ラ イ バ ル U (Ver.R)
「優等生、あんたも来るのよ!」
洞木さんと話をしていた惣流さんが、わたしの方を振り向き、そう言った。
いきなり声をかけられて、わたしは戸惑った。
登校して自分の席についたばかりだった。
窓の外を見るともなしに見ていたところに、突然に話をふられたのだ。
彼女が、何のことを言っているのか判らなかった。
「なに?」
「ほら、やっぱり聞いてない。」
「アスカ、無理言わないで。」
洞木さんが、とりなしてくれた。
「今日、アスカの家で、葛城さんの昇進祝いパーティがあるんだって。
私も今、誘われたんだけど、綾波さんもよかったらどうかって。」
「あたしとヒカリだけじゃ、女っ気が足りないのよ!
言いだしっぺはあの3バカだけど、ミサトのことだから参加しないわけにはいないのよね。」
「だからね、もし都合がつくようだったら綾波さんも…。」
「そう。」
「アスカは数合わせみたいなことを言ってるけど、無理にとは言わないから。
考えておいてくれる?」
「わかったわ。考えておく。」
そうは言ったものの、わたしは行くべきかどうか、迷っていた。
休み時間に、たまたま廊下で碇君とすれ違ったので、相談してみることにした。
「碇君。」
「な、なに? 綾波。」
突然声をかけられて、碇君は少し面食らったようだ。
今朝のわたしと、同じ。
「碇君も、今日のパーティに参加するの?」
「ああ、ミサトさんの昇進祝いだね。」
碇君は合点がいった様に微笑んだ。
「アスカに誘われたの?」
「ええ…。」
「どうしようか、迷ってるんだね。」
「ええ。」
「都合がつくなら、来てくれると嬉しいな。」
「ええ、でも…。」
「正直言うとさ、ぼくもパーティって苦手なんだ。」
「どうして?」
「雰囲気が苦手っていうより、人がたくさんいて、思い思いにおしゃべりするって
いうのがちょっとね。
話の展開が速すぎて、ちょっとついていけないんだ。」
「なら、どうして参加するの。」
「せっかくの、ミサトさんのお祝いだしね。
日ごろ、お世話になってるんだから、気持ちだけでも伝えたいと思って。」
「それは、わかる気がする。」
…それが、碇君にとっての、葛城三佐との『絆』なんだろう、と思った。
「だったら、綾波もおいでよ。」
めずらしく、碇君ははっきりした口調で言った。
「別に、みんなとの会話に、無理に参加することはないから。
座ってるだけでいいんだ。
あとは、好きなものを食べてればいいよ。
来てくれた、というだけで、ミサトさんは喜ぶから。」
「わかった。行くわ。」
「ありがとう、それじゃ。」
わたしは、葛城三佐の昇進祝いパーティに参加することにした。
『行くわ』と言ったが、『お邪魔する』と言った方がよかっただろうか。
パーティは、思ったより盛大なものだった。
惣流さんと洞木さん、碇君、鈴原君、相田君の他に、あとから赤木博士と加持一尉も来た。
わたしが訪問したとき、あるいは後から来た人たちが私が参加していると知ったとき、ほとんどの
参加者はみな、意外そうな顔をした。
でも、碇君と葛城三佐の二人だけは、『よく来てくれた』と心底嬉しそうな顔をしていた。
パーティとは、始まりのときだけは形式ばった挨拶の様なことを言うだけで、『乾杯』が
済んだらあとは、碇君が言った様に皆が思い思いに喋るものだと、初めて知った。
たとえば、洞木さんと惣流さんは、二人でずっと話し込んでいた。
「そのときね、鈴原ったら、しっかり潜っていないうちに足を蹴るもんだから…。」
「うん、うん、それで?」
「海面から、足だけが出てきて、ちっとも進まないのよ。」
「あはは、やだあ。」
どうやら、沖縄の修学旅行で体験したスクーバダイビングのことを話しているらしい。
…少し、うるさいと思う。
それにしても、みんなよく喋り、よく笑う。
適当に食べてはいる様だが、これではせっかくの料理が冷めてしまう。
食べずに冷めてしまっては、料理を作った人の苦労が報われないのではないか。
そして、これらのほとんとが、碇君が作ったもののようだ。
わたしは、初めて、出来立てのポテトフライというものを口にした。
おいしい。
こんなとき、どんな顔をすればいいのだろうか。
冷めるのが勿体無いので、わたしは黙々とポテトフライを食べ続けた。
…わかっている。
勿体無いというのは、口実だ。
