「はあ・・・」 秋も深まる10月の末日。山百合会の集会を終えた祐巳はため息をつきながら校庭を歩いていた。 そのため息にはわけがある。 先日終了したばかりの学園祭。その後夜祭で祥子さまが祐巳に言った一言、「妹を作りなさい」という言葉が今の祐巳には重たくのしかかっていた。 今の祐巳には瞳子ちゃんという非常に気になる存在がいる。しかし、自分だけでも手一杯なのに、瞳子ちゃんにせよ誰にせよプティ・スールにすることが出来るだろうか。妹にして面倒を見る余裕などあるだろうか。 祐巳は自分の中で自問自答を繰り返す。 学園祭というイベントの中で、自分が花寺学院の生徒会やその他の生徒相手に山百合会のメンバーとして相応しい振る舞いが出来たかどうかはなはだ心もとない。 それだというのに、この上妹を迎えて紅薔薇さまと呼ばれるに相応しい人材に育てられるか、想像するだに気が重かった。 こういう時、乃梨子ちゃんというまさに得がたい妹を早々に得た志摩子さんがとてもうらやましくなる。そして、その志摩子さんのグラン・スールだったあのヒトのことも…。 「聖さまだったら、こういうとき何か言ってくれるかなぁ・・・」 祐巳はポツリと呟いた。 聖さまは先日の学園祭を見に来られたけど、蓉子さまも一緒だったし、何よりも祐巳自身が忙しくてあまりお話も出来なかった。 今自分が一番相談に乗って欲しいのは聖さま、そして会いたくてたまらないのも聖さまだ。何でもいい、聖さまの言葉を聞いて安心したかった。 「トリック・オア・トリート!!」 その時突然背後からそんな声が響くと、後ろから誰かが抱きついて同時に祐巳の目を塞いだ。 「きゃっ!」 いきなり目の前が真っ暗になった祐巳は思わず叫ぶ。 しかし、それが誰の仕業であるかはすぐに判った。 「せ、聖さま! いきなり何をするんですか!!」 祐巳は声の主に向かって叫ぶ。 「何って、愛情表現」 しれっとして言った聖は祐巳の目から手を離すと、背中から祐巳の肩にぶら下がるようにしてしがみついた。 「・・・・・・ねぇ祐巳ちゃん。それよりトリック・オア・トリート!」 「え? なんです? それ?」 「お菓子をちょうだい! じゃなきゃ、いたずらしちゃうよ?」 「えっ?いたずらって・・・何のことです?」 聖が何を言っているのか分からず、祐巳はきょとんとしている。祐巳のその意外な反応に首をひねりながら、聖は祐巳をこちらに向かせた。 「今日はハロウィンだよ? 祐巳ちゃん。ひょっとして、知らなかった?」 「ハロウィン・・・?」 その言葉に、祐巳は記憶の隅にあった“ハロウィン”という言葉の意味を探った。 「ハロウィンって、あのカボチャのお面を付けたりして仮装する・・・?」 「そうだよ。え、祐巳ちゃん、ひょっとしてお菓子用意するの、忘れてた・・・?」 聖のその言葉に、祐巳はうなずいた。 「え〜、嘘だ、信じられない〜」 ガクリと肩を落としたように見えた聖に、祐巳はごめんなさいと頭を下げた。 別に祐巳はハロウィンを知らなかったわけではない。 リリアン女学園というキリスト教の学校に通っているのだから、11月1日の諸聖人の日「オール・ハロウズ(All Hallows)」のことを知らないわけないし、その前日がハロウィンだということも解っていたはずだ。 それを今まで全く意識しなかったのは、それだけ祐巳の心に余裕がなかったからだ。 ここしばらく連日学園祭のために奔走し、しかもその中で瞳子ちゃんの演劇部でのトラブルにかかわったりしてそれ以外のことを考える余裕なんてまったくなかった。 だけど、正直に言えば、祐巳は聖がここまでハロウィンのことを気にかけているとは思わなかった。