内なる”声”V

-  Keep Out -


「…っいててて・・・死んじゃうとこだったにゃー…。」
マリは、2号機のコクピットの中で、顔をしかめながら身を起こした。

「ん? ここは…。」
あたりを見廻す。
何かの施設を、半壊させてしまっている様だ。アナウンスが繰り返されているのが聞える。

『当シェルターは、危険区域に指定されました。速やかに安全区域に退避してください。
 繰り返します。当シェルターは…。』

「そうか、そういうことか。そうだ、零号機にぶっとばされたんだよね。
 あれ?ネルフの”わんこ君”じゃないの。」

「僕は・・・僕はもう乗らないって決めたんだ」
部屋の片隅で、膝を抱えてぶつぶつつぶやいているシンジの姿が見えた。

「エヴァに乗るかどうかなんて、そんなことで悩むやつもいるんだ。
 なら、早く逃げちゃえばいいのに。ほら、手伝うからさ。」

活動限界が間近だったが、なんとか2号機の残った方の片手で、シンジをシェルターの外へ連れ出す。

「うわっ、何するんですか! ぼくは、もう乗らないって決めたんだ!」

「だれも、そんなこと言ってないでしょ。
 だけどなあ、…そうやっていじけてたって、何にも楽しいことないよ。」

「あ、綾波!」

そのとき、シンジは見た。
第10使徒が、動けないでいる零号機にゆっくりと歩み寄っているところを。



それは一瞬のことだった。
使徒の口から、なにかがせり出してきた。嘴の様なものに見えた。
それが零号機を、頭からついばんだ。
零号機は、足首だけを残して、文字通り使徒に喰われてしまったのだった。

「綾波ぃぃぃぃっ!」
シンジは、思わず叫んだ。

その事態に、発令所も騒然となった。

「まさか、使徒がエヴァを捕食するなんて…あり得ないわ!」
リツコはつぶやく。

だが、それは事実だった。
零号機を取り込んだ使徒の体は、明らかに変化していた。
髑髏の様な頭部と触手はそのままに、人間の…女性の胴と手足が出現していた。

「変です…。目標の識別信号が、"零号機"に切り替わります!」
マヤの報告に、ミサトは愕然とした。

「やられた!これで奴がドグマに侵入しても自爆しない!…リリスに苦もなく辿り着けるわ!」

シンジとともにそれを見ていたマリも、茫然とつぶやいていた。
「零号機と…融合してる。パイロットごと、吸収してしまったんだ。」

そして、シンジを振り返って言う。
「キミも死んじゃうよ?早く逃げなよ。」

そのときにはすでに、シンジは本部施設に向かって走り出していた。
「ありゃ、いっちゃったか。」




「何も、できなかった…。」
レイは暗闇の中で、膝を抱えて座っていた。

「食事会に、碇君と碇司令を呼んで、二人で”ぽかぽか”してもらうことも。
 碇君が、もう二度とエヴァに乗らず、つらい思いをしなくてもいいようにすることも。」

レイは、項垂れるように自分の両膝に額を預けた。

「わたしは、やっぱり、”ここ”にいるしかないの?
 温もりを求めては、いけなかったの?
 ヒトと接して、ヒトとの交わりを求めては、いけなかったの?」

…このまま、朽ちていくしかない…。

無力感とともに、それが結論だと思った。

「そう、無から生まれたわたしは、無に還るしかないのね。
 初めから、それを願っていたというのに。
 ヒトらしく生きようと、望んだのが間違いだったわ。」
 
『なに、バカなこと言ってんのよ、ファースト!』
どこからか、声が聞えてきて、レイは顔を上げた。

『このまま、無に還るですって?
 そんな気なんか、ないくせに。
 それじゃ、その左手に大事そうに持っているものは、何なのよ。』

レイは、左手で握っているものに気付いた。
「碇君の、S−DAT…。」

『そうよ。あんた、シンジのこと、忘れたくないのでしょう?
 だから、使徒のコアと同化するのを拒んでいる…違う?
 シンジとの思い出を、具象化することによって、自分自身を保っているのよ。』

「そうかも知れない。」

『だったら、もうちょっと、がんばりなさいよ。必ず、シンジが助けにくるから。』

「あなた、誰なの?」

『もう、忘れちゃったの?
 そっか、この世界のあんたは、前世の記憶がほとんどないのだったわね。
 あらたな可能性を追及するために、過去に縛られないようにしたんだったけ。』

