「希望」と「願い」  _急_
 
-  Incomplete Complement -



「あんたたち、よく聞きなさい。
 敵にもS2機関があるわ。再生能力は異常に高いのはそのせいよ。
 コアをつぶさない限り、何度でも復活してくるわ。」

初号機と弐号機のコクピットに、ミサトからの通信が入った。
 
「いい? 連携して、1体ずつ倒すのよ。
 一方が量産機の戦闘力を奪ったら、もう一方がコアを破壊して止めをさす。
 量産機を全て斃しても、気を抜いてはだめよ。
 戦自がすぐに敵に廻って、総力戦をしかけてくるわ。」

前方では9体の量産機が、こちらの隙を窺いながら、じりっじりっと距離を詰めてきている。

「…簡単に言ってくれるわね。」
アスカが用心しながらも、わざとため息をつく様に言った。

「でも…。」
レイに続けて、シンジが言う。
「やるしかない!」

初号機は傍らの武器庫ビルからスマッシュホークを取り出し、残弾の少なくなったパレット
ライフルを捨てた。

「わかってるわよ。」

弐号機も、武器庫ビルからソニックグレイブを手に取る。

「やるよ!」
シンジの合図とともに、2機のエヴァが1体の量産機に向かって殺到した。

阿吽の呼吸だった。
打ち合わせなどしなくても、どの機体から片付けるか、初めから決まっていた。

初号機がスマッシュホークで量産機の首を切りつけ、血潮を噴き上げて倒れたそいつの胸に
弐号機が、ソニックグレイブを逆手に持って突き立てる。

がりん、とコアが爆ぜ割れ、量産機は沈黙した。
そのときには既に、初号機は次の量産機に向かって突進している。

『守りたいものがある。
 だから、今を、精一杯に生きるんだ。この先、何があろうとも!』

そう、これが答えなんだ、とシンジは思う。

ターミナルドグマでカヲルを手にかけた後、
『本当に生き残るべきなのは、自分たちなのか?』と思った。

それ以前にも、
『なぜ、エヴァに乗らなければならないのか。どうして、戦わなくてはならないのか。』
繰り返し、自分に問うてきた。

『今、わかった。 ぼくは、綾波を守る。…守りたい!
 綾波だけじゃない、大切な人たちを、守りたい。
 だから、戦うんだ。生きなきゃいけないんだ!』

初号機と弐号機の連携の前に、量産機たちは為すすべもなく次々と斃されていった。




「なんと不甲斐ない!」
戦自の指揮官は、歯咬みしながら言った。

「これが、同じエヴァか。
 9体もいながら、たった2体の紫と赤に、手も足も出ないではないか。」

「なにぶん、急造品ですからね。
 使徒との戦いを繰り返してきた本家の2体とは、熟練度も完成度も違うのでしょう。」

副官が横からそう応える。

「他人事ではないぞ! ネルフ制圧は至上命令なのだ。
 こうなったら、エヴァシリーズともども、集中砲火を浴びせろ。」
 
「エヴァシリーズへの着弾をも厭わないと?」

「そうだ、出し惜しみはなしだ!」

初号機、弐号機が量産機と絡んでいるところを狙って、戦自の全砲火が集中して浴びせ
られた。
だが、A.T.フィールドに阻まれて、いずれのエヴァも無傷だった。




「あいつら、とうとう本性を現したわね!」
アスカが、喚くように言う。
「効くわきゃないけど、鬱陶しいったらないわ。」

「気にしては、だめ。 戦闘に集中するのよ。」
「わかってるって。」
レイとアスカは、集中砲火を浴びながらも、その後黙々と量産機を片づけていく。

臆したのか、量産機たちは後退を始めた。
しかも、互いの距離をあける様にしている。

「どういうこと?」
戦況を見ていたミサトはいぶかってつぶやく。

「立て続けに殲滅されるのを避けるためかしらね。」
リツコが応じる。

「でも、あれでは攻撃面で連携することができないわ。
 全滅を先延ばしにすることはできても、劣勢を挽回することはできない。」

「これまでの戦い方から見て、知性が感じられないわね。
 それだけの適格者も用意できないでしょうから、おそらくは、ダミーシステムね。
 本能の赴くままに戦っているから、戦略がないのじゃないかしら。」

