彼 女 た ち の 戦 い
 
-  二 人 の 想 い U -
 

「…だめかも知れないわね。」
アスカは、ぽつりと言った。

「あのバカ、立ち直れないわよ、きっと。」
壁にもたれたまま、アスカは言う。

「ずっと、眠り続けているわね、碇君。」
レイは、傍らの長椅子に腰掛けたまま応じた。
袖を外したプラグスーツの、剥き出しの肩に巻かれた包帯が、痛々しく白い。

第13使徒…不吉な番号を背負った敵を殲滅してから、既に三時間が経とうとしていた。

シンジは彼女たちのすぐ近くの病室で、今も眠り続けている。
使徒と戦って傷ついたわけではない。
彼は、戦うつもりはなかったのだ。

使徒を倒したのは、初号機に仕掛けられたダミーシステムだった。
シンジは、親友のトウジが乗った参号機が、無残に潰され、引き千切られるのを、
喚きながら、ただ見ていることしかできなかった。

そして、怒りにまかせて本部施設を初号機で破壊しようとしたところを、
LCL圧縮濃度を限界まで上げられ、シンジは気絶させられた。
そして今、アスカとレイは、シンジが収容されている病室の外で話しているのだった。

「あんた、シンジの傍についててあげなくていいの。」
アスカが、レイに尋ねる。
「いつも、そうしていたじゃない。心配じゃないの。」

レイは唇を噛みしめた。

『おまえが、心配しとんのは、シンジや。』
トウジの、自分に対する最後の言葉が思い出される。

心配なのに、決まっている。
気絶しているのは、いわば薬物によるものであり、命に別状はない。
眠っている間は、ある意味では幸福であった。
だが、一度目覚めてしまえば_。

二度と醒めることのない悪夢が、待ち受けているのだ。
それこそ、シンジが立ち直れないほどの悪夢が。
レイがシンジを心配しているのは、そこだった。

自分には、かける言葉がなかった。
気休めを言っても、却ってシンジは傷つくだけだろう。
使徒殲滅の代償として、友人を不具にするという、シンジにとっては最悪の結果を招いているのだ。

そしてそれ以上に、レイは怖れていた。
ダミーシステムのことを、シンジは追求するであろう。
その全容をシンジが知ることはないであろうが、レイがダミーシステムの開発に関わっていたことを
悟られてしまうかも知れない。
そうなったら…そうなったら、これまでゆっくりと培ってきたシンジと自分の関係は、終わりである。