「言っている意味が、よくわからないわ。」

『まず、自己紹介からいくわね。
 あたしは、”本物”のセカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ。』

「2号機の子は、式波さんではなかったの?」

『あれは、疑似人格なのよ。
 言ってみれば、あたしの体に埋め込まれた、”究極のダミーシステム”ね。』

「ダミーシステムはまだ問題が多く、そんな完成度はなかった筈だわ。」

『この世界…いえ、現時点ではそうね。』

「まるで、並行世界か、未来から来たみたいなことを言うのね。」

『ある意味、それは正解よ。
 それが受け入れられるなら、話は早いわね。
 いい? もう一度シンジに逢いたいなら、あたしの話を、よく聞いて。』

「…わかったわ。」

『このままでは、いずれこの世界も滅ぶ…そう、サードインパクトが起きるのよ。
 あたしたちも、それを体験した。
 すべての時間軸が、その滅びの世界に集束しているみたいなの。
 それを避けるために、あたしたちは許される範囲で、何度も過去に干渉してきたの。
 これまでは大体、誰かをそのまま、使徒が侵攻を始めた時点に送り還してきたわ。
 これから起きることの記憶があれば、正しい対応ができるのではないかと考えたの。』

『最初は、シンジみずからが、もう一度やり直そうと、それを試みた。
 でも、パイロット一人で歴史を変えられるほど、”世界”は甘くなかった。
 作戦部長のミサトを還しても、だめだった。
 最後には、改心してシンジと和解した碇司令を、過去に送った。
 でも、だめなの。
 ゼーレにあの”シナリオ”がある限り。』

「”シナリオ”?」

『そう、”裏死海文書”と呼ばれている、一種の預言書よ。
 ただの預言書じゃないわ。
 最近になって分かったけど、状況に応じて書き変わるのよ!
 ひどいわよね。
 それって、後出しジャンケンじゃない!』

『シンジは、ゼーレ側にも”時の干渉者”がいるのじゃないかと言っていた。
 だから、あたしたちも、”死海文書外伝”というものを用意した。
 実際のところは、盗まれる恐れのある発掘文書ではないんだけどね。
 あたしたちが体験してきたものをもとに、この世界のMAGIのサポートを借りて再現した、”過去の
 戦いの記録”なのよ。
 …そして、それを作成できるのは、シンジが選んだ、過去生の記憶を持つ人たちだけ。
 それも、各自が全て同じ記憶を共有しているわけではないから、お互いに足りない部分を補い合って
 作り上げたものなの。』

「よく、わからないわ。」

『うーん…。どういったら、理解してもらえるのかしら。』

「つまり、”裏死海文書”に対抗できる、別の預言書を作ったということかしら。」

『なんだ、わかってるじゃない! 早い話が、そういうことなのよ。
 たとえば、このあたしは、いずれ使徒戦で精神汚染を受け、戦線から離脱することになっていた。
 もしそうなったら、奴らのシナリオを、一歩進めることになるわ。
 だから、その場合でもちゃんと復帰できるように、あたしのダミーを用意したのよ。
 ”彼女”には、気の毒なことをしたけどね。』

「それが、式波さん?」

『そうよ。
 だから、ファースト。あんたも、自分の役割をちゃんと果たすのよ。
 あんたも、シンジにとって、大切なものなんだから。』

「…わたしは、いい。」

『なに、言ってるのよ。言ったでしょ、あんたは、シンジにとって…。』

レイは、かぶりを振って言った。

「わたしが消えても、代わりはいるもの。」

声の主は、ため息をつくようにして言った。

『相変わらずね、あんたって。
 あたしも、”運命を仕組まれた者”として、復帰しなくちゃいけないから、もう行くけど。
 シンジはもうすぐ来る筈だから、それまでにもう一度、よく考えておきなさい。』