「だといいんだけど…。」
ミサトは、一抹の不安を拭えなかった。




一段高い席から、冬月は戦況を見守っていた。

戦自が予想より早く直接攻撃をしかけてきたが、その点については心配はしていない。
むしろ量産機の動きに、冬月も不安を覚えていた。

『これまでと違って、統制がとれている…。』

今までは、戦略も何もなくやみくもに攻撃を仕掛けてきたが、守勢にまわったとたんに
何らかの規則性に従って動きだしている。

『ゼーレの関与か?』

勝てないと判って戦法を変えたのか、それとも最初からの筋書きか…
いずれにせよ、何らかの罠である可能性が高い。
だが、このままでは奴らに勝ち目がないのも確かだ。

『奴らの狙いは何だ?』

そう考えているところへ、がらがらと音がして、近づいてくるものがあった。
振り返ると、医師と看護師に囲まれた移動ベッドが、こちらに来るところだった。

「碇!!」
青白い顔をしたゲンドウが、そこに横たわっていた。

「冬月…戦況は、どうだ?」
身を起こして、ゲンドウは冬月に尋ねる。

その右手に白い包帯が巻かれ、肩から三角巾で吊っているのに冬月は気づいた。
「碇、その手はどうした?」

「……………。」
ゲンドウはそれには答えず、喰い入る様にメインスクリーンを見つめる。

「まさか、レイが?」
「……………。」

ゲンドウは無言で戦況を見つめ続ける。
やがて、弐号機に視線を移して、つぶやく様に言った。

「…あれに乗っているのは、レイか。」




「作戦は、失敗だったな…。」
戦果を上げられないことに、戦自の指揮官は力なく言った。

「こちらのエヴァシリーズは、役には立たない。
 やつらの弱点の筈の、電源ケーブルも見当たらない。
 これでは付け入る隙がない。」

「撤退しますか?」
副官の言葉に、

「いや…。」
指揮官は、気力を振り絞り、決意を込めて言った。

「接近する! 可能な限りの至近距離から、ともかく撃ちまくるんだ。
 通用する可能性のある手段としては、それしかあるまい。」




離れ離れになった量産機を、初号機と弐号機は、一体ずつ倒していく。
その間も、戦自のVTOLは接近しながらバルカン砲を撃ってくる。
戦車隊も用心しながらときおり砲火を浴びせつつ、接近してくる。

「ば〜か、効くわけないでしょ!」
アスカは毒づいているが、弐号機は戦自の攻撃は無視し、量産機のみを相手にしている。
さすがに戦自の相手をしながらでは、ソニックグレイブは振るえないようだ。
ただ、A.T.フィールドさえ展開していれば、砲撃による損傷ない。

一方、シンジは、
「なんか、変だ。」

違和感を感じ、そうつぶやいていた。




「始まったようだね。」

芦ノ湖畔で一人の少年が、崩れかけた彫像に腰かけたまま、楽しそうに言った。
その視線は、第3新東京の市街地に向けられている。

「お手並み拝見といこうか。」

「おまえに、高見の見物を決め込む資格があるのか。」
声とともに、モノリスがひとつ、少年の背後に現れた。

「これはこれは…。」
少年は肩をすくめた.

「キール議長みずからお出ましとはね。」

「おまえの役目は終わったはずだ。少なくともここにいる価値はない。」

「そうでもないさ。ぼくには、結末を見届ける権利がある。
 自分の肉体を、その代償とした以上はね。違うかい?」

「…勝手にするがいい。」

「そうさせてもらうよ。
 ところで、いいのかい。どう見ても不完全な配置に見えるけど。」

「仕方あるまい。
 サードチルドレンの心を砕けなかったのだからな。誰かの失態のせいで。」

モノリスの皮肉に、少年は再び肩をすくめる。

「エヴァ初号機は、木偶ではない。このままでは、依代にはできない。
 聖痕を刻むための紋章を得るには、この方法しかないのだ。」

「『毒には毒をもって制する』ための、エヴァシリーズではなかったのかい。」
少年が、皮肉を返す。

だが、すぐに真顔に戻り、つぶやく様に言った。

「でもまあ、本当に仕方がないのかも知れないね。
 この世界のサードは、リリスの化身を味方につけている。
 それをひっくり返すには、それなりの犠牲が必要だろうからね。」




ザシュッ!

