ラ イ バ ル
「そのときね、鈴原ったら、しっかり潜っていないうちに足を蹴るもんだから…。」
ヒカリが、楽しそうに話す。
沖縄の、修学旅行で体験したスクーバダイビングの話だ。
「うん、うん、それで?」
あたしは、先を促す。
「海面から、足だけが出てきて、ちっとも進まないのよ。」
「あはは、やだあ。」
「なんや、委員長! そんなこと惣流の前でばらさんでもええやないか。」
鈴原のやつ、離れた席からこちらを睨んでいる。
シンジも、相田も笑っている。
今日は、ミサトの昇進祝いパーティが開かれており、ヒカリも、鈴原も、相田も、
そしてファーストも、みんなあたしんちに呼ばれているのだ。
もちろん、彼らだけでなく、加持さんもリツコも一緒だ。
言いだしっぺは相田だったが、これはミサトの昇進祝いだから、あたしたち学生だけでなく、
当然ミサトの同僚も呼ばないといけない。
加持さんには、あたしから連絡した。
そうしたら、リツコまでくっついて来てしまった…まあ、いいけどね。
「アスカは、スクーバダイビング、できると言ってたわよね?」
「できるといっても、ほんのさわりだけよ。」
「いいなあ。今度、わたしにも教えてね。」
「そうね、今度本部の室内プールを借りられるよう、ミサトに頼んでみるわ。」
「お願いね。あ、ちょっとごめんなさい。」
そう言うと、ヒカリは席を立った。手洗いの様だ。
あたしは、手持ち無沙汰になったので、パーティに出席している他の面々を、見るとも
なしに見ていた。
加持さんは、ミサトとリツコの双方を均等に見ながら、笑みを浮かべて何事かずっと
しゃべり続けている。ときおり、二人の笑いをとることも忘れない。
他人を惹きつける話術はさすがだと思った。
それに比べて鈴原は、シンジや相田たちの間では主導権を握っているものの、押しが強い
だけで相手への気遣いに欠けるような気がする。
『ほら、面白いだろう!』
そんな意図が見え隠れする。たしかに、面白いことは言っているようで、相田なんかは
馬鹿笑いしているけど、シンジは笑いながらも、あちこちをちらちらと見ている。
あんた、なんで他人のことばかり気にするのよ!
シンジにそう言ってやりたかったが、今のあたしはひとのことは言えない。
それよりも、問題は残る一人の方だ。
綾波レイ、ファースト…彼女も、あたしが声をかけて連れてきた参加者だった。
一言もしゃべるでもなく、ポテトフライを食べている。
あんた、一体なにしにここへ来たのよ。
あたしは、話しかける気にもなれなかった。
そりゃ、シンジたち3バカと数を合わせるために、声をかけたのはあたしだけど。
…まさか、来るとは思わなかった。それも、一食浮かせるためだけに。
「綾波、フライドチキン、そちらに廻そうか?」
シンジが声をかけるが、
「わたしは、これでいい。肉、きらいだもの。」
そう言う。
それから、おもむろに立ち上った。
「あ、今、洞木さんが…。」
シンジが言いかけるが、
「違うの。少し、夜風にあたりたくて。」
そして、ファーストはベランダに出て行ってしまった。
ほどなく、ヒカリが戻ってきて、あたしたちはまた、おしゃべりを始めた。
だから、しばらく気づかなかった。
いつの間にか、シンジの姿も見えなくなったことに_。
たぶん、シンジもベランダに出ていたんだと思う。
あいつ、たしかミサトに、『人が大勢いるのは苦手だ』とか、言ってたもの。
ファーストと二人でベランダに出て、何を話していたんだろう…。
翌日_。
ネルフで、ハーモニクステストがあった。
トップは、もちろん、このあたし_。
でも、シンジがものすごい勢いで、肉薄していた。
「エヴァに乗るために、生まれてきたみたいね。」
リツコとマヤが、シンジのことを絶賛していた。
『冗談じゃないわよ!』
あたしが、エヴァを動かせるようになるまで、何ヶ月かかったと思ってんのよ。
ファーストだって、7ヶ月かかったというじゃない。
あたしはそれよりは、ずっと早かった。
だから、『天才パイロット』と賞賛されたのに。
それじゃあ、いきなり初戦で40パーセントを超えるシンクロ率を叩き出した、
あいつは一体、何だっていうのよ。
抜かれるのは、時間の問題だ。
それは、はっきりとしている。
でも、あたしはそれを認めることができなかった。
「先に帰るわよ、ば〜か!」
あたしはそういい残すと、シンジとファーストを置去りにして、ひとりで帰って
しまった。
ばかは、あたしだ。
その場を逃げ出したら、負けを認めているのと同じじゃない!