声の主の気配が消え、レイの周囲には再び静寂が訪れた。

「…碇君が、もうすぐ来る?」

そんな筈はないと思いながらも、レイは一抹の不安とわずかな期待を感じていた。




『…どうだった、彼女?』
『…やっぱり、だめみたい。存在意義を、みずから否定しているわ。』
『…彼に、賭けるしかないのか。』
『…他人ごとじゃないわよ。あんた自身のことじゃない。ま、結局はそういうことなんだろうけど。』
『…”自分の願望はあらゆる犠牲を払い、自分の力で実現させるものだ。”』
『…なに、それ。』
『…今回、父さんが彼に言った言葉さ。”君”が犠牲になった後で。』
『…いやな言い方。』
『…でも、彼はきっと綾波を助け出すよ。その言葉が心のどこかに引っかかっていれば。』
『…あんたが直接言ってあげればよかったんじゃない。あたしがやったみたいに。』
『…だめだよ、奴らに気づかれてしまう。また、シナリオを書き換えられたら大変だもの。』
『…そっか。でも、あたしが復活することはいいの?』
「…奴らに時間を与えなければいいんだよ。君の復活はかなりの衝撃だろうし。』
『…わかったわ。じゃあ、そろそろ、真打ち登場の準備に入るわ。』
『…ああ、頼むよ。』
『…そうそう、後でお願いがあるの。』
『…何さ、あらたまって。』
『…今は、いい。また、そのときが来れば話すわ。』
『…変なの。まあ、いいけどね。それじゃ、また後で。』
『…ええ。』




レイは再び膝を抱えて座り、いろんなことを思い出していた。

たとえば、海洋生態系保存研究機構での、シンジとの会話。

「狭いな。もっと広いところで泳げばいいのに」
円筒形の水槽の中を周回する小さな魚の群れを見て、シンジは言った。

「無理。この子達はこの中でしか生きられないもの。私と同じ・・・」
レイはそのとき、表情を見せずに答えた。

だが、レイはふと思う。
この呪縛から、ひとときでも逃れるすべはないのかと。

役目を全うして、かりそめの満足感を抱いて無に還るのか。
それとも道半ばにして、後事を次の者に託して無に還るのか。
いずれにしても、”自分には何もない”。
普段は、それがあたり前のことの様に思っていた。

だが、その日レイがそうであったように、ときとして思うことがある。
もしも、願いごとひとつ、かなうならば…。
今、わたしの願いごとが、かなうならば…。
わたしは、翼がほしい。

すべてのしがらみ、運命から解き放たれて、大空に飛んで行きたいと思った。


そして、ある日の、ネルフに向かうモノレールの中。
レイとシンジ、アスカの3人でハーモニクステストを受けに行くところだった。

アスカは、携帯ゲーム機に熱中し、
シンジは、ぼんやりとS−DATを聴いており、
レイは文庫本を読んでいた。

レイが本を読み終わって顔を上げると、シンジがS−DATのイヤホンを外すところだった。

「碇君、いつもそれ、聞いているのね。」

「うん、これ昔父さんが使っていたものなんだ。
 だけど、もういらなくなっておいていったものなんだ。 
 先生のところにおいてあったのを、僕がもらったんだ。」

「そう。」
”碇司令との絆の証”だと、レイは思った。

『かって、わたしが碇司令の眼鏡を大切にしていたのと、同じなのね。』


シンジが、ミサトのもとを去ったときの日。
ゴミ箱から、レイはシンジのS−DATを拾い上げた。

『碇司令との、”絆”を捨てた…。
 もう二度と、エヴァに乗るつもりはないのね。
 なら、せめて碇君だけは、自由に生きて。
 わたしが、碇君がもうエヴァに乗らなくても、いいようにするから。』