『綾波のせいで、トウジは片足を失ったんじゃないか!』
シンジの悲痛な叫びが、今にも聞こえそうな気がする。

「わたしには、その資格がないわ…。」
レイが消え入りそうな声でそう言うのを聞いて、アスカはわが耳を疑っていた。




シンジがミサトのマンションを出たとマヤから聞かされたのは、それから三日後、
アスカとレイが本部でシンクロテストを終えたときだった。

「そうなんだ…。」
アスカは、つぶやく様に言った。
「あたしたちには、一言の挨拶もなし、なのね。」

レイは、アスカが憤慨するものと思った。

だが、
「まあ、しょうがないわね。」
やけに素直に、アスカはそれを受け入れていた。

その上で、マヤに尋ねた。
「それで、ミサトは?」

「シンジ君を、見送りに行っているわ。」

アスカはレイを振り返って言った。
「レイ、あんたは行かなくていいの?」

「…いいの。」

「あんた、どうしたって言うのよ。
 この前といい、今といい…シンジには、もう会えなくなるのよ!」

シンジとの仲を、ようやく最近になって認めてやれるようになったのに、
レイのあまりに消極的な態度に、アスカは苛々をつのらせた。

「止めたところで、碇君はもう戻ってこない。
 顔を見せれば、かえって碇君を苦しめるだけだもの。」

「そんなこと…!」
言いかけてアスカは、

「そうね、そうかも知れないわね。」
力なく、つぶやくようにそう言った。胸に、ぽっかりと穴が開いたような気がしていた。

使徒の襲来を知らせる警報が鳴ったのは、それから間もなくであった。




「第1装甲から第18装甲まで、損壊!!」
「…強敵だわ!」

22層まであるジオフロントの装甲の大半を、一瞬にして貫通した第14使徒の破壊力に、
ミサトは地上での迎撃は間に合わないことを悟った。

「弐号機はジオフロント内で待機。 目標が侵入した瞬間を狙い撃って!」
「わかったわ。」

ありったけの武器を弐号機の傍らに置いて、アスカは使徒の侵入を待ち受けた。

『シンジ、あたしはあんたを責めようとは、思わない。』
使徒出現の予想位置に向けてパレットガンを構えながら、アスカは思った。

『でもね、これだけは言える。
 結局、あんたは逃げ出したのよ。
 目の前に、人類最大の敵がいるってのに、何もしないというのは、逃げたのと同じよ。
 いくらシンクロ率が高くったって、エヴァに乗るために生まれてきたような資質を
 持っていたって、戦わなければ、それで負けよ。

 あたしは、負けない。 負けるもんですか!
 あたしという存在を脅かすものは、なんとしてでも排除するのよ。
 そう、あたしが、あたしであるために。』

ジオフロントの天井都市を、睨みつけるようにしながらアスカは、そうつぶやいていた。




その頃、レイはプラグスーツのまま、ケイジで待機させられていた。

「わたしは、どうすればいいのですか。」
アスカ一人にまかせておくわけにはいかないと思い、レイは尋ねた。

「零号機の左腕の再生がまだなのは、わかっているでしょう。」
発令所から、リツコの声が返ってきた。

「直接の戦闘は、まだ無理なのよ。
 目標の出現を待ってから、弐号機の支援をお願いすることになるわ。」

「それでは、間に合わないかも知れません。」
レイは反論した。

「今回の敵は、エヴァ一機で斃せるほど甘くはないと思います。
 少なくとも、連携した同時攻撃が必要だと思います。
 零号機の状態が、戦闘に適さないということであれば、
 わたしは初号機で出ようと思いますが…。」

「「初号機で!?」」
リツコとミサトが、思わず叫ぶ。

「許可する。」
それを聞いていたゲンドウが、即座に告げた。

「すぐさま、パーソナルデータをレイに書き換えろ。
 バックアップをダミーシステムに。 急げ。」
「…はい。」

凄まじい轟音がとどろいたのは、そのときだった。
ジオフロントの内側の天井都市から、ビルが一つ落下してゆく。

「来たわね。」

パレットガンをかまえて天井都市を見上げていたアスカは、そうつぶやいた。
破壊された天井の隙間から、第14使徒がその髑髏のような顔を覗かせていた。

「うぉりゃぁぁぁぁぁぁ〜っ!!」
雄叫びとともにアスカは、パレットガンを侵入してきた使徒に向けて撃ちまくった。




レイが搭乗した初号機は、起動しなかった。
そればかりか、パルスが逆流してきてレイは危うく嘔吐しそうになった。

「もう、だめなの?」
初号機の意思を感じた。レイを拒絶しようとする、明確な意思を。

シンジが絶叫するほどに、彼の心を苦しめたダミーシステム。
それは、レイのパーソナルパターンに似せて作られたものである。
今、初号機はシンジの意思を継いで、ダミーシステムを、ひいてはレイそのものを
拒絶しようとしているのだった。

「碇君…。」
それは、シンジがレイを拒絶しているのと同じであった。
たまらなく、寂しかった。

「初号機、起動しません!」
マヤの報告に、

「初号機はダミーシステムで起動。 レイは、零号機に乗せろ。」
ゲンドウが命じる。
 
「しかし、零号機はまだ…。」
リツコが何か言いかけるが、

「かまいません、行きます!」
レイは、ある決意を込めて言った。




「もう!どうして効かないのよぉ。
 ATフィールドは中和している筈なのにぃ!」
ランチャーガンを連射しながら、アスカは叫んでいた。

かなりの弾数が、使徒を直撃している筈である。
それなのに、まるでシャワーでも浴びているかの様に、使徒は動じなかった。

「第9使徒のときは、初号機のパレットガンの一連射で倒せたっていうのに、
 どうしてこいつは倒れないのよ!
 あたしが、決定的にシンジより劣っているとでも言うの?」