初号機のスマッシュホークが、量産機の頭部を切り裂いた。
量産機は脳漿を振り撒きながら、よたよたと後退する。

「…無駄よ。」
レイはそうつぶやくと、後退する量産機を弐号機に追わせる。

観念したのか、力尽きたのか、量産機は動きを止めた。

「これで、ラストよ!」
「ええ。」

アスカに応えると、レイは弐号機にソニックグレイブを、振り下ろさせる。
最後の量産機の首筋から胸へと刃が走り、がつん、とコアが砕けるのを感じた。

「やったわ!」 「え?」
アスカが快哉を叫ぶ一方で、レイは慄然としたものを感じた。

くず折れて活動を停止する直前の量産機が、一瞬にたりと笑うのを見た様な
気がしたからだった。目標地点にはたどりついたぞ、とでも言うように。

量産機が、燐光に包まれた様にぼうっと光り始めた。

「自爆する気?」
レイは訝る。

「いえ、違うわ。」
光り始めたのは、その量産機だけではなかった。

斃した9体すべてが、一斉に白い光に包まれていた。
そしてその9体を、細い光の筋が繋いでいく。

「いけない! 碇君、逃げて!!」
「な、なに?」

レイが警告したときは、すでに遅かった。

光の筋の通り道の一本の上にいた初号機は、まるで何かに引き寄せられる様に引きずられ
移動していく。

「な、なんだよこれ!」

初号機は、ほぼ等間隔に間を空けた量産機たちの、中央に到達すると止まった。
まるでクモの巣に捕まった蝶のようにもがくが、その位置から動くことができない。
量産機から発した光の筋は、互いを結ぶと同時にまた、初号機にも集中していた。

そして、光に包まれた量産機に被さるように、円形の紋様が浮かび上がった。




「セフィロトの樹か!」
冬月が、思わず叫ぶ。

その声に振り向いたリツコは、司令席にゲンドウが来ていることを知った。

「碇司令…。」
うしろめたさを一瞬感じたが、ゲンドウはリツコを一瞥もしなかった。

「初号機を制圧できないとみて、罠にはめたのか。
 互いの距離を開けて後退したのは、そういうことだったのか!」

「ああ。だが、苦し紛れの策だ。老人たちの思惑どおりにいくとは限らん。」
かすれた声で、ゲンドウは応じる。

「エヴァシリーズは、本来の姿に戻った。だが、ロンギヌスの槍はここにはない。
 初号機を依代とするには、いささか駒が足りない筈だ。」

「だが、アダムとリリスの、禁じられた融合も果たしていないのだろう?」
冬月は、ゲンドウの包帯を巻いた右手を見て言った。

「我々が目指す補完も、ままならない状況ではないのか。」

「そうだ、すべてが中途半端だ。このままでは、すべてが終わる。
 鍵となるのは…。」

「レイか?」
「ああ。」

「トリガーでなくなった今、逆に抑止力となるのは、あの子か。
 …皮肉なものだな。」




『セフィロトの樹? 何なの、それは。
 それに、レイが鍵とは、どういうことかしら。』
二人の会話を耳にした、リツコは訝る。

もしかしたら、自分はとんでもないことをしでかしたのではないか。
リツコは、そんな不安にかられた。

たしかに、自分はレイに、アダムを完全には取り込ませなかった。
その結果、ゲンドウが目論む補完計画は頓挫することになった。
だが、そのことが逆に、ゼーレの計画を助長することになるとしたら?

リツコは、かぶりを振った。

そんなことはない。
ゼーレの計画もうまくいっていない筈だ。

レイのおかげで、シンジの心は砕けていない。
初号機は、戦闘力を失っていない。
だから、ゼーレは本能で動く筈のダミーシステムに介入し、強引に初号機を依代にしようと
しているのだ。

セフィロトの樹とは、何らかの儀式を執り行うための紋章なのかも知れない。
そして、それを阻止できるのが…。

「レイ…。」
そう、だから、彼女が鍵なのだ。
レイに賭けるしかない、リツコはそう思った。




量産機に重なる様に表れた円形の白い紋様は、しだいにその輪郭が明瞭になり、その周囲に
何かの古代文字が浮かび上がり始めた。

それにつれて、円形の紋様どうしを繋ぐ光の筋も太く明瞭になり、「セフィロトの樹」全体が強く
輝き始める。

真っ先にその影響を受けたのは、接近しつつあった戦自の部隊だった。

「こ、これ以上は分子間引力が維持できません。」
「作戦中断。各部隊はただちに撤退しろ。」
「だめです、間に合いません!」

輝きがさらに強くなる。
戦自のVTOLが、戦車部隊が、次々と誘爆していく。

そして、一瞬にして市街は光に包まれ、視界は白一色に染まった。
光が消え、視界が常態に戻ったとき、一個大隊あった筈の戦自は消滅していた。
あとに残ったのは、焼け爛れた廃墟と、かって最新鋭の兵器であった幾つかの残骸だった。