そのときは、そう思った。


「…でも。」
今、レイは使徒のコアの中で、抱えた膝に額を預けてつぶやいた。

「だめだった…。」

そのとき、

「綾波、どこだ!」
シンジの声が聞えた。

レイは、はっとして顔を上げた。
『碇君!? 本当に戻ってきたの?』

「ダメなの。もう、私は、ここでしか生きられないの。」
レイは、そう言う。

「綾波!」
再び、シンジの声が聞える。さっきよりも、近づいているのがわかる。

「いいの、碇君。私が消えても代わりはいるもの。」
「違う!綾波は綾波しかいない! だから今、助ける!!」

うおぉぉぉぉっ!と、シンジの叫びとともに、闇の中に亀裂が生まれ、光が差し込んできた。
使徒のコアが、引き裂かれているのだ。

「綾波っ!手をっ!!」
亀裂からシンジが身を乗り出し、手を差し伸べてきた。

「来いっ!!!」

レイは、もう何も言えなかった。言われるままに、シンジに向かって手を差し出していた。




レイは、使徒のコアから抜け出し、シンジに抱きしめられていた。

レイの左手には、S−DATがしっかりと握りしめられている。
そして、シンジの体温を、レイは全身で感じ取っていた。

「綾波、父さんのこと、ありがとう。」
「ごめんなさい。わたし、何も出来なかった。」
「いいんだ、もう。これでいいんだ。」

そう、これでいい、レイもそう思った。
二人はゆっくりと、初号機のコアの中に溶け込んでいった。




その初号機を、突然上空から飛来した槍が貫いた。

「さあ、約束の時だ。碇シンジ君。」
告げる者がいた。

「今度こそ君だけは…幸せにしてみせるよ。」
渚カヲルだった。

声とともに、ジオフロント内を降下してくるもの…エヴァ6号機、Mark6だった。

6号機は、初号機の傍に降り立った。

マリは、ふらふらとその6号機に歩み寄っていた。
額から流れた血が、眼鏡の片方のレンズを赤く染めているが、すでに血は止まっているようだ。

それに気付いて、カヲルは微笑んで言った。
「おやおや、生きていたかい。しぶといね、君も。」

「重役出勤ね、フィフス。」
マリは、せいいっぱいの皮肉を込めて言った。

「ひとが、生きるか死ぬかの戦いをしているときに、高みの見物?」

「悪かったね。
 だが、これでお膳立ては揃った。ここから後は、ぼくが引き継ぐ。乗りたまえ。」

その声とともに、6号機のエントリープラグがエジェクトされ、ハッチが開いた。
そこから、ワイヤーリフトが、するするとマリの方に降りてくる。

ゲンドウと冬月は、総司令執務室からそれを見ていた。

「碇、やつらは…。」
「ああ、ゼーレの手駒だ。」

「用意のいいことだな。」
「老人たちは、みずからの手で、時計の針を進めるつもりなのだろう。」

「我々には、打つ手がないぞ。
 零号機は失われ、2号機は大破し、初号機まで凍結されるとなると…。
 なにより、動けるパイロットがいないのが、致命的だ。」

「パイロットなら、いる。」
「なに? まさか!」

そのとき、ゲンドウのインターカムに赤木リツコからの連絡が入った。

「碇司令、例のICUボックスが開いています!
 こちらからは、まだ何の操作もしておりませんが。」

「サンプルは、どうなっている?」

「ロストしました。いかが、いたします?」

「…わかった。その件は、現状維持でかまわん。施設とセキュリティの回復を優先しろ。」

「わかりました。」

インターカムを切るゲンドウに、冬月は緊張した面持ちで言う。

「碇…。」
「ああ、こちらにも、使徒と同じ力を持つ者がいる。さて、やつらはどう出るか。」

6号機のエントリープラグにマリを迎え入れたカヲルは、ふと、遠い目をした。

「どうしたの、フィフス。」
マリは、不審に思って尋ねた。

「気付かないかい、フォース。ぼくたちを、待っている者がいる。」
「…ほんとだ。わたしたちの同類さんが、他にもいたのね。」

「敵か、味方か、分からないけどね。」
「どうするの?」

「お待たせしている以上は、行かないわけにはいかないだろう。」
「初号機は、どうするの?」

「ここに、置いていくわけにもいかない。シンジ君たちも、同席願うとしよう。」
「やれやれ、大幅な作戦変更ね。」

そう言うと、マリはカヲルの後ろのシートに座る。
もともと、6号機は複座であったようだ。
しかも、カヲルとマリのスーツは色こそ違え、同じデザインであった。

「では、行くよ。」

6号機は、槍に貫かれたまま動かない初号機を抱える。