わたしは、ただ、これが気に入っただけなのだ。
「綾波、フライドチキン、そちらに廻そうか?」
碇君が声をかけてきた。
…肉は、ちょっと…。
せっかくの申し出だが、そればかりは許してほしい。
「わたしは、これでいい。肉、きらいだもの。」
そう言いながら、わたしはもう、けっこうお腹が張ってきていた。
少し、息苦しい。
いつも一人でいるから、この騒々しさもちょと苦手だ。
わたしが立ち上がると、碇君が少しあわてて、
「あ、今、洞木さんが…。」
と言いかける。
そう言えば、洞木さんの姿が見えない。
でも、碇君は何か、勘違いしている様なので、
「違うの。少し、夜風にあたりたくて。」
そう言うと、
「ああ、そうなんだ。」
納得したようだった。
わたしは、サッシを開けてベランダに出た。
今夜は、わりと過ごしやすい。夜風が心地よかった。
さきほどまでの喧噪がうその様に消え、静かだ。
ときおり、鈴原君と相田君が笑っている声が、サッシ越しに聞こえてくるくらいだった。
このマンションは街外れにあるので、第3新東京の夜景がけっこう見渡せる。
それを眺めながら、わたしは昼間の碇君の言葉をぼんやりと思いだしていた。
『来てくれた、というだけで、ミサトさんは喜ぶから。』
そうなのかな、と思う。
確かに、玄関口でわたしを出迎えてくれた葛城三佐は、すごく嬉しそうだったけど。
「今日は、ありがとう。」
その声で、わたしは我に返った。
碇君が隣にいた。
ぼんやりしていたとはいえ、わたしが気づかなかったということは、皆にも悟られぬ様、
ベランダにそっと出てきたのだろう。
「ミサトさん、すごく喜んでいたよ。」
「そう? よく、わからない。全然話もしていないし。」
「アスカと違って、綾波がおしゃべりじゃないことはみんな知っているし、
お祝に来てくれたということが、嬉しいんだよ。」
「………。」
「どうしたの?」
「わたし、惣流さんの様に、みんなともっと話した方がいいのかしら。」
「そ、そんなことないよ。
アスカは…あれは、ちょっと、しゃべり過ぎだよ。
綾波は、いつもの綾波でいいと思うよ。」
「でも、惣流さんと話をしている人は、碇君を含めて、みんな楽しそうに見えるわ。」
「そうかなあ。
まあ、綾波がそう思うなら、もう少し人との会話を続けてみてもいいかも知れないね。」
「会話を続ける?」
「うん、人に話をふられたときに、返事をするだけでなくて、もう少し会話を引き延ばすように
するといいよ。」
「そうなの。」
「たとえばさ、問われて答えるだけでなく、綾波からも何か問いかけてもいいんじゃないかな。
そうすれば、会話の幅も広がるし、何かを共感できるかも知れないから。」
「共感することが、楽しいの?」
「そうだね、そうかも知れないね。
ぼくも、口下手だし、あまり人のことは言えないけど。」
「わかったわ。ありがとう。」
「べ、別にお礼を言われるほどのことは言ってないから。」
そう言うと、碇君は視線をそらす様にして、遠くの夜景を眺めた。
わたしも、それに従う。
「…綺麗だね。」
「ええ…。」
翌日。
ネルフで、ハーモニクステストがあった。
テスト結果は、今回も惣流さんが一番よかった。
でも、碇君がものすごい勢いで、肉薄していた。
「エヴァに乗るために、生まれてきたみたいね。」
赤木博士と伊吹二尉が、碇君のことを絶賛していた。
するとなぜか、急に惣流さんの機嫌が悪くなった。
「よかったわね、おほめの言葉をいただいて。先に帰るわよ、ば〜か!」
そういい残すと、惣流さんは碇君とわたしを残して、ひとりで帰ってしまった。
「どうしたのかな、アスカ。何を怒っているんだろう。」
碇君は、心底わけがわからない、というふうにつぶやいていた。
「なんでも、一番でないと、気が済まないのじゃないかしら。」
わたしは、思ったことを口にしてみた。
「でも、今回も一番だったし、怒ることなんかないのに。」
「それは…。」
「シンちゃんに抜かれそうになっただけで、気に入らないのよ、あの子は。」
その場にいた葛城三佐が、わたしが言おうとしていたことを言った。
「困ったものね。あの負けず嫌いな性格が、それが発奮する方向へ向かうならともかく、
チームの和を乱すようなことにならなければいいんだけど。」
「大丈夫ですよ、アスカなら。」
碇君は、心配ないと言う。