その中で、弐号機が茫然と立ち尽くしていた。

「何が、起きているの?」
「………。」
アスカの問いかけに、レイは応えられない。



「大気圏より、高速接近中の物体があります!」

日向が、叫ぶ様に報告する。

「いかん、ロンギヌスの槍か。」
「!」

冬月の声と同時に、レイは反応していた。

高速で飛来するロンギヌスの槍が初号機の喉を貫く直前、弐号機は初号機に走り寄り、
その槍の刃の根本を掴んでいた。

間一髪、槍の初号機への命中は阻止された。
だが、槍はターゲットを弐号機に変えた。
槍を握ったその手に褐色の帯のようなものが巻きつき、あっという間にそれが弐号機の
全身を覆う。

「レイ!」
ゲンドウは思わず、椅子から立ち上がった。
が、すぐによろめいて崩れる様に椅子に座り込む。

医師団があわてて駆け寄り、ゲンドウに処置をしようとする。
ゲンドウはそれを左手で制し、睨む様にメインスクリーンを見据えた。

ロンギヌスの槍から延びた、褐色の帯は弐号機のみならず、傍らにいた初号機にまで
巻きついていく。
ほどなく、弐号機も初号機も、完全に全身が褐色の塊りとなった。
さらにその腰部から下に、無数の枝の様なものが生え始める。

「生命の樹か…。」
冬月がつぶやく。

「そうだ。」
ゲンドウが、苦しそうな声で応じた。

「リリスとの接触もなしに、ここまでやれるとはな。」

「補完が、始まるのか。」
「…わからん。」

たしかに、初号機と弐号機は今、二股の樹を逆さにした様な姿をしていた。




第3新東京の上空から、この有様を見ている二つの影があった。

「おやおや、これは…。」
一方の影が、わざとらしく驚いた様に言う。先ほどまで芦ノ湖畔にいた、少年である。

「むぅぅ…。」
一方の影、モノリスも、想定外のことが起きたのか、声にならない呻きをあげている。

二人は、初号機が拘束された時点で広範囲の爆発が起きることを予想し、湖からその
上空へと退避していたのだった。

「生命の樹が、二本になってしまったね。
 しかも、ロンギヌスの槍はコアと同化を果たしていない。
 これで、補完が発動するのかな。」

「………。」

「なにもかもが、不完全。
 それを承知で、ことを起こした。…何か、勝算があったからなのかい。」

「何らかの補正がされると、考えたからだ。
 たとえ、リリスと直に接触できなくとも、リリスの傍で発動を促せば、足らない因子は
 何らかの補足が入るのではないかと。
 死海文書にあった使徒は、すべて殲滅しているわけだからな」