そして、本部施設のメインシャフトを降下していった。




初号機を抱えたまま、6号機はターミナルドグマに向かって降下する。

それが、当然の権利であるかの様に。
それが、あらかじめ決められていたかの様に。

「…静かね。」
「そうだね。」

マリがつぶやく様に言い、カヲルがそれに応える。

「追手が来る様にも見えないわ。」
「もう、ネルフにエヴァは残っていないからね。」

「これから、どうするの?」
「さあね。とりあえず、会うしかないだろうね。もう一人の、仕組まれた子供に。」

「わたしたち、ゼーレを裏切っているのかしら。」

カヲルは、くっくっと含み笑いをした。

「なにが、おかしいの。」
「今更、そういうことを言うんだね。」

「なによぉ!」
「任務に従うふりをして、さんざん好き勝手やってきた君が、それを言うとはね。」

「なによ、あなただって!」
「知ってたのかい。まあ、そういうことだ。」

6号機は、最下層に到着し、地に足をつけた。

「…この先だ。」
少し歩くと、目の前に巨大な扉が現れた。

「ヘブンズ・ドア…。ここか。」

カヲルが意思をこめて、扉を見つめると、徐々にそれが開かれていく。

そしてその目が、意思に反して見開かれた。
意外なものをそこに見たのだ。

「これは…エヴァ?」

入口を塞ぐように、深紅のエヴァンゲリオンがそこに立ちはだかっていた。

「まさか、2号機がこんなところに!」
「うそ! 2号機はさっきの戦いで、大破した筈よ!」

カヲルとマリが、口々にそうつぶやく。

「ちょっと違うわね。」

目の前のエヴァの搭乗者が、そう言うのが聞えた。

「あんたたちが言う”2号機”ではなく、これはエヴァンゲリオン弐号機よ!
 あんな、だっさい”角”なんか、ついていないでしょ。
 もっともエヴァシリーズのS2機関を組み込んで再製しているから、弐号機というより、この世界では
 ”エヴァ7号機”といった方がいいかもね。」

「君は?!」

カヲルは、モニタに映った少女に尋ねる。

「元祖セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ!」
赤いプラグスーツに身を包み、眼帯をした少女は、にっと笑って言った。




「君には、”転生”の資格はなかった筈だが…。」
カヲルは、彼にしては珍しいことに、緊張した面持ちで言った。

「”覚醒”の間違いでしょ。
 でなければ、あたしがここにいるわけがない、そう言いたいのでしょ?」

「………。」

「あたしもね、仮にもサードインパクトを、補完されずに生き延びたのよ。
 シンジほどではないにしても、神の…いえ、使徒の力を半分くらい手にいれていたとしても、不思議で
 はないでしょ。」

そう言うとアスカは、左目にした黒い眼帯を外して見せた。
「おかげで、こんなみっともない姿になっちゃったけどね。」

そこに現れたのは、カヲルと同じ紅い目だった。
…左目だけが、紅い。右目は以前と変わらぬ、スカイブルーの瞳だった。

「君の目的は、なんだ。」
「とりあえず、あんたたちがサードインパクトを起こすことを防ぐことかしら。」

「力ずくで、かい?」
カヲルがそう言うと、6号機は抱えていた初号機を床に降ろした。

「できれば、そんなことはしたくないんだけどね。」
7号機…元弐号機と、6号機の間の空間が、ある種の緊張感でぴんと張り詰めた。

「そちらは、一人。でもって、こちらは二人…。」

カヲルがそう言うと、後部シートのマリが黙ったまま眼鏡を外す。
緑色をしていたマリの瞳が、紅く変った。

「勝ち目があると、思っているのかい。」

「おあいにく様ね、こっちも一人じゃないわよ!」

そう言うと、アスカの頭部が項垂れたようにカクンと落ちた。

次の瞬間、アスカの意識が初号機の中に入り込み、シンジの意識を揺り起そうとする。
『バカシンジ、いつまで寝てんのよ! さっさと起きなさいよ!!』

「へえ、幽体離脱か。それが君の得意技ってわけか。だが…。」
カヲルの言葉に続いて、6号機はプログナイフを構えた。

「本体はその間、脱け殻になるのじゃないの!」
マリがそう叫ぶと、6号機は棒立ちになっている7号機に上段から切りかかる。

そのとき、項垂れていたアスカの顔が、さっと上がった。
その目は、両方とも青く輝いている。
そして7号機は、寸でのところでナイフを握った6号機の手首を受け止めていた。
6号機は、完全に手首を掴まれる前に、後方に跳びすさる。