「あれでけっこう、気分の切り替えが早いですから。」
「だと、いいんだけどねえ。」
「………。」
わたしは、何か言おうと思ったが、適当な言葉が見つからなかった。
夕べ、碇君から言われたように、会話を引き延ばすように心がけてみたがだめだった。
何を言ったらいいのか、わからない。
これでは、会話の幅を広げることなどできない。
どうしたら、いいのだろう。
わたしは、着替えを終わると、本部施設のゲートに向かう昇りエスカレータに乗った。
「綾波!」
わたしを呼ぶ声がして、振り向いた。
碇君が、駆け寄ってくるところだった。
エスカレータに飛び乗る様にして、わたしの隣に並ぶ。
「帰るの?」
「ええ。」
「じゃあ、家まで送っていくよ。」
「ありがとう。」
わたしたちを乗せたまま、エスカレータはその長い道のりを上昇していく。
「綾波、最近少し変わったね。」
「そう?」
突然そう言われて、わたしは訝った。何が変わったというのだろう。
「こう言うと失礼かもしれないけど、少し他人に目を向けるようになったんじゃないかな。」
「よく、わからない。」
ああ、そう言えば、碇君のことは何となく気になるようになった。
そのことに、関係しているのだろうか。
「悪いことではないと思うよ。さっきも、会話に加わろうとしていたみたいだし。」
「そう、あれでいいの。」
「そういえばさ。アスカのことなんだけど…。」
碇君は、視線を上に向けて何かを思い出す様に言った。
「綾波は、どう思う?
ぼくなんか、まだまだアスカの域には及ばないのに、ひとりでカリカリしてただろ。」
「…ええ。」
「家に帰ったら、大変なんだよね。いろいろと、機嫌をとらないといけないから。」
「でも、惣流さんの気分の切り替えは早い、とさっき碇君は言っていたわ。」
「そりゃ、アスカが何か、喜ぶことをしてあげた上での話だよ。
なにせ、お風呂の温度が少し高いだけで、すぐ文句言うんだから。」
「なんだか、楽しそうね。」
「え、何が?」
「惣流さんの機嫌をとったり、世話をしたりするのが。」
「た、楽しいわけないよ! 綾波は、アスカと一緒に暮らしていないから、そう思うんだよ。」
本当に、大変なんだから、と碇君は言う。
本部施設を出てから、わたしの家に着くまでの間中、碇君の話題は半分くらいは惣流さんのこと
だった。さんざん愚痴を聞かされたが、わたしは何だか惣流さんがうらやましいと思った。
家の前で、わたしは碇君と別れた。
「ここでいいわ。
ごめんなさい、本当は上がっていってほしいんだけど。」
「そんなこと、気にしなくていいよ。じゃあ、また明日ね。」
わたしは、かぶりを振った。
「今日は深夜から、わたしだけまたテストがあるの。
たぶん、明け方まで続くのじゃないかと思う。
だから、明日の学校はお休みすることになるわ。」
「そうか、大変なんだ。それじゃ、今日は早く休まないといけないね。」
「ええ。」
「そうだ。明日もし学校で、プリントが出ていたら、もってきてあげるよ」
「ありがとう。」
「それじゃ。」
碇君は、笑みを浮かべると、片手をあげた。
わたしも、つられて片手をあげる。
だが、どう返事していいかわからないでいるうちに、碇君は去っていってしまった。
その夜。
予定どおり、テストは始められた。
わたしは、LCLに満たされたカプセルの中にいた。
カプセルの透明な隔壁を通して、碇司令と赤木博士の姿が見える。
昼間の、ハーモニクステストの測定室ではない。
もっともっと地下深くにある、ダミープラントと呼ばれるところだ。
「もう、0.2下げてみろ。」
「はい。」
碇司令の指示に従って、赤木博士が何かの操作を行う。
「う…。」
何かに、直接脳を鷲づかみされる様な感じがする。
だが、それはすぐに消えた。
「どうだ、レイ。」
「問題ありません。」
「うむ。」
碇司令は頷くと、わたしをじっと見続けた。
見ている…。
わたしを。
いえ、違うわ。
わたしを通して、他の人を見ている。
『ちょっと、司令に贔屓にされているからって、いい気にならないでよね。』
『贔屓なんかされていない。自分でわかるもの。』
いつだったか、惣流さんと交わした、そんな会話が思い出される。
『もうすぐだよ、ユイ。 すべてはシナリオどおりだ。』
ケージに格納された初号機を眺めながら、そんなことをつぶやいていた碇司令を思い出す。
わたしは、何?