夕方というには、まだ日は高い。
あたしは、暇つぶしに遠回りして帰ろうと、いつもより手前の停留所でバスを降りて、
人出の多い街並みをぶらぶらとしていた。
あたしは、正直なところ、一人で飛び出してきたことを後悔していた。
あの場所には、ミサトもいた。
シンジだけでなく、ミサトにまで、度量の狭いところを見せてしまった。
家に帰ってから、あの二人に、どんな顔をして接すればいいのだろう。
部屋に閉じこもっていてもいいが、それだとますます精神的に脆いやつだと思われてしまう。
変に同情されたり、こわれものに触るように扱われるのもいやだ。
そうだ、あたしの度量が大きいところを見せればいいんだわ。
そう思っているところへ、たまたま洋菓子屋の看板が目に入った。
『たまにはケーキでも、買ってかえるか。』
三人分のショートケーキを買って店を出る。
あたしは、多少気分がよくなっていた。
『このあたしが、あんたたちに奢ってあげるんだから、感謝しなさいよ。』
これで、家に帰っても、気まずい雰囲気が一掃できるだろう。
ミサトとシンジが少し驚き、続いてその顔がほころぶ様が目に浮かんだ。
だが、あたしはそこで、信じられないものを見た。
目の前のバス停で、バスが停まっている。
本部から帰るときに、いつも駅から乗ってくるバスだ。
この停留所はまだ繁華街の近くにあり、あたしたちがいつも降りる停留所よりは手前にある。
そのバスから、シンジが降りてきた。
バスから降りると、いったん振り向いて、後方に手をさし伸ばす。
その手を握るようにして、ファーストがバスから降りてきていた。
『シンジ!』
あたしは、声をかけることもできずに、その場に立ち尽くしていた。
二人は、あたしに気づくこともなく、並んだまま歩み去っていく。
二人の姿が見えなくなってから、あたしは我に返った。
さっき見た光景の意味は判っている。
シンジが、ファーストを、家まで送っていったのだ。
ファーストが住んでいるところは、ここから割りと近いということだから。
それでも、あたしは許せなかった。
何が、どう許せないのか、自分でもわからない。
あたしは、やみくもに歩いた。
気がつくと、繁華街を過ぎて、家にむかっていた。
川にかかった橋を渡ったとき、やけに黒い流れが下流に向かっているのが見えた。
『ほんっとに、ばかみたい!』
無性に腹が立って、あたしは手にしたケーキの箱を川面に投げ込んでいた。
そして、次の日_。
ファーストは、学校を休んでいた。
いつもの様に先生が、出席簿を見ながら、出席をとる。
「相田ケンスケ。」
「はい!」
「綾波レイ。
綾波は、いないのか?」
「今日は、用事で休むそうです。」
シンジが、そう応えた。
なんで、あんたが知ってるのよ!