「あぶない、あぶない。そういうことか。」
「こりゃ、迂闊に近寄れないわねぇ。」

7号機も、その間にプログナイフを抜き出して構えた。
均衡状態に戻ると、アスカ…式波・アスカ・ラングレーは、ふうっと息を吐いた。

「まったく、いきなり”あたし”に振らないでよね。
 話は聞こえていたけど、あたしじゃなかったら、対応できなかったわよ!」

『ほら、バカシンジ、さっさと起きる!
 ”式波さん”にばかり、戦わせていていいの?
 溶けててもいいけど、女の子に守っていてもらったら、男じゃないわよ。
 起きた?
 じゃあ、あっちであんたの分身が、あんたを待ってるんだから、さっさと行きなさいよ。』

「ちょっとぉ! あたしのこと、無視しないでよ。」

『ごめん、ごめん。野暮用は終わったから、帰るわね。』

「なによ、自分の都合だけで…。」
7号機のアスカは何か言いかけ、一瞬沈黙した。

「…待たせたわね。」
再び、笑みを浮かべてそう言ったとき、左目の瞳は真紅に戻っていた。

カヲルとマリは、隙をつくことも忘れ、惣流アスカと式波アスカのやりとりに、呆気にとられていた。
そして、床に倒れていた初号機が、身じろぎするのを見ても、どうすることもできなかった。

「…どうして、こんなところにいるの?」
初号機から、レイの声が聞えてきた。
槍に貫かれたままなので、うまく動けないようだった。

「ああ、ファーストも、お目覚めね。」
「2号機? いえ、細部が違うわ。あなた、誰?」

「さっきも会ったでしょ。”本物”のセカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ。」
「碇君は、どこへ行ったの。碇君の意識が、見当たらない。」

「心配しなくても、もうすぐここへ来るわよ。」

「シンジ君が来る? いったい、どういうことだい。彼は今、初号機の中にはいないのか。」
カヲルが口を挟んだ。

「今に分かるわ。どう、まだ、やる気?」
「いや、もう、その気はなくなった。」

「結構、結構。じゃ、メンツが揃ったら、これからのことを話し合いましょうか。」

アスカがそう言うと、ヘブンズ・ドアの向こう、7号機の背後から、何かが近づいてくる足音が聞えた。

「ああ、来たわね。」
7号機が振り返る。

そこにいたのは、もう一体の”初号機”だった。




「碇…シンジ君なのかい?」
カヲルが、心底驚いたように尋ねた。

「ああ、そうだよ。君の知る、碇シンジさ。この世界の、”覚醒した”ぼくと融合しているけどね。」

「ずいぶんと、遅かったじゃない!」
アスカが文句を言うと、

「ごめん、ごめん。
 あの世界で初号機を回収した上で、エヴァごと還ってくるのは、さすがに時間がかかってしまって。」

「あの世界? じゃあ、これは、原初の”初号機”なのか。」

「そうだ。」
カヲルの問いに答えたのは、シンジではなかった。

「降ろしてくれ、シンジ君。」
声の主は、そのエヴァの手の中にいた。

床に降ろされたその手の中から出てきたのは、加持リョウジだった。

「たしかに、これは、原初の初号機だ。
 だが、不足しているパーツを、ここで建造中だったものから吸収しているから、”エヴァ8号機”と
 でも言った方がいいかもしれないな。」