前回の使徒戦でも、自分は使徒に勝てなかった。
だが、あれは油断していたからだと、アスカは思っていた。

「そうよ、ソニックグレイブならば。」

アスカは、ソニックグレイブを手に取った。
分裂前の第7使徒を、一刀両断した武器だ。

「なまじ銃器に頼っているからいけないのよ。
 何と言っても、体術であたしに勝る者はいないんだから!」

ソニックグレイブを右手に掴み、着地した使徒に向って突進する。
距離120まで間を詰めたら、両手に持ち替えて上段に振りかぶるつもりだった。
…だが、アスカの思惑は実現しなかった。

突然使徒から伸びたブレード状の腕に、弐号機の両腕は斬り飛ばされた。

「ああああああぁぁぁぁぁぁ〜っ」
両肩を押さえて、アスカは絶叫した。




「アスカ…。」
零号機を起動させながら、レイは自分の出撃が間に合わなかったことを知った。

唇を噛みしめる。
最初から、零号機で出ていれば、アスカと連携をとることが出来たかもしれない。
それなのに、五体満足な初号機の投入にこだわったばかりに、アスカに苦痛を
味わわせることになってしまった。

初号機は今、ダミーシステムで起動させようとしているが、おそらく成功しないだろう。
自分が起動できなかったのと、同じ理由で。

やはり、自分が零号機でやるしかないのだ。
それも、なまなかな方法では勝てない。
あのアスカが、歯が立たない相手なのだ。

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあるわ。」
レイは覚悟を決めた。




「こんちくしょぉぉぉぉぉっ!」
両腕を失ったままの弐号機が、使徒に向って突進する。

「アスカ! やめなさい!!」
ミサトの制止も聞かなかった。

「全神経カット!」
間一髪で、ミサトの指示は間に合った。
次の瞬間には、弐号機の首が使徒の腕に切断されて、宙に舞っていたのだった。

完全に沈黙した弐号機の傍らを、本部施設に向って使徒は通り過ぎる。
止めを刺すとかいう意志を、使徒は全く持たないようである。
動かなくなった時点で、それは使徒にとって敵ではなく、せいぜい障害物でしかないのだ。

「…ちくしょう…。」
アスカは呻いた。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょぉぉぉぉ〜っ」
こんな、屈辱はなかった。
むしろ、止めを刺してくれた方が、殺してくれた方が、どんなに気が楽かと思った。