「ああ、そうか。では、碇シンジ。」
「はい!」
今、シンジがファーストのことを伝えたでしょうが。
いると判っていて、出欠をとるなんて、ばかじゃないの。
それにしても、シンジの奴、なんでファーストのスケジュールまで把握してるのよ。
・
・
・
「鈴原トウジ。」
「はい!」
「惣流アスカ ラングレー」
「……。」
あたしは、物思いに沈んで、自分が呼ばれるのを聞き逃していた。
「惣流。惣流も休みか?」
「アスカ、呼ばれてるわよ!」
ヒカリに言われて、あたしは我に返った。
「あ! はい。います、います!」
「惣流ぅ〜。寝ぼけとんのかぁ?」
鈴原の奴が茶化すもんだから、どっと教室が沸いた。
「うるさいわね!」
まったくもう! シンジと鈴原のおかげで、恥かいちゃったじゃないの。
放課後になった。
ヒカリが手招きして、あたしを呼ぶ。
「なに?」
「綾波さんにプリントが出てるんだけど、アスカ、お願いできないかな。」
「え、あたしが届けに行くの?」
「だって、同じパイロットでしょ。」
はっきり言って、いやだった。
でも、それをあからさまに言うのもなんだから、
「うーん、でもあたし、あの子の家、はっきりとは知らないし…。」
言葉を濁していると、
「ぼくが、持っていくよ。」
シンジが、しゃしゃり出てきて言った。
「え、碇君が?」
「まえに、ネルフのIDカード届けに行ったことがあるから、綾波の家は知ってるんだ。」
「そう、じゃあ、お願いね。」
ヒカリからプリントを受け取ると、シンジは行ってしまった。
「むうぅ。」
あたしは、おもしろくなかった。
このところ、おもしろくないことばかり続いている。
なんで、おもしろくないのか、よくわからない。
だからあたしは、なぜ、シンジの後をつけようという気になったのかもわからなかった。
信じられなかった。
人の住める環境じゃない!
シンジの後をつけて、到着したファーストの家の所在地は、それほど劣悪なものだった。
どう見ても、建設途中の集合住宅だった。
だいたい、集合住宅自体が、個人の嗜好を無視しきった、およそ文化的とは言えないものだと
あたしは思っている。
それだけで、好んで住もうという気にはなれない。
それが、ひっきりなしに工事の音がしているとなると、もうこれはいじめでしかない。
あたしは、ファーストが司令に贔屓されているという認識を改めることにした。
シンジが、ファーストの部屋に入っていくのを見届けてから、あたしはエレベータ横の階段の
側で、いつでも身を隠せるようにしながらじっと待った。
幸い、近くには誰も住んでいないようなので(それはそうだろう)、だれにも怪しまれる心配
はなかった。
シンジは、どのくらいファーストの部屋で過ごすつもりなのだろう。
一時間も居座るようだったら、何かしら理由をつけて後でとっちめるつもりだった。
でも、なんで、あたしはこんなことしているのだろう。
これじゃまるで、ストーカーじゃない。
だんだんと、むなしくなってくる。
自己嫌悪と戦いながら、30分が過ぎたころ、ようやくシンジが出てきた。
シンジは、あたしがいるところとは反対方向の、もと来た道を通って帰っていく。
『あんた、プリント1枚届けに来ただけじゃなかったの?』
よっぽどシンジの後姿にそう言ってやりたかった。
実際、そう言ってもよかった。
でも、あたしがとった行動はそうではなかった。
あたしは、シンジの姿が見えなくなってから、ファーストの家を訪れたのだった。
玄関口で、あたしは固まってしまった。
「なに…これ…。」
挨拶より先に、その言葉が口をついて出た。
『信じられない』というレベルじゃない。想像を絶する世界がそこにあった。
ある意味、建物の外観にそぐわしい内装といえるかも知れない。
でも、むき出しのコンクリートなんて、いまどき刑務所でも見かけないのではないだろうか。
年頃の女の子が暮らすには、あまりにも粗末、あまりにも非人道的だ。
「惣流さん?」
ファーストが、あたしに気づいた。
「お、お邪魔するわよ。」
あたしは、気を取り直して言った。
「どうぞ。」
とりあえず、玄関口にあるスリッパを借りる。
男物だ。
シンジのために買ったものだろうか。
それとも以前から、ここには別の男が出入りしているのか…まさかね。
「何かご用?」
「よ、用ってほどのことじゃないんだけどね。」
まずい、これではファーストのペースだ。
「同じエヴァのパイロットとして、たまには交流もしないとね。
