朝拝の時間が迫っていたので、二人を追う事は諦めて祐巳は自分の教室に戻ることにした。 祐巳にはいったいなぜ二人があんな態度をとったのか判らない。 (いったいどうしたんだろ、可南子ちゃんに瞳子ちゃん…) 頭をひねりながら祐巳は、自分の教室の扉を開いた。 「ごきげんよう―」 目に付いたクラスメートに適当に声を掛けて自分の席に着こうとしたその瞬間、突然何かがぶち当たった衝撃が祐巳の背中に伝わった。 「祐巳さん、おはよう!!」 「ひやっ!」 突然の衝撃にひっくり返りそうになりながらも祐巳はかろうじてこらえる。足を踏ん張って振り向いた先にあったのは島津由乃の顔だった。由乃はいきなり後ろから祐巳に抱きついたのだ。 「な、何するのよ、由乃さん!」 「何するのって、愛情表現じゃないの」 「あ、愛情表現?」 「そうよ。祐巳さんが私のことを愛してくれるんだから、私も精一杯愛情表現しなくっちゃって思ったの」 そう言いながらなおも由乃は祐巳を硬く抱きしめて離そうとはしない。 「ち、ちょっと待った。私がいつ由乃さんを愛してるって?」 由乃とは女同士の友情を築きたいという話はしたことがあるが、愛してるなんて言った覚えはない。 「祐巳さんったら、またそんな冗談を」 うつむいて少し照れ笑いをしながら、由乃は祐巳から手を離して向き直った。 「祐巳さん、言ってくれたよね。『君がいないリリアンなんて、夜空に月がないのと同じだ』って。それに『君という光が無いと、どうやって歩いていいのか分からない』って。私、うれしくてうれしくて…」 「え? え?」 「『由乃』って呼んでくれていいのよ、祐・巳・さ・ん」 そういって由乃は祐巳に向かって軽くウインクをする。 自分の言葉に完全に陶酔している様子の由乃に、祐巳は唖然とした。 言うまでも無くそんなことを由乃に言った記憶は祐巳には爪のかけらほども無い。そもそも令という立派なスールがいる由乃にそんな事言ったりするはずが無い。しかし、由乃は嘘を言っている風でもない。いったい由乃に何があった? 気がつけば、二人の周りは思い切りギャラリーに取り囲まれていた。クラスメート達は二人を遠巻きにしながらひそひそと話をしている。 「よ、由乃さん、朝拝も始まるし、その話はまた後で…」 クラスメートの好奇心に満ちた視線が恥ずかしくて、目を伏せながらもかろうじて祐巳は言った。 「…そう? それじゃあまた後でゆっくりお話しましょ?」 ニコニコしながら由乃は自分の席に戻っていった。 本来は神に祈りを捧げるべき朝拝。しかし、今の祐巳の心を占めているのは今朝起こった奇妙な出来事だった。 可南子と瞳子には蔑まれ、由乃にはなつかれて…。祐巳にはさっぱりわけが判らない。 (いったい、何があったんだろう?) 祈るふりをしながら祐巳は必死になって考える。その時、聖の顔が脳裏に浮かんだ。 (ま、まさか!!) 祐巳はおもわず叫びそうになった。 昨日自分の体に入ったままの聖を見つけたとき、聖は乃梨子と会っていた。あのときの乃梨子は今日の由乃と同じように何か魂を奪われたような表情だった。ひょっとして…。 (そんな、ありえない!! そんなこと出来るわけない!!) 祐巳は思わずぶんぶんと首を振る。昨日自分が目覚めたのは昼前。それから慌てて聖を探しに行って、見つけたのが数時間後。半日ほども経っていない時間の中で、聖は祐巳の体のままであの子達と会って、しかも口説き落とそうとしたというのか。祐巳は唖然とした。 