だから、ハロウィンのことを覚えていてもお菓子なんて用意しなかったかもしれない。 「そうか・・・お菓子がないんだったら、これはちょっと悪戯しないとね?」 「え?」 そういうや否や、聖は祐巳をぎゅっと抱きしめた。 「せ、聖さま、苦しいです! 止めてください!」 聖の腕の中で祐巳は呻く。しかし、聖は腕の力を緩めない。 「やーだ、お菓子をくれないんだから、その代わりに悪戯しないと」 祐巳を抱きしめて放さない聖。さすがに本当に苦しくなってきた祐巳は、その時あることを思い出した。 「聖さま・・・お菓子・・・ありますから・・・放してください・・・」 「え? 本当?」 現金なもので、その言葉を聞いた瞬間聖はぱっと手を離した。 「本当に何かくれるの?」 「はい・・・」 祐巳はごそごそとポケットをまさぐる。やがて取り出したのは二つの飴玉だった。 「どうぞ」 祐巳はその二個の飴玉を聖に渡す。聖はしげしげとそれを見つめた。 「なんだ、飴玉持ってたんだ・・・ずいぶんタイミングがいいね」 「ええ、実はお姉さまに戴いたんです」 「祥子に・・・?」 「何でもお姉さまも朝出がけに清子小母さまに戴いたとか・・・お姉さまもなんで飴を貰わなければいけないのかよくわからなかったらしいですけど、それを私にも分けてくださったんです」 それを聞いて聖は苦笑した。おおかたハロウィンの話を中途半端に耳に入れた清子が、お菓子を配る日ということだけを覚えていて、それで祥子に飴を渡したに違いない。祥子もハロウィンなど興味がなさそうだし、その意味は分からなかっただろう。 「祥子のお下がりか・・・まあいいや、いただき!」 聖はくるりと飴のビニールの包装を剥がすと、ぽいっと口の中に放り込んだ。 茶色いその飴は紅茶の味。その甘みが聖の口の中に広がっていく。 「うん、なかなか美味しいね。さすが清子小母さまだなぁ」 飴でほっぺたを膨らませて聖はニコニコと笑う。つられるように祐巳も笑った。 「ねえ祐巳ちゃん、ちょっとそこで座ってお話しようか?」 「え?」 飴を口の中でころころと転がしながら、突然聖はそういってすぐ近くにあるベンチを指差した。妙に改まったようなその言い方が、少し祐巳は気になる。 「いいですよ?」 「よかった。そんなに手間は取らせないよ」 聖は先にそのベンチの前に行くと、軽く表面のホコリを払って祐巳にその場所を勧めた。祐巳も勧められたとおりにその場所に座る。 「よっと・・・」 聖も祐巳の隣に腰掛けた。 「ねえ、祐巳ちゃん」 「は、はい・・・?」 「祐巳ちゃんは、いま何か気にかかってることがあるみたいだけど、どうかしたの?」 「え、なんで・・・?」 まるで自分の心の中を読んでいるかのような聖の言葉に、祐巳はとても驚いた。 「祐巳ちゃんの心の中はすべてお見通しだよ。さ、悩み事があるのなら言ってごらん?」 「はい・・・」 もとより一番この悩みを聞いて欲しかったのは聖だ。祐巳は思い切って聖に今の胸の内を打ち明けた。紅薔薇のつぼみとしての重圧、瞳子ちゃんのこと、妹を持つことの意味・・・。 「そうか・・・」 聞き終えた聖は、腕を組んで少し何か考えるような仕草をすると、祐巳の顔をじっと見つめた。 「祐巳ちゃんは、ちょっと無理して荷物を背負いすぎなんじゃないかな?」 「え?」 「妹を作るのは義務じゃないんだよね。それに、ロサ・キネンシスにだってなりたくなければならなくてもいい。もしそうしたって、祥子はきっと責めないよ」 「だけど・・・」 「今の祐巳ちゃんは必要以上に紅薔薇のつぼみってことを意識して、それが荷物になっちゃてるんだろうね。