モノリスからの意味ありげな視線を感じて、少年はふっと笑みを浮かべた。

「なるほどね、現にロンギヌスの槍は召喚されている、か。
 そうなると、生命の樹のあの姿にも、何か理由があるのかも知れないね。」




「碇君、起きて。」

シンジは、れいが呼び掛ける声で目覚めた。

目を開けると、窓からさす日差しがやけにまぶしい。
体を起こし、目をこすった。

「早く行かないと、遅刻するわ。」

シンジは、れいを見上げた。
れいは制服姿で、シンジのベッドの傍らに立ち、両手で学生鞄を下げている。

「今、何時?」
「八時十分よ。」

机の上の置時計を見た。
ペンギンの置物の横にあるデジタル時計は、たしかに朝の八時十分を表示している。

「わぁっ、本当だ!」

あわてて服を着替え、玄関口に向かう。

「それでは、おじさま、おばさま、行ってきます。」
れいは玄関口で家の奥に向かって、そう声をかけている。

「いつもすまないわね、れいちゃん。」
奥から、ユイがそう言っているのが聞こえた。

「かまいません、これが日課ですから。」

「毎朝毎朝、女の子に起こしに来てもらうのはなさけないと思え、シンジ。」
これは、ゲンドウの声だ。

「わかってるよ。それじゃ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」

シンジとれいは、学校に向かって走り出した。

「今日、転校生が来るんだって?」
走りながら、シンジはれいに尋ねた。

「ええ、なんでもドイツから留学してくる、女の子らしいわ。」

「へえ。大変だね。」
「どうして?」

「だって、中学生で留学だなんて。言葉の問題もあるだろうし。」
「日本語は、ぺらぺららしいわ。」

「そうなんだ。可愛い子だったらいいな。」

そのときだった。

トーストを口に咥えた咥えた女の子が、突然物陰から飛び出してきた。

『ああ、遅刻するぅ! まずいわよ、初日から遅刻じゃあ、かなりまずいわよ〜。』

シンジも、その女の子も、考えごとをしていたせいで、互いに気づくのが一瞬遅れた。

ガシン!!
見事に鉢合せする二人。

「あいててて…。」
「いっつぅ〜…。」

二人とも、頭を押さえて蹲っている。

「大丈夫? 碇君。」
れいが心配そうに声をかける。

「う、うん…。あ、ごめんなさい、大丈夫ですか。」
シンジは顔をあげて、女の子を見た。

「あっ…。」
一瞬、白いものが視界に入った。

「み、見た?」
女の子は、あわててスカートの裾を直す。

「え? あっ、いや何も。」

あらためて、女の子の顔を見る。
目が、青い。 背中の方まである、豊かな褐色の髪が揺れている。
『か、可愛い…。』
この辺では見かけない制服を着ていた。

『ひょっとして、この子が転校生なのかな。』

だが、女の子は可愛い顔に似合わぬ、こわい目で睨んでくる。
「うそ! 見たでしょ〜。」

「えっと…。」
「サイッテイね。まったく、信じられないわ!」

女の子の剣幕にシンジが唖然としていると、

「そんな、言い方ないと思うわ。」
れいがフォローに入った。

「今のは、不可抗力。むしろ、責められるべきなのは、いきなり飛び出してきたあなた。」

「飛び出してきたのは、そちらでしょうが!」

「あなた、惣流あすかさんね。今度、転校してきたという…。」
「なんであんたが知ってるのよ!」

「聞いていた、年格好と一致するもの。
 大学を出たあなたなら、知っているでしょう?」

「はあ?何を。」

「運動量保存の法則。
 あなたより、碇君の方が体重はある筈だけど、ぶつかった後、碇君の方があなたより、
 2倍もふっとんでいるわ。」

「何が言いたいのよ。」

「言ったとおり。相対的に見て、ぶつかってきたのはあなたよ。」

「な、なによ。あたしが悪いっていうの。」
そう言うと、あすかは下を向いた。

「あ、綾波。何もそんなに責めなくても。不注意だったのは、お互い様だし。」
シンジは、彼女が急に元気がなくなったので慌てた。

「ね、ねえ。どうしたの。そんなに気にしなくて、いいから…。」
シンジは、俯いたままのあすかを、覗き込む様にして言った。

「…なぜ、殺したの。」
顔をふせたまま、あすかは低い声で言った。

「え…。」

「生き残るべきだったのは、本当にあんただったの。」
あすかの言葉とともに、シンジは急に周囲が薄暗くなったのを感じた。

「自分が、生き残るのにふさわしい存在だとでも思っているの。」
「ぼ、ぼくは…。」

そうだ、ぼくはカヲル君を殺したんだ、この手で。
ぼくは…。

「なぜ、殺したの。」
今度は、別の方向からその声は聞こえた。

振り向くと、れいがシンジを見下ろす様にして見つめていた。
その瞳は、カヲルと同じ…いや、それ以上に鮮烈な赤い色をしていた。

うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!

シンジの絶叫が響き渡った。
同時に、ターミナルドグマで、リリスの巨体が、ぼうっと白く光った。




「ターミナルドグマで、高エネルギー反応が発生!」
青葉が緊張した面持ちで報告する。

「リリスが、覚醒するのか?」
冬月がゲンドウに尋ねる。

「…なんとも言えんな。リリスの覚醒のカギは、レイだ。
 カギがなければ、扉は簡単には開かれない筈だ。
 無理に扉をこじ開けようとしたとき、どうなるか、だな。」

「む?」
冬月が、何かに気づいた様に振り返った。

「レイ! どうして、おまえがここにいる?」

そう、それは制服姿の綾波レイだった。




その綾波レイは、発令所のあちこちに現れていた。

「レイ?」
傍らに現れたレイを見て、リツコは戦慄した。

まさか、破壊した筈の『素体』のレイたちが?

「な、なによ、これ?
 もしかして、ダミープラントのレイたちの亡霊?」

「いやぁぁぁっ」
マヤが悲鳴をあげる。

ミサトの言葉はリツコの感じたものに近かったが、すぐにそれが違うことに気づいた。

「違うわ、これは何かが投影されたものよ。」
「何かって?」
「そう、何かの意思が…。」




「う………。」
アスカは、一声呻くと目を覚ました。

「ここは?」
エントリープラグの中ではなかった。

薄赤い光に包まれた、何もない空間の中にいる様だった。

すぐ傍に、ねじくれた樹の根の塊の様なものが生えていた。
腕ほどもある何十本もの樹の根とも触手ともいえる様なものが足元から生えており、
アスカの背丈より高い位置にまで複雑に絡み合っている。