そこへ、地下からのリフト口が開き、零号機が姿を現した。

「レイ?」
アスカは、零号機が武器らしい武器を持っていないのを目にした。

「無茶よ、ライフルも持たずに!」

その零号機は、巧みに使徒の背後をとって走り寄る。
使徒が気付いたときには、迎撃ができないほどの至近距離まで零号機は接近していた。

「まさか!」
そのときになって、アスカは零号機が小脇に何か抱えているのに気付いた。
「N2爆弾!? あんた、死ぬ気?」

発令所でも、それに気付いたようだった。
ミサトが叫ぶ。
「自爆する気なの? レイ、やめなさい!」

それには応えず、レイは、
「ATフィールド、全開…。」
使徒のATフィールドを中和し、そのコアに向ってN2爆弾を叩きつけた。

凄まじい光と轟音_。
しかし、それでも使徒は斃れなかった。
零号機のほうは、右腕をも失っているというのに。

「失敗!? 何故…。」
愕然とするレイの零号機の頭部を、使徒の腕が伸びて断ち割った。

「くうぅっ。」
フィードバックされた衝撃を受けて、レイは気を失った。

「レイ!」
アスカの目の前で、零号機は前のめりに倒れた。




「これで、終わりだというの…。」
使徒が本部施設に侵入していくのを見ながら、アスカは力なくつぶやいた。

「やっぱり、あたしたちは、シンジがいないと何もできないんだ。」
ひどい脱力感を感じた。

シンジ、あんたはこれでいいの?
つらいことから逃げ出して、目をつぶって、それでこの世の終わりが来てもいいの?
苦しくても、生きていればこそ、やり直す機会があるかも知れないというのに。
世界を救えるかも知れない力があるというのに、あんたの都合だけで、それをふいにしていいの?

そんなの、あたしは許せない。
あんた、男なんでしょ、なんとかしなさいよ!

そう思いながら、アスカはそれが叶わぬ望みであることを、十分承知していた。
シンジが負った心の痛手は、容易に立ち直れるものではないことを知っているからだった。

だが、使徒が本部施設に入り込んだ以上、人類死滅へのカウントダウンがすでに始まっている。
もう、一刻の猶予もない。
これまでの自分の人生、自分の主義を否定することになるが、アスカは叫ばずにはいられなかった。

「お願い、シンジ! あたしたちを助けてよぉ!!」

叫びながら、きつく目をつぶった。
心の底から他人を頼ったのは、これが初めてだった。

アスカの想いが、通じたのだろうか。

轟音とともにリフト口の一つが口を開き、そこから絡み合った二つの塊が射出された。
相争うその姿は、一方は先ほどの使徒であり、もう一方は初号機であった。

「シンジ! 戻ってきてくれたんだ。」

初号機は、圧倒的な勢いで使徒を攻め立てていた。
左腕を失ってはいるが、そんなことはまるで問題にしないかの様に、攻勢にまわっている。

「シンジ…。」
アスカの顔に、笑みが浮かんだ。

初号機と使徒の姿は、すぐに見えなくなった。弐号機の背後…モニタの死角に入ったのだ。
弐号機は頭部を失ったことにより、有機的な視野は失われたが、周囲の状況は体表面の
複数箇所に設けられたセンサーや補助カメラによって、モニタに表示される。
今は、戦闘の様子はわからないが、先ほどまでの状況を見るかぎり、有利に事は進んでいる
筈だった。

だが_。

そこで、一瞬の静寂があった。

「シンジ?」
アスカは、嫌な予感がした。

いきなり、背後から衝撃を受けた。
宙を飛ぶような感覚を覚え、アスカは気を失った。

薄れゆく意識の中でアスカは、本部施設のピラミッド状の建造物に、背中から叩きつけられる
初号機の姿を見た様な気がした。




「アスカ…。」
だれかが、自分を呼んでいる。

「アスカ…。」
もう一度、聞こえた。

アスカは目を開いた。
心配そうに、自分を見つめるレイの顔が、そこにあった。
エントリープラグのハッチを開けて、アスカの顔を覗き込むようにしている。
その額が、血で赤く濡れていた。

「レイ!」
アスカは身を起こした。
あちこち痛むが、どこも骨折はしていないようだ。

「よかった、無事だったのね。」
レイはほっとした様に言った。

「あんたこそ…。その傷、大丈夫なの。」

「ああ、これ。」
レイは、額に手をやった。
「大丈夫、もう血は止まっているわ。」

その次の言葉が、アスカは出てこなかった。
少し、混乱していると、自分でも思った。

「どういう状況なの。」
やっと、それだけ言った。

レイは、それが弐号機のことなのか、初号機のことなのか、それとも使徒のことなのか、
量りかねたが、順を追って話すことにした。

「わたしが気付いたとき、初号機が使徒に馬乗りになって攻撃を続けていた。
 だけどもう少しというところで、初号機は突然止まってしまった。
 内部電源が、切れたのかも知れない。
 使徒の目が光って、初号機は吹き飛ばされた。
 そのときに、アスカの弐号機に初号機がぶつかったのよ。
 弐号機は弾き飛ばされ、初号機は本部施設に叩きつけられたわ。」