わたしは、綾波レイ。
どうして、あなたはここにいるの?
みんなとの、絆だから。
それだけで、あなたはそれでいいの?
違う…。
わたしは、わたしでいたい。
他人とのかかわりを通して、わたしはわたしのことを知りたい。
だれかに、わたしのことを気にかけてもらいたい。
わたしのことを、気にかけてくれる人…。
それは、碇君。
初めて会ったときから、そうだった。
傷ついて、移動ベッドから起き上がることもままならないわたしを、気づかってくれた。
あの頃は、暗い顔をした少年だった。
それが今は、すっかり明るくなった。
何が、彼を、そうさせたの。
友人ができたから?
いえ、それだけではないわ。
髪の長い、勝気な印象を与える少女をわたしは知っている。
彼女が来てから、碇君の表情は豊かになった。
碇君がわたしに話す内容の半分は、彼女のことが占める様になった。
あいかわらず、碇君はわたしのことを気づかってくれる。
だけど、碇君の関心は、彼女に向けられている。
なんだか、胸が苦しい。
何?
この感情は、何?
惣流さん…。あなたは、わたしの…。
「何を考えている、レイ。」
碇司令の声で、わたしは我に返った。
「雑念を捨てて、集中しなさい。」
赤木博士にもそう言われ、
「はい…。」
わたしは、テストに専念することにした。
そして、翌日の午後。
約束どおり、碇君がプリントを持ってわたしの家に来てくれた。
「わざわざ、ありがとう。」
「いいんだよ。元気そうでよかった。」
「え?」
「徹夜明けで、もっと疲れた顔をしているんじゃないかと思った。」
「お昼前まで、寝ていたもの。今日は、あがっていってくれる?」
「うん。」
わたしは、碇君を招き入れた。
「そこにかけて。」
寝室の椅子を勧めてから、
「紅茶しかないけど、いい?」
「あ、いいよ。ぼくがやるよ。」
キッチンに向かおうとした、わたしの腕を掴んで碇君が言った。
「あ…。」
肘のあたりから、碇君の体温が伝わってくる。
「綾波は、座ってなよ。まだ、疲れてるだろ。」
「ありが、とう…。」
わたしは、言われるままに椅子にかけて待つ。
さっき、碇君が掴んだ腕の部分を、そっと握った。
わたしがそうしていると、
「ほんと、綾波は変わったね。」
お湯を沸かしながら、碇君は言った。
「こんなこと言うと、アスカは『デリカシーがない』と、怒るんだろうけど。
でも、前の綾波は、『あがっていってくれる?』なんて言わなかったもの。」
「なんて、言ってたの。」
「たしか、『少し、あがっていけば?』だったかな。」
「そうだったかしら。」
…どこが、どう違うのか、よく判らない。
「はい、できたよ。」
そう言うと、碇君はわたしの分と自分の分の紅茶をカップに注いだ。
「ありがとう。」
「はは、またちょっと、苦かったね。」
「そんなことないわ、美味しい。」
それからしばらく、碇君とわたしはとりとめのない話をしていたが、
「そろそろ、帰るよ。晩ご飯の用意しなくちゃいけないし。」
そう言って、碇君が帰っていったのは、30分くらいしてからだった。
部屋の中に、急に静寂が満ちた。
これから、長い夜が来る。
一人でいることには慣れている筈だが、とりあえずすることがない。
わたしは頬杖をついて、どうしたものかと思案していた。
そこへ、玄関のドアが開く気配がして、わたしは、はっと顔を上げた。
『碇君? 忘れ物でも、したのかしら。』
だが、その予想は裏切られた。
「なに…これ…。」
聞き覚えのある、女性の声がした。
「惣流さん?」
「お、お邪魔するわよ。」
やはり、惣流さんだった。
「どうぞ。」
わたしが促すと、彼女は部屋に入ってきた。
信じられないものを見た、という感じで、周囲を見回している。
「何かご用?」