しかしまさか祐巳と聖が入れ替わってましたなんて説明できっこない。説明したところで信じてくれるはずも無い。 (聖さま、なんてことしてくれたんですか!!) 祐巳は聖を恨めしく思った。 結局言い訳も説明も出来ないまま、その日一日祐巳は由乃からの痛いほどの熱視線とクラスメートの好奇の目を浴び続ける羽目になってしまった。 ようやく迎えた放課後、祐巳はしがみつく由乃を引きずるようにして薔薇の館を目指した。 「祐巳さん、つまらない〜。今日くらい山百合会をサボって二人で遊びに行きましょうよ〜」 「そんなわけには行かないわよ、由乃さん。令さまだって、志摩子さんだっているのよ」 「あんなの、放って置いていいわよ。それより祐巳さん、二人の愛をもっと深めましょうよ」 「あ、愛って…」 由乃の放つ桃色光線に辟易しながらなおも祐巳は薔薇の館を目指す。令さまに会えば由乃さんだって正気に戻るかもしれない。それに、薔薇の館にはお姉さまがいる。聖さまと添い遂げたとはいえ、世界で二番目に大好きなのはお姉さまだ。お姉さまの顔を見て祐巳は安心したかった。 薔薇の館まであと少しのところで、黒髪の美しい少女が前を歩いているのが見えた。 「お姉さま!」 自分の姉―小笠原祥子―の姿を見間違えるはずが無い。祐巳は由乃を振り払うようにして祥子の前に駆け寄って行った。 「お姉さま、ごきげんよう」 「ごきげんよう、祐巳」 お姉さまはいつもと変わらぬ笑顔で微笑みかけてくれる、祐巳はそう思っていた。 「祐巳…」 「はい」 「祐巳はやっぱり私のところに戻ってきてくれたのね」 祥子はそういいながら手を伸ばして祐巳を抱きかかえた。 「お、お姉さま?」 「あなたが聖さまと恋仲になってからというものの、私は寂しくてたまらなかったわ。でも、あの時あなたは私を愛しているといってくれて、その上あんなことまで…ああ、あれはやはり夢ではなかったのね―」 (あんなことって、どんなことですかー!!) 祐巳は心の中で叫んだ。間違いない、お姉さまも聖さまに篭絡されていたのだ。 「もうこれからはすべて私にお任せなさい。小笠原家の財力を注ぎ込んででもあなたを幸せにしてみせるから」 一度祐巳から手を離した祥子はとろんとした瞳で祐巳を見つめている。それは、清楚な普段のお姉さまからは考えられないような艶っぽい表情だ。それを見て祐巳はただただ唖然とした。 その時、祐巳は背後に恐ろしいほどの殺気を感じた。 「ロ・サ・キ・ネ・ン・シ・ス!!」 続けて聞こえてきた声に祐巳は恐る恐る振り向く。 振り向いたその先には、鬼が立っていた。 嫉妬に身を焦がして鬼に変貌を遂げた由乃は祥子をきっと睨みつける。 「紅薔薇さま、相手が妹とはいえ、少々お戯れが過ぎませんか?」 「おや、姉が妹に親愛の情を示すのに何の不都合がありまして?」 「程度というものがあります。そもそも、スールは恋人関係ではありませんわ。誤解されるような行為は慎まれるべきではございませんか?」 「そういうあなたはご自分の姉とはずいぶん親しい関係にあるようね。ご自分の胸に手を当ててよくお考えなさいな」 竜虎相打つとはこのことだろうか。決して崩さない丁寧な言葉に込められた見えない氷の刃が二人の間を飛び交っている。とても止められそうに無い二人の衝突に、二人に挟まれるようなカタチの祐巳はもはやおろおろするしかない。 (そうだ、令さまに止めてもらおう!) とっさに祐巳はそう思った。お姉さまの親友で由乃さんのスールである令さましか二人を治められる人はいない。