あんたが、どんなところに住んでいるのかも、興味があったし。」
「興味があるのは、碇君じゃなくて?」
「ば、ばかなこと言うんじゃないわよ! だれがあんな奴に。」
「そんなにムキにならなくていいわ。」
そう言うとファーストは、ついっとキッチンに向かう。
「あ、ちょっと…。」
反論くらいさせなさいよ。
すぐにファーストは戻ってきた。
手には、小さなガラスのポットを持っている。
ポットには赤っぽい液体が7分目まで入っていた。
「それは?」
「碇君がさっき来て、紅茶を淹れてくれたの。 飲む?」
「…いただくわ。」
ファーストが、あたしの分と自分の分の紅茶をカップに注ぐ。
『そうか、30分という中途半端な時間は、ファーストに代わってシンジが紅茶を
淹れていた時間なのね。』
「はい。」
「ありがとう…って、レモンもミルクもなしなの?」
「十分おいしいと思うわ。」
「まあ、いいけどね。」
渡された紅茶を飲んでみると、少し苦いけど、たしかに悪くはない。
「暖かいでしょ。」
「…うん、まあね。シンジはちょくちょく、ここへ来るの。」
「それほどでもないわ。そんなに碇君のことが気になる?」
「だから、違うっていってるでしょ!」
「わたしと碇君のことが気になるから、ここに来たのではないの。」
「どうしてそう思うわけ?」
問い返しながらあたしは、ひょっとしてそうなのかな、と思い始めていた。
別にシンジのことなんか、なんとも思っていないけど、『シンジとファーストのこと』
となると、なんか気になる。
…そんな気がしてきた。
「わたしが、そうだから。」
「え?」
一瞬、ファーストが何を言ってるのか、理解できなかった。
「わたしが、あなたと碇君のことが、気になってしかたがないから。」
「ちょ、ちょっと…。」
突然のその言葉に、あたしは混乱しかけたが、なんとか踏みとどまって言った。
「何言ってるのよ。一緒に住んでるというだけで、あたしとシンジはなんでもないわよ。
あんた、ひょっとしてシンジが好きなわけ?」
「そうかも知れない。」
「じゃ、じゃあ、あたしに遠慮することないわよ。
あんな奴でよければ、のしを付けてくれてやるわ。」
「碇君は、あなたのことが好きなのかも知れないわ。」
「ま、まさか。どうしてそう思うのよ。」
「…顔が、赤いわ。」
「あ、あんたが変なこと言うからよ!」
「碇君は、あなたがこちらに来てから、明るくなった。
以前はわたしに、エヴァに乗る理由を聞いてきたりして、なんだか思いつめることが
多かった。
でも今は、毎日がとても楽しそう。」
「そんなこと、あたしには関係ないわよ。」
「わたしは、そうは思わない。でも、それは悪いことではないと思う。」
「そうなの。」
…ファーストは、何がいいたいのだろう。
「だけど、わたしの気持ちがざわざわするの。
碇君が、あなただけを見ていれば、そんなことはなかったような気がする。
でも碇君は、あいかわらず、わたしにやさしい。」
「あ、あいつが二股かけてるっていうの?」
ファーストは首を横にふった。
「たぶん、碇君は、意識していないのだと思う。気いていないのだと思う。
わたしの…そして、あなたの気持ちに。」
「ちょ、ちょっと!」
「そして、碇君自身の気持ちにも。」
「待ってよ。」
「そう。だから、わたしとあなたは、ライバル…。」
「冗談じゃないわよ!!」
あたしは叫ぶと、ファーストの家を飛び出していた。
家に向かって駆け続けながら、あたしは思った。
冗談じゃないわよ。
あんたとあたしがライバル?
シンジをめぐっての?
エヴァのパイロットとしてなら、まあ認めてあげる。
戦績は、あたしの方がずっと上だけど。
これから先のこともあるから、あんたのがんばり次第では、いい勝負ができるかも知れない。
でも、なによ。
どうしてシンジが絡むわけよ。
あんたがシンジのことをどう想おうと勝手だけど、あたしまで巻き込まないでよ!
そんなこと言われて…これから先、どんな顔してシンジと接すればいいのよ。
「ああ、お帰り。」
家に帰ったら、シンジがいた。
「どうしたの、そんなに息を切らせて。」
「知らないわよ!」
「ミサトさんから連絡があって、今日は遅くなるって。
もしかしたら、帰れなくなるかも知れないってさ。」
「そう。」
あたしは、シンジから目をそらしたまま、短く応えた。
「あの、アスカ。 昨日のハーモニクステストの結果を気にしているのなら…。」
「はあ? 何言ってんのよ、あんた。」
この、鈍感男!