「よ、用ってほどのことじゃないんだけどね。」
そう言う彼女の目は、まだどことなく、泳いだ感じがしている。
「同じエヴァのパイロットとして、たまには交流もしないとね。
あんたが、どんなところに住んでいるのかも、興味があったし。」
彼女の態度から、その半分はうそだと思った。
おそらく惣流さんは、私の家を出ていく碇君の姿を見ている。
彼女がわたしに興味を持つなどということは、まず考えられないから、碇君のあとをつけてきたと
考えるのが自然だろう。
そうなると、答えはひとつだ。
「興味があるのは、碇君じゃなくて?」
「ば、ばかなこと言うんじゃないわよ! だれがあんな奴に。」
やはり、そうなのね。
碇君の関心が、あなたに向いている様に、あなたも碇君のことを…。
「そんなにムキにならなくていいわ。」
わたしはそう言うと、さきほど碇君が淹れてくれた紅茶を取りに、キッチンに向かった。
「あ、ちょっと…。」
惣流さんは、何か言いたそうだった。
急ぐことはない。
いつものペースで話されたら、わたしの聞きたいことの半分も聞けないうちに終わってしまう。
惣流さんにはお茶でも飲んでもらって、ゆっくり碇君のことを聞き出そうと思った。
紅茶のポットを持って戻ってくると、惣流さんは意外そうな顔をして尋ねた。
「それは?」
「碇君がさっき来て、紅茶を淹れてくれたの。 飲む?」
「…いただくわ。」
惣流さんの分と自分の分の紅茶をカップに注ぎながら、わたしは碇君の言葉を思い出していた。
『綾波からも何か問いかけてもいいんじゃないかな。
そうすれば、会話の幅も広がるし、何かを共感できるかも知れないから。』
何を、話せばいいのだろう。
やっぱり、惣流さんから切り出してもらわないと、きっかけが掴めない。
「はい。」
「ありがとう…って、レモンもミルクもなしなの?」
「十分おいしいと思うわ。」
「まあ、いいけどね。」
「暖かいでしょ。」
「…うん、まあね。シンジはちょくちょく、ここへ来るの。」
きっかけができた。
こちらから、問いかけをするきっかけが。
「それほどでもないわ。そんなに碇君のことが気になる?」
「だから、違うっていってるでしょ!」
彼女のリアクションが思った以上に大きくて、わたしは少し驚いた。
「わたしと碇君のことが気になるから、ここに来たのではないの。」
「どうしてそう思うわけ?」
わたしの推測は、おそらくは正しい。
でも、こう切り返されるとは思わなかった。
こうなったら、わたしは本音を言うしかない。
「わたしが、そうだから。」
「え?」
「わたしが、あなたと碇君のことが、気になってしかたがないから。」
「ちょ、ちょっと…。」
今度は、惣流さんの方が面くらったようだ。
つくづく、人の会話とは、不思議なものだ。
「何言ってるのよ。一緒に住んでるというだけで、あたしとシンジはなんでもないわよ。
あんた、ひょっとしてシンジが好きなわけ?」
「そうかも知れない。」
「じゃ、じゃあ、あたしに遠慮することないわよ。
あんな奴でよければ、のしを付けてくれてやるわ。」
「碇君は、あなたのことが好きなのかも知れないわ。」
「ま、まさか。どうしてそう思うのよ。」
「…顔が、赤いわ。」
「あ、あんたが変なこと言うからよ!」
惣流さんの、リアクションはわかりやすい。
素直で、純粋で…、日頃の勝ち気な印象とのギャップは、可愛らしいと感じるほどだ。
碇君は、彼女のそういうところに惹かれているのだろうか。
惣流さんのことをもっと知りたい、わたしはそう思った。
そして、二人の関係が進展するのであれば、わたしにはそれを妨げる権利はない。
まず、惣流さんには、現状を知ってもらう必要があるだろう。
「碇君は、あなたがこちらに来てから、明るくなった。
