魔化してした?」 「それは今となっては分かりませんが、我々はその市の市役所に調査に行きました。そして調査に入った途端、彼らは言ったのです、我々はその団体に加入する、と」 「はい?」 「市役所が、自分の申告について、一民間団体に加入するなどありえないことです。ましてや、調査に来たとたん、税金を誤魔化す為に加入するなど…しかし実際、それで調査は終わりでした。我々は何もできません」 「だから、なんなんですかそれは」 間宮さんは答えない。 「他にも、私は幾つか印象に残っていることがあります、私は「君が行方不明になっても新聞には載らない」と本当に言われたことがあります。大阪府のある信用金庫で、考えられないくらいの莫大な預金があり、それを上司に報告した同僚が「見なかったことにしたまえ」と言われたのを見たことがあります。他にも、無数にこういう事があるのです」 間宮さんは、段々苦しそうになっている。 「あるお菓子会社の社長が監禁された有名な事件がありますが、それは食肉業界に手を出そうとしたからだと言われています。いいですか、こんなことは、実は大手新聞社だって知っているのです。ただ、誰もがその恐るべき力に沈黙している。私は、ある先輩からひき逃げによる捕まらない犯罪について聞きました。それも、この団体に関係した話でした。他にも無数に、本当に無数にこういう話があるのです。そして彼はN県に独断で行って消息を絶ちました、そういう話なのです」 この話は、完全に私の理解を超えていた。 これがこの間宮という老人の狂った妄想ならどんなにいいだろう。 しかし、間宮という老人のどこにも、ほんの片鱗でも、狂気の影はなかった。 「何故、私に?」 そう言わざるをえなかった。私はただの弱くて惨めな大学生だった。 「私はもう、耐えられんのです。あいつは友人でした。もしこの話をご家族にすれば、間題は際限なく膨らむか、ご家族はある日突然失踪して、二度と見つからないでしょう。その団体がある市長を脅した時、電話線は切られ、水道は止められ、不法侵入した彼らは池の鯉を食べたといいます。それを必死に警察に訴えたとき、警察の答えはこうでした『電話はNTT、水道は水道局、侵入は警備会社に言ってくれ』と。警察幹部にも、団体は無数のコネクションを持つのです。私には何もできません。しかし、黙っているのに耐えられなかった。そこにあなたが現れた。それだけなのです。こんな話をしてしまって、迷惑なのは分かります。しかし、失礼かもしれませんが、知りたがったのはあなたなのです」 「そうです」 「私はただ、話したかっただけなのです。そして、これだけは絶対に守っていただきたいのですが、『あなたは団体に関わってはいけません』、いいですか、彼を助けようなどとは絶対に思ってはいけません。あなたは女性の方です。そこにどれほどの暴力が待っているか、分かるでしょう」 「分かりますね」 「私の話はこれだけです。長々と申し訳ありませんでした」 気付いたら間宮さんはいなくなっていた。 本当は二言三言別れの言葉を言ったり挨拶したりしたのだが、全く頭に入っていなかった。 私は本当に混乱し、途方に暮れていた。 そんなことってあるんだろうか。 そしてあまりのショックに、この日、歯磨き粉を買うのを忘れた。 『サワラ・サロウの登場、デンタルリンスについて』 相変わらずケイは口をきいてくれなかった。 私が何かを言おうと近づくと、きまって彼女は驚くべき素早さでその場を去った。たぶん野生のチーターでもあんなに素早く反応はできないと思う。 謝罪するチャンスもないまま、時間だけが過ぎていく。 生協で天井を見上げた。不意に煙草が吸いたくなった。 だが相変わらず火をつけるものはない。私は人生のうちでマッチやライターを必要としたことが殆どない、必要としたのは遠足の飯盒炊爨ぐらいだ。 だからよく考えると、マッチやライターの売り上げは煙草によって支えられていて、もしかしたら元々、煙草のためにマッチやライターは作られたのかも知れない。 煙草をなくすということは、同時にマッチ業界やライター業界にもダメージを与えるのだ。 そんな風に、世の中というのはちょっとずつ関連して繋がっているのだろう。 私はなんとなく、かつて後輩だったユミちゃんを思い出した。あるいは、彼女は煙草だったかも知れない。私はライターで、同じく後輩のサチコはマッチ、かつて、そういう関係があった。 「佐藤さん、何を天井見てるの」 父親が目下失踪中の彼女が、声をかけてきた。 「考え事をしてたの」 「何を考えていたのかしら?」 「煙草について」 「煙草?」 彼女は特にそれ以上は聞かなかった。 そして彼女は私の隣に座り、黙り込んだ。 「お父さん、帰ってきた?」 と私は白々しいことを言ってしまう。なんだろう。ある種の罪悪感を感じた。 彼女は首を振るだけで、何も喋らない。 正直に言えば、私はもう、この件とは一切関わらないでおこうと思っていた。 