そう決めると祐巳は一目散に薔薇の館へ駆け出していった。 「あ、祐巳、待ちなさい!」 「祐巳さん、置いてかないでよ!」 残された二人もあわてて祐巳の後を追った。 薔薇の館に飛び込んだ祐巳は、はしたないとは思いながらもきしむ階段を一気に駆け上がる。令さまなら何とかしてくれる、その一身で祐巳はビスケットの扉を思い切って開いた。 「ご、ごきげんよう!」 荒れた息を整える暇も無く令を探して祐巳は部屋の中を見渡す。 「あ、祐巳ちゃんごきげんよう。待ってたんだよ〜」 「祐巳さまごきげんよう! お待ちしていました!」 そこに立っていた二人の少女の姿を見たとき、祐巳はすべての希望が潰えたのを知った。 支倉令はエプロン、そして二条乃梨子は割烹着姿でそこに立っていた。二人とも目をきらきらと輝かせながら祐巳を見つめている。特に令は目じりをだらしなく下げた顔面崩壊といってもいい表情の崩れようで、これがあの剣道部のエースと同一人物とはどうしても思えない。 つまり考えるまでも無く、令さまもまた聖さまに篭絡されていたということだ。 祐巳は体から一気に力が抜けて、へなへなとその場に崩れこんだ。 「ど、どうしたの祐巳ちゃん!」 「祐巳さま、大丈夫ですか!」 慌てて駆け寄った二人に抱き起こされて、祐巳はかろうじて立ち上がった。 「急いでやってきたからちょっと疲れたんだね。もう大丈夫だよ」 「しっかりしてくださいね、祐巳さま」 二人に支えられて祐巳はようやっと席に着く。両方で支える二人の息が興奮して異様に荒いのに祐巳は嫌気がした。 「さあ、祐巳ちゃん、今日は祐巳ちゃんのために特別にシフォンケーキを焼いてきたからね。おなかいっぱい食べてね」 「祐巳さま、志摩子さん直伝の白薔薇紅茶を今入れますから、存分に味わってくださいね」 いそいそと準備にかかる二人。その時、ビスケットの扉がけたたましい音を立てて開いた。 「祐巳、どこなの!」 「祐巳さん! いるの!」 もんどりうって飛び込んできたのはもちろん祥子と由乃だ。その二人を見たとたん、うんざりして祐巳はテーブルに突っ伏した。 「さあ祐巳、私と一緒に来なさい。そして、もう一度二人で桃源郷に参りましょう」 「何を言ってるんですか! 祐巳さんは私と一緒に甘い一夜を過ごすんだから!」 祥子と由乃の叫びを聞いた令の表情が突然険しくなる。それはまさに不動明王を思わせる鋭さだった。 「二人とも何たわごとを言ってるの…祐巳ちゃんは私と一晩かけて恋愛小説を再現するって決まってるのよ?」 「令、何を言ってるの…」 「令ちゃん、ふざけてるの?」 令の意外な反応を見た二人は令に向かってガンを飛ばす。しかし令は一歩も引く様子が無い。 「面白いわね令。姉である私から祐巳を奪い取ろうと?」 「恋愛にはスールであるかないかは関係ないね。恋愛は自由であるべきさ」 「令ちゃん、私と祐巳さんとどちらを取るつもりなの…?」 「ふっ、親族に対する愛情と恋愛感情では恋愛感情が優先するのよ。たとえ相手が由乃でも、全く遠慮はしないわ」 まさに三すくみ。にらみ合いながら三人とも一歩も引く様子が無い。 「あなたがた何を言ってるんですか! 祐巳さまは私と一緒に西方浄土の極楽を味わうことになってるんですから!」 「「すっこんでろ!! ガキ!!」」「お黙り!! 小娘!!」 乃梨子の叫びは、むなしくかき消された。 「そうだわ、誰を選ぶか、祐巳に直接聞けばいいんだわ!」 突然、祥子が叫んだ。 