以前はわたしに、エヴァに乗る理由を聞いてきたりして、
なんだか思いつめることが多かった。
でも今は、毎日がとても楽しそう…。」
話していて、わたしは、だんだんつらくなってきた。
事実を言っているだけなのに。
何なのだろう、この胸の苦しみは。
「そんなこと、あたしには関係ないわよ!」
きっぱりと、彼女は言う。
そんなにはっきりと否定されると、わたしはさらにつらくなる。
「わたしは、そうは思わない。でも、それは悪いことではないと思う。」
「そうなの。」
何がいいたいの、と惣流さんは言いたげだった。
それが、きっかけだった。
わたしは、わたしの想いが、一気に噴きこぼれるのを感じた。
「だけど、わたしの気持ちがざわざわするの。
碇君が、あなただけを見ていれば、そんなことはなかったような気がする。
でも碇君は、あいかわらず、わたしにやさしい。」
そこまでを、一気に言った。
いつからわたしは、こんなおしゃべりになったのだろう。
「あ、あいつが二股かけてるっていうの?」
違う!
碇君はそんな人ではない。
あなただって、知っているでしょう。
「たぶん、碇君は、意識していないのだと思う。気づいていないのだと思う。
わたしの…そして、あなたの気持ちに。」
わたしは、確信を込めてそう言った。
わたしの言葉を反芻していた、惣流さんの目が、徐々に見開かれていく。
「ちょ、ちょっと!」
「そして、碇君自身の気持ちにも。」
「待ってよ。」
信じられない、というふうに、惣流さんは首をふる。
「そう。だから、わたしとあなたは、ライバル…。」
そこまで言うと、
「冗談じゃないわよ!!」
突然、惣流さんは叫ぶと、わたしの家を飛び出していった。
また、わたしは一人、静寂の中に取り残された。
何か、まずいことを言ってしまった。
まっさきに思ったのは、それだった。
でも、間違ったことは、言っていない筈だ。
何が、惣流さんは気に入らなかったのだろう。
『わたしとあなたは、ライバル…。』
最後に言ったのは、この言葉だ。
勝ち気な彼女のことだから、わたしと同列に扱われるのが、気に入らないのだろうか。
いや…やはり、何か違う気がする。
感情がすぐに顔に現れるところは、「判りやすい」人だと思った。
せっかく、彼女のことがわかりかけたのに、また振り出しに戻ってしまった。
でも、わたしは彼女のことをわかろうとして、その後でどうするつもりだったのだろう。
いたずらに、彼女を傷つけただけのような気がする。
翌朝、わたしたちは、本部に招集を受けた。
碇君と、惣流さんと、わたしの三人で葛城三佐の前で整列していた。
そのときに、使徒が来ていると聞かされた。
衛星軌道上に突然現われ、もうすぐここを目指して落下してくるのだという。
「えぇっ、手で受け止めるぅ!?」
聞かされた作戦内容に、惣流さんは、信じられないといった表情で叫んでいた。
「作戦と言えるの、それ?」
昨日のことは、引きずっていないようだ。
よかった。
やはり彼女は、切り替えが早い。
それとも碇君が、事情を知らないまま、うまくフォローしてくれたのだろうか。
「ほんと、作戦とは言えないわね。」
葛城三佐は言う。
「でも、ここを放棄するわけにはいかないの。
その上で、最も成功する確率が高いのは、そういうことなのよ。」
「で、勝算は?」
惣流さんが、さらに喰ってかかる。
「数字の上では、万に一つってところね。」
「まさに、奇跡ね。」
「奇跡は、起こしてこそ価値があるものなのよ。」
二人のやりとりを、わたしと碇君は黙って聞いていた。
すると、惣流さんは今度はわたしたちの方に向き直り、
「どうして、あんたたちは、黙っているのよ!」
「どこに逃げたって同じなら…。」
「少しでも生き延びる可能性があるのなら、それに従う…。」