何故なら、私には何もできない。 だが、暗い表情の彼女は、私を責めているような気がした。 本当のことを話す?そんなことは、とてもできそうになかった。私には、それをうまく説明できるような言葉の、持ち合わせがない。 知っているのに、彼女に何も言えず、彼女の助けに全くなれない。 「お母さんが、占い師さんを呼んだの」 私はそれについて考える。考えている間も、彼女は喋る。 「とても有名な占い師さんで、とても高いお金をとられたんだけど、もう、そういうものに頼るしか、何も手立てがないとしか、思えなくて…」 父親が失踪したのだから、警察にも連絡しただろう、知り合い全てに電話し、職場にも尋ねまわっただろう。そして、それら全ては無力だったのだと思う。 そして、今、彼女の家は収入がなくて…それはとてつもなく深刻な問題の筈だ。お金がないというのは、本当に深刻な問題なのだ。私はそう確信している。 にも関わらず、とても高い占い師など呼んでしまっている。 それはどれ程追い詰められた精神なのだろう。私はとても悲しくなってきた。 「佐藤さんは、馬鹿げてるって思うでしょう?私もそう思う。でも、お母さんの気持ちも分かるんだ。本当にそういう、奇跡が起きるなら幾らお金を払ってもいいって。そういう奇跡ぐらいしかもう、お父さんを返してくれないんだって、そう言う気持ち、とても分るんだ」 「そうだね」 彼女の眼は潤んでいたし、もう涙声だった。 「お父さん…もっと仲良くしてあげたら良かった。いま思ったら、本当、いいところしか浮かばないよ。どうして私、あんなに嫌がってたんだろう、お父さんのこと」 そう言って彼女は泣いた。私は、好きなだけ泣かせてあげようと思った。 そうして、一つの感情が私の中から浮かび上がってきて、私に一つのことを確認させた。 お前は、彼女の父親を助け出す。 当たり前だ。 助けるに決まってる。 そうだろう? そうでなくて、何が白薔薇さまなのか。 私は彼女が泣き終わるまで、背中をさすってあげた。 「佐藤さん…」 「なに?」 「占い師に…会ってもらえない?」 彼女はほぼ泣き止んでいたが、化粧は崩れてしまっていた。 「いいよ」 「本当?」 「当たり前じゃない」 何故彼女が私を占い師と会わせたいのか知らない。 でも、断る理由なんて何もなかった。 全く、断る理由なんて、ない。 だから私は、彼女と、彼女の母親と一緒に、占い師に会うことになった。 近くの喫茶店で見た、彼女の母親は彼女に似て、はっきりした顔立ちをしていて、上品なクリーム色のスーツを着ていた。 セミロングの髪は茶色がかって、実年齢よりずっと若く見えた。 「あなたが佐藤さん?」 「そうです」 彼女は何でもない風を装ったが、何故私が来なければいけないかを、疑っているのではないかと思った。 「もうすぐ、占い師の方がこられますから」 と彼女の母親は言って、私はソファの奥に座り、彼女と彼女の母親が並んだ。 店内は静かな落ち着いた雰囲気で、広々としていた。 私達三人はソファのような椅子に並んで座り、テーブルの向かい側にくるはずの占い師を待った。 店のドアが開くカランコロンという音がして、ローブを着た人物が入ってきた。この人物は、ローブなんかを着て電車に乗ったりしているのだろうか、疑問が沸いてきた。 人物は私達の向かいに座り、とても澄んだボーイソプラノで「私がサワラ・サロウです、お待たせして申し訳ありませんでした」 と言ってから名刺を差し出した。 それには、占い師佐原砂狼、と書いてある。 彼女の母親は興奮気味に喋りだした。 「それで、サワラさま、お呼び出ししたのは…」 「分かっています、あなたのご主人ですね、まず、はっきりと申し上げておきます。あなたのご主人は、N県の○○市におられます」 何だと!? 「ただし、そこに、あなた方親子は行ってはいけません。行けば、二度とご主人は帰ってこないでしょう」 「そんな!ではどうすれば!」 「私にお任せ下さい。私は占い師ですが、この占いの力で、あなたのご主人を必ず連れ戻して差し上げます」 「本当ですか?」 「疑われる気ですか?」 「い、いえ」 「はっきり申し上げますが、私はお金の為にこの仕事をしている訳ではありません。あなた方が疑うなら、私はこの仕事から手を引き、あなた方にお金を返します。その方がよろしいですか?」 「そんな!どうか、どうかよろしくお願いします」 と彼女の母親は頭を下げた。 サワラは頷き、静かに言った。 「それでは、お引取り下さい。私は、そこの佐藤さんにも、お話しなければならないことがあります。あなたがたへの占いは、今ので終わりです。あとは任せて下さい」 「しかし…」 「従えませんか?」 「分かりました」 彼女と彼女の母親は出て行き、私だけが残った。 正直、私は占い師を侮っていた。どうせ、適当なことを述べるインチキだと。だが、この人物はいまのところ、占いを当てている。 