「そう。 それであたしは、気を失ったのね。」

「使徒は、剥きだしになった初号機のコアを攻撃し続けた。
 コアが割れるのは、時間の問題だと思ったわ。
 でも、そのときに、初号機の暴走が始まったの。
 あっという間に攻守ところが変わり、使徒は殲滅された。」

そのとき、獣の様な雄叫びが、ジオフロント内に響き渡った。

『ヴォォォォォォォォォォ…。』

二人がエントリープラグを出て見ると、立ち上がった初号機が、空を見上げて吼えていた。

「な、何よ、あれ!」
アスカはよろめくようにして、弐号機の機体に背を預けて言った。

初号機の装甲はあちこちで弾けとび、剥きだしの肉がのたうっている。
そしてその口元は、何かをむさぼり喰ったかの様に真っ赤に血塗られていた。

「何かが、何かが始まったのね。」
レイも、茫然と立ち尽くしていた。

「碇君…。」
そのつぶやきに、アスカはシンジを気遣うレイの不安を感じ取った。




シンジは、帰ってこなかった。
レイの不安は、予想もしない形で的中していた。
そう、シンクロ率400%到達の結果として、初号機に取り込まれてしまったのだった。

「心配しなくていいわ。シンジ君は、必ずサルベージします。
 マギのサポートがあれば、それは可能よ。」
リツコはそう言うが、それは気休めでしかないと、レイは思った。

自分は、もちろん、シンジには戻ってきてほしい。
だが、シンジは果たしてそれを望むだろうか。
父親に裏切られ、親友を再起不能にした、この世界に戻ってくることを。

裏切ったということでは、自分も同罪だとレイは思う。
トウジに重傷を負わせたダミーシステムの開発に、自分は協力した。
いや、ダミーシステムがレイのパーソナルパターンを元にしたものである以上、
それは協力などという生易しいものではない。
トウジを殺しかけたのは、「もうひとりの自分」なのだ。

たとえ、戻ってきたとしても、事実を知ればシンジは自分を許さないだろう。
決して結ばれることのない想い_。
自分は、シンジを好きになってはいけなかったのだ。

それでも_。

それでもレイは、シンジに戻ってきてほしいと想った。
恨まれてもいい、嫌われてもいい。
シンジには、自分と同じこの世界に、いてほしかった。




「シンジが、いない…。」
アスカは、口に出してそうつぶやいた。

あたり前の様に彼がいた、日常生活からシンジという存在がいなくなって、
そろそろ3週間が経とうとしていた。

ミサトも、あれ以来、本部に泊り込みでめったに家に戻ってこない。
お陰で家の中が荒れることは少なかったが、アスカは一人でいることが多かった。

一人でいると、いろんなことを考えてしまう。
その日もキッチンのテーブルを前に、ぼんやりと考え事をしていた。

『今回も、使徒を倒したのは、「無敵のシンジさま」か…。
 結局、あたしも、あたしの弐号機も、どうでもいい存在だったんだ。

 体を鍛えても、大学を出ても、使徒を倒すための基本的な能力には、何の関係もないんだ。
 恐ろしくタフで、遠距離からの攻撃手段を持つ使徒には、歯がたたないものね。』

アスカは唇を噛みしめて俯いた。
その両肩が、微かに震えている。

『あたしが、今までやってきたことは、何だったんだろう。 
 ママがあたしを見てくれなくなって、そして一人になってしまって…。
 あたしは、自分で自分をほめてあげたくて、ここまでがんばってきたのに。
 やれることは、全部やったのに…。
 