だけど、紅薔薇のつぼみはこうでなければいけない、なんて誰も決めてないんだよ。祥子だってそれは求めていないだろうし」 確かにそうではある。でも、お姉さまの顔に泥を塗るような存在にだけはなりたくない、そう祐巳は思う。 「もし背中に背負っているものが重たいと思えば、少しだけ誰かに背負ってもらったっていいんだ。志摩子だって、由乃ちゃんだってその苦労はいとわないよ。なぜなら、祐巳ちゃんはそれだけのことを相手にしてきてあげてるからさ」 その言葉に祐巳は親友である二人の顔を思い浮かべる。聖さまが言うように、自分はあの二人に対して自分の苦労を分かち合ってもらえるほど何かをしてきてあげたのだろうか? 「それに、紅薔薇のつぼみが優等生である必要はないんだよ。私を見てごらんよ。ブゥトンだからっていって畏まったりする事なんか一度もなかったよ」 「聖さまは実力があったから・・・」 祐巳は言葉を濁す。実のところ、ほんのわずかな期間努力しただけでリリアンの大学部に一般ですべり込んだ聖の学力は伊達ではないと祐巳は思う。 「実力があったからじゃない。想いがあったからなんだよ?」 「想い・・・?」 「そう、志摩子という私の想いを理解できる存在があったから私は山百合会の活動に本腰を入れるようになった。そして私はもう少しの間祐巳ちゃんと同じ空の下で勉強したい、その一心から必死で勉強して大学部に潜り込んだんだ。それと同じじゃないかな?」 「というと・・・?」 「想いさえあれば、きっと叶うことはいっぱいある。瞳子ちゃんのことにしても、祐巳ちゃんはあの子のことをどうにかしてやりたいと思っている、その想いがあればあの子にしてやれることだって考え付く。それが通じれば向こうも心を開いてくれるんじゃないかな」 「そうですね」 「大丈夫、祐巳ちゃんならきっと想いは通じるよ。妹にするしないはその後に決めればいい。瞳子ちゃんの心を解きほぐす事は、祐巳ちゃんにならできる」 「はい」 「祐巳ちゃんはこんなことでくじけたりしないよ。やれるよね?」 「はい!」 首を縦にブンブンと振って祐巳は勢いよく返事をした。 やっぱり聖は祐巳にとっての元気ハツラツの元だ。こういう時に会えて、祐巳は本当によかったと思う。 「それにしても、聖さまは本当に私が会いたいと思っているときにはタイミングよく現れるんですね」 祐巳は、横に座った聖の顔を覗き込む。 「まあ、予感があったからね」 「予感?」 「虫の知らせとでも言うのかな。祐巳ちゃんの事考えてたら、なんだかいてもたってもいられなくなってね。この間の学園祭のときも、私には言ってくれなかったけど祐巳ちゃんは相当苦労していたみたいだったし。私はOGだから、どうにかなるものでも無いと思いながらも、ここに来てしまったんだ。横顔だけでも見られないかと思って薔薇の館の近くに来てみたら、祐巳ちゃん、すごく悩んでるように見えたから、つい・・・」 苦笑する聖に祐巳は目を丸くする。 やっと気がついた。 高等部の校舎には遊びに行かないと言っていた聖がここにいると言う事は、聖も相当祐巳の悩み事を気にかけていたということだ。 自分を気遣ってくれる聖のやさしさが胸に染み入る。 「聖さま・・・」 「うん?」 「ありがとうございます・・・」 そういって祐巳は聖の肩口にもたれかかった。聖は、黙って祐巳の肩を抱いた。 秋の空は暮れるのが早い。気が付けば、すでに黄昏があたりを染めようとしている。 「だいぶ暗くなってきたね・・・そろそろ帰ろうか」 「はい!」 祐巳が立ち上がったとき、ふと聖は呟いた。 「そういえば、せっかくハロウィンのお菓子も貰ったのに、何かお返しをしなきゃね?」 