碇君とわたしは、同じ考えのようだ。
「…まあ、しょうがないわね。」
惣流さんは、ため息をつきながら、そう言った。
「いいのね、あなたたち。」
葛城三佐の言葉に、わたしたちは黙って頷く。
「ありがとう。
…規則で、遺書を書くことになっているんだけど。」
さらに続く、きまりの悪そうな言葉にも、わたしたちは無言で応えた。
そして今、わたしたちはそれぞれのエヴァに乗り、第3新東京を郊外から取り囲む様に
配置されている。
「エヴァ全機、スタート位置。」
葛城三佐の指示で、三機のエヴァはいっせいにスターティングポーズをとる。
走り出した時点で、その後のことはわたしたちに任されている。
真っ先に使徒の落下地点に到達したものが使徒を受け止め、続く二機がとどめを刺す。
それだけだった。
「使徒接近、距離およそ2万!」
「では、作戦開始。」
外部電源がパージされ、内部電源に切り替わる。
「スタート!」
最後の指示が、告げられる。
三機のエヴァが、一斉に走り始めた。
奇跡は、起きるのか。
奇跡は、起こしてこそ価値があると、葛城三佐は言った。
でも、わたしはそれは違うと思う。
奇跡とは、可能性のひとつでしかない。
起こすのは人かも知れないが、あくまでも偶然の産物でしかない。
だが、生き延びる可能性がそれしかないのであれば、わたしたちはそれに賭けるしかなかった。
座して死を待つことなどできないのだから。
だから、わたしたちは走る。
たとえこれが最後の作戦行動であろうとも、今こうしていることがわたしたちの生きている証だ。
「距離、1万2千!」
使徒が肉眼で確認できた。
予想落下地点は、町外れの丘の上。
碇君の初号機が一番近い。
わたしと、惣流さんのエヴァは、それぞれが同じくらい離れている。
音速を超えるスピードで、三機のエヴァはひた走る。
予想どおり、初号機が真っ先に落下地点に到達した。
「フィールド全開!!」
碇君の雄たけびが聞こえてくる。
上空に向かって、初号機が両腕を突き上げるのが見えた。
碇君!
今、わたしもそちらに行くわ。
そう思った矢先。
それまで、疾走していた零号機が、がくんと止った。
ものすごい圧力がかかっている。
展開しているA.T.フィールドがないと、吹き飛ばされそうなほどの。
衝撃波?
あれだけの質量と体積が、衛星軌道上から落下したのだ。
それを受け止めた初号機はもちろんのこと、落下地点を中心とした周囲への影響は、半端なもの
ではなかったのだ。
わたしは、何とか前進しようとした。
だが、動けない。
見ると、初号機を挟んで向こう側に見える弐号機も、同じ状況にある様だった。
このままでは、初号機がもたない。
直上から受けた衝撃波と落下のエネルギー、そして使徒のA.T.フィールドが、初号機を
押しつぶそうとしている。
その足首までが地にめり込み、その腕は折れそうにたわんでいる。
なんとかしなくては。
渾身の力を込めて、インダクションレバーを握る。
初号機に向かって、一歩を踏み出そうとする。
しかしやはり、ぴくりとも動かない。
初号機の腕の装甲の一部が、ちぎれ飛ぶのが見えた。
「これまで、なの?」
だれかが、そうつぶやくのが聴こえた。
まるで、わたしの心を代弁するかの様に。
惣流さん…弐号機パイロットだ!
そのとき、わたしは言い様のない怒りを感じた。
それは、だれに対しての怒りだったのだろうか。
「あきらめては、だめ。」
わたしは、思わず口走っていた。
惣流さんは、驚いた様な顔をして、サブモニターごしにわたしを見ている。
「あきらめたら、それで終わり。
碇君を助けたければ、何としてもたどりつくのよ。」
怒りにまかせて、さらにインダクションレバーを握る手に力をこめる。
あなた、碇君のことが好きじゃなかったの?