「ご、ごめん。 あの、もうすぐご飯にするから。」
「いらないわよ!」
言い捨てると、あたしは部屋に籠ってしまった。
その夜_。
あたしは、シンジの顔をまともに見られなくて、部屋に引き籠ったままだった。
このまま、寝てしまおうかと、思ったとき、
「アスカ。」
部屋の外から、小さなシンジの声がした。
「なによ!」
あたしは、部屋の戸を閉めたまま応えた。
「本当に、ご飯いらないの。」
「いらないって言ってるでしょ!」
「じゃあ、これ、置いておくから。」
そう言うと、シンジはあたしの返事も待たずに行ってしまった。
なんなのよ、もう…。
あたしは、部屋の戸を開けた。
目の前の床に、白い小さな箱が置いてあった。
「何、これ?」
持ち上げてみて、まさか、と思った。
部屋に戻って箱を開けると、やはり、ショートケーキだった。
それも、あたしが昨日買ったやつと、同じもの。
「あのばか…。」
なんだか、目の下がぬるい。
あたしは、不覚にも、涙を流してしまっていた。
翌朝、あたしたちは、本部に招集を受けた。
シンジと、ファーストと、あたしの三人でミサトの前で整列していた。
そのときに、使徒が来ていると聞かされた。
衛星軌道上に突然現われ、もうすぐここを目指して落下してくるのだという。
ミサトが夕べ、結局帰ってこれなかったのはこれが理由だったのだ。
「えぇっ、手で受け止めるぅ!?」
聞かされた作戦内容に、あたしは思わず叫んでいた。
「作戦と言えるの、それ?」
「ほんと、作戦とは言えないわね。」
ミサトは認めた。
「でも、ここを放棄するわけにはいかないの。
その上で、最も成功する確率が高いのは、そういうことなのよ。」
「で、勝算は?」
「数字の上では、万に一つってところね。」
「まさに、奇跡ね。」
「奇跡は、起こしてこそ価値があるものなのよ。」
あたしは、シンジとファーストに視線を移した。
二人とも黙ったまま、この作戦とやらを受け容れるつもりの様だ。
「どうして、あんたたちは、黙っているのよ!」
「どこに逃げたって同じなら…。」
「少しでも生き延びる可能性があるのなら、それに従う…。」
あたしは、ため息をつきながら、二人に同意した。
「…まあ、しょうがないわね。」
「いいのね、あなたたち。」
ミサトの言葉に、あたしたちは黙って頷いた。
「ありがとう。
…規則で、遺書を書くことになっているんだけど。」
きまりの悪そうなミサトの言葉にも、あたしたちは無言で応えた。
そして今、あたしたちはそれぞれのエヴァに乗り、第3新東京を郊外から取り囲む様に
配置されている。
「エヴァ全機、スタート位置。」
ミサトの声とともに、あたしはスターティングポーズをとった。
ここから先は、あたしたちに任されている。
真っ先に使徒の落下地点に到達したものが使徒を受け止め、続く二機がとどめを刺す。
だれが先頭になろうと、この際関係なかった。
受け止める者も、とどめを刺す者も、遅れればそれで全ては終わりなのだ。
「使徒接近、距離およそ2万!」
来た!
「では、作戦開始。」
外部電源がパージされ、内部電源に切り替わる。
「スタート!」
三機のエヴァが、一斉に走り始める。
これが、最後の戦いになるかも知れない。
だけど結局、あたしたちは遺書を書かなかった。
書いたところで、見てくれる者などいないのだから。
失敗すれば、ほぼ百パーセントの確率で全人類が死滅するのだから。
だから、奇跡を信じてあたしは走る。
全ての力を出しつくす。
今は、それしかできないのだから。
「距離、1万2千!」
使徒が肉眼で確認できた。
落下地点は…シンジの初号機が一番近い!