「え?」 聖は祐巳が渡したもう一個の飴の包装をクルリと解いて口に放り込んだ。 「祐巳ちゃんにも食べてもらわないと不公平だよね・・・」 突然聖は祐巳の肩に手を伸ばしてがっちりと掴む。 「なっ、何を突然・・・聖さま!?」 聖の顔が近づいてくる。そして聖は自分の口で無理やり祐巳の口を塞いだ。 「んっ・・・!」 そのまま強引に自分の舌を祐巳の口内へ押し込む。 「うんん・・・!」 聖の舌によって口が押し割られると、一度舌は引っ込む。そして開いた空間に、今度は食べかけの飴が押し込まれた。 「・・・ぅっ・・・!」 追いかけるように聖の舌が戻ってきて、祐巳の口の中で飴を転がした。 ジュル・・・クチャ・・・ 祐巳の口の中で舌と飴が絡み合う。 数分にわたり続けられた濃厚なディープキス、ようやく聖が唇を離した時、二人の口は溶けた飴とお互いの唾液でビショ濡れだった。 「いきなり何するんですか、聖さま!」 口元をぬぐいながら祐巳が叫ぶ。 「だから、飴を返してあげただけだって」 「返したって・・・」 「美味しいでしょ? この飴」 聖はそういってウインクをした。 「聖さま・・・」 祐巳は少しばかり非難の色を瞳に浮かべて、ジトッと聖を睨んだ。 「ん、なんだい?」 「聖さまは私の悩みを聞きに来たんですか、それともキスがしたくてここに来たんですか!?」 祐巳は文句を言うが、口の中の飴のせいで、少しくぐもった声しか出せない。 「さあ、どっちだろう?」 ニヤニヤと笑う聖。 まったく、さっきまで真剣にヒトの相談に乗ってくれていた凛々しい先輩とはとても思えない。 祐巳は飴のせいで膨れているほっぺたをさらに膨らませてむくれる。 (このオヤジ臭いところさえなければ、もっと尊敬できるヒトなのに!) それこそが佐藤聖だということは理解しているはずなのに、いつもせっかく作り上げたイメージをあっさり壊されたような気分になる。 とんでもないヒトの恋人になったなと、改めて嘆く祐巳だった。
黄薔薇放送局 番外編 (令の部屋) 由乃 「Happy Halloween!」 令 「わっ。よ、由乃。そ、その格好……」 由乃 「似合う?」 令 「その、いろいろと見えてるから……(真っ赤)」 由乃 「うふふ。トリックorトリート!」 令 「さ、参考までに。もし、いたずらだったら何をされるの?(ドキドキ)」 由乃 「もう令ちゃんったらあんなにコスモス文庫読んでいるのに無粋なんだから。 トリックなら私が令ちゃんに、トリートなら令ちゃんが……でどう? ……さあ、どっち?(上目遣いで)」 令 「(ゴクリ)じゃ、じゃあト」 (ブチッ) 二人 「あっ」 蓉子 「はいはい、二人の邪魔をしないの。 まったく、江利子はともかく乃梨子ちゃんまで。同類になっちゃうわよ?」 乃梨子「うっ 江利子さまと同類……(ガーン、ガーン、ガーン……)」 江利子「せっかく由乃ちゃんを煽ってお膳立てまでしたのに。蓉子のいけずぅ〜」 蓉子 「おだまり」 江利子「ったく。聖を祐巳ちゃんに取られて暇だからってこんな場所まで来なくたっていいのに」 蓉子 「(ブチッ)減らず口をたたくのはこの口かぁ〜!!」 江利子「いたい、いひゃい、いひゃひゃひゃひゃひゃ……」 乃梨子「ハロウィンにこんな素敵なSSを書いてくださったD15Bさまにぜひご感想を。 それではごきげんよう(江利子さまと同類……orz)」 江利子「ひょっと、おひなひ、ひょのああ? (ちょっと、オチ無し、このまま?)」 蓉子 「あなたもたまには反省しなさい! あ〜ら、本当によく伸びるほっぺですこと!(むにぃ〜)」 江利子「(声にならない悲鳴)」