二人だけになると、サワラは私に、新品の歯磨き粉を渡した。ガム・デンタルリンスと書いてある。 「これは君に必要なものだ」 そう言うとサワラはさっさとローブを脱いだ。ローブの下はブランドもののパーカーにジーンズだった。見た感じでは、どう見ても年上には見えない。はっきり言えば、中学生の少女に…しかも美少女に見えた。 髪は短く切っていたが、男の子にしては長かった。 「あなた、いつもローブを着ているの?」 「まさか、演出さ」 何故か彼はさっきまでの口調とうってかわり、投げやりな喋り方になっていた。 「それで、僕が君をわざわざ、あの子に言わせてここに同席させたのは、この件から手を引いてもらうためだ。間宮とかいう老人から聞いたんだろう?この事件の経緯を」 「何でそんなこと知ってるの?占い?」 「なんだ?信じるのかそんなものを?それなら最後まで占い師のふりをすれば良かったな。 君みたいなただの大学生が調べられる程度の事情を、僕のような大人が調べられない訳がないだろう」 どうやら、彼(だと思う)は私が占いを信じない人間と判断したから、なげやりな口調になっているようだ。 「あなた、何者?」 「僕はね、関係者なんだよ。そういう後ろ暗いことは大抵知っている。君に話せない事情で、あの子の父親を救出することになった。だから心配せずに君は手を引いてくれ。死にたくないだろ」 「どこまで、あなたは知ってるの?」 「全部。彼の従兄弟を自殺させた奴の住所が、たまたま彼の税務署の管内だったんだね。 学校関係への、団体の力は凄いから。奴らのせいで毎年何人も自殺している」 「それが、彼女のお父さんが無茶した理由なの?」 「たぶんね、まあ、人の心の中までは、余程のことがないと分からない。ともかく、君の手に負える話じゃないから、家に帰って歯を磨いて寝なさい」 「いやだね」 「はあ?」 「私は、彼女のお父さんを助け出すと決めてる」 サワラは哀れむような目で私を見た。 「あのさあ、夢みんのも大概にしてね。君、裏もののAV女優になっちゃうよ。もしくはソープ嬢。いやでしょ?そうなるの。男の○○○見たこともないような子が首突っ込める話じゃないよ。君が首を突っ込んだら、屈強な男達に囲まれる。その時、どうするわけ?何もできないでしょ」 サワラは、私に具体的な恐怖の状況と、その結果想定されることを突きつけてきた。 だが、そんなことはとっくに承知していることなのだ。そうでなければ、彼女の父親を助けようなどとは思わない。だが、手が震えた。 前の人が置き忘れたライターが床にあった、拾い上げる。矢のデザインされた煙草の箱から煙草を取り出してくわえた。 震える手で火をつける。そして煙を吸い込んだ。 思いっきりむせた。 全くさまにならない、だが、手の震えは止まった。 「私はそれでも、彼女の父親を助ける」 サワラは私を値踏みするようにしばらく眺めた。何か考えているようだった。 私は再び煙を吸い込み、今度はむせないように気をつけながら、わざとサワラに煙を吹きつけた。 「煙たいな」 「失礼」 「仕方がない。君も来るといい、勝手に行動されるよりマシだ。ただし、僕が交渉するのを君はじっと見るだけだ。絶対余計なことはしないでくれ」 「さあね」 「いいから守ってくれ」 「まあ、努力はするわ」 「それと…」 と言って、彼は脱いだローブをあさって、テーブルの上になにか放り出した。 ゴトリ、と重い音がした。 それはどう見ても、銃以外には見えなかった。 「これって…」 「なに?銃を知らないの?」 「それぐらい知ってるけど、これを持てというの」 「そうだよ。なあに、銃刀法違反なら心配いらない。周りの客だってモデルガンとしか思ってないし、もし捕まっても警察にはたくさん友達がいるから大丈夫だよ」 「なんでこんなものがいるの」 「そりゃあいるさ。何が起こるか分からないんだよ。だからはっきりと言っておくけど、いざとなったら躊躇わずに撃ってくれ、いいかい、殺す気で撃つんだよ。殺人罪なら心配いらない、そんなものは僕達の世界には申し訳程度にしか存在しない。 僕がついている限り、起訴されることはあり得ないしね。でも万が一どうしても服役がさけられなくなったら、僕がちゃんとそういう世界で生きていく術を教えてあげるよ」 「真っ平御免だわ、返す」 「駄目だ、これだけは持っていてもらう」 今までとは違う、敵意ある冷たい声だった。それには、確かに本物の暴力の迫力があった。 「正直、自分の人生の中で、銃を持つことがあるとは思わなかったわ」 「なんで?日本にだって銃が出回っていることぐらい知ってるでしょ?テレビでも銃による犯罪がよく報道されてるし」 「そういうのは、テレビの中だけにあると思ってたのよ」 「そうだね。君がこういう問題に首を突っ込まなければ、永遠にテレビを通してしか関わらずに済んだのにね」 サワラはローブを着ながら言った。 「それじゃ、行こうか、テレビの世界に」