確かに、今の初号機によく似ているが、よく見ると顔の部分の緑色のペイントが少ない。
他の部分も細部が異なっていた。

「じゃあ、俺はここで、君たちの会合に邪魔が入らないよう、見張りを務めさせてもらうよ。」
「ええ、お願いします。でも、その前に…。」

エヴァ8号機は、初号機に近づくと、その躰を貫いている槍に触れた。
その一瞬のことで、槍は跡形もなく消え、初号機はその身を震わせた。

「う…。」
「綾波、大丈夫?」
シンジが、心配そうに尋ねる。

「ええ。体が…、体が元に戻ったわ。」
初号機に取り込まれていたレイの体が、エントリープラグの中で実体化していた。

「うん、それはよかった。」

「すごい…。」
マリが、素直に感嘆した。

「これが、ロンギヌスの槍だったら、そう簡単にはいかなかったけどね。」

「エヴァ8号機…そして、7号機。すでに、時空を超えた存在ということか。」
カヲルは、ふっと笑ってつぶやいた。
「…敵わないな。」

「そいつは、どうかな。」
加持が言う。

「さっき、シンジ君に預けた、本物の”ネブカドネザルの鍵”のおかげかも知れない。」
「なるほどね。」

「じゃあ、関係者が揃ったところで、話し合いを始めてくれ。
 さっきも言ったように、俺はここで邪魔が入らない様、門番をさせてもらう。」

「わかりました。じゃあ、みんな、リリスの前に行こう。」

シンジが告げ、8号機を先頭に、7号機、6号機、初号機がヘブンズ・ドアの中に入っていく。

そして、ヘブンズ・ドアが閉じられると、そこにはこの様な電光表示があった。
 
”Keep out Lilith preservation site access strictly restricted”
(立ち入り禁止 リリス保存区域 何人の接近も厳しく制限中)

加持はパネルを操作して、それを次の様な表示に変えた。

”Keep out seele children’s assembly in session do not enter”
(立ち入り禁止 ゼーレのチルドレン集会会合中 入室を禁ず)

そして、加持は右手で銃を取り出して、その場に腰を下ろした。

「さて、どういう結論になりますことやら。」
左手で煙草を取り出し、それに火をつける。

「図らずも、エヴァが4体、揃ってしまった。
バチカン条約は、サードインパクトを避けるための措置だと聞いたことがある。
 しかも、リリスの前でそれが行われているから、何が起きても不思議ではない。
 ”ネブカドネザルの鍵”が、それを制御するものであればいいのだが。
 だが、我々は見守ることしかできない。
 未来は、未来ある者にこそ、委ねられるべきものだからな。」

加持は煙草の吸い口を口から離すと、大きく煙を吐き出した。
この先、何が起きようとも、自分はそれを受け入れようと思った。




9月13日、綾波レイの日記より。

 あのときの会合から、一か月余りが過ぎた。

 その間いろいろなことがあったが、ようやく最近になって、日々の生活は平穏を取り戻した気がする。
 というか、いつの間にか、平凡な日々を送る様になっており、今更ながらそのことに気付いたという
 のが実際のところだ。

 だから、平和ぼけしてしまわないうちに、これまでに何があったのかを記しておこうと思う。

 リリスの前での会合の結果、人類と使徒との、生存を賭けた戦いは避けられることになった。
 使徒としては、人類の様に群体として生きることは根本的に理解しがたいということであったが、
 究極の進化形としての”ヒト”の形をとった今、とりあえずやってみようということになった。
  
 そう、人類と使徒との、共存の道を。

 フィフスは初めのうち、碇君を使徒側に引き込むつもりだったようだ。
 それを、碇君が、
 『君たちが、人類として生きればいいじゃないか。群体として生きるのも、いいことだよ。
  まず、やってみたらいいじゃないか。
  ”ぼくととともに生きること”に、変りはないのだから。
  それでだめなら、また考えればいい。』
 と、説得した。
 『たしかに、そうだ。』
 フィフスも納得したようだった。

 意外なことに、碇司令も赤木博士も、その報告を受けても反対はしなかった。
 ただ、赤木博士は別のことで不満そうだった。

 擬似人格であった2号機の子を、元に戻すのは自分の役割だと思っていたようだ。
 それを、あっさりと”惣流さん”が、自力でやってしまったことが面白くないらしい。
 ことによると、その作業自体に、ダミーシステムの完成に関わる、共通のノウハウがあったのかも
 知れない。

 ともあれ、フィフスとフォースは、”転校生”として、私たちの中学に転入してきた。
 そして、それがあたり前のように学園生活を続け、何の違和感もなくクラスの中に溶け込んでいる。
 いや、もう学校でそうするのと同じように、渚君と真希波さんと呼ぶべきだろう。

 先日、洞木さんが私と碇君に、お好み焼き屋に行かないかと持ちかけてきた。
 本当は鈴原君と、二人でどこか、ケーキが食べられるところに行きたかったらしい。
 ところが鈴原君が、『男の行くとこやない』とか、『お好み焼き屋なら付き合う』とか言い、それでも
 いいと言うと、二人きりはいやだとか言うものだから、結局わたしたちも誘うことになったようだ。

 それを横で聞いていた渚君が、
 『それはいいね。ぼくたちも、行っていいかい。』
 と言い、真希波さんも、
 『せっかくだから、相田君と式波さんも誘おうよ。』
 と言う。結局、8人の大所帯でお好み焼き屋さんを貸し切り状態にしてしまった。