「何、これ?」

さらによく見ると、樹の根に囲まれる様にして、その中に裸体の人の姿が見えた。

「ファースト!」
アスカは、思わず叫ぶ。

そう、そこには、気を失ったレイが捕らわれていた。

「どうしたっていうのよ。」

言いながら、樹の根を折り取っていく。
簡単にレイを助け出すことができたが、あらたな樹の根がじわじわと足元から延びてくる。

「ファースト!!」
アスカはレイの肩を掴んで揺すった。

「惣流さん…?」
レイは目を開いた。

「よかった、気がついて。
 ここは、一体なんなの? この、根っこのような触手に、あんた捕まっていたのよ。」

「そう…。」
「いったい、何がどうなっているのよ。」

「たぶん、歪んだ形で補完が始まろうとしているのじゃないかと思う。」
「補完?」

「わたしを、弐号機と融合させようとしたのね。」

触手の成長は、今はもう止まっている。
レイが目覚めると同時に、その意思は失われたようだった。

「何のことか、さっぱり判らないわ! だいたい、その補完って…。」
アスカが喚きかけるが、レイは何事かに気づいた様に目を見開いた。

「碇君!!」
思わず叫ぶ。

「な、なによ。 シンジがどうしたっていうのよ。」

「碇君が、あぶない。 いっしょに来て。」
レイは、アスカの手を引いて言った。




「なぜ、殺したの。」
薄暗い路上で、あすかは再度シンジに問うていた。

「判らない!」
シンジは、路面に座り込んで頭を抱え込んだまま、かぶりを振った。

「好きだって言ってくれたのに、なぜ、殺したの。」

あすかに続いて、れいも言う。
「好意をもってくれた相手を、どうしてそんなに簡単に殺せるの?」

「だって、使徒だったんだよ。ぼくたちが生き延びるためには、仕方なかったんだ!」

「使徒には、生き延びる権利がないとでも言うの。」
「それは…。」
れいの指摘に、シンジは反論できない。

「人類が今のまま、存続することに何の意味があるの。
 欠けた心が、お互いを苦しめるだけなのに。」

「ならば…。」
「ならば…。」

「「ひとつになりましょう。」」

「そうすれば、他人に苦しめられることもない。」
「他人を否定することもない。」
「もうだれも、殺すこともない。殺されることもない。」
「永遠のやすらぎが得られるのよ。」

「綾波…。 アスカ…。」
シンジは、茫然と二人を見上げた。

シンジが何か、言いかけようとしたとき、

「そこまでよ!」
背後で声がして、シンジは振り向いた。

「えっ、アスカ…。」
そこには、プラグスーツ姿のアスカがいた。
さらに、その背後に隠れるようにして、レイの顔も見える。

「アスカと、綾波が、二人いる…。」
呆けたようにつぶやくシンジに、

「ばかね、そいつらが偽物に決まってるじゃない。」

両手を腰に当てて断言するアスカの背後から、制服姿のレイが姿を現した。

「一概に偽物とは言えないわ。彼女たちは、碇君の心の中の、わたしたちだから。」
そう言うとレイは、アスカの横に並ぶ。

「部外者は、邪魔しないで。」
「そうよ、これはシンジとあたしたちの問題なんだから。」
れいと、あすかはそう言うと、後から現れたレイとアスカを睨んだ。

シンジはどうしていいかわからずに、おろおろと四人を見比べている。

「碇君だけの、問題ではないわ。」
レイは静かに言った。

「碇君の判断が、人類全体の運命を左右する。今、碇君は、そういう存在だから。」

「ならばなおさら、他人の干渉が入るべきことではないでしょう。」

「他人だからこそ、碇君に伝えられることがあるわ。」
レイは、そう言うとシンジに視線を移した。

「碇君、あなたはどうしたいの?
 もし、彼女たちの言うように、すべてを『ひとつ』にしてしまえば、他人という
 恐怖が生まれることはなくなるわ。 
 そのかわり、わたしたちとこうして会うこともできなくなる。それでもいいの?」

「だけど、安心して生きていける世界が手にはいるわ。
 傷つけることも、傷つけられることもない世界…それこそ、あんたが望んでいたもの
 ではなかったの。」
あすかが、やさしい目をしてシンジに言う。

「ぼくは…。」
シンジは一瞬、顔を伏せた。が、すぐに顔をあげた。

「ぼくは、綾波もアスカも失うわけにはいかない。他のみんなもそうだ。
 ぼくとひとつになってしまったら、もうそれは綾波やアスカじゃない。
 たとえ、傷つけ合う存在であったとしても、逆に癒されることだってある。
 人に会うということは、そういうことなんだ。
 …そしてぼくは、もう一度みんなに、会いたい。」