 それでも、あたしは役に立たなかった。あんな負け方をした。

 …わかっているわ、シンジ。
 そんなことで、あたしの価値が、変わるものじゃないと、あんたはそう言いたいんでしょ。
 
 だけどね、シンジ。
 あたしを認めてくれる、あんたまでいなくなったら、あたしはどうすればいいのよ!』

クゥ〜ア?
傍らで、鳴き声がして、アスカは涙に濡れた顔を上げた。
ペンペンが、心配そうにアスカを見上げていた。

「ペンペン…。」
アスカは、思わずペンペンを抱きしめていた。
嗚咽が、止らなかった。




一ヶ月がたった。
シンジのサルベージが、行われようとしていた。

初号機に様々なケーブルが接続され、オペレータが席についている。
準備が万端整ったことを確認して、リツコが告げる。

「サルベージ、スタート!」

レイは、初号機のケージの片隅で、その様子を見ていた。

「第一次接続開始。」
「初期コンタクト、問題なし。」
「了解、第2フェーズに移行。」

次々と命令が下され、手順に従って作業が進められていく。

「碇君…。」
レイは、このままサルベージが成功することを願った。

だが、突然作業員の動きが慌しくなった。
そのうちに、警報が鳴り始める。

ミサトが駆け込んできた。
「プラグのエジェクトを止めて!」

そう叫んだが、エントリープラグは排出され、LCLが噴出す。
LCLの大半は、アンビリカブル・ブリッジの上にこぼれ落ちた。

ミサトは、茫然としている。
ふらふらと、アンビリカブル・ブリッジに歩み寄り、LCLとともに排出されたシンジの服をかき抱いた。

「人、ひとり助けられなくて、何が科学よ!」
そう言って、ミサトは嗚咽する。

「碇君、もう戻ってこないつもりなの…。」
レイは、手摺りをぎゅっと握りしめた。

「いえ、まだ間に合うかも知れない。」
レイはそうつぶやくと、目を閉じて胸の前で手を組み、一心に祈り始めた。




アスカはそのとき、サルベージの結果が気になって、初号機のケイジの入り口のところに来ていた。
そこで、アンビリカブル・ブリッジの上で座り込んですすり泣くミサトと、ケイジの片隅で祈り続ける
レイの姿を見た。
そのことで、何があったかを悟った。

「失敗したんだ…。」
四肢から力が抜けるのを感じる。

だが、アスカはへたり込みそうになるところを、こらえた。
レイがまだ、一心不乱に祈り続けているのを目にしたからだった。

レイはまだ、あきらめていない!

あのときも、そうだった。
第12使徒の虚数空間から生環したシンジの意識が、なかなか戻らなかったときも、
レイはシンジの回復を信じて、ひとりで病室で見守っていた。
そのときは、レイの想いが通じたのか、レイの目の前でシンジは目を醒ましていた。
自分はそのとき、その場に居合わせることができなかった。

『あたしも、まだあきらめちゃいけないんだ。』
唇を噛んで、そう思う。

ケイジの入り口にいる自分は、人目があるのでレイのように、あからさまに祈りの姿勢をとることは
できなかったが、それでも懸命にシンジの生環を願った。




『碇君は、どうしたいの?』
レイは、懸命に問いかける。

『あんたにとって、あたしたちとの係わり合いって、何なのよ。』
アスカも、真剣に訴えかける。

『この世界が、嫌いなの?』
『あんたにとってイヤな奴もいるだろうけど、あんたを待っている者だって、たくさんいるのよ。』

『エヴァの中にいることが、あなたの幸せなの?』
『こんな世の中だけど、つらいことばかりではない筈よ。』

『碇君、あなたは…。』
『シンジ、あんたは…。』

『『何を、願うの?』』




バシャン!




ミサトは、顔を上げた。
傍らの、LCLの水溜りの中に、シンジがうつ伏せに倒れているのが見えた。

「シンジ君!!」
シンジをかき抱き、号泣するミサト。

「よかった…。」
レイは、手摺りに手をかけたまま、その場にくず折れた。

「よかったわね、レイ。」
アスカは、入り口の壁に、背を預けた。

『はやく、シンジのそばに、行ってあげなさいよ。』
いつかの様に、涙がこぼれないように上を見上げて、そう思った。

だが、レイがシンジのそばで彼の目覚めを待つことは、二度となかった。