 ちょとした、パーティだった。
 参加した者それぞれが、好き勝手にしゃべっている。
 わたしと碇君は、しゃべるのが苦手なので、二人だけ浮いてしまった様な気がした。
 『なんだか、合コンみたいだね。』
 苦笑しながら、碇君が言う。 

 『これが、”彼”が望んだ世界なのかしら。』
 『そうだね、そうかも知れない。』
 
 『”彼”はまた、滅びの世界に留まるつもりなのかしら。』
 『たぶんね。その世界での、”綾波”を探すと言っていたから。』

 『歴史が変わった今、もうこの世界には戻れないのに。
  他の人たちはその直前に、この世界の人たちを本体として融合する形で戻ってきたというのに。』

 『しかたないよ、それは”彼”…ぼくが望んだことだから。ぼくが”彼”でも同じことをしたよ。』
 『そう…。』

 『嬉しくないの?』
 『嬉しいけど…なんだか、淋しい気がして。』

 碇君とそこまで話をしたとき、

 『なんや、そこの二人、暗い話しとんのとちゃうか!』
 向かいの席から、鈴原君が声をかけてきた。

 『はは、ごめん、ごめん。なんでもないんだよ。』
 碇君がそう言い、その話はそこで打ち切りとなった。

 それから、碇君とわたしは、できるだけみんなとの話に加わるようにした。
 渚君と真希波さんも、ごく自然にその中に入り込んでいた。
  
 いつまで、この平穏な日々が続くかは分からない。
 また、あらたな敵が現れることも考えられる。
 それは、別の使徒かも知れないし、同じ人間の敵対組織かも知れない。

 でも、わたしたちには仲間がいる。
 初号機と、あらたに得た3体のエヴァがある。 
 力を合わせれば、なんとかそれに立ち向かえるのではないかと思う。
 
 そして、15年前の”今日”という日が、再び呼び起されることがないようにしたい。

 


紅い空と、紅い海。

その波打ち際に、彼はいた。

「さて、これからどうしたものか。」
ぽつりと、そう呟く。

「あんた、後悔してるの。」
背後から、問いかける少女がいた。

「もう、やり直せる世界には戻れなくなってしまったことで。」

「そんなんじゃないよ。」

振り向いた彼…碇シンジは言った。
その両目は、空と同じ紅い色を映している。

「あの世界のぼくには、人として、あたり前な道を進んでほしい。
 だから、こんな姿、こんな力は必要ないんだ。
 逆に、この世界の綾波を探し出すには、この力が必要だ。
 だから、ぼくは彼から…。」

「だから、あんた一人、あの世界の自分と一体化せずにここに残ったというのね。」

「再びこの世界が結末としてリンクされることがないよう、ここを見守る必要もあるしね。」

「”時の番人”というわけね。」

「アスカは、どうなのさ。」

「え?」
問いかけられた少女は、いぶかしげにシンジを見返した。
その目は、右目が蒼く、左目が紅い。

「ぼくに合わせて、ここに残る必要なんかなかったのに。」

「どうしてかな。」
アスカは小さく笑った。

「あんたを見ていたかった、というのもあるかな。」

「ぼくが追い求めているのは、綾波なんだよ。
 永遠に生きる使徒の力を得たままそれを見ているなんて、つらいだけじゃないか!」
 
「そうでもないわよ。」
そう言うと、アスカは再び笑みを浮かべた。

「あの世界で、あたしの代わりをしてもらっていた擬似人格の式波って子だけどね…いい子なのよ。
 よく、ここまであたしの性格を模写できたなって思うところもあるけど、あたしにはない”やさしさ”
 を持った、いい子なのよ。
 あの子には、消えてしまわないで、あの世界のアスカとして生きていってもらいたかったの。
 だけど半人前のあたしの力じゃ無理だったから、あのとき、あんたにお願いしたのよ。

 あんたがファーストを、レイを探すっていうなら、あたしも手伝うわよ。
 一人で探し続けるなんて、それこそ淋しい話じゃない。
 使徒の力を手に入れたあたしたちは、いつまでも…そう、永遠に、仲間なんだから!」

「アスカ…。」
シンジは、アスカの手をとった。

夕暮れを思わせる紅い光が、いつまでも二人を包んでいた。
                       完