「そう、わかったわ。」
れいはそう言った。

「それが、あんたが出した結論なら、あたしたちがとやかく言うことではないわ。」
あすかも言う。

「今はまだ、そのときではなかった、ということね。」
「そうね。」
れいと、あすかは、次第に透けるようにその色を失っていき、やがて完全に消えた。

「………。」

「終わったの?」
しばしの沈黙のあと、アスカが尋ねた。

「ええ。」
レイが、応える。

「ありがとう、綾波、アスカ。」
「別に、礼を言われることではないわよ。」

「でも、君たちが来てくれなかったら、ぼくは今頃…。
 ぼくは、だめだ。
 みんなを守ろうと思ったのに、また、助けられてしまった。」

「なーに言ってんのよ!」
アスカがあきれたように言った。
「あんたが使徒を斃すたびに、どれだけ人々が救われたと思っているのよ。」

「それは、ぼくの力じゃない。エヴァの力だ。」

「じゃあ、もうひとつ、言ってあげる。
 あんたが浅間山で、あのときあたしを助けてくれなかったら…。」

アスカはそっぽを向いた。

「あたしは今、あんたの前にはいないわよ!」

「アスカ…。」
シンジは、言葉がでなかった。

「帰りましょう、碇君。」
レイが、笑みを浮かべて言った。

「うん。」
シンジの顔にも、笑みが戻った。

「なな、なによ、あんたたち。
 あたしが寝込んでいる間に、何があったって言うのよ!」




発令所に現れた、何人もの綾波レイは、何をするでもなくそこに佇んでいた。

「何かの意思が投影されているって言ったわよね。」
ミサトが、リツコに問う。

「ええ、言ったわ。」
「いったい、何の?」

「おそらくは、リリスの。」
「目的は何?」

「…わからないわ。」

そこにいるだけで、話しかけても応じるわけでもなく、触ることもできない。

「何かを、待っているのかしら。」
「その意思を、決めかねているのかも知れないわね。」

そのとき、その声は聴こえた。

『帰りなさい、今はまだ、そのときではないわ。』
頭の中に、直接響いた。

「な、なに? 今の…。」
「見て、ミサト。」

レイたちが、一斉に色を失い、溶け込む様に消え去っていった。

「どういうこと?」
いきなり現れ、消え去るときもまた唐突だったことに、ミサトは混乱した。

「初号機と弐号機が、解放されます!」
マヤの叫びに、二人は振り向く。

メインスクリーンには、フィルムを逆回しにしたかのように、褐色の帯状のものが
初号機と弐号機からほどかれていく様が映っていた。

褐色の帯は収束し、ロンギヌスの槍へとその形状を戻す。

「シンジ君! レイ! アスカ!」
「無事なの?」

「通信、回復しました。」
マヤが告げる。

「心配かけて、すみませんでした。」
シンジの笑顔が、モニタに映し出されていた。




初号機が、ロンギヌスの槍を掴んだ。
そして、投げる。

槍は、かって零号機がそれを投げたときの様に、そのまま突き進み虚空に消えるかと
思われたが、予想に反して宙に浮いたまま止まった。

そして、ぼうっと赤く光る。
点滅する様にその光が強弱を繰り返すと、地上に配置された量産機たちに異変が生じた。

白い巨体が、そのままの姿勢で乾いた泥のような色に変色する。
その表面に無数のひびが入り、一瞬にして朽ち果てた彫像に変じていた。

セフィロトの樹を形造っていた円形の紋章も、それに付随する古代文字らしきものも、
さらにはそれらを繋いでいた光の筋すらも、照明が消えるかの様に消え去っていく。
最後の光が消えると同時に、ロンギヌスの槍もまた、その姿を消した。