「そうだ、祐巳ちゃんに選んでもらおう!」 「たしかにそうだわ! ねえ祐巳さん! どうなの!」 「祐巳さまは私を選んでくれますよね!」 四人は口々に祐巳の名前を挙げると、テーブルに突っ伏したままの祐巳に詰め寄った。 「ひ、ひぃ…」 顔を上げた祐巳は、四人の鬼のような形相に震え上がる。 「祐巳、当然姉であるこの私を選ぶわよね!」 「祐巳ちゃん、選ぶのは頼れる先輩のこの私よね!」 「祐巳さん! 友達だもの、当然私よね!」 「祐巳さま! 年増になんて興味ありませんよね!」 じわりじわりと詰め寄る四人。祐巳にもう逃れるすべはない。 「「「「さあ、誰を選ぶの!!!!」」」」 「せ、聖さま、助けて〜〜〜!」 ***** 「ひっくしゅん!」 「佐藤さん、風邪?」 「いや、別に体の調子はおかしくないけどなぁ…」 「どうせまた誰かにうわさされてたんじゃない?」 「やだなぁ景さん、そんなことないって。それより、今から遊びに行かない?」 「全く、唐突なんだから、佐藤さんは…」 ***** 祐巳の叫びは、むなしく薔薇の館の会議室に消えていった。
あとがき タイトルは氷室冴子の王朝ロマン小説から拝借。 割とベタなネタだとは思いますが、むしろこれくらいのほうが ドタバタとして楽しいかも。 しかし、やはり聖さまは最強であります。 本当は一途でこんな色魔みたいなことはしない人ですけれど、 まあ、ネタとして楽しんで下さい。 祐巳ちゃんカワイソス…。 あと、志摩子さんも出番なくてごめん。
黄薔薇放送局 番外編 祐巳 「私になりたいってそういうことだったんですね! もう知りません!」 聖 「ゆ、祐巳!? あれは誤解だって。そう、何かの間違い! (後ろから優しく抱きしめて)好きなのは祐巳だけ。……知ってるでしょ?」 祐巳 「お姉さまったら……。あ、こんなところで……」 由乃 「はい、ストッ〜プ!! そこまで、そこまで〜!!」 二人 「あっ」 由乃 「もう、こんな場所で二人揃っていちゃつかないでよ! だいたい祐巳さんはともかく(由乃さん、ひどっ!) 聖さま、黄薔薇さまもいるのにそんな隙を見せて知りませんよ?」 江利子「もう由乃ちゃんったら。せっかくいいところだったのにぃ〜」 由乃 「ほらね?」 聖 「(咳払い)ありがとう、由乃ちゃん。 そうそう、本当の私は >本当は一途でこんな色魔みたいなことはしない人ですけれど、 だから。皆さん、誤解しないようにね〜」 江利子「自分で一途なんて言う、普通?」 聖 「うるさい、黙れ、デコチン」 江利子「……へぇ。 ねぇ、祐巳ちゃん。おもしろい物があるんだけどみたい?」 祐巳 「おもしろい物、ですか?」 江利子「そう。オモシロイモノ」 祐巳 「こ、これはっ!! ……オネエサマ」 聖 「……ゆ、ゆみちゃん? ちょっと、なに見せたのよ!?」 江利子「べつにぃ〜。 単にあなたが可愛い後輩たちのタイを直してあげているだけの写真だけど」 聖 「なっ。あれは! 祐巳、聞いて、あれはね……」 祐巳 「問答無用、です」 江利子「あ〜 すっきりした!」 令 「……」 由乃 「……」 乃梨子「……」 江利子「素敵な作品を投稿してくださったD15Bさまに是非ご感想を。 それではまたどこかの放送局でお会いしましょう。ごきげんよう〜」 三人 「……はぁ」 由乃 「久しぶりだったのに全く変わってないわね、あのテンション」 令 「お姉さまはあぁいう人だから」 乃梨子「聖さま、祐巳さま、ご愁傷さまです」