町外れの丘の上だ。
よかった、被害は最小限で済みそうだ。
成功すれば、の話だけど。
エヴァのスピードが上がる。
おそらく、三機とも音速を超えているだろう。
初号機が落下地点に到達した。
両手を広げて使徒を待ち構えている。
「フィールド全開!!」
『なにも、そんな大声出さなくても…』
耳が痛くて、あたしは顔をしかめた。
でも、シンジの気合は十分に伝わってきた。
初号機が、使徒を受け止める。
そして衝撃波が、落下地点を中心に、地表を這うように広がっていく。
あたしの弐号機にも、その衝撃波が襲い掛かってくる。
疾走していたエヴァが、何かの壁にぶちあたったかの様にぴたりと止まる。
ものすごい圧力だ。
だが、初号機が受けている圧力は、そんなものではなかった。
直上から受けた衝撃波と落下のエネルギー、そして使徒のA.T.フィールドが、
初号機を押しつぶそうとしている。
使徒を受け止めている初号機は、その足首までが地にめり込み、その腕は折れそうに
たわんでいる。
「シンジ!」
あたしは叫ぶと、何とか前進しようとした。
だが、動けない。
衝撃波が収まるまで、どうしようもないのか。
初号機の腕の装甲の一部が、ちぎれ飛ぶのが見えた。
「これまで、なの?」
あたしが、そうつぶやいたとき、
「あきらめては、だめ。」
そう言う声が聞えた。
はっとしてサブモニターを見る。
あたしを叱咤したのは、ファーストだった。
「あきらめたら、それで終わり。
碇君を助けたければ、何としてもたどりつくのよ。」
ファーストの顔は、普段からは想像もできないほどに歪んでいた。
歯を食いしばり、まなじりを震わせながら、渾身の力を込めている。
そして初号機の向こうには、零号機の姿が見えた。
あたしの弐号機と同じくらいの距離を初号機との間において、なんとかその一歩を
踏み出そうとしている。
そして、ついにその一歩を踏み出した。
「セカンド!」
「わかってるわよ!!」
渾身の力を込めて、インダクションレバーを握る。
シンジを失いたくないという気持ちなら、あたしだって負けていない。
これしきの圧力に、屈してたまるものか。
人類の危機とか、あたしの存在価値とか、関係ない。
ただ、あたしは…、あたしは、シンジの傍に行きたい、それだけなんだ。
「あたしだって…。あたしだってえぇぇぇっ!!」
あたしの弐号機も、初号機に向かって一歩を踏み出した。
二歩、三歩。
動けなかったエヴァが、ようやく動きにかかる。
衝撃波が、急激に弱まってきた。
再び、あたしたちのエヴァは初号機に向かって走り始めた。
間に合うか?
いや、間に合わせてみせる。
ファーストが言うように、あきらめたらそれで終わりなのだ。
そういえば、さっきファーストは、あたしのことをセカンドと呼んだ。
『上等じゃない。』
そう、あたしとあんたは、対等のライバルというわけね。
嫌いじゃないわよ、そういうの。
エヴァのパイロットとしてのライバルか、シンジを巡ってのライバルか、知らないけれど。
どちらでもいいわ、そんなこと。
ともかく、あたしはあんたには負けない、それだけよ。
あたしたちのエヴァは、ほぼ同時にシンジの初号機にたどりつこうとしていた。
「弐号機、フィールド全開!」
「やってるわよ!!」
ふだんなら、むっとくるその言葉に、あたしは笑みを浮かべて応えた。
使徒を支えたまま、かがみ込みそうになっている初号機の傍に走り寄ったあたしたちは、
姿勢を低くして使徒の下に潜り込む。
まさにそのとき_。
初号機の膝が、がくっと崩れそうになった。
「シンジ!」 「碇君!」
あたしとファーストは、口々に叫ぶ。
とっさに弐号機と零号機が、初号機の代わりに使徒を支える。
「大丈夫だよ。」
シンジはそう言うと、初号機も使徒を支え直した。
そして三体のエヴァが、使徒をゆっくりと持ち上げる。
あぶないところだった。
衝撃波の中で踏み出した一歩がなかったら、間に合わなかったかも知れない。
「綾波、今だ!」
シンジが、ファーストに言う。
とどめを刺せ、と言っているのだ。
だが、ファーストは、使徒のコアでなく、A.T.フィールドをプログナイフで切り裂いた。
そして、モニタごしにあたしを見る。
とどめは、あたしが刺せと言っているのだ。
「恩にはきないわよ。」
あたしはつぶやくと、弐号機のプログナイフを使徒のコアに、思いっきり突き刺した。
使徒の巨体が痙攣したかに見えた次の瞬間、大音響とともに使徒は爆発した。
「ミサト、価値ある奇跡は起こしたわよ!
さてと…、その価値に見合ったもの、何を奢ってくれるのかしらね!」
そう言いながらあたしは、これから先、シンジとファーストとどの様に接していこうかと、
頭の片隅で考えていた。
完