「…終わったようだね。」
それらを上空から眺めながら、銀髪の少年がつぶやいた。

「われらの、完敗だ。」
傍らに浮かぶモノリスが、それに応じた。

「やはり、リリスに接触せずに発動させることはできなかったか。」

「シンジ君は、リリスの化身に守られているからね。」
「まんまと、碇にしてやられたわ。」

「いや…。」
少年は、遠い目をしてつぶやく様に言った。

「それは、碇司令の本意じゃなかっただろうね。彼にも、この結果は想定外だったと
 思うよ。」

「そうか、碇も、われわれも、その希望は潰えたか。」
「シンジ君の願いが、人類を救った、というところかな。」

「救い? ばかな! これが救いなどであるものか。
 いずれ、人類は行き詰る。
 今回はただ、それを先延ばしにしたに過ぎぬ。」

「どうかな。ぼくはもう少し、この先を見てみたくなったよ。」

「タブリス…。」
モノリスは少年を、あらためてその名で呼んだ。
「これから、どうするつもりだ。」

「さて、どうするかな。」
少年は微笑んだ。

「ぼくは、自由の天使だからね。
 いつの日か、再び肉体を得て転生するまで、この時代の人類の行く先を見続ける
 かも知れない。
 あるいは、早々にこの時代に見切りをつけて、別の時代でシンジ君との邂逅を
 求めるかも知れない。
 いずれにせよ、あなたたちとは、ひとまずこれでお別れだね。」

「…好きにするがいい。
 われらは、先に行く。
 かりそめの体を捨て、忌むべき存在のエヴァを封じられる時代をもとめて。
 では、さらばだ。」

夕闇が迫ろうとしていた。
モノリスは、その夕闇の中に溶け込むようにして、その姿を消そうとしていた。

「今度、あなたたちと会うときは…。」
少年が、呼びかけるように言う。

モノリスは消えかけていたが、それが一端止った。

「ぼくは、敵にまわるかも知れないね。」

無言のまま、モノリスは消えていった。




ゲンドウは、椅子の背に身を預けて天井を見上げていた。
傍目にも、はっきりとやつれているのが見て取れる。

「司令、もうお休みになりませんと…。」
付き添っていた、医師たちの一人がそう言った。

「わかっている。」
低い声で、ゲンドウは応じた。

それから、傍らの冬月に向かって尋ねた。
「レイは…シンジは、戻ってきたのか。」

「ああ、今ケイジにいる。」
「そうか…。」

「冬月、私たちは間違っていたのか。」
ややあって、ゲンドウは尋ねた。

「わからん。
 今となっては、それを決めるのは我々ではないだろう。
 これが聴こえるか、碇。」

そう言うと冬月は、ケイジと発令所との、音声回線のボリュームを上げた。

『もういいわ、あたしは「ごちそうさま」なんて言わないんだから!』
アスカが喚く声が、発令所いっぱいに響いた。

『だから、アスカ。ぼくたちは…。』

『はん! 言ってるそばから、「ぼくたち」ですって?
 言い訳にもなんないわよ、そんなの。
 だいたい、あたしはあんたたちの関係を妬いているわけじゃないんだから。
 ただ、ちょっと面白くないだけよ。』

「なんだ、これは?」
ゲンドウが冬月に尋ねる。

「パイロットたちが、エヴァから降りずに、何かもめているようだな。」
冬月は苦笑して言った。


『どうしたら、いいんだよ。』

『そうね、どうしてもあたしに「ごちそうさま」と言わせたいのなら、
 何かおごりなさいよ。』

『別にそんなこと、言ってもらいたいわけでは…。』
『いいわ。』

『え…?』
『わたしと、碇君とで、あなたに何かおごればいいのね。』

『さすがは、ファースト。どこかのばかと違って、話せるじゃない。
 でも、そのかわり… 高いわよ〜♪』

『いいわ、それで惣流さんが元気になるのなら。
 でも、それは明日にしましょう。
 今日のところは、ゆっくり休んで。』

『えっと…。』
『病み上がりに、無理をするのはよくないわ。』


「どうだ、碇。」
「なんだ?」

「未来は我々ではなく、彼らに託すべきだとは思わんか。
 何の打算も思惑もなく、今を素直に受け入れている彼らに。」

「ああ、そうだな。」
ゲンドウは、力なく笑みを浮かべて言った。


チルドレンたちの会話は続く。

『そういうことでいい? 碇君。』

『そ、そうだね。アスカの復帰祝いということで…。』

『なに、馬鹿なこと言ってんのよ!
 そんなことより、もっと気をきかせなさいよ。』

『え? 復帰祝いじゃだめなの?』

『ばか、ちがうわよ!
 さっさとファーストの着替えを用意させなさいよ。』

『着替え? プラグスーツでいいの?』

『なんでもいいわよ、まったくもう! 
 あんたがぐずぐずしてたら、ファーストがいつまでたっても外に出られないじゃないの。
 ハダカなんだから!』

『え? ええっ!』

ややあって、真赤な顔をしてケージを走り出るシンジの姿が見られた。
希望を捨て、しかし期待を込めた面持ちで、ゲンドウと冬月はそれを見ていた。


                                完