こんなことで、彼を失ってもいいの?
わたしは、いや。
まだ、彼にいっぱい言いたいことがある。
碇君のことを、もっと知りたい。
こんなところで、終わりにするのはいや!
その怒りは、彼女より先に弱音を吐いたかも知れない、わたし自身にも向けられていた。
どんなにわたしの顔は、醜く歪んでいることだろうか。
ふっと、何かが抜けるのを感じた。
零号機が、あれほどできなかったその一歩を踏み出していた。
「セカンド!」
思わず、叫んだ。
「わかってるわよ!!」
何の逡巡もなく、その返事は返ってきた。
「あたしだって…。あたしだってえぇぇぇっ!!」
叫び声とともに、惣流さんの弐号機もその一歩を踏み出す。
二歩、三歩。
動けなかったお互いのエヴァが、ようやく動きにかかる。
衝撃波が、急激に弱まってきた。
再び、わたしたちのエヴァは初号機に向かって走り始めた。
走りながら、わたしは惣流さんの、さきほどの叫びが耳から離れなかった。
『あたしだってえぇぇぇっ!!』
そう、あなたもそうなのね。
やはり、あなたはわたしのライバル。
自分では認めたくなくても、あなた自身は自分のことをよく知っている。
わたしたちのエヴァは、ほぼ同時に碇君の初号機にたどりつこうとしていた。
彼を助けたい、その一心で。
彼のそばに行きたい、共通の想いで。
「弐号機、フィールド全開!」
「やってるわよ!!」
感じること、考えること、行動すること、すべてが同時だった。
使徒を支えたまま、かがみ込みそうになっている初号機の傍に走り寄ったわたしたちは、
姿勢を低くして使徒の下に潜り込む。
そして、まさにそのとき、それは起こった。
初号機の膝が、がくっと崩れそうになった。
「碇君!」「シンジ!」
わたしと惣流さんが、口々に叫んだ。
零号機が、とっさに初号機の代わりに使徒を支える。
だが、その急激な加重の増加は、零号機だけでは支えきれそうになかった。
もともとがプロトタイプの零号機は、パワーでは少し劣るのだ。
「くくっ…。」
このままでは、と思った矢先にもう一組の手が、使徒を支えた。
弐号機だった。
そう、惣流さん…いえ、セカンドも来てくれていたのだ。
弐号機と零号機が、初号機の代わりに使徒を支え、ゆっくりと持ち上げようとしていた。
そこへ、初号機の手が、再び加わった。
「ありがとう、もう大丈夫だよ。」
碇君が、そう言うのが聞こえた。
あぶないところだった。
衝撃波の中で踏み出した一歩がなかったら、
いえ、それもわたしひとりだけだったら、間に合わなかったかも知れない。
3体のエヴァが、使徒を頭上に持ち上げる。
「綾波、今だ!」
碇君が、わたしに言う。
いいえ、それはわたしの役割ではないわ。
わたしは、使徒のコアではなく、A.T.フィールドをプログナイフで切り裂いた。
そして、サブモニターごしにセカンドを見る。
『あなたの役目よ、惣流さん。』
とどめを刺すのは、あなた。
わたしと、碇君を助けてくれた、あなたにやってもらいたい。
言葉にしなくても、セカンドには通じたようだ。彼女は頷き、
「恩にはきないわよ。」
そうつぶやくと、弐号機のプログナイフを使徒のコアに、思いっきり突き刺した。
使徒の巨体が痙攣したかに見えた次の瞬間、大音響とともに使徒は爆発した。
…終わった。
わたしたちは、生き延びたのだ。
「ミサト、価値ある奇跡は起こしたわよ!
さてと…、その価値に見合ったもの、何を奢ってくれるのかしらね!」
戦闘結果報告を兼ねて、セカンドがちゃっかりそんなことを言っているのが聞こえた。
そう、セカンド。
学校以外では、そう呼ぶことにするわ。
あなたは、わたしのライバル。